雷(Ikazuchi,DD-107)は自衛海軍の駆逐艦。村雨型駆逐艦の7番艦。
雷型駆逐艦「雷」、吹雪型駆逐艦「雷」、二代目雷型駆逐艦「雷」に続き、「雷」の名を持つ艦艇としては四代目。
(kikipediaより抜粋)
何もない暗闇。月が水面の遥か上で太陽光を反射、その弱い光が海を鈍く光らせる。都市部と違って空気が澄んでいる地域の夜空はプラネタリウムのような球体の中にいるように感じられ、
「ねぇ、本当にいいの?」
迷いが混じった声、そんな『彼女』の問いかけに応じるのは虚勢でない平坦な声だった。
「構わないさ、嬢ちゃんを危険に晒すわけにはいかないだろう?」
『彼女』の存在は特殊であり、『ある状況』では強い。だがほとんどの状況では見た目通りのかよわい少女である。目の前の男が守りたいと感じてしまうのも無理はない。
でも、でも、『彼女』は知っている。自分は目の前の男よりずっと強い。絶対的な力の差がある。なのに『彼女』は危険な場所に彼を赴けさせようとしている。いや、それどころか・・・。
「でも、私が行ったっていいのに・・・」
弱々しい『彼女』の言葉に、男は視線を逸らして言う。
「俺だってあの時助けてもらってなきゃ信じやしないさ。メッセンジャーが捕まったってお前の計画に支障は出ない。だが考えてもみろ、お前が捕まりゃ全部おジャンだぞ?」
「だけど・・・!」
そこで男は振り返り、『彼女』を見据えた。
「恩を返さぬは日本男児の恥・・・ここで恩を返させてくれよ」
彼の言葉は『彼女』の行いを正当化させようとしていた。『彼女』から頼んだことなのに、自分では正当化もできないのかと『彼女』の一部が叫ぶが、それを封殺し告げる。
「助けた以上、病院船まで連れて行ってあげなきゃいけないのに・・・ごめんね?」
――――自分の身代わりにしてしまって。
病院船って何の話だよと彼は笑い、『彼女』に向き直る。海軍式の敬礼付きで。
「なに、必ず帰ってくるさ――――」
また後でな、それきり彼は『彼女』から目をそらし、筏を本土へと向けて漕ぎ始めた。
『彼女』は、日が開けるまで水平線に浮かぶ大地を見据えていた。
どんな形であれ、彼は必ずひどい目を見るだろう。そうでなければ彼に代理を頼まず、『彼女』自ら祖国へと赴いたに違いない。
・・・これで良かったのだ。これで祖国に『彼女』という存在を知らせ、目標へのステップを踏むことができる。自分の身の安全を確保しつつ目的を達成するため、『彼女』は一度助けたはずの男を死へと追いやった。
日本が推し進める「陸軍大増員」。採用基準の緩和により、陸軍の定数を大幅に増員するものである。増員の対象は朝鮮半島を除く本土全地域。これの影響もあり、現在の軍は圧倒的な人材不足に陥っていた。幹部士官――――つまり『学校』を出た士官が足りなすぎるのである。四国では兵隊元帥とか呼ばれる兵卒上がりの左官が指揮する部隊も片手で足りないほど編成されているそうだが、政府の計画通りにことが運ぶとどの部隊でも中途半端な練度で戦うことになってしまうだろう。
ならば、多少無理してでも練度を上げるしかない。
「突撃ィ!」
メガホンなしで発せられた号令に、力なく続くわあああ、やあああ、おおおお・・・といった掛け声たち。本当にこれで30人近くの人間が突撃しているのかと疑いたくなってしまう。
「・・・一応、整列と敬礼だけは早くなりました。治安維持任務でしたら、国民の面前に出しても問題ありません」
陸軍中尉の階級章をつけたこの部隊の隊長が自分の隊の状況を説明し、最後にそう結論づけた。確かに動き自体はかなりキビキビしているのだ。この短期間でよくここまで鍛えたものだと思う。しかし困ったことに、治安を維持しようにも、ここには住民がもう住んでいない。
