Over the lights・Under the moon(なのはと型月クロス・改訂版)   作:くおん(出張版)

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15/焔浄。

 

 

 

 その者は 叢雲(くも)を従者にやってくる

 

 その姿は 王のように気高く

 その瞳は 死のように冷たく

 

 その咆哮は

 

 ――――闇を切り裂く。

 

 

 ベルカ諸王讃歌 《夜の王》 より

 

 

 

 15/焔浄。

 

 

 

 ぞわり、と背筋が震えた。

 それが恐怖だということに、彼女は、インディ・マサラティは気づけなかった。

 何故ならば。

(見通せない………?)

 彼女の〈グラム・サイト〉で「観て」も、容易に見抜けない重層で重奏な術式の構築。巨大建築物の設計図とてもこんな複雑で大規模なものではあるまいと思えるほどの、大気に充ち満ちた咒紋の海。彼女にしかそれは「観え」ず、だが、それゆえに彼女以外の人間にはその強大で巨大な術式の深淵は理解できない――その彼女ですらも、その端緒に触れることがやっとであった。

 そう。

 インディ・マサラティは、彼女が〈グラム・サイト〉を身につけて以来、ほとんど初めて『解読できない術式』と遭遇したのだ。

 そして、それはまったく未知の方法をとっているというのではなく、圧倒的な情報量と複雑さからそうなってているのだと気づいた時、本能のレベルで彼女は脅威を感じた。

 人は、あまりにも圧倒的なものに出会った時に、理解し難い存在に接した時、恐怖を覚える。

 今までに彼女の人生において、そんなものはほとんどなかった。

 大魔導師の魔力の凄まじさ、管理局エースの術式構築の見事さに心打たれたことはある。

 だが、それらとても〈グラム・サイト〉の前ではなんとか把握できるものだった。対処できるかというのは別のことではあるが、それは彼女には理解できるものだったのだ。

 それが。

 この、目の前のこの術式は理解できなかった。

 圧倒さゆえに。

 複雑さゆえに。

 重厚さゆえに。

 見抜けない。

(落ち着け)

 とインディは自分に言い聞かせる。

 焦燥に蝕まれつつある心を、体内作用の術式を構築してなんとか整えていく。内力作用に長けたベルカ式のものだ。

(どれほどに複雑で強大な術だろうと、この結界内での発動を前提としているのなら、それほど巨大な作用をもたらせるもののはずがない)

 そう言い聞かせながら、果たしてこれが本当に試験なのか、ということを疑う声が内側からした。

 判然としない自分の記憶。

 撃ちぬかれた痕跡のあるBJ。

 かなり無理のある条件設定の試験。

 そして、目の前で変貌した―――――――

 と、彼女の耳に先ほど聞こえた言葉が蘇った。

(偽装術式?)

 確かに、聞こえた。

 それは迷彩防御か何かのことだと思っていたのだが。

(偽装? 何を偽装していたの? 何のために偽装していたの?)

 

 

 ―――すまんなあ……

 

 

 そして、あの言葉は。

 どういう意味が。

 あの人は、徐に口を開けた。

 

「〈グラム・サイト〉――厄介ではあるが、とりあえず全くの未知の術の構築も見抜けるかどうか」

 

 心なしか、口調までが変わっていたように思えた。

(まずい)

 今の、この圧倒的な魔導構築に気を取られていたが、そんなことに怯えているより先にすべきことがあるとインディはようやく気づいた。これが試験であれ、そうでないにしても、あの人を倒さなくてはいけない。それは今や義務ですらなく、彼女に課せられた使命であるようだった。

 ウイングロード、そして魔力放出スキルで一気に距離を詰めようとして。

 

「試してみようか――」

 

 ――ナウマク・サラバタタギャーテイビヤク・サラバボッケイビヤク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケン・ギャキ・ギャキ・サラバビギナン・ウン・タラタ・カン・マン

 

『〈蒐集行使〉 ――【不動明王火界呪】』 

 

「――――ッ!?」

 

 インディが驚愕したのは、それが突然出現したからであった。 

 いや、出現過程は「観え」ていた。

 あの人が両手を組み合わせて奇妙な形を作った瞬間、見たこともないような文字が浮かび上がり、それが巨大化したかと思うと青黒い色の巨人となったのだ。

(なんだこれは!?)

 召喚――いや、純粋魔力構築されたゴーレム――が、近い。

 彼女の〈グラム・サイト〉は一瞬でそれを見抜いていたが、その存在までの過程がまったくの未知なものであり、恐ろしく不自然なものであった。

 恐らくは本来この条件では術式が到底成立しないものであったのを、剛強な魔力と意志力でそれを捩じ伏せ、顕現させたのだ。

(こいつッ)

 巨人の全長は十数メートルほど。ゴーレムとしては巨大すぎるというほどのものではない。だが、その身より発する紅蓮の炎と、片手に持つ剣と、鞭のような細長い縄は要注意だった。剣は威力調節などしていないのは明らかであったし、縄は恐らく捕縛のために振るわれるものに違いない。だが、それらの武器よりも何よりも、異形めいてすらある怒りの形相の凄まじさがこそが彼女の心胆を寒からしめていた。睨まれるだけで震えが来る。それは、未知とかそういうものではない。今の彼女にとって、この巨人の存在こそが天敵とすら言えるほどの絶対的な脅威のようだった。

「一切不浄を浄化する不動の利剣――喰ろうて見るか!」

 声と共に、巨人は動いた。

 その巨体に見合わぬ速度で利剣を打ち振るい、まず最初にインディの進むウイングロードを断ち切り、返す太刀で下方から切り上げて彼女を狙う。

「―――くッ」

 それを咄嗟に両手をつきだして防御魔法を構築したインディであったが、三角のベルカ式魔方陣が利剣をたたきつけられた瞬間に「燃えた」のを見た時、さらに空を蹴り、転身する。

(対魔導攻撃――!?) 

 違う。

〈グラム・サイト〉は即座に答えを導き出していた。

 魔導構築を破壊したのではない。

(魔力構築そのものを「燃やす」――だなんてことは……通常の魔導ではありえない!)

 それをなし得るとしたら――

(上位概念の存在――『神』を召喚する術式か……!)

