Over the lights・Under the moon(なのはと型月クロス・改訂版) 作:くおん(出張版)
5/接触。
「さつきって呼んでいい?」
「あ、はい。えーと、ハラオウンさん?」
「フェイトでいいよ。――名前を、呼んで」
「わかりました、フェイトさん」
名乗りあった後、二人はそんなやりとりから会話を始めた。
とは言っても、すぐに話が弾むというわけはない。いきなり見ず知らずの女性に話しかけられたさつきは何処か困惑していたし、執務官としてではなく、ただなんとなく話かけたフェイトの方も、少し緊張しているようだった。
とりあえずさしつかえないところでと、フェイトは「この喫茶店、昔いってたところにちょっと似てて懐かしいんだ」と言った。
「あ、そうなんですか?」
「うん。ちょっとね」
実は、あんまり似ていない。
フェイトが昔よくいってた喫茶店というのは翠屋という親友の実家で、今も休暇で家に帰るたびに寄っている。最近は長期の仕事が立て込んでいるのでしばらく行っていないが、フェイトが喫茶店と言って最初に思い出すのがあそこだった。このアーネンエルベは内装の色彩も翠屋とは大分異なる。ただ、雰囲気……というか、もっと具体的には珈琲豆を焙煎する香や、紅茶の葉の匂いが次元世界のそれではなく、第97管理外世界の、地球のそれと同じだった。それで翠屋のことが思い浮かんでいたのである。匂いというのは記憶に直結しやすい。そして記憶は連鎖して別の記憶に繋がるのだった。ましてやここは地球を遠く離れた異世界である。郷愁は普段よりも強く感じるのが道理だった。
フェイトは詳細こそは言わなかったが「懐かしい」と繰り返した。
「雰囲気も落ち着いてるし」
「ここ、雰囲気いいですよね」
とさつきも首肯した。
「ここはコーヒーが美味しいんですよ」
「そうなの?」
「待ち合わせによくくるんですよ」
「なのに、トマトジュース?」
「……待ち合わせている人が、そう言ってたから」
さつきは何処か恥ずかしそうにいう。
「わたしはあんまりコーヒーとか飲まないから。昔、お父さんに刺激物を小さいときから飲んでたらバカになるっていわれて、なんとなく」
「そうなの?」
「コーラみたいな炭酸飲料も駄目って言われてて。中学までコーラのんだことなかったもの」
ああ、だからトマトジュースなのかとフェイトは納得した。論理的な整合性がとれているというわけではないが、なんとなく辻褄が合ったような気がした。なんとなく。
なのに。
「ああ、だけどコーラだって学校の友達とかみんなコカコーラがいいっていうけど、わたしはペプシの方が好きだし」
いきなり前提をひっくり返される。
記憶は連鎖して別のことに繋がる。さつきは何かどうでもいいようなことを思い出したらしい。そして、その言葉にフェイトは眼を大きく広げた。「ペプシ」と口にして、黙り込む。
「……どうしたの?」
こちらを心配そうに伺うさつきにどう答えていいのか、フェイトは一瞬だが迷った。
「いや、私も好きだから。ペプシの方が」
「そうなんだ!」
なんでこんなことで、といいたくなるくらいにさつきが喜色を顔に浮かべた。
「なんでかなー、わたしのお友達とかはみんなコカコーラの方がすきって人ばかりだったから、ちょっと嬉しくて」
「……そうだね。なんでか知らないけど、私の友達もみんなコカコーラの方が好き、なのかな」
実はあんまり友達が炭酸飲料などを飲んでいるのを見たことはないのだが、それは言わなかった。
何がきっかけになるかわからないもので、二人の話はここから盛り上がりだした。
マクドナルドのチーズバーガーにはペプシの方が合うよね、というようなことから、好きな映画の話、読んでいた漫画の話、ドラマの話、……およそ年頃の娘がしそうな話を、さつきとフェイトはした。さつきはどうも話に飢えていたらしく、フェイトの話で解らないことがあると「どんなの? 詳しく教えて」と熱心に聴いてくるし、フェイトはというと彼女にはそういう経験が少なかったが、それゆえに新鮮だった。彼女は学校は中学までだったし、それまでの友達とは今もつきあいがあるが、その友人たちは地球でもちょっと変り種の方だった。少なくともさつきのようなみるからに一般人というような女の子とは、あまり地球では話したことはなかったのである。
……そんな十数分のやりとりで、フェイトはさつきが熱心に読んでいたという漫画シリーズのタイトルと巻数を知ることができたし、さつきはというとフェイトには義理の兄と甥と姪がいて、実家に帰ると義母と一緒にその子たちと見ているという教育番組のことを知った。
