Over the lights・Under the moon(なのはと型月クロス・改訂版)   作:くおん(出張版)

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9/疑惑。

 

 

 

 9/疑惑。

 

 

 

『あ、フェイトちゃん』

 

 表示されたディスプレイの中で、いつもどおりのなのはが笑っている。

 それを後ろの席で眺めているティアナは、画面の中の高町なのはの挙動を見つめていた。

 フェイトはいつも通りに微笑み。

「おはよう、なのは」

『うん。おはよう』

 和やかなものだ。

 いつもそうしているんだろうな、と思わせるやりとりを二人は続けた。

 体調のこと、今朝食べたご飯のこと、ヴィヴィオのこと、昨日寝る前に読んだ本のこと、……あと、ユーノとはやてのことに話が及んでから、フェイトは「それで」と話を切り出した。

「聞きたいことがあるんだけど」

『どんなこと?』

 いつの間にか、二人の顔が緊張に引き締まっていた。

 いつものやりとりの延長ではなく、仕事が絡んでいることなのだとフェイトは視線と声で知らせていて、なのははそれを受けて察したようだった。

「なのはには、そっくりな親戚とかいる?」

(直球過ぎです、フェイトさん……)

『え?』

 画面の中のなのはは少し驚いた様子だったが、「んー」と首を捻っている。どういう意図を持ってフェイトがそう言ったのかを考えている様子だった。

『お父さんの方の親戚は、美沙斗叔母さん以外はみんな死んじゃってるから、いるとしたらお母さんの方かなあ……だけど、聞いたことないよ』

「うん。そうだったよね」

『それで、そういうことを聞くってことは、私のそっくりさんがいたってこと?』

 なのはの面持ちは真剣だ。

(ティアナ、なのはの表情をよく見ていて)

 画面に顔を向けたままのフェイトの念話が聞こえた。ティアナはその意図を掴んでいたので、返答もせずに沈黙を選んだままで画面を見ていた。ちなみに、彼女は一言も話していない。なのはからはこちらはフェイトしか見えていないはずだ。

「うん。そうなんだ」

 フェイトが素直に認めると、なのはは『んー』と怪訝に眉ねを寄せた。

『そういう場合にこちらに確認がくるのは解らないでもないんだけど、変身魔法とか使われている可能性は吟味したんでしょ、フェイトちゃん?』

「考慮済み。ただ、その相手はなのはの魔法を使った」

 使っていない。

 ティアナが現在知る限りの情報では、あの女魔導師がなのはと同じ魔法を使ったという話はでていない。

 簡単な引っ掛けだ。 

 こちらがわざと間違った情報を見せることによって、相手がそれをどう受け止めるかを判定するのである。初歩の初歩もいいところだった。

 案の定、なのはは画面の中で『私の魔法というと……』と少し考えている。こんな程度のことに引っかかってくれるようでは、管理局のエースなどは名乗れるはずも無い。あるいは、引っかかるようなものは彼女にはないのか。

 なのはは言う。

『私の魔法っていえるのは、スターライトブレイカー?』

「うん」

 まったくの嘘だ。

 親友を相手に根も葉もないことをよく言える。ティアナは自分がスバルに捜査の為とは言え、完全な嘘をつけるのかを想像してみた。うまく頭が廻らなかった。考えたくないことだったのかもしれない。

『スターライトブレイカーは収束魔法としてはかなり優れていると自分でも思うけど、ランクS以上で収束技術に優れた魔導師になら、同様のことはできると思うよ。一から組み上げるとなると、ちょっと面倒だけど。けどやり方が解っているのならばAAランクくらいでもできないことはないよ。そこらはフェイトちゃんも解っていると思うけど』

 そういえば、この人は九歳で自分であの魔法を編み出したんだっけ……とティアナは思い出す。昔見せられた記録映像の中で、当時の自分よりずっと年下の女の子がAAAランクの魔導師として自由に空を飛び、自在に魔法を操り、戦っていた。あの頃はあまりの才能の差を見せ付けられて圧倒されていたものだが……今なら、勝てる。そう思う。状況の設定次第で、あの天才魔導師にも自分は勝てる力を自分は身につけているという自信が今のティアナにはあった。勿論、九歳の頃の、と限定しなければならないが。

(違うか。こちらが向こうの手口を知ってて、向こうがこっちのやり口を知らないという前提だからこんなことを考えられるんだ。情報のあるなしは大きい……)

 そんなことを考えてしまうのは、やはり今の状況だからだろうなとティアナは思う。無意識に、自分はどうやって勝つのか、それを模索しているのだと気づいた。

 画面の中のなのはとフェイトの会話はそれからひとしきり進み、大した収穫もなく終わった。話し出したら二時間でも三時間でも続くのが二人の常だが、今日は昼前にヴィヴイオが来るので、その用意をしなければならないのだという。

 そういえば、そこは97管理外世界で、長期休暇中だという話なのだと思い出した。

(それにしても不自然な話ではあるわね。わざわざ故郷とはいえ、管理外世界に帰って、しかも誰も知らない別荘を借りるだなんて)