 ミッド人にとっての『神』とは、多くの場合は魔導構築に際して助力を与えてくれる形而上の概念存在を指す。

 儀式魔法のような大規模術式では、自然の諸力を司る『神』に接触することは当たり前に行われることだが、現在の魔導理論ではこの『神』は人間の意念が生み出したものであると解釈されている。人の認識が世界に働きかけ、『神』が存在するのだと。ただしこの手の概念領域に関係する魔導は、現在では儀式魔法のようなものでしか通常知られてはいない。古代ベルカ式の中でも、さらに古式のものに微かに伝わる程度のものだ。このことは大半の魔導師は知るまい。能力の特性上、古今の魔導を研究していたインディは知っていたが、それでも実際に見たのは初めてだ。  

 伝え聞くところによれば、この『神』、あるいは『魔神』を召喚する術式は確かにベルカ式にもミッド式にもかつては存在していたらしい。

 だが、それは想像するだに複雑で強大な規模の術式であったはずであり、こんな簡単に呼び出せたり操れたりするような類のものでは決してないはずだ。

 もしもそれを、ついさっきの推測どおりに魔力と意志力で成し得たのだとしたら――

 それは当人が『神』にも等しい強大な何かであるということではないか。

(だけど)

 もう一度、インディは右手を掲げた。

「〈クラウ・ソラス〉」

 この術式、この魔剣ならば――。

 真正面から叩きつけられた利剣を、魔剣を打ち振るい迎撃する。今度は、魔導構築は崩壊しなかった。激しい炎が生じたが、それは刃と刃を打合せた時に生じる火花のようなもの。魔力と法力の衝突が創りだした爆発であった。

(例え上位概念だろうと、ここまで収斂した魔導刃をも打ち消すことはできないはず……!)

 あるいは、あらゆる魔導を打ち破り、切り裂くという魔剣クラウ・ソラスという銘の概念が、この上位概念存在の干渉に対抗できているのかもしれない。

 だが、そんなことを考える余裕はなかった。

 空中で足場となる魔方陣を作り出し、跳躍を繰り返し、インディは利剣を回避し続けた。巨人の速さは見た目を裏切るものであったが、ここが路地裏の隙間であるということが彼女には有利に働いた。

(いける)

 上位概念存在は、多くの場合物理現象を超越して活動する。それは時に通常物理ならずとも魔導さえも干渉できない規模であることがあるというが、この巨人はそこまでデタラメな存在でもないようだった。防御魔法を「燃やす」などという理不尽は、しかし魔法の干渉を受ける存在であるということを自ら吐露しているようなものだ。本当に魔導の通じ無いレベルであるのならば、防御など透過しての攻撃すら可能になるだろう。

 つまるところは――

(あてれば勝てる)

 ということだ。

 インディは魔導の咒文を詠唱していた。

「汝、影の国より出でよ我が映し身――」

 そして。

 分裂した。

「ほう」

 巨人の後方に浮遊して眺めていたその人は、何処か感心したように呟いた。

「風の遍在――違うな。分身魔法は数あれど、〈グラム・サイト〉保持者の固有魔法だな。本来は見えないはずの別次元に存在する自分の影を召喚したのか。三次元ではせいぜいが維持できて二分というところだが」

 それで充分、なのだろう。

 一気に十数体に分裂したインディは、それぞれがそれぞれの方法で巨人に接近していった。ある者は飛行魔法で、ある者はウイングロードで、ある者は地を駆けて。

 その半分は一瞬にして利剣に切り裂かれたが、もう半分は右手の魔剣を巨人の体に突き立てることに成功した。

 しかしそれらは所詮は影だ。

 当人と同じ能力を持ちながらも決定的にこの次元においての干渉力が不足している。

 巨人は微かに動きを止めた程度だ。

「本命は?」

 その人は呟くと。

『上です』

 と応えが返った。

 その通り、遥か上空に跳躍していたインディの姿があった。

 

「光牙裂閃―――ッ!」

 

 光の刃が――伸びる――

 

 巨人の体を左右に分ける光が奔った。

 あらゆる防御を切り裂く魔剣の、その最大射程形態であった。

(勝った!)

 現世にあり得ざる上位概念を切り裂く、という快挙に、さしものインディも喜びを隠せなかったが。

「まだだ」

 との声がしたかと思うと、巨人が再起動した。真正面から切られ、現世に顕現していられる状態ではとてもないはずだったが、片方の手は動いた。あるいは、それはかろうじてという程度のものであったのかもしれない。だが、その挙動はインディにとっては致命的ですらあった。

 利剣とは別に片方の手に持たれていた縄――羂索が、飛行中のインディの体に絡みついた。

(熱い――)

 と思ったのも一瞬、彼女の体を浄化の炎が灼きつつ、巨人の手の動きのままに壁に叩きつけられてしまう。意識が飛びかけたが、かろうじてなんとか保てた。それでも急激な傷みと炎の熱さに集中が解けてしまった。ずるずると壁から滑り落ちるように地面に着地した。

 気づけば、目の前の巨人の姿は崩壊しつつあった。

 やはり、力任せの召喚による無理のある顕現であったのだろう。インディの魔剣の一撃で法身の構築が維持できなくなったのに違いない。利剣の持つ手が崩れ落ちると焔の塊になって、大地に横たわる何かに燃え移った。ゴミか何かだろう、と最初は彼女は思ったが。

 違っていた。

 なんで、みてしまったのだろうか。

 その時の彼女は思った。

 思ってから、さらに思った。

 

 

 なんで自分は気づかなかった―――。

 

 

 燃え移り、灼けているのは人間だった。鼻腔をつくのは肉の焼ける匂いだった。まだ新鮮な血の芳香。

 積み重なっていたのは、首を捻られ、あるいは腕や手足があらぬ方向へと寝じ曲がっていた屍体だった。

(これは……!)

 いかなる魔導をも「観る」ことができるはずの〈グラム・サイト〉であったはずが、路地裏の暗がりにうず高くつまれていた屍体を認識できないでいただなんて……そんなことはありえない。あるはずがないのだ。

(なんだ? 一体、ここで何があったんだ? 誰がここで、こんなことをしたんだ?)

 混乱しつつも思考をまとめようとする。先程と同様に体内魔力制御をしようとする。しかし、動揺はあまりにも深く強かった。無理もないことだ。この光景は衝撃的にすぎる。突然にこんな状態に投げ込まれてなお冷静でいられる人間がいたとしたら、それはもはや人間ではないだろう。

 と。

 唐突に一つの答えが閃く。 

 そうだ。

 

 

 自分がやったのでなければ、この人がやったのだ………!

