Over the lights・Under the moon(なのはと型月クロス・改訂版)   作:くおん(出張版)

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回想/1

 

 

 

 

 

 回想/1

 

 

 

 

「――凛」

 と士郎は何処かためらい勝ちに口にした。

 彼女を名前で呼ぶようになってもう一年たつが、未だに慣れない。というか、慣れたくないと心の何処かで思ったりもしていた。彼の元同級生であり、師であり、恋人でもある遠坂凛の名前を呼び捨てにしている者というと、まず最初に彼が思い出すのは彼女のサーヴァントであった。

 だから、その響きがあいつと似ないように声に出すように、士郎は苦心している。

 なのに気を抜いたら。

「何よ士郎、アーチャーみたいに」

「いや、ごめん」

 不機嫌に言われて、士郎はすぐに頭を下げた。

 凛は何処か呆れた口調で。

「謝ることじゃないでしょ。ていうか、何か聞きたいことがあったんじゃないの?」

「ああ」

 士郎は頷く。

 手は分解した銃の整備をしていた。構造解析の賜物なのか日頃の訓練の成果なのか、よそ事をしながらもその動きには淀みはない。凛の視線はちらちらとそこに向けられていたが、やがて彼女は小さく息を吐き、「なんなの?」と士郎の言葉の続きを促した。

「作戦の最終チェックをしたい」

「ん……」

 凛は士郎に言われて、少し思案する。

「正直、時間ないんだけどね」

「事前の打ち合わせをきちんとしておかないと、何処でどういう失敗をするか解らないだろう」

「まあ、そうなんだけど……実際のところ、私もそうしたいところではあるけれど――」

 時間がせっついているのだと、凛は重ねて言った。

 二人がいるのは、日本の中部地方のある都市である。街、という方が適当かもしれない。小規模で、産業も対して発達していない。彼ら二人の出身地である冬木市に比べても、田舎と言ってよかった。

「依頼があったのは一ヶ月前で、場所を特定するのに三週間――後は、ずーっと昨日までここらの管理をしている退魔組織との折衝に時間とられちゃったもの」

「ああ……」

 そのあたりの愚痴は、ずっと聞かされていた。

 日本での魔術師の立場というのは微妙なものがあったりする。この国には古くから魔のモノと血を交えて力をつけた〝混血〟の一族と、そのような魔を討伐することを目的にその牙を磨いてきた退魔の組織があり、お互いがお互いを監視しあうように対立し続けていた。結果として生じた「冷たい平和」は、しかし微妙な力関係で成立しているものであり――比較的新しく外来としてやってきていた魔術師たちは、それこそ難しい立場なのだった。

(愚痴を言い出せばきりがないからな……協会が日本で霊地を確保するためにどんだけ無茶やったか、とか)

 さすがに、そこまでこの遠坂凛という少女が言及することはほとんどないが。

「――時間がないのよ。どういう偶然なんだか、そういう星のめぐり合わせなのかしらないけど、今日の、恐らく三時が標的の魔力が最も高まる時刻だわ。その時までにどうにかしないといけないのに、こっちは戦力は私と士郎の二人だけ。装備はなんとか揃えたけどね。あんまり使いたくないけど、切り札も用意したし――それでも、万全とは言いがたいけど」

「今からでも、時計塔や退魔の連中に協力を要請できないのか?」

 できないんだろうな――ということは士郎にも解っていた。

 だが、あえて聞いた。

 自分の考えるようなことはたいがい凛がやっているだろうと思っていたが。

「駄目なのよ」

 凛は静かに頭を振った。

「時計塔とかの魔術師が新たにこの国に入るとなればまた色々と悶着が起こる可能性があるわ。退魔は元々、私ら魔術師に対しては非協力的だしね。それに、これはアンタには言わないでおこうかと思っていたんだけど。――わりと近いところで、ちょっと霊的な問題が起きたらしいのよ。今はその後始末でこの辺りの退魔が総出で頑張ってるそうよ」

