例えば、ここに海があるとしよう。海。大きさはおおよそ日本近海。
そこで一隻の巨大艦船と六隻の艦隊が追いかけっこをしている。片方は旧式の大型空母、もう片方も旧式艦艇の寄せ集めではあるが、足の速さなら負けない。
加えて海に障害物はない・・・六隻の艦隊は目標を捉えることができるだろうか。
答えはNOだ。
海は広すぎる。障害物がないとは言え30kmほど距離を離されただけで相手の姿は水平線に隠れてしまうし、追っ手である六隻のSEATO満州海軍は――――上層部から横槍を入れられないように――――電波封鎖の上での作戦行動。レーダーも使えなきゃ目を瞑って探すようなものだ。そう簡単に捕まるわけがない――――鬼さんこちら、とでも向こうがこちらを手招きしてくれれば良いのだが、そう世の中簡単じゃあないだろう。
しかし策はある。
「『浜霧』より発光信号、『我、不審船ミユ、艦種確認中』。」
網を張るように広げられた長大な単横陣。報告は最右翼の駆逐艦『浜霧』よりもたらされた。本国に『位置を知られぬよう』無線封鎖を行っているこの状況下では発光信号のみが遠距離の通信手段だ。おかげで索敵範囲が狭くなってしまうことが不安だったが・・・どうやら杞憂に終わったようだ。
「引っかかったか」
特に感情のこもらぬ声を挙げたのは当直士官。
「『新高』の事情を考えれば時間のことを考えずとも人目につきやすい
やや自慢げな様子の航海士。さっさと総員おこしましょうよ、といった表情だ。
「念には念をだ…ひとまず艦長に報告、『浜霧』の艦種識別を待つ」
「はっ」
軍隊にあってはならないのは誤認だ。目標を見誤れば思わぬ惨事に繋がりかねない。当直として動かねばならぬほど状況は逼迫していないと判断した彼は、ひとまず艦長の指示を待つ。
それにしても、異常な状況だ…当直の彼はそう思った。そもそも一隻の大型艦船が誰の目にもつかず上海近海から四国まで移動するなど不可能なはずなのだ・・・しかし、敵対的危険生物により外洋に出ることが叶わなくなっているという現実がそれを可能にする。実際、佐世保を飛び出して以来、自艦隊以外の艦影は見ていない。民間船も軍艦も、
だから『新高』はここを通るし、瀬戸内海軍少将率いるこの艦隊も不審船と聞いただけでそれが『新高』であると確信できた。詳細の報告を待たずとも確信できる。
見捨てられた、捨てざるを得なかった海域。それが九州沖。いつか世界中の海がこうなってしまうのかもしれない…いや、海の防人たる自分がこんなこと考えてはいけないのだが、そう思ってしまうほどに敵対的危険生物の脅威は差し迫ったものとなっていた。
「艦長、入室されます!」
そんなことを彼が考えていると、唐突に大きな声が聞こえた。その内容に素早く反応し、入口のほうへ向きなおり敬礼。
「当直ご苦労、ついに見つかったか」
発見の報告を聞いた仮眠中の艦長――――相当慌てていたようで、制服を着ながら入ってきた――――が艦橋の当直任務を労いつつ、報告を求める。
「現在識別中です…ですが、『新高』に間違いないかと」
「だろうな・・・よし、総員おこし、全艦隊へ通達、『目標発見セリ、我ニ続ケ』…
退役し、記念艦となったはずの新高型航空母艦『新高』。彼女が今搭載しているものは航空機でもなければ軍需物資でもない。では何か。
ある程度の予想はついていたが、ここ巡洋艦『白峰』の艦橋にそれへの「確信」を持っているものは今いない。そして内心でその予感が外れることを願っている。
間もなく、夜が明ける。
「ご苦労だったな、飯田」
敵対的危険生物による徹底的な海上交通網の破壊により、物流は途絶えた。しかし敵対的危険生物の活動域は『まだ』南太平洋と印度洋・・・そして大西洋でしか確認されていない。それはすなわち北太平洋からの航路は生きているということで、実は日米の貿易はまだ細々と続いている。
細々と続いている――――つまり貨物が多く運べない――――航路で利益を出すためにはどうしたらいいだろうか。食料品や生活必需品の類はよく売れるとはいえ所詮薄利多売が前提。量を持ち込み、それを全て売らなければ意味がない。少ない数の商品で利益を出すためには、金銭的余裕のある富裕層に売り払うのが理想的だ。