 

 

 普段の彼女なら到底でないような結論だった。目の前のこと人が、そんなことをするはずがなかった。しかし、彼女の脳裏で、自分のバリアジャケットを貫いてた非殺傷設定を外された魔導による痕跡と不自然極まりない選抜試験という言葉と、何よりもここにある屍体を無視してそう語っていたということが一つに繋がった。

 叫ぶ。

「なんで――なんでこんなことをッ!」

「なるほど」

 その人は、むしろ感心したようだった。

「では、お前はどうしたい?」

 嘲笑だった。

 ぷつり、とインディ・マサラティの中で何かが切れた。

 凶悪なまでの衝動が身体を動かした。

 許せない。

 こんなことをするモノを許しておいてはいけない。

 その報いをうけさせねばなない。

 右手から伸ばした魔剣の輝きは通常に倍するものとなった。感情が魔力を生み出しているようだった。ありえないはずのことだが、そのように彼女は感じた。殺害の意志が、そのまま力となっていくようだった。

 

「おオヲぉぉぉぉッッッッ」

 

 駆ける。

〈グラム・サイト〉発動――からのレアスキル再現〈ファイブ・ステップ〉―― 足元に魔方陣を生み出し、踏み台にして移動する高速移動魔導。通常の魔導師にも同様のことは可能だが、〈ファイブ・ステップ〉は五つの反応を示す魔方陣を任意に、しかも瞬間的に生み出すことができる。それは加速であったり炎熱作用を体表の魔力に纏わせたりなどだが、〈グラム・サイト〉の再現・加工能力と組み合わされた時、電気変換と加速とを兼ねた魔方陣を創りだすことが可能になった。

 どうして自分にそんなことができるのかも彼女には解らなかったが、それをさらに五つ。

 ジグザグに、高速に、駆けて、跳ねて、飛ぶ。

 そこから生み出された術の名は。

 

「〈ライトニング・ステップ・シュート〉ッ!」

 

 最後の跳躍からの左の飛び回し蹴り。

 彼女の身体より発せられる電気は、その身が雷電そのものに変わっているかのようだ。

 おそらくはストライクアーツの上位選手とても回避困難な、超高速魔導打撃!

 それをベルカ式の防御魔法が受け。

 砕けた。

「――――ッ!」

 さすがに、大魔導師の顔が強張った。戦艦並みの防御術式が展開されていたのだ。特殊効果か概念作用のない魔導では、よほどの大打撃でもない限りは容易に破壊することはできないはずなのに。

 インディは。

 さらに。

 空中で身を捻り。

「―――〈クラウ・ソラス〉!」

 右手の魔剣を―――!

 

 

『〈蒐集行使〉――太陽の刃よ、我が主の剣十字に宿れ――〈ガラティーン〉』

 

 

「――――ッッッッ!?」

 

 その人は、恐るべき速さで剣十字の杖を掲げ、インディの魔剣を受け止めていた。

 それは、何重もの意味でありえぬはずのことだった。

 一つは強度。魔剣の銘を持つ〈クラウ・ソラス〉は強力な防御魔法をも切り裂く。ストレージデバイスであろうと同様に。

 一つは速さ。〈ファイブ・ステップ〉より得られた加速力の効果、そしてインディの体術はは、生半には反応しきれない。

 考えられることは、よほどに高密度に収斂された魔力をデバイスから発動していること。

 考えられることは、よほどに特殊な身体強化魔法を発動させているということ。

 何故ならば、〈クラウ・ソラス〉と杖の間に反発が生じたからだ。

 何故ならば、その人の動きは、体術を知る者のそれであるからだ。

 

 インディの身体が魔力反発の作用によって数メートル弾き飛ばされたのは、受けられてから百分の一秒とかからない短い時間だ。高速化魔法はまだ効いている状態だったし、瞬転しての体術、魔剣の攻撃はいくらでもできた。そして、実際にそれをしようともした。

 できなかったのは、いつの間にか自分を縛る何重もの魔法の枷があったからだ。

(遠近自在の高速バインド!?)

 違う。

 この人は、あの部隊長では――、

 

 その時になって、ようやく解った。

 

〈グラム・サイト〉の視界の端に「観え」たのは、大魔導師の身体が別の何かに変わっていることであり、左の手の甲に浮かび上がる未知の魔法の構成であり、それを覆い隠すように展開された魔導構築だ。

(まさか)

 この重厚で重層で重奏な魔導構築は。

 この大魔導師の現在の戦闘モードを維持するためである以上に。

 この戦闘モードそのものの正体を隠すためだけに展開されている……!

 彼女が驚愕のあまりにバインドを破る反応が遅れていたが、それでもそれは十分の一秒単位でのこと。

 

 刃は下段から真上に迸った。

 

 剣十字の杖より生じていた光の刃が、インディの右腕を肩から切り落としていた。

 あまりにも疾く、あまりにも鋭く、あまりにも鮮やかな剣閃であった。

 痛みを感じる間すらもない。

 が。

 

 

「あ? 嗚呼あああ唖々あ阿アああアアアアアアアあああああッッッッ!!!!?」

 

 

 口から漏れていたのは、なんとも形容しがたい苦鳴の叫びだ。

 それは夜の中に響き渡り、「煩いな」とこともあろうに切り落した当人がそう言った。

「このままとどめ――というわけにもいかんか。ふん」

 冷たい声で告げて。

 

 ……オン・キリキリ・オン・キリキリ・オン・キリウン・キャクウン

 

『〈蒐集行使〉 ――【不動金縛り】』

 

 突然、足元から火柱が上がった。

 先ほど消滅はずの巨人、その巨人の身体が崩壊した時に生まれた屍体を灼く火が、真言に応えて急激に増大化したのだ。それは新たに青黒い腕となって、インディの身体を鷲掴みし、地上にそのまま降りていく。

「アアアッ」

 だが、降りた瞬間に叫びと共にその腕は砕け散った。魔力放出スキルとアンチェイン・ナックルの合わせ技だ。〈グラム・サイト〉は、今の状態でもなお働いていた。

 インディは遅れてきた痛みを耐えようと歯を食いしばり、夜空に浮かぶ大魔導師を睨みつけている。

 右肩からは血が大量に吹き出ていたが、それはしかしいつの間にか止まっていた。そして地上に落ちていた腕がぞろぞろと何に掴まれることなく動き、インディの右肩に自動的に接着された。希少能力〈イモータル・フィールド〉――特定空間内部での自己復元が可能になるという修復用のスキル……であるが、その時の彼女にはそれを意識して働かせたという記憶はない。死にたくないという生存への意志が瞳を虹色に輝かせたのだった。

 いや。

 彼女自身には気づくはずもなかったのだが、瞳の色が赤く染まっていた。血の色に似ていた。それはまさに、先ほどまで彼女が吹き出していた鮮血の色だった。

 インディの脳内に、

(痛い)

 から、もう一つの言葉が浮かび上がった。

(乾く)

(欲しい)

 とも思った。

(壊したい)

(痛い)

(難い)

(痛い)

(乾く)

(欲しい)

(欲しい)

(痛い)

(欲しい)

(乾く)

 

 

「ほう」

 

 

 と、その声に思考が途切れた。

 何か、興味深いものを見ているような目で、大魔導師は言った。

「バリアジャケットの再生は不完全なのに、腕が先に再生されたか」

(え――――――!?)

