たまにはこんな駄文もいいじゃない 作:文系学生
ペンは剣より、弱い。
これは純然たる事実だ。もう一度言おう。ペンは剣より弱い、と。
そもそも、なぜペンは剣より強いのか。
これは簡単だ。そういう名言がある。「ペンは剣より強し」、これを言ったのはサー・エドワード・ジョージ・ブルワー・リットン男爵、かのリットン調査団のリットンの父である。
もっともこの人物は、かの「英国至上もっともつまらない小説の出だし」であり、チャールズ・シュルツが「ピーナッツ」でスヌーピーに打たせている有名な文句、「それはある嵐の夜だった」から始まる小説で名を上げた人物であるから、その名言も誠にもって信用ならない。そもそもサーだのバロンだの称号がごてごてつく人物が述べている時点でお里が知れようというものだ。
では、なぜこの名言が広まったのか。これは想像でしかないが、サー・リットンが日本に紹介されたのは明治初年、世は動乱期である。九州、中国、四国の下級武士が政権を奪ったのはいいが、政府の基盤は脆弱である。近代化を推進し、二度目の武力革命を起こさせない一挙両得の手として、武士から特権を次々に剥奪。武士の側も反乱を起こすが、やがて刀は銃に勝てないと悟る。悟った後は武力から言論による政治活動へと、反体制運動をシフトさせた。そうした中で「ペンは剣より強し」の言葉を旗印として権力に抵抗したのだろう。
そもそも、サー・リットンだって小説家であり、かつ政治家だ。「ペンは剣より強し」 は彼の小説家としての気概ではなく、軍部の政治家に対する彼なりの対抗心の表れ、なのかもしれない。サー・リットンの小説読んだことないけど。
とにかく、こと小説に関して、「ペンは剣より強し」は成り立たない。小説は現実に、無力である。むしろ、無力であらねばならない。紙に書かれた言葉が剣以上の威力をほこるようになってしまったら、それはもう魔術である。
まあ、歴史をひっくり返せばゲーテの小説で感じやすい少年少女が自殺に及んだりしたわけだし、中島敦の「文字禍」みたいな話もあるわけだ。あれが事実か知らんが。
むしろ「文字禍」を引用するならば、粘土板に刻まれた書物が一人の老博士を殺害するために、結局はその自重を用いるしかなかったことからも、書物に書かれた言葉が殺傷力を持たないことは証明できる。「人間失格」を読んで「自殺したいなあ」なんて言う人間に言うべき言葉は「ハイハイwワロスワロスwニワカ乙」という程度の筈だ。まかり間違っても、そんな人間に、人生の素晴らしさを説いてはならない。
これは余談だが、「人間失格」の持つ最大の罪は──作品自体の罪ではないが──「人間失格」が太宰の最高傑作だと誤解されている点である。そもそも愛人と自殺未遂を繰り返して、遂には足を滑らせて川に落ちる人間の遺稿が最高傑作の筈がないではないか。それは他人には見せられない赤面ものの代物のはずである。というか、ワナビーが増えるので、正直あれ持ち上げんの止めて欲しい。閑話休題。
さて、ペンは剣より弱いと言った。しかし、口に出す言葉は時に剣より強い。式にすると(口語)≧(剣)>(ペン)とこうなる。発せられた言葉は、しばしば人の心を抉る。純粋な暴力よりも。ベルリンの壁がつるはしで打ち壊された原因は、東独のある政府高官が発した「即時渡航制限」の言葉だったという。本当はその翌日からだったというのに。フランス革命の端緒、バスチーユ牢獄襲撃はそこに収監されていたマルキ・ド・サドが牢の窓から「囚人が虐殺されている!」と叫んだからであると言われているが、真相は闇の中だ。ちなみに、バスチーユ牢獄襲撃時、サドはその発言が混乱を招くのを恐れた獄長によって別の場所へと既に移送されていた。まことにもって悪運の強い極左政治家である。
これも一言言っておきたい。サドは確かに牢屋に収監されていた。それは彼の書いたポルノグラフィのためというよりむしろ、彼の極左的政治思想のせいである。そもそも、当時の政治活動家がポルノの中で政治思想を語るのは一般的であった。国民議会議長を勤めた穏健左翼のミラボーでさえ、ポルノを書いている。もっともミラボーは投獄されたときに一度サドと同じ房で大喧嘩したそうだから、案外影響を受けたのかもしれない。HENTAI国家日本も政府高官がポルノを書かないだけ、王権末期フランスより余程ましである。ちなみにミラボーのポルノは極めて一般的な父娘モノであるが、父親が「16まで挿入はダメ」とか言って娘のアソコに鍵つきのサポーターをつけたりするのに象徴されるように、穏健である。極左サドの父娘モノと読み比べると政治思想の過激度合いがポルノにまで敷衍して説明でき、実に興味深い。閑話休題。
さて、とにかくペンは剣より弱いのだ。それを前提に、これから何を述べようとしているか。
気持ち悪い小説が、読みたい。
できれば、とびっきりの。
気分が悪くなる小説が、読みたい。
できれば、嘔吐感を催すくらい。
小説を読んで、ドン引きしたい。
