水上の地平線   作:しちご

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比翼の鳥 叙

轟音が、響いた。

 

遥か遠方より過たず撃ち抜かれた爆撃機の破片が飛び散り、

掻き乱された気流に編隊が木端の如く吹き散らされる。

 

「カーッ格好良いなあ! 流石は長門サン、痺れるねえ」

「ふはは、良いぞ隼鷹、もっと褒めろッ」

 

聞こえるはずの無い声だった。

 

「何つうかなあ、主砲で対空防御されると、ウチら商売あがったりなんやけど」

 

溜息と共に呆れた声を出す姿。

 

誰もが、その目に映った光景を信じる事が出来ない。

 

―― アリエナイ

 

先頭のソレは、懐より取り出した紙巻を咥え、指先に生んだ霊火を近付け火をつける。

 

―― オ前タチハ、コノ戦場に居ナカッタハズ

 

その空母は聞く耳を持たず、深く吸い、煙に巻いた。

 

「何や、一、二航戦が揃いも揃ってシケた面しおって」

 

誰のための言葉だったのか、火の付いた紙巻を突き付け、悪戯染みた気配で笑う。

声を受け、蒼龍が顔面に様々な体液を漏らしながら叫んだ。

 

「りゅ、りゅうじょぶゼンバアァァイ」

「うわッ……百年の恋も冷めそうな面ってのはこういう事か」

 

「びどいッ」

 

加賀の引き攣った顔は笑顔の様であり、飛龍は固まり、赤城が乾いた笑いを漏らす。

 

飄々とした空気の中、やがて、戦場に馳せ参じた艦影は6隻。

 

龍驤 ―― そして隼鷹、長門、陸奥、大和、武蔵

 

疑問に、歓声に、怨嗟の声に、およそ突然に喧騒と言う物が生まれる。

問いかける声が、叫びが、訪れた艦隊へと叩き付けられた。

 

そして、実に馬鹿げた火力をその背に背負い、先頭のまな板が口を開く。

 

「ほな、ちょっとばかり仕切らせて貰おか」

 

様々な疑問の一切合財を聞き流し、大符が海上に広げられた。

 

 

 

『比翼の鳥 叙』

 

 

 

「つまり手遅れや、人類は負けた」

 

作戦総本部に響いた結論に、席に在る提督陣の顔色は総じて鉛に色を変えた。

 

壇上に立つ姿は赤い水干の軽空母、ホワイトボードに殴り書きされた内容は

米軍のパールハーバー奪還を起点として組み上げられた、見立ての術式。

 

深海棲艦が、その身の血肉と怨念を以って、太平洋に描き上げた大術式。

 

人類勢力を大日本帝国、深海勢力をアメリカ合衆国に割り当てて、

かつての歴史の再現を促す致命の一撃であった。

 

「各員の奮起を、という次元の話では無かったわけだ」

 

横須賀勢から、第一提督が口を開けば、第四の壮年が発言を受ける。

 

「そうだよな、違和感はあったんだよ、忘れていたけど」

 

各所に鎮守が配置されている本土ならば呪詛の影響は受けない。

だが、海に近づけばそれだけで取り込まれてしまう。

 

何処からか、たかが化け物どもなどという声が上がる。

 

「死体ですら霊格が上がれば知能を持つ、奴らがそうでない道理は無いわな」

 

肩を竦める軽空母は、まるで他人事であった。

 

「そもそもや、最近の深海棲艦は弱すぎた、不自然なほどに」

 

最後の赤城たちを温存すれば、何処にも行けない、パラオで飢えるだけや。

対抗の術は、70年以上に積み重なった圧倒的多数の認識を覆すのは不可能に近い。

人間が出撃すれば、常世に堕ちて動く死体になるだけや、敵が増えるな。

 

ひとつ、ひとつと提督たちが口にする裏付けのない希望を丁寧に潰していく。

次々と鉛を飲み込んだ顔色が場に並び、最後に誰かが小さく呟いた。

 

ブルネイの魔女、と。

 

事此処に至って誰もが理解した、人類はヒトの怠慢で敗れるのだ。

 

盤面の上、艦娘という駒に全てを託し、そして、託し過ぎた。

 

対戦相手がルールブックに都合の良い一文を書き込むのを、

プレイヤー以外の誰が止められると言うのか。

 

気が付けば盤その物が既に相手の物であり、妖精と言う審判は抱き込まれ

艦娘というシステムに制定されたルールを宣告される段階である、歴史に従えと。

 

誰もが口を噤み、絶望と言う名の静寂が訪れる。

 

―― だが

 

ただ一人、口を開いた。

 

ブルネイ第三鎮守府5番泊地、提督。

 