 意味が解らない。

 いや、腕がバリアジャケットよりも先に再生した、という言葉の意味は解る。だが、そんなことは常識で考えてありえないことだ。いくらなんでも、レアスキルをどう使おうとも、バリアジャケットの自動破損修復の方が速いはずだ。

 そう思った。

 なのに、つい見てしまった。

 白いコートを。

 機動六課のユニフォームとして構築されたコートの裾が、確かに灼けて焦げていた。あの巨人の羂索と腕に掴まれた時にそうなったのだろう、というのは解った。他に原因は思い浮かばなかった。

「え――――――――」

 意味が解らない。

 なんでバリアジャケットは修復されてないのか?

 まるで説明がつかない。

 腕の方が先に再生される理由が解らない。

 

「やはり、概念作用か」

 

 その人は、むしろ面白がっているようだった。

 

「太陽の剣たるガラティーンといっても、所詮は魔導でその銘の魔剣を再現したというだけのものか。不動明王の浄化の炎の方が効果は強くでるのだな。後で他にも試さねばならぬが、対吸血鬼戦術のデータとして有用なものが得られたな」

 

(―――――――え?)

 

 今、この人はなんと言ったのだ?

 

「吸血―――鬼?」

 

 ミッドにもそのような言葉はある。血を吸う怪物の伝承は普遍的なものだ。ベルカ時代にもそのような話はあった。

 だが、それは今、何か関係があるというのか。

 今の言い方では、まるでここで戦っている相手である自分がそうなのだとでもいってるような――――。

「まだ気づかんのか」

『マイスター!』

 融合騎の声が聞こえた。自分の主の声を遮るように叫び、続ける。

『やめてあげてください……早く、封印してあげるのが一番いいんです……』

「そうか」

(何を………何をこの人たちは言っている………?)

 いや。

 本当は解っていた。

 解らないふりをしていた。

 マルチタスク――というよりも、より本能に近い部分が、表層の思考とは別に答えを出していた。

〈グラム・サイト〉を持っていたはずの自分がなぜ屍体の存在に気づかなかったのか。

 夥しい血の匂いが充満するにも関わらず、それに違和感を覚えなかったのか。

 感覚に訴えかける幻術魔法や、視覚を誤魔化す偽装魔法が仕込まれたという可能性はあり得なかった。なぜならば彼女は〈グラム・サイ〉の能力保持者だ。いかなる魔導の構築も、魔力の流れも見通す眼を持つ存在だ。

 その自分がこの惨状に気づけなかった――なんてことはありえない。

 それに。

 

 

 この人がやったのでなければ、自分がやったのだ………!

 

 

 単純な理屈だった。

 他に第三者がいて、自分らを何らかの手段で操作したということはない。彼女は〝生きるレアスキル〟であり、目の前の大魔導師は、それに対を成す〝歩くロストロギア〟の異名を持つ人だ。

 管理世界のどんな魔導師だろうと騎士だろうと、自分らを操作できる魔法などあるはずもなく――。

 いや。

 灼ける屍体に眼をやった。それは頭上の大魔導を直視できなかったからであるが、結果として最悪の選択であった。

 たまたま、少女の顔と眼があった。

 見知らぬ顔――ではない。

 その顔が笑っていたのを覚えている。

 その顔が凍りついたのを覚えている。

 その顔が恍惚としていたのを……覚えている。

 

 そして。

 

「ア……嗚呼ああ唖々………」 

 

 その血潮が、ひどく美味だったのも――覚えていた。

 

 途端に、思い出す。思い出していく。自分がどのような方法をとって少女を、少年を、男を、女を、誘い出して路地裏に連れ込んだのかを。

〈グラム・サイト〉で幻術を使うまでもなかった。

 娼婦の真似をして声をかけただけで、男の半分は自分についてきた。もう半分の男でも、眼が合うと自分の思い通りになった。女も、似たようなものだった。最初に自分にキスをせがんだ相手は、確か女だった。安い酒の臭いがしたが、恋人にふられたばかりなのだと言っていた。自分より十歳ほど年上の女を可愛いと思ったのは、それが猫のように思えたからだった。どんなに爪をたてようとも自分にさほどの脅威足り得ないという認識ができていた。人間は全て愛玩すべきか弱い生き物であり、自分の喉を満たすために生きる畜生でもあった。それが魔導師でも同じだ。自分は相手よりも上位の生き物であるという認知が、彼女の精神を別のものに変えていた。人を殺すという罪悪の感情は、優越の愉悦を超えるものではなかった。

 インディは男を知らなかった。

 恋愛感情そのものも、さほどなかった。

 それは高位の魔導師には往々にあることだった。

 魔力制御のために感情をコントロールすることを学ぶ騎士や魔導師は、戦闘時において高揚することはあり得ても、平常においてはさほど昂ぶることは少ない。一見して激しい感情を持つように見えても、いわゆる切れるとかいうようなところにまでなかなか到達しない。閾値が高いのだ。それは些細なことでも自他の命に関わる魔導師の宿痾のようなものだった。

 だから、ミッドでの魔導師の結婚率はさほど高くない。高位の魔導師ほどその傾向は高いと言われる。特に幼少から魔力を強く顕現させていたような天才児ほど、それは強くみてとれていた。思春期においてさえも脳を完璧に制御できるので、さほど乱れずに過ごす者が多いという。いずれ晩婚だろうとも魔力に充たされた肉体は老いを遅らせる。医療技術も発達しているミッドでは、五十を過ぎての出産すら珍しくない。

 インディ・マサラティも、そんな意味では平均的な魔導師ではあった。

 そのはずだった。

 

 あの時から、全てが変わった。

 

 路地裏で眼を覚ました時、世界は変容していたのだ。

 世界は箱庭であり、地を歩く全ての生き物は彼女の餌になり果てた。

 自らを慰めることすらも最近覚えたインディであったが、餌に対して羞恥など覚える必要もない。下等生物に自分の身体を弄らせているということは屈辱ではあったが、むしろ、それは脆弱な自分とは違う生き物に好きにさせるということによる嗜虐の感情が芽生えていた。自分の下着の中に手をいれてきた少年にも、性器を出して自分に口唇による愛撫をせがんだ男にも、彼女は従った。後で自分の喉を潤すためだけの餌に好きにさせている、という感情は、人間だった頃にしたあらゆる自涜にも勝る快楽を生んでいた。

 そう。

 

 

