――ぱちり、ぱちり。
小気味良い音を響かせながら、とある豪邸――月村邸の前庭で花の剪定作業を行っている青年がいた。
剪定の仕方を教えてくれた祖父から貰った編み笠を被り、黒のタンクトップと軍手を汗で濡らしながら一心に仕事を熟している。枝の様子を見て切るか切らないかを適切に見極め、葉の様子を素早く観察しては病気の有無や萎れ具合等を瞬時に判断して剪定して行く。特に不備の無い花でも庭園の趣を損なう物を見付けると、やや渋い表情を浮かべながらも無慈悲に切り落としていった。
胸元に下げた籠に切り落とした端材を入れ、籠が一杯になったら端材を集める場所へ移動して籠を空にして剪定作業へと戻る。そんな作業を、青年は気温が上がり始める午後から四時間ほど続けていた。
先程まで剪定していた場所まで戻ると、再びぱちりぱちりと剪定を始める。時々天道虫や芋虫などの害虫を見つけては放送禁止用語に抵触しかねない様な物騒な単語を叫びながら駆除してはいたが、概ね静かに仕事を続けている。
やがて、庭園に遠くから
屋敷のメイドさんから借り受けた庭掃除用の竹箒を用いて花壇の周囲に落ちていた端材を集め、一通り集め終えたら端材を纏める。花弁や葉っぱなどは厚手のビニール袋に詰め込み、枝や茎などの棒状の物は積み上げて紐で縛る。青年は慣れた手付きで縛り上げて行き、数分程で全ての端材を纏め終えるとその内の袋の一つに腰掛けて一息吐いて空を見上げた。
雲一つ無い見事な五月晴れ。そんな空が黄昏色に染まり、魔と出逢ってしまうとされる大禍時。仕事の疲れを癒してくれるかの様な柔らかな風に気を良くしながら、青年はとりとめの無いことを考えていた。
――そういえば、幼馴染の女子は血を吸うし魔物の範疇に含めても良いんだろうか。
学校の友人達には言えないな、などと思いながら青年は
青年が無駄に広大な月村邸の前庭を数分程歩いていると、屋敷の正門から一人の女性が出てきた。艶やかで深い紺桔梗色の長髪を真っ直ぐに伸ばし、額のやや上の位置でアクセントとなる白いヘアバンドを巻いている。服装は休日らしくラフな物で、細めの白いスラックスに黒い半袖のインナーを身に纏っただけの簡素なスタイル。しかしそのシンプルなスタイルが却って彼女の魅力を引き立たせていた。
彼女の名は、月村すずか。
青年が剪定作業をしていたこの豪邸の持ち主であり、地元海鳴の街で有名な美女である。
そんな彼女が、覚束無い足取りでふらふらと青年の方へと近づいて来る。普段の様子と違う彼女に違和感を覚えた青年はその場に端材を置いて彼女に近寄った。
青年が近づいて来ていることを確認したのか、彼女の方はその場で足を止めて俯く。青年と月村すずかの距離が縮まると、青年は違和感の正体に気がついた。
酒臭い。それも尋常じゃない程に。
青年が疑わしげに眺めていると。彼女の方が徐に口を開いた。
「……ろ」
「は?」
青年はすずかがぽつりと呟いた一言が聞き取れなかったのか、端的に聞き返す。その反応が気に入らなかったのか、すずかは唐突に怒り出しながら青年との距離を詰めてタンクトップを掴みながら叫んだ。
「お風呂!!」
「うるせぇ! 酔っ払ってるだろお前!」
「お風呂! お風呂! おふっ……ぅう゛っ、くぷっ……」
「んっ? あっ、おい待てすずかお前」
「うう゛ぉえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛」
「オギャァァァァァァァァァァァ!?」
青年も幼馴染の女性の口から瀑布の様に流れ落ちる乙女パワー汁を浴びて叫ぶのであった。
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すずかお嬢様のお風呂事情
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――物事には限度や限界と言ったものがある。
