水上の地平線   作:しちご

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30 緑色の雨

海はええ、ような気がせん事も無い。

 

埠頭でボケらッと海原を眺めていれば、様々な厄介事を忘れてしまえる気がする。

などと現実逃避しても何も変わらんわけで、手元の書類に視線を移す。

 

太平洋打通作戦概要 第7版

 

予想とは違って、ウチらブルネイ組は全てが太平洋側に参加する事になりそうや。

しかも後詰で、暇つぶし用のドラム缶は必須な雰囲気がある。

 

どうにも本土側で先駆けを争っているらしく、辺境などは後回しにされるわけで。

 

呉、佐世保、舞鶴と先陣を奪い合って今現在泥沼になっているらしい。

 

概要が届くたびに先陣の鎮守府が変わってんねん、ウチらの後詰は変わらんけど。

 

ちなみに横須賀は陽動のアリューシャン側の先陣、その分本命の太平洋では

ウチらと一緒に除け者扱いの後詰組、ドラム缶が4つでは足りそうにない。

 

まあ決まったとこだけでも準備はしておかな、と。

 

しかし先陣争いって、深海棲艦をどこまで舐め ――

 

海はエエ、ような気がセン事も無イ。

 

どコが先陣ヲ張るにセよ、ウチらまで仕事が回ってきそうに無いなぁ。

懐かしいドラム缶は早めにパラオに輸送しておく事にしよう。

 

 

 

『30 緑色の雨』

 

 

 

那珂の両手から書類が滑り落ちた。

 

次回のコンサート計画書、提出予定であったそれは提督執務室の床の上に

散り散りにばら撒かれ、妙に清潔な床の上に乱雑と言う名の化粧を施す。

 

そんな那珂の視界の先に居るのは、夕立。

 

先程に、提督さんお茶が入ったっぽい、などと言っては机の上に置いていた。

窓から入る日差しが金色の髪を透かし、何やら1枚の絵画のような空気である。

 

多分、お茶だろう、緑茶の様だ、微妙に不安になる口癖であった。

 

そう、お茶である。

 

白湯を湯呑に淹れて温度を下げ、そのまま急須に戻した後に茶葉を開かせる。

特に問題の無い、至って普通の緑茶の作法であった。

 

至って普通である。

 

至って普通に、夕立がお茶を淹れている。

 

至って普通に、あの、夕立が。

 

あの、那珂が半月頑張っても戦闘以外はお手とおかわりしか仕込めなかった夕立が。

 

「あの、梯子状神経系で動作していると異名を誇った夕立ちゃんがお茶をッ!?」

「那珂ちゃんの中の私の評価がとことん低いっぽいッ!?」

 

衝撃であった。

 

あまりの衝撃に思わず路線変更してしまいそうな程であった。

次回のコンサートではデスボイスでレイプと1秒に10回叫ぶ寸前である。

 

「いやいやいや、ドッキリは本当に心臓に悪いって」

「何でそこまで現実から目を逸らすのッ!?」

 

いや現実と言ってもと、那珂は思った。

 

現実的な話、もしや夕立は解体されて新たに建造され直したのではなかろうかと。

 

艦種が揃い切ったブルネイでは、解体してその艦の席を開けてしまえば

建造によって新たに造り直すのはさして難しい話では無い。

 

秘書艦組のあまりの冷酷さに全身が総毛立つ思いである。

 

那珂の心の中で、かつての夕立との思い出が走馬灯の様に流れ出す。

 

待って欲しいっぽい、うふふ捕まえてごらんなさい、そんな思い出有ったっけ。

 

そんな中、心中に稲妻の如き鮮烈な天啓があった。

 

「なんだ、夢か」

「現実全否定ッ!?」

 

流石に自分の事だけあって、打てば響くかの如きツッコミを続ける夕立に

現実逃避から帰ってきた那珂がようやくに視線を合わせる。

 

「あ、うん、夕立ちゃんも頑張ったんだね、うん、何かこう納得できないけど」

「物凄く歯切れが悪いっぽいッ」

 

