翌日は朝から雨だった。宿の外に出ると、軒先からしとしとと水が垂れていた。空はどんよりと曇っていて、雨が止みそうな気配は全く無かった。今日は旅はお休みだろう。
ロビーに戻ると、ランスが宿の受付のカウンターに身を乗り出して、宿の主と何やら話をしているらしかった。蘭は、話の内容がよく聞こえるように、ランスの横に移動した。
「ここに魔法電話はあるか?」
「ありませんよ。そんなものは役所か警察にしか無いんじゃないですか」
「そうか、邪魔したな」
ランスは話を終え、そのまま宿の外に出ようとした。蘭はそんなランスを呼び止めた。
「なんだ? 付いて来たいなら付いて来い」
ランスがそう言ったので、付いて行くことにした。
宿で借りた、魔法素材の傘を差して、石畳の街路を歩く。道の脇には白煉瓦造りの堅牢そうな建物がずらりと並んでいた。ふと、JAPANの木造の住宅建築が懐かしくなった。
ランスは街の中心に向かって、ずんずんと歩いて行った。行き先は分かっていた。役所か警察所である。どこの街でも、それらは街の中心部にある。
通りが放射状に伸びている円形の広場があって、そのすぐそばに、堅牢な大陸風建築の中でも一際大きな建築物があった。テープの役所である。
ランスはその中に入って、女性の案内係に言った。
「魔法電話はあるか?」
案内係は答えた。
「ございますが……。あの……、一般の方ですよね?」
「俺様に向かって一般の方とはなんだ」
ランスがそう言うと、案内係は慌てて「は、はぁ」と返事をして、上司らしき中年の男に相談をしに行ったようだった。しばらくして、その中年の男がこちらに歩いて来て言った。
「あの、一般の方ではないんですね?」
「一般の方ではない」
ランスは自信満々にそう言った。その物言いに、その男は納得したようで、
「それで、どちらの方におかけになられるんですか?」と尋ねた。
「千鶴子のところだ」
「ち……、千鶴子!?」
中年の男は、明らかに驚いた顔をした。もし眼鏡をかけていたら、大いにずれていたところだろう。
「四天王筆頭の、山田千鶴子様ですか?」
「そうだ」
「そ……、それであなた様は千鶴子様とどのようなご関係で……?」
「さっきから、ごちゃごちゃ煩いな。ランスからと言えば分かる。早く通せ」
「は……、はい!」
その男は、はっきりと周章狼狽していたが、あまりのランスの迫力に押されて、魔法電話の担当を呼び出した。そして、ランスという方が千鶴子様と通話がしたいようだということを伝えた。魔法電話の担当も、目をパチクリさせて驚いていたが、言われたとおり通信をかけ始めた。
「は……、はい、そうなんです。ランスという方が。ええ、テープにいます。は……、はい分かりました。替わります」
担当者は魔法電話をこちらに持ってきて、「どうぞ」と言ってランスに手渡した。ランスはそれを受け取って、電話の相手と話し始める。
「おう、ランスだ。ゼスに着いたぞ」
魔法電話から、女性の声が聞こえた。気高い、美人そうな女性の声だった。
「ランス! ずいぶん早かったわね。陸路で来たんでしょう?」
「いや、海路だ。船に乗ってきた」
「船……? 今は怪物が出てるからって、ゼスへの定期便は出ていないはずだけど」
「ああ、だからその怪物を倒してきた」
「……さすがね。とにかく来てくれて良かったわ。明日、そこまで馬車を迎えに出します。昼前には着くと思うから、宿で待ってて」
「うむ」
「いいわね。じゃ、よろしく頼むわよ」
電話はそれで切れた。ランスは魔法電話を置いて、外に出た。
外に出てしばらく歩くと、濡れている石畳の路上に、人がうつ伏せになって倒れていた。若い、魔法使いの女らしかった。蘭は、倒れている女の脇に寄り添って、声をかけた。
