完全オフとなった平日。
美世は、GT-Rで東名高速を突っ走っていた。昼間なので、法定速度は巡視していることも、付け加えておく。
(……もうすぐ大井松田インター)
スマホのナビの目的地は、松田町の山間に店舗を持つ、ファクトリーFUJIだ。
大井松田インターから、車で1時間。熊や猪でも出てきそうな山の中に、ファクトリーFUJIの看板を見つけた。
「……ここだね」
規模は内藤自動車の何倍も大きいが、佇まいはさびれている。古びたガレージにかかる小さな看板には、ファクトリーFUJIと書いてあった。
シャッターは閉まっているものの、ドアは開いている。
「……こんにちはー」
恐る恐ると言った様子で、美世はガレージの中に入って行った。
「……はい?」
中から出てきたのは、若いメカニックだ。
「すいません。あたし、原田と申します。藤巻さんはお見えですか?」
「……社長ですか。今、事務所にいるんで、呼んできますね」
そう伝えて、若いメカニックはプレハブ小屋の事務所に駆け込んで行った。
すぐに入れ違いで出てきたのは、薄汚れたつなぎ姿が様になる、スキンヘッドの男性。美世は心の中で、親父さんというワードを思い浮かべたが、何とか口からは出なかった。
「君が、原田さんかね? 話は菊地から聞いてるよ」
「……藤巻さん、ですね?」
「そうだ。ま、立ち話もなんだから、事務所にいらっしゃい」
「……はい」
藤巻は、美世を招き入れる。
案内された事務室には、幾つ物トロフィーや盾が飾られている。
ただその中に、美世が水着姿でオイルのペール缶に座っているポスターが貼ってあった。
「あ……去年のポスターだ」
美世は思わず、口走った。よくよく見渡せば、美世がモデルを務めたポスター類が、さりげなく貼ってある。
「ああ。コイツ、君のファンなんだ。それで、君がモデルになってるポスターを、方々から貰てきてるんだよ」
そう言って、藤巻はさっきの若いメカニックを指差した。メカニックは、頬を赤くしながら、下を向いてしまった。
「……そ、そうですか」
ちょっと照れくさそうに、美世は笑っていた。
若いメカニックは、いそいそと仕事に戻っていった。
「……さて。本題に入ろうか」
藤巻は、美世と一対一になったタイミングで、そう切り出した。
「……はい。あたしは今、現役で首都高を走っています。元四天王の方々とも面識があります。その中で、ある走り屋の話を聞きました。
迅帝と呼ばれた、伝説の走り屋です」
「……ほう」
「藤巻さんは、かつては首都高の走り屋だって聞きました。
首都高全盛期の以前から走っていたベテランの走り屋に会えば、迅帝に繋がるヒントがあると思って、ここに来ました」
美世は、真っ直ぐに藤巻を見つめた。
「……仮に、迅帝に会ってどうする?」
藤巻は、美世に問う。
「……走ってみたいんです。
自分がどれ位のレベルなのか。自分で仕上げたGT-Rが、何処まで通用するのか。ただ、腕を試してみたいんです」
美世の瞳に、曇りは一片も無い。
そして、藤巻は真っ直ぐに美世を見つめた。
「……車を見せてくれるか」
「……はい」
美世の顔付きが、一層引き締まった。
表に停めてあるR33を見つめ、藤巻は一言告げた。
「……なるほどな」
藤巻が何を察したか、美世は今一つピンとこない。
運転席を開け、車内をのぞきみる。
「……ボンピン外してくれるか?」
「解りました」
美世がボンネットピンを外すと、藤巻はダッシュボード下のボンネットオープナーを引っ張る。
ボンネットを開けて、美世の組み上げたRB26とご対面だ。
「一見はノーマル風だが、パイピングや冷却類はきっちり変えてあるな。ヘッド周りのオイル汚れも無い。
RB系統はブローバイが多いから、メンテナンスが雑だとすぐに真っ黒になる。
綺麗にしてるし、オイルキャッチタンクの付けた方も丁寧だ。
エキマニはノーマルだが、この感じだと……タービンはGT2530ツイン辺りか?」
藤巻は、一目見ただけで改造のポイントを見抜いている。
「その通りです」
「カムスプロケットが調整式に変わってるって事は、ヘッド周りもいじってそうだな」
「ええ。ヘッド周りのオーバーホールついでに、1、2mmのメタルガスケットに変えました。
カムは、IN250のEX252のハイリフト9,5mmです。バルブもバルブスプリングも強化品してます」
「ピークパワーよりも、レスポンス重視の選択だな。インジェクターは、720ccか?」
「いえ、660ccです。これ以上馬力をあげても、使い切れないですし……」
「……手堅い作りだね。あえて、ロールバーとタワーバーしか組んでないのは、ストリートも優先してるからだろう?
