デモ。
『デモ』と聞くとどうしても暴徒化やら幹線道路封鎖、革命など嫌なフレーズが思い浮かんでしまう。暴徒発生からの分離独立、共産政権樹立というのは東側の常套手段であるし、そのイメージは宥和の時代に入っても拭えない。
しかしだ。もともと『デモ活動』とは公の場で自らの意志、主張を示す活動のこと。自らの意志を示すべくデモンストレーションを行うということ。
それは決して悪いことではなく、むしろ民主主義国家に必要なものだ。完全無欠な政治など存在しないし、少数意見を無視するのが民主主義の本質。言うべき意見はしっかり言わないと握りつぶされてしまう。そのための表現の自由、言論の自由だ。
むしろデモが起こらないという事は、その国の民主主義が機能不全に陥っているということである。もしくはデモ活動をするほどの余裕がないほど国民生活が困窮しているか。
車が停まった。信号や渋滞ではない。いや、強いて言うなら渋滞だろうか。人の渋滞だ。
そして車内に座っていた飯田の耳に、ある言葉が聞こえてきた。
『沖縄市民のぉ、仇を取れぇ!』
窓の外からでも聞こえる大きな声。メディアで、街頭で、さんざん聞かされたワードだ。
外には多くの市民団体が詰めかけていることだろう。外の様子を確認するつもりはないし、外の市民たちにこちらが自分たちのことを気にしていると感じさせる訳にもいかない。だから飯田は、顔を動かさず小さく溜め息をついた。
まあ要するに、飯田と大迫を乗せたこの車は、デモ集団の真っ只中を通過しようとしているわけだ。警官が車の周囲に群がる人々をゆっくりとかき分け、進む道を作る。
このデモ……敵対的危険生物になかなか強硬な措置を取ろうとしない政府に対するデモは、かれこれ一ヶ月以上続いている。
毎日毎日ではないが、毎週末は必ずどこかで行われる集会。確かに報復を求める気持ちは分かる。友邦の危機や力に訴える現状変更には断固たる姿勢で応じる。この国、日本は開国以来の軍事国家であり、21世紀という新しい時代に入ってもそれは変わらない。やられたままでは腹の虫がおさまらない。沖縄という要衝を失ったまま何もしない国への不満が、デモという形で吐き出されているのだ。
そしてアメリカが遂に敵対的危険生物に対する報復を宣言、討伐艦隊の編成に入ったことにより油を注がれた国民の意識、今日は月曜日だというのに大勢の市民が詰めかけている。
他国に先を越されるな。亜細亜の盟主を自負するこの国の、ちっぽけな意地であった。
そんな飯田の様子を知って知らずか、隣に座る大迫海軍幕僚長は満足げに肩を揺らす。
「相変わらず元気な国民だ、我が国の未来は明るい」
「……」
なるほど、確かに日本が封鎖されるかもしれないというこの状況において、これだけ豪勢なデモを行えるということは、この国に余裕がある証拠なのかもしれない。
そう考えれば、政府庁舎の目の前にこれだけたくさんの市民が押しかけていることは、むしろ喜ぶべき状況なのである。国民生活はまだ大丈夫、そして国民は沖縄市民百万を殺めた敵対的危険生物に報復を求めている。士気は高い。銃後に加熱されても困るが……まあ厭戦気分が漂うよりかはマシだろう。
だから大迫は笑うのだろう。
しかし飯田の表情はその逆だった。笑ってなどいないし、それどころか落ち着きがない。
大迫はそんな彼を意に介することなく構えていたが、そこで飯田は意を決したような表情で口を開いた。
「閣下、一つだけ聞いてもいいでしょうか」
「お前らしくない言い方だな」
大迫は顔を向けることもなくそう返す。もう笑ってはいない。
「……オリンピック作戦が11月1日にあるとする理由です。あなたは以前、『知っているから知っている』と答えました」
デモ隊が警官の誘導で徐々に道をあけ、それに合わせて車も進んでゆく。
ゆっくり、ゆっくりと進んでいく。
「ああ、答えたな」
先ほどと同じ調子の大迫、やはりその視線は飯田に向けられることなく、まっすぐと前部座席の背もたれを貫いていた。
「私はこの作戦の立案者です。本当ならばこの作戦を構成する要素は可能な限り把握していなければなりません」
そうしなければ、とてもじゃないが自信を持って戦地に送れる作戦を作ることなどできない。事前計画が役に立つ例は少ないが、しかし無いよりは百倍マシなのだ。
