月曜日の昼前。
向井拓海は慌てた様子で、内藤自動車にバイクを滑り込ませた。
「おっちゃーん!! ヘルプ!!」
ヘルメットを脱ぎながら、大声で内藤を呼びつける。
「なんだよ、騒がしいな……」
ガレージから姿を見せた内藤は、憮然とした表情だった。
「おっちゃん、エンジンがおかしいんだよ!!
全然吹けねーんだ!!」
拓海は狼狽えた様子で、声を荒げる。
パープルに全塗装された拓海の愛機、カワサキバリオス2。しかし、ご機嫌が斜めなのか、不整脈のようなバラついたアイドリングだった。
「……ちょっと吹かしてみろ」
内藤に言われて、拓海はスロットルを開けて空ぶかしする。
バリオスのエキゾーストノートは、水冷4気筒らしからぬ重たい吹け上がりだ。
「……よし。エンジン止めろ」
指示に従って、拓海はエンジンを止める。
「キャブ周りが怪しいな。二次エア吸ってる感じの音だ」
内藤は症状から、そう分析した。
「お~……音だけで解るのはすげえ。流石、職人」
「……おだてたって、修理代は取るからな」
「……ちっ」
拓海の口から、ついつい舌打ちが出てしまう。
「とは言っても、まだ怪しいって段階だからな。点火系って事も有り得る。何にしても、一回ばらしてみなきゃ解らんから、今日はバイクを置いていけ」
内藤は拓海にそう宣告した。
「ちぇ……。あたしのバリオスちゃん……」
がっくりと肩を落とす拓海は、名残惜しそうに愛車を見つめる。
「まあ、15年選手になればガタが出てくるのは仕方ねぇ事だ。またぶん回せるように直しとくから、少しの間は我慢しときな」
「はぁ~……」
内藤に言われ、拓海は大きなため息を吐き出した。
「……コーヒーでも飲むか?」
内藤はポケットをまさぐって、小銭を取り出した。
「うん……」
はっきり解る程、拓海のテンションはダダ下がりだった。
内藤は不調のバリオスを押して、ガレージの中へ入れる。
拓海は、周囲を何気なく見ていると、二台のリトラクタブルヘッドライトの車が気になった。
「おっちゃん。こっちは、あいさんの車だよな? ホントたまにだけど、事務所に乗ってきてた気がする……」
そう言って、外に駐車している赤黒ツートン車両を指差した。
「そうだぞ。そいつは、東郷さんのデ・トマソ“パンテーラ”だ」
「へぇ……。あいさんって、凄そうな車乗ってるんだな……」
「多分、今なら1000万以上はするんじゃねえか?」
「そんなすんの!?」
目玉が飛び出そうな金額を聞き、拓海のリアクションはオーバーになる。
「そりゃ、スーパーカーブーム真っ盛りの頃のスーパーカーだからな。このGTSって奴は、日本にも輸入されてたらしいぜ。
これは、73年式だから……俺より年上だ」
「へぇ……。凄い車なんだ」
「そうだな……CBX1000とかゼッツー。あとは……CB750FのK0か。それと同じ位って例えれば、向井には解りやすいだろ?」
「そりゃ、すげぇなんてもんじゃねーな……」
感心した様に、拓海は頷いた。バイク好きの拓海に向けて、内藤は希少なバイクで物を例えたのだ。
「でも、何であいさんは、こんなすげえ車乗ってるんだ?」
「さあな。俺の仕事は、車を修理する所までだ。どうやって手に入れたのかは気にはなるけど、追求するつもりはないぞ」
内藤は、淡々と言った。
「んで、こっちの紫の車は?」
今度は、リフトに乗せられているJZA70を、拓海は見つめた。
「それは、スープラだ。知り合いの乗ってる車で、メンテナンスを頼まれたからな」
「……」
拓海は、無言でスープラを見つめる。
「どうした?」
内藤は、拓海にそう声をかけた。
「……いや。ちょっとだけ気になったんだ」
「バリオスと同じ色だからか?」
「わかんねぇけど……。
ただ、何かこう……。凄そうな気がしただけだよ……」
スープラを真っ直ぐに見つめたまま、拓海は答えた。
「……そうか」
内藤は、素っ気ない態度だった。
「そういや、346プロ行くのに足が無いだろ?」
「……そうだった」
内藤に言われ、拓海は我に返った。
「東郷さんが、もうすぐパンテーラ取りに来るからな。ついでに乗せてって貰えよ」
「良いのかなぁ……」
先程、金額の事を聞いた話のせいか、拓海はちょっと気が引けた。
そんな噂をしていると、内藤自動車にダイハツミラが入って来た。
「こんにちは」
ポンコツの代車から颯爽と降りてきたのは、東郷あい。噂をすれば何とやら、である。
「丁度良かったな」