極端な軽量化やスポット増しまで手を出すと、挙動がピーキーになって足回りのセットが難しくなる」
「ええ。その辺りは、師匠に教わりました」
美世の組み上げたRB26を見て、藤巻は何を思うのか。
次に藤巻は、右フロントに屈み込んだ。フェンダーとタイヤの、指一本半程度の狭い隙間から、足回りを覗き見る。
「足回りは、一通り変えてありそうだね……」
「ザックスの車高調キットに、10キロバネを組んでます。ブッシュは、全部ニスモの強化ブッシュに打ち変えてます」
「ブレーキは純正のブレンボのままか。パッドとローター、それにホースも強化して有るのかな?
ダクトも追加してるけど、サーキットの連続走行だと少し厳しいかもね」
「そうですね。もっと大きいキャリパーも考えてるんですけど、ちょっと手が出なくって……」
「ま、第二世代のGT-Rは、全部ブレーキの負担がデカいからな。俺もR33でN1に出てた時は、とにかくブレーキが悩みの種だったよ。
かといって、APにせよブレンボにせよアルコンにせよ、キャリパー自体も高いがパッドも高くつくからな……」
「そうなんですよね……」
R33を見定めたのか、藤巻は腰を上げた。
「……全部、自分で組んだんだって?」
「はい。
最初に乗ってたのは、R32のタイプMだったんです。だけど、筑波の最終コーナー飛び出して、横転で廃車にしちゃって……。
そしたら、あたしの師匠がこの子を見つけてきてくれたんです。15万キロ走行だったけど、純正のスーパーレッドはタマも無いですし……。
あれこれ直しながら、いじってたら今の仕様になったんです」
「……良い腕だな。
その若さでここまで仕上げれるのは、大したセンスだよ」
藤巻の言葉に、美世は照れくさそうに頬を掻いた。
「……原田さん。
君自身は、首都高に何を求めている?」
藤巻は、唐突にそう聞いた。
「……正直な所は、自分でも良く解らないんです。
たまたま、あたしの師匠が首都高の走り屋で……。それを見てる内に、走りたいなって思う様になってました。
そりゃ、悪い事なのは解ってるけど……。
走るのが楽しいから……止められないんです」
美世は、そう答えた。
「走り屋なんて、いつの時代だって同じようなもんさ。
どうしようもなく車が好きで、走ってると気持ちよくって、いじってると楽しくて。
走る理由は、取るに足らない程度の事だ」
「…………」
「迅帝は首都高に伝説を作った、だなんて言われてるがな。実際は、少し違う。
車が好きで、走るのが好きで、バトルが楽しくて。そんな事を繰り返してる内に、たまたま伝説になっちまっただけだ。
迅帝も、一介の走り屋に過ぎないんだ」
「……やっぱり、藤巻さんは迅帝を知っているんですね?」
美世は、思わず聞いていた。
「……ああ」
藤巻の首は、縦に動いた。
「あたしは何時か会えますか? 迅帝に……」
美世は、思い切って切り出した。
「……アイツは俺の弟子だからな。迅帝の乗ってたR34は、俺が組んだんだ。
君がうちに来るって話をしたから、今日ここに来るよ」
「……え!?」
思いもよらぬ回答だった。
「…………」
そして、その言い回しに、美世は引っ掛かりを感じた。
そして、30分も経過すると。
「ようやく来たか……」
藤巻が呟くと、ファクトリーFUJIの元へ、一台のV35スカイラインクーペが辿り着いた。
(あのV35……)
美世は、そのV35を良く知っていた。
運転席から、一人の男性が降りてきた。
「……こんにちは。原田さん」
「岩崎さん……」
美世は、岩崎から目を離せなかった。
「あなたが……迅帝と呼ばれた走り屋だったんですか?」
美世は、問い詰めた。自分が契約しているレースチームのドライバーが、首都高最速と謳われた走り屋なのだから、無理も無い。
「そうらしいね。だけど、俺自身は他の走り屋と特に交流してなかったからさ。
それに、今の立場上、首都高の走り屋だった事は隠さないとね……」
岩崎は、飄々としていた。
