水上の地平線   作:しちご

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あきつ退魔録 参破

伝わるはずの無い温もりを、電は感じた。

 

泣き喚いた自分を、優しく抱きしめた姉に動きが止まる。

 

「何なのです」

 

ごめんねと、耳元から声が伝わった。

 

「何で響が謝っているのですか」

 

頬を伝いぼろぼろと、知らぬ間に水滴が床に零れた。

 

室内には、膝を抱えた駆逐艦が居るだけ。

 

 

 

『あきつ退魔録 参破』

 

 

 

夜半、霧の中で紫煙を燻らせる揚陸艦が一隻。

 

あきつ丸と名を呼ばれ、振り向けば寄せて来る副官の姿を見つけ、

何某かの札を取り出し握り締め、拳と変えて電の頭頂に叩き付ける。

 

あまり聞きたくない、素直に痛そうな音が夜に響いた。

 

「い、いきなり何をするのですッ」

「おや、本物でありましたか」

 

抗議の声もどこ吹く風と、煙に巻いて吐き出す小隊長。

それよりも命令違反ですよと嗜めれば、知った事かと剛毅な返答がある。

 

「朝には霧も晴れるでしょうし、籠もっていれば生きて帰れるでしょう」

「あきつ丸を犠牲にしてですか」

 

ふと、吐き出す煙が止まり、何の事でしょうかとお道化た声が在る。

 

「そうやって韜晦していればいいのです」

 

憮然としたまま頑として動かない副官に、あきつ丸は嘆息した。

 

問い掛けに応えたのは一隻、求められる生贄も一隻。

 

「立場が逆ならば、隊長を見捨てて引き篭もるのですがねぇ」

「言ってる事とやってる事が逆なのです」

 

「それはまあ、責任者でありますから」

 

言われるままに韜晦を続け、吸殻を指で弾く。

 

霧の中で何某か、おそらくは艦娘であったであろう何かに当たり、

ぎゃ、と、小さな悲鳴と共にその姿を消した。

 

「もはや原型を留めていないでありますな」

「結局、これは何なのです」

 

問い掛けに、しばしの黙考を経てあきつ丸が口を開いた。

 

「唐三蔵が単身タクラマカン砂漠を踏破する折、呼び声の怪異に遭遇したとか」

「どう考えても幻聴なのです」

 

「ところが後年、同じ場所でマルコ・ポーロも同じ被害にあったとの事です」

 

地元では有名な怪異だと、東方見聞録に於ける記載である。

 

限り無く死が続く(タクラマカン)場所故に、死霊もまた元気に活動していたわけですな」

「厄介者が活動的だと本気で迷惑なのです、素直に死んでおくべきなのです」

 

にべも無い返答を返した駆逐艦が、はたと気が付き、思いつきを言葉に変えた。

 

「海を渡っていても、そんな声はなかなか遭遇しないのです」

「まあ、普通は沈むか昇るかしていきますからね」

 

つまり、霊魂(それ)を留めるための場が存在していると、

 

言葉を流した折、不意に、霧の中が静寂に包まれた。

 

「つまり此処は、泊地では無い」

 

やがて小さく、あきつ丸と、名を呼ぶ声がする。

 

あきつ丸

 

あきつ丸

 

あきつ丸 あきつ丸あきつ丸

 

「パラオの近くに存在する、霊魂を、何某かを留める事の出来る器、霊場」

 

かつての海域断絶で数多の被害を出しながら避難を敢行した、人間の居ない土地。

 

「数多くの犠牲が、残念が、怨念が染み付いた負の霊場」

 

細波の如くに繰り返される声、何処かしら悲鳴にも似た音色の其れを歯牙にもかけず

もはや騒音の類に類する絶叫を聞き流し、揚陸艦は言葉を繋げた。

 

「即ち ―― 彩帆(サイパン)香取神社」

 

名を

 

示したが故か一息に霧が晴れ、隠れていた何もかもが耳目に晒される。

 

どこかしら艦娘の面影の残る、様々な異形。

 

在るものはのたうち、在るものは蹲り嘆き叫んでいる。

 

暁のような気配がある破片を抱え嘆いているのは、眼帯が残る不定形の何か。

足の無いまま這いずり回り、軽巡洋艦の破片を集めて回る軽巡洋艦らしき影。

 

「様々な霊魂を留め置き、餌場としていたのでしょう」

 

見れば誰かしら、何処かしらを欠損している。

 

「霊場、というよりは蟻地獄と言った様相でありますな」

「とんだ薄馬鹿下郎なのです」

 

そのような異形の只中に、一隻だけ普通の艦娘が混ざっている。

 

「相変わらず、吹雪殿に見えますな」

「……あれは、何なのです」

 

おそらくは、蟻地獄の主であろうそれに対し、以前とは多少違う反応が在った。

 

「はて、響殿に見えていたのでは無いのですか」

「違うのです、何か、駆逐艦らしいけど、よくわからない」

 

ああ、恐怖を纏っていたのでありますかと、揚陸艦は嘯いた。

 

「恐れの奥に隠れてこちらを伺う、大した外道でありますな」

 

あきつ丸からは、吹雪が口の端を持ち上げて嘲笑した様に見えた。

目を逸らしたくなる姿を纏い、見えないならば辿りつけまいと。

 

しかるにまた、薄らと霧が立ちこめて来る。

 

隠れたままに祟り殺す、今までと同じように、何度でも、見つかるまで。

 

「見えない、わからないと思っているのですか」

 

そんな怪異に対し、くつくつとあきつ丸が哂った。

 

蜻蛉(あきつ)の性は見鬼にあれば」

 

一切万象を悉く並べて見せましょうと、

 

言えば制帽を被り直し、そのままに指を突き付け宣言する。

 

「外道照身」

 

辺りの異形の視線を集め、演台の上の如くに滔々と怪異を謳った。

 

「其は深海棲艦 ――」

 

世界が、歪む。

 

張り付いていた泊地の幻影が剥ぎ取られ、鳥居が、参道が露わになる。

 

駆逐棲姫と

 

名を以ってソレが括られて、一切の世界が現世へと回帰した。

 

数多の怪異は姿を消している、其処には在る、だが、異界故に姿を見せていたが

自分の眼にも映っていた今までが異常であったのだと、電は遅まきながらに悟った。

 

今、二隻の眼前に在るのは駆逐の姫。

 

白蝋の肌、下半身は黒き異形で覆われ、頭部に小さな角のある被り物をしている。

整った顔の、小さな口からは怨嗟の伝わる悍ましい唸り声が辺りに響いた。

 

はてさてと、飄々とした見鬼が副官に向かい口を開く。

 

「全力で、行くでありますよ」

 

力強い言葉が在った。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

二隻は全力で逃走していた。

 

夜の中、無人の廃墟に騒々しい音が響く。

風切る音、爆発の音、建物が崩れる音、慌ただしい足音。

 

後ろから、駆逐棲姫が追い掛けてくる。

 

「ハンケチーフも耳飾りも落としてないでありますよー」

「余裕あるなこん畜生ッ」

 

ダカダカと、豪快な音を立てて逃げる二隻の耳元なり何なりを、

何か深く考えたら嫌な代物が風切り音に乗って通り過ぎていく。

 

「さっきの自信満々のドヤ顔は何だったのですかッ」

 

「そもそも、揚陸艦と駆逐艦で姫級に対してどうしろと」

「信じた私が馬鹿だったのですッ」

 

騒々しく、かつての静寂に電の嘆きが響いた。

 


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