水上の地平線   作:しちご

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天籟の風 玖

それは、周囲に展開した3隻の駆逐艦を見ていない。

取るに足らぬ、有象無象と切って捨てるかの如くに視界を彷徨わせている。

 

探しているのだ。

 

擦り切れた記憶の奥底から、決しては見つけてはいけない誰かを求めている。

艦娘、深海棲艦などと言う括りに該当しない、魂魄に刻まれた傷跡。

 

その肉体を構成する憎悪を、怨念を、凌駕するほどの執念。

 

―― 戦イ続ケナクテハイケナイ

 

もはや経緯も、理由も思い出せない。

 

それは今も、狂気に捕らわれたまま戦い続けていた。

 

黒白の姫が踊り出す。

 

戦艦レ級の出現以降、一部の深海棲艦に変化が見られるようになった。

 

艦種の、キメラ化。

 

戦艦の装甲を持つ、駆逐の雷装を持つ、空母の艦載機を持つ。

もはやベースとなった艦種は何の参考にもならないほどの、理不尽。

 

防空棲姫、秋月型駆逐艦の魄をベースにした姫級の怪異。

 

これもまた、艦種からは想像も出来ない極めて理不尽な性能を有している。

強靭な装甲と馬鹿げた火力、気狂い染みたとしか表現できないほどの防空性能を持つ。

 

砲弾を弾き、魚雷を飛び越え、散発的な砲撃で間合いを詰める事を許さない。

 

―― 邪魔ダ

 

唐突に、防空棲姫が膝を折った。

 

不可解な行動を見て戸惑った駆逐艦たちが、刹那にその意図を悟り硬直する。

やや前傾の姿勢が齎した変化は、それまで空を向いていた艤装の角度。

 

高角砲8門の水平射が、陽炎型の3隻を吹き飛ばした。

 

 

 

『天籟の風 玖』

 

 

 

視界が紅で染まる。

 

直撃弾を受け、天津風が水切りの石の様に海面を跳ねて行く。

艤装による浮力の反発で、細かな水飛沫が四方に散って、水面に波紋を呼んだ

 

視界が回る、空の青と海の青が忙しなく入れ替わり、終には蒼天が視界を埋めた。

 

大破。

 

艤装に対する霊的結合が慌ただしくエラーを吐き出し続け、思考を阻害する。

 

直撃の際、視界の端に陽炎を庇った不知火が見えたが ―― 思考が纏まらない。

 

取り止めの無いままに立ち上がろうとして、四肢に激痛が走る。

 

鮮血が肌を滑る感触が、あった。

 

意識が朧になる ―― 思考が纏まらない。

 

痛みに、意識が途切れる。

 

もう、いいんじゃないか。

 

そんな声が、天津風の心の何処かから聞こえてきた。

 

身体が痛い、頭がくらくらする、艤装も砕けて割れた。

もう良いだろうと、姫級の怪異に抗うなど無理な話だったのだと。

 

諦観が思考を埋め尽くし、ゆっくりと瞼が堕ちていく。

 

暗闇の中に、走馬燈の如く脳裏に浮かぶのは、かつての記憶。

 

乾いた喉に、張り付いた血に、とても覚えのある窮状というそれが、昔を呼び覚ます。

 

最後の時も、空を見ていた。

 

首が落ちても、取り換えて出撃を果たした。

 

缶が止まっても、海域でもがき続けて生還を果たした。

 

数多の戦場に臨み、幾度の破損を越え、それでもなお足掻き続けた。

 

悪運にも恵まれ、およそ自分でも信じられないほどに執念深く、生き延び続けた。

 

何故、と声が在る。

 

―― だってあのヒトは、いつも空を見ていた。

 

工廠で進水を指折り数えて待っていた時に、聞こえてきた名前。

 

支那事変の英雄、南方を支えた武勲艦。

 

待ち望んだ初陣で縁を結んだ、何処か上の空な、小さな正規空母。

 

意識が飛ぶ。

 

炎上する飛行甲板、予定内の、無謀な単独行動の末の終焉。

 

時津風と共に乗員救助に向かう私へと、追撃が掛かる

ともすれば、ここで殉じようかと魔の刺した私に、彼女の言葉が在った。

 

あかんよ、と。

 

初めて私の方を向いて、炎上する自身に、ばつの悪い笑顔を重ね。

 

さっさと逃げろと。

 

胸の奥に昏い焔が灯る。

 

ただ、一度、私だけを見て言ってくれた言葉が蘇る。

 

―― ウチを、無駄死にさせんといてや

 

ただ一度、私だけに贈ってくれた笑顔が在る。

 

私と言う存在の根本に置かれたそれを思い出す。

 

好きだった、あの艦が。

 

誰からも顧みられる事の無い、英雄が。

 

動かない腕を海面に押し付ける、悲鳴にも似た激痛の奔る足を踏みしめる。

 

―― ならばこの身は

 

半壊した艤装に叩き付ける様に霊力を流し込み、起動させる。

 

―― この身こそが

 

言葉に、出す。

 