『じゃあ、フェイトちゃんも元気でね』

 そう言って、高町なのはは画面の中で言って、閉じた。

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

「それで、ティアナはどう思う?」

 なのはとの通信を終了させてから、自分の後輩である執務官へと向き直り、最初に聞いたのがそれだ。

「どう」というのはつまり、彼女らの疑惑どおりかということである。

「色々と確認すべきことはありますが――」

 ティアナは何処かためらいがちに、

「高町三等空佐は、どの程度の次元移動魔法を使えるのでしょうか?」

「次元移動魔法はかなり面倒な部類に入る魔法ではあるけど、なのはにも一応使える。ただ、それは武装隊員として最後の脱出手段の一つとしてであり、距離に関しては心もとないものだと思う」

 そこらについては、自分もそうだとフェイトは補足した。

 ティアナは頷く。すでに知っていたことではあった。

 次元世界を生身で移動するという次元移動魔法は、デバイスの計算処理能力があったとしてもかなり難しい魔法であり、なおかつ人間の使える程度のものでは、移動できる距離もたかが知れている。

 この場合の世界と世界との距離というのは、言語では説明しづらい概念であったが、とにかくある種の相対的な移動しにくさ、しやすさというものがあると思えばいい。移動についての計算処理が少なくて済む世界を「近い」と称し、計算処理が多い場所を「遠い」と考えている。実際の距離としての遠い近いは関係ない。移動コストの問題なのである。

 例えば東京から北京までは飛行機に乗ってからすぐにいけるが、四国の中央の山に行くには、まず飛行機にのってから空港へと行き、そこからおりて車で移動……などという手間暇が必要となるのであった。純粋な距離としては北京の方が遠いが、移動にかかる時間では四国の真ん中の方が時間がかかるという――そんな感じのものなのだとティアナは理解している。ティアナは四国なんていったこともないが。

 今このことを論じているのは、97管理外世界からなのはが移動したという記録がないためであった。もしも次元移動魔法を使用せずに移動しようとしたら、一度バニングス家を経由してミッドにまできて……というルートを辿らねばならず、必ず記録も残る。最初に調べた時には、なのはは二ヶ月前に97管理外世界にきてから、たまにミッドにいく以外は記録がない。その最後も二週間前だった。

 かつての自分のように時の庭園のような次元航行能力のある艦船に移動して……と考えるのも無理があった。そういう能力のある船は管理局で登録済みであり、97管理外世界周辺は最近では念入りに巡視されている。そもそも、それだけの人員やら道具を運用していたら絶対に足がつく。

 もしもあの魔導師がなのはだとしたら、次元移動魔法を使う他は考えようがなかった。

「第16管理世界から97管理外世界へと生身で移動するには……理論値としては人間にも可能、だけど」

 フェイトは右拳を作って、親指の爪を唇に押し当てていた。

「なのはの次元移動魔法では、そこまでの移動処理は難しいよ」

「ですよね」

 次元移動はこの次元世界において、もっとも重要な魔法と呼んでもよかった。

 ミッド式、ベルカ式がこの世界において重視されているのも、そのせいと思っていい。

 限りなく低コストで次元世界の壁を突破して、別の世界に干渉できるということは、それができない世界の社会に対して絶対的ともいえるアドバンテージを持つことが可能だからだ。すぐさま次元の果てに移動されてしまっては、その相手がどれほどの犯罪を犯そうとも逮捕できないということであり、そんなことを繰り返されては社会秩序は保てない。

 それゆえに、次元移動魔法については多大な制限がかけられており、一般の魔導師にはほとんど使えない。そして使える者でも処理の問題があって近場の世界にしか移動できない。そして、ミッドを中心として「移動しやすい世界」というのはことごとくが管理世界である。そのあたりの制限については、武装隊員である高町なのはも同様であった。

「武装隊員として大隊規模以上の部隊指揮をとる立場の人間には次元移動魔法が公開されるが、それは緊急手段として」

 ティアナは暗記されていた知識を口にしてから、そこで「しかし」と言葉を続けた。

「ごく稀に、既存の次元移動魔法を解析した上で、遠距離移動法を確立する魔導師もいる、と聞いています」

「なのはがそういうことができるかといえば、可能性だけならYES」

 高町なのはという魔導師は、天才だ。

 魔導師としての魔力の総量という意味ではない。

 魔力をどう運用すべきか、それを感覚で把握してしまい、その処理を論理的にも解析して組み上げることが可能である。

 教導隊の前線から引退すれば、開発の方へとそのまま異動できるのではないかと皆には言われていた。

「だけど、その可能性は限りなく低いといわざるを得ない」

 フェイトはそういいながら、額に皺を寄せていた。

 果たして自分は冷静に思考できているのか、自分の親友を庇おうとする無意識に確証バイアスをかけて推論を歪めていないのか、それを彼女は懊悩していた。

「なのはは管理局に入ってから、それこそずっと武装隊員として最前線で戦い続けてきた。教導隊として後衛に回ったけど、それは仕事が減ったということを意味してない」

「ええ。教導官の仕事は、ただの武装隊員よりずっと多いですからね。戦闘訓練のスケジュールを組んだり、開発課に協力して新兵装の実験をしたり――次元移動魔法の開発を個人的に行えるかというと、それは無理でしょう」