「それは」

 なんで俺に言わなかったんだ、と立ち上がろうとして腰を浮かし、すぐに座り直す。自分の性格を考えた上での凛の判断なのだろう。

 もしも自分がそのことを聞いていたのなら、そちらのことが気になっていたかもしれない。

 もしも自分がその場にいけたのなら、もっと人を救えているのかもしれない――そう考えるのがやめられないのだ。

(にしても、なんだ? 霊的な問題ってのは……)

 そのことの詳細については凛も知らないらしく、「なんか純度の低い真祖が出たとかなんとか、地脈が意図して歪められていたとかどーとか」と適当なことを言っていた。

「もう大本は絶ったらしいけど、相当に厄介なことらしいわ。正直、交渉が成ったというよりも今回のことについては『意地悪する余裕がなくなったから勝手にそっちで始末をつけてくれ』ってことだから」

「……………」

 士郎は憮然とした。

 よくある話だった。彼らとて元々は人々のために退魔を生業としていただろうに。いつの間にか組織として体裁が整えられたときにはその初期の志などは失われている。組織の面子、勢力の拡張……そのために本来守る人たちを巻き込んで、見殺しにさえする。よくある話だ。だが、士郎はそれが許せないと思った。衛宮士郎にはそれは到底許せることではなかった。

 凛にはその様子が把握できているらしい。

 腰に手を当ててから溜め息を吐き。

「落ち着きなさい。退魔組織だって、被害が明確ならばちゃんと手を打ってるわよ。今回の標的はそこらが巧妙だったから、面倒な事態になってたんじゃない。まだ、何もしていないと言ってもいいのよ」

「ああ」

 

「奴らが何かするのは、今晩からだわ」

 

 士郎の銃が組みあがった。

 イスラエル製の大口径自動拳銃、デザートイーグル。

 現在、市販されているハンドガンの中では最高威力を誇っている。

 当然、そんな銃だろうとも、それなりの魔術的な処置をしていなければ魔性の類には通じない。弾頭には呪いの言葉が刻まれ、銃身に仕込まれた擬似魔術回路によって射出された時、射撃そのものが一種の魔術となる。それだけではない。弾丸には魔術によって加工された水銀を仕込み、着弾と同時に生体に対して致命的な効果を発揮できるようにしてある。結果として生じる殺傷力はランクにしてBかそれ以上に達する――はずである。理論上は。

 不確かなものを実戦で使うのは、あまりほめられた行為ではない。むしろ、データを得るためにと時計塔のある魔術師から士郎に貸し出されたものだった。

 魔術師がいかな理由があって近代科学の産物たるハンドガンを魔術的な改良を施したのか――ということは考えても仕方がない。誰にも理由はあるのだ。

 士郎としてはあまり気乗りがしなかった。そもそもからして、彼はこの手の殺傷力を追求された武器は好まない。弓で射て剣で斬るという戦闘スタイルを用いているが、それでもまだ手加減は効く。拳銃なら足を撃ち抜くなどで済ませられるが、前述したとおりにこの銃と弾丸は相手を殺す、あるいは滅ぼすことに専念して作り上げられていた。使えば、相手がよほどの非常識でない限りは殺してしまう。一応は貸し出されてから戦闘のたびに持ち出してはいるが、今回のように使用を前提として携帯するのは初めてだった。