内藤はニヤニヤしながら、拓海を見た。
「……そりゃそうだけど」
拓海の口元は、引きつっていた。
「……何の話なんだ?」
あいの頭上に、クエスチョンマークが点滅していた。
「向井の単車が調子悪いから、事務所まで乗っけ貰うって話してたんだよ。だけど、パンテーラの値段聞いて、コイツ乗せてもらうのにビビってんだ」
「ビビってねーよ!!」
おちょくられて、拓海は声を荒げて反論した。
「ああ。それ位なら、お安い御用さ。何も問題は無いよ。
所で、私の車の不調の原因は何だったんだい?」
あいは、本題を内藤に聞きただす。
「案の定、点火系がパンクしてたな。とりあえず、デスビとプラグコードだけ新品に変えたら、普通に吹ける様になったぞ」
「ふふ……助かるよ」
あいは、嬉しそうに笑みを見せた。
「何にせよ車が古いから、トラブルは付き物だ。寿命の部分を上げたらキリがねぇ。地道に直していくしかねぇな」
「ありがとう。また何かあったら、お願いしますね」
ニコッと笑って、あいはそう伝えた。
「おう。領収書は、車の中に入ってるからな」
あいは、パンテーラに乗り込んだ。左側のドライバーズシートに座る姿は、さっき乗って来た軽自動車よりも、随分と様になる。
イグニッションを入れてから、アクセルを二度三度あおる。燃料チャンバーにガソリンを送り込む、キャブ車独特の儀式だ。
セルモーターを回し、少し長めのクランキングの後。
4本出しのマフラーが、ズゴーンと野太いエキゾーストを奏でる。フォード製のV8エンジン、通称クリーブランド351が目を覚ました。
(……すっげぇ音)
排気音がうるさい事には慣れているが、拓海の馴染んだサウンドとは、また異質のエキゾーストノートだった。
4気筒の甲高い音が鼓膜に響くなら、V8の野太い音は腹に響くと形容できる。
「……拓海くん、行こうか」
「はい、お願いします……」
自分の愛車の何十倍もする高級車に、拓海は恐る恐る乗り込む。
右側のナビシートに体を滑り込ませると、バルクヘッド一枚を隔てて搭載される、フォード製の5.8リッターV8エンジンの振動が背中に伝わってきた。
「さあ、出発だ」
あいは、右手で一速にギアを入れる。多少クラッチが重たくても、超低回転からの鬼トルクで、容易く車体を発進させられる。
アメリカンV8が雄叫びを上げながら、パンテーラは事務所とは反対方向に走り出していった。
あいと拓海を見送って、内藤は再びガレージに戻る。
「さーて。次は、コイツか」
その眼に写るのは、メタリックパープルのスープラだった。
夕方。レッスンもひと段落して、346プロダクションの中は、アイドルやレッスン生の談笑で賑わっていた。
九州から戻って来た、美世と茜は一度事務所に顔を出した。
「……これが、熊本名物のいきなり団子って奴です!!」
そう言って、茜がお土産を広げた。事務所の規模が大きいので、お土産の量も結構な量になる。
「と言っても、熊本空港で慌てて買ったんだけどね……」
美世は、そう付け加えた。
「所で、蘭子ちゃん。天女の衣を羽織った黄金……ってこれで正解?」
「ククク……。紛う事無き求めた宝珠なり」
美世は、熊本出身の神崎蘭子に聞いたが、ご覧の回答だった。
「……間違いない、だそうです」
シンデレラプロジェクトの担当プロデューサー、武内はそう言った。もとい、通訳した。
(良かった。何とか正解したみたい……)
美世はホッと胸を撫で下ろした。あまり解析率は、良く無いようだ。
「なあ、美世。ちょっと相談があるんだよ」
そう言って、拓海は美世に話しかける。
「どうしたの? 深刻な顔して」
「それがさ。あたしのバリオス、調子崩れちまってよ。今日おっちゃんの所に持ってったんだ。
おっちゃんはキャブが怪しいって言ってたから、バラさねーと解んねーみたいでよ……」
「あちゃ~……。ということは、何か代車になるバイクが必要って事だね」
「さすが美世。話が早くて助かるぜ」
拓海の表情は、パッと明るくなった。
美世は少し考える素振りを見せる。
「……じゃあさ。直るまで、あたしのVTR使いなよ。あのバリオスと比べると、あんまり速く無いけど」
「……良いのか?」
「バイクの代車は無いんだよ。前に足で使ってたスクーターは、売っちゃったし」
今の拓海には、美世の姿が女神に見えた。
「いや~、助かるわ~。神様、仏様、原田美世様々だな」
「た、だ、し……転んだら、どうなるかは解るよね?」