 彼女は人間ではなくなっていたのだ。

 

 

「……………ッ」

 膝をつき、四つん這いになる。

 沸き上がってくる記憶の奔流に、彼女は耐えられなかった。羞恥など感じられない。恐怖など感じられない。ただあるのは絶望だった。

 好きにさせていた以外にも、様々なことをインディはしていた。

 幾つもの屍体を積み重ねて、その上を褥として女を犯していて平気だった自分。

 何も知らない少女をわざと眼の力を使わずに引き入れ、屍体の転がる路地裏で恐怖で震えてたその身体に快楽を埋め込むために〈グラム・サイト〉を使った自分。 

 恋人同士だった少年と少女を交互に支配におき、少女の痴態を少年に見せつけ、少女の目の前で少年に自分を貫かせていた自分。

 ありとあらゆる、思いつく限りの背徳の業をした。

 自分を律していた感情の枷が無意味なものに成り果てたことを本能で理解していたのだ。自然に回復する不死にも近い肉体があれば魔力を制御する必要などなく、社会のもたらせるあらゆる恩恵なく生きていけるようになったのならばルールを守る必要もないし、いかなる背生物をも自分を傷つけることができないのならば同等に扱う必要もなくなった。

 だから。

 大魔導師のこの人にさえも、自分は汚れた鴉を視るような目を向けたのだ。

 インディは思い出していた。

 

 ―――――ちゃんと意識があるん?

 

 ―――――なんで、こんなことを……。

 

 ―――――もう、ダメなんやな。

 

 ―――――いいよ、おいで。

 

 あの人は、自分を心配してくれていたのに。

 自分はそれを嘲った。

 それどころか、こともあろうに背後にて控える守護獣の男に目を向けて。

 

 ―――――それを貸してくれたら、話聞いてあげてもいいですよ。

 

 ―――――やっぱり、そうでしたか。知っていますよ。噂になってましたから。

 

 ―――――あの〝歩くロストロギア〟が最近雰囲気変わったのは、色気づいて自分の使い魔に股の間舐めさせること覚えたからって。

 

 ―――――じゃあ、あなたを吸った後で、それの味見させていただきますからね。

 

 容赦はされなくて当然だ。

 解禁された大魔力と融合騎による補助によって行われた威力調整なしの魔弾の弾幕の集中一斉掃射。その五段構え。舐めきっていた自分は〈グラム・サイト〉の補助なくその一撃を受け、ニ撃目で防御を壊され、三撃目に身体を貫かれ、四撃目に紛れ込まされた捕縛魔法で固定され、五撃目の掃射の集中打に、肉体の四割を失った。

 生きていたのは、かろうじて心臓を守れたということと、なんとか発動できた〈イモータル・フィールド〉、そして人間でなくなった時に発現した再生能力のおかげだった。あと概念的な決定打が足りてなかったというのもあっただろう。もしかしたら、追い打ちをかけることをあの人が躊躇ったためかもしれない。

 そうでなくとも、彼女の身体はほとんど壊されていたのだが。

(…………そうだ。この人に壊されたおかげで、今の自分に戻れたんだ………)

 頭の三分の一が欠けたせいだろうか。再生された脳はここ数日の自分の記憶を消し飛ばしていた。そして蘇った自分は路地裏の屍体たちを「無視」していたのである。皮肉めいていたことだが、再生したばかりの脳は記憶を欠けさせていたが、無くしていたはずの理性と良識は蘇らせたのだ。そしてその理性たちが自分という意識を守るために「無視」を選んだのは当然であった。記憶にはなくなっても魂は覚えている。この惨状を創りだしたのが自分であるということを彼女は無意識で理解し、そして今の自分では耐えられないと判断したに違いない。

(それに気づいたから、この人はあんなことを………)

 試験をしていた、ということにしてくれた。

 咄嗟についた嘘だったのだと思う。

 戦闘態勢で再生した自分を騙すために。

 なんとかこの場から去らせて、油断しているところを捕縛して封印――というようなことを考えていたのではないか。

(わたしは、バカだ………)

 違和感を感じるような、それは稚拙な嘘だ。

 だが、それは自分を、あんなにひどいことをいってしまったインディ・マサラティというバカを救うためについた、優しい嘘だったのだ。

(それなのに………!)

 信じればよかった。

 憧れていた人たちだったのだ。

 その人がついた嘘ならば、それは意味があることなのだと。

 もう、取り返しがつかない。

 

 自分は思い出してしまったのだから。

 

 異形の論理で。

 人外の倫理で。

 怪物の道理で。

 

 そう生きることを決めてしまった自分を。

 後戻りなど、もはやできようはずもない。

 

 この身はすでに魔物であり、この心もまた魔性に堕ちた。

 

 快絶の欲望のままに人を犯し、血の渇望のままに生き物を殺し、命の意味も魂の価値すらも貶めて踏み躙ることを是とする人にあらざる何かとなることを選んだのだ。

 

 

「………ころしてください」

 

 

 自然と、声が漏れた。

 そんな言葉を吐き出せることができたということに、自分自身で驚きながらも、インディ・マサラティだった吸血鬼は、遠い異界で死徒と呼ばれる存在となった管理局の魔導師は、涙を流して、血の染みた地面を見つめながら懇願した。

 それに対する答えは。

 

 

「――――償おうと、思わないのか?」

 

「―――――――――――ッ!」

 

 

 思わず顔をあげた彼女は、自分を睥睨するその大魔導師を見た。

 黒い魔力の翼を広げた、黒い甲冑にその身を包んだ姿は――まさしく、夜の王。

 

 闇の全てを支配する王者の冷たい眼差しに射抜かれ、彼女は。

 

 口を開けて。

 

 何かを言おうとして。

 

 それは、次の瞬間に永遠の謎となった。

 

 

 彼女は目にしてしまったのである。

 

 

 王の背中の向こうに見える、皓々と光る月を。

 

 

「唖々ああ嗚呼アアアあアああああ」

 

 

 思い出した。

 自分を変えたモノを。

 アレは。

 

 

 あの金色の女が、自分を―――――。

 

 

 視界が赤く染まった。

 実際に、彼女の目は赤く輝いていた。 

 それは血の色に似ていた。

  

 絶望的なまでの渇望が彼女の魂を襲った。

 根源的なまでの欲望が彼女の心を蝕んだ。

 

 なにもかもからおかしうばいふみにじりたい――思考が退化していく。

 

 彼女の精神は、――――

 

 

「そうか」

 

『マイスター……』

 

 

 夜を配下とする大魔導師は、自らの創りだした融合騎に命じる。

 

 

「もう一度だ。【不動金縛り】を」

 

『―――了解いたしました。マイスター』

 