飯田は続ける。
「……ですが作戦を立てる上での全ての条件、前提を示したのはあなたです。あなたの情報を除いた途端、この作戦は不確定要素だらけになってしまう」
全ての計画は『10月中に防衛線を構築する』という目標に向かって進んでいる。それ以前に上陸されたら全てがおじゃんになりかねない。
いやそもそも、今すぐに東京湾に敵対的危険生物が現れない保証などないのだ。
なんの情報もなしに作戦を立てるならば、飯田は直ちに沿岸部の放棄を具申したことだろう。それがこの国の経済にどれほどの影響を与えると知っていても、だ。間違っても沿岸部で迎え撃とうなどとは考えない。
「教えてください……どうして『11月』なのですか」
だから大迫は自分に
『11月より前に本土侵攻はない』と。
それは分かる。そしてそれ以上教えないのが今の飯田に対する答えの全てであるはずだ。だから大迫はだんまりを決め込むだろうと飯田は予想した。それは大迫善光……海軍幕僚長の権利である。飯田はそれに干渉する権利を持ち合わせていないばかりか、間諜と疑われかねない行為を今働いている。
飯田に命じられたのは前提を元にした作戦立案。情報源に口を挟む権利などないのだ。
しかし聞かずにはいられなかった。作戦の、いやこの事態のスケールが大きすぎるのだ。しかも曖昧な部分ばかり。なぜ上陸予想戦力も分からずに日程が分かるというのだ? そもそも作戦の開始時期というのは、戦力や資材の移動または集結具合から判断するもの。戦力も知らずに上陸日を、X-Dayを予想するなど不可能だ。不可能なはずなのだ。
そして彼、大迫海軍幕僚長は口を開く。
「……これから秋にかけて西南諸島は時たま台風の影響を受けるようになる。元寇の二の舞は避けたいと敵さんも考えた」
しかし軽い口調はそのままだ。飯田は躊躇うことなく追撃する。
「その予想をしたのは誰です?」
「なぜそれを問う」
大迫がようやく飯田の方を向いた。真意を確かめるようにジトリと見つめる。
「信憑性を確かめるためです」
何の成果も挙げられず撃沈された駆逐艦。奮戦虚しく消えた陸軍。守れなかった百万超の市民。
あまりに不気味だ。あまりに恐怖だ。
そしてなにより飯田は……焦っていたのだ。
「先日――――ジャワ島が侵されたのはご存知ですね?」
あまりに急展開する、この事態に。
大陸を除けば世界でもっとも多くの人が住む島、ジャワ。古来より大スンダ列島の人口分布の中心であったこの島は、1億をゆうに超える人間が住んでいる。人口密度も相当なものだ。日本にはない資源もあり、はるか植民地時代より、欧州列強が利権を争ってきた。
現在では独立した植民地の代表的存在であるインドネシア共和国の首都が置かれ、そこには
「なぜこのタイミングでジャワなのか、タイミングが滅茶苦茶過ぎます」
2022年4月10日。敵対的危険生物はジャワ島に上陸。沖縄の時と同じように、奴らはインドネシア守備隊を粉砕。ジャカルタをはじめとする沿岸の主要都市を飲み込まんとしている。上陸から十八時間近くが経過したが……まだ抵抗と惨殺は続いているはずである。
「……やつらには必ず最終目的がある」
それは飯田の確信であった。
敵対的危険生物の侵略は少しずつ広がっている。まずは列島線から外れた離島を、それから大して人も住んでおらず、戦略価値も低そうな群島を。
「あれだけ迅速に沖縄を占領できたんです。閣下の情報を除いてもそれは推測できます、ですが……」
だが侵略といってもほとんどが少しだけ上陸して人がいないかを探す、といった程度であり、人がいれば襲いかかるだけ。かつて大迫が示唆した陸上に基地を築くような行為には一度も及んでいない。
それは貨物船への破壊行為に関しても同じことが言える。海上保安庁主導による船団方式が採用されて以来、被害トン数は一気に減ったのだ。無防備な貨客船にとって敵対的危険生物はただ脅威だ。しかし対策を取れば――――それこそ索敵体制を万全にし、何艇かの護衛をつけるだけでも――――被害は激減するのである。
まあつまり、その程度なのだ。
敵対的危険生物は飯田の想定に反し、戦略の片鱗も感じられない動きをとっている。
本当にその程度なのか? なにか裏はないのか?
