うたわれるもの 偽りの記憶   作:膝にモバコイン

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親の心子知らず

 

浅い呼吸、流れこむ空気はさながら鉛のようで肺にずっしりとした重みを感じさせる。それは無論錯覚が生み出した誤認に過ぎないのだけれど、勘違いも強烈になると実害が伴う。胃まで錯覚よりいずる重圧に襲われ、果ては臓器という臓器が不協和音を上げ始めるのだ。もう……周囲の音は遠退いて、内で早鐘を打つ心臓の鼓動ばかりが響いていた。苦境に陥っているのは誰の目にも明らかで、常ならば慈愛を持って愛でてくれる母の目は睨め付けるそれ。

 

沈静化は独力のみで成し遂げなければならず、手詰まりでも足掻かなければならなかった。―――大丈夫、対象は変わっても症状は一緒で、処方する薬と施術も同じと鼓舞し、作業を始める。私は母が執り行う薬師の試験に挑むのだった。

 

手始めに患部を診察して、必要な諸々を脳裏に浮かべ筋道を立てる、つまりは設計図を。道具を取り出す前に環境の構築、切り傷に投じる薬草が温度変化に敏感なため、囲炉裏に灯る火を灰で均し消火する。容器に残留した付着物がないことを検めた後、念を入れて柄杓で湿らせた布で拭き取る。背負っていた往診用の大きな長方形の薬箱、小ぶりな箪笥がところ狭しと並べられた中から、材料の入った巾着を見繕い、匂い嗅いで引っ掛けが混じっていないかを精査……この手順を踏んでようやく準備から実行の段に移れるのである。

 

ただ……移れはしても正答を選べているとは限らないので、気を緩める要素はこれっぽっちもないのだが。講習の際には1つ間違えれば即指導が入り厳しく糾され、問題点を正さないとやり直し、次のステップはお預けだったものの習熟が進むと一転してノンストップ化する。一通りやり終えてから粗を指摘されるのだ。

 

前世の植生や効能の知識はあるにはあるが、屁の役にも立たない。現世では類似する動植物はあっても別の進化遂げたせいか、はたまた外見だけ一致した別種なのか……薬になると考えていたヤツが毒に反転していたりする。前のが、そのまま通用する種もあったりするのも質悪い。母に連れられて護衛を伴い薬草摘みに行った時、実地で塗り薬や貼り薬の元となる見た目、弟切草に山椒の葉を猛毒だからと言い含められたのには……見分けの自信があっただけに内心青褪め棒立ちと化したこともあった。

 

もし明日はおろか今日食べるものにも窮する貧民に生まれ、教育なぞ毛筋もない家系出身だったらと思うとゾッとする。魔法がある以外……物理法則が職務に忠実だった故に足元がお留守のまま生兵法で、取り返しのつかなくなる瞬間まで毒を薬と信じていただろう。己の迂闊さに目眩がする……よくよく考えずとも法則は共通していようと辿った歴史は異なるのだ。

 

柴犬に比するデカさの蠍や百足が多数跳梁跋扈する世界で……同じ系統樹を辿るほうがおかしかった。お陰で……現地の動植物知識の蓄積は新人の域を出ない。なので、今やっている単純な組み合わせの漢方薬すら、混ぜ物をされた場合……それを弾ききったと断言しかねるから不安にもなってしまう。

 

ただ答えを知る、見届け人の母は相変わらず凍てついた視線を投げかけ、可否を窺うことは出来やしないし。第一、小細工を弄して心理戦で揺さぶり、答えを引き出すのでは意味がない。誰かに期待するようでは未熟の殻に篭ったまま。過ぎった邪念を振り払い、調合へと進む。

 

深呼吸で動揺を押し殺して鉄製の舟型、その窪んだ部分に草や木に根、今回は不要だけれど場合によっては乾燥させた動物質を順次投入して、中央に握り手を通した円形状の車輪で細かく切る。煎じる際に留意すべき点の三つ、順番に分量、力の入れ具合を疎かにしてはいないか慎重に探る。順番は料理のさしすせそ、砂糖が塩を押しのけてトップバッターなのと一緒で、先人が編み出した順序から外れないようにしなければならない。砂糖系の分子が大きく浸透し難い方が先で、塩に類する分子構造が小さいのが後詰なのだ。科学的根拠はあらずとも受け継がれた経験則は信頼すべきもの。

 

