季節の変わり目は天候が不安定だ。昨日まで晴れていたと思ったら何日も雨が降ることだってあるし、雨なんか忘れて快晴になったりもする。寒気団と暖気団が激しいせめぎあいをしているのだ。仕方ない。
九州北部のこの県ではどうやら悪い方に天気が傾いたようで、空港に着くと外は雨だった。
「少佐、傘を買ってきましょうか」
「いや、その必要はないよ」
それだけ言って飯田は到着ロビーの出口に顔を向けた。小牧もそちらを見る。
出口のところで待っているのは将校。軍服こそ日本国自衛海軍と同じだが、制帽は別物であった。
知っての通り、東南アジア条約機構――――SEATOとは、ソビエト・ヨーロッパの成立によりアジア重視政策を取らざるを得なくなったアメリカを中心として結成された反共産主義軍事同盟である。加盟国は、日本を筆頭にする大東亜経済会議の面々とアメリカ、ブラジルやメキシコなど。西側諸国といえば基本的にこれらSEATO加盟国を指すことになるだろう。
また、SEATOはその軍事同盟としての役割を果たすために、軍事的緊張の予想される各地域の秩序維持を行う加盟国の枠に囚われない超国家的組織を組織している。
それがSEATO軍だ。
SEATO軍は各国より供出された戦力によって各地で統連合軍を組織、地域ごとに司令部を置き、有事の際迅速な行動が出来るようになっているのである。
「ようこそ、SEATO満州統連合軍佐世保海軍司令部へ」
飯田と小牧をここまで送ってくれた乗用車、それを降りると同時にそう告げられる。空港のあたりではしとしと降っていたはずの雨も気づけば曇天。出迎えにしては随分と無愛想な空だ。
飯田は目の前のゲート、その奥を見つめつつ口を開いた。ゲートの先には庁舎や灯台、石油貯蔵施設しか見えなかったが、その先にはSEATO海軍の艦艇たちが待機しているはずだ。
――――最も、
庁舎に通された飯田たちは、そこにある一つの応接室に通される。飾り立てるほどではないが装飾品に彩られた応接室。壁には歴代のSEATO満州連合海軍司令長官の写真が飾られているが・・・全てが日本人であった。
また、飾られている写真は軍人だけではない。現在SEATO満州連合海軍に供出されている自衛海軍の艦艇の写真も飾られている。
飯田はそのうちの一つ、船体に『143』と刻まれた写真に視線をやった。
「SEATO満州の海軍旗艦は・・・たしかこの『
「ええ」
小牧が答える。南アルプスの白峰三山からとった巡洋艦『白峰』。ヘリ三機の常用が可能な白峰型巡洋艦のネームシップで、その充実した対潜装備とシステムにより、就役当時に志向されていたパッシブ対潜戦闘の先駆けともなった艦艇である。
90年代以降の機動艦隊の護衛艦といえば、対潜の白峰型、対空の金剛型というように、国民にも広く知られている艦艇だ。
そんな白峰型も今では旧式の部類。既に就役40年を超えてしまった老体。外見しか写せない写真では判断できないが、恐らくその船体はあちこちに無理が来ているに違いない。
と、その時。応接室の扉が開いた。
「『白峰』に・・・興味がおありのようですな」
反射的に振り返る飯田。扉に立っていたのは、海軍将官であった。
「あなたは・・・」
素早く敬礼をした小牧と違って動きが止まった飯田。それを気にかける様子なく彼は続ける。
「ヘリ搭載巡洋艦『白峰』・・・13年の第十次上海事変やその後の混乱、さらには貨客船のへの謎の攻撃――――今では敵対的危険生物によるものだと断言できるが――――それらによって運命を狂わされ続けながら、今日もこの海を守ってくれている」
「・・・」
「お久しぶりですね、飯田くん」
それとも今は敵対的危険生物対策室長、と呼んだほうがよろしいですか? と柔らかい調子で言う彼。
「・・・
忘れはしまい。国防大学校広島。飯田たちが過ごした士官学校時代の(禿じゃない方の)恩師、瀬戸内海軍少将である。生徒に対しても柔らかい口調で接する江田島名物の一つでもあった。
「私が満州連合海軍の司令をしていることは君も知っていた筈ですが・・・まあいいでしょう。君の活躍は、方々で聞いていますよ。松原くんは・・・惜しかったですが」