というが裏とはなんだ。まさか大規模な作戦の準備段階に各部隊があるのを隠そうとしているとか? 軍人ならばむしろその可能性に目を向けるべきだろう。
けれども奴らの動きは野生動物のそれに似たもの。戦術だって存在するとは思えない。一匹なら襲われるが、群れた途端に襲われにくくなった輸送船団などその典型では?
脅威ではあるが……所詮は害獣。
沖縄から一ヶ月経つと、専門家の中ですらそんな風潮が広がりつつあったこの頃。
そこでいきなりジャワ島である。
敵対的危険生物のジャワ島襲来というニュースは先日のアメリカ大統領の声明をたちまちニューストップから叩き落とし、SEATOの緊急会合が開催中だというのに大東亜経済会議の臨時開催が決定されるなど、軍事面よりも政治的な影響が大きいと世間一般では見なされている。もちろんSEATO本部のバンコクへの緊急移転が大慌てで合意されるなど政治面の影響は大きい。ジャワ島は一億人の市場であるが故に経済的影響も大きい。
だがそれすら些細な事になってしまう問題があった。
ああそうだ、ジャワ島が襲われること自体は些細な問題なのだ。世界有数の都市であるジャカルタは東南アジアにとって重要な地だ。それでも、それ以上に重要な都市である東京にいる彼らにとっては対岸の火事なのだ。たとえそれがどんなに重要な同盟国の首都だとしても、そこに何十社という日系企業が進出していても、である。
そんな事に囚われて、最大の問題を見落としてはならない。
見失ったのだ。
奴らの本質を、その目的を。
飯田だけでなく世界がそれを見失った。
普段は知能の欠片も見当たらない奴らが、ある時にだけ一つの目標めがけて突き進む。そのキッカケは? 原理は?
大迫は遂に飯田へ顔を向ける。
次の言葉を待ち受けるような彼に、飯田はひとこと。
「ですが、あなたには見えている」
「……」
大迫は一言も発さずに沈黙。飯田もこれ以上言葉を重ねて詰め寄るようなことはしない。
今の飯田は飼い主に噛み付く狂犬である。大迫を信用していないと直接言いきったのである。だが、個人個人の信用など今は気にしている状況ではない。とにかく情報が欲しかった、今持ち合わせている情報の裏付けも欲しかった。それは飯田個人でなく彼の属する
大迫にとってこの質問が不利益になるなら自分を対策室から外せばいい。代わりはいくらでもいる。
大迫はそんな人間ではないはずだ。違うのであれば、従うべき上司を間違えただけのこと。
そんな半ば投げやりな気持ちで飯田は大迫に甘えた、恐らくは自分以上に知っている彼に『訊く』という形で。だから飯田はこれ以上詰め寄る気には到底なれなかった。ここまで聞いてしまったのだから開き直ってしまうという選択肢もあっただろうに、それは彼のプライドが――――これだけ頼っておきながら今更ではあるが――――許さない。
そして沈黙が破れる。先程までの軽い口調は消え去っていた。
「……敵対的危険生物が『ダウンフォール作戦』と似た作戦をとってくるだろうという話はしたな?その根拠も見せた」
ダウンフォール作戦。
南九州占領と関東地方への上陸により太平洋の
「九州上陸であるオリンピック作戦、日本の終焉が始まるのは11月1日、そう言ったのは私だ」
自動車はデモ隊を通り抜け、庁舎の敷地内に入った。ヒトの波を抜けたことで僅かに加速する。
これで大迫が問い詰められる時間は終わった。彼はここで話を切り、庁舎へ入る……立場が逆ならば飯田はそうしただろう。まだ時間的余裕があるにせよ、今回の会議の重要性を考えれば早く到着するに越したことはない。
だが彼は、大迫善光の眼は飯田をまだ見据えてくれている。話すと決めたのだ。きっと話してくれるだろう。
大迫は口を開く、それから、一言。
「地下駐車場まで回してくれ」
話すかどうか迷っているのか、それとも飯田のことを試そうとしているのか。ともかく大迫が選んだのは先伸ばしであった。
「……」
飯田は沈黙を飲み込んだつもりだったが、しかし驚きは顔に出ていたことだろう。軍令部に掲げられた『常在戦場』の言葉通り、内地にいても一瞬の判断が生死を決めると思え……そう常々言う大迫らしくない。