「……あたしも、首都高の走り屋だって事は話した事無いですよ?」
美世は、そう捲し立てた。
「……無理だよ。隠そうとしても、解るんだ」
「……どうしてですか?」
「原田さんから見えてるんだよ。オーラって奴がね」
「…………」
美世は黙り込んだ。そして、仕事中の岩崎とのやり取りを思い返す。
(……思い返せば。うん……)
心当たりが、決して無いわけでは無かった。
岩崎の視線は、自然にR33へと向いていた。
「……いいね、原田さんのGT-R。良く整備は行き届いてるし、全体的に仕上がってる」
「見ただけで、解るんですか?」
「そりゃね。伊達に、走って無いからさ」
岩崎の視線は、GT-Rから離れない。
「どうだ。折角だから、その辺試走してこいよ」
藤巻は、横からそう提案した。
「そうですね……。プロのドライバーに乗って貰う機会なんて、そうそう無いですもの」
美世は、その提案に乗り気になった。
「いいのかい?」
「はい」
岩崎に聞かれ、美世はR33のキーを差し出した。
「キーホルダー付けてくれたんだね」
「ええ。折角頂いた物なので」
岩崎は、笑みを作っていた。
美世は、ナビシートに体を滑り込ませる。岩崎は恐る恐る、ドライバーズシートに収まった。
レカロ製セミバケットシートを後ろにスライドさせて、ダイアルでリクライニングの角度調整する。
「実は、あたし以外で運転席に座ったのは、岩崎さんが初めてです」
美世は悪戯っぽく言った。
「そりゃ、光栄だね」
そう答えて、岩崎はハンドルの天辺に両手を合わせる。ポジションがしっくりきたのか、調整を終えてキーを差し込む。
イグニッションオン。エンジンスタート。
RB26のエキゾーストノートが、山間に木霊する。
岩崎の右足は、小刻みにペダルを煽って、フリッピングした。ペダルの動きに、レスポンスよくタコメーターが反応する。
「……良い音だね」
自然と、岩崎の口から言葉が出ていた。
適度な重さのクラッチを切って、一速に入れる。
「さあ、出発だ」
R33は、富士山方面へ向かい発進した。
国道246号線。国道とは言っても、峠道と変わらないレベルで曲がりくねっている。路面のギャップを拾っては、R33は小刻みに跳ねる。
「ここを走るには、ちょっと硬いかな。だけど、スピードレンジがもっと高い所なら、丁度良い位だと思うよ」
「サーキットだと、少し柔らかいんですよ。富士の100Rとかだと、アンダーっぽい感じで……」
「GT-Rはフロントヘビーだからね。ターンインはアンダーで、立ち上がりはオーバーステア。奥がきつくなるコーナーは、基本的に苦手さ。
そもそもサーキット専用じゃないなら、これ位がベストだよ。それに、これ以上固いと首都高のギャップはクリアできないね」
岩崎のアドバイスは的確で、美世は思わず耳を傾ける。
「R33とR34の大きな違いは、ホイールベースとボディ剛性だね。
R34の方が、ホイールベースが短くてボディ剛性は高い分、キビキビ動く。反面、限界域が高くて、セッティングが決まらないと乗りにくいんだ」
「そうなんですね。あたしは、R34に乗った事無いからなぁ……」
「俺もR33は、ショップのデモカーを、タイムアタックで乗った位さ。
実際、R33GT-Rは失敗作何て言う奴がいるけど、それは乗った事の無い奴が、得意顔で言ってるだけ。
R33にはR33の良さがある。高速域のスタビリティと空力なんかは、良く言われるし。
何よりも、ロングホイールベースとワイドトレッドのお蔭で、限界域の特性がマイルドで乗りやすいんだ」
「岩崎さんも、やっぱりGT-Rが好きなんですね」
「もちろん。そろそろ、R35も欲しいけど……」
「……あれは、高いですもんね」
GT-Rオーナー同士で、談義に花が咲いていた。
「足も煮詰まってるけど、それ以上にエンジンが良いね。
RB26は、簡単にパワーを上げられる。だけど、相当にセッティングを煮詰めないと、このアクセルのツキの良さは得られない。