 凛は士郎の手の中の銃を、無理に感情を押しつぶした目で眺めながら。

「持っていくのね」

「ああ」

 士郎は答える。

「投影の回数を、できるだけ節約したい」

「そうね。何が起きるか解らないから……私も、できる限りのことはしてくるつもりでアレまで持ってきたけど」

「使うのか?」

「――まさか!」

 それこそ忌々しげに彼女は肩をすくめて見せた。

「何の気まぐれをおこして持ってきたんだか……自分で自分をとことん問い詰めたい気分よ。まあ、簡易封印だから、抜け出そうと思ったらすぐ抜け出せるんでしょうけどね」

「でも、でてこないんだな」

「『せっかくですが、こういうシリアスは私の好むところではないのでー』だって。圧し折りたくなったけど、掴んだら負けだもの。そのまま聖骸布で包んで縛ってきたわよ」

「なるほど……」

 そんな会話をしてから、二人は最終チェックを済ませ、ホテルを出た。

 できるだけ魔力は温存したかったので、レンタルした車での移動ということになった。燃料を満タンにして戻さないといけないなんて、なんてせこいのかしらと凛はぼやいていたが、目的地にたどり着いた頃には言葉も少なくなった。

 

 二人の行く先には、外道の魔術師がいるのだ。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 かつて、冬木の地に聖杯戦争という儀式があった。

 

 それは七人の選ばれた魔術師が、七人のサーヴァントを召喚し、戦い――その勝者が万能の願望機である聖杯を得られるというものだ。厳密には、聖杯戦争というのは聖杯を巡る闘争全般をさしており、冬木のそれはその中でも特異な部類に入る。特に戦いの道具として召喚されて使役される使い魔、サーヴァントは、天秤の担い手たる英霊と呼ばれる存在たちだった。

 本来、人の手にあまる存在である英霊を召喚するというのがすでに奇跡の部類であり、その英霊たちを戦わせるなどというのは、最早神話の彼方の事象と呼ぶに足る。

 衛宮士郎がその戦いに巻き込まれ、戦い抜いたのは二年前のことだ。

 聖杯戦争の結末がどのようなものであったのかは、ここで語ることではない。

 ただ、士郎はその戦いの中で自分の理想の在り方、自分の生き方について様々なことを知ることとなった。

「正義の味方」

 それが彼の理想であった。

 それは自分を救ってくれた義父の望みでもあり、彼の生き方を縛る呪いともなっていたが――だけど、全てを助けたいと願うその想いは決して間違いではないという確信を、士郎は得ることができた。自分の進み道を、士郎は得ることができた。

 ならば、後はそれに向かって進むだけだ。

 幸いにも、彼を導いてくれる人間はいた。

 それが、彼と同じく魔術師であり、聖杯戦争の始まりの御三家の一つである遠坂家の当主である遠坂凛である。

 彼女の鮮烈さに、士郎は聖杯戦争以前から憧れていた。その魂の在り方、精神の強さに、聖杯戦争以降の士郎は魅せられた。

 

 そして、士郎は凛の恋人となり、凛は士郎の師となった。

 

 聖杯戦争から一年の時をおいて、二人は冬木から旅立ち、倫敦へと向かう。

 そこは魔術師たちの集う場所であり、凛と士郎はそこで魔術を学ぶためにふるさとである日本を巣立ったのである。

 それからさらに一年を経て、二人は日本へと戻っていた。

 

 ただの里帰りではない。

 

 二人は使命を帯びていたのだった。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「ここから先は、車では無理だな」

「みたいね」

 目的地である町についた時には、日付が変わっていた。

 予測では三時に儀式が開始されるはずであるが、安心はできない。魔力が足りなければ他から持ってくることを魔術師ならば選択するはずで、そのために外道が最初にどういうことをするのかを、二人は知悉している。いや、彼らの思う選択肢を選ぶがゆえに外道というのだろう。

 二人は念のために、その城の周辺を車で回った。

 そう。

 

 城なのである。

 

 一般に日本で城というと、天守閣のある熊本城などを想起するだろうが、この城はそのような派手なものはない。お堀に囲まれて城郭を形成されてはいるが、せいぜいが三階建て程度のものでしかない。それでも敷地は広く、面積は五万坪程度はある。今の持ち主が手放したのならは公園として解放されるものだといわれている。

 

 持ち主――つまり、この城には所有者がいるのだった。

 

