元姫は異世界で娼婦をしています 作:花見月
・捏造設定が更に色々
「姐さん、帰ってきてるんですかー? 帰ってきたなら、声かけてくださいよー」
ノック音の後に響いたのは、シャーレの気の抜けた声だった。
恐らく、部屋の物音や声に気がついて、起き出してきたようだ。
「うーん。やっぱり、鍵はかかってるよねえ? 魔術師組合の仕事って言ってたし……気のせいかなあ」
確認のためにシャーレはガチャガチャとノブを回すが開く気配はない。
基本的に廊下を通らずに出入りできるこの扉は、仕事のお楽しみ中やアメリールがいない時間は、魔法で鍵をかけられているためにシャーレには開けることはできない。
開鍵のためのキーになっているのは、鍵をかけた本人であるアメリールからの入室許可である。
アメリールは寝台の上のブレインを見やり――その後扉を見て、ため息を一つ。
扉に身体を向けたまま、ブレインから見えないようにアイテムボックスから、無色透明な水のような液体の入った、繊細なデザインのガラス瓶を取り出した。
それは、下級状態異常正常化ポーションという。ユグドラシル時代であれば、毒や睡眠、混乱、狂騒状態など複数の状態異常を治療する薬だ。
もちろん、一部の上級毒や精神支配、超位等の魔法、ワールドアイテム産の物については治療効果が現れないし、戦闘時に使用することはできないという平時専用のアイテムである。その上、下級と名がつくのに非常に高価な消耗品で、調合するには希少な鉱物素材がいくつも必要という大変難儀な代物であった。それでも治療のできる職業持ちがいない際には重宝されるアイテムであったため、姫の彼女には大量に貢がれていたのである。
アメリールにとっては、もう使う必要性を感じないアイテムであり、アイテムボックスの片隅にスタックされたまま忘れかけていたものだ。
だから、その希少価値に躊躇すること無くポーションの蓋を無造作にあけると、寝台に近づいて力任せでリネンを勢い良く剥ぎ取って、その影にいたブレインに向けて中身をぶちまけた。
突然のことに反応が遅れたブレインは、かなり情けない悲鳴を上げる。
それは普段の彼なら絶対にありえないことなのだが、アメリールはそんなことは知るよしもない。
「ちょ!? やだ、やっぱり誰かいるうぅぅぅ!?」
慌てたのは、扉の向こう側から男の悲鳴を聞いたシャーレである。
魔術師組合に出かけたまま帰室していないはずのアメリールの部屋で、何らかのデキゴトが起きているのだ。慌てないほうがおかしいというものである。
「あー……」
まあ、そうなるよね? と心の中でアメリールは呟きながら扉を見やる。
「シャーレ、入っていいわ。帰ってきたの知らせてなかったわね」
入室許可をし、魔法の鍵を解除するとともに声をかける。
「え。あ、姐さん!? え?」
館内に続く方の扉に向かおうとしていたシャーレはその言葉で動作を止めた。
「帰ってたなら何で返事してくれないんですかぁっ!! また変ナノが来たのかとすっごく、すっごく! 怖かったじゃないですかっ!!」
涙声でわめきながら、扉を荒く開けて入ってきたシャーレは、室内の状況に再度動きを止めた。
ベッドカバーのリネンと空のガラス瓶を手にして、若干乱れた髪とドレスのまま立っているアメリール。
そのアメリールの寝台の上で、細長いこの辺りではあまり見かけない剣を右手に抱えた――全裸で、その股間のモノを隠そうともせずに呆然としている無精髭込みで薄汚い男、ブレイン。
寝台の上は事後のようにみだれ濡れ、足元の服の塊も絨毯も渇いた泥で汚れ、かなり酷いことになっていた。
「えっと。これって……どういう、状況……です?」
少なくとも何かのプレイ中というわけでもなさそうだし、ベッドの上の男は金を持っているように見えないから、絶対に客ではないな、と把握するのがシャーレにはやっとの事だった。
* * *
「……悪かった。恩人に対する態度じゃなかった」