「あの……、大丈夫ですか?」
しかし、返事はなかった。ひっくり返して仰向けにしてみると、既に死んでいた。外傷があった。胸を一突きにされていた。胸部から腹部にかけて、血まみれになっていた。
一体、何が……。そう思って、顔を上げると、まだ数人の、同じような遺体が転がっていた。
「ランス!」
蘭は、ランスの名を呼んだが、ランスは聞こえていないかのように、そのまま宿に向かって歩いて行った。蘭も、ランスの後を追った。
宿の前に着くと、入口の手前でランスが蘭に言った。
「お前、今夜、俺様の部屋に来いよ」
「ええっ!」
蘭は、いきなりのこの申し出に驚いた。
「なんだ? 嫌か?」
「そ、そうじゃないけど……」
「なら来い」
「はい、分かりました……」
そんな会話を交わして、宿の中に入った。ロビーでは、シィルと鈴女と志津香とマリアが、ソファーに座って、アルコール類を飲みながら談笑していた。彼女らの様子を見て、外のあれは何だったんだろう、と改めて考えた。ランスは何か知っているんだろうか。
志津香が、こちらに気付いて言った。
「あ、蘭ちゃん。あなたもここに来て一緒に飲みなさいよ。ランス……、は来なくてもいいわ」
「ちっ」
ランスは舌打ちをした。が、そんなに気にしてはいないらしい。そのまま、ロビーの階段を上がって、自室に入って行った。確かに、彼にこういう女だらけの談笑の場は似合わない。
「私とマリアは、明日別れるから」
志津香が唐突に言った。理由を聞くと、特にランスと行動を共にする必要は無いし、せっかくゼスに来てるから、用事を済ませたいということだった。マリアはゼスで、質の高い魔池と、魔法製品を買ったらすぐにラジールに帰るつもりのようだ。
「それじゃ、あいつが何を考えてるか分からないけど、頑張ってね」
志津香は、そう別れを告げた。きっと、明日の朝早くに出るつもりなのだろう。「また会えるか」という問いに、「さあ。でも、また会いたいわね」とクールに答えてくれた。
夜になって、皆が寝静まってから、ランスの部屋に向かった。廊下は、ローソクのぼんやりした明かりに照らされていた。ランスの部屋のドアの前に立って、静かにノックをした。ガチャ。ドアが開いた。ランスが中から出てきた。
「おう、遅かったな」
「ごめん、女の子同士の話が長引いちゃって」
「そうか」
ランスは興味無さそうに言って、蘭を部屋の中に招き入れた。
「それじゃ、早速するぞ」
ランスはそう言って、蘭を後ろから抱きしめる。
「んっ……」
後ろから抱きしめられて、こそばゆさを感じた蘭は、恥ずかしそうな声を出した。
「ねぇ……」
蘭はランスに聞く。
「あの二人の女の子達とはしたの?」
「今回の旅でか?」
ランスは蘭に聞き返した。
「うん、今回の旅で」
対象を今回の旅に絞ったのは、自分に出会う前のランスが他の誰とそういうことをしようと、それは私には関係がないと、思ったからだ。
「ん……、マリアとは……した。志津香とは……しなかった」
「どうして?」
蘭が、ランスの顔を撫でながら聞く。時々ランスも、可愛らしい顔をする時がある。
「志津香はどうしても嫌がったからな」
ランスはそう答えた。
そうなのだ。ランスは嫌がる女の子相手には、意外と無理強いしないところがある。でも、ランスが求めると、すぐに足を開いてしまう女の子がいる。これもまた、問題なのだ。
「そっか」
蘭はそう言って、ランスの下半身に顔をうずめた。そして、ランスの太腿に愛おしそうに頬ずりをする。
「ありがと」
突然礼を言われたランスが、不思議そうな顔で「どうして?」と言った。
「正直に話してくれたから」
その日は、ランスの隣で夜を明かした。