先程までのようにデモ隊がいるわけでもなく、たちまち自動車は地下駐車場に入る。駐車場はそこそこ埋まっている程度で、運転手がもっとも入口に近そうなスペースを求めて自由に駐車場を散策する。窓から蛍光灯の光が入り込む。
「
大迫は口を開いた。
「だが、それはまだ言う時ではない。そして残念なことに君の求めるこれ以上の情報もない」
分かってくれ。大迫それだけ言うと目を逸らした。彼の選択は『言えない』という事実を伝えることだった。
軽蔑するかね、先延ばしをする私を。そう言いたげな大迫。違う、飯田が一瞬でも彼のことを軽蔑しようとしたから大迫がそんな顔をしているように見えるのだ。大迫は自分に真実の一端を教えてくれた。それでも彼は、飯田に託す部分のみを託し、後は大迫自身が全て抱えるつもりなのだろう。
それを自己中心的などとは言うまい。飯田は大迫海軍幕僚長を信頼している。信頼しているからこそ“ここまで”踏み込めた。相変わらず強い人だ。彼が心の奥底で思っていることなど、一度たりとも見えはないし、教えを請うた自分には理解できないに違いない。
静かなブレーキ音。慣性の法則で僅かにつんのめる。
「……着いたな、では行こうか」
大迫は会話の終わりを宣言した。運転手が扉を開け、大迫は冷たいコンクリートの上に立つ。飯田もそれに続く。
結局自分は何を聞き出したかったのだろうか。そう自問自答しつつも答えは揃っている……自分の立案した作戦に自信が持てなかったのだ。だから進むための自信を他者による裏付けに求めた。
大迫閣下、私のことを、あなたはどう評価しますか。
その言葉が、喉より先に出ることはない。
冷たいコンクリートの上を進む。
適当な広さの部屋、その中央に鎮座する会議机。
この机は何年前からここに居るのだろうか。いったい何度どうでもいい会議、そして国を揺るがすような会議を経験したのだろうか。無機質な、しかし格だけは見せつけようとする机。会議に出席する誰もが、彼以上に上手く沈黙を保つことは出来ないはずだ。
自分も机のように常に物事を俯瞰していたいものだ……いや、机の場合は見上げることしかできないか。またしても頭の片隅でそんなことを考える飯田。自分に自信が持てないからこうやって現実逃避をしてしまう。そんな自分にもっとしっかりせねばと言い聞かせる。
飯田は今彼がいる部屋を見回した。詰めかけるのは様々な服装。普段の海軍省なら皆が制服を着用しているが、ここはそうではない。一部の者は身分証明のIDカードをつけていたり、もしくは自衛軍とは別の制服を着ていたり。
そしてこの多様性こそが、この会議の重要性を物語っていた。各省庁から集められた代表者たち。海軍が出したのが幕僚長であるならば他局も相当に地位の高い人間に違いなく、報道で見かける顔もちらほらと。
しかし飯田だって海軍幕僚長の補佐官を一年務めた。いやそれどころか、今年度よりは遂に敵対的危険生物対策室長である。一部署の長である。彼だってもう報道に露出する人間だ。
敵対的危険生物対策室。
形式上は軍政の最上位組織である統合幕僚本部のものとしては珍しい統合幕僚長直轄の部署とされ、その要員は陸海空幕僚部それぞれより満遍なく供給されている。
今現在、新年度の次に国民の関心があるであろう敵対的危険生物という事項。これにあたるのが敵対的危険生物対策室ならば、この部署の地位はむしろ低いと言わざるを得ないだろう。室長が海軍少佐であるならば付随する権限は無論少ない訳で、対策というよりも研究が目的の部署ともいえるだろう。
表向きはそれでいい。
「大迫さん、お久しぶりです」
「あぁ、奥田さん。先日はどうも」
「いえいえ、あなたからの意見書、庁の方では大変重宝させてもらってますよ」
「はは、礼なら彼に」
海軍幕僚長はそう笑いながら飯田に視線をやる。奥田と呼ばれた男は飯田の方を見やると、あぁ、対策室の……と呟いた。恐らくは船団方式による海上交通網防護の意見書のことなのだろう。飯田は会釈のみで応じる。
情報を解析し、それに基づく意見を各部署に送る。表向きですら自分が重要な仕事を行っているという自覚はある。