高知県。四国地方の太平洋沿岸はほとんどこの県で占められる。日本最後の清流とも謳われ、最新鋭防空巡洋艦のネームシップの艦名の由来ともなった四万十川を抱え、他にも多くの川や観光資源を抱える。普段なら太平洋沿岸に大勢の観光客が訪れているはずであるが・・・。
現在、飯田は四国の防衛施設構築状況を確認するためにここを訪れている。
その一環、各部隊の錬成状況の確認としてこの訓練を視察しているわけだ。
住民が避難した関係で誰もいない校庭。そのど真ん中をこちらへ向かってくる水陸両用の戦闘車両。確か島嶼で予想された人民共和国との武力衝突を想定して設計されたものだったか。ともかく、自衛陸軍の装備品だ。あれを上陸してくる敵対的危険生物の『駆逐級Ⅰ型』に見立て、それに向かって兵士たちが突撃している。一人がコケた。
「貴様ァ!今コケたなァ!」
訓練を指揮していた部隊長が叫び、飯田の横から走って校庭の中心へ向かう。そして全員を整列させ、素早く整列した数十名の一人、さっきコケた兵士の前に躍り出て詰問を始める。
「貴様なぜコケた、理由を述べろ!」
鬼の形相で迫る部隊長に、決死の表情で怒鳴り返す兵士。彼も数ヶ月前までは文明という温室の中で暮らしていたのだろうか。そう思うと、この現状が奇妙に思えてしまうが・・・まあ、考えるだけ無駄か。
「足を取られたからでありますっ!」
「今のが実戦ならば貴様はその報告を誰にした!」
「部隊長殿でありますっ!」
「違うッ!貴様はコケた瞬間に死んだ!よって誰にも報告できないッ!」
「はッ!」
「・・・どうですか、我が連隊の練度は?」
何も言わずに訓練の様子を眺めていた飯田の横に、陸軍の佐官服が進み出てきた。横を見やれば目に入る中佐の階級章。飯田とはたった一つの階級差、しかし服装が似合っているというか、溢れる貫禄が違う。外国帰りだろうか。
「そうですね・・・」
やや言葉を濁す飯田に、中佐は笑って返す。ちょっと下品な笑い方かもしれないが、男ばかりの軍では陰口を叩かれることもない。豪快な笑い方の割に、丁寧な口調で彼は続けた。
「構いませんよ、お世辞も貰えないレベルの出来だということは理解しています」
困ったことに、あの小隊が一番マシなんですよね。と続ける中佐。まだ時間はあるにはあるが、
話題をそらすように飯田は訓練中の部隊から目を逸らした。
「ところで、海岸線の防衛施設の構築状況はいかがですか?見る限りここら一帯には何も設置されていないようですが・・・」
「コンクリートが不足気味なんですよ、『アレ』の陣地構築に回されてしまっていてね」
そう言いながら中佐は海の反対側、山の方へと体を向ける。海岸沿いに峯を走らせる小高い山々は海岸線の街々が発展するのを押さえ込むようにそびえ立っているが、これが敵対的危険生物への防壁となる。その上に作られているコンクリートの塊。遂に制式採用が決定した電磁投射砲を設置するための砲台である。
『82式電磁投射砲』・・・製作は大口径兵器の製造を手がける飯田製造が担当。複雑な機構のために製造コストも時間も馬鹿にならないほどかかり、しかも移動ができない。
・・・可動式でない要塞兵器などアルデンヌの森で役立たずと証明されたはず、一体どうしてこんな前時代的な兵器を生産したのか・・・と言うことなかれ、単純な防衛においては絶大な威力を発揮するはずだ。
今回採用されたのは射程を捨てて速射に特化した『甲型』とコスト高な『乙型』。甲型は沿岸に配備し、乙型を後方からの支援射撃に使うと考えてもらえれば分かりやすいだろう。
甲型の射程は直線射撃で35km。弾道射撃モードへの切り替えが可能な乙型なら300km。弾頭質量は量産化に伴い30kgに減らされたものの、音速を超える超伝導体製の弾頭が生み出す破壊力は健在であるし、軽量化のおかげで乙型の射程が伸びたのだから、問題はないだろう。
「私には電磁投射砲なんて聞いても息子が読んでるライトノベルしか浮かんでこないんですが・・・実際使えるんですかね?あれは」