やはり松原昌平のことを口にする瀬戸内少将。松原は主席であり、飯田はそいつといつもつるんでいたのだから当然だ。
「・・・優秀な奴でした。とても残念です」
僅かな沈黙。
「大迫海幕長から話は聞いています、そろそろ
もしよければ食堂の方で昼食でも、そんな提案をする瀬戸内だったが、飯田はいえ、と断った。
「出来れば、指令が降りると同時に出港したいのです。既に艦隊の方は出撃準備に取り掛かっているのでしょう?」
「おや、君にしてはいつになく焦っていますね・・・」
焦っている・・・この人も同じ事を感じているのか・・・瀬戸内のその言葉に、飯田は二日前に大迫が言った台詞を重ねていた。
「SEATO満州海軍・・・なるほど・・・」
場所は二日前、
「SEATOとしての枠組みで動けば、国民になんと言われようと議会の方はやり過ごせるはずだ。佐世保のSEATO海軍は満州統連合軍の管轄。日本国が口出しできることではないはずだからな」
加盟国の枠に囚われない超国家的組織。それがSEATO軍。
SEATO軍は各国が戦力を供出し各司令部が独立して指揮をとるとされてはいるが、超国家的組織と言えどやはり多国籍連合軍の側面を隠せない。司令部にいる人間も各軍から派遣された将校であり、それらの人数が供出された戦力に応じて変わるのだから当然だ。
「・・・」
押し黙ったままの飯田を見つめつつ、執務机に構えた大迫海軍幕僚長は続ける。
「幸いにもSEATO満州海軍の戦力供出は100%日本国。司令部要員も全て我が軍の人間で固められている」
これが逆に中華-インドシナ連合海軍となると中華民国35%インドネシア21%タイ王国15%日本国10%・・・といった具合に連合軍らしい供出率になってくるのだが・・・まあ、それだけ『満州統連合軍』という軍団が担当する地域が特殊な場所であるといえよう。
「SEATO軍を、介入に使うと?」
飯田はそこに、SEATOは私兵団ではないのですよ、という忠告を込める。
「大丈夫だ、今はまだ我が国と満州国しか介入を宣言していないが、アメリカや中華民国でも介入を求める・・・というよりかは中華共和国に報復を求める声が大きくなっている。最近は負け戦ばかりだったからな、SEATOとしても、何とかして紙面に『勝利』の二文字を刻みたい頃だろう」
出撃許可はちゃんと正規のものとして下りるよ。と先周りするように告げる大迫。
「むしろ自分は、正規のものである方が危険だと思いますが」
名ばかりの『自衛』を謳う日本国自衛軍と違い、SEATO軍こそ「専守防衛」の理念を追求する、するべき組織だろう。それを理由付けるにしたって形式上は内政干渉に当たるであろう介入に使うのは・・・こちらもこちらで貫いてきた指針が揺らぎかねない。
もちろん、それだからと言って『秘密裏に』SEATO軍を動かすわけにもいかないのだが。
「確かに敵対的危険生物と渡り合う上での日本の指針を崩すべきではない。だから私はSEATOという反共軍事同盟を利用しようと考えたわけだが」
「しかしそれでも批判は躱せないでしょう」
「今更SEATOの理念を守ってなんになる、やらねばならないこととやるべきことは違う・・・飯田、最近のお前は焦りすぎだ。何に焦っている」
組織の理念やあるべき姿ばかりに執着する人間を対策室長にした覚えはないぞ。大迫善光の眼光が飯田に向けられた。
「・・・」
自分が何に焦っているか? 佐伯大輔空軍大将が秘密裏に進めている敵対的危険生物の殲滅作戦――――オペレーション・ニイタカヤマノボレ――――これが自分の預かり知らぬところで、しかも隠れて進行していることに焦っているのだ。千駄ヶ谷陸軍中将の言うとおり自分は海軍少佐、「たかが少佐」のくせして、目が届くわけもない国全体の防衛計画を気にかけているのである。
傲慢だろうか。まさか。
一つの歯車の狂いはすべてを崩壊させる。目の前の大迫海軍幕僚長は