窓から射し込む光が顔を照らし、眩しくなって目を開けると、すぐ目の前にランスの顔があった。結構、愛らしい顔をしていた。唇に軽くキスをして、起き上がった。寝間着を来て、自室に戻ってからちゃんとした服に着替えた。顔を洗って歯を磨いていると、横から、「おはようございます」という声が聞こえた。振り向くと、シィルが立っていた。
「あ、シィルちゃん、おはよう」
「蘭さん、よく眠れましたか?」
「うん」
笑顔で会話を交わす。彼女は、昨日私がランスと寝たことを知っているだろう。だけれども、それを気にしている素振りは全く見せない。もはや慣れてしまったのか、それとも、そういう性格なのか。
「志津香さんとマリアさんは、もう行ってしまわれたみたいですよ」
「そう」
と聞いてから、昨日のあの若い女の魔法使いたちが路上で死んでいた凄惨な光景を思い出した。止めるべきだっただろうか、と今更になって考えた。しかし、あの時私はあれが何だったのか全く分からなかったし、ランスは知っていたようだが、聞くのが憚られた。しまった。彼女たちに伝えておくべきだった、と後悔したが、彼女たちのレベルなら大丈夫だろう、と自分を納得させた。
「それと、ゼスの首都、ラグナロックアークから、迎えの馬車が来ています」
その馬車は、金ピカの装飾が施された、まるで王様が乗るような、豪華な馬車だった。2頭で一台の車を引く、屋根付きのキャリッジタイプの馬車だ。蘭が近付くと、使いの者が下りて来て、丁寧にお辞儀をした。
「少し早目に着いてしまったのです。どうか、ごゆっくり準備をお済ませください」
そんなことを言って、また御者席に戻っていった。
しばらく待っていると、ランスが下りて来た。鈴女とシィルも一緒だった。
「お、時間通りに馬車が来ているな。よしよし」
みんなで馬車に乗り込んだ。馬車は四人で乗ってもゆったり座れるほど広かった。揺れも少なかった。やっぱり馬車の旅は楽だと思った。
馬車は港町テープから南に下って、途中、シィルが実家だという家の前を通って、オールドゼスへ。オールドゼスからは、一転北上して、弾倉の塔。
その「弾倉の塔」を通る時に、御者が、「この塔はあなた方もよくご存知のマジック・ザ・ガンジー様が管理されている塔です」と教えてくれた。
マジック・ザ・ガンジー……。
私もよく知っている。JAPANで一緒に戦った仲間だ。確か、地底の怪物、オロチと戦った時に、重傷を負って、同じゼス出身のウルザ・プラナアイスと共に、JAPANの病院に入院しているとか。全治数ヶ月と聞いていたけど……。蘭は、そんなことを思い出して、御者にそれとなく聞いてみた。
「ねえ、御者さん。マジックさんとか、ウルザさんってどんな人なの?」
その二人の名を出した時、御者はとても敬意深そうな仕草をした。
「マジック様はゼス国王ラグナロックアーク・スーパー・ガンジー様の娘様です。非常に出来の良い娘様で、今は四天王の一人として、弾倉の塔を管理しておられます。政治的には各分野の役人を統べる役割を任されているようですな。ウルザ様は元はレジスタンスのリーダーだった方なのですが、非常に優秀な方で、ゼスを魔軍から守った功績が評価されて、今では四天王の一人、役職は警察長官をやっておられるようです」
なるほど。JAPANにいる時は知らなかったけど、この二人はゼスにとってそんな重要人物だったのね、と思った。この御者は、この二人がJAPANで入院していることは知らない様子だったので、そのことは黙っておいた。
馬車は、弾倉の塔の区域を抜けて、ついに、首都ラグナロック・アークに入った。ラグナロック・アークは、人口200万強を有する巨大な都市だ。近代設備を有する、美しい都である。馬車は、首都の賑やかな大通りを通り、中心にある議事堂へと向かっている。そこに、ランスが昨日魔法電話で話していた、千鶴子という女性が待っているのだろう。馬車の窓からは、噴水や、近代的な建築の高層住宅、自然を生活の中に取り入れるための公園、街路樹……。それらが融合した、よく整った街並みが見えた。こういう先進的な都市は、JAPANには無いものだった。