「そう。()()()()()()()()()()()()()()()()っと()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、そういうのでなければ身につけられるものではないんだよ。超距離次元移動魔法というのは。それに」

「それに?」

「もしもなのはがそんな魔法を使えるのだとしたら、」

 

「それを使って、多くの人を救おうとしているはずだから」

 

「ですね」

 無理に抗弁はせず、ティアナはそれを肯定した。

 確かに、そうだろう。

 高町なのはという人ならば、超距離の次元移動魔法を使用できるとなったら、それを使ってより多くの世界に行き、より多くの人を助けようとするはずだ。

 自分らにそれを隠そうとするはずはない。

「だとするのなら、考えられる可能性は二つ」

「一つは?」

「数回に分けて移動している可能性。超距離移動ができないのなら、三回か四回で移動すれば」

「理論値としては不可能ではないね。多分――四回は必要ない。三回くらい。ただ、これはあくまで理論値としての話で、次元移動魔法を連続で三回もやったら、足腰立たないね。少なくとも……もしも、あのなのはがそれをしているとしていたら、画面にでている時はかなり無理していたと思うね」

 もしかしたら、今頃はばたんきゅうと倒れているのかもしれない。

「すぐに確かめてみます?」

 ティアナが聞くと、「いい」とフェイトは首を振る。

「あんまり、今の状態で疑っているのを向こうにわからせてもね……もしもそうだとして、逃亡されても困るし」

「充分疑っているのを見せていた気はしますが……」

 ティアナは軽く息を吐く。

「それで、もう一つは?」

「協力者が――というのはどうです?」

「例えば、あの赤毛の男とか?」

 ティアナは頷く。

「フェイトさんも知らない魔法を使っていたそうですが」

「そうだね。ちょっとよくわかんない魔法を使っていたし。あれが転送系の魔法だとしたら、あるいは彼は私たちには未知の転送、もしくは次元移動魔法が使えるのかも知れない」

「その魔法で高町三佐をこの街から97管理外世界にまで運び、アリバイを作った……と」

「うん。なのは当人が超距離次元移動魔法を使ったというのよりは現実的だね。あるいはなのはと交互に使った、ということもあるだろうし、それに協力者ということを考えれば、他の魔導師がいて、サポートしている可能性だってある」

 例えばユーノとかはやてとか、という言葉をフェイトは口の中でだけ呟く。

 無限書庫の司書長のユーノ・スクライアは補助系の魔法を得意としている。彼に超距離の次元移動魔法が使えるのかというのは長い付き合いであるフェイトにもよく解らないことではあったが、可能性を言うのならばなのはよりはありえる。

 夜天の王、八神はやてについていえば、どれほどの魔法を保有しているのかは誰にも解らない。蒐集行使なるレアスキルを使えば、現在進行形でほとんど訓練期間なしにあらゆる魔法を保有できるからである。ただし「蒐集」は「習得」ではないので、例えば近接戦闘用の魔法を蒐集したとしても、それを使いこなせるかというとそうではない。はやてのような大魔力持ちはマルチタスクが基本的に苦手だ。魔力制御に演算処理の大半がとられるためであるが、とにかく自らの莫大な魔力のため、彼女らのような大魔力の持ち主は近接戦闘における瞬間的な判断ができないのだ。次元移動魔法の場合はそういう類ではなく、むしろはやての得意分野なので問題はないだろうけど。

(しかし、二人とも違う……少なくともユーノは無限書庫でいたことは確認できている。はやてはみんなと一緒にでかけているということでアリバイは確定しなかったけど――)

 少なくとも、なのはとはやてが協力しているのだとしたら、前線にはヴォルケンリッターがいないというのはおかしい。なのはが出ていて、ヴィータがいないというのはありえない。

 そうフェイトは思っている。

 だが、この二人以外にもなのはには知り合いがいてもおかしくはない。

「とりあえず、なのはのアリバイについては不確定、と」

「はい」

 ティアナの言葉と共に、ディスプレイに映像が浮かんだ。

 デバイスが記録している、あの夜の戦いだ。

 

 白い魔導師が刀を振りかぶっている。

 

 ティアナがボタンを押すと、その映像が入れ替わった。

 続いて浮かび上がったのは槍型のデバイスを構えた白い魔導師。

 

 両腕を振り回しつつ高く足を上げて、踏み込んだ瞬間。

 

「ケイメンパーチーチュアン・リューヒーダーチャン」

 フェイトは、その言葉口にした。まるで呪文のようだと言いながら思った。

 彼女はその言葉が何を意味しているのかは知っていたのだけれど。

「開門八極拳・六合大槍――」

「なんです、それ?」

 ティアナの疑問はもっともだった。

「97管理外世界にある戦闘技術の名前だよ。海鳴でも、趣味でやってる人がいた。なのはの家の近所で。昔あったことがある。もう何年か前に亡くなっているけど」

「つまりそれは、高町三佐も知っている技術ということですよね」

「うん。だけど、それと習得しているかというと別問題だよ。なのはの戦闘スキルは基本的にミッド式で、地球の武術は習っていないんだ。それも体系が異なる二つもの武術を、しかも高レベルで習得しているだなんて、無理がある。八極拳だけならまだしも、剣術もだなんて――剣術だけなら、もしかしたら、高町家に伝わる御神流二刀小太刀術の基本技くらいは学んでいる可能性はあるけど」