 

 再び唱えられた真言によって、周囲の燃える屍体から立ちのぼる焔から新たな巨人――『神』――不動明王が構築された。

 それは、まるでインディ・マサラティの犯した罪が、彼女を罰するためにそれを生み出したかのようでもあった。

 

 不動明王が振るった羂索を、インディは回避した。獣に似ていた。

 

 だが、着地した瞬間に全く別の方角――四方八方から延びた羂索に彼女は絡め取られ、その場に固定された。

 羂索はいつの間にか周囲の屍体の山の全てが燃えだしていて、そこの焔から伸びていたのだ。

 当然のように暴れる彼女であったが、どれほど力づくで破ろうとも、羂索は破れたそれが焔となった次の瞬間にはまた再生されていた。ここまでのレベルになると復元といった方がいいのかもしれない。

 そして。

 

 浄化の概念を持つ不動明王の羂索は、死徒になっていたインディ・マサラティの身体も燃やしだした。

 

 白いバリアジャケットが灼けた。紺色のインナーも燃えおちた。

 

 もはや、彼女を守るものは何もなくなった。

 

 それでも彼女の身体は燃えなかった。いや、正しくは燃えながらも再生し、再生した身体が端から燃え出している。耐性がついたのか、あるいは無意識に発動させたレアスキルが促す再生速度が浄化を上回っているのか、それとももしかしたら、容易な浄化を許さないという焔を発する彼女に陵辱された者たちの魂がそうさせているのか――。

 夜空に浮かぶ大魔導師は、悲鳴とも言えぬ苦鳴の咆哮をあげる彼女の姿を見つめていた。

 

 やがて。

 

 

『マイスター……もう、楽にしてあげてください……』

 

「そうだな――」

 

  

 大魔導師は、夜の王は、書を片手に剣十字を高く掲げた。

 

 

「聖剣よ、あれ」

 

『全ての者に救いあれ』

 

 

 

「『エクスカリバー』」

 

 

 

 光の剣が、

 地に振り下ろされ、

 

 

 その時に、ほんの一瞬だけインディ・マサラティの瞳が赤でもなく虹色でもなく、元の銀色になった。

 唇が動いたのが見えた。

 

 

 死の色の瞳を持つ夜天の王は、その時のその言葉を、決して忘れないと思った。

 

 

 しにたくない、と彼女は最後にそう言ったのだ。

 

 

  

   ◆ ◆ ◆

 

 

 

「お疲れ様です、主」

 彼女が従者たる烈火の将にそう声をかけられたのは、自分の先程まてしていた外典術式を解いた直後だ。

「うん」

 と言葉少なく返したのは、その時の彼女には自分の声にいかなる感情が混じっているかについての自信がなかったからである。怒りを篭めて返したくなかったし、泣いている声など、決して家族には聞かせたくなかった。出せた声には、何も混じっていなかった。どうやら、自分は思っていた以上に冷酷な人間らしい。外典術式を使う必要などはなかった。あるいは、それとも、知らずにアレに侵食でもされているのだろうか。

 瞼を伏せる。

(違うか。単に、慣れてしもうただけやね)

 もう、この程度のことでは心は動かされることはないのだろう。威力調整したベルカ式も、非殺傷設定のミッド式も自分は使える。にも関わらず――多くの人たちを傷つけてきた。それは例えば直接的に魔法で打撃を与えたということだけではなく、書類上のやりとりでやむを得ず最小の支援しかだせなかった何処かの部隊であったり、政治上の問題で見捨てる他はなかった見知らぬ世界の人たちであったりした。顔も知らない、何処かの誰かたちの運命を、彼女は左右してきたのだ。今更、ここで誰か一人や二人増えたところで変わるはずもなく――。

「にしてもさあ、外典のアレ使ってるはやてって、なんか変な感じだよなー」

 紅の鉄騎の声が背中にかかる。

 自分を慰めてくれようとしているのだろうか。そうではないのかもしれない。ただ、自分の思っていることを言っているだけなのかもしれない。もしかしたら、単純に今の空気が嫌なだけかもしれない。

 いずれにせよ、今は少しありがたかった。

「アレは、まあ仕方ないんよ」

 うん。いつも通りの声だ。いつもどおりの、なんてことはない日常を家族で過ごしている時の声だ。

「〝闇統べる王〟は戦闘用の人格として設定しているからね」

「あいつは身内には甘かったぜ?」

「その分、敵には容赦せえへんてことやろね」

 ―――違う。あれは、

 はやては胸の内側から生まれた言葉を飲み込んだ。。

 人格を取り戻し、正しく育まれた技と心を思い返したインディ・マサラティに対しては、彼女は殲滅攻撃を仕掛けることが出来なかった。なんとか生きて捕縛しようと考えた。それは到底、不可能なことであった。インディはすでに取り返しのないことをしていて、それは例え記憶を失っていようとも許されるはずもなかった。

 それでも、なんとか封印処置ですませられないかと考えていたが……。

「どうしたんだよ、はやて?」

「ううん。なんでもない」

「………はやては、気にしなくていいと思うぜ。インディがああなっちまったのも、それをああいう風に灼いちまったのも――あれは、ああするしかなかったんだ」

「けど、……」

「ヴィータ!」

 横合いから、二人のやり取りを静観していたシグナムが口を挟んだ。

「僭越に過ぎるぞ。主には主のお考えがある」

「そんなことは言ってもさあ……はやては、夜天の王で、大魔導師で、わたしらの主だけど、できることとできないことがあるんだ。できないことができなかったからって、それをいっぱい背負い込む必要なんかない――」

「ヴィータ」

「ありがとな」

 はやてはむりやりに笑顔を浮かべる。

「みな、心配してくれてありがとう。私かてできることできんことくらいの区別はつくんよ。できんかったことを嘆くより、できたことを精一杯後に繋げるために……残されたみんなの未来のために、やれること、やるべきことを頑張ろな」

「はっ」

「うん。解った」

 そういって二人の家族が改めて主に対する礼をとったのを満足そうに眺めながら、はやては先程のヴィータの言葉を思い返していた。

 ――――外典のアレ使ってるはやてって、なんか変な感じだよなー

(違うんよ。あれは、あの態度は、〝闇統べる王〟ではあるけど、私自身の感情でもある……あかんなあ……ザフィーラを『それ』呼ばわりされたことが心に残っとったんやろうな、冷静ではいられへん……)