満面の笑みを作って、美世はそう釘を刺した。
「わ、わかってるよ……」
拓海の表情は、一変して硬直した。
「……それはそうとよ。
丁度、おっちゃん所であいさんと鉢合わせたから、事務所まで乗っけて貰ったんだ。あの車すっげぇな。パン……なんだっけ?」
「……パンテーラだね」
「そう、それ!!」
拓海は、案の定名前をド忘れていた。
「カッコイイよね。フルエアロのGT5仕様じゃ無くて、オーバーフェンダーのGTSなのが渋いよ」
美世は、うっとりした表情でそう語った。
「あいさんが、ちょっとドライブで遠回りしてくれてさ。あのズドドドドって音が、たまんねぇよ。また乗せてくれねぇかなぁ……」
拓海は、アメリカンV8のエキゾーストノートが、随分気に行った様だ。
「……異次元の言霊?」
蘭子は、キョトンとしてそう言った。二人の会話が、どうも解らないらしい。
(……あなたがそれを言いますか)
心の内で、武内はポツリと呟いた。
「大丈夫だよ。あたしも、美世さん達の話は良く解らないから!!」
茜は胸を張ってそう言った。ただ、威張りながら言うセリフでは無い。
「あと、おっちゃん所に、もう一台凄そうな車が有ったんだ。知り合いの車だって、おっちゃんは言ってたけど」
拓海は、更に会話を弾ませる。
「へぇ。何て車?」
「スープラ。しかも、あたしのバリオスと同じ紫だったから、妙に気になったんだ」
紫のスープラと聞いた瞬間、美世の顔は少し険しくなった。
「……それって、こういうライトだった?」
美世は、リトラクタブルヘッドライトの動きを、手で真似しながら聞きただす。
「そうそう。ライトの開く奴」
「…………」
拓海が追従した瞬間、美世は黙り込んだ。
「……どうしたんだよ?」
美世の不穏な仕草が、拓海は気になった。
「……少し、気になる事が出来たから帰るね。明日、鍵と一緒にVTR渡すから!!」
必要な事だけ伝えて、美世は事務所を飛び出した。
「……お、おい!?」
拓海は呼びとめようとするが、美世の影は既に無くなっていた。
(……パープルのJZA70スープラ。しかも、健さんの知り合い……)
拓海の言ってた車両に、美世は勘付いた。
駐車場まで駆け下りて、堂々と鎮座するGT-Rに乗り込む。
「……シャドウアイズ」
そう呟いた。
ミラーに映る美世の目付きは、首都高を走る時のそれだった。
空は薄暗くなり、内藤自動車の工場内は蛍光灯の光が灯っている。
パープルメタリックのスープラは、既にリフトから下ろされている。艶無しのカーボンのボンネットは開いており、内藤は慣れた手さばきで、6本のプラグを交換していく。
作業を進める過程で、遠吠えの様にRBのエキゾーストが聞こえてきた。
「……帰って来たか」
ポツリと言った。
赤色のR33が内藤自動車に滑り込んできたのは、その五分後だった。
「健さん!!」
車を停めて、美世は脇目も振らないで、ガレージで作業を進める内藤に駆け寄った。
「おー、帰って来たか」
内藤の手は全く止まらない。
「……そのスープラの持ち主は、緒方さんなんでしょ?」
「そうだ」
「緒方さんが四天王の一人……シャドウアイズだったんだね」
美世は断言した。
「そう言うこった。まぁ、隠すつもりは無かったが、緒方が日本に居ない以上は走る事はねぇしな」
「……点と点が繋がったよ」
今の美世に見えて居るのは、首都高で長きに渡ってトップランナーであった、モンスターマシンだけ。
「……解るか?」
内藤は、そう聞いた。
「うん……。間違いなくホンモノのマシンだね」
極限まで煮詰められたチューニングカーに纏う、独特のオーラ。数多くの歴戦を潜り抜けてきた、地上の戦闘機の匂い。
自動車と言う機械に魅せられた人間だけが解るその雰囲気を、美世は感じ取っていた。
「……走るのは明日の夜だ。緒方は、今夜は予定があるらしい。
それに、九州から帰ってきたばかりだから、お前も疲れがあるだろ。今日は、ゆっくり寝ておけ」
内藤はそう告知した。
「…………」
美世は、無言でコクリと頷いた。
同日、深夜。
一通り営業を終わらせた緒方明子は、六本木のバーでカクテルを飲んでいた。
「お隣、よろしいですか?」
そう声をかけられ、緒方は振り向く。
「……久しぶりね。柊さん」
「お久しぶりです……先輩」
346プロダクションの最年長。柊志乃は、緒方を訪ねてきたのだ。
「良く覚えてたわね。仕事が終わったら、何時もこのバーに寄る事」