「色々、あるんですね」

「だけど、それもやはり――」

 そこで口をつぐみ、フェイトは画面からティアナへと向き直る。

「ティアナは、どう思う? この魔導師について」

「戦闘スタイルから考ると、高町三佐とは完全に異なります。推定ですが威力の規模、スキルとしての習熟度合いから鑑みて、最低でも管理局における魔導師ランクで陸戦AAかそれ以上はあります。高町三佐は空戦を主体としている人ですから。いざというときのための隠しスキルとして身に着けた、という可能性は否定し切れませんが、地球の武術は対魔導師、騎士戦を想定していない以上、次元世界では通用しません。魔法の補助によってそのあたりは補えますが、研究だけでもかなりの期間を要するでしょう。空戦主体の砲撃魔導師である高町三佐が、そんな本来の自分のスタイルとは完全に違うそれを時間をかけて身に着けるというのは、ありえません。そもそも隠しスキルは隠しスキルです。隠して、不意を衝くというのが最良の方法です。真正面から、端くれではありますけど執務官を務める私を相手にして、本来の自分のスタイルを封印してまでしてそれを使って対峙するというのは、明らかに理屈に合わない行為です」

「どうやってその技を身に着けたかは置いといて、ティアナ相手にそれを使ったのは、正体を隠すためだとしたら?」

「それならば変身魔法も使うでしょう。いつもと変わらない姿でスキルだけを別というのは、どう考えても不合理な行為です」

「なるほど……」

 フェイトがそう相槌をつくと同時に、ディスプレイの中の映像が消えた。

「まだ色々と聞きたいことはあるけど、とりあえずティアナの結論は?」

「はい」

 

「この人は、高町――なのはさん、です」

 

 フェイトは呆気にとられて目を丸くした。ここまでの説明を聞いていて、ティアナがそういう結論を下すというのが信じられなかったのだろう。

 ティアナはそれに構わず。

「私の心証ですけど」

 と続けた。

「……根拠は?」

「私のことを知ってました。私の幻術を即座に見抜かれました。データで知っていたというのではなくて、明らかにこの人は、私の習得している技術の全てを把握しています。そんな人は管理局にもなのはさん以外にはいません。それと、」

 ――強くなったね

 あんな言葉は、なのはさんでなければ……と続けようとして、やめた。どうしてか、そこまでは言いたくはなかった。

「それと?」

「いえ、すみません。ちょっと勘違いしてました。ですが、間違いないと思います。この人はなのはさんです」

「そう」

 自分が残念そうな声をあげていないか、それをフェイトは気にしていた。自分が私情を言葉に滲ませていないか、それをフェイトは気にしていた。

「なのはが犯罪か――」

 ありえない、信じたくない、そんな声を心の中でもう一人の自分が叫んでいるのが解る。なのはのしていることならば何かの理由があるんだよと主張している自分がいる。理屈じゃないな、と思う。自分はどうあってもなのはの味方でいたいと思っている。それは隠しようがなかった。そしてそれとは別に、なのはが間違っていることをしているのだとしたら、自分が止めなくてはいけないと思っていた。

(それはかつて私がなのはにしてもらったことだから……だから、だけど、私はなのはと……)

 目を伏せて苦悩する先輩執務官に対し、ティアナは「ですが」と言った。

「全ては私の心証でしか、ありません」

「…………そう?」

 フェイトは目を開けていた。

「この魔導師がなのはさんである、ということを証明することは、今の時点では無理です」

 そう――かもしれない。

 彼女は、フェイト・テスタロッサ・ハラオウンは考える。

 画像に残っているこの魔導師が高町なのはである、ということを証明する根拠は、確かに今のところ二人にはなかった。

 なのはしか知らないようなことを知っていた、というのは絶対のものではない。ティアナのデータを入手することは不可能に近しいが、幻術を見抜かれたからそうだというのは強弁にも近しいようにも聞こえる。例えばティアナをよく思わない人がいたとしたら、「自分の未熟を棚に上げて」とかいいそうだ。そうでないにしても、あるいは陸戦でS+以上の、ストライカー級の騎士か魔導師だとしたら、一瞬で把握してしまう可能性はある。もしも自分やヴォルケンリッターがティアナと対峙することがあったとしたら、ティアナのことをよく知らなかったとしても、幻術を見抜けてはいたと思う。自分ならばともかく、ヴォルケンリッターならば、できるだろう。

(逆に言えば、なのはでないのだとしても、なのはと同等かかそれ以上の魔導師が相手ということになるのか……)