「ほとんど、うちの先祖と同時期に宝石翁の弟子入りしたそうよ」

 と遠坂凛は言う。

 それはすでに資料から少しは知っていたことではあるが、士郎は黙って頷いた。

「うちもそこそこの家格の武士だったそうだけど、こことはさすがに桁が違うわ。れっきとした大名家だものね。うちの先祖は無の境地から〝根源〟に到ろうとしたらしいけど、あるいは同じ流派を修めていたのかしら」

「殿様の剣術ってお座敷剣術ってイメージがあるけどな」

「そういうのが大半だったと思うけど、実際には結構武術を修めて免許皆伝を得ていた殿様はいたそうよ。それもどの程度とかは知らないけど。ここの殿様は、かなりやる方だったんでしょうね」

 二人は車から降りると、二人並んで歩き出す。

「旧華族の家柄でお金もあるし、商売もかなり成功させてたって話だわ――先々代までの話だけどね」

 貿易商として財を成した先々代が引退してから、先代は商売を縮小させて、資産の運営を金融で投資することにしたのだという。より魔術師としてその力を磨くことにしたのだろう、というのが凛の推測である。商売にしろ学業にしろ、余計な時間を食うということには変わりない。魔術だけを修行できるのならばそれに越したことはないのだ。丁度、先代が家督を継いだころに金融関係でオンラインでの資産運営などが始まった。ある程度の資産があるのならば、投資信託などに分散して委任すればローリスクでほどほどに儲けられるはずだった。ほどほどとは言っても、十年を堅実にやっていると大した額となる。

「先代は投資でそれまでの財をそれこそ数倍にもしたっていうわ。今の時代、世界の大金持ちの大半は金融関係者だもの。貿易商をちまちましているよりか、ずーっと割りはよかったんでしょうけど」

「リスクもでかいか」

 士郎の言葉に、凛は溜め息で相槌を打つ。

 それなりのリスクの分散などはしていたのだろうが、基本的に投機というのは博打であり、博打というのは完全にリスクがないということはありえない。

 また時代も変わりつつあった。あまりにも肥大化した市場では流動する金の額が激増したが、それは同時に市場でのリスクに歯止めをかけるためのセーフティが効き難くなるということを意味していた。どれほどの安全弁を配していたとしても、一旦加速のついた激流は生半なことでは止まらないのだ。それが実体をもっていないオンライン上の架空の金であるのならなおさらであった。