それゆえに、飯田インダストリーの会長――――すなわち富裕層の一人――――である飯田啓介の目の前には、琉球諸島事変以前と全く変わらぬ嗜好品の数々が置かれている。英国印度産の商品などは、中華人民共和国の封鎖を裏ルートですり抜け――――ちなみに、今起きている「第十一次上海事変」も、SEATO諸国にとってしてみればこの封鎖を突破する口実のようなものなのだ――――朝鮮半島を経由して手に入れたそうだそうだが・・・こう考えると対馬トンネルも国民の生活を支えるためだけに使われているわけではなさそうだ。
「そんな顔をするでない・・・迷いはお主の弱みとなる。それで狼に捕まった日には、一巻の終わり・・・すなわちげーむおーばー」
抑制された低い声、飯田啓介だって数多くのことを経験し、全て自分に反映してきたはずだ。しかし眼の前の老人から伝わってくるのは自分以上の年季、一体全体どうしたらこんな雰囲気を出せるのやら。
そうは思った、年長者の助言に耳を傾けることも重要だ。しかしどうだろうか、眼の前の彼は自分をまるで迷える子羊と言わんばかりの例えをしてきたのだ。自分は狼とでも言うつもりだろうか。いや、忠告しているのだから羊飼いのつもりなのだろう。
「大法螺吹きは信用を失い、見捨てられる。私が背負っているリスクぐらいはあなたも理解しているものだと思っていたが・・・」
だから飯田啓介は、それに嘘吐き羊飼いになぞらえて言葉を返す。向こうに趣旨が伝わるかはともかく、字面通りに受け取っても意味は通じる飯田啓介の言葉。
「儂が理解していないはずなかろう・・・しかしついて来たのはお主。その瞬間から自己責任・・・そうは思わんか?」
自己責任、都合のいい言葉だ。もちろんそれは正論で、理解もしている。
「おっしゃる通りです」
だから飯田啓介はやけに丁寧な敬語を使う。その敬語が添えられた彼の口調、退役軍人である彼のキャリアにはもちろん、彼がこれまで積み重ね、今なお纏うその雰囲気に似つかわない口調。
「なら、なぜ今更そんな事を問う? 『事』は既に動き始めておる…止めようにも止められない」
「止めませんとも、止める理由がない」
それだけで会話は打ち切られる。互いに視線を交わらせ、それ以上口に出すことはしない。今更『作戦』の是非を問うようなことをするつもりはないのだから。
飯田啓介は目の前に置かれた――――嗜好品が多く置かれているのは結構な話だが、淵曽根議員はいったい何のためにこの場を用意したのだろうか――――嗜好品の一つ…紅茶の葉が詰められた缶を手に取った。彼自身は紅茶が好きなわけではないのだが、その缶に張り付けられた絵に息子の顔を重ねる。息子の飯田孝介・・・敵対的危険生物対策室長である彼には考えがある。自分にも考えがある。そして…眼の前の老人、淵曽根貴族議員にも考えがある。
・・・何故だ、何故今呼び出した。その疑問は、淵曽根への疑念を如実に表していた。
そんな
「時に、飯田。お主はアラビア半島に赴いたのであったな」
「昔のことだ…まだ中佐だった」
「その時、何か思わんかったか」
その問いに飯田啓介はいったいそんな昔話をして何を得ようというのだろうか。アラビア半島で得た経験など碌なものはない。
「・・・」
啓介は答えない。答えるだけ時間の、労力の無駄だ。どうせ自分が答えを当てようと当てまいと、
「アラビアには多くの『モノ』が入り乱れておった・・・
違うかな? 淵曽根。まるで自分で見てきたような口調で言う。啓介は呟くように応じる。
「世界の縮図・・・見てもないくせによく言うものだ、議会の椅子にしか座ったことのない人間がどうして砂漠の野営を知ることができるだろうか」
砂漠地帯は寒暖が激しい、そもそも、太陽光という大量の熱線にさらされる地上は非常に熱くなるのだ。そして陽が沈んでしまえば極端に寒くなる。しかし同じ緯度でも熱帯雨林は朝昼問わず暑く、砂漠は寒くなる。何が違うか? 簡単な話だ。熱されにくく冷めにくい水分。それが温度を調節しているのだ。砂漠にはそれがない。
故に、兵士たちは強いられる。昼は体中の血液を煮沸させようと照りつける太陽から身を守るために布を纏い砂漠を往くことを、夜はその布を被り星あかりだけを頼りに数里先を見張ることを。
「誰も彼も必死にその場を生きていた。議員殿の言うとおりアラビア半島は世界のほとんどの事情が反映された場所だったかもしれない。だが・・・」
啓介の口調に熱がこもる。服装は普段のモノに戻ってはいたが、今の彼は軍服・・・それも将官服ではなく佐官のそれを着ているようであった。
「あの場にいる全ての人間の想いは同じだ。眼の前の敵を打ち砕き、祖国へと帰る・・・それだけだった。そこに複雑な理論など存在しない・・・アラビアを結果論で語るのは止めてもらおう・・・ことさら、今の我々は『進行中の』敵対的危険生物との戦争について語っているのだからな」