人間が生身で宇宙空間に出ると死んでしまう様に。
熱に強いとされるタングステンが摂氏三千四百度前後で融解してしまう様に。
水を与え過ぎた木が腐り落ちてしまう様に。
薬も度を過ぎれば毒となり得るし、何かに強いとされる物体にもやはり耐えられる限界と言う物はあるのだ。
さて、何故唐突にこんな他愛も無い事実を確認したかと言うと。
一般的な人類よりも高い身体能力を持ちやすい傾向のある少数の人間、通称『夜の一族』と呼ばれる人間にも……私にもやはり限界はあるのだ、という事を再確認したかったからだ。
■ ■ ■ ■
「どうかなさいまし……うっわぁ……」
「うぉぉっ、酒くせぇ上に酸っぺぇ……。あ、ノエル姉」
「今はまだ勤務時間中ですのでどうぞノエルと」
「あーうん、今はそんな事どうでもいいよ。
失礼な。ゲロでは無い、ちょっと饐えた香りを発するだけのただの私の体液だ――などと言う華の女子大生である私の矜持を守る為の反論は、現在進行形で襲い来る吐き気と酩酊感と不快感によって遮られて言の葉とならず、内心で思うだけに留まった。お酒に酔っている事を自覚できる程度には頭も重く、握り締めた彼のタンクトップから手を離したら恐らくもう立っていられないだろうと言う駄目な確信さえも今なら持てる。とりあえず過去と比べて筋肉量の増えた幼馴染にしがみ付いているとしよう。
地面に撒き散らしてしまった私の元
あぁ、立っている筈なのに地面が揺れる。世界が回る。幾らか乙女パワーを放出して少しだけすっきりしたはずなのに。
そんなグロッキーな状態の私を放置して幼馴染とノエルは会話を続けている。鬼か。
「あぁ、その赤い色素は恐らく先程飲んでいたワインの物と思われるので大丈夫かと思います。とりあえず私はこの場の処理を行うのですずかお嬢様をお風呂場へとお願いしてもよろしいですか?」
「今のこいつがちゃんと服脱げるか怪しいもんだけど」
「そこは貴方様のお得意のいやらしい……そう、とてもいやらしい手付きでですね」
「いやらしいの部分強調しないでくれない?」
「大丈夫です。今なら介抱するって言う名目でおっぱい触っても合法です。お尻も行けますよ。役得ってヤツです」
いや、それは流石に許さない。
「あーはいはい。揉むかどうかは適当に判断するよもう。とりあえず裸にひん剥いて風呂に投げとけばいいの?」
「すずかお嬢様のこと、よろしくお願いします」
「へいへい……」
不承不承、と言った態度で返事をすると、幼馴染の彼は長年鍛えてきた上腕二頭筋を駆使して軽がると私を肩に担ぎ上げた。お腹のおへその辺りに腕を回し、まるで荷物を扱うかの様に扱われていることに不満を感じないでもないが、大人しくされるが儘にしておいた。……のだが、彼が歩く度に立派に膨れ上がった僧坊筋が私のお腹にめり込み、一歩毎に吐き気が再び諸手を挙げて走り寄って来る。あっ、無理、出る出る。二度目の乙女パワーがこんにちはしちゃう。
「うぐぅ……けぷっ。おろろろろろろ」
「うぉぉぉ!? なんとなく予想してたけど結局前も後ろもゲロまみれかよぉ! クソぉ!」
ゲロでは無い。
場所は変わって
あの後幼馴染にまるで米俵の様に運ばれながらお嬢様ビームを地面に向けて発射する事二回。吐き気その物と胃の中の重たさと酩酊感は比較的スッキリとした物の、代償に支払った物が大きすぎる気がしてならない。失った物の大きさを噛み締め嘆き苦しみながらとりあえず髪の毛を手早く洗い、まだ少しふらふらする頭を擡げて千鳥足を披露しながら湯船へと入る。幼馴染の彼の方をちらりと眺めてみると、背面も前面もお嬢様ビームの犠牲となってしまった為か念入りに身体を洗っていた。その気持ちも分かるし、私があの立場だったらきっと同じことをしていると思うのだが、何となくそんなに一生懸命洗うことも無いじゃないか、なんて思ってしまったのはきっとお酒のせいだ。
