水上の地平線   作:しちご

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57 その料理の名は

 

昼過ぎに工廠から龍驤さんを眺めながら、積年の疑問を考えていた。

それは「なぜ龍驤さんは赤いのだろうか」という問いである。

 

簡単に見えて、奥の深い問題だ。

 

「赤いから赤いのだ」などとトートロジーを並べて悦に入る浅薄な人間もいるが、

それは思考停止に他ならず、知性の敗北以外なにものでもない。

 

「赤方偏移」という現象がある。

 

宇宙空間において、地球から高速に遠ざかる天体ほどドップラー効果により、

そのスペクトル線が赤色の方に遷移するという現象である。

 

つまり、本来の龍驤さんが何色であろうとも、龍驤さんが我々から

高速で遠ざかっているとすれば、毒々しく赤く見えるはずなのだ。

 

目の前の龍驤さんは高速で動いているか否か。

 

それを確かめるために、まずは島風さんにタービンと缶をガン積みして貰った。

 

そして後ろから島風さんが龍驤さんの腰回りの艤装に乗る様に、

その両腕でガッシリと腰をホールドしていただく。

 

「ちょっと待てキミら、何する気や」

 

横から見れば四つ足の、馬の如きシルエットと化した2隻。

 

今こそ観測すべき時と、声を張り上げ宣言した。

 

「超高速空母龍驤、発進ッ」

「あいあいさーッ」

 

単艦だと酸素魚雷すら追い抜く最速駆逐艦の艤装が、何の躊躇いも無く全開駆動する。

龍驤さんに装備された形に成る島風バーニアが、かの航空母艦を前代未聞の世界へと誘った。

 

「ああああぁぁほおおおおおおぉぉ」

 

目標が観測地点である私に近づくにつれ、音の波の振動が詰められ高い音と成って届く。

 

「かああああぁぁぁぁ……」

 

通り過ぎた後に届いた声は、振動が引き伸ばされ常よりも低く聞こえた。

 

そう、ドップラー効果を残して水平線の彼方へと消えて行く姿。

常に高速で離れて行っているのであれば、このような音波の変化は発生しない。

 

つまり、龍驤さんは ―― ここから先の手記は赤く染まっていて読む事が出来ない。

 

 

 

『57 その料理の名は』

 

 

 

企業努力言うんは戦争如きで止められるものではないわけで。

 

海軍のサポートも在り、今日も大量の日本車がブルネイに輸入されている事からも

その始末に負えなさが多少は伝わってくるんやないかなとか何とか。

 

まあ自動車業界にとって、戦前から国産車の製造ラインを持たないブルネイはお得意様

やったわけで、掴んだ利権をそう簡単に手放すはずも無いのは物の道理と言う物やろう。

 

結果として、ただでさえむやみやたらと高かったブルネイの日本車率は、海域断絶後は

ほぼ100%と言う競合他国が血涙を流しそうな恐ろしい状況と成っとる。

 

まあそんな工業の話はどうでもええ、提督室に入った問題は同系統やが毛色が違う。

 

某清涼飲料水メーカーの野望や。

 

先の大戦に倣ったかどうか知らんが、対策室が日本国海軍と成った折、

採算度外視で容赦無く組織内部に食い込んで来たメーカーが在った。

 

おかげで海軍施設内では、紅茶の花伝だとか爽健な美茶なんかが安く飲める。

 

流石に東南アジアは物価の差が激しいので、そう簡単には回って来んやろと思っとったら

突然に自動販売機が送り付けられてきた、しかも何をどうやったのか中身が滅茶安い。

 

何でも同社インドシナ事業部の内、現在停止しているラオス・カンボジアなどの

生産ラインを、日本側が借り受ける形での製造販売を予定しているらしい。

 

そしてペプシの牙城の一角であるブルネイに、宣戦布告を開始したと。

 

「しかしタッチパネル、マルチマネー対応ECO自販機って、どうせいと」

「広告塔にする気が透けて見えるのう」

 

提督執務室で、書類を眺めながら利根とボヤき続ける。

 

「ハッピー缶キャンペーンで、艦娘グッズが当たるとか書かれとるな」

「全国一律でやっとるのは理解できるのじゃが、泊地でやる事では無いな」

 

横須賀の某超弩級戦艦の強烈な推薦で、龍驤グッズがラインナップに並んだとか。

 

見なかった事にしよう。

 

まあそんな枝葉末節はどうでもええねん、さしせまった問題は中身や。

 

「コーラと珈琲は据え置いて、あとは何を入れるかや」

「肉体労働者にはフルーツソーダが良く売れるそうじゃ」

 

そしてデスクワーカーにはコーラと珈琲がよく売れる、シリコンバレー調べや。

そんな事を言っていれば、何や景気良く扉が開いて闖入してきたのは白い空母。

 

「話は聞かせてもらった、つまりファンタだな」

「大淀ー、執務室の防諜どうなっとんねん」

 

流れる様な自然な動作でヒトの背中にドッキングしてきたグラ子をスルーしつつ

眼鏡の防諜担当に視線を向ければ、何かカリーブルスト食っとる。

 

買収されとるがな。

 

「まあそんな事はどうでも良い、ここはファンタを入れるべきだろう、コーラを外して」

「社名にもなっとる超メジャーブランドをさりげなく外そうとすんな」

 