そう呟く中佐、82式電磁投射砲の制式採用に文句があるわけではなく、役に立つか不安なのだ。これが役に立たなければ、彼らの部隊はそびえ立つ山と海から迫る敵対的危険生物に挟まれて全滅である。
「使うために送電線まで増強してるんです・・・役に立ってもらわなければ困ります」
「それもそうだ」
飯田の自信ありげな返事に少し声を柔らかくする中佐。会話はそこで止み、二人は再び訓練の様子を眺める。部隊の次の訓練は蛸壺掘りのようで、数人で協力しながら蛸壺を掘ってゆく。またしても前時代的な事を・・・と呆れるなかれ、敵対的危険生物の上陸作戦の尖兵となる『駆逐級Ⅰ型』は図体が大きい。だから小さな蛸壺は身を隠すのにはもってこいなのだ。
もちろん、隊員たちの純粋な筋力トレーニングという意味合いもある。
「こらァ!第三班、作業効率が悪いぞ!」
「すいません!」
「謝る余裕があるなら手ェ動かせェ、手ェ!」
そんな様子を静かに眺める海軍少佐と陸軍中佐。すると、後ろに軍用のジープが鋭いブレーキ音を立てつつ停車した。そこから駆けてくる二人の士官。あちらも陸海軍が一人ずつ。その片方は飯田の部下だ。
「小牧、どうしたんだ?」
小牧海軍大尉。核兵器投下後のマダガスカルへ調査のため旅立った小河原に代わり飯田に同行して来ている海軍幕僚部(軍令部)時代からの後輩である。彼に小河原の後任を任せているのは小河原と小牧が軍令部の頃から一緒だったというのもあるが、対策室の中で「オペレーション・ニイタカヤマノボレ」の事を話してあるのが小河原と小牧の二人だけだからだ。以前は海軍情報局に勤めていたこともあり、防諜などは人より長けている。
「少し面倒事が発生しまして」
事務的を地でゆく彼の口調。そこまで言ってから共にやってきた陸軍士官に目配せ。陸軍士官は直立不動の姿勢をとり、大声で報告。
「報告します、108番ゲートに来客です!飯田海軍少佐に面会を求めたいとのこと」
「私に?」
どうして自分がここに来ると知っているのだろう。確かにスケジュールに自分が来ることは記されている。だがソ連が核兵器を落としたゴタゴタを処理する都合上、視察の日程は変更された。新しい日程が伝わっている人間の数は少ない。
いったい誰が・・・とそう言おうとした飯田を、陸軍士官が声で遮った。
「海上保安庁所属巡視船「おおやしま」副長、大島と名乗っております!」
しきしま型巡視船。三番目の「PHL-33おおやしま」。あの『タ〇五一九船団』――――初めて『巡洋級』を撃退し、初めての『潜伏級』の攻撃に壊滅した輸送船団。その護衛を担当した海上保安庁最大の巡視船。
「・・・たしか、「おおやしま」乗員はヘリコプター乗り以外誰も助からなかったと聞いているが・・・」
「しかし・・・持っている身分証も指紋も本人のものです。服装もボロボロですし・・・」
それに中佐が反応する。
「待て待て、それじゃあ君は大島とやらが一か月間ずっと海を漂っていたとでも言うつもりなのか?」
「そ、それは・・・」
口ごもる陸軍士官。飯田は小牧に尋ねる。
「小牧、お前はどう思う?」
「大島本人であることは間違いないかと、ただし中佐殿の指摘通りどうしてこれまで無事だったのか分かりません。誰かの助けで今まで生きながらえたと考えるならば、自分は面会しないことをお勧めします」
少佐の立場を考えても、妥当かと。そう付け加える小牧。なるほど確かにそうだ。今世間は核兵器投下で混乱している。飯田も先日国会に呼ばれ、核兵器の使用に関しての質問をされた。勿論国内での使用はないと返答したが、国外での使用はSEATO諸国と検討中の問題であり、下手な返答はできない。結局状況説明に留めたが、そんな飯田に不満を持っている反社会分子がいる可能性もないわけではない。
「よし分かった」
――――会おう。