できれば、発作的にブラバするくらい。
まあ、気持ちいい話、爽快なストーリーが嫌いなわけじゃない。ただ、毒を求めてやまないだけだ。きっと一種の病気である。この病を癒すには、毒を摂取するしかない。
ネットで読む小説に、そういった要素を求めるのは無意味だろうか?読者は手軽な読み物を求めているから?そう、だからこそ、わたしはこのハーメルンで小説を書いているのだ。
ただ、このネットの海に小石を投げ、多様性をほんの少し広げるために。きっとどこかにいる、わたしの同類に毒を提供するために。ただTRPGの小説が書きたかったからというのは、内緒だ。
だから、わたしが何より忌避するのは、凡庸である。二番煎じである。二次創作が主体のこんな場所でそれを述べるのは恥ずかしいが──わたしがこのサイトで小説を発表しているのは、わたし自身がTRPGの二次(一・五次?)創作を書いているからだが──そうなのである。ゆえに、わたしはアンチ・ヘイトそのものは好きだが、凡庸なアンチ・ヘイトの底の浅さが嫌いなので、アンチ・ヘイトの作品はあまり読まない。正直、地雷臭がスゴいと思う。
二次創作というからには、材料は既に用意されているのだ。後は調理するだけである。その調理の仕方は各々が好きに行うことができる。だが、材料は同じだ。他人と同じ味つけ、同じ火加減ではすぐに同じ料理が出来上がってしまう。
もっともそれはオリジナルとて同じことだ。既に材料は狩り尽くされている。新しい材料を見つけるには、それこそ「ダンジョン飯」のような冒険をしなければならない。それすら、誰かが先に書いている可能性もあるのだ。
だから、ナナヒカリという作者名を考えた。どんなにいい作品を書いても、所詮は誰かの七光り。大きい理由がもう一つあるが、それは私事なので書かない。実際は、私事が先にあって上記の理由はつけ足しの理屈だというのは、内緒だ。
凡庸な悪意は、悪意の中でも一番たちが悪いものだ。それは誰もが抱く欲望ゆえに正当化される。そんなことをハンナ・アーレントは述べた──と書こうと思ったが、「凡庸な悪」の定義をド忘れしたので、そうは書かない。
ゆえに、凡庸なアンチ・ヘイトが嫌いである。凡庸な鬱展開も嫌いである。凡庸なスプラッターも嫌いである。凡庸なデスゲームは正直いつになったらなくなるんだろう、と思っている。なんとなく過激で、なんとなくヤンデレで、なんとなく殺人がある、そんなのは、過激でもなんでもない。みんなの心の中にある、ただの欲望だ。わたしだって、中学の頃、「今ここにテロリストが雪崩れ込んできたらどうやって生き延びるか」を考えましたとも。「ここでパッとみんな死んだらどんなに愉しいだろう」と、そう考えたことのない人間に会いたいものです。
だから、そんなありきたりではなく、とびっきり過激な話が読みたい。そんな、ただの願望。
ここで、先の証明を用いる。「ペンは剣より弱い」。そう、ペンは剣より弱いのだ。いいじゃないか、過激だって。誰が死ぬわけでもない。小説なのだ、つくりごとですよ。いいじゃありませんか、エログロ万歳です。ナンセンスも両手を上げて歓迎しましょう。地球人類が、一人の少女の幸福のために皆殺しになったって、それは物語の中だけの話です。テロリストが青森から南下して人間を殺しまくった挙げ句、最後は隕石で人類が滅亡したって、それはページの中の世界のことなんですよ。マンガの話で恐縮ですが。
誰かを不快にする可能性、誰かを心理的に追い詰める可能性、誰かの心に深い棘を刺す可能性、そんな可能性を持つ小説をわたしは讚美する。あ、ただ、若者の精神形成に深く関わるかもしれないものにはR-18タグをつけましょうね。
出来が悪い小説に──自分の小説は別だ。出来が悪い我が子も可愛いものである──感じるのは、不快ではない。ただただ何も感じない。無感動である。怒りを感じることすらない。こう呟くだけである。ああ、無情。
感動を覚える小説は素晴らしい。──涙腺が脆いわたしはボロボロ涙をこぼす。笑える小説は素晴らしい。──わたしは周囲に人がいても吹き出してしまう。だが、同じくらい、残酷な小説もまた、素晴らしい。
世界の悪意を、哀しみを、寂しさを、弱さを、脆さを、儚さを、苦しさを、酷さを、冷たさを、残酷な運命を、空しさを、変質を、蔑みを、狡さを、狂気を、破壊を、混沌を、苛みを、汚ならしさを、憎しみを、痛みを、淫らさを、気色悪さを、拙さを、貧しさを、描いた小説が読みたい。それは即ち、この世界の善意の、悦びの、活気の、強かさの、しなやかさの、久遠の、楽しさの、優しさの、暖かさの、救世のさだめの、充ち足りの、正しさの、尊びの、潔さの、正気の、構築の、統一の、慈しみの、清らかさの、友愛の、快さの、淑やかさの、気持ちよさの、優秀さの、そして何より豊かさの、裏返しであるから。
これは、わたしの鬱展開が好きというただそれだけの性癖を綴った文章である。
ゆえに、駄文である。