そして作戦を進めているのは『あの』佐伯空軍大将。彼の権力は空軍だけに留まらず、満州国防軍にも及んでいるのだ。作戦に使用される航空機は今頃満州国の各地に分散されて待機していることだろう。一斉に飛び立つ、その号令を待ちながら。
そして、彼の作戦が一つの歯車が狂うレベルの誤差では
「私を前にして考え事か、偉くなったものだな」
大迫は笑った。飯田の背筋に一瞬冷たいものが走る。彼の初陣は第二次ベーリング海戦と聞いている、それ以来養ってきた部下を見極め、状況に応じて使い捨てる。その姿勢は崩れない。
・・・いや違う、降ろされることが怖くなったのではないのだ。ここで降ろされては計画に支障が出る、それが怖いのだ・・・なるほど、やはり調子に乗っていたのは自分だろうか。飯田孝介はたかが海軍少佐に過ぎないというのに。
「・・・」
「・・・もともと『対策室』なんて物を作ったのは枠に囚われない敵対的危険生物への対処行動を可能にするためだった。だからお前に圧力をかけるような真似はしたくないのだが・・・」
一応聞かせてくれ、お前は何を掴んだ? それだけ言って大迫は沈黙する。
「・・・」
目の前の大迫閣下は『オペレーション・ニイタカヤマノボレ』のことを知らない。そしてそれは、事が海軍抜きで進んでおり、逆に言えば海軍には一切の手出しができないことを意味していた。彼に打ち明ければどうにかなるというものではないのだ。
・・・それはもしかすると、誰にも手の打ちようがないことを意味するのかもしれない。しかし飯田は沈黙を保った。口に出すことで認めたくなかったのかも・・・いや、まだ手はあるはずだ。
飯田の沈黙をどう受け取ったのか、大迫が口を開く。
「沈黙が
以前も彼は言っていた。見えない大きな力が働いているかのように進んでゆく、と。
その言葉に飯田は先程まで保っていた沈黙を破る。その一言は彼の懸念を肯定する一言だ。
「・・・はい」
そうか・・・とだけ吐き出して椅子をゆっくりと回す大迫。180度も回頭してしまえば飯田から海軍幕僚長の姿は見えない。執務机と大きく柔らかな背もたれを持つ回転椅子に隠されてしまうのだ。
「・・・今が、耐え忍ぶべき時、なのかね」
彼は海軍幕僚長。以前は海軍軍令部長と呼ばれていたその役職は、海軍を動かすトップだ。彼が指揮する水上艦艇群は戦力温存のためと戦場から引き離され、陸の上では空軍にすら蔑ろにされる始末。自らの責務を果たせぬと嘆いたのは、飯田より彼ではないのだろうか。
だからこそ、背を向けた彼を弱気と言うまい。彼を弱虫と呼べば、海軍全将兵は弱虫だ。
そんな飯田の沈黙をどう受け取ったのか、大迫はやや椅子を回した。彼の片眼だけが飯田に向けられる。
「部下に聞くようなことじゃなかったな・・・」
さて、話を戻そうか。それ以降の大迫に弱さと呼べるようなものは見えなかった。
「いえ・・・焦っているのは君ではないのかもしれませんね」
ところ戻って佐世保。SEATO満州連合海軍の司令でありかつて飯田たち相手に教鞭をとっていた瀬戸内中将はそう続けた。教え子相手でも敬語を使う姿勢、敬語なのに妙に威圧感のある話し方は変わらない。
「SEATO・・・というよりかは大迫さんを始めとしたこの国の海軍関係者でしょうか・・・『中華共和国の件で』我々にお鉢が回ってくるのは至極当然かもしれませんが。一体どうしてここまで焦る必要があるのでしょう」
まあ、そんな個人的な疑問は置いておいて。と自分で言い出したこと仕舞ってしまう瀬戸内中将。それから、
「敵対的危険生物対策室長が来ているあたり、『普通でない』任務というわけですかな」
と続けた。SEATOの制帽を被った
「まあ、そういうことになります」
「ならなおさら庁舎の方で昼食を取りましょう。食事を運ばせます」
それだけ言うと壁に取り付けられている内線を取り、食事を運ぶように指示を出す瀬戸内中将。場所はともかく話すつもりはあった。情報は漏らさないに越したことはない。だが実際に動くのは彼らなのだ、説明しなければ話が始まらないし、流石に事情を説明せずにこんなこれから始まる航海に連れ出すことはできないだろう。いや連れ出すことが可能でも、混乱を生むようなことは極力避けたかった。