埒があかず、どうどうと互いを抑える姿は、利根。

 

水入りの隙に深呼吸をして、ようやくに心を落ち着けた那珂が苦笑して言う。

 

「あー、いや本当に驚いたよ、夕立ちゃんがお茶を淹れれるように成るなんて」

 

そこで言葉を区切り、利根へと向いた。

 

「いや無理だって」

 

真顔であった。

 

夕立はもはや失意体前屈であった。

 

「まあ信じられぬのもわからんでもないが」

「とねちゃんもひどいっぽいー」

 

床から力の無い抗議が届く。

 

「霧島と龍驤も苦労しておったみたいだしの」

 

霧島ァ何故紅茶でないのデスカーと恨みがましい声色が何処からか響いている。

眼を合わすときっと英国の暗黒面に捕らわれる、そんな予感に二人は全力スルー。

 

そのままに床に落ちた書類を拾い集め、那珂が問うた。

 

「しかし、どうやったの、正直想像もつかないんだけど」

 

ツッコミを諦めた夕立は、涙で床に鼠の絵を書いている。

 

「詳しくは知らんが、龍驤が言っておったの」

 

―― 脳味噌が無いのなら脊髄に叩き込めばええと

 

那珂には、言っている意味が理解できなかった。

理解は出来なかったが、ただひとつだけわかった事がある。

 

脳裏に浮かぶのはひとつ上の姉。

 

何か妙に小柄な全通甲板をリスペクトしている彼女が、そんな発言を知れば

きっと感じ入った風で頷きながら、翌日からの教導が酷い事になるだろう。

 

海軍に鬼は数有れど、鬼すら泣きを入れると謳われた最凶最悪の航空母艦、龍驤

どう考えても教導艦のリスペクト対象としては完全に間違っている。

 

うん、龍驤ちゃんと神通ちゃんは、混ぜたら危険だ。

 

以前より感じていた内容を、改めて心に刻む那珂であった。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

概要第8版、さして内容の変わらぬそれを見ながら提督がウチに聞く。

 

「先陣だったり除け者だったり、横須賀の立場ってどうなってんだ」

「除け者やけどな、大和型の有無で結構発言力に差が出るらしいわ」

 

あんまり無碍にすると色んなところのお偉いさんが本気切れするとか。

今回の様な素敵なパーティでは、長門(ながもん)が参加資格、大和型が発言権って感じか。

 

だからまあ、大和と武蔵を有する横須賀は、基本ウチのように除け者扱いではあるが

ある程度の面子を立ててアリューシャン先陣を割り振られている、だとか。

 

率直な気持ちで感想を言えば、お疲れさん、としか言いようがない。

ウチには縁の無い話やし、まあここは素直に給料泥棒万歳と喜んどこかと。

 

「何処情報?」

「青葉日報ブルネイ版」

 

衣笠(ガッサ)さんが絡んでくるたびに最新版を置いて行く律儀な重巡、タウイタウイの青葉。

詫びなのか促販なのかいまいち掴めないが、まあ結構楽しいからええかと。

 

そんな返答を何故か溜息とともに押し流した提督が、一通の封書を渡してくる。

 

ブルネイ第三鎮守府5番泊地筆頭、龍驤様宛、何やえらい達筆。

 

「って大和からやん、字綺麗やな」

 

封を切って読み進めば、前略から始まる親しげな文面で ――

 

「うぇ?」

 

ちょっと厄介事としか思えない内容が書いてあって、文章が脳髄の表面を滑る。

あ、何か脳味噌が理解するのを拒否してるわ、日本語わかりません。

 

などとフリーズしていれば提督が、何やら一緒に送られてきたらしい書類を

顔の横でピラピラと振っては破滅の言葉を鼓膜に届けてきやがった。

 

「ウチに、大和型が1隻出向してくるってさ」

 

来るのか、バキュームを越える溶鉱炉が、存在自体が厄介事って感じの艦が。

 

何かもう、勘弁してえな。

 


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