水上の地平線   作:しちご

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あきつ退魔録 零ハ

色の褪せていく黄昏の中、廃墟の中の霊的洗浄も終わりを迎えようとしている。

 

紙巻に火を点ける音がした。

 

無遠慮に廃材の転がる建物の壁際に、無気力に座っている人影がふたつ在る。

幾らかの申し送りのため、手持無沙汰に時間を潰している艦娘と人間。

 

「刃を2回、柄を3回交換した斧は、もとの斧と同一だと思うか」

「振られた理由としては、随分と変化球でありますな」

 

軽く皺の寄った紙巻を指に挟み、顔の下半分を覆うように深く吸う。

 

煙と共に吐き出されたのは、何もかもを失った哀れな男が、

素直な少女に絆されるという、何処にでもある話。

 

「柄にもなく、立ち直れそうだなと思えたんだ、吹雪が居れば」

「まごう事無きロリコンでありましたか」

 

違いないと苦笑する声が、伽藍の堂に響く。

 

「初期艦として付いて来てほしいと誘って、翌日に答えを聞くはずだったんだがな」

 

そういえば、泣きそうな表情には何か別の意味があったのかと嘯き、語る。

 

翌日に嬉しそうな笑顔で自分へと駆け寄って来た少女の言葉は、

 

―― はじめまして、吹雪です

 

それきりに言葉が絶え、夕風が敷地を通り抜けた。

 

ふたりの手元にはいくつかの書類、最初期の提督適性試験の顛末。

男の受け持ちであった特型駆逐艦は、期間中に複数回の改装と交換を受けている。

 

咥えていた紙巻の火を、鎖の様に新たな煙草に継いで、煙を中空に遊ばせる。

付き合いたまえと大仰な一言を添えては、皺くちゃの箱をあきつ丸へと差し出した。

 

恐々とした手つきで紙巻に火を点けた揚陸艦は、一息に吸っては咽せて咳を吐く。

 

あきつ丸の恨みがましい目つきに、どちらともなく笑いが漏れた。

 

「なあ、吹雪は何処に居たんだろうな」

 

あきつ丸が書類の中から、一枚を抜き出して男へと渡した。

 

やがて廃墟より官憲や陰陽師の一団が現れて、この事件は一旦の幕を引く。

 

 

 

『あきつ退魔録 零ハ』

 

 

 

埃の積もった小部屋の扉が開く。

 

打ちっ放しのコンクリートの壁、簡素な寝台と机、様々に彫り込まれた言葉。

 

「此処だったのか」

 

小男が手にした見取り図を眺め、間違えていない事を確認する。

 

試作型人造付喪神宿所、つまりはかつて彼と共に在った初期艦たちの寝所であり

先ほどにあやかしから追われた折、咄嗟に逃げ込んだ小部屋である。

 

―― 七生報国 一機一艦 おまんじゅう

 

壁に彫り込まれた言葉は、物言わず何かを伝えて来ようとしては、空気を重くする。

 

―― 羊羹 必至必中 しょーとけーき

 

言葉を辿るうちに、段々と、段々ととぼけた単語の割合が増えて行く。

 

―― お洋服 紅茶 いいから南瓜を作るのです

 

作られては消え、作られては消えて行った試作艦娘たちが、それでも短い生のうちに

僅かに手に入れた何かを、せめて言葉だけでもと残した傷跡。

 

―― カレーぱん カレーうどん カレーせんべい

 

指でなぞりながら言葉を追う先で、ふと、男の指が止まる。

 

「ああ、そうか」

 

人の名前。

 

提督と付けられた、誰かと、自分の。

 

「お前は、此処に居たのか ―― 吹雪」

 

誰も応えるはずもなく、ただ静寂のみが個室を包んでいた。

 

そのうち、扉の向こうより足音が響いてくる。

 

「何か見つかったでありますか」

 

顔を出した揚陸艦に、苦々し気な表情で男が答える。

 

「困った事に、僕は提督だったらしい」

 

それはそれはと肩を竦めた揚陸艦が、そのままの風情で提督用の制帽を差し出した。

 

「吹雪殿の、私物でありますよ」

 

寝所とは別に、艤装などの倉庫もあったらしい。

 

「失くしたと思っていたんだがな」

 

受け取りながら、存外、手癖の悪いやつだと苦笑して帽子を被る。

 