たゆんたゆんを頭の上に乗せながら言ってくる戯言は却下する、当然やな。

 

何でそこまでファンタに拘るのじゃと利根が疑問を呈せば、ドヤ顔のグラ子が

長くなりそうな雰囲気を醸し出しはじめたので、慌てて短く纏める。

 

「もともとファンタは、大戦時にコーラが飲めないドイツ人が開発した代用飲料やし」

「いや、ファンタはファンタだ、それ以上でもそれ以下でもない」

 

流石にレーションで粉末ファンタを採用した国の生まれだけはある。

危ない所やった、何か凄い拘りが垣間見えた。

 

「まあ仕方ないか、シュペツイを楽しむのもそれはそれで良い」

 

「シュペツイか、聞き慣れん名前じゃのう」

「コーラのファンタ割りの事や」

 

大戦時にコーラ原液が輸入できなくなってファンタが生まれたわけやけど、それとは別に

オレンジジュースなどで原液を割って消費を抑えると言う方向の飲料も存在した。

 

現在もドイツ国内で人気の飲料シュペツイ、要するにコーラのファンタ割りや。

とりあえず簡単に、ファンタオレンジでコーラを割ったら出来上がる。

 

「しかし何じゃ、大戦時とは随分と様変わりしとるのに、何でそこまで気にするんじゃ」

 

「軟禁されている時の食事が毎度カリーブルストとファンタでな」

「普通は嫌いにならんか、それ」

 

聞けばドイツも随分と豊かに成ったと感動したと言う、闇が深いぞおい。

 

「まあそんなわけで是非ファンタを入れて欲しい、オレンジとグレープとクリアレモンを」

「そんなわけ言われてもわからんが、オレンジとグレープとスプライトやな」

 

何だかんだで肉体労働系の仕事やし、売れそうやからええかと。

 

「クリアレモンだ」

「やからスプライトやなと」

 

乳圧が増した、ここも譲れないラインやったか。

 

ともあれ品目の申請に記入をしていれば、外からドタドタと騒がしく足音が響き

景気良く開けられた扉の向こうで仁王立ちするそれは、見慣れた高速戦艦長女の姿。

 

「それでは紅茶の花伝を入れる隙間がナッシンに成ってしまいマースッ」

「大淀ー、やから防諜どうなってんのやと」

 

視線を向けたらマフィン食っとる、駄目やコイツ早く何とかせんと。

 

「つーか、良く知っとったなその銘柄」

「船団護衛の時、時々差し入れで貰いますネー」

 

あと午後のティーとかも結構貰うらしい、他鎮守府の努力の甲斐もあって、

金剛さんの紅茶好きは世間一般に認知されとる様で、実にどないしよコレ。

 

「スウィートティーは赤道付近のライフライン、譲るわけにいきませんネー」

「ファンタと珈琲に対する思い在ればこそ、何が在っても退くわけにはいかん」

 

さりげなく珈琲も主張し始めたぞ、おい。

 

「あの二隻は放っておいて、綾×鷹を入れておいて貰えますか」

「意味が恐ろしいほど変わるから漢字を掛けるな」

 

ふらりとやって来た霧島も、何の遠慮も無く主張する。

 

「何やもう、キリが無いなあ」

 

額に手を当てて嘆息すれば、視界に肩を竦めた利根が見えた。

 

最終的にそれぞれの要望を入れておいて、あとは売り上げを見て差し替える方向に決着する。

 

そして工廠付近に設置された自動販売機の前で、数隻の艦娘に因る壮絶な客引き合戦が在り

 

全員ガン無視してコーラを買った島風が伝説に成ったらしい。

 

 

 

(TIPS)

 

 

 

視界の果てにプラプラと揺れる簀巻きを眺めながら、紫煙を上げる軽空母。

そんないつもの龍驤の巣に、結露の垂れる缶を二つほど持って訪れた駆逐艦が居る。

 

「甘く無い飲み物が増えるのは良い事ですよね」

 

第二本陣筆頭の漣が、プルタブを開けながらそんな事を言った。

 

「珈琲豆業者のイタ公どもが、本陣を休憩所にして難儀してるんですよー」

 

正確には、イタリアから訪れている工作員の拠点と化している、である。

 

帰国時に珈琲豆を買い漁って帰るので、すっかり業者の異名が定着してしまった。

 

「中国が4勢力に纏まって、戦争も終わりを模索しはじめたとか」

「流石にそろそろ、血に飽きた頃合いか」

 

どうせすぐ泥沼の内戦に入るやろうけど、などと興の無い声が続く。

 

今回の自販機設置も、前線の鎮静化を見て工場再開に踏み切ったが故の展開だと言う。

 

「サイパンの工廠、既に仮稼働に入ったとか」

「第一回建造は、ウチとヨー島とパラオやっけ」

 

それぞれ三鎮守府の、戦力プール泊地である。

 

「喜望峰回り、戦力増強が必要と成るらしいんですよ」

 

唐突に、何の関係も無いであろう地名が出た。

 

しばしの無言が続き、中空に紫煙が昇る様だけが在る。

 

「ウチからは、火力希望で出しとくわ」

「しばらく輸送で便宜を図りますので」

 

互いに内心の悟れぬ笑顔のまま、軽く缶をぶつけ合う音が響いた。

 


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