首都高のシンデレラ   作:囃子とも

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五章 夢見の生霊

 政治家や巨大企業の役員が御用達している、赤坂の一流ホテル。

 宴会場の入口には彩り鮮やかな花が飾られ、パーティーに参加する人々は業界の一流ばかり。

 大手芸能プロダクションの重役や、絶賛活躍中の芸能人、CDを出せば必ず当たるアーティスト等。男性は高級なタキシードで、女性はブランド物のパーティードレス。

 正装で身だしなみを整え、談笑に花を添える。

 プロカメラマン、君嶋陽平の活動20周年パーティーが、華々しく行われていた。

 

 君嶋陽平、45歳。

 

 女を撮らせれば右に出る者は居ないと言われ、数多くのアイドルや女優を被写体にしてきた。

 彼の手がけた写真集やグラビアで、ブレイクの足掛かりを掴んだ芸能人は数多く、フリーランスながら、幾つものプロダクションからの依頼を一手に引き受ける。

 当然ながら、346プロダクションとも、付き合いは長い。

 カメラマンとして、もっとも成功していると言われる人物だ。

 

 しかしだ。パーティーの主役の心情は、冷め切っていた。

(……つまらんな)

 歯が浮きそうなお世辞ばかりの、敏腕プロデューサー。営業スマイル丸出しで、歩み寄ってくる大物タレント。腹に一物を持っていそうな連中ばかり。

 芸能界で生きていく以上、こういう場を設ける事は必要だ。何せ、このパーティーを企画したのも、君嶋本人では無く、お得意先である大手芸能プロダクションの幹部なのだ。

 今後の仕事の為とは言え、出たくも無いパーティーで、主役を務めている。君嶋本人にしてみれば、拷問に等しい。

「では、今後とも是非よろしくお願いします」

「いえいえ。こちらこそよろしくお願いします……」

 笑みを作って接するが、その顔付きはさぞ固かっただろう。

「……では、今後とも君嶋先生のご活躍と健康を祈り、一本閉めで閉めさせていただきます。

 では、お手を拝借……よぉーお!!」

 パン、と打ち手が鳴らされる。

(やっと、解放されるか……)

 ここまで、文句も言わないまま主役を演じきった。君嶋は、自分で自分を賞賛したかったに違いない。

 

 パーティーも終わり、やっとの思いで解放された君嶋。

 高級ブランドのネクタイを外しながら、愛車を停めた地下駐車場に足を急がせる。

 一流ホテルの駐車場に、似合う様で似合わない、イエローパールのNA2型NSXタイプR。

 埋め込まれた二灯プロジェクターのヘッドライトに、純正カーボンボンネットは、あえて無塗装。02Rの通称で通っている、最後のNSX-R。

 唯一の国産スーパーカーと謳われるNSXだが、君嶋のそれはスーパーカーの域を超えている。あえて言いえば、レーシングカーにナンバーを取りつけただけ。

 往年のJGTCのNSXを彷彿とさせる、ストイックかつスパルタンなマシンだ。

 

 そのレーシングカーまがいの車両にもたれ掛って待ち構えている、一人の麗しい女性がいた。漆黒のパーティードレスを身に纏い、振り向いたと同時にポニーテールに束ねた髪はひらりと翻る。

 346プロダクションから、今宵のパーティーに参加していた原田美世だ。

「お待ちしてましたよ、君嶋先生♪」

「……何してんの、原田さん?」

 君嶋は、呆然とした。何せ、一介のアイドルが、自分の愛車の前で待ち伏せているのだ。

「何って、送って貰おうと思ったんですよ。先生自慢のNSX-Rで」

「プロデューサーと一緒に来てたんじゃないのか?」

「タクシーで帰るって言いましたから、大丈夫です」

 美世が何を根拠にしているのか、君嶋には解らなかった。

「……あんたも良い度胸してるな」

 君嶋の言葉には、色々な意味が含まれているだろう。

 仕方なしとばかりに、NSXの鍵を開けた。

 