そして、届けられたコーヒーとトマトジュースに二人が手を伸ばして。
おもむろにフェイトが。
「それで、さつきの出身世界は何処?」
と聞いた。
「へ?」
「私はミッド生まれ……」
ということになっている。多分、実際にミッドに母がいた頃に作られたのだろうとも推測している。だから、あながち間違いではない。
さつきはというと、いきなり聞かれ、
「え――あれ? だって、あんなに詳しいのに」
戸惑ったような顔をした。
「もしかして、ペプシとかマックって、ミッドにも進出しているの?」
「まだないよ」
もしかしたら、いずれ次元世界にも進出しかねない企業ではあるけど。今のところ、そういう話はフェイトも聞いたことはない。
「私はミッド生まれだけど、地球育ち」
「えー、あー、そうなんだ」
さつきはしばし考えてから言う。
「えっと、地球です。多分」
「うん、まあそれは解っていた」
フェイトは微かに目を細めて、さつきを観察する。さっきまでの年頃の娘としての眼差しではなかった。執務官として見ていた。
一見して表情を変えず。
「だけど、管理外世界から来るのは、珍しいね」
「そうなんですか?」
「うん」
基本的に、時空管理局は管理外世界には不干渉ということになっている。そこに次元移動の技術があれば話は別だが、魔法文明のない世界で次元間移動を完成させたという事実はない。もしも管理外世界の人間が次元世界に紛れ込むことがあるとしたら、それは次元震に巻き込まれたか、次元犯罪に巻き込まれたかの二つである。そして次元犯罪はミッド式かベルカ式に由来する魔導師たちによって行われる。それは時空管理局が他の世界に干渉する際の大義名分でもあった。自分らから出た犯罪の芽は自分らで刈り取らなくてはならない、ということだ。
(多分、さつきは次元震に巻き込まれてきたんだ)
とフェイトは話をしながら見当をつけていた。
丁度一年前に、この世界の近くで次元震が起きていたということを彼女は知っていた。
その時にさつきはここの世界に来たのだろう。
そうでなくては第97管理外世界のことをこんなに詳しく知っているだなんて、普通はありえない。
管理外世界はそれこそ星の数ほどあって、ミッドやベルカに由来しない世界の文化は多様であった。専門家でも把握しきれない。その中でも有名な世界というのならまだしも、第97管理外世界の風俗や文化は比較的マイナーな方面に位置する。最近でこそ知られるようにはなっていたが、それでもマックだのペプシだのという言葉が出てくるようなことはない。ましてやあの世界は現在、管理局の大物が何人も関わっているということもあって、人の出入りには厳重に管理されていた。
次元震によって人間が世界の外に弾き出されるという現象は、過去からたまに確認できることである。
地球で古くから伝えられる神隠しだのというような現象の何パーセントかは、このような次元震によって起きているのではないかとも推測されていた。
勿論、生身のままに、しかも災害に巻き込まれて無事にいられるという可能性は限りなく低い。
低いが、まったくありえないということでもない。
そのような者を次元漂流者とか時空漂流者とか呼ぶことがあるが、低確率なので定着した用語というのが未だない。それでも万が一に遭遇したのなら、管理局員は直ちにその漂流者を調べた上で原世界に復帰するかどうするか当人の意思を確認するべしと規定されていた。
そのような漂流者でないとするのなら、何かの犯罪に巻き込まれたということもある。
次元犯罪の中でも、人身売買は比較的に多くある犯罪だった。
管理外世界で科学も魔法も発達していないところで人間を捕え、その世界の、あるいは別の管理外世界で売りはらうというものである。勿論、労働力としてということはあまりない。何の技術的な基盤のない人間ができるような単純労働を奴隷的に奉仕をさせるより、一定の給料を支払った方が効率が上がるし、何処の世界にも治安組織はある。人権意識だってたいがいの世界にはある。そのようなことから奴隷としての人材などというのは、デメリットが遥かに大きいのだ。暗黒街や一部の歪んだ趣味の資産家が少年少女を性的奉仕をさせるために売買していることはままあるが、それだって全体のケースからしたら三割程度であるとフェイトは知っている。
人身売買で一番多いのは、人体実験に使用されるケースである。