 厄介なことには違いなかった。

 ティアナはフェイトの思考を知ってか知らずしてか、言葉を続けていた。

「だいたい、なのはさんがこんなことができるとか、どう考えても普通は無理がありますからね。誰も信じてくれません」

 それは剣術と拳法の両方を使いこなしていたということについてだろう。

 フェイトはどこか呆れたように。

「普通は、そのいう心理的なブレーキがかかって、なのは当人だとは思わないんじゃないかな」

「いやー……なんかロストロギアでも使ってるんじゃないですか?」

「なんか投げやりだ。というか、そんなロストロギアあるの?」

「あっても不思議じゃないと、思います」

 ティアナは肩をすくめてみせた。

「執務官としての経験はフェイトさんと比べると浅いですけど、それでも、色んなロストロギアと遭遇しましたから。もうたいがい何でもありだと思うことにしてます。はやてさんみたいに、魔法とかを蒐集するなんてレアスキルもありますし。次元世界の何処かには、戦闘技術を蒐集することができるロストロギアとかレアスキルがあったとしても、私は驚かないですよ。今なら」

「そこまで都合のいいものもそうはないと思うけど……」

 まったくありえない、と言い切れないのがロストロギアの恐ろしさであり、次元世界の広さであった。

 ティアナの操作でまた画面が入れ替わった。

「一晩で、二人の管理局員の死亡が確認できました」

「うん」

 表示されたのは、二人の男女の顔だった。

 一人は武装隊の、昨晩に胸を貫かれて消滅した陸戦Aの女魔導師であり、もう一人は一般局員ではあるが魔導師ランクで陸戦Aを持つことから警邏に借り出された男だった。通常、陸士だの武装隊だのの隊員のランクはBが平均であると言われる。魔導師ランクは直接に戦闘能力の上下を意味してはいないが、ある程度の目安にはなる。A以上ともなれば、かなりの逸材と言ってもよかった。

「彼女は近代ベルカ式の近接スキルも併習しているんだね。近頃はそういうタイプが増えてきているとは聞いてるけど。身体強化で反射速度を上げて――うん。私と近いタイプだ」

「フェイトさんに憧れている局員も多いそうです」

「そうなんだ。それで、この人が突然、おかしくなったんだよね?」

「はい」

 証言によれば、行方不明者たちと思しき一団との交戦中、いつの間にか現れた誰かに捕らわれて、突然におかしくなったのだとその場にいた隊員たちは言っている。

「金髪の、多分女だとしか解らないそうですが。突然に後ろから抱え込まれて」

「ミッド主体とはいえ、ベルカ式の使い手を?」

 

「はい。首筋に噛み付いていた、ようにも見えたそうです」

 

 フェイトはぞっとした。

 それは――それでは、まるで――。

「吸血鬼みたいな」

 血を吸って、仲間を増やし。

 殺された『犠牲者』は、灰になる――

「今回の事件で、殺した方か特別ではなくて、殺された方が変異させられていたということが確認できました」

 確認されたのは三例例であるが、最初の黒髪の女性というのとこの魔導師は別人だろう。別々の魔導師がそれぞれ同じ、それも高難度の殺し方をするというのは考えにくい。そして、武装隊の魔導師の手によっても同じことが起きたのが確認された。当然、彼らがそんなわざわざ灰にするような魔法を使う訳がない。つまり、灰のようになるのは『犠牲者』の特性だということが明らかになった。

 しかしそれは、彼女らにあるケースを思い出させるものでもあった。

「ティアナは、これがマリアージュと同様のケースだと思っているんだ」

 無言で頷き、男の画像をピックアップする。

「彼は元武装隊の人間です。こちらはベルカ式主体です。結婚を機に、四年前に内勤を希望して異動しました。一年前に離婚していますけど」

「彼は死亡が確認されたという訳ではなかったね」

「はい」

 映像は、また別の路地裏だった。

 しかしそこでは殺傷設定の魔法を使ったのか、不自然に壁が凹み、大きく床が砕けているのが解る。

「証言も取れています。あの時刻とほぼ同じ頃、この周辺から戦闘と思しき騒音が聞こえていたと」

「元とはいえ、陸戦Aの魔導師……騎士が暴れまわったら、それはとんでもないことになる――彼のインナーが残っていたんだ」

「はい。戦闘の痕跡から類推して、恐らく二人以上の陸戦タイプの、近接主体の相手と戦ったのだろうと」

「衣服だけ残されていたということは、彼もまた変異させられていた、ということか……」

 どうやったら、あるいはどんな怪物だったらそんなことが可能になるんだろうとフェイトは思った。

 捕らえて変異させるにしても、恐らくは制限の外れたA級騎士を打倒するにしても。

 ベルカ式の使い手を組み討ちで封殺するのは、同レベル以上のベルカ式の使い手であっても骨の折れる仕事である。ましてそれを戦闘の最中に不意をついたとしても行いえるかというと――例えばヴォルケンリッターの盾の守護獣ザフィーラにしても、難しいと思う。

 そして、バーサーク状態にされてたと思しき陸戦Aの魔導師を倒すというのも尋常ではない。同様の状態になっていたと推測される女魔導師は、砲撃を敵味方関係なく浴びせて一瞬にして倒してしまったのだという。男がそうなっていたとしたら、倒すのはフェイトにしても容易ではあるまい。