「航空母艦龍驤、最後の武勲」

 

血を吐くような言葉が意識を鮮明にする。

 

手足は付いている、ならば良い。

 

缶は動いている、外的要因以外で止まった事の無い機関だ、問題は無い。

 

連装砲くん1門、魚雷残弾1発、充分だ。

 

動く、動け、動け、動く、動け。

 

「容易く倒れてやるわけには、いかないのよッ」

 

咆哮が瘴気を祓い、天津風の視界が広がる。

 

不知火は、倒れている、明らかに轟沈寸前。

陽炎は、残念ながら御同様、半身が焦げている。

 

敵影、変な笑いが漏れそうになるほどに健在。

間髪入れずに推進、御波を蹴立てて防空棲姫に迫る。

 

―― 無駄ナ事ヲ

 

「知った、事かッ」

 

もはや拘束は無理がある、ならばせめて幾らかの手傷を負わすのみ。

 

互いの機動が鋭角の巴を描き、交互に砲弾を掠らせる。

 

交互に。

 

弾丸が追い付けない防空棲姫と、天津風の前を通り過ぎる深海の砲弾。

狙い澄まして撃ったはずの弾丸が外れて、棲姫に僅かな戸惑いの気配が見られた。

 

覚えのある現象に天津風の口元が軽く歪む。

 

無理やりに起動させている艤装の推進は、常よりも大きく海面を跳ねさせていた。

 

見た目だけである。

 

現在の天津風は、艦首波から判断できる速度よりも遥かに遅い。

 

そして気付かれるよりも早く、複数回の切り返しを以って防空棲姫に肉薄する。

 

獅子吼を響かせ、拳と共にその船体を叩き付けた。

 

天津風の膝が鳴る、全身の至る所から断裂の音が体内に響き、しかしてその拳は

防空棲姫の両腕で以ってベクトルを逸らされ、僅かに艤装を削るに止まる。

 

膝が抜けて、身体が傾ぐ。

 

その後背より狙いを付けていたのは、連装砲くん。

続け様に叩き込まれた砲弾を、棲姫は艤装で受けた。

 

刹那、深海側のその奥歯が噛み締められ、喉奥より獣の如き唸りが響く。

 

見開いた眼には一切の余裕も無く、天津風の喉元を掴み、

海面へ叩き付ける様に互いの位置を入れ替えた。

 

縺れ合うふたりの隙間から、短発の魚雷が零れて、消える。

 

そして防空棲姫が荒々しく息を吐き、その腕で天津風を吊り上げた。

 

―― 凌イダゾ

 

声色に、僅かな感嘆の響きが在った。

 

駆逐艦の砲撃では、艤装を僅かに削る程度の威力しか無い。

ならば本命は魚雷、全ての連携はそれを隠すための陽動であったかと。

 

万策尽きた駆逐艦は、苦鳴を零しながら一言だけを述べた。

 

「やっと、動きを止めたわね」

 

口元が歪む。

 

言葉の意味を取る暇も無く、防空棲姫の艤装に衝撃が抜け、爆炎が互いを包んだ。

再度、艤装の破片を撒き散らしながら、水切りの石の如くに吹き飛ばされる天津風。

 

轟音が海面を叩き波紋を呼び、深海の姫の激昂が世界に響いた。

 

離れた場所で、這いつくばる様な姿勢の射手が獰猛な笑みを零す。

 

「―― ざまあみやがれ」

 

陽炎。

 

半身が悲惨な有様の彼女は、その言葉を最後に意識を失い、海面へと突っ伏した。

 

そう、不知火が庇ったのは陽炎では無い。

 

陽炎の、魚雷発射管であった。

 

慟哭が海を抜け、やがて静寂が訪れる。

 

もはや海域に、動く者は居ない。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

棲姫の手が離れ、七転八倒を身を以って経験した。

 

全身の激痛が意識の外に滑り、気が遠くなって行く。

激しい耳鳴りが脳髄に木霊して、痛みを色として認識する。

 

海面を踏み締めている両足は、感覚が無い。

 

付いているのか千切れているのかさえも、自分では判断が付かない。

消えそうに点滅する視界が、意外な高さに在る事に気付く。

 

私は、立っているのか。

 

端的に言えば、それは奇跡だろう。

 

―― 名ヲ、聞イテオコウ

 

さっきまで目の前に居た誰かの声が、届く。

 

既に思考が途切れ途切れ。

 

七転八倒では無く、七転八起だったか。

 

それでも、応えなくてはと ――

 

「撃ったのは陽炎、姉妹をガン無視して魚雷を庇った馬鹿は不知火」

 

口元が、勝手に動いて言葉を紡いだ。

 

ああ、そうか、名を聞かれているのか。

 

もはや何もかもを、使い果たした。

 

これが私の最後だと言うのなら、好きに言ってしまえば良い。

 

「私は、天津風」

 

胸を張り、口元を歪める。

 

ずっと言いたかった言葉を。

 

「龍の住処に吹く風の名よ」

 

そして意識が闇に堕ちた。

 


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