だが一方で、大迫海軍幕僚長が裏で自身に課した重責――――本土上陸を阻止する――――を果たすことが出来るのだろうか。飯田はただそれが不安なのであった。
そして彼のことなど顧みずに時間は進み、端で待機していた一人の男が形式的な挨拶を始める。どうやら出席者が揃ったようだった。
それを一応耳に留めつつ、飯田は周りがこちらを気にすることがないよう椅子に座り直し、ゆっくりと息を吐いて吸う。今日の会議、何が起こるか見当もつかない。大迫からは質問があればそれに応えるよう大迫に言われてはいたが、どんな質問が飛び出すのやら。
「……ではひとまず、我が国が置かれている現状を確認したいと思います」
気づけば挨拶役から司会役に変わった彼の言葉。
場の空気がゆっくりと張り詰めていくのがわかる。ここまではシナリオ通り、ここから先は、どこまでが出来レースか分からない戦いの始まりだ。
先ほど大迫と話していた男が立ち上がり、それと同時にプロジェクターを投影するための真っ白で光沢のあるスクリーンがスルスルと降りてきて、そしてプロジェクターが飾り気のないタイトルを映し出した。
「海上保安庁の奥田です。ではまず、現在本庁が行っている貨客船破壊行為に対する対処行動についてご説明いたします」
その言葉に合わせる形で画面が切り替わる。それは簡単な地図。それこそどこでも手に入るような地図である。九州から始まり、シンガポールまでつづく海の道。先へ進めばインドまで到達し、場合によってはイラクやクウェート、首長国連邦などの産油国へと繋がるはずであったが、その部分は省かれている。
そして、そこに表示されるのは色付きの細長い帯。島の間を縫うようにして、地図の端から端へと続いている。
「こちらが、我が国への主要な海上輸送網になります」
琉球諸島事変の発生時、日本政府は沖縄諸島周辺の航路を使わないように通達を行った訳だが、今現在では解除されている。
まあ航路の封鎖なんてそうそう出来るものではない。解除は当然だ。
しかしその一方で、政府はこの事態を“表向きは軽視”していた。
日本海軍は島嶼住民の避難以外では艦艇を送り込まなかったし、しかもその派遣名目も災害によるものとしている。つまり琉球諸島事変は災害という訳だ。なるほど、災害ならばどんな精強な軍団も意味を成さない。
そんな調子だから琉球諸島事変で駆逐艦を喪失した第二機動艦隊の片桐司令も更迭されることなく続投。いや続投自体は大変ありがたいのである。むしろ
ちなみに、対策室の長である飯田が少佐という割合低い階級なのもこういった具合である。
「そしてこちらがこれまでに消息を絶った貨物船が最後に確認された地点です」
奥田の言葉と共に貨客船破壊があったのであろう箇所が点として表示。点の大きさが被害トン数を表すのと同時に、合計の被害トン数が国籍別の円グラフとして表示される。
その数字は、既にかなりのものとなっていた。そう、政府がなんと言おうとも現実に事態は重いのである。
「破壊行為の被害にあった船舶が襲われた海域と考えていただいて差し支えありません。黒点が琉球諸島事変以前の被害、赤点が琉球諸島事変以降の被害を示しています」
黒点、つまり琉球諸島事変以前の破壊行為はまばらだ。場所も時間もてんでバラバラなのである……これが琉球以前から対抗策として設立されていたSEATO南シナ海掃海群が見事に翻弄された理由なのだった。
しかし赤点、琉球諸島事変以降の被害が発生した場所を見て欲しい。たった一つの海域に、そう沖縄諸島周辺の海域にのみ集中しているのである。
これまで単独行動している船なら無差別に襲っていたであろうやつらがこれほど分かりやすく動いているということ。これの意味するものは大きい。
「沖縄陥落後に敵対的危険生物が沖縄諸島周辺へ集結しているのは間違いなく、それによって破壊行為からの民間船の保護も、本土から中華民国までの僅かな距離を行えば十分と我々は判断していました。実際、海上保安庁では運輸省や経産省の協力を得る形で平成34年の3月15日より船団方式による沖縄諸島周辺の海上交通網の警護を実施しており、これにより被害を大幅に抑えることに成功しております」