馬車は議事堂前の馬車置き場に到着した。黒服の行儀の良い男が迎えに来ていた。その男に案内されて、議事堂の中に入る。議事堂の中は、大理石が贅沢に使われていた。大理石は美しいが、それほど優れた建材ではないと思う。重いし、加工がしにくいし。
「こちらです」
そう通されたドアの向こうに、派手な服を着た、眼鏡をかけた女性がいた。黒髪ロングヘアーの美人だったが、着ている物があまりに派手すぎて、一瞬足が空回りしそうになった。
「ようこそ。首都ラグナロック・アークへ」
この派手な女性はそう言った。
「挨拶はいい。さっさと本題に入ろう」
「ええ、でも自己紹介はしておくわ。私はゼス四天王筆頭の山田千鶴子。この国の政治は主に私が取り仕切っています」
四天王筆頭……。ゼスの頂点……。そのような人が、ランスに何の用だろう、と思った。
「本題に入る前に、マジックさんとウルザさんの容態は良好のようです。最短で、あと一ヶ月もすれば退院出来ると。後遺症もありません」
「そうか、それは良かった。俺様のためにオロチと戦って大怪我をしたわけだからな。死んだり、後遺症でも残ったら大変だ」
「問題は……」
千鶴子は、眉間に皺を寄せ、言いにくそうな顔をした。
「この二人がゼスの要職から一時的にでも離脱したことによる、ゼス国内の治安の著しい悪化……。特に、魔法使いが若い一般市民や奴隷に虐殺されるという事件が相次いでいます」
「俺もテープで見たぞ。魔法使いの女が路上で何人も死んでいた」
蘭も、あの光景を思い出した。そうか、あれはこういうことだったのか。
「女性は、弱いから狙われやすいんでしょうね」
「だから、俺様がこうして助けに来てやったわけだ」
「ありがとう。でも、ランスにして欲しいのは、個別に魔法使いを暴漢から助けるようなことではないのです」
「どういうことだ?」
千鶴子は、話すことを躊躇うかのように、ふうと息をついて、それから辛そうに話し始めた。
「暴漢が魔法使いを襲うのは、今に始まったことではないのです。ただ、今回の件は、暴漢がある一人のカリスマによって組織されているのです。そのカリスマの名は、シュレディンガー。オールドゼスの奴隷だった男です」
千鶴子は再び、はあ……、と息をつく。よほど話すのが辛いのだろう。
「元々、カリスマを備えていた男のようです。長年に渡って、オールドゼスで小規模な暴動を指揮していたようです。そんな男が、突然、ゼス全土の反政府派を率いるようになり、ゼス全土で、大規模な暴動を断続的に起こすようになりました。その度に、ゼス全土で、反乱組織による魔法使いの大虐殺が繰り広げられたのです」
「あの、それで、指導部は何をしていたんですか?」
蘭は、僭越かも知れないと思いながら、進み出て千鶴子に聞いた。もし北条家の領地でそんなことが起きたらと想像すると、とても耐えられないと思ったからだ。
「ええ、もちろん私たちも全力で対応しました。警察や治安部隊は、その監督者であるマジックとウルザの不在が主な原因で役に立ちませんでした。ですから、私や国王様が自ら軍を率いて、反乱組織の鎮圧に乗り出しました」
蘭は、ごくり、と唾を飲み込んだ。庶民の暴動の鎮圧に軍が出動するのは余程のことだ。
「私たちの軍は、何度も反乱組織を鎮圧し、その指導者であるシュレディンガーを何度も殺しました」
「何度も?」
その言葉に、蘭が不思議に思って聞いた。