「落ち着いたようで何よりよ」
私は思わずそう呟いた。
下級状態異常正常化ポーションは本当に良い仕事をしてくれた。あれだけ怯えてどうにもならなかったこの男を平静状態に戻し、どうしてそうなってしまったのかという簡単な経緯と、本人の名前を聞けたのだから。
男の名前はブレイン・アングラウス。
ざっくりした説明によれば、己の剣の腕に絶対の自信を持っていたらしいのだが、それを私のようなドレスを着た令嬢……のような化物、シャルティア・ブラッドフォールンに粉々に砕かれたのだとか。
十中八九、そのシャルティアという化物は例の漆黒の英雄達に討伐された吸血鬼だろうなと、話を聞きながら思う。
現在、私とブレインは風呂場にいたりする。
別に風呂に入っているわけではない。シャーレに惨状でしかない部屋の清掃を頼んだせいで、居場所が無くなったからだ。だから、私は薄汚れたドレス姿のままだし、ブレインは左手に刀、腰に布を巻きつけただけという、割と情けない格好でバスタブの縁に腰掛けていたりする。
私の背後の扉の向こうでは、いつものBGMよりも酷い彼女の怒りとも取れる愚痴が聞こえていた。
「だが、助けてもらって言うことじゃないが……どうして、俺を見捨てておいてくれなかったんだ?」
「知り合いに似ていたから、ほっとけなかったのよね」
思わず遠い目になった。流石に昔の男に瓜二つだったからとは言えない。それは外見以外似ている要素を今のところ感じられないあの人に対して失礼だ。
「生き恥を晒しているより、あのまま野垂れ死んだ方がマシだったのに」
「……それは遠回しに殺してくれって言ってるのかしら? それなら、その化物から逃げなければ良かったでしょう」
「お前に何がわかる? 恐怖と焦燥感で逃げたが……今までの努力が、鍛錬が……全部、全て!! 無駄だと否定されて踏みつけられて、信じていたことが全て幻のように消えたんだぞ!?」
死にたくないから逃げたのに、それで死にたくなるとかバカバカしいにも程がある。
「だから、何? プライドと意識だけは高くて御立派ね。自信と信念を打ち砕かれたから、生きてる価値が無いとでも言いたいの?」
私は、そこまで言うとアイテムボックスから細身のオリハルコン製のダガーを取り出し、流れるようにブレインをバスタブの中へと押し倒して、首元に突きつけた。
私の動きを追えなかったのか、ブレインは頭を浴槽にぶつけたようだが、そんなことは知ったことではない。そもそもそれくらいじゃ、この男は死なないだろう。
「折角、手間を掛けて助けた命を無駄にしないでほしいわね」
私が人間であったころのように、全てにおいて企業に支配され、選択肢など全く無い世界でもない。
その気になれば、どんな生き方だって選べるではないか。
話から察したほどの強さがあるのなら、ここで困ることなど殆ど無いはずで、他に進む道だってある。
それにそれだけ強い相手から逃げられたのだから、それを糧にして、死ぬ気でもっと剣の腕を磨くという選択肢だってある。
「その化物から逃げおおせられたのなら、死線を超えた天運はまだ残っているのでしょう。強さを渇望する割には、諦めが早過ぎるわ」
「お前、魔法詠唱者じゃ……!?」
森からここに魔法で運んだことは話してあるから、私が魔法詠唱者であることは知っている。
「そうよ? しかも、娼婦のそんな私に負けるのよ」
「どんな力をしてるんだ?! クソッ、おい、放せ!」
もがいてブレインは起き上がろうとしているが、それを私は力尽くで止める。
人化して多少弱体化しているとはいえ、カンストプレイヤーの力にかなうわけがない。
「いらない命なら、私に寄越しなさい。強さが欲しいというなら、私が鍛えてあげるわ」
淡々と私は言葉をこぼす。
たかが人間が。つまらないプライドで、私の手間を無駄にするなんて許せない。
あの人と同じ顔で弱音など吐くな。ヘタレた姿など見せるな!