その言葉と共に画面は切り替わる。現状の船団護衛の実施海路、また単独航行を未だ行っている貨客船の日当たりトン数、その両者の被害状況などが表示される。単独航行で沖縄沖の突破を試みる船がいるのは驚きかもしれないが、海上保安庁の保有する船艇が足りないので全てをカバーできている訳ではないのだ……商社側の持つ
ですが、とここでひと呼吸置かれ、次の言葉に重みがもたらされる。
「ジャワ島の陥落により状況が変わりました。今後我々は、敵対的危険生物が沖縄周辺だけでなくジャワ島を拠点として破壊行為を仕掛けてくる可能性を考慮する必要があります」
「ちょっと待った」
と、そこで遮るように影が立ち上がる。まさかこのタイミングで質問を受けるとは思わなかったのだろう。奥田は一瞬困惑した様子を見せるが、すぐに聞く姿勢に移行する。立ち上がったのは空軍の制服を着ていて、空軍庁から来ている代表。横の大迫から顔をしかめる気配。
「報道ではインドネシア政府は未だジャワ島で抵抗を続けている。沖縄のような小島ならともかく、ジャワ島ほど大きければインドネシアにも勝ち目があるのでは?」
ジャワにはインドネシアの首都であるジャカルタがある。SEATO軍の戦術ネットワークによればまだジャカルタは陥落していない。まあこれも会議前に確認した情報、現時点でどうかは分からないが、ジャカルタだって一国の首都。そう簡単には落ちないはず、である。
それでもこの発言を空軍庁の人間――――つまり、軍事の専門家―――がしたのが不味かった。そもそも戦端が開かれたばかりで不確定な事項が多いジャワ戦線。奥田が海上保安庁を代表して言いたかったのはこれへの対応を考えねばならないという話であり、そもそもこの会議自体は戦局に関するものではないはずなのだ。しかも彼の発言は根拠のないもの。
出席者たちが自分の省庁代表としての意見、というか会議の流れを確認しようと小声で話し始め、たちまち会議室はざわめきに包まれる……と、そんな調子で傾きかけた会議に是正が入る。
それは奥田でも大迫でもない。外務省からの人間が発した言葉だった。
「残念だが……既にインドネシア政府は避難の準備を進めている。インドネシア海軍もSEATO各国軍と協力して民間人の脱出を最優先としている。よってジャワ島の放棄は時間の問題だ」
その言葉に空軍庁の担当者は言葉を詰まらせる。琉球諸島事変という前例に学んだSEATO軍は、とにかく戦力の消耗を避けることを第一義としている。よって増援が送られる可能性はない。
「話を戻します……よろしいですね?」
奥田の言葉で空軍軍人は座る。それに合わせる形でまた画面が切り替わる。経産省の協力により作成したのだろうか。主要資源の産出量が国ごとではなく主要な島ごとに示されている。そしてそれに繋がるように線が引かれる。
「ジャワ島周辺の陥落により危険域となる海域を通過する我が国の海上運送網は主に次の航路となります」
その言葉と共に重ねるように表示されるジャワ島を起点とした危険域。ジャワ島が攻撃を受けてからまだ一日も経っていない。恐らくは大慌てで作成したのだろう。
この線は全てが日本へと続いている。この輸送網は日本へ資源を運ぶのだ。
資源。まあ細かい説明は必要ないだろう。日本が大国であり続けるためには産業を、経済サイクルを動かし続ける資源が必要不可欠だ。そして、この国にはそれがない。
一部を経産省の担当に託しつつ、簡潔に資源の備蓄状況と日当たり流入量と消費量が説明される。
資源はまったくもって厄介な存在だ。資本の束縛から解放された東側諸国すらもその黒幕に踊らされている……まあそれはいい。
まず各種先端産業を支える
次に石炭やウラン、LNGなどのエネルギー資源。これらの資源は主としてオーストラリアより輸入される。オーストラリアの資源輸出国としての存在感は圧倒的だ。
そして最後に資源の王様、
……もちろん日本国内で産出する資源が全くない訳ではない。だがそれでも、多くの資源を海外からの輸入に頼っているのが現実である。
そして問題なのが、そういった日本への資源のほとんどが、その輸送経路にインドネシアの領域を通るということである。