分量は単純に過ぎたるは及ばざるが如しで逆もまた然り、力の大小に関しては成分が逃散せぬ形に留め置く必要があった。さて、チェックして一考……ふむ、私基準なので僭越だけれど一応ゴーサインを与えられるブツが仕上がりつつあると言えよう。仕上げに乳鉢と乳棒で擦り下ろし微調整して完成である……緊張からか思わず唾を飲み込む。ただの薬師見習いなら峠を超えたと胸撫で下ろせるだろうが、緊張は軽減されるどころか増す一方で辛い。

 

ここまでの道程も決してなだらかではなかったが、先を踏まえるとやっとこさスタートラインに立ったという具合なのだ。母は薬師であると同時に呪法師でもある。治療も当然、漢方を処方してはいお終いではなく、飲ませ塗り貼りしてからが本番だった。効力を高めるため呪術に於ける治癒の呪文も患部に掛け、複合することによって片方で済ますより飛躍的に治りが早まり、重症や急病人の生存性も高められる優れた治療が行える。

 

扱いが難しいため使い手が希少な呪薬師、その試験に臨んでいるわけなのだが……失敗すると洒落にならなかったりする。本来は薬だけの自然治癒か呪法の回復促進を欲張ってこなすからして、二種の辻褄を上手く合わせないと暴発、暴走が漏れなく引き起こされるのだ。失敗すると最悪軽い外傷を治そうとして魔力を過剰注入からの患部壊死まである。他愛のない切り傷だろうと身構えないはずなかった……まして被験者が慣れ親しんだ己じゃなく、自分以外の誰か……私の双肩に人の行く末が預けられているのは正直怖い。

 

失敗は成功のもとと言っても限度があり、取り返しのつかない喪失も多く責められるだろう。しかし、変えたくても変えられなかった昔とは違い……この身であれば道は切り開ける。覚悟を決め、恐怖と向き合わねばならない。恐れと勇気を同居させ呪法を唱えるのだった。

 

 

藁やイグサに相当する草で編まれた筵に座り、薬研で黙々と作業に励む童女、娘のネコネを見据える彼女の目は一見底冷えしている。傍目から人目で親子と分かる間柄のネコネに厳しく当たるよう装うのは、必要なことだと分かっていても彼女にとって痛みを伴い、骨であった。ネコネが苦しんでいる姿を見ると駆け寄って抱きしめたい衝動に駆られるのだ。

 

でもそれは我儘で……一時の優しさで娘を包むだけじゃ成長に繋がず、親の庇護が届かない場所では危険に無知なまま晒されてしまう。聡い娘だから叱りつけ、薬人を殺さず薬師人を殺すを手を出してまで、教えこめば諦めてくれるだろうという目論見は夢破れ、初歩の常用薬試験を許さざるを得ないまで食らいつかれてしまっている。他人の命を背負わせるにはネコネの背中は稚すぎるのに……

 

確かに医療に携わる身としては大輪を咲かせる蕾なのは喜ばしいが、反対に親心からすると不安になるのだ。天才だが、才気走る若者にありがちな周囲を見下す傾向もなく、同年代と子供っぽく心から楽しげにはしゃぎ回れるのだから、今はまだ無邪気なままで居て欲しいと。背伸びしたまま歪に花を咲かせる未来を恐れていた。

 

力というものは厄介事を数多誘引する魔性を秘めている。子供だからとかは大した予防線になりはしない……そこに病人、怪我人が居て居合わせた薬師が娘だけだった場合、周囲は勝手に期待し望みを押し付けてしまう。彼らが望むまま理想像であり続けるなんて土台無理なのに……だ。呪薬師だって万能じゃない。手の施しようがない者は救えないし、処方箋で個々人ごとに体質を把握しないと、薬と呪法の擦り合わせは途端難易度が跳ね上がる。

 

書類のない急患を死なせてしまったことだって何度かある……強迫観念なのかもしれないがその度、お前がもっと最善を尽くしていれば死なずに済んだろうにと……言外に責められた気すらした。それに相手が気遣わしげにしてくれたって開き直れず、自責の念が湧き上がるだろう。ネコネの気質からして悔やまないはずもない。

 

母である彼女は笑顔に翳りを残す爪痕が生じぬように、引き返して!諦めてと無表情の裏で案じ、医療の時のみ辛辣な対応を堅持する。上の息子オシュトルといい彼女は家の子たちは、顔を顰めようと逃げる素振りもみせず、痛みに立ち向かってばかりと眉を伏せ溜息をつくのだった。

 

―――どうか二人の前途に幸多からんことをと、今日も現人神の帝に祈りを捧げて。

 




割りと勝手に解釈してしまったので読者の方の反応に戦々恐々です……
会話もさせようかと思ったのですが、そうすると辞典作るレベルで造語だらけになるのが目に見えていたためお蔵入りと相成りました。

―――それでは次の話でまた。
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