 ドアを開けて、ロールバーを避けながら助手席に滑り込む。

「では、失礼します」

 ドレスで座るフルバケットシートは、不釣り合いを通り越してシュールな光景だ。

「……これでスキャンダルになったら、俺は枕営業を求めてきたって言い切るからな」

 君嶋は毒付いた。

「大丈夫ですよ。あたしそんなに売れてないから」

 自信満々で自虐した美世。

「そうかい。ま、いいさ……」

 会話を打ち切って、君嶋はNSXのエンジンに火を入れる。

 屋内の駐車場に反響する、乾いたC32Bのエキゾースト。NAならではのキレの有る音が、君嶋の血を騒がせる。

「……どうせ、俺の所に来たのもそのつもりだったからだろ?」

「勿論ですよ。先生、ああいう場嫌いでしょ?」

「その通りだ!!」

 君嶋は怒声混じりで言い放ち、クラッチを切ってから、シフトレバーを前に押し込んだ。

 ゴン、と歯車がぶつかり合う。ミッションが唸りをあげ、メカニカルノイズが車内に充満する。

 アクセルを小刻みに煽ると、タコメーターはレスポンス良く反応する。アクセルのツキが良いのは、メカチューンのNAならでは。

 フォーミュラーマシンばりの快音を奏でながら、NSXは動き出した。

 

 君嶋陽平は、長きに渡り首都高のトップランナーを走っている。最古参のNSX使い“夢見の生霊”と異名を持つ。

 内藤もベテランの首都高ランナーである為、君嶋とは古くからの知り合いになる。モデル業を務めている事を差し引いても、美世が君嶋と知り合う事に訳が無い。

「今日は、湾岸に居ますよ。鬼の様に速い赤のFCが……」

 美世は、そう伝えた。

「……解るのか?」

「ええ。うちの事務所の輿水幸子のライブチケットが取れなかったんですよ。健さん、幸子ちゃんのファンクラブに入ってるけど、それでも競争率高くって……。

 憂さ晴らしに、湾岸を走ってると思います」

「…………アホかアイツは」

 バカバカしい動機に、君嶋はあきれ果てた。

 

 NSXは飯倉からC1内回りへ。

「…………」

 料金所を通過し、何のためらいも忠告も無く、君嶋はアクセルを踏み込んだ。

 高回転型のNAエンジンならではの、切り裂くような甲高いエキゾーストノートが、コンクリートウォールに反響する。

「……良い音ですよ。このNSX」

「当然だ。ただブーストを上げてパワーを稼ぐ、ターボ車とは違う」

 美世に言われ、君嶋は自慢げに答えた。

「……四駆のターボなんざ、スポーツカーじゃない。後輪駆動のNAこそ、至高のスポーツカーだ」

 それが、君嶋の持論だった。

「あたし、四駆のターボのスポーツカーに乗ってるんですけど?」

 美世は、異論とばかりに言い返した。

「あれはツーリングカーだ」

「……なるほど」

 上手い例えで返された為、納得していた。

 

 芝公園150kmで通過し、浜崎橋JCTを右へ折れる。横羽線及び、環状11号レインボーブリッジ方面へ。法定の倍近い速度だが、これでも君嶋にとってはウォーミングアップ程度に過ぎない。

 芝浦JCTから環状11号線に乗ると、君嶋は更にNSXのペースを上げる。

「飛ばすぞ」

 君嶋がそう言うと、シフトを前に一回押し倒した。PIリサーチ製のデジタルメーターの、シフトインジケーターが3と表示された。

 C32Bに組み合わせた、特注のヒューランド製のシーケンシャル6速ドグミッション。バイクのミッションの様に、押すか引くかの動作しかないので、手首のアクション一つで素早いシフトチェンジを可能にする。

 NSXにこだわる君嶋の、自慢の一品だ。

 

 国産車唯一のスーパーカーと言われる、NSXのチューニングカーは少ない。その理由は二つある。

 一つは、値段が高くて購入できる人間が少ない。

 もう一つは、NAエンジンだという事を差し引いても、元々の設計がギリギリまで煮詰められている故に、パワーを上げる事は容易では無いのだ。

 例えば同世代のBNR32GT-Rは、650psのパワーでツーリングカーレースを戦う事を考えて、全てを開発していた。

 しかし、NSXはノーマル状態で走行性能を高める事を、重点に置いて開発されている。

 その分、伸びしろが無いと言っても過言では無い。

 

 フルノーマルで、世界の一流マシンと互角の性能を持つ事。これこそ、ホンダ技研という技術屋集団のポリシーその物では無いだろうか。

 そのストイックな思想が、君嶋がNSXにほれ込んだ理由だった。

 