特に医学方面では、その成果を人間で試してデータを集めたいという者が現状では多い。発達した科学と魔法は非人道的な行為を介せずともある程度の医療、薬物の効果のシミュレーションが可能である。だが、新薬などの開発にかかるコストは天文学的なものであり、それが外れたら会社が傾きかねないということがままある。そのようなリスクを考えると、異世界からさらってきた人間で徹底的に実験するのもやむなし、ということらしい。
しかし、さつきはそのような犯罪に巻き込まれているようにはフェイトには思えなかった。
性的な奉仕をさせられるために攫われたという感じはしない。特に根拠はないが、執務官としての経験と勘でそう思った。人体実験をされているというのなら、ここにこうしているというのがまずありえない。ことが露見したのならば次元世界に響き渡る大スキャンダルになる。
もしも犯罪でも事故でもないのだとしたら、たまたまに地球にきた魔導師と意気投合して次元世界にきたなんて可能性もないではないが――それは限りなく考慮に値しないほどのコンマとゼロの向こうにあるものだ。
とはいえ、漂流者にしろ、犯罪の被害者にしろ、まだまだ事実として確定するには材料が足りない。
フェイトはなんとなく話しかけただけの少女が、思いもかけずに自分の仕事と関係しそうなことに驚きを感じていたが、表面にはそのことをおくびにもださず、手に持っていたカップを口元に寄せた。
「私は仕事で、今日ここにきているんだけど、さつきはいつからここにいるの?」
「えーと、一年前、くらいかな」
考えながら答えるさつきの顔を見て「やっぱり」と思いながら、フェイトは何も言わない。言わないままにコーヒーを一口含んだ。
「なんかわたしも、お仕事で」
「仕事?」
さつきの言葉の続きは、意外であった。
(次元漂流者というのは早とちりだったかな?)
訝る顔をしたフェイトを見て、さつきは何を思ったのか「あー、信じてませんねー」と苦笑した。
フェイトはどきりとする。
「わたしは、えーと、こう見えてももうすぐ二十歳になるんですから。お仕事だってできますよー」
「いや、それは――ちょっと驚いた。だけど、信じるよ」
どうやら、さつきは自分が仕事をしている歳だと言うことを、フェイトが信じていないのだと思ったようだ。
(え? だけど、さつきが着ているのは制服だよね? 二十歳なのに制服?)
フェイトの記憶だと、確か高校は18歳までだった。あるいは留年しているのだろうか。
んー、とカップをテーブルにおいてから、フェイトは首をかしげ。
「というか、管理世界では十代以下でも仕事はできるんだよ」
そういうことも知らないということは、やはりさつきはこの次元世界の社会体制などに対する予備知識はあまりないのだということを証明しているようなものだった。もっというのなら、地球でも別にハイティーンなら仕事はできる。
案の定、「えー」と驚いたような顔をしている。
(やっぱり、地球の人だよね)
さつきの反応は、典型的な管理外世界の住人の、管理世界での就業条件を知った者のそれだった。
次元世界では能力に応じて仕事につくことができるのが普通だ。特に優秀な魔導師ならば、十歳以下の人間だろうと戦闘魔導師のような危険な仕事につくことが可能である。そのことについては「子供に危険なことをさせるなんて」といわれて、たまに管理外世界からの批難の対象となる。だが、フェイトは自分自身がそうであったためか、子供でありながらも戦闘をするということそのものについて、忌避感はあまりない。勿論、自分の養い子であったエリオやキャロに危険なことにはなるべく関わってほしくないということは思っていたが、それは子供とか大人とかの問題ではなく、単なる身内意識でそう思っていただけだった。結局は二人の管理局入りをフェイトは許したのだ。
(戦闘能力のある子供を在野にいさせ続けるというのが、ずっと問題だと思うんだけどな)
という風にフェイトは次元世界の就業体制を肯定している。
小人閑居して不善を為す、だったか。
中学の授業で習った昔の人の言葉にあった。暇をもてあました小人……つまり、道徳心のない人間はロクなことをしでかさないという意味だったと記憶している。
子供を小人というのはちょっと違うと思うけど、だけどこの場合の説明にはわりと適当かなともフェイトは思った。
もしも魔導師適正の高い子供をそのまま放置していたとしたら、社会体制は維持できない事態になり得るのだ。それは子供というのはどうしても経験がたりず、犯罪などを無自覚に行う可能性があるからだった。そうならないように、適正が高い者はなるべく早い段階で社会に組み込み、教育して何がしかの役割を与えた方がいい。