少々順序は変わるが、ここで説明しよう。そう決めた飯田は、昼食が運ばれてくるのを待った。
待つこと数分。食堂で出されているものを運んできたのだろう。トレーに載せられたカレーライスがいくつかワゴンで運び込まれる。運んできた水兵は敬礼――――帽子を被っていないため腰を中心に上半身を傾ける――――の後に配膳を始め、飯田と小牧、として瀬戸内中将の前に香辛料の香り漂う皿を置いてゆく。
「・・・はて、今日はカレーの日でしたかね?」
無言で食べ始めるわけにもいかないだろう。飯田は気になったことを口にする。今日は2022年7月4日、曜日は月曜。曜日感覚を失いやすい艦隊勤務では必ず週に一度はカレーを出すようにしている。これが巷で噂の金曜カレーというやつだが・・・いや、もちろん金曜である理由はない。
「陸の食堂でならいつでもカレーは食べられますよ、飯田くん」
「それはそうでしょうが・・・」
「ここのカレーはSEATO満州海軍No.1ですからね・・・どうぞ、お食べ下さい」
そりゃSEATO満州海軍の基地なんてここ佐世保にしかない――――SEATO海軍の補給は加盟各国海軍基地に依存している。その関係から、母港以外の基地を必要としないのだ――――だからNo.1で当然だろう・・・なんてことを言える雰囲気でもなく、互いに押し黙ったまま昼食をとる。なるほどカレーは美味かったが、どうにも重い雰囲気が漂う。飯田にとっての瀬戸内中将は教官であったとは言っても大した親交はない。気軽に世間話をするのは失礼であるし、食事中に仕事の話を持ち出されるのを嫌う者もいる。
「・・・」
室内に響くのは空調の駆動音のみ。食事をしているのは僅か三名。食器が触れ合う音すら聞こえない・・・というのは言いすぎかもしれないが、とにかくそれほど静かだった。
しかしそれも、唐突に破られる。
「ところで・・・」
口を開いたのは瀬戸内中将。手を止め瀬戸内中将に視線を向ける対策室の二人。瀬戸内は誤魔化すように手を立てた。
「おっと、食事の邪魔をしてしまいましたか」
見れば瀬戸内の前に置かれた皿は空になっていた。随分と食べるのが早い。
「いえ、このままでよければお聞きします」
「それで構いません・・・飯田くん個人としては、この『対処行動』、どう考えているのでしょうか」
軍機に触れるようであれば、答えていただかなくて結構ですと付け足しつつ問う瀬戸内。
「個人の考えと言われましても・・・自分が目指すのはやはり海岸線での水際対処です」
「日本の海岸線は長大です。守るのは難しい」
「ですが水際対処にも利点はあります」
瀬戸内が椅子に座り直した。
「・・・例えば?」
「琉球諸島事変で鹵獲した『駆逐級Ⅰ型』の研究レポート、お読みになりましたか」
研究レポート。青葉記者に『ご褒美』とか言われながら渡されたアレだ。中身は琉球諸島事変で鹵獲した個体の徹底的な研究結果。陸軍の極秘資料であり、いくら中将といえど海軍で、しかもSEATO司令に回ってくるはずがなかった。
「いえ・・・聞いたこともないですね」
「そこでは、『駆逐級Ⅰ型』の脚部は未発達であり、胴体との接合部ももろい、という記述があります」
そこには対人地雷ですら効果が見込めるとの記述もある。対人地雷の製造コストは数百円、難しい機構もないので生産は容易い。実際には対人地雷よりも強めの威力が必要なのだろうが・・・敵対的危険生物は図体の割にもろいのだ――――少なくとも『駆逐級』は。
「また、表皮も5.56mm程度なら耐えますが、機関銃の12.7mmならある程度の効果が確認されたということです」
「なるほど、純粋なコストパフォーマンスの差というわけですか」
瀬戸内は納得したように頷いた。船に機関銃を取り付けて出撃するのにかかる費用。これと地上に機関銃を配備する費用。どちらが安いかと問われれば間違いなく後者だろう。
「いえ、実はもう一つあります」
流れに乗るなら今だろう。飯田は付け加えるように言い放つ。
「・・・というと?」
疑問を示すように肘をついた瀬戸内。飯田は小牧の方に目をやる。それを受けた小牧が鞄に手をかけたのを確認、わずかに残っていたカレーをさっさと口へ運んでしまう。