「ここでもなのはがやった、ということはないよね」

「距離としては五キロ離れています。時間的に、別のグループがいて倒したと考えた方が辻褄は合います」

 ディスプレイに、地図が表示された。

 フェイトたちが交戦した場所と、男のインナーが見つかった場所がポイントをつけられていた。

「ここだと、私たちがきたのはこっちだから――アレが起きた、その方向で起きていたことなんだね」

「アレですね」

 アレとは――あの、二人の背筋を寒からしめたあの衝撃のことだ。

 空間そのものをめくり返すかのごとき不快感を伴った、未知の波動。

 数秒間、フェイトはそれで動きを止めた。

 その数秒間があれば、あるいはあの女性も助かったのではないか――そんなことを悔いてしまう数秒間。

「管理局と……上空で待機しているクラウディアの方でも観測されていました。何かの空間作用の魔法を局地的に展開させていたと考えられます」

「空間作用だと結界魔法を最初に考えるけど、そうじゃないんだよね?」

「その可能性は大きいんですが……少なくとも魔力波形のパターンから、管理局では初めて検出したものであり、確定はできかねる、とのことです」

 画面に浮かんだのは数式と波形図である。それがだーっとした勢いで上から下に流れていく。

 フェイトは何処か興味深そうにそれを眺めていたが、「かなり乱暴な感じだね」と呟く。

「乱暴、ですか」

「強引といってもいいのか。ミッド式にしてもベルカ式にしても、空間作用の魔法は結構デリケートなんだ。結界魔導師の中には、デバイスに計算を任せる時に生ずる、極小の認知速度のズレをすら嫌う術者もいる」

「はい。聞いたことはあります」

「一定空間内の時間流さえも制限するんだから当然なんだけど……この波形だと、強引に空間を塗り潰している感じ」

 こんなだと、長持ちしないなと言った。

 

「まるで、世界そのものを自分の魔力で作り変えているみたいな――」

 

「そんなことして、なんの役に立つんです?」

 ティアナは当然の疑問を口にした。

 ミッド式にしてもベルカ式にしても、世界そのものに働きかけて特殊な効果を起こすという点では共通している。ベルカ式は体内を中心として、ミッド式は自分から離れた場所に対して効果を及ぼすという違いはあるが、基本概念は同じだ。量子レベルでそのような効果が起こり得る世界というものを、一時的に現出させているのだ。そういう意味では、魔法というのは世界を魔力で塗り潰しているという行為であるといえる。だが、世界は矛盾を嫌う。強固な物理法則に対して魔法が効果を及ぼせるのはほんの僅かな時間だ。

 この謎の魔法は、一定時間、一定範囲において作用しているという点が特異――というよりも、異常であった。

「いうなれば、砲撃魔法を一定時間、全方向に出し続けているようなものでしょう?」

「さあ、それこそ解らない」

 そう答えるほかはなかった。

(ティアナだって気づいてる。このやり方はなんだか効率が悪い。まるで魔法プログラムを使わずに魔力だけを使ってるようにしか思えないんだ。野生種の魔導生物がこんな感じでブレスを吐いたりするけど、そういうのともまた違う)

「フィールド系の魔法の感じがしないでもないけど、何かよほど核になって強く働きかけるものがないと、ただ魔力を放出しているだけで終わるはず。そうなると、はやてのデアポリック・エミッションが近いかな……多分、まだ私たちの知らない何かがまだあるんだ」

「謎だらけですね」

「解らないことを並べていくだけで、うんざりしてくるよ」

「はい」

 二人は疲れたように頷き合うと、立ち上がる。

「それじゃあ、ミーティングはこれくらいにしておこう」

「お昼ご飯はどうします?」

「昨日の喫茶店で……といいたかったけど、局内の仕事があるから、食堂で間に合わそう」

「仕事――そういえば、密葬ということになったんですよね」

 それは、昨日殉職した二人の管理局員の葬儀についてである。

 いまだ事件が解決していないということもあるが、全容の知れない状況において、まだあまりことをおおっぴらに触れ回りたくはない……という判断が上の方でされたらしい。

 葬儀に参加するのは同じ武装隊の人間とその関係者、直接の上司――そして執務官の二人までだった。

「私たちは三時の埋葬の時にだけ立ち会えばいいという話だけど、教会には早めにいっておこう」

「はい」

 歩き出してすぐに、ふと思い出したようにフェイトは言った。

「あと、補佐官の追加を申請しているから、葬儀が終わる頃には選出されているかもしれない」

 

 

 ◆ ◆ ◆

 

 

 さつきの目の前で、凛は全ての衣服を脱ぎ捨てた。

 綺麗だな、と思う。

 黒く艶やかな髪、白い肌、青い瞳。

 体形はスレンダー型だが、くびれのある腰、形よく自己主張をしている胸の膨らみなどは、吸血鬼としてはともかく、女の子としては平均的なそれを大きく突出しないさつきの劣等感を煽ってならない。

「あんまり、じろじろ見ないでよね」

 そう言ってから、遠坂凛は浴室……というか、浴場まで歩く。

 この場所は部屋の中央に七畳ほどの大きさの風呂があるという様式であった。湯気はどうい仕組みか一定の空間以上は広がらないようになっている。まわりを囲むように配置されているベッドやクッションなども、多分、水を弾いて濡れて染みになるということはないだろう。