そんな事を思いつつ、そういえばお酒を飲んだ後にお風呂に入るのってあんまり良くなかったよなぁなんてぼんやりとする頭で考えながらお湯に浸かっていると身体を洗い終えた幼馴染が定位置へと入浴してきた。
首を左に捻って彼の様子を窺って見ると、若干不機嫌そうな表情を浮かべていた。それもそうだろう。然もありなん。誰だってそうなる。私もそうなる。
そっと首を正面に戻し、視線を外す。わざわざ藪を突く必要もあるまい。
湯面から出ていた肩を改めて湯の中へと入れ、大人しくする。もう少しゆったりしてからお風呂を上がろう……なんて考えていたら、彼の声が耳に届いた。
「……何か申し開きは?」
「あー……、えぇっと……」
「…………」
「その……。ご……」
「ご?」
「ごめーんね? えへっ♪」
返答に窮した私は普段彼と交わす時のトーンよりも意識して高くした声でそう謝りつつ、ウインクしながら舌を出す……世間一般で言う所のてへペロと言う奴を精一杯かわいくあざとく行った。これで話が逸れてくれたら御の字だ。呆れられてもそれはそれで良い。
さぁ、私の幼馴染はどうでる。
――それ程時を置かずに私の顔面にお湯が飛んできた。現実は非情であった。
□ □ □ □
事の始まりはっきりと思い出せる。あれは……、全ての元凶は自室で思うがままに愛猫のアインをかわいがっている時に届いた一通のメールだった。
胸の中で抱いてもふもふしていたアインを左腕だけで支えられる様に抱えなおし、ベッドの上に放り投げられていた携帯電話を右手で拾ってロックを外す。メールフォルダを開くと親友と名の付けられたフォルダに新着の通知が表示されていた。
何時もの様にアリサちゃんからのメールかな、なんてのほほんと構え胸元のアインに頬擦りしながらフォルダを開く。ぺしぺしと私の頬に猫ぱんちをしているアインをそのままにメールの送り主を見ると、私の予想とは違った名前がそこには表示されていた。
高町なのは。
先日次元を隔てた遠い遠い世界、ミッドチルダにて世界の崩壊の危機を救った救世の英雄。どんなに大きな怪我を負っても決して諦めず、どんなに不利な状況になっても絶対に屈しない不撓不屈の少女。その後姿は後塵を拝するあらゆる人々を勇気付けると言う。
管理局員であるかどうかや男女の性別、年齢などを問わず世間一般で絶大な人気を誇り『管理局のエース・オブ・エース』と呼ばれている。……と、昨年の十一月ごろにはやてちゃんが次元間通話で「いやーこの間おっきい事件解決してもーてなーははは」なんていう軽いノリで言っていた。
そんな彼女は来る日も来る日もそれなり以上の激務を熟しており、日中に連絡をくれる暇などまず無い為、こうして連絡が来る事は非常に珍しい事だった。
もしかしたら三人揃って休暇が取れることにでもなったのだろうか、久々に皆揃って女子会が出来るかな、と勝手に前向きに受け取った私は携帯電話の画面をタップしてそのメールを開く。
添付された何かを読み込む僅かな時間が終わり、簡素で短い文章と一枚の画像のサムネイルが画面に映ったその瞬間。かつて無い程の衝撃が私を襲った。
『子供が出来ました』
――その一文のあまりの衝撃に、頭が一瞬で真っ白になる。
「えっ……? あっ、えっ……?」
動悸が激しくなる。驚愕と困惑が冷静さを押し流す。
一体どういうことだ。どういうことなのだ。
なのはちゃんは先日まで生死を掛けるレベルの激闘を繰り広げていたのでは無かったのか?
どう見ても画像に一緒に写っている女の子は五歳くらいにしか見えないのだが?
時系列がおかしい、向こうに行ってすぐに子供が出来たのか?
そもそもこの女の子パツキンなのだが旦那はまさかフェイトちゃんなのだろうか?
向こうの世界では女の子同士で子供が出来るのか?