「片付けてください」
飯田が食べ終えたのを確認した――――小牧は既に食べ終わっている――――瀬戸内は配膳したまま待機していた水兵にそう命じる。水兵は慣れた手つきで食器を片付け、何もなくなった机の上に小牧が書類を広げる。
「この書類は対策室が『独自に』入手したものです。ご理解ください」
後の混乱を避けるために前置きする飯田。平たく言うなら「正規のルートで仕入れたわけじゃない(つまり盗んだ)からこのことは黙っていてね」という意味だ。
「まあ陸軍は妙なところで秘密主義ですからね。仕方もないでしょう」
それから瀬戸内は食器を全てワゴンに戻して控えていた水兵へ退出するよう命じる。彼は入ってきた時と同じように敬礼し、そのまま去っていった。
「・・・して、こちらは?」
机に広げられた幾つかの書類。写真が添付されているものもある。大体がグラフや数字の羅列で埋められており、一部には元素記号を並べた構造式なども見受けられる。
「先程申し上げた研究レポートの一部・・・陸軍が『駆逐級Ⅰ型』に対して行なった生体実験の結果です。感覚の調査から表皮の成分調査など様々な調査結果が記されています」
「専門家でないからなんとも言えませんが・・・」
と口ごもる瀬戸内、そんなの当たり前だ。飯田だって一通り目を通したとはいえ半分、いや三分の一も理解できていない。瀬戸内は各書類を手にとっては総論だけに素早く目を通してゆく。
「・・・思ったよりも、様々な攻撃方法が挙げられるんですね」
「ええ、冷凍すれば細胞組織は崩壊しますし、熱に対しても極端に強いわけではありません。表皮だって普通に溶かすことができます」
敵対的危険生物に対する研究はなかなか細かいところまで進んでいた。火砲を持つ『駆逐級Ⅱ型』や『巡洋級』、姿すら分かっていない『潜伏級』はまだ鹵獲に至っていないため奴らの使う武器に関しては全く調査が進んでいないが、この研究に文字通りの国の命が掛かっている。総力をつぎ込んだ研究は朧げな敵対的危険生物という『生命体』の像を浮かび上がらせてきた。
しかし、調べれば調べるほど世界がひっくり返るような発見ばかり。もはや敵対的危険生物を『生物』と見なしていいのかどうかも怪しくなってしまった。
そんな結果に適当な理由を見つけつつ――――一番大切なはずの『なぜ人間にのみ過剰な攻撃反応を示すのか』は説明できていないが――――書かれているのがこのレポートな訳だが・・・まあ研究は研究者の仕事だ。自分たちは軍人。重要なのは、敵がどんな特性を持ち、どのように撃退するのが最良の判断と言えるかだ。それだけ分かれば、他のことはどうでもいい。
図体は大きく、馬力もある。しかし結局は肉の塊。人間と同じく焼かれ、溶け、殺すことができる。無敵とは程遠い、数に任せた烏合の衆。
それが国民、いや世界を恐怖に陥れた『駆逐級Ⅰ型』の姿だ。
「・・・そして考えられたのが『収束爆弾』というわけですか、確かに低威力でも効くのであればいい判断でしょうね」
「ええ、除染のコストも考えるなら核兵器よりずっと有効かと」
収束爆弾・・・クラスター爆弾という名称の方が有名だろうか。大型のコンテナ――――親爆弾――――に搭載した大量の子爆弾を指定した高度で拡散させ、任意の密度で爆弾の嵐を吹きあらす兵器だ。数の限られる航空機で広大な範囲を攻撃せねばならない際には非常に有用で、海岸線の長さ故に水際防衛の展開が間に合わない日本や進行してくる敵軍に対する障害物がほとんどない満州国では今でも重宝されている。
「確かに有用ではありますね・・・満州国も含めれば収束爆弾は保有数も多い・・・ですが、海上で使うのはいささか・・・そういうことですか」
「そういうことです」
クラスター爆弾やここでは挙げなかったが燃料気化爆弾――――可燃液体を広域に瞬間的に散布し、直後に燃焼、数百メートルを一気に焼き払う――――などは『地上戦では』有用な兵器だ。海の上という特殊な場所では人智をはるかに超える、そしてこれからもずっと立ちはだかり続けるであろう障害がある。