 そして――金融危機。

「相当、財産は目減りしたそうよ」

 凛はアゾット剣を取り出した。

 江戸時代のそれを復元されたという木製の門の前に立ち、ドイツ語で何かの呪文を呟き、集中する。

「開錠」

 声と共に、無音で正門の扉が開いた。

 魔術によるロック――だが、時計塔で主席をとった彼女にはそう大した障害にはならなかったようだ。

 凛が進もうとするとするより先に、士郎がするりとその前に体を滑らせて門内を見渡す。

「罠の一つもあるかと思っていたが、ここから見た限りではないな」

「仮にも魔術師の城よ。ちょっと見ただけで解るような防御機構じゃないんでしょ」

「ああ」

 魔術師の家に敵対する者が足を踏み入れるということが何を意味するのか、魔術師ならば誰でも知っている。慎重になりすぎるということはないはずだった。

 だが、二人の赤い魔術師は真正面から自分たちを隠そうともせずに侵入した。

 時間がない――ということもあるが、この二人には自信と力と、何よりも信頼があった。

「トレース・オン」

 門の内側に入ってから跪き、地面に手をつけて呪文を唱えた士郎は、目を細めて相棒を振り返る。

「さすがに解析できたのは、門内から堀に続く橋までだった」

「そう」

 そんなに距離はない。

 アーチ型の長さ十メートル、幅五メートルほどの石橋は五十メートルも歩けば見える。

「魔術がかかったものはあるが、ここらにはそんな大したものはない。ただ、橋から向こうは見えなかった。直接解析したらまた別だろうが……」

「そんなもんでしょうね」

 歩き出した二人は、ゆっくりと、しかし淀みなくその橋に向かっていた。

 凛は門の前での話を続けた。

「それで、資産が激減して、城の維持費もままならなくなったらしいわ」

「世知辛い話だな。この規模なら、税金もかなりかかるだろうし大変だとは思うが」

 固有資産税だのなんだのと大変なことになりそうだということは、彼にだって想像はついた。

「それまでは、時計塔から教授クラスの魔術師を招いて年間拘束できるくらいのお大尽ぶりだったっていう話よ。今でも金持ちな方ではあるけど、城を維持しようと思ったら余計にお金がかかってそれどころではないし」

「…………」

「お城を手放せばなんとかなるんでしょうけど、この城、明治からこっち魔術的に改造を続けているから、とても一般解放なんかできる代物じゃないものねー。工房もあるし」

 仮に魔術やらを隠せたとしても、プライドが城の売却を許さなかっただろう。魔術師として本拠を捨て去るというのは許容しきれない事態であるのに違いない。

「それに悪いことは重なるもので、先代もつい何年か前に亡くなられたのよ」

「新聞で死亡記事を見た覚えがあるな」

「篤志家としても有名だったものね。実際、魔術師としてはどうだか解んないけど、人物としてはそこそこ立派だったらしいわ。城の維持と魔術のための資金以外のかなりが、見栄もあるんでしょうけど孤児院の運営とかそういうのに回されていたっていうし」

 勘ぐれば何かろくでもない実験をすることを考えて孤児院を経営していたのかもしれないが、今となっては解らないことだし、どうでもいいことではある。

 先代がどういう人物であったとしても、故人の名誉を傷つける真似を、この城の今の持ち主はしたのだから。

「まあ、相続税とかで、そーいうのも全部売り払ったらしいんだけど」

 実に世知辛い話だった。

 橋の手前まできてから、士郎は再び解析する。

「橋そのものには、特殊な魔術はかかってない――と思う。ただ、気脈の流れがここからの出入りになるのが気になるな……古い寺とか神社でもよくこういう感触にはなるんだが……」

 凛は顎に手を当ててから「風水ね」と答えた。

「城そのものが東洋の魔術思想によって設計させられているんでしょ。それ自体は珍しくないわ。多分、この辺りの魔力がここに集中するように造られている。――どうにかできる?」

 どうにか、という問いかけにはどれほどの意味が含まれているのか、士郎は聞き返しもせずに首を振る。

「キャスターあたりならなんとかなるんだろうが、俺ではどうにもならないな」

「そうね。私でも、それなりの儀式は必要になるわ。ごめん。つまんないこと聞いた」

 士郎は凛のその言葉に、むしろ静かに笑った。

「焦らなくてもいいぞ」

「焦ってなんか――ごめん。ちょっと焦ってた」

「時間がないからな」

 二人は同時に橋へと足を踏み出して、進んだ。

 そして。

 ――――――!

 渡り切った時、急激に違和感に襲われた。

 空気の匂いが変わった。大気の温度が変わった。月の光は変わらないままに昏くなった。踏みしめている大地の硬さが解らなくなった。触覚が身に着けている衣服を不快なものと判断した。視覚がここの景色を不快と判断した。嗅覚がここの匂いを吸い込みたくないと判断した。味覚が舌に触れる何もかもをはき捨てろと判断した。聴覚が吹き抜ける風の音を拒絶すべきだと判断した。服を脱ぎ捨てて目を潰して鼻孔に剣を突き刺して耳朶に指を埋め込んで舌を噛み切らねばならないと思った。

 ――ぱんっ

 と士郎の手が勢いよく打ち合わされて。

 凛は深く息を吸い、吐いた。

「ありがとう、士郎」

 いわれた士郎は頷き。

「今のは、幻術か何かか?」

「それっぽいけど、違うわね……それだったら抵抗力が低いあんたの方がもっと深くかかってたわよ。なんというか、今の感覚は幻術でもなんでもなく、ここでの常識なのよ。多分、この世界ではまともな人間ではそうするしかないんでしょうね」