このことについては次元世界でも異論はある。能力適正と当人の志向は必ずしも一致しない場合があるし、当人をまだ判断力がない年齢から社会に組み込むのは、個人の自由意思を蔑ろにしているのではないかという論だ。就業に限らず、自分の未来への選択肢はあくまでも当人の意思と志向によって選ばれるべきではないか。
それはそれで一理あるとはフェイトも認めるところだが、人間は生まれ育った共同体の内部で自己実現するべきであると彼女は信じていた。適正があるのならば、その力を高めて社会に貢献すべきだと思っていた。できるのにやらないというのは、それは我がままなのだと考えていた。自分の能力を私利私欲のために使うという発想が彼女にはなかった。欠けていた、というべきなのだろうか。それを欠損だといわれたのならば彼女は否定しただろうが、美徳だというにはいささか生臭い事情も背景にあるのは確かだった。
そんなわけで、少し話しはずれたが、能力があるのならば次元世界での就職は自由にできるということをひととおりフェイトはさつきに説明した。
「へー」
とさつきは感心したように声を出した。
「一年くらいこっちにいるけど、そういうことは気がつかなかったなあ」
「ふーん?」
それはそれで妙な話だとフェイトは思ったが、そのことは問い詰めず。
「それで、仕事でこっちにきたの? さっきそう言っていたけど」
「……うん」
少しだけ、さつきが逡巡したのをフェイトは感じた。
嘘ではないが、そのまま素直にいえない事情があるらしい。
「一年くらい前にね、仕事でちょっと人探ししていたの」
「人探し? 探偵さんか何かなの?」
一応、次元世界にも調査会社のようなものはある。ただし届出が必要で、それにも厳重な許可が必要となっている。
しかし。
(え? さつきって管理外世界の人なんだよね? それで管理世界のことはよくしらないんだよね?)
頭か混乱してくるのをフェイトは感じた。さつきには、自分の中の大前提を覆す何かがあるのではないかと思えた。
「探偵というのとはちょっと違うの。ただ、頼まれてて、探してたの。本当はわたしがやる仕事じゃないんだってシオンには言われたんだけど、わたしが協力した方がいいと思って。あ、シオンというのは、わたしのお友達。相棒っていった方がいいのかな」
「ふうん……それで、どうやってここにきたの?」
とりあえず、そこが肝心だとフェイトは思った。
次元震に巻き込まれてきたのか、それとも次元転移の魔法を使って、魔導師の協力を得てこちらにきたのか――
もしも後者だとしたら、管理局の知らないところで管理外世界の人間と交流を持つ者がいるということである。少なくとも97管理外世界に関わる魔導師で、彼女の知らない人間はいない。そして知っている人間がさつきのような者をこちらに送ったなどということがあれば、執務官であり、あの世界に「実家」があるフェイトの知るところになっていたはずだった。
「ああ、それは……どういったらいいのかな?」
さつきは少しだけ思案して。
「『魔法』を使ったんだと思うよ」
「それは――」
さつきをこの世界に転移させた魔導師がいるということなのか。
フェイトが身を乗り出して聞こうとした時。
「弓塚さん」
声がした。
「あ、遠坂さん」
とさつきが言った。
フェイトがその声のした方向を見ると、赤いコートの女性がそこに立って――
◆ ◆ ◆
「――フェイトさん?」
「あ、ティアナ?」
気がついた時、目の前に元六課で自分の元補佐官を務めていた、現在は立派に執務官をこなすティアナ・ランスターの姿があった。フェイトが彼女を見て眉を寄せたのは、そのティアナが心配そうに自分の顔を覗き込んでいたからである。
「どうしたの?」
「えと、それはこっちの台詞ですよ」
なんか今きたら、ぼーっとしていて呼びかけるまではなんの反応もなかったのだと言う。
「え? あれ? そうなの?」
なんだろう。凄く変だ。落ち着かない。何か苛々する。足の裏の何処かに目に見えない小さな棘が刺さったかのような、どうにもできない不快感と違和感がする。
なんでそんなことを感じるのかがわからずに、さらにいらつく。何か変だ。何かおかしい。何か異常が起きている。そして自分はそれがなんで異常なのかが認識できていない。胃の中に重いものを感じた。ストレスが急激に胃液を分泌させている。彼女はもともと神経質なところがあったが、それにしても今のこの状態は明らかに異変であり、異常であった。
そんなかつての上官を見ていたティアナも、眉をしかめる。
「フェイトさん……」