中佐が驚いた表情を飯田に向けるが、小牧は顔色ひとつ変えず答えた。
「分かりました、ご案内します」
108番ゲート。九州、四国の避難指定地区へと続く道にそれぞれ設置されている検問の一つだ。普段は自衛軍の関連車両と防衛施設の構築を行う建設会社の車両しか通ることを許されていない。
そんな検問の待機室。机の上にいくつかのお茶が置かれていた。ボロボロになっていた制服から陸軍の作業着に着替えた海上保安官、海軍士官、陸軍士官が一堂に会すこの空間、ある意味異常である。
そして飯田は椅子に座り、口を開いた。
「自衛海軍少佐の飯田だ」
「海上保安庁一等海上保安正、大島です。お会い出来て光栄です。少佐」
形式上は同階級、だが飯田の場合はそこに「統合幕僚部勤務」というプレミアがつく。自然と大島は敬語で応じる。
「こちらこそ、常に最前線を支える
「時間がありません、本題に移りましょう」
飯田の感謝の念を振り払うように話を進める大島。まあ仕方ないことか。海上保安庁に命懸けの仕事を押し付けて自衛海軍は瀬戸内海クルーズ。ふざけるな、そう言いたい気持ちは分かる。だが感情論で動くわけにいかないのが今の状況だ。言い訳はしないし、どんな罵声も受け付けるが、動くわけにはいかない。
しかしまあ、今はそんな事よりも重要なことがある。
「その前に、状況を整理させてもらってもいいだろうか?部下に確認してもらったのだが、君は南西諸島沖で殉職したことになっている。敵対的危険生物に沈められた船の乗員はだいたい奴らの腹の中に入ってしまうから死体を確認できたわけではないが・・・君は自分が自分であることを証明できるか?」
大島は一瞬答えを躊躇ったように見えた。『奇跡の生還』で片付けられれば楽だったのだが・・・プロパガンダじゃあない以上、証明が必要だ。
「・・・自分のもたらした情報を信じていただくしか」
「分かった。話だけでも聞こう」
飯田以上の上級階級ならここまで柔軟な対応はできないだろう。だが少佐と言う中間管理職な階級がそれを可能にする。飯田は椅子に早くも座り直した。
「・・・さっきのやつをお願いします」
大島は陸軍士官にお願いする。陸軍士官は緑色のトレー――――保安検査場などで身につけた金属類を入れたりするアレだ――――を取り出し、その中に入れられた紙を飯田に渡す。
「自分がここへ来た理由です」
飯田は紙を見た。ホッチキスで止められた数枚の紙。表紙は真っ白だった。
「・・・海の上でもこんなものが売っているのか」
大島の格好はボロボロ、文明圏で過ごせていないことは明白だった。にもかかわらず、この書類は再生紙な色をしているとは言え新しく、彼の着てきた服の状態と似ても似つかわない。
「・・・借用させていただきました」
つまりまあ、誰もいない家か店舗――――放棄された島嶼などにあるやつだろう――――に入って使わせてもらった。ということか。
「どこの島か、聞かせてもらってもいいかな」
「分かりません」
「・・・大島一等海上保安正、あなたの事を私は測りかねている。信用に足るかどうかを、だ」
その発言は君の信用問題に発展するぞと言外に言う飯田。もっともなことである、何処から来たかも分からない奴をどうして信用しろというのか。
「・・・その理由も、すべてお話します。ですが非常に事態は複雑、ややこしいのです。まずはそこに書いてあることに目を通して頂けませんか?」
「どうしても?」
やや高圧的な調子で聞く飯田。睨んだ視線の先で大島は怯まず、視線を合わせてきた。
ほんの数瞬。
「・・・分かった。先に読ませてもらおう」
乗ってやっても問題はないだろう。もう彼に対する評価は決まっている。
ページを開くと、ご丁寧に活字印刷であった。これも「借用した」コピー機でも使ったのだろうが・・・たしか放棄された島嶼の発電施設は閉鎖済み、燃料も抜いてあるはずだ・・・風力発電だろうか?