海だ。
「敵対的危険生物は確かにクラスター爆弾で撃破できます・・・しかし海中に潜られれば通常仕様の子爆弾でダメージを与えることは不可能でしょう」
爆発半径を二倍にするために必要な火薬量は三倍とされる・・・このように爆弾の爆発は火薬の重量が重くなれば重くなるほど、つまり威力を増すほど効率が悪くなる。重くなれば製造コストはもちろん、輸送コストも大きくなってしまう。一度に投下、発射できる爆弾の量は限られているのだ。
そこで少しでも効率よく広範囲を攻撃できるように開発されたのがクラスター爆弾や燃料気化爆弾といった兵器――――そういう意味では戦術核もこれに分類されるだろう――――なのだが・・・少ない材料で広い範囲を攻撃する都合上どうしてもそれが与える空間あたりの威力――――戦術核は別として――――は低くなる。クラスター爆弾も対装甲車用の改良版が存在するし、気化爆弾に至っては爆発の破片ではなく爆発の熱と衝撃波だけで攻撃するのだ。
海に隠れられてしまえば、攻撃は届かない。
「それが飯田くんが地上での戦い――――本土決戦を志向する理由なのですね」
「本当は海上で防ぐべきなのでしょうが、難しいと判断した結果です」
そこまで説明すれば瀬戸内はうんうんと頷いた。
「なるほど、それなら九州南部から住民を退去させているのも頷けます・・・内陸部に誘い込み、撃滅する・・・少なくとも海軍は蚊帳の外ですね」
「遺憾ながら」
そう飯田は発言する。そして瀬戸内は一旦間を空けてから。こう問うた。
「SEATO海軍はどうしても旧式の艦艇が中心となってしまう・・・飯田くん、いえ『対策室』は
ここからが本題だ。瀬戸内教官も分かっていらっしゃる。
返す飯田の口調にも力が入った。
「空軍が独自に敵対的危険生物の殲滅作戦を決行しようとしています。場所は恐らく四国沖」
「ですが海上での爆弾はあまり効果がないのではないですか?」
繰り返しになるが、大抵の兵器は地上で使うことを前提としている。対艦兵器も艦艇に命中することが目的だ。海の中に向けて撃つ兵器なんて、精々対潜兵器ぐらい。
「ですが仮におびき出しが可能なら・・・つまり海上に浮かべることができるなら、少しの調整で対地兵器も使い物になるでしょう」
「おびき出す・・・と言われましても・・・」
瀬戸内中将の言うとおりだ。『駆逐級Ⅱ型』や『巡洋級』はともかく、どこかに上陸するときにしか現れない『駆逐級Ⅰ型』をどうやっておびき出すというのか。
「・・・これです」
飯田は写真を差し出した。波をかき分け進むアングルド・デッキとそこに並ぶ航空機群・・・
「『新高』ですか・・・今は確か、あの『大和』同様記念艦扱いでしたね」
「ですが『新高』は、今お台場にいません、今月から空軍に管理担当が移っています」
「そうなのですか」
「ところで瀬戸内教官・・・この艦、
空軍。
上海事変。
かなりの収容能力を誇る『新高』。
敵対的危険生物の特性の一つである「人間に対する過剰な攻撃反応」。
そして「オペレーション・ニイタカヤマノボレ」と言うふざけた作戦名。
一瞬、沈黙が流れた。その次の瞬間には、瀬戸内の表情は変わっていた。
「・・・なるほど、そういうことですか」
「そういうことです」
「『防ぐ』のですか? それとも『護衛役』ですか?」
瀬戸内はそれしか問わない。軍人にあるのは命令だ。
「大迫海軍幕僚長からの『密命書』です。読んだら燃やして下さい」
内ポケットより一通の封筒を取り出し、手渡す飯田。瀬戸内は素早く、しかしじっくりと目を走らせ、そしてライターを取り出した。
「分かりました。必ずや完遂してみせましょう」
ガラス製の灰皿、その上で炎に包まれる密命書を見つめつつ瀬戸内は言う。
「ご同行します」
小牧はせっせと鞄に資料を片付けており、そろそろ支度も整う頃だ。そして失礼しますとの声とともに開いた扉。先ほどの水兵ではなく、司令部要員の士官だ。きっと
準備は整った――――はずだった。
「SEATO満州統連合軍新京司令部より、『一切の出航を禁じる』との命令が届きました!」