 C32Bのエキゾーストは、オールチタン製でエキマニから出口までフルストレートのワンオフ品。

 スーパーGTマシン並みの、けたたましいエキゾーストノートを放ち、レインボーブリッジを駆け抜ける。

 巡航速度で走れば緩い左コーナーも、200kmで飛び込めば非常にRのきついコーナーに早変わりする。しかし、君嶋はアクセルをべた踏みのまま突っ込んで行く。

 NSXのノーズをクリッピングポイントに向けると、絶妙なアクセルワークだけで車体をコントロールし、綺麗なアウトインアウトのラインをトレースして立ち上がる。

 加速体勢に入った瞬間。ブラインドコーナーの先で、右車線を走るタクシーのテールランプが視界に飛び込んできた。

「……!?」

 美世は背筋に悪寒が走った。こういう時の人間の勘は、恐ろしく的中するものだ。

 NSXの接近に気が付いて、慌てたタクシーは左にウインカーを出した。

「……邪魔くせぇ」

 しかし、君嶋は一瞬のアクセルオフとステアリングだけで、即座に左車線にレーンチェンジ。殆ど減速しないまま、タクシーの左側をすり抜けていく。

 タクシーが左に車線変更を始めた頃には、既にNSXのテールランプを拝んでいた。

 左車線にレーンチェンジする一般車を、左から抜く。強引かつ滅茶苦茶な抜き方だが、オーバーテイクのタイミングは絶妙だった。

(……今のは焦ったよ)

 流石の美世も、君嶋の運転には恐れ慄いた。後コンマ何秒か反応が遅れていたら、二人して三途の川で泳ぐ羽目になっていただろう。

 

 君嶋の首都高のドライビングは、半端じゃ無くキレている事で有名だ。

 恐怖心が欠落しているかの様な、鬼気迫る走り。NSXの性能を極限まで高め、その上で限界まで引きずり出す。

 シビアな挙動を示すマシンを、手足の如く扱うテクニックは、間違いなく本物だといえる。

 しかしだ。自分中心で、マナーは最悪。追い越しに右も左も関係無し。一般車を路肩からぶち抜く事は日常茶飯事。バトル中に幅寄せする等、事例を挙げればキリがない。

 テクニックに裏付けはあっても、やりたい放題のドライビングには非難が集中する。他の首都高ランナーから、嫌われているのも事実だった。

 

 夢見の生霊。首都高に巣食う生きた亡霊は、他の走り屋に夢でも見せるかの様に、走り去る。

 

 有明JCTから、湾岸線下りへ。NSXのペースは、落ちる事は無い。

 150kmで一番左車線に合流すると同時に、右車線をかっ飛ばす赤いマシンが見えた。

「……グッドタイミング」

 君嶋はボソリと呟いた。

(あれは……間違いなく健さんのFCだ)

 美世も、そのマシンの正体は一発で見抜いた。

 夢見の生霊と、追撃のテイルガンナー。長きに渡り、首都高のトップに立ち続ける走り屋が、ここで遭遇するという事。

 

 やる事は、決まっている。

 

 NSXが即座にFCの後方に付くと、ヘッドライトをパッシングさせる。

 FCも解ったようで、ハザードを点滅させた。

 互い威嚇するかの様に、エキゾーストノートが高鳴る。トップランナーのバトルの幕が切って落とされた。

(……健さんと君嶋先生。追撃のテイルガンナーと夢見の生霊の本気走り)

 美世は、ベテランランナーの真剣勝負を見逃すまいと、目を凝らす。

 君嶋は、シフトレバーを押して、瞬時に4速にギアを落とすと、C32Bは甲高い咆哮を上げた。

(……流石に、230km以上の加速だと分が悪いか)

 内藤のFCが、ジリジリとNSXを引き離しながら、東京湾トンネルに飛び込む。

(まあいいさ。コイツの本領は、250kmオーバーのスラロームだ!!)