 彼女の柳眉が歪められているのは、事態を把握しつつあるからだろう。

 一瞬とはいえ、遠坂凛の如き一流の魔術師が錯乱しかけたというこの事象は、この世の論理、常識にあらざる――まさに、異界のものによるのだと。

 世界の仕組みが異なっているのだと。

 それはあるひとつの事実を意味していた。

「異界常識……固有結界みたいだな」

 搾り出すようにそれを口にした士郎だが、それで自分が比較的に無事であったのだということについての理由も解った。彼の持つ精神(セカイ)が、この世界の侵食を許さなかったのだ。

 凛は不快げに口元を押さえながら周囲を見渡した。

「元より、結界というのは世界を区切って別の世界を作り出す法のことよ。紐でも石灰でもなんでも、線を引いて境界を作って閉じてしまえば、そこは結界となるのよ。そして、境界の内側はどんなものであれ異界であるとはいえるわ。民俗学とか人類学的な意味での話だけど」

「ただ、ここは……」

「迂闊だったわ。魔術師の工房は術者の作った結界にして異界。――まさか、城の内堀からこっち、全部が工房になっているだなんてね」

 それも、ここまでの異端の結界だとは……という呟きをもらす。

 魔術師の工房は現世から隔絶されているという意味において異界であり、そこは魔力の充実によってまさに異状である。士郎は師匠である凛の工房に出入りすることはあるが、それは彼が弟子であるからこそ可能なことであって、本来、工房とはそこの持ち主以外の者が出入りすることは難しいのである。それこそ、サーヴァントでもなければ。

 しかし、そんな工房をこの規模で展開するとなると相当な準備が必要になるし、そもそもあまり意味がない。

「規模もそうだが、仮に工房であるにしても、ここまでに異質な世界を形成するのは並大抵のことじゃないぞ」

「工房は術者の心象が反映されているという点で固有結界にも似ているけど、確かにそうね」

 見事なまでの異界だと、凛は重ねていった。

 異界とは字義のとおりに異なる世界だ。そこでは別の常識、別の論理で世界は成立している。場所が異なればルールが異なるというのは道理であるが、それでも隣接している世界ではそれほど差異はない。ここまでの異状となるからには、それこそ人の生存を許さないほどに荒廃した、よほどに離れた世界なのだろう。

「ほとんど『神殿』のレベルだわ……」

 凛の言葉は唸るようだった。

「地脈を集めたからって、キャスター並みのことをしでかすなんて」

「儀式の邪魔を防ぐためなのか?」

「そういうのもあるんでしょうけどね。それだけでもないとは思うわ。あるいは、儀式を成立させるための条件として、現世のままでは問題があるのかもしれない」

 それが果たしてどういう意味を持つのか。

 士郎はそれ以上聞かなかったし、凛もそれ以上いわなかった。

 足早に二人は駆け出した。 

 時間がないということが焦燥を生んだということもある。

 だが、それ以上にここにいたくない、どうにかしたいという気持ちがあった。

 ここは――この現世にあってしかるべき世界ではない。

 と。

「凛」

 士郎が鋭く名を呼ぶと。

「三番――」

 凛は懐からとりだした宝石を投擲した。

 それは、突如として現れた正面の道を塞いでいた門に叩きつけられ、爆散して門扉を吹き飛ばす。

 士郎は同時に凛の背中を守るように立ち、背後から襲撃してきた黒い影を黒白の剣で迎撃する。

 四人――いや、四体。

 顔のない人形を思わせる体型だった。四体ともが。黒い体は肌に密着した服を着ているのかとも思わせたが、そうでもないと一瞥でみてとれた。そのような色の体だ。艶のない、闇に溶け込む黒だった。