緒方は、志乃の読みに関心しきりだ。
「当然ですよ。私もご一緒させて貰ってましたから」
志乃は、得意げだった。
「何時、日本に戻って来たんですか?」
「先週かしらね。と言っても、仕事半分遊び半分よ」
「そうですか。
だけど、ファッションデザイナーの緒方明子が、346プロに来てたって聞いた時はビックリしましたよ」
志乃は、自然と笑みを作っていた。
「そう言われてもね……。346プロに顔を出したのは、単なる気まぐれよ」
緒方の答えに他意は無い。
「……もう十何年前の事だから、うちの事務所で貴女を知ってる人は居ないんでしょうね。
パリコレでも活躍した、伝説の日本人ファッションモデル“アキ”。世界的にも知名度は高いけれど、メディアに出る事が全く無くて、私生活は謎に包まれていた」
「昔の話よ……」
緒方は、深い溜息を吐き出した。
「……だけど、まだ駆け出しのモデルだった私にとっては、憧れの存在でしたよ。
今も私の中で、アキの存在は色あせていませんから」
志乃は、素直にそう言った。
「…………」
「今じゃ、私が346プロでも一番の古株で、一番年上ですもの。こう言うのも、何ですけれど……年取ったって思いますね」
「……嫌味かしら?」
「どうでしょうね?」
緒方も志乃も、自然と口元が緩んだ。
「……とは言っても、本当にそう思うわ。もう十二年も経つのよね。
私達が所属してたモデル事務所は、346プロダクションに吸収されて、アイドル事務所に鞍替えした……。
だけど、私はアイドル業をする気は更々無かったわ。だから、モデルを引退。ファッションデザイナーに転身して、裏方になったわ」
「346に移籍して……。礼子が移籍してきて。楓ちゃんが入って……。気が付いたら、外様の人間が一番の古参。変な話ですよ」
二人揃って、しみじみと語った。
「良いじゃない。それだけ、志乃が認められてるって事よ」
緒方は、太鼓判を押した。
注文したカクテルが出された所で、緒方は志乃に質問をぶつけた。
「話は変わるけど、原田美世ちゃんって居るわよね。
彼女は、アイドルとしてどういう感じなの?」
そう聞かれ、志乃はカクテルグラスを右手で持った。
「彼女は、346の中じゃ古株ですけど……正直、売れ筋の子では無いんですよね。
ただ……不思議とレギュラーの仕事は有るんです。何ていうか、アイドルとしては掴み所が無いんですよね……。
それに、ベテランらしく他の子も面倒も良く見てます。でも、慕ってる子の大半は、彼女よりも全然売れているんですよね。
何ていうか……周囲との距離感の作り方が、凄く上手な子ですよ」
志乃はそう評して、カクテルを一口飲んだ。
「……言ってみれば、器用って事?」
「その表現が、一番適切なのかもしれませんね」
緒方の例えに、志乃は納得の表情を見せた。
「でも、どうして美世ちゃんが気になるんですか?」
「……あの子の働いてる車屋の社長が、古い友人なのよ。だから……ね」
緒方の見せる笑みは、何かが確実に含まれている。
「……フフ。やっぱり、美世ちゃんは美世ちゃんのままね」
志乃はクスクスと、小さく笑った。
「……?」
緒方はキョトンとした顔で、志乃を見つめる。
「今では大人しくなってるけど、以前は346プロ始まって以来の問題児って言われてたんですよ」
「そうなの?」
「そうですよ。門限破り、レッスンサボり、性質の悪い悪戯……。
今所属してる子達にも、問題行動する子は居るけれど……美世ちゃんに比べたら可愛いレベルですもの」
「……どんな事してたの?」
緒方は、その問題行動に興味深々だ。
「一番最近だと……。
346プロの所属アイドルで、人気投票が有ったんですよ。ファンの人達では、総選挙って呼ばれてたんですけど……。そういう時って、やっぱり事務所の空気はナーバスになってるんです。
皆がピリピリしてる中で、何人かに声をかけてたんです。
そしたら、皆で協力して事務所のワゴン車を選挙カーに改造して、皆で乗り合わせて事務所に出勤ですよ。しかも、書いてある名前は、社長の名前……。
あれは、みんな呆れてましたね……」
「……手が込んでるわね」
緒方は、苦笑いするしかなかった。
「後でプロデューサー達に、思いっきり怒られてましたけどね……」
「……面白い子ね」
「だけど、憎めないのは……人柄が良い証拠だと思いますよ。私にとっても、可愛い後輩ですから」
志乃は、年下の妹を語る様な口ぶりだった。