 さつきはぼんやりと凛が身体を洗ってから湯船に入るのを眺めていたが、やがて溜め息を吐く。

「はーあ……こういうところには、遠野くんと一緒にきたかったなあ……」

 ぼやいた。

『こういうところ』というのは古風にいうのなら連れ込み宿で、現代風というか日本風にいうのならラブホテルだった。日本のそれは海外に比べればありえないほどに内装や設備が充実してるいとテレビでやっているのを見たことがあったが、さつきが凛と入ったここは、日本の何処と比べてもありえないほどのサービスがついていた。

 風呂が室内にあるのに、湯気が広がらないだとかもその一つだ。

 凛の姿は湯気の向こうで白く霞んで見えたが。

「私もねー、女の子と入るってのはちょっとないわと思ったわ」

 凛の声は、しかし何処か揶揄を含んでいるように聞こえる。

 さつきが唇を尖らせて。

「別に、路地裏とかでもいいんじゃないかな?」

「私は疲れて、ベッドで眠りたかったのよ」

 いつもならば何人か作っている『パトロン』の部屋で過ごしているのだそうだが、さすがに二人で行くというのは気が引けたという。

「そうなんだ」

「あと、『パトロン』って言っても、暗示で家族に成りすませているだけだから。この世界は魔力持ちが多いし、なんの拍子で術が解けるかも解らないし。なるべくおとなしくしておきたいのよ」

 それが本音だろうということはさつきにも解ったが、そのことには触れずに、

「……なんか便利だよね、暗示って」

 と呟き、私も暗示能力を高めよう、とさつきは心の中で誓った。凛は湯気の中で「魔術師は本当は滅多に魔術は使わないけどね」と言っているが、ほとんど聞き流している。

「儀式と戦いの時くらいにしか使わないものなのよ。本当に、この世界の魔導師と私たちのような魔術師とでは、あり方が全然違うのよね」

「はあ……」

「聞いてないでしょ?」

「聞いてます」

「まあ、いいけどね……あんたも入りなさいよ。いいお湯よ? なんかよくわかんない成分はいってるけど。多分、疲労回復とかにはいいと思うわ」

「んー……残念だけど、吸血鬼は流れ水とか駄目だから」

 あまり知られていないが、吸血鬼は流れる水が弱点の一つである。

 それは「流水は穢れを洗い流す」というような原始的な概念の作用ではあるのだが、より霊的な存在となってる吸血鬼は、大きくその影響を受けるのだ。

「そういえば、そうだったわね」

「吸血鬼というか死徒の人で流水を克服した人は一人だけって話だから。――概念の効果って世界が変われば無効化されるかと思って期待していたんだけどなあ……」

 ちょっとがっかりした、とさつきは言う。

「日光が弱点というのは紫外線に身体が持たないということで、概念の効果とは別だっけ。水が弱点というのも概念とは別という可能性もあるのかしらね。まあ、この世界でも魔術基盤がある訳だし、あるいは〝根源〟が一緒だと別の世界の概念の効果も生じるのかも――平行世界の一つだとするのならそこらの推測に無理がないんだけど……」

 また考えはじめたらしい凛を眺めていて「のぼせないでねー」とさつきは声をかける。凛も聞いているのだかいないのだか、「解ってるわよ」と返事をした。

 さつきは「はーあ」と溜め息を吐く。

「本当に、こういうところは遠野くんと来たかったなあ……遠野くん、シオンも、猫さんたちも、リーズも……今頃どうしてるんだろう」

「きっと心配しているわよ」

「うん、まあ、それは多分。だけど、遠野くんは私のこと知らないみたいだし……もしかしたら今頃」

 こんなホテルで――と言いかけて、恐らくはその相手であろう存在に思い至り、さらに今頃は()()()()()()()()こんなところにいないか、とまた溜め息を吐いた。

「溜め息が多いと幸せを逃がすわよ」

 凛の言葉はもっともだとさつきは思う。

 さつきは、だけど――と言いかけて、やめた。

(私、もう幸せこないんじゃないかなあ……吸血鬼に噛まれて吸血鬼になっちゃって、家にも帰れずに路地裏生活だし)

 それでもなんとか頑張っていたら仲間もできたけど、気づいたらこんな遠い世界に来てしまってるし。

「まあ、気持ちはわかんなくもないけどね」

 湯気の向こうで、遠坂凛は苦笑しているようだった。

「死徒に噛まれたからって、すぐ死徒になれるもんじゃないって話じゃないの。死徒に吸われてしまったことは不幸ではあるけど、死徒になったということは、チャンスを拾えたということではあるわ。アトラス院の学長さんも協力してもらえるみたいだし、元に戻れる可能性だって僅かにもあるし。――いっそ、死徒としての力を極めるというのもありなんじゃない? 貴女は性格的に向いてないみたいだけど」