ともかく、飯田は読み始める。そして数秒である事実に驚愕した。表情にこそ出さないが、目の動きがほんの少しだけ速くなる。
――――『深海棲艦』の日本本土上陸作戦――――
深海棲艦の日本本土に対する攻撃は、二段階の作戦にて構成される。一つ目は九州南部に上陸し、最終作戦へ向けた前進基地を構築するオリンピック作戦(仮称)。二つ目は関東東海地方に上陸し首都周辺の制圧を目指すコロネット作戦(仮称)である。
・ ・ ・
オリンピック作戦(仮称)は大きく分けて三段階のフェーズで進行する。第一段階は傷ついた『駆逐級』が退避するための島、具体的には奄美列島や種子島の占領。二段階目は守備隊戦力を誘引するための四国への上陸作戦。三段階目は鹿児島への上陸、占領。そして大規模な陸棲型生物を成長させ、本州、四国への遠距離攻撃を行う。
・ ・ ・
オリンピック作戦(仮称)の開始時期は10月中旬。下旬には第一フェーズを完了し、10月25日に四国へ偽装上陸。鹿児島上陸は11月1日。
・ ・ ・
予想はしていたが、大迫が飯田に伝えてきたのと全く同じ情報だった。いや大迫からもたらされたそれよりも情報量が多く、濃い。大戦時と現代の我が国の相違点も考慮した上で作戦が想定されているという点では、こちらの方の信憑性が高いとも言えるだろう。
・・・しかし根拠を示してもらえない以上、それは「訳の分からないモノ」が大量に書き連ねられている。ということと同義なのだ。もしかすると大迫からもたらされた情報と彼の妄想がたまたま一致していただけかもしれない。
ともかく、大島はこの文章に相当な自信があるようで、落ち着いた様子でこちらを見ている。
まずは、形式的なところから攻めさせてもらおうか。
「『深海棲艦』・・・とあるが、これは何のことか、一応説明してもらおうか」
「少佐・・・いえ、日本政府に言わせれば『敵対的危険生物』のことになります」
「なぜ公式でない表記を使う?」
「生物・・・などと似ても似つかわないこと、一目瞭然であるからです」
全くもって謎である。どうしてこんな細かい表記を気にするのだろうか。そう言えば淵曽根議員も同じように『深海棲艦』と呼称していた。
まあ、表記などどうでも良いと言われればそれまでだ。
「まあそれはいいとしよう。しかし・・・納得できないな、どうやって作戦開始日を想像した?」
大規模な作戦の開始日は分かりやすい。実際ポーランド情報部もナチス・ドイツの過ちが始まる日を知っていたというし・・・しかし、それは相手が人間だからこそ成し得た話。今回の敵は敵対的な『危険生物』。人間じゃない。情報を手に入れるのは、不可能だ。
大島もそこを突かれることをわかっていたに違いない。そして、飯田がここを突いたのはある意味で「しっかり目を通したぞ」というアピールでもある。彼は口を開いた。
「長くなりますが、順を追って説明します」
『さんたまりあ号、沈没します!』
20万tを超える巨体は既に大きく傾いていた。巨大タンカーはいざという時に備えて石油貯蔵タンクを多くの区画に分けている。そして今は製油所へ向かう途中なので石油は1リットルも積んでいない。よって数十本程度の雷撃で沈むわけがないのだが、今、3隻目の20万tタンカーが沈もうとしていた。可燃物を積まない巨大な鋼鉄の箱が、煙も上げず沈んでゆく。
「おおやしま」の被雷数は1。優秀な部下たちと海上保安庁ではしきしま型だけが持つ隔壁のおかげで沈没こそしなかったが、艦首に命中した関係上速度は大幅に下がっている。護衛を担当しているはずの十数隻の巡視艇は片手の数も残っておらず、対潜兵器は一通り撃ち尽くした。もはや打つ手なし、しかし総員退去の命令も出せない。退去すれば最期。海の上で格好の餌となってしまう。自国領海を侵す蛮族に撃たれる未来は覚悟していたが、まさか得体の知れない化け物の餌食となるとは。考えたこともなかった。
「江島船長!」
大島は彼の上司の名を叫ぶ。彼は取り乱さず、しかし生気を失った声音で答えた。
「まさか、敵の潜水艦を発見・・・すら出来ないとはな」
「駄目ですよ!船長!」
「申し訳が立たん・・・責任を取ることすら出来ない」
江島を気遣うように戦闘ヘリが船橋前に現れた。対潜装備を持たない対地攻撃ヘリはあまりに無力で、先程から魚雷の接近方向を教えることで奮闘していたが、結局ここまで被害は広がった。