「ええ、出撃の度に何度もです。彼は、殺しても殺しても、数日経つとすぐに蘇って、再び反乱軍を組織して、各地で魔法使いを虐殺し始めるのです。私や国王様も、自らの手で、何度も彼を殺しました。その頃から、この件には魔人が絡んでいるのではないかと思い始めたのです」
「うむ、そう考えるのが妥当だな」
さっきから、腕を組んで大人しく話を聞いていたランスがそう言った。
「反乱の首謀者を殺すのは、体制側にとっては元々リスクが大きいものです。民衆は、圧倒的な力を持つ体制側が、非力な市民を力で抑え付けたと見なしますから。今では、何度死んでも生き返るシュレディンガーは、魔法を使えない一般市民や、奴隷階級からは、彼らを魔法使いの抑圧から解放してくれる、希望の星、救世主、あるいは神のように崇められているのが現状です」
「だろうな」
ランスは、ぼそりとそう呟いた。簡単な話ではないようだが、彼は理解しているのだろうか。
「それで、ランスに協力を仰ぎたいのです。シュレディンガーが魔人なのかどうか、魔人であれば、その魔剣カオスで倒して頂きたい」
千鶴子は、ランスが背負っているカオスをちらりと見て言った。
ランスは答えた。
「分かった。元はと言えば、俺様がウルザとマジックに大怪我をさせたことが原因だ。協力はさせてもらう。だが……」
「なんでしょう?」
蘭は、ランスがまた女でも要求するのかと思った。まさか、目の前のこの派手な女の人の躰を要求するとは思えないけれど……。
「だが、俺たちには、何も情報が無い。作戦もだ。とにかく、そのシュレディンガーとやらの居場所を教えろ」
蘭は、ランスがやたらとまともなことを言って、しかも女を要求しなかったことに、感激した。涙が出そうになった。
「ええ、もちろんです。それらの情報は、ゼス諜報機関の方で常時把握しています」
千鶴子はそう言って、ランスにファイルを手渡した。魔法の封が厳重に施された、分厚いファイルだった。
ランス達一行は、千鶴子があらかじめ確保してくれていた宿に移動した。宿は、近代建築の高層ホテルで、今まで泊まった中で、一番豪華な施設だった。客室も、まさにスイートルームと言うに相応しい、最高級の部屋だ。
その部屋の中で、四人集まって、作戦会議をする。
「にょほほほ、鈴女がぱっと行って暗殺して来れば万事解決でござるな」
「でも、殺してもまたすぐに生き返っちゃうんでしょう?」
「生き返ったら、また殺すでござる。生き返るのが嫌になるほど殺すでござる」
「そんな……、鈴女ちゃんも危険よ」
「あの……、ランス様」
シィルがおずおずと声を出した。
「私、怖いです……」
確かに、シィルはこのパーティ唯一の魔法使いで、そして、今、ゼスでは魔法使いが虐殺の対象になっているという。シィルにとっては怖いだろうし、悲しいだろう。ふと、志津香とマリアの二人のことを思い出した。あの二人は、大丈夫だろうか。
「ねえ、とにかく会ってみましょう。そのシュレディンガーという男に」
蘭は、そう提案した。
「だが、どうやって会う?」ランスが聞く。
「私が面会を求める手紙を書きます。それを相手が読めば、会ってくれるはず。もちろん、私たちが体制派の者だということは、バレてはいけない」
「書けるのか?」ランスが疑わしそうに言った。
「書けるわよ。北条家の外交文書だって、ほとんど私が書いていたもの」
蘭は、その日、深夜までかかって、シュレディンガーに面会を求める手紙を書き上げた。そして、それをホテルのフロント係に頼んで、郵送してもらった。
返事が来るまでは、ここで待機である。
三日後、シュレディンガーから返事が来た。封を開けて中を読んでみると、
「我々は同志を歓迎する。三日後、マークへ来られたし」と書いてあった。
その手紙を千鶴子に見せた。
「マーク……。人口100万人の大都市ね」