「そういうことも言われたけど……だけど、そういう資質があるっていわれてもあんまり嬉しくないし。それにこっちの世界だと普通に死徒になれてるみたいだし」

「それは――」

 さつきが言っているのは、昨晩に対峙した死徒の男のことだ。

 管理局の制服を着ていたあの男は、かなり強い吸血鬼となっていた。元から、かなりの強さを持っていた魔導師だったのだろうと思われた。彼女ら二人をして短時間で倒す方法を一つしか選べなかったほどに。

 二人がわざわざこんなラブホテルにいるのは、一人では身を守れないほどに消耗しているからというのがあった。

「まー、この世界は魔力を持つ人間がかなり多くいるのは確かだけどね。だけど多分、あの男は、死徒に意図してされたのよ。多分。あの女に」

「…………かな」

 そのあたりは二人ともまだ把握仕切れていなかった。

「あれがもしも貴女が言っていたとおりの存在だとしたら、その可能性は高いと思うわ。私の追っていたあいつも、死徒化していたけど、やはりあの女にやられたんでしょうね。あるいは、自らその牙にかかったということだってありえるわ。あまり常識的ではないけど、死徒化は魔術師としては選択肢の一つでしかないもの」

「うーん……」

「まあ、貴女はあまり難しいこと考えないでもいいわよ。今はとにかく、魔力を補充することを考えてなさいよ。今の状態だと飢餓とまではいかないけど、かなり消耗しているんでしょう。衝動で吸血行為なんかしたら、それこそ目も当てらんないわよ」

「あとで遠坂さんの血をくれるんでしょ?」

「あとでね……本当は、もう一つ魔力補充の手段はないでもないけど……」

 凛の言葉は、後のほうが消えていくような小さなものになった。

 さつきは少し気になったが、凛のような魔術師なら常に最善のものを選択するだろうという信頼がある。それを選ばないということは、何かの問題があるのだろう。きっと。そう思って、聞き返すような野暮はしなかった。

 それから少しだけ気まずい空気が流れ、沈黙が場を支配する。

 やがて二分もたつと、耐えかねたのか、さつきは「だけどさ」とどうでもいいようなことを言った。

「この世界の人たちは、平均、資質が高いと思うよ。だって、一人も死体になってないもの」

「? どういう意味――」

「だって、三咲町では結構死体とか出てきていたし」

「――しまった!」

 大きな水音をたてて、凛が立ち上がった。

「ちょっと! 貴女なんでそのことに気づいてたのに言わなかったのよ!」

「え? ここ魔法の世界だから、そういうこともあるのかと思って……」

 さつきの前に、風呂から上がって水に濡れた凛が歩み寄ってきていた。

 真正面から見た女魔術師の姿は、綺麗という以上に凄艶ですらあった。

 反射的に股間の濡れたヘアに目をやってしまい、思わず顔を覆った。女の子同士でも、恥ずかしい。特にこんな綺麗な人の裸だなんて、正面から見ていると凄く――喉が、渇く。

「ち。うっかりしてた。死徒に噛まれたからって死徒になれるわけじゃないけど、必ず死者になるって訳でもなかった……資質がまったくなかったら、普通に死んで死体になる――誰かが処分しているってことよね……これはひょっとして……」

 自分の思考に入り込んでいる凛を見上げているさつきは、いつの間にか手を下げていた。

 真っ赤になった顔で、凛を視ている。

 喉を両手で押さえている。

「あ、あの、遠坂さん」

「ん?――どうしたのよ」

「ちょ、ちょっとでいいから、あの、その――い、痛くしないですから!」

「え? 何? ちょっと、その顔で近づかないでよ! お願いだから――――」

 飛びかかったさつきに真正面から押し倒され。

 二人は湯船に派手に落ちた。

 

 

 

 転章

 

 

 

 そこは、何処か暗い場所だった。

 女は静かにベッドに横たわっていた。

 一見したら、それは人間とは、いや、生物とは思えなかったかもしれない。

 金糸をもって造ったかのような金髪、白磁器を思わせる肌――天上の工芸の神が美というものを形にしたのならば、このような造形が生まれるのかも知れない。

 そんな、あまりにも美しい女であった。

 ベッドに横たわり、胸の前で両手を組み合わせて、女は眠っている。

 そう。

 眠っているのだ。

 微かに上下する胸が、その鼓動の存在を確かに証明している。いや、その身体が持つ存在感こそが、女がただの作り物なのではなく、生きているのだと示しているのかもしれなかった。

 

 その女を見下ろす男がいた。

 

 暗い部屋で女を見て、しかし何もせずにいる。 

 ただ傍らに立ち、女を見ているだけだ。

 やがて、ぽつりと呟いた。

「局面が変わったか」

 その言葉にどれほどの意味があったのか。

 男は静かに言葉を続けようとしたが。

『――準備が整いました』

 空間にディスプレイが現れる。

 男はうむ、と軽く頷いた。

「そうか。では、いますぐ行く」

『葬儀を行う聖王司祭のプロフィールは、後ほどまとめて――』

 画面を消し、男は踵を返した。

 向こうところには、扉がある。

 あの扉をくぐれば、そこにあるのは日常の、退屈なつまらない仕事のはずだった。

 それすらも楽しく感じてくる。

 男は、自分の人生が充実してきているのを感じていた。

 

 

 

 つづく。

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