「士郎、ためらわないで」

 凛はアゾット剣でそいつらの一人の首を刎ね、返す連撃で四肢を切り飛ばした。常人には到底なしえぬ剣捌きは、中国武術の応用と魔術の強化によるものだ。赤い血飛沫が夜に散る。その中をさらに赤い彼女は踊るように跳んだ。舞うように切り裂いた。これほどの惨劇において、なお彼女は凛然として清冽ですらあった。

「解ってる」

 感情を押し殺した声で、衛宮士郎は答える。黒と白の刃は的確に襲撃者達の腕を断ち、脚を切り、胸の中央に突き刺さった。機械的ともいうべき精密で鋭利な仕事だ。そこに感情などはない。そこにあるのはただの冷然な眼差しだった。いかにして効率よくこれらを制圧するかのみを考える作業をこなすための思考だった。

「トレース、オン」

 干将・莫耶を投擲して二人目を打ち倒し、続いて投影した物干し竿――アサシン・佐々木小次郎の得物たる長大な刀を手に、凛と対峙する最後の一人の前に立ち、まっすぐに肩に担いだ構えから拝み撃ちにした。

 通常の剣術では担いでからの斬撃は速さに欠けるというが、魔術によって強化された肉体はそれを覆した。

 まっすぐ―― 一刀両断に、そいつの体は切り裂かれ、左右の二つに分かれた。

 残心をとってその死体を見ていた士郎であったが、やがて不快げに目を細めた。

「やっぱりね」

 凛もまた、それを見ていた。

 それの肉体には、内臓ともいうべき器官が何もなかった。いや、胸の中央にだけ、一つだけ、心臓の機能を果たしている何かがあった。それ以外はすべてが筋肉の塊ともいうべきものであり、消化器や肝臓のようなものはない。

「呼吸器すらもないなんて」

「短時間だけ動けばいいというだけの人形か……」

「外道は外道というだけで、やることは大差ないわね」

「ああ」

 外道の魔術師がやることなどは、だいたいにおいて決まっている。人の命を弄び、残された肉体を玩具にするのだ。二人が遭遇してきた者たちはたいていがそうであり、過去の記録を見てもだいたいそうだった。それがゆえに外道と呼ばれているのだといえる。元より、魔術師は己の目的のためには手段を選ばないものではある。それがゆえに魔道といわれるのだし、ヒトデナシである。ただ人を殺すだのというだけでは魔術協会は動かない。彼らも同じ穴の狢だからである。凛とても、必要があれば似たようなことをする。そう言っている。

 しかし、衛宮士郎はそう聞いていてもなお、遠坂凛を嫌うこともできない。それに、何処かでそんなことをしないと信じていた。いや、信じる信じない以前に、彼女は絶対にそんなことをしない。それはきっと、1+1が2になるような当たり前のことなのだ。

(そもそも効率的ではないしな)

 中世や近世ならまだしも、現在では魔術の実験に人の肉体を使うなどというのは流行らない。そのような派閥もないでもないが、わざわざ殺したりすると面倒であり、「業者」を介して入手しているのだという。その「業者」もたいがいが非合法ではあるが、わざわざ誰かを殺して死体にするというのはリスクが大きすぎる、らしい。良くも悪くも、現代社会の中に生きる魔術師たちは、社会というルールに最低限縛られている存在といえた。だから、彼らは人を殺すという程度のことではとやかく言わない。ただ、殺しすぎるということが問題なのだった。

(孤児院からいなくなった子供は、十五人……こいつらを何体作れた)

 あるいは、もっと別の手段で「材料」を集めてたのかもしれないし、別の目的があったのかもしれない。

「いくわよ」

「ああ」

 二人は駆け出し――

 

 五分とかからずに、その少女を見つけた。

 

