水上の地平線   作:しちご

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天籟の風 陸

「見様見真似ヨー島式、変位抜錨霞砲撃ッ」

 

超高速で吶喊した島風が、駆逐イ級の寸前で無理な角度の急制動を掛けた。

 

敵影を突き抜けるが如き残像を生み、身体を横に回転させながら、側面を通過する。

回転の最中、抱え上げていた連装砲ちゃんが、過たず駆逐イ級の胴体を撃ち抜き、

 

そしてそのまま、すッ転んだ。

 

のぎゃーとか叫びながら海面を転がる駆逐艦に、深海の艦隊の意識が向いた隙、

連続する爆音、吹きあがる水面、次々と撃ちこまれた砲雷撃。

 

「コケなければ格好良かったのですがね」

 

硝煙の下、不知火が呆れ半分の声色で感想を述べた。

 

「状況終了、被害は無いかな」

 

旗艦の陽炎の問い掛けに、濡れ鼠が一匹とタオルを渡しながら天津風が答える。

 

「うう、皐月(さっ)ちゃんの境地は遥かに遠いー」

 

ヨー島所属第二鎮守府最古参、睦月型5番艦皐月、ブルネイ鎮守府群最強の駆逐艦の

呼び名も高い、今作戦の陽炎哨戒戦隊が先日に相手取った演習相手である。

 

濡れ鼠と成った島風の髪を、タオルで挟みながら嗜める声。

 

「真似はいいけど段階は踏みなさいって ――」

 

言葉が、止まる。

 

駆逐4隻の哨戒艦隊のやや弛緩した空気が、突如に凍り付いた。

 

即座に全員が身を翻し、海上に現れたあからさまな異常に注目する。

蒼天の下を煉獄に書き換える、粘ついた悍ましさを濃縮したが如きの、瘴気。

 

それは、紅の零れる漆黒の艤装に腰掛ける、白蝋の人形。

 

「防空、棲姫」

 

乾いた声を落としたのは誰であったのか。

 

作戦開始と並行し、陽炎哨戒戦隊、防空棲姫に遭遇す。

 

 

 

『天籟の風 陸』

 

 

 

「臆病だと思うかね」

 

動き出した盤面に、細かく指示を出しながら本陣提督が問うた。

 

唐突な言葉に、大淀が困惑する。

 

昼の最中の作戦総本部、やや薄暗い室内に見える物は、様々な通信機材と盤面。

初老の本陣提督の周りを、慌ただしく留守役の駆逐艦が走り回っている。

 

「いやなに、あの暴虐軽空母ならば、どうしていたのだろうかと考えてな」

 

困惑した様相の軽巡洋艦に、年甲斐も無く軽くお道化た風情で言葉が紡がれる。

 

盤面の上にあるのは、艦隊の各個撃破を目指したが如くに動き出す、深海の軍勢。

秋津洲の向こうで、前髪を切りそろえた陽炎型の駆逐艦が通信機材の横で発言した。

 

「羅針盤固定、第三艦隊と第七艦隊は逸れたわ、到達は8割」

 

伝達を述べ、盤上の艦娘の駒を並べなおしながら、初風が言葉を受けた。

 

「はっきり言って、妙高姉さんの方が私は怖いわね」

 

首元に手をやって、コキコキと鳴らしながらの感想である。

 

「妙高さんはどれだけ恐れられているんですか」

「いや、怒ると本気で怖いぞ、彼女は」

 

呆れ半分の大淀の声に、本陣提督が韜晦した声色で返答を入れる。

 

そのまま軽く弛緩した空気の中、敵陣の中央に配置された深海提督の駒を眺め、語る。

 

「英雄と凡人を分けるのは、天運だと私は思う」

 

唐突な言葉に、不明瞭なまま大淀が問い返した。

 

「天運、ですか」

「天に愛されているとでも言うのかね」

 

いや、畏れられているのか、と小さく零す。

 

「戦後に様々な再評価が行われ、欠陥空母と言う位置づけになったが」

 

戦中ならと、嘯く様な声色で滔々と作戦本部に声が通った。

 

「この海に在る妄念が最も恐れているであろう、帝国海軍最強の航空母艦、龍驤」

 

そのあたりは君の方が詳しいのではないのかねと、言葉を渡す。

 

「まあ確かに、当時の米帝での龍驤さんの評価はとんでもなく高かったですね」

 

神出鬼没にして、姿を見せれば確実に敗北を与えて来る、絶望の具現。

かのアメリカ合衆国に最も痛撃を与えた一隻であり、拠点潰しの代名詞と成った。

 