 夜天の主である八神はやての戦闘人格プログラム〝闇統べる王〟は――闇の書の奥底に秘匿されていた《紫天》システムから抽出したものだ。

 本来の〝闇統べる王〟は《紫天》の制御統括プログラムであったが、闇の書との繋がりも深く、強い。はやてにしか成し得ぬはずの〈蒐集行使〉の権限を持ち、長くの年月をかけて蒐集されてきた魔導の全てを使用できた。そしてその上にプログラムとしての優秀な演算能力を持っている。はやてはその《紫天》のシステムを現在使用している夜天の書に封印し、状況に応じて開封して使用しているのだった。

 それは主にデバイスに使用ログを残さない極秘の活動をするためであったり、自分ではどうしても突破できない戦況を打破するためであるが。

 そのことは、八神家以外の人間ではほとんどの人間が知らない。友人である幼馴染のなのはやフェイトにすらも隠し通している。

 

 

 夜天の王たる八神はやての隠し札――。

 八神家では、これを外典術式《紫天》と呼んでいた。

 

 

 問題は、使用される〝闇統べる王〟は卓絶した戦闘時の判断力と技術を持っているが……その人格の攻撃性の強さである。

 戦闘に際して、はやて当人ではどうしても躊躇ってしまうような状況がある。

 異形と堕し、家族を侮辱したインディを殲滅することを、はやては躊躇わない。彼女にとって一番大切なものは家族であるからだ。人を犯し、人を殺し、人であることをやめてしまったインディに容赦するつもりはなかった。吸血鬼の回復能力を持っているのならば、多少のダメージを与えても生半には死なないということを知っていたというのもある。

 だが。

 再生、回復したインディは、人の心を取り戻していた。

 インディははやての後輩だった。

 自分と同じくレアスキルを有していて、幼少の頃から管理局で働き、捜査官時代には何度となく彼女に協力してもらったことがあった。

 この町で、吸血鬼になった彼女を見つけた時、その精神までもが怪物と化したのを知った時、大切な家族を侮辱された時、ひどく悲しくなった。

 もしも、なんとか捕縛できて、封印処置の後に元の人間に戻すことができたのなら………。

 それは誘惑は、恐ろしく甘美だ。

 しかし同時に、そんな心構えで戦っていては、インディをどうすることもできないということを彼女は悟ってもいた。ヴォルケンリッターたちの手を借りて――ということを考えなかった訳でもないが、他人数でかかれば最初についた嘘が露見してしまう。冷静ではいられなかった。家族を呼ぶべきか、このまま戦うかを、迷った末に選択したのが〝闇統べる王〟であるが。

 ここで誤算があった。

 

 この人格が持つ攻撃性は、思考の方向を外側に向けることによって成立していたのだ。

 

 八神はやてが抱いた苛立ち、怒り……そのような普段なら内側で処理してしまうような感情を、〝闇統べる王〟は外側に向け、それを解消する方向へと行動をとったのである。

 なんのことはない。

〝闇統べる王〟の怒りは、夜天の王たる彼女の怒りでもあったのだ。

 冷酷な言動も、行動も、みんな彼女の中の感情に由来するものであったのだ。

(あかんなあ………)

 はやては反省している。

 危うく、流されるままにインディを………まあ、このことについては後で考えよう。

「にしても………」

 はやてが周囲を見渡すと、燃え盛っていた屍体から火は消えていた。最後に放ったエクスカリバーの衝撃が、全ての火を消し去ってしまったらしい。元々《不動明王火界呪》によってつけられた火である。もしかしたら術を解けば長らく現世には顕現できない類のものであったのかもしれない。

 それでも、屍体の多くは原型をとどめていない。

 人間の屍体というものは簡単には処理できないものである。ほとんどの成分が水ということもあり、よほど乾燥させて水気を抜くか、燃料を大量に用いるなどをしなければ短時間にこのような風にできるはずもない。本来は。インディの活動がここ数日のことであることから考えれば、屍体の多くはまだ腐敗が始まったばかりのはずだった。そのままでは火をつけるのも困難であったはずだ。

 屍体が特殊な状態であったか、焔が特別なものであったか。

 その両方であったのだろう。

「《不動明王火界呪》か。夜天の書に記録されているのは知っとったたけど……使用したことはなかったなあ……」

 概念作用――これが吸血鬼に対して効果が高いのは、この第16世界に降り立ってからのここ数日の調査ですぐに判明していたことであったが、それを可能とする術式としてこの魔法ならぬ密法を選択したのは〝闇統べる王〟である。はやて自身も一応の存在は知っていたが、どうにもまだ概念作用というものがどういうものか、肌で実感していないということがあった。戦闘経験と知識がまだ足りてないのだ。

「はやてちゃん。屍体の身元については、こちらで戦闘中にサーチしておいてから」

 風の癒し手――シャマルにそう言われたのは、彼女が屍体の山を眺めていたからだろう。

 はやては頷き、屍体の山の一つに歩み寄った。

「ぬかりなしやな。ありがとう。これで決着がついたら、」

 言葉が途切れたのは、手を伸ばした先にあったそれが、ぱっと崩れて灰となっち地面に散らばってしまったからだ。

 まったく奇妙な現象という他はなかった。

 先述したが屍体はそう簡単に焼けない。

 短時間であるのならばなおさらだ。

 そして、これははやての個人の感覚ではあったが、灼けてしまったそれらに対して、生理的な嫌悪感をまるで感じなかったのが不思議だった。インディとの闘いの最中は嗅覚と視覚にフィルターをかけて、わざと認識しないようにしていたのだが。

 本来なら充満しているはずの蛋白質や脂肪の焦げるときに生じる匂いもしない。

 聖なる焔によって浄化された――とでもいうのだろうか。

「………概念作用もあるんかな? 通常の炎熱効果とは全然違うものになっとる」

「『神』のもたらせる概念作用です。世界そのものにそのように定められた概念(ロジック)の凄まじさは、時にあまりにも理不尽です」が、このような場合には有効かと」

 シグナムもそう言って、腕を組む。

「『神』とまではいかずとも、竜族のような魔導生物でも決定的な力はなくともある程度の概念作用のある攻撃を使えるはず……」

 ザフィーラが言い、ヴィータもまた首を振った。

「幻想種だの上位概念存在だのってのには、毎度毎度苦労したもんだぜ」

「本当にねえ……」

 シャマルも何かを思い出しているのか、遠い目をした。

 その時にはやては気づいた。

 自分がこの《不動明王火界呪》が使えるということは――かつてその使い手から蒐集したということであり。

「そういえば、これの使い手は何処の誰なん?」

 自分のいた世界で蒐集したものであるのは確かだろうが。

 自分のいた時代ではないだろう……とは判断できる。

 いくらなんでもこんなことができるような人が、現在にいるはずがない――と思う。

「もう千年くらい前だったかな?」

 ヴィータが言った。

「当時の主はベルカ時代の賢者でありました……彼女はとにかく珍しい、まったくベルカとは系統の異なる魔法が欲しいと申されていたので、随分とあちらこちらの異世界を巡ってものです」