分からない。何もかもが分からなかった。理解したくなかったとも言えるかもしれない。
親友の突然のおめでた報告(しかも娘さんは金髪)も。
華の女子大生である私が、一種の軍隊の様な物でもある管理局勤めで男っ気の無いであろう日々を送っている筈の親友に遅れを取っているという現実も。
そうして私は困惑したままよく分からないノリと勢いと全身に広がる敗北感で自棄酒へと走るのであった。
□ □ □ □
「っていう流れなんだけど……」
「お前……」
数分前の思い返したくも無い忌まわしきてへペロ事件の後、幼馴染に説明を求められた私は幼馴染から視線を逸らしつつ湯船の中で体育座りしながら大まかな流れを説明した。今思い返せばなんだかなのはちゃんに凄く失礼な思考をしていた気がするが、まぁ概ねこんな流れで私は考えることをやめて自棄酒に走ったのである。敗北感ヤバい。
大学での飲み会の様に自制する事など一片も考えずにワイン、ラム酒、ウイスキー、ウォッカ、テキーラと言った代表的な洋酒をかぱかぱとちゃんぽんした結果、前後不覚になるまで酔っ払ってしまったのだ。そうでなければいくら幼馴染と言えどもこの歳にもなって異性にお風呂などと叫んだりしない。そう、あれは酔っていたから乙女理論的にセーフだ。
……とまぁ、これがお嬢様ビームを乱射すると言う今回の騒動の真相だった訳である。
お酒って怖い。
「とりあえず次に高町に会ったら謝っとけよ」
呆れた様な声が聞こえてきたのでこっそりと隣でお湯に浸かっている幼馴染の様子を窺うと、右手で顔を抑えながら天を仰ぎ「俺はそんなしょーもない事の為にゲロ塗れに……」と呟き溜息を吐いていた。
会話が途絶え、私と幼馴染の二人が仲良く肩を落として意気消沈する。暫しの間沈黙が流れた。
そういえば何時ぞやにこの幼馴染が私が入浴してる風呂場に闖入して来た時もこんな風に静まり返っていたっけなぁ。
「でもまぁ」
「うん?」
などと昔のことを思い出していると、一際大きな溜息を吐いた幼馴染が顔を覆っていた右手を離し、天井の方を向いたまま会話を再開させた。
「子供の年齢はともかくとして、高町くらいかわいけりゃ男の一人くらい居てもおかしくは無いだろ。めっちゃかわいいのに時々無防備だし」
しかし彼の口から放たれたその言葉は何故か少しだけ私の気に障り、つい私の口からは不機嫌そうな音の声が出てしまったが、これもきっとお酒のせいだという事にしておく。
「……それは暗に彼氏いない私がかわいくないって言いたいの?」
「お? なんだなんだ、高町がかわいいって聞いて嫉妬したのか? ん?」
にたりといやらしい顔で笑う幼馴染の表情が一々私の怒りを加速させる。さっきまで二人して落ち込んでいた暗い雰囲気など瞬時にどこかへと消えてしまった。やはり私とこの幼馴染との間ではそういう雰囲気を持続させることなど出来ないらしい。
「目と鼻の先にすっぽんぽんの女の子がいるんだよ!? 普通そっちコメントしない!? エロいとかさぁ! ちん○んが勃ったとかさぁ!」
「はぁ!? 俺のジュニアはさっきまで全力でゲロ吐いてた奴に欲情する程歪んだ性癖はもってねーよバーカ! バーカバーカ!」
「さっき服脱がせた時はちゃんと私のお尻触ってたくせに!」
「いや馬鹿お前そこは触るだろ」
「うるさい馬鹿ぁ!」
「うるせぇ! おっぱいも揉むぞこら!」
「ご自由に! でも歪んだ性癖は持ってないんじゃなかったっけ!?」
気づかぬ内に口論がヒートアップし、湯船の中で立ち上がった私と彼は互いの額を突き合わせながら馬鹿みたいなことを大声で言い合っていた。互いに全裸でタオルなどで隠すこともしていないが、十何年と一緒に風呂に入ってきた為お互いに気にした様子など無い。
だからだろうか。彼の私のおっぱいを揉むぞという売り言葉に対し、私があんな買い言葉を返してしまったのは。
「言ったなぁ!? 揉むぞ! 揉むからな!」
そう言いながら両手を伸ばした幼馴染は私のおっぱいを正面からダイレクトに掴むと下手な手付きで揉み始める。
十秒程存分に揉ませた後、私は無言で右手を平手の状態で高く掲げた。
それに気付いた幼馴染は私のおっぱいから手を離し、瞬時に青褪めた表情になりながら私を止めにかかった。
だがもう遅い。確かにご自由にとは言ってしまったがそれとこれとは別問題なのだ。実際に乙女の柔肌に触れた者には制裁を加えなければならない。
「おい待てすずか、いくら俺が筋肉を鍛えたと言ってもお前の一撃は流石に無――」
「死んじゃえ馬鹿ぁ!」
「クケェーーーー!?」
私の――夜の一族の――全力のビンタを頬に受けた私の幼馴染は、水面を二度ほど跳ねた後にお風呂の中に沈んでいった。
とりあえず後でファリンを呼んで水揚げしておいて貰うことにしよう。
全く、やはりと言うかなんと言うか。今日も今日とて、