 一般車両を避けながら、なおもアクセルを緩めない。

 

 ハイカムとハイコンプピストンに、特注の6連スロットル。コンロッドからクランクに至るまで、精密なバランス取りにポート加工等々。

 完成度の高いC32Bに、最高10000rpmまで回るメカチューンを施した。

 とは言え、君嶋のNSX-Rは精々350psも出ていれば御の字。

 チューニングされたNSXの最大の欠点は、ピークパワーが劣る分ストレートが遅いのだ。

 

 しかし、瞬時に反応するレスポンスと、シーケンシャルの6速ミッション。元々軽いオールアルミモノコックのボディを、更に限界まで贅肉をそぎ落として軽量化。

 極めつけは、カーボンパネルを車体下面に張り付けて、フラットボトム化。リアオーバーハングにはディフューザーも装備し、ドラッグを低減とダウンフォースの増大を実現。

 究極のNSXタイプRは、高速域のコーナリングとスラロームに的を絞った、レーシング仕様。これが、君嶋の導いた、首都高最速への答えだ。

 

 コーナリングの優れたFCと言えど、スラロームでは僅かにアクセルを緩めなければならない。元々低速トルクの細いフルチューンロータリーに、ビッグシングルタービンを組み合わせた仕様は、ピークブーストまでの立ち上がりが悪い。

 対して、君嶋はべた踏みのまま、ステアリングだけで一般車をオーバーテイク。僅かにFCの加速が鈍った瞬間に、一気に追いつく。

(捕えたぜ……)

 内藤のスリップストリームに入り、NSXはFC3Sをロックオン。

 

 東京湾トンネルを出て、緩い左コーナー。

 内藤はあえて右車線にレーンチェンジし、君嶋にインを譲る。

(……解ってるじゃねぇか)

 NSXがFCのイン側を抉って前に出た。260kmでの並走だが、彼らにとっては良く有る光景だ。

 今度の先行はNSX。元々空気抵抗の少ない車体は、空気の壁を切り裂いて加速を続ける。

 しかしだ。FCもNSXのスリップストリームを有効に使い、君嶋のテールに喰らい付く。

 270kmオーバー。大井JCT付近で、一般車が少し増えてきた。

 しかし、君嶋はペースを下げる気は無い。絶妙なアクセルワークと、ステアリングさばきを披露。右に左に車線を変えて、自由自在にNSXを操る。

 マシンのセッティング、及びスラロームのテクニック自体は、君嶋の方が上手の様だ。

 

 NSX、FCの順に、東海JCTを通過。もう少し先には、空港北トンネルが待ち構えて居る。

 フロントウインドウから見える光景は、シューティングゲームの的の様に、赤い光が次々と迫りくる。

 次々に避けながら、君嶋はミラーで後方を一瞬だけ見る。

(……少しは離したか?)

 しかし、光の群れの中では、FCのヘッドライトは確認しきれない。

(……恐らく、オールクリアは近い)

 先を行く、テールランプの数は減って来た。

 

 空港北トンネルに入ると、赤い光は姿を消した。

(オールクリア!!)

 6速全開、フラットアウト。君嶋はNSXに鞭をくれる。

 防音壁に跳ね返る、C32Bのエキゾーストが、車内にまで飛び込んでくる。

「……来てる」

 美世は、小さく呟いた。しかし、空気の壁を切り裂く音は、高周波音と化して君嶋には聞こえていない。

 NSXのルームミラーに、パッシングの閃光が反射した。

(……後ろに来てるか!!)

 君嶋の駆るNSXの真後ろに、内藤のFC3Sは喰らい付いた。

 

 メーターは280kmを指す。空気抵抗の少ないNSXと、高回転域で伸びるエンジン特性。風圧に負けじと、ジリジリと速度を伸ばしていく。

 しかし、テールに張り付くFCは、NSXを凌駕する伸びを見せる。スリップストリームを有効に使い、前を走るマシンを撃墜するのは、追撃のテイルガンナーのお家芸。

 内藤はギリギリまでスリップを効かせ、NSXの右側に出る。横に出ても、ギリギリまで車体を寄せて、空気抵抗を軽くする。サイドスリップという技も駆使し、FCのノーズをNSXの前に出す。

 

 290km。

 並走する二台。トンネルの出口に、赤いテールランプが見えた。

(……真ん中か)

 君嶋は、仕方なしに一番左にレーンチェンジ。

 大型トラックの両脇を、二つの閃光が突き抜けた。

 

 羽田空港の脇を、一気に通過。

 メーターは300kmを超えた。それでも、NSXとFC3Sは、加速を止めない。

 湾岸環八ICを突っ切る。

 緩やかに弧を描く、多摩川トンネルが迫る。もうすぐ、東京都と神奈川県の県境だ。

 