 最初は、この城の中に迷い込んだのかとも思った。

 ありえないことである。

 ありえないことのはずなのに、そう思ってしまうくらいに、彼女は普通だった。

 夜道をおっかなびっくり歩いている女子高生にしか見えなかった。

(あれは)

 まずは髪型が士郎の目には何処か既視感を伴って見えた。隣に立つ恋人にして師匠が、学生時代にあんな髪型をしていた。左右に尻尾のように分けたツーテール。凛はもっと長めの髪だったが。その女子高生も似たような髪をしていた。何かを探しているのか、それとも怖がってるのか、周囲を見回しながらじゃりじゃりと足音を立てて歩いている。

 その少女の目が、二人を見た時に少し驚いたように見開かれた。

 

 ざわり

 

 と空気が震えた、ような気がした。

 警戒と緊張が大気を軋ませたのだということに気づくのに普段の倍はかかった。

「士郎、あの子――」

 凛が何を言おうとしたのか。

 次の瞬間、少女は両手を振った。

 そこには洗練と呼ぶべきものはない。

 力任せに、強引に振りぬかれた腕。そして、――爪。

 技もなければ術もない。

 腕にこめられた力と魔力をただただ強く振り、交差させた一撃。

 ――力と、魔力?

 完全に虚をつかれた形になった二人であったが、衝撃の刃は二人に届く前に、いや、二人に襲い掛かるのではなく、二人のすぐ傍にいつの間にかいた黒い何かを弾き飛ばしていた。

「もう――!」

 たん、と少女は地を蹴った。

 我慢の限界だ、とばかりに空に伸ばされた腕は、中空から襲撃していた影の首筋を掴んでいた。そして、そのまま力任せに叩きつける。

 着地し、さらに腕を振り、衝撃を飛ばし、さらには相手を掴んで壁に打ち込み、あるいは大地に落とした。

 ……気づいたときには、少女の周りに十数体もの黒い人形たちが墜ちていた。墜ちて死んでいた。

 時間にして二分とかかってはいまい。

 たった二分の、120秒にも満たない間に起きた、それを戦闘というべきか、否か。

 蹂躙と呼ぶにも足りる圧倒的な少女の力。

 二人は呆然とそれを見ていたが、やがて、戦いを終えた少女の目が自分たちに向けられた時、それぞれアゾット剣と物干し竿を構える。

 

 少女には技もなければ術もない。

 だから、その姿は士郎や凛たちと違って人形たちの飛散した血に濡れている。

 その姿のまま、何処か怯えたように二人を見ている。

 この少女の今の様子を見ては、例え非常識を見慣れている二人であっても、これらの虐殺ともいうべき戦果を挙げたということは信じられなかったに違いない。目の当たりにしなければ、いや、そうしていてなお、これが何かありえぬ舞台劇を見ているかのような気分になってくる。悪夢の再現であるかのような気がしてくる。

 あるいは、この異界ともいうべき場所では、無力な一般人であるほどに力を得ることが可能だとでもいうのだろうか。

(――馬鹿な)

 士郎は即座にその思考を放棄した。

 人形たちは全身が文字通りの筋肉の塊であり、侵入者を打ち砕くことのみを目的に作られた魔術の産物だ。ここがどのような場所であれ、その目的を果たすにふさわしい力が与えられている。士郎も凛も生半ならぬ体術を習得してはいるが、魔術による助力を得ていなければ一体を倒すことも難しかっただろう。

 それを、この少女は二分とかけずに十体以上を打ち倒したというのだ。

 魔力を使っていたとはいえ、人間に到底不可能なことであるに違いない。

 それはまさしく異状。

 それを成し得るのは異常。

 それを成し得るのは異能。

 それを成し得るのは――、異形。

 

 今この瞬間、この場所で最も強力な怪物である少女は、意を決したかのように言った。

 

「あ、あの……こんばんわ」

 

 月下の下。

 異界の中で。

 

 吸血鬼の少女と二人の魔術師は、そんな風に出会ったのである。

 

 

 

 

 つづく。

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