ミッドウェーの勝利に際し、現地の高官は口を揃えて自らの勝利をこう評したと言う。

 

―― 龍驤が居ないという幸運に恵まれた

 

本人が聞いたら鳥肌を立てるほどの高評価である。

 

そして本陣提督は席に座り直し、背もたれに深く体を預け、言う。

 

「仮に、今ココに座っているのが私ではなくアレだったなら」

 

全てが思い通りに動いてくれていたのだろうと零し、逸れた艦隊の駒を眺めた。

 

「まあ私だけなら良くて6割、2割の差分は、アレが自軍に居るお零れか」

 

苦笑交じりの声の中には、軽い喜びと、僅かの羨望が篭められている。

 

「常日頃に暴虐軽空母と言っている方の言葉とは思えませんね」

「いやさこの齢だからな、正座で説教された相手には、どうしても素直になれんのだ」

 

ツンデレというやつかもと水上機母艦が合の手を入れて、初風にシバかれた。

 

「まあ何だ、そんな英雄と違って凡人の私は実に臆病なのでね」

 

肩を竦めていくつかの書類を抜き出し、初風に渡す。

 

そのままに通信機に向かう駆逐艦を横目に、残りの書類を廃棄箱に放り込んだ。

 

「百の方策を立ててからでないと、怖くて戦場には向かえないのだよ」

 

その言葉を皮切りに、様々な通信が飛び交い俄かに騒々しくなる作戦本部。

ひとしきりの指示が終わった後、計器を注視しながら初風が発言した。

 

「瘴気濃度限界値に達します、通信途絶まであと30秒」

 

そっと、大淀が通信機器を本陣提督の前に置く。

彼は机の上のマイクを眺め、視線を盤上に映し、軽く息を呑んだ。

 

視線の先は、ブルネイ第一鎮守府本陣所属、第一艦隊旗艦、長門。

 

やがて、言葉と化した万感の思いがその胸中より溢れ出してくる。

 

「長門よ、待ちに待った艦隊決戦だ」

 

落ち着いた声色を一度に切り、両の手の親指と人差し指で視界の盤上を四角に区切る。

 

切り取られた世界の中には、数多くの深海棲艦と、艦娘。

 

「糞餓鬼に、戦争を教えてやれ」

 

言葉が世界の温度を僅かに下げた。

 

張り詰めた表情のまま、初風が通信途絶を宣言する。

 

そして見える物は、戦場。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

意気揚々と深海を率い、羅針盤に惑わされる艦隊を潰すべく動き出した軍団に、

しかしてその歩みは突然に止められる、動きを止めた深海に在る物は、信じ難き表情。

 

「予算申請の都合とは、よく言ったものだ」

 

艦隊に在る日向が嘯いて、飛行甲板を構えた。

 

それを実現させたものは、膨大な出撃記録に裏打ちされている、可能な限りの羅針盤制御。

 

「戦力の逐次投入が可能なら、そりゃあこうなりますよねー」

 

少しばかり呆れた風の声を零すのは、航空巡洋艦、最上。

 

「ブルネイの運営組の根性の曲がりっぷりは筆舌に尽くし難いっぽい」

「いや待て、お前も秘書艦なんだからあっち側だろ」

 

舞鶴より参戦した天龍が、棚に上げた発言をした5番泊地の夕立にツッコミを入れる。

 

「いえいえ、私たちの提督は真っすぐな方ですよ」

 

他は知らないがと、言外に含みを持たせた発言をしたのは、妙高。

 

そんな発言に、妙高型姉妹の他3隻が何か言いたそうな表情のままに固まる。

 

「いやいや、龍驤サンもどこまでも真っすぐなヒトだぜ、ドリル並に捻じれているだけで」

「あー、無理も道理も根こそぎ穿って行くわよねー、確かに」

 

発言を受け、まったくフォローに成って居ない軽口を叩くのは、隼鷹と飛鷹。

 

「まあ何だ、被害覚悟で逐次投入されるよりは遥かにマシなのは確かだ」

 

提督はスルーなのかと軽く首を鳴らしながら問い、そして現場の総意を語ったのは、武蔵。

 

僅かに姦しい様相の艦隊を見つめ、深海の最中、強張った表情の深海提督が言葉を零す。

 

何故、と。

 

言葉は海に呑まれ、返す充ては無い。

 

「さて、いよいよだな」

 

緩く階梯陣を指示して、長門が言葉を響かせた。

 

その海域に存在する艦娘 ―― 8艦隊、48隻。

 

「奴らに戦争を教えてやろう」

 

深海勢力の1.5倍の戦力を背負い、艦隊総旗艦が宣言した。

 


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