たまにはこんな駄文もいいじゃない 作:文系学生
最近思いますが、「低評価」ってなんでつけるんですかね?いや、ハーメルンだけの話じゃなくて。「高評価」は分かりますよ。良いものを読んだり食べたりしたら誉めたくなりますもんね。三ツ星レストランとかの「評価」はまた違ったプライズ的な意味合いがあるんでしょうし。
でも「低評価」っていうのは言ってみれば何にもならないわけでつけたところで特になにが起こるわけでもないし、つけてもその店や小説が潰れたりするわけではないし。最もレストランとかAmazo〇とかで粗悪品を掴まされて、その「怒り」のエネルギーを「低評価」に込めてるってんならまだ分かるんですよ。共感とは別の次元で。
ただハーメルンとかのサイトの場合、読者はなにかを失ってはいないわけで。結局ハーメルンの話になってしまいましたが。もっとも「時間」をロスしてはいるとは言えるか。ただそれなら「良い小説」だろうが「悪い小説」だろうがロスした時間に変わりは(その質に応じては)ないわけで。なにかをそこから学んでいるかと言われてもそんなことはないわけで。
理解できる理由としては「ランク付け」ってところですかね。自分が読んだ本を☆の数で評価、なんてことは昔はやってましたし(今となっては面倒すぎる)それなら合理的ではありますよね。まあ私は自分の本棚に程度の低いものは置いておきたくないタイプなのでそんなことはしませんが。
うーん、つまり何が言いたいかというと、色んな小説のコメ欄を見たり、自己紹介を見たりしていると「意見してやる」とか「ダメな小説は許さない」とかな気持ちが見えてきて……どうにも…なにか、こう…耐えられない気持ちが湧き上がってくるんですわ。いや、勿論そういうコメントは全体の一部ですし、私だって読んで「失敗だったなー」なんて思った小説のコメ欄に書き込みたくなる気持ちはありますよ。
でも、もっと…こう…「想像して欲しい」というか、「『批判コメはしないで下さい』って書いてあるが、それは規約違反だから、(以下辛辣なコメントが続く)」とか言わないでさ、そりゃあなたの方が「正しい」んだけどさ、そう書きたくなる筆者の気持ちも考えてみてよ、というか。
いや……でも…こう書いてもこれを見た人がどうなるとかそういうことをこの文章は意図していないし、そうなるとこの文章はただの愚痴になるわけだし…ひょっとしたら予防線とか言い訳が大好きな性格だからそう思うだけかもしれないし、書く方に力点置いてるから書く側に感情移入してるだけかもしれないし…。
もういいや!無し無し!この話無し!
以下はただの愚痴。
最近見ていてすこ~しイラっとする言葉は「文才」。
よく「文才がある」、なんて言うわけだけれども「文才」ってなによ?文章の才能?小説を文章って言うのはなにか小説を小バカにしている感じがする。というかこの言葉を見ると、偏差値の高い学校に通う人に「勉強得意なんだ~(もっと露骨なのは『天才なんだ~』)」って言う人を見たときの感じを抱くというか、「努力とか技術はどうなんの?(あるいは『努力して"得意になった"とは考えないの?』)」って言いたくなってしまう。凄く頑張って練習した小説を「文才がある」の一言で片付けられたらどうなんだろう、と想像してしまうというか。やはり自分より優れたものを見たときって才能のせいにしてしまいたくなるんですかね?まあ文豪とか流行作家とかを考えたら「ありゃあ才能だろ」って言いたくもなるか。この話題もブーメランだな。
でも自分でこの言葉使う時は煽る時ぐらいかなあ。あ、言われる分には全然構いませんよ?才能ある、って言われるの大好きなんで。水面下で足をバタバタさせる白鳥に憧れてるんで。