「会いに行くだけだからな。妙な動きはするなよ」
「しないわよ。でも気を付けなさいね」
「分かっている。もし相手が一人で、魔人だったらぶった斬る。それでこの件は解決だ」
「そんなに上手くいけばいいけど……」
ランス達一行は、首都を出発して、徒歩でマークに向かった。反体制派の同志として会うのであるから、金持ちの体制派のように、馬車に乗って行くわけにはいかない。それに、ランスは馬車が嫌いだ。マークは、首都から南西に進み、跳躍の塔を越えて、さらに南に行ったところにある。出発したその日の夜には、マークに着いた。ここで、約束の日までを過ごすことになる。
約束の場所をあらかじめ視察しておくことにした。その手紙に書いてあった場所は、全く普通の民家で、その民家の正面には、えらく立派な大邸宅があった。おそらく、魔法使いの一家が住んでいるのだろう。確かに、街中でこんなに堂々と格差を見せつけられては、一般市民の高級市民(つまり魔法使い)に対する恨みが大きくなるのも分かる気がした。
そして、約束の日が来た。
手紙に書かれてあった通りの時間に、その民家に行った。呼び鈴を鳴らすと、黒い服を着た男が出てきた。とても、カリスマとは思えない、丁寧な物腰の男だった。もしかしたら、この人が本人ではないのかもしれない。
彼は、ランス達を応接間に案内し、ソファーに座らせた。そして、自らもソファーに差し向かいに腰掛けて、
「どうも。私がシュレディンガーです」と自己紹介をした。
意外だった。黒い服、黒い長髪、長身の細身で、柔らかい物腰、切れ長の目。確かに、大陸の人間としては、少し変わった容貌ではあるが、カリスマらしい雰囲気は無かった。
「あなた方は、魔法使いを憎いと思っているんでしょう?」
彼は、そう言って話を始めた。
「魔法使いはですね。神の失敗作なんです。元々、神は人間に魔法などという力を与える気は無かった。しかし、悪魔が神のプログラムの邪魔をして、一部の人間に魔法という力を持たせてしまった。いわば、魔法使いは神の失敗作なんです。プログラムのバグなんです。しかし、現状は、その失敗作が、完成作である一般市民を支配している構図になっている。これを改めなくてはいけない……」
こんなことを、延々と語り始めた。もちろん、ランス達に真面目に聞く気はない。問題は、この男が魔人かどうかだ。
「だから、私はそのために何度でも蘇る。神が私を蘇らせるのです。神が、私という存在を通じて、この世界の失敗を片付けようとしているのです。神によれば、魔法使いなど一人もいない世界、それが正しい世界なのです」
その時、呼び鈴が鳴った。
「おっと、誰か来たようだ。少しお待ちください」
シュレディンガーは部屋の外に出て行った。その隙に、ランスはカオスにあの男のことを聞く。カオスは言った。
「あの男……、ぶっちゃけ、魔人」
ごくり、と生唾を飲み込む音が聞こえた。
「そうか」
ランスがカオスの言葉を聞いて、そう呟いた。
シュレディンガーが戻ってきた。ソファーに座って、さっきの続きを話し始める。
「……というわけなのです。分かりましたか?」
この男の話は、もう全く、ランス達の耳には届いていなかった。なぜなら、この男は、人ではなく魔人なのだから。
「よく分かった」
ランスが頷いた。
「ほっ、それは良かったです」
シュレディンガーはそう言って、口角を上げてにっこりと微笑んだ。次の瞬間。
「貴様が魔人だってことがな!」
ランスがカオスを握って斬りかかろうとした。途端、後ろでドカーンという激しい爆発音がした。ランス達の気が、一瞬背後に取られる。
後ろでは、来る時に見た魔法使いの大邸宅が爆発し、見るも無残な姿になっていた。広大な土地の囲いも何もかも吹き飛ばし、家屋はほとんど黒焦げになった骨組みだけしか残っていなかった。もし中に人がいたら、絶対に生き残ってはいないだろう。