平素の様に、何の躊躇いも無く、ただ喉が渇いたのでお茶をくれと言う声色で。

 

「で、何が要る」

「大和と武蔵」

 

打てば、響いた。

 

壇上の魔女が視線を回す。

 

「第二に代わって認めよう、持って行け」

「武蔵は預けているからね、好きにすれば良い」

 

即座、赤い水干の前に書類が翻り、何事かを書き込みながら言葉が続く。

 

「長門と陸奥」

「ちゃんと返してくれよ、第二本陣に言い訳が立たん」

 

ブルネイのナイスミドルが口元を歪めながら言った。

 

「アタシの名前は無いのかい」

 

見れば入口に立つのは、紅白に染めわかれた陰陽系改装空母の姿。

 

「ハッ、言うまでも無いやろ」

「カーッ、龍驤サンと知り合ったのが運の尽きだねえ」

 

一同の背筋が逆立つ声色に、顔に手を付き大仰に嘆いたのは、隼鷹。

 

その横に、肩で息をして膝に手を付き俯く利根が居た。

一息、顔を上げ、珍しく獰猛な笑みで龍驤に言を伝える。

 

「要望通りじゃ、全て埠頭に揃えておいたぞッ」

 

書き上げた書類を横須賀提督陣の前に叩き付け、身を翻す赤。

牙を剥くかの如くに笑顔を交わし、差し出した手を互いに叩く。

 

「待て、どうする気だ一体!」

 

誰かの叫びに、少しだけ振り向いた化物(ケモノ)が、韜晦しながら笑った。

 

「盤面が駄目なら、ひっくり返してぶん殴るしか無いやろ」

「貴様とは決して卓を囲まんからな」

 

思わずの軽口を叩いたのは横須賀、書類に目を通し口元が引き攣っている。

 

「ま、駄目ならそれまでや、この首好きにするがええさ」

 

首元に手刀を振りつけて、退出しようとする軽空母を呼び止める声がある。

 

龍驤、と。

 

言葉と共に投げつけられた小さなそれを片手で受け取る。

 

5番泊地提督が言う、同じく手の平を首元に振りながら。

 

「艦娘1隻の首じゃ足りんだろ」

 

何やってんだろうなあ俺、という内心が外側にだだ漏れになっている姿。

そんな中で、無理に作ったような笑顔に龍驤が苦笑を漏らす。

 

「知らんかったわ、司令官ってエエ男やったんやな」

「今更過ぎるだろ、それ」

 

そして、手の中にある小さな指輪を薬指に嵌めた。

 

後年、横須賀第一提督はこの時の事を人にこう語る。

 

歴史の先端に馬鹿が居たと。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

埠頭でグルグルと回りっぱなしの羅針盤を睨む。

 

「はてさて、いったいどんな如何様をする気なのだろうな」

「流石は長門サン……微塵も疑いを持っちゃいない」

 

「何にせよ、龍驤様ならきっと何とかしてくれます」

「えーとね武蔵ちゃん、なんでこの娘ここまで龍驤ちゃん贔屓なの」

「……姉上だからな」

 

何や後ろから物凄く気楽な会話が聞こえる。

 

「で、本当にどうやって辿り着く公算なんだい」

 

隼鷹の問いに、意外そうな顔を向けた。

 

「何や、ウチですら聞こえるのに、何で隼鷹が気付かんねん」

 

海原を指し示す、負の怨念に染まり他に何も無い。

困惑している顔に、言葉を紡ぐ、皆に聞こえよと、皆に。

 

「もしも、あの場に大和が居れば」

 

―― 長門が辿りついていれば

―― 武蔵さえ居てくれれば

―― 陸奥が間に合ってくれたなら

 

「知っとるか、山本五十六最大の誤算とか言われとるらしいで」

 

懐かしい音を追って見上げれば、97式一号艦攻、そして零式艦戦21型。

待ちきれずに化けて出たか、最後までウチと共にあった英霊たちが。

 

「ウチと隼鷹が、ミッドウェーに行かんかったことが」

 

ああそうや、聞こえるんや。

 

70年以上の長きにわたって積み重ねられた、益体も無い悔恨の声が。

間違いなく負に属する、惨めで、叶いもしない妄想が、繰り言の集積が

 

今この場で、ただ一言を待っている。

 

「……龍驤サン、あんたまさか深海に」

 

腕を上げ、かつての誰もが望んでいた一言を、立ち込める負の世界へと響かせた。

現実は要らない、絶望も要らない、今此処でただ望むのは、都合の良い願望。

 

針は指し示すだろう、望んだ海域を、あらゆる由縁を越えて、妄執が。

 

連れて行く、連れて行けと ――

 

「第四航空戦隊、抜錨する」

 

辿り着きたかった、あの戦場へ。

 


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