二人の間に漂った空気は、なんとも言いがたい気まずさを伴っていた。
と。
「――誰かと相席していたんですか?」
ティアナはフェイトの前におかれたティーカップと、グラスを見て、言った。細められた目は鋭かった。
「…………………ッ」
それを見て、フェイトはがたりと音をたてて立ち上がる。
紅茶の入っていたティーポットとカップ。トマトジュースの入っていたと思しきグラス。そして重なられていた二つのレシートに重しのように載せられていた貨幣が三枚。そして、自分が飲んだ覚えのない、空になったコーヒーカップ。
「どうしたんですか?」
静かに、ティアナは問うた。何が起きているのか解らないが、何かの異変があったということだけは彼女も察知した。それは些細なことのようでいて、この管理局でも優秀な執務官であるフェイト・T・ハラオウンを焦燥たらしめる何かであるようだった。
フェイトは周囲を見渡してから、見覚えのあるウェイトレスを呼ぶ。
「あの、私とここで相席していた人は、いついなくなったの?」
問われたウェイトレスは、何処か不思議そうな顔をした。
「お客様とお話されていたお二人でしたら、ついさっき出て行かれましたが――」
フェイトはその言葉を途中から聞いてなかった。
手にとったレシートを凝視していた。
ごめんなさい
日本語で、そう書かれていたのである。
◆ ◆ ◆
「……ちょっと、迂闊だったかしらね」
「ごめんなさい」
二人は黄昏の街を歩いている。
人通りは少なかった。
一年前に初めてここを通った時に比べると、半分以下になっているようにさつきには思えた。
無理もない話だった。
日に日に増えているという行方不明者の噂は、情報管制が敷かれても巷間に広まりつつあるに違いない。何が起こっているのかはわからないだろうけど、あるいはだからこそ、みなが不安になっているに違いない。
右隣を歩く赤いコートの女性を見ると、なにやら考え事をしているようだった。
凛々しいな、と思った。
自分の知ってる魔術師という人たちはみんな女性ばかりで、そしてみんなこんな風に凛々しくかっこいい。ひょっとしたら、世の中にいる女の魔術師という人たちはみんなこうなんだろうか。
さつきは「わたしも魔法を使いたいなあ」とぼそりと呟くと、それを聞きとがめたかのように「なんですって?」ときつい顔を向けられた。
さつきはあわてて手を振った。
「いや、だってわたしもまほ、じゃなくて魔術が使えたら、もっと遠坂さんとか、元の世界に帰ってもシオンの役に立てそうだし」
さっきみたいなことになっても、遠坂さんの手を煩わせずに済んだのに――と言うと、赤いコートの、遠坂さんと呼ばれた女は目を細めた。
綺麗だ、とさつきは思った。
長く黒い髪に、蒼い目。
最初に会った時から美人さんだなーとか思っていたが、今改めて見てもやっぱり美人だと思った。
彼女は溜め息を吐き。
「さっき迂闊だったかしらって言ったけど、あれ、あなたに言ったんじゃないから」
「え?」
話の脈絡が掴めずに、さつきは固まった。
この人とは一年の付き合いがあるけど、なんかたまに考え事に没頭して脳内で話を進めてしまって、それを聞かされている側としては話が解り難くなる時がある。今がそれだった。
「私が使った魔術のことよ」
「ああ……そうなの?」
「こっちの魔導師とかはああいうのに慣れてないから、わりと掛かりやすいって、油断してた。かなり我流くさいっていうか多分無意識だろうけど、レジストされたわ」
「れじすと?」
「抵抗されたってことよ。
また思考の世界に入り込む彼女を見ていて、さつきは「んー」と首を捻った。
遠坂さんが何を気にしているのかがよく理解できなかったのだ。
確かに自分たちがしていることは知られるとまずいけど、ちょっと偶然に出会った魔導師の人の記憶を消すというのはどうなんだろうかと思っていた。魔術師の秘密主義は知らないでもなかったし、自分も世間に知られるとまずい立場ではあるけれど――
「偶然は必然の別名だわ」
遠坂さん、はそう言い切った。
「この広い世界でなんの意味もなく地球のことを知っている、しかも強力な魔導師と私達が出会うだなんて、そんなことはありえない。どんな確率よ。数学的には十万分の一以下の出来事が起きたのなら、それは奇跡って言ってもいいそうだけど、そうね。多分、これは奇跡なんだわ。文字通りね」
「……え?」
さつきが聞き返したのは、奇跡という言葉もさることながら、彼女の表情が変わっていたからだった。
それは獰猛な猫科の獣のような。
「抑止力が働いてる――か」
――微笑を、浮かべていた。
つづく。