「ふふふ……、もしあなた方が来なければ、彼らが死ぬことも無かった……」
ランス達は、その声で後ろを振り返った。そうだ、後ろには魔人がいたのだ。そこに立っていたのは、人ではない、人型の、全身が真っ黒の魔人。目もなく、顔もなく、ただ黒い物体が人の形をしている。そのような魔人だった。そして、あろうことか……、あろうことか、その魔人は、シィルを左手に抱えて、人質に取っていた。
「シィル! 貴様」
ランスが、しまった! という顔で、魔人を睨み付けた。
「ふふ、敵であることは分かっていましたが、まさか魔剣カオスまであるとは……」
「クッ!」
ランスは、怒りの形相で魔人を睨みつけるが、シィルを人質に取られては手を出すことが出来ない。
「残念でしたね。あなた方は私に手も足も出すことが出来ない……」
そう言って、魔人は、恐怖に立ち尽くす蘭の身体に手を伸ばした。
蘭は、魔人に肩を触れられて、「ひっ」と小さな声を出した。魔人はそのまま、蘭の胸を、腰を、太ももを愛撫するかのように優しく弄る。
「人間というものは、弱いものです。私がちょっと力を込めるだけで、すぐに死ぬ……」
「ゆ……、許し……」
蘭は、あまりの恐怖に、命乞いをしそうになった。実際、生身の人間が、魔人に触れられることの恐怖は想像を絶する。これが蘭ではなく、普通の人間だったら、とっくに失禁して、発狂しているだろう。
「やめろ! 貴様!」
ランスが我慢できなくなって、大声を出した。
「ククク、遊びはそろそろ終わり、ですか……、グフッ」
突如、魔人が口の部分から赤い血を吐いた。そして、その場に、膝をついて倒れた。魔人の後ろには、忍刀を持った鈴女が立っていた。一緒にこの建物に入ってきたと思っていたが、いつの間にか裏に回っていたのだろう。そして、隙を見て背後からこの魔人に近づき、忍刀で一刺ししたということか。
魔人は倒れている。それにしても、魔剣でもない普通の刃物で、魔人の肉体に傷を付けた鈴女はさすが達人だと言えるだろう。しかし、魔剣で付けたのではない傷は、魔人はすぐに癒してしまう。早目にカオスでとどめを刺さないと。
「よし、とどめを刺すぞ」
ランスがカオスを構えた。グサッ。刺したところに、既に魔人はいなかった。上を見ると、魔人は何事も無かったかのように、直立して、不敵に笑っていた。
「クククク、本当に面白い。あんなもので私を倒したと思いましたか? 私は元々、女を人質にとって闘うような卑怯者ではなくてね。ちょうどこの忍者の方が、人質を解放するチャンスを与えてくれたので、喜んでいたところなのですよ」
ランス達四人は、魔人を囲むような体勢を取った。しかし、全く勝てる気はしなかった。
「さて、それでは今度こそ死んでいただきましょうか」
魔人が手を振り上げた時、突如、真っ赤な火球が応接間のガラスを破って飛び込んできた。ガシャーンと、細かいガラスの破片が部屋中に飛び散った。そして、火球はそのまま、魔人の体に直撃した。
「グ……グオオ……」
魔人の身体が焼け焦げる匂いがする。これは、人間の魔法ではない。人間の魔法では、魔人の肉体にダメージを与えることは出来ないからだ。では……、だとすれば、これは一体……。
「久しぶりだな、ランス」
黒い、レザーだろうか、のようなドレスを身にまとい、黒のマントを翻して、小柄な少女が割れた窓から入って来た。ランスは、彼女を見て、目を丸くした。
「お……、お前……、サテラか!?」
「元気だったか、ランス?」
その少女の後に、白い、ホルスの魔人が中に入って来た。サテラ、と呼ばれた少女が言った。
「こいつの名前はメガラス。最速の魔人だ」