 君嶋がNSXのステアリングを、ほんの少しだけ右に切った。多摩川トンネルに入ったその瞬間だった。

 ガン、と金属のぶつかる音が響いた。

「……っ!?」

 君嶋は、反射的にアクセルを抜いてしまった。リアの荷重が抜けて、NSXのテールがグニャリと揺れる。

「……くっそ!!」

 咄嗟にアクセルを入れ直し、ステアリングと連動させて、四輪の荷重をコントロール。

 車速を少しづつ落としていく。

 更に270kmまで落ちた所で、もう一度アクセルをゆっくり抜く。リア周辺からガタガタと、嫌な振動が伝わってくる。

 

 パーシャルスロットルを維持して、後は空気抵抗に任せて速度を落としていく。200kmより速度を下げてから、軽いブレーキをかけてようやく巡航速度まで車速を落とす事に成功した。

 NSXのリアから、バイブレーションが起こっていた。バタバタと何かが震えているのだろう。

「先生……今のは死んだと思いましたよ」

 助手席の美世は、安堵の息を吐いた。

「……最高速で曲がった時に、多分ディフューザーがわだちに当たったんだ。その時の衝撃で、脱落したんだろうな」

 そう呟いて、君嶋はステアリングをソーイングさせた。ステアリングは効いているが、車体が振る度に、ガタガタと嫌な振動が体に伝わってくる。

 

 空力を追求したエアロダイナミックスは、300kmという最高速度域で大きなダウンフォースを生み出し、車体を地面に押し付ける。すなわち、その速度域ではマシンの車高が下がるのだ。

 最低地上高が下がってしまった分、地面とのクリアランスが無くなり、路面のうねりとディフューザーが接触したのだ。

 加えて、超高速域ではほんのわずかなアクセル操作で、非常に大きな荷重移動が起きる。一瞬のアクセルオフでリアの荷重が抜け、NSXの挙動は不安定になった。

 あと一歩間違えば、操作不可能でコンクリート壁に突っ込んでいたに違いない。

 君嶋の神がかり的な緊急回避で事なきを得たが、美世の心臓はバクバクしている。暗くて解らないが、間違いなく顔面は蒼白だ。

「……とりあえず、湾岸を降りるしかないな」

 君嶋は、落胆した様子だった。

 

 手負いのNSXが多摩川トンネルを抜けると、浮島料金所跡でFCはハザードを焚いて待っていた。

 君嶋の存在を確認したのか、ハザードを付けたまま先導していく。

(……仕方ないか)

 君嶋は不本意ながらも、内藤の動きに倣った。

 浮島ICから、浮島公園前の交差点を右折。すぐそばの路側帯に、FCとNSXは滑り込んだ。

「こんばんは、健さん」

 NSXから降りて、美世は内藤に歩み寄った。君嶋と美世はパーティーの帰りなので、正装しているが、内藤は何時もの通り薄汚れたつなぎ姿だ。

「あれ? お前、君嶋の横に乗ってたのかよ……」

 美世の突拍子も無い行動に、内藤は少々呆れ顔を見せる。

「まー、成り行きですよ。一回NSXの横に乗ってみたかったんです。ちょっと、二回位死ぬかと思いましたけど……」

 苦笑いを作りながら、美世はそう言った。

 君嶋も、NSXを降りて、車の周りを一周する。

「……君嶋。コイツ持ち帰って良いぞ」

 内藤は、美世を物扱いし、君嶋に押し付けようとした。

「……いらん。血にガソリンが混ざってそうな女を、抱く気は無い」

 君嶋は、そっぽを向いた。

「ひどーい。セクハラだー」

 唇を尖らせながら、美世はブーたれるが、君嶋は既に聞いていない。

「健さんもそういう事言うんだ……。じゃあ、これは必要ないんですか~?」

 美世はニヤニヤと笑いながら、ハンドバッグから封筒を取り出した。

「それ……もしかして?」

「はい。幸子ちゃんのライブチケット。しかもB席です♪」

「……ごめんなさい。すいません。許してください、原田美世様」

 内藤は、これでもかと言う位に手の平を返して、へりくだる。実に解りやすい男である。

 

 二人のコントはほっといて、君嶋は左リアの下回りを覗き込んだ。

(やっぱり……ディフューザーが落ちてる)