アクセルを入れた瞬間に、ブーストが立ち上がる。コンピューターのセッティングもだけど、パーツ選びも良い目利きだよ」
「そこまで誉められるのは……恐縮です」
「……このGT-R、売ってくれない?」
「それは無理です」
岩崎の交渉は、即座に決裂していた。
軽く30分程度流して、再びファクトリーFUJIへ帰還。岩崎のインプレッションは終了した。
運転席から、岩崎が降りて一言。
「無事に戻りました。車も無事です」
(縁起でも無い事を言わないで下さい……)
助手席からおりて、美世は心の中で突っ込んだ。
「おう。どうだったよ?」
藤巻は、運転席を降りた岩崎に訊ねた。
「凄く良くできてますよ。レスポンスも良いし、足も良い感じに仕上がってますね。ストリートチューンのお手本って感じです」
岩崎は、美世のR33を絶賛した。
「……ほー。お前さんにそこまで言わせるか」
藤巻は、豊齢線が更に深くなるほど、ほくそ笑んだ。
「……?」
意味深な笑みに、美世は何かを感じた。
「……藤巻さん。アレは、まだ有りますよね?」
岩崎は、藤巻にそう聞く。
「当然だろ。ガレージの奥で眠ってる」
藤巻に案内され、ファクトリーFUJIの奥へと進む。
使われなくなったレーシングカーのフレームや、ばらされたエンジンの部品、大小様々な工具等。
物は多いが、きっちり整理して置かれているのが、美世には印象的だった。
そして、ガレージの一番奥へ辿り着く。窓は無く、日差しは入らない
藤巻は、蛍光灯のスイッチを入れる。
「……こいつだ」
人工的な光が照らしているのは、シートの被せられた車両。
藤巻と岩崎の二人掛かりで、埃にまみれたシートをめくり上げる。
「これ……」
美世は、食い入るように、それを見つめた。
ベイサイドブルーのBNR34スカイラインGT-R。
(……感じる)
ボディは埃を被り、バンパーの塗装は剥げていた。色あせたステッカーが、年月の流れを感じさせる。
(このGT-Rは……半端じゃない)
しかし、ホンモノのマシンだけが放つオーラは、現役のトップランナーのマシンと比べても遜色がない。
「……すごい」
それを感じた時、美世は自然と言葉を出していた。
首都高の不敗神話を打ち立てた伝説のマシンは、ガレージの片隅で長い眠りについていたのだ。
「……解るかい?」
岩崎は、そう聞いた。
「はい……。この子は、紛れも無くホンモノです」
美世は、断言した。
「……原田さん。折り入って、頼みたい事があるんだ」
岩崎は、美世へ視線を向ける。
「……?」
美世は、自然と岩崎の方を向く。
そして、岩崎はR34のAピラーに、そっと手を乗せた。
「君の手で、このGT-Rをオーバーホールして欲しい」
岩崎は、ジッと美世を見つめた。
「……あたしの手で、ですか?」
美世は、自分が指名された事を、疑わずにいられなかった。
「ああ。代金は、当然払うさ」
「いえ……お金の問題じゃ無いんです」
「……?」
「確かに、あたしを指名して貰えるのはありがたい話ですけど……。
藤巻さんの組んだマシンですし。何よりも、GT-Rを得意にしているチューナーは、他にも沢山いるんです。藤巻さんだってそうですよ?
何故、あたしなんですか?」
美世は、疑問を岩崎にぶつけた。
「……なんでだろうね。解らない。
だけどさ……」
ワンテンポ置いて、岩崎は言った。
「君じゃ無ければ、ダメなんだ」
岩崎は、直感だけで美世を指名していた。
「……解りました。店主にやらせて貰えるか、聞いてみます」
引き締まった顔つきを見せて、美世は答えた。
藤巻は、ふぅと息を吐き出してから、口を開く。
「こいつは、何年も動いてない。バッテリーは死んでるし、オイルは腐ってる。電装系は特にダメだろうな。
引き取りに来るなら、積車を貸してやるよ。話がまとまったら、電話してくれ」
「ありがとうございます」
美世は、藤巻に頭を下げた。
原田美世ちゃん、誕生日おめでとう!!