首都高のシンデレラ   作:囃子とも

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序章

 かつて、首都高に伝説を作った走り屋が存在した。

 彗星の如く現れた、ベイサイドブルーのR34スカイラインGT-Rは、それまで最速と謳われた首都高ランナー達を次々と撃墜していく。

 その走り屋は、何時しか“迅帝”と呼ばれるようになっていた。

 

 しかし……“迅帝”はある時を境にし、こつ然と姿を消してしまった。

 最速の座を、明け渡さないままで。

 

 それから、何年も月日が流れた……。

 

―――――

 

 石川県の車屋の娘に生まれ育った原田美世は、ガキの頃から車とスピードに魅せられていた。

 誕生日プレゼントに欲しい物を聞かれれば、ウサギのお人形さんよりも、スポーツカーのミニカーと答える。自転車で走れば、下り坂で思いっきりかっ飛ばし、転んだ挙句に傷だらけで泣きながら帰ってくる。

 その度、父親は頭をなでながら「俺達の娘だな」と笑っていた。

 ある日。鈴鹿サーキットへ、家族でレースの観戦に行った。

 幼い美世は、帰りの車の中でこう言った。

「……レーサーになりたい」

 女の子の言うセリフでは無い。ただ、車好きの子供なら高い確率で言う言葉だ。

「やっぱり、美世は俺達の娘だよ」

 父親は、同じセリフを言った。

 

 10歳の頃、両親と共に西日本ジュニアカート選手権にチャレンジを始める。

 有力チームには属さず、あえて家族だけで挑戦するプライベート参戦の形を取った。ドライバーも監督も、メカニックもスポンサーも、エントリーチーム名も、原田一家。一家総出のチャレンジだった。

 ドライバーとして、メカニックとして。美世は着実に成長していった。

 中学二年の時。西日本選手権で、優勝一回。選手権はシリーズ三位に食い込む活躍を見せた。今でも、その時のトロフィーと盾は、実家で大切に保管しているそうだ。

 

 中学三年に上がると、全日本選手権へステップアップ。三位一回、入賞一回。シリーズランキング九位。有力な強豪チームを相手に回して、小規模なプライベート参戦としては相当に善戦した成績といえる。

 

 しかしだ。モータースポーツは、あらゆる競技の中で、最もお金のかかる競技である。

 最下層のカートレースとは言え、その例外ではない。レース活動に費用を費やす分、生活は目に見えて苦しくなっていた。弱小プライベートチームの原田一家に、参戦を続ける体力はなかった。

 

 そんな、15歳になったばかりの秋の事。

 家には、ある珍客が訪れていた。

 その男は、名刺を出しながら、346プロダクションのプロデューサーだと名乗った。

 

「アイドルになりませんか?」

 

 その一言を聞いた原田一家は、呆然としていた。

 突然アイドルにならないかと聞かれても、答えられる訳が無い。何年か振りの家族会議の後、美世は一晩じっくりと考えた。

 美世は、ある打算をした。

 近藤真彦は、今でこそ日産のサテライトチームの監督だが、元は一世風靡をしたアイドルだった。

 岩城晃一は、俳優活動と並行してレーサー活動もしていた事もある。

 女性では三原じゅん子という事例もあるし、現役なら神子島みかと言うモデルも、レーサー活動を行っている。

 

 彼女の出した結論は、アイドルになる、だった。

 

 父親は、こう言った。

「やれるだけやって来い。ダメだったときに、帰る場所は用意しておく」

 母親は、こう言った。

「こう見えて、お父さん昔は俳優になりたかったらしいわよ」

 弟は、こう言った。

「姉ちゃんが売れっ子になったら、友達に自慢するから」

 家族の後押しに、美世は涙を流した。

 

 時は流れ、翌年の春。

 

 通信制の高校へ進学すると同時に、アイドル事務所の練習生。加えて、事務所の伝手で紹介して貰った、自動車整備工場でのアルバイト。

 

15歳の美世は、多忙な生活に身を投じるのだった。

 

 

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