 下回りを擦った衝撃で、ディフューザーを固定しているボルトの頭が、いくつか飛んでしまった様だ。これでは、ディフューザーを固定出来ずに引きずる格好になってしまう。

 流石に、君嶋も肩を落とした。

「先生。これ使ってください」

 そう言いながら、美世は赤い布テープを差し出した。

「……何でそんなもん持ってるんだ?」

「ハンドバッグに入ってました」

 ニッコリと笑いながら、美世は言った。

「……パーティー会場に布テープを持ち歩くの、世界中でもアンタだけだな。

 だけど、助かったよ」

 君嶋は、素直に好意を受け取った。

 

 ドレス姿の美世が地面に這いつくばる訳にはいかないので、結局は内藤が落ちかけているディフューザーを、テープで止めて応急処置を施した。

「……ま、ゆっくりなら何とか帰れるだろ。見た所、ディフューザーが落ちてるだけみたいだからな」

 内藤は、地べたから起き上がって、テープを美世に渡す。

「そうか。助かったぜ……」

 君嶋は、一応礼を述べた。

「ま、ここだけで済んでラッキーだったな。下手すりゃ、落ちたディフューザーがタイヤを突き破って、300kmでタイヤバーストって事も考えられたしな……」

 内藤の言葉を聞き、美世は背筋が少し震えた。

「……その時はその時だ」

 君嶋は、あっさりした様子で答えた。そのまま、NSXのドアを開く。

「じゃあな、原田さん。次は俺の横じゃ無くて、GT-Rでな……」

 そう言い残して、君嶋はNSXのエンジンを再スタートさせた。

 乾いたNAサウンドを響かせながら、NSXは走り出していた。

 

 NSXを見送ると、内藤はつなぎの胸ポケットからタバコを取り出した。

「んで、どうだったよ。アレの横は?」

 内藤は、タバコの先に火を点けながら聞いた。

「正直……怖かったですね。

 自分だったらブレーキ踏む所でも、アクセル緩めないですもん」

 実際、美世は二回程肝を冷やしている。

「……いけすかねぇ野郎だが、腕は一流だ。あいつに挑んで、壁に張り付いた奴を何人見てきたか解らねぇよ。

 今回は、あっちのトラブルに助けられたが……あのままのペースだったら、こっちのエンジンがオシャカになってる。

 少なくとも、あいつ以上に速かった走り屋は、俺の知る限り一人だ……」

「……?」

「……“迅帝”。名前くらいは聞いた事あるだろ?」

 内藤に言われ、美世は首を縦に動かす。

 

「……首都高の名だたる走り屋を撃墜していった、蒼いR34スカイラインGT-R。半年足らずで、首都高のトップに立った伝説の走り屋……。

 だけど、迅帝は無敗のまま、何時しか姿を消してしまった。ここまでは知ってます」

 美世は、静かに言った。

「ああ。俺も何度か挑んだが、一度も前には出れなかった。迅帝の顔を拝む事は、一回も無かったな……。お蔭で、何機エンジンぶっ壊したか……」

「…………」

「そりゃ、フルチューンのR34に旧型のFC3Sで挑んだって、勝ち目はねぇよ。だけど、俺はコイツで頂点を目指したんだ。反省も後悔もしちゃいねぇ」

 そう言いながら、内藤はFCのルーフをポンポンと叩いた。

 

「……健さん。迅帝は……生きてるんですか?」

「……さてな。事故って死んだって話も聞いた事あるが、噂のレベルだ。今思えば、あれが何者だったのかも解らん。都市伝説って奴だな」

「……そうですか」

 美世は、少し残念そうだった。

「……ま、今日の所は引き上げだ。久々にベテランの野郎と走ると、くたびれるぜ」

 内藤は背伸びしながら、美世に言った。

「うん。乗せてってくれますよね?」

「……ここでお前を置いてくほど、人間終わってねぇよ。チケットの事も有るしよ」

「良かった~」

 そうは言いながらも、美世は先にFCのナビシートに滑り込んだ。間違いなく、確信犯に違いない。

(……ったく)

 内藤は、溜息交じりで紫煙を吐き出した。

 




余談ですが、マニアックな小ネタは結構挟んでいます。
気が付いたら是非ご感想を(笑)
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