「それに貴方は私が拾ったのよ? 生死の選択権は私にあるの。おわかりかしら?」
冷ややかな視線で彼を見ながら、私はニヤリと笑った。
「――――うん、アレはないわ」
思考の海から戻った私の口から出たのはこの言葉である。
「どうしたんですか、姐さん?」
シャーレが不思議そうに私を見つめてきたので、手を振ってなんでもないと伝える。
嫌だっておかしいだろ、あの時の私も。拾ったから私のものとか。
どんな真夜中テンション? 自分でも別人みたいで怖いんですけど。
勢いで鍛えるとか言ってたけど、結局のところ、実際に剣はまだ交わしていないし。娼婦の仕事してるから、暇を見てそのうち……ってことにしたけど、なんとも……。
まあ、あのダガー突き付けの後に、なんでその腕を持っているのに娼婦をやってるのかって、質問攻めにされたから『趣味と実益』の一言で叩ききったけど。
娼館においておくために、女将さんと交渉して、護衛の一人として組み込んで貰う羽目になったし。
「なあ、暇なら軽く手合わせしてくれよ。そういう約束だろう?」
「ここは狭いから、駄目よ。下手すると洗濯物を台無しにするもの。そのうち嫌ってほど相手してあげるから、もう少し待ちなさい」
ブレインは不満そうにするものの、私が意見を曲げることがないのをここしばらくで理解したらしく、素直に自主鍛錬に戻った。
近いうちに、この館を私が辞めることは話してあるから、辞めた時に一緒に冒険者登録でもして路銀稼ぎつつ、パワーレベリングでもすれば約束は果たせると思いたい。鍛えるとは言ったものの、レベリングくらいしか方法が思いつかないし。
前にも言ったけど、私は近接戦闘できるクラスも持っている。姫であったから、それをしっかり使用し始めたのは、この世界に来て50年近く立った頃だったけど。
あのオリハルコン製のダガーは、そのころの思い出の品物だからあまり使いたくはない。だから、何か適当な短剣を買うか魔法で作ればいいか。
そういえば、シャーレには私がここを辞めることは話していない。
彼女は、どうするのだろうか。
残りの金額はまだあるけれど、今まで迷惑もかけていたし、本人の好きにさせてあげた方がいいかな。
問題は、いつその話を切り出すかだけど。タイミングを間違うと面倒そうね。
そんなことをブレインに胡乱げな視線を浴びせているシャーレを見ながら考えた。
「こんな所にいたのね! ねえシャーレ、女将さんが呼んでるってアメリー姐さんに……って、何よ本人もいるじゃない」
ん?
背後から声をかけられ振り向けば、シャーレと同じお仕着せを着た、女将さん直属の小間使いの女性が洗濯物の影から現れた。
確か女将さんいわく、元娼婦上がりだけど、気が回ってよく働くし使い勝手が良いから、そばに置いているって言ってたっけ。
「私を女将さんが呼んでるの?」
「あ、はい。何か面倒くさい仕事が冒険者組合長のアインザックから来たらしくて……ちょっと、相談したいって言ってました」
「冒険者組合長から……? 何かしら」
冒険者組合長直々とか、一体なんだろう。
私冒険者じゃないし……娼館に仕事って言ったら、高級娼婦としての仕事よね。
「とりあえず、手が開いてるんでしたら女将さんのところに行って貰えます? 詳しくは私も知らないので」
「わかったわ。わざわざありがとう」
ペコリと私にお辞儀すると、彼女は忙しそうに早歩きで館の方へと戻っていった。
「冒険者組合長からのお仕事ですかっ!」
お金に目ざといシャーレの眼が輝く。
「らしいけど、面倒くさいって付いてるよ? 何か訳ありっぽい」
「冒険者といえば、ほら漆黒の英雄とか美姫とか……彼等を囲い込む宴でもやるんじゃないですか?」
「それなら、なるべく出たくないなあ……」
プレイヤー疑惑濃厚どころか確実すぎて、会うことを躊躇せざるを得ない。
「俺は会ってみたいけどな。あの化物倒したのそいつ等なんだろう?」
「そうらしいわよ。とりあえず呼ばれてることだし、女将さんの所に行ってくるわ」
ブレインが興味深そうに私達の会話に混ざってくるが時間もないので会話を打ち切り、踵を返して館へ戻るために歩き始める。
「あ、姐さんまた置いてかないで下さいよーっ!」
背後から追いかけてくるシャーレの声を聞きながら、私は今後のことに思いを馳せていた。