そしてインドネシアがもし――――まあほぼ確実に現実となるであろうが――――陥落したならば、その大動脈はぷっつりと断たれることになる。
「迂回路としては主として豪州東回りのルートが考えられますが、この場合の時間ロスは運輸省試算で……」
一隻や二隻、多少の船が迂回するぐらいなら大した問題はないのだろう。だが実際には必要な資源を運搬する全ての船が迂回を強いられるわけで、それに伴う時間、燃料のロスは莫大なものとなる。燃料はもちろんのこと、時間のロスは人件費の高騰を招く。それは結果として資源の高騰を招く。
とはいえ決定的な対策は存在しないのだ。迂回以外に道はない。
「クラ運河計画が実施されていればなぁ……」
小さく呟いたのは運輸省の人間だろうか。ないものを言われてもどうしようもない訳で、彼はそのまま奥田に発言の許可を求める。
「仮の話として聞かせてもらうが、マレー海峡を突破することは可能なのか?」
「海上保安庁は運輸省に属します。必要とあらば実施は可能です。実際、ジャワ島からはある程度の距離がありますし、シンガポールやマレーシアに支援を求めれば可能だと考えます……ですが」
奥田は部屋中を見回した。
「マレー海峡を突破するためには沖縄沖の突破が前提となります」
それから一呼吸。
「現状、各船団の敵対的危険生物との遭遇は平均してニ、三回。船団に参加した貨物船に被害がないことは先ほどお話しした通りです」
そこで刹那の沈黙。
「ですが、その護衛に参加した巡視艇は既に十二隻失われています」
船団護衛方式……言うだけなら簡単だが、実際に実施するとなるとこれが難しい。
そもそも一口に貨物船といっても原油を輸送するものからレアメタルを輸送するもの、穀物を輸送するものなど様々である。しかもそれぞれのサイズは数千トンの小型貨物船から十万トンのマンモスタンカーまで全く異なる。サイズが違えば最大速力や巡航速度、旋回性能も全く異なったものとなってくるので団体行動を取らせるだけで一苦労だ。
海上保安庁は数時間の時間と相当な労力をかけて船団を九州沖で編成、巡視艇数隻で取り囲むようにしてできる限りの高速で沖縄周辺海域の突破を試みる。
やつらが群れで進む船団にちょっかいをかけてくることはまずない。だがそれは向こうから仕掛けてくることがない、という意味であって、やつらの群れの中に突っ込めば襲われてしまう。ならばやつらの群れに入らぬよう回避しながら進み、必要あらば護衛の巡視艇を囮にしてやつらの注意を逸らす必要がある。
やつらは海底に潜む悪魔のようなものだ。しかも沖縄周辺に集結されたせいで数がバカみたい多く、やつらがそう考えていなくても鉄壁の警戒網が構築されてしまっている。だから、海軍哨戒機の援護を得て配置を完璧に把握していたとしても全ての敵対的危険生物を躱す航路など存在しないし、こちらは海軍艦艇よりも遥かに鈍重な大型輸送船である。変針にも時間がかかるため結局最短ルートで突っ込む方が手っ取り早いように思えてしまう。
そのために、巡視艇は囮とされる。
たった十二隻? いや、“もう”十二隻だ。たったの一か月で十二隻だ。しかも沖縄という限定的な海域の護衛だけでこれである。
「私たちは
会議からは感情は排除されるべきである。だが会議の外は違う。大きくは報道されないだけでこの事実はきちんと公表されている。しかし知らなかった者も多く、それぞれの表情が変わる。自分の隣に座る大迫は表向きの表情こそ動かさないが、思っている事は飯田と同じに違いなかった。
――――悔しい。
もともと海上護衛と艦隊決戦。この矛盾していてかつ密接に繋がる二要素をいずれも蔑ろにしないために海上保安庁の前身は発足した。海軍と海上保安庁の役割は全く違うのだ。
役割分担があると分かっていても、常々国を守るのは自分らだと自負しているのが海軍だ。指をくわえて見ていなければいけないのが悔しい、護れないのが悔しかった。
そして会議は続いてゆく。
今後は資源輸送を陸輸に切り替えるのか、資源の目標貯蓄量はどこに設定するのか、市場へはどのようなペースでの供給を進めるのか……海上輸送だけでこれである。
今日のはなかなかの長丁場になりそうだ。飯田は目の前の資料に目を落とした。