「しきしま・・・あきつしま・・・おおやしま・・・しきしま型はすべて我が国の別名だ。私はそれを沈めてしまったよ・・・」
「何言ってるんですか、おおやしまはまだ沈んでない!」
「操舵すら叶わない船が沈んでないと?」
そのとおり、「おおやしま」は魚雷の攻撃を受けて操舵不能に陥っていた。確かに当たったのは艦首だけだ。しかし五分前に艦尾近くで回避したはずの魚雷が爆発。大戦ではよくあったと言われる魚雷の暴発か、もしくは最近流行りの近接信管か・・・ともかく、「おおやしま」は戦闘能力どころか回避能力を失った。
「・・・「おおやしま」はその後沈没、私たちは洋上に投げ出され、今更やってきた『駆逐級』にどんどん喰われていきました。そんな中――――」
次の言葉に、全員が懐疑の目を大島に向ける。しかし飯田だけは口を僅かに歪めただけだった。
――――『彼女』が助けてくれたんです――――
大島は話を続けた。
副長!そう助けを求める声が聞こえた気がする。泳いでいる最中に聞こえるわけがないだろうに。
大島が命じたのはなるべく離れて泳ぐこと、まとめてパクッとされるのはゴメンだからだ。しかし水平線のどこにも大地は見当たらず、状況は絶望的。だが、どうせ死ぬなら最後まであがく。それはこの場に居合わせた全員の総意である。
ただ、泳ぐ。
・・・そして、気づけば周りに誰もいなくなっていた。一人二人と喰われてしまったに違いなかったが、そんな事を判断する余裕はなく、ともかく有無を言わせぬ恐怖に抗いながら大島は泳ぎ続けた。
――――早く、つカn――――
波の音でない何かが聞こえた、誰もいないはずなのに、それから数瞬の間を経て再び聞こえる音、それが声だということにようやく気付き、解読しようとした。幸いなことに、それは日本語だった。
――――早く、掴んで――――!
無我夢中に手を伸ばし、――――そして掴んだ。身体が唐突に持ち上げられ、中途半端に閉じた瞼の向こうが一気に明るくなる。
「・・・!」
「危ないことろだったわね!もう大丈夫よ!」
「・・・海に浮いた少女ねぇ・・・まだD社の作った人魚姫伝説の方が信用できるな・・・いや、それも有り得んか」
陸軍中佐が心底馬鹿にするように言った。ひとまず最後まで聞きましょうと宥める飯田。しかし飯田も、この話はこれ以上発展しないなと感じていた。大島は何かに取り憑かれたように話を続けている。
「・・・私は『彼女』にお前は誰なんだと問いました。彼女は何かの砲塔のようなものを海面に向け撃って――――どうもその時、私の真下に奴がいたみたいなんです――――それから答えました」
「・・・村雨型駆逐艦、『雷』」
唐突に割り込んだ飯田の声に、大島は一瞬意外そうに目を丸くしたが、
「・・・そうです」
そう自信を持って答えた。
「・・・駆逐艦が可愛い女の子、ね・・・仮にそれが事実だとして、この資料の何割は雷の言葉だ?」
「全てです」
大島は自信を持っていった。そこから伺えるのは、絶対的な信頼、いや盲信。この流れを断ち切る必要があると感じた飯田は、少し声音を変えて言った。飯田が座り直した椅子が僅かに軋む。
「例え話をしよう」
「・・・」
「・・・例えば、君もしくは君に情報を渡した奴が本当に正確な情報を掴んでいたとしよう。それを私たちに流した。しかしそれでは君たちにメリットがない」
「・・・」
「しかしこの世に真の献身など存在しない。私だって国のためとか言いながら給料を貰って妻にプレゼントを買ったりする」
「・・・」
「君もしくは君に情報を渡した奴は、情報を我々に流すことで何を得る?それはどんな利益だ?」
何かを言いかけた大島を制するように飯田は自分の話を進める。
「情報を流すということは我が国に何かを成して欲しいということだろう。確かに敵対的危険生物がいつ九州や四国、もしくは東京を襲うとも知れない現状での情報提供は有難い話だ。だが、この国際情勢に置いて我が国に延命していて欲しいと考えている国は日本国の他にいるだろうか?」
「・・・」
「従って、この情報は我が国の生存に役立つどころか死へと導く情報。と判断せざるを得なくなってしまう・・・ああ、気を悪くしないでくれ、君を疑っているわけじゃない、だが――――」
――――今の話を聞いただけで、この情報が『この国のため』と、どうして判断できる?