「提督と言っても、あてはあるのですか」

「以前から、横須賀に誘われていてね」

 

様々な省庁より海軍に人材が送られている現状、防衛省経由の提督は

横須賀としては、喉から手が出るほどに欲しい人材であったらしい。

 

幾度断ってもしつこく誘ってくると言う、今もまだ。

 

先約がありましたかと肩を落とす揚陸艦が、重ねて問うた。

 

「上京でありますか」

「残念ながら泊地だ、北の果てに行く奴が居ないらしい」

 

鮭蟹帆立でありますなと嘯く艦娘に、何で艦娘はまず食べ物なのかと苦笑が出る。

言葉を交わす内も歩みは止まらず、やがて廃墟より出て、夕闇に染まり始めた敷地。

 

あきつ丸、と男がはじめて名前を呼んだ。

 

「おそらくはロシア、深海棲艦に挟まれて激戦区となるだろう泊地だが」

 

来ないか、と。

 

誰そ彼も終わる頃合いの静寂に、揚陸艦が逡巡し、やがて首を振る。

 

「自分は、憲兵が性に合っている様で」

 

ただ、柔らかい笑みがそこに在った。

 

互いの影が交わらず敷地に伸びたまま、やがて闇に薄れて行く。

 

そんな気はしていたんだと溜息がひとつ。

 

「やれやれ、振られ続ける人生だ」

 

肩を竦めて漏れ出した声には、何某かの諦めが混ざっていた。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

日本国勢力最北端最前線、横須賀鎮守府第5番泊地、通称 ―― 単冠湾泊地。

 

黒に染まった制服を纏う揚陸艦と、凶相の似合う提督が騒いでいた。

 

「死刑判決を受けていたはずでありましょう」

 

アリューシャン列島奪還後、ロシア側との折衝を続けるうち、

随分と因縁のある姿が映った写真を入手する機会が在った。

 

鶏がらの様に痩せこけた、初老の研究者。

 

「横須賀の第四に調べて貰ったがね、どうもはじめからこうなる予定だったらしい」

 

野党勢力からの圧力で執行猶予が付き、市民団体が引き取り、消息を絶つ。

つまり全ては、陰陽寮の監視を振り切り足取りを消すための茶番であった。

 

彼の研究者と、陰陽寮と海軍に因る艦娘の技術発展の方向性が食い違った時点で

いくつかの市民団体と接触、中華人民共和国への亡命を決意していたらしい。

 

ただ、研究のために。

 

「……ああ、大陸で死体が活用されているのは」

「少なからず、コレが関わっているのだろうな」

 

重くなった空気にコトリと、本日の秘書艦を務める霧島が珈琲を置く。

 

「マンデリンか、最近は高騰しているのにどうしたんだこれ」

 

普段の代用珈琲ではなく、ちゃんとした珈琲豆の香りに驚きの声が漏れる。

 

「ブルネイの5番泊地からの頂きものです」

 

あきつ丸と提督が、珈琲を吹き出した。

 

「おい、何か君の言っていた魔女がウチに手を伸ばしているみたいなんだが」

「油断も隙も無い方でありますな」

 

ジト目の提督の発言に、愉しそうにクツクツと笑うあきつ丸。

 

そのうち、やや軽くなった空気でいくつかの情報を交換する。

 

大陸の混迷は香港省の独立で一旦は収束したが、ゲリラの多発で研究どころの騒ぎでは無く

つまるところは件の研究者が、団体を頼って日本へと帰ってくる可能性が高いと。

 

「ああ、道理で最近憲兵の周りが煩いわけで」

 

ブルネイ第二の漣に直接話を持っていくと把握される恐れがあると、

ならば龍驤殿に仲介を頼みますかなど、こまごまとした手順が構築されていく。

 

「まあ何だ、いつかの続きをしなくてはならないわけか」

「次は、仕留め損なわないように気を付けましょう」

 

韜晦の声に合わせ提督が取り出した箱から、互いに紙巻を指に摘まむ。

 

「煙草は身体に悪いですよ」

 

点火の音に気付いた秘書艦の咎める声を聞き流し、互いが深く肺まで煙を吸い込んだ。

一息の溜めを以って吐き、煙に乗せた言葉がどちらとも無く漏れる。

 

―― 知った事か

 

肩を竦めた霧島が、軽く空いていた窓を全開にした。

 


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