「………最初は、ただの小娘だったのになー……ちょっと年食ったら色々と欲しいものが出てきて……結局、他の主同様に欲望で身を破滅させたよ」

 ヴィータが顔を背けた。最初の頃のその主のことは嫌いではなかった。むしろ、歴代の主の中では結構いい方だったとは思う。もしも戦乱期でさえなかったのなら、一生を研究だけして終えたのではないかと思えた。それを言い出せば、ほとんどの主がそのような人たちではあったのだが。

「それでたどり着いたところがはやてちゃんの生まれた世界……だったけど、あの頃は結構色んな人たちがいたわね。そのはやてちゃんが使った術を使う人は、確か今でいう京都でいたはずよ」

「懐かしい話だ」

 ザフィーラも、腕を組んでいた。

「あの僧侶は、一度に五体の明王を顕現させることができた」

「――――どんな坊さんや!?」

 静かに聞くつもりであったが、あまりの無茶苦茶さかげんについ突っ込んでしまった。

 正式な手順を踏まなかったのが原因であろうとは思うのだが、あの明王を顕現させるのにはかなりの魔力が必要であったのだ。

「どんな……と申されても、私たちはただ戦っただけですから……」

「いやシグナム、そういうことやのうて、」

「誰かと勘違いされたみたいでさ、わたしらがいくとすぐ迎え撃たれたぜ?」

「確か……そうそう、あのお坊さん、『シュビンの手の者か』と言ったんだったわ」

「しゅびん……」

 はやてはそう呟いてから、口を閉じた。

「? なんか心当たりあるのか、はやて?」

「いや、…………それで、そんなの五体も出されて、よう勝てたなあ」

「さすがに我ら三人でも、五分ほど粘るのが限度だった」

 ザフィーラの言葉に、はやては首を傾げる。

「三人?」

「私がクラールヴィントで」

「………………………あー」

 だいたい解った。

 はやては額を抑える。

 しゅびん――という名前には心当たりがあった。

 千年前にしゅびんというと、平安京で当時の帝の信任も厚かったという高僧・守敏僧都のことだろう。そしてこの守敏と対立していた人物で絶大な法力を持っていたとなると、弘法大師・空海に違いない。この二人は雨乞いの儀式から端を発する抗争で、互いを殺しあう呪術合戦をしたという伝説がある。

 はやてが知る話では、いつまでたっても互いの強力な護身法によって術が効かず埒が明かないことに業を煮やした空海が、自分が死んだという噂を流し、その話を聞いた守敏が術を解いたのを見計らって呪いをかけて殺した……のだという。

 高徳な僧侶らしからぬ話であるが、それゆえにかはやてはこの話をよく覚えていた。

 しかし、今彼女は家族に聞いた話をそれに絡めると、新たな可能性が見えてくる。

(シャマルがリンカーコア抜いて、しばらく死んだように臥せったいうのが噂になって流れて、それ聞いた守敏さんが術を解いた、とか……それで回復した大師さんが――)

「まあ、いいか………」

 今更、確認できることでもない。それに、この子たちにそれを言ってもどうしようもないことだ。

 それに、いま考えなければいけないことは別にある。

 彼女の騎士たちは主の思いを知らぬような、あるいはあえて言葉をかけずに話を続けていた。

「けど、あのインディなら、五体は無理でも三体くらいならどうにかしたんじゃないか?」

 ヴィータがいい、他の三人も同意する。

「当人は気づいてないようだったが、吸血鬼化による魔力の増大と身体能力の強化の恩恵が強くあったようだな」

「反応速度と再生能力、あと魔力――それらがあり得ないレベルに達していたわね。陸戦限定で推定でSS+ってところかしら。かつて管理局では、そういう人間は存在しなかったんだけれど」

「大魔導師としての総合能力ならばともかくとして、直接戦闘力でのそれとなると、我らとてそのような怪物は【王】に準ずるレベルでないと記憶にない。確認できるインディの最終ランクは古代ベルカ式陸戦S+であったというから、元々の地力も相当にあったということも関係しているだろう……」

 

 

「つまり、その陸戦S+の管理局でも超一級の人材をあんな風にしてしまえるモノが、まだこの街を徘徊しとるってことやね」

 

 

「…………そういうことです。主」

「はやて……」

「――――理屈としては、そういうことよね」

「―――――」

 はやては、それぞれの騎士の反応から、自分が口にしたことがどれほどに重大な意味があるのかということを改めて噛み締めていた。

 あの管理局屈指の使い手〝生きるレアスキル〟インディ・マサラティを怪物に変えてしまうような、それこそ怪物を超える怪物がこの世界に存在するということが、どれほど恐るべき事実であるのか。

 毒やウイルス、あるいは特殊な魔法といったものを使用していたのではないということははっきりとしている。

 彼女たちは、インディが人の喉に噛みつき、血を吸い、死者を創りだすのを見たのだった。

 はやては息を吐き。

「なあ、シャマル」

「――――はい」

「屍体の数は幾つやった?」

 風の癒し手は、彼女らが戦っている間に屍体の身元をサーチしたと言った。それはおそらく、個人IDを遠隔から魔法で読み取ったのだろうが、それはつまり何人分の屍体があったのかも把握できているということだった。当たり前の話だった。それができないでいたのなら、サーチしたのだとは言ってないはずだ。

 シャマルはどうしてかしばらく逡巡したが。

「三十ニ人」

 と答えた。

 はやては。

「そうか。――インディを加えると、三十三人か」

 きっと、こんな風に血を吸ってしまう怪物になってる者は、この町に他にもいるのだろう。はやてはそう思った。

 ティアナは三百人ほど失踪の届出があったというが、まだまだいるに違いない。

 もしかしたら、千人以上……そして、それは後手に回ればもっと――この町の、この世界の全てを埋め尽くすモノとなってしまう可能性があるのだ。

「陸戦Sランクを羽交い絞めにしてか、どうやってかしらんけど倒して血を吸ってまう――か。せやけど、例えどんな怪物が相手だろうと、私らはもう退けん。退くわけにはあかん。いざとなったら、全てを明るみに出してでも解決せにゃあならん」

 全てを明るみに、ということがどういう意味を持つのか、彼女の騎士たちにも解っていた。

 彼女らがデバイスの使用ログを残さないような隠密行動をとっている理由は。

 

「なのはちゃん――――高町なのは、彼女に事情を聞かんとあかんな」

 

 全て、親友のためだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 つづく。

 

 

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