陸軍中佐は怪訝そうな目で飯田を見た。もうこいつが大ぼら吹きなのは分かった。いい加減突き放そうといった様子だ。だが、飯田の真剣そのものな視線は変わらない。
大島は、力強く言った。
「・・・『彼女』は、飯田なら分かってくれるはずだと言いました。それだけです」
飯田は、小さく息を吐いた。
「貴重な情報ありがとう。助かったよ」
立ち上がって握手を求める飯田。大島は喜びを見せぬように握手に応じる。
「後で呼び出すこともあるかもしれないが、ともかく一度海上保安庁の方に顔を見せてやってくれ。帰還の報告は早いほうがいい、送らせよう」
「ありがとうございます」
大島はそのまま部屋の外へ出ようとする。
「そうだ、何かあったらこの番号まで電話をくれ」
飯田はなんの躊躇いもなく紙切れに電話番号を記入。渡した。携帯の電話番号が記載されている。
「・・・」
陸軍中佐は何も言わずに飯田を睨んでいた。というよりは、何かを待っているようにも見える。
飯田は椅子に座り直した。それから大島から渡された資料を一度手に取り、それから机に戻す。
「・・・小牧、どう分析する?」
小牧は迷いなく答えた。
「少佐殿の『話を聞く』という行為は実に下策であると言わざるを得ません。彼は『小道具』まで入念に準備していました。人に話を一時的にでも信じ込ませるのは、極端に難しいというわけではありません」
小牧がしたのは大島の分析ではなく、飯田の行動。しかし飯田は気を損なう様子もなく、むしろ部下との連携を喜ぶように僅かな笑みを浮かべた。
「お前の言う通りだよ、異常な対応だ。だがしかし、奴の話も異常だった。だから結論は、初めから出ていた」
小牧は迷うことなく答える。
「ダウト、ですね」
「そう、ダウト、だ」
飯田は宙を見据え、鋭く言い放った。
「中佐殿、彼を逮捕してください」
罪状は――――外患誘致罪。
正直罪状なんてなんでもいいんだが、とにかく身柄を拘束することが最優先だ。
「分かった、近くの隊にすぐやらせよう・・・誰もいない避難地区だ、逃がしはせん」
中佐は「やはりな」と言いたげな顔をして部屋を出ていった。小牧は何も言わずに飯田を見やる。彼はなんと、震えていた。その震えを押さえ込むように強く頬を両手で挟み込む。
「さて・・・遂に始まったな」
「可能性の一つとして挙げられていた、敵対的危険生物による情報かく乱ですね」
頷く飯田。大島の話を聞いたのは、これに一度接しておきたかったというのがある。小牧もその可能性を知らされていたため、面会をしようとする飯田を止めはしなかったのだ。
「まだ敵対的危険生物の仕業と断定したわけではないが、何らかの組織が大島を洗脳していることは間違いないと見ていいだろう」
それにしたって下手くそな情報かく乱だった。そんな事を言う飯田に小牧が口を挟んだ。
「そう言えば、さっき渡した電話番号はどなたのなんですか?」
ためらいなく書いていましたけど、まさかご自分のではないですよね。そう問う小牧。飯田は目を閉じ答えた。
「あれは・・・松原少佐、いや二階級特進で大佐か。ともかくそいつの電話番号だよ・・・私の同期だ」
「そう言えば・・・」
先程彼は「飯田なら分かってくれる」とかなんとか言ってましたね。
小牧もそこには感じるところがあったのだろう。洗脳されたにしては変な言葉だった。
「雷艦長、
死者を冒涜するのは、俺が最も嫌うところだ。そう呟いてから、飯田は立ち上がる。
まるで、何かを振り払うように。
「さぁ、行くぞ」
自分の役職は国家を、国民を守ること。何があっても虚言や証拠のないものには流されない。決して流されてはならない。胸に仕舞ってある写真を無視、彼は動き出す。大迫閣下にも内密に確認しなければならないことができたが、まずは大島の『調査』を開始しよう。全てはそれからだ。
空は珍しく快晴である。