しかし淵曽根はニヤリと笑う。口角を釣り上げたことにより出来た皺と、元より存在する皺が混ざり合い、眼はギョロリと生気が宿っている。朽ち果てゆく過程にあるはずの老体に漲った覇気が、彼を老人ではない何かへと昇華させていた。
「だからこそ、儂らはその別次元を考えねばならん。眼の前のことなど動物でも分かる。生きて帰ることを目標とするのは誰でも同じことだ」
「何が別次元だ。政治家の考えることは戦後だろう?」
「違うな・・・全くもって違う・・・」
淵曽根は首を振った。力強い振り方だった。
「戦後のことを考えるなど三流もいいところ、戦争など所詮は外交に過ぎん。戦後処理もその一環だ。戦後という状況に対処するために行うもので、眼の前のことしか考えていないことに変わりはない」
「・・・」
啓介は黙ったまま、淵曽根の言葉を待つ。
オペレーション・ニイタカヤマノボレへの協力を打診された時、彼の口調はむしろ脅しであった。飯田
しかし今の彼は違う。彼は自身の考えをこちらに押し付けようとはしているが、そこにはこちらに反論の余地を残す雰囲気があるように見える。彼はここに来て、今更『協力』を仰いでいるのだ。
それすなわち、『
・・・その決断は
「政治家の真の役割は見えない未来を視ること。過去を振り返ってみてもそうだ・・・我が国に関する歴史に初めて登場する政治家は卑弥呼・・・彼女は鬼道を用い、未来を視た。政治家とは未来を見ることに始まる。そして民を惑わすことによってのみ、その目的を達する」
視た未来がまやかしでも構わない、歴史は民が作るのだからな。
60年代のベビーブームは急速な発展に伴う電力不足と娯楽の不足によるものだという。取り付け騒ぎはたった一人の政治家が無駄な一言を言ったせいで――――それ自体はたった一つの銀行が破綻しただけの話だったはずだが――――起きたのだという。信じられない話だが、そういうものなのだ。景気は文字通り気分で動く、全国民がそうだと信じれば世界は本当に変わってしまう。だから革命も成功したし、ただの一政党に過ぎなかったナチ党の党首はドイツ第三帝国の独裁者へと『合法的に』のし上がった。
「
これすなわち、儂の思い描く国家百年の計よ。
「具体性や正確性がないのに『計』を名乗るつもりか?」
啓介の眼には既に侮蔑が込められていた。何が遥か先の未来を『視る』だ。それは国という名の共同体が、すなわち全国民が視る物であるはずだ。皆で描かねばそれは未来ではなく、一人もしくは少人数で描いた未来など独善的な芸術品に過ぎないのである。事実第三帝国は滅び、共産主義もその異常なまでの生産効率低下に喘いでいるではないか。
そんな妄言に頼らずとも、目の前に何度も現れる選択肢、それの正解を導き続ければ結果は出るはずだ。国家百年の計とは未来への種まきの事を言うはずだ。それをビジョンを描くだけで終わらせるとは・・・所詮この淵曽根という名の貴族議員も、その程度の理想屋ということか。
「まあ待て、これだから若い者は結論を先走って困る」
傍から見ればどう見ても高齢者に分類されるはずの啓介を「若い者」と呼ぶ淵曽根。眼には哀れみが浮かんでいた。しかし驚くべきは、それは啓介に向けられていないということだ。
「儂は確かに国家百年の計を描きたい・・・しかし、世界はそれを許さないのだよ」
――――沖縄の『地上絵』、お主も知っているだろう?
知っている。沖縄占領時に敵対的危険生物が残した唯一とも言える『犯行声明』。素早く空母『日向』の艦載機がこれを粉砕したが、その異常性は
「戦争は何かを争うための『外交手段』に過ぎない・・・それが一般的な認識だ。ならこれはなんだ。今儂らは戦争をしているのか?」
答えは一つ。Yesだ。我々は戦争をしている。間違いなく。
そして争うべきは――――。
『生存権』
どちらの言葉だったのだろうか。ともかくその空間に放たれたその単語は、その文字以上の重みをもって壁に、床に、装飾に、そして嗜好品の数々に付着した。かつての宣伝上手が言った「国家の生存権」なんて簡単な言葉じゃない。
国家百年の計なんていう空想をしている暇すら、自分らには残されていないのだ。
気づけば既に対談は終わっていた。二人は互いの共通点、そして相反する点を確認し、既に目的は達成された。
後は、生存権を奪い返すための第一歩、
陽が登り始めている。既に燦々と輝き始めた水平線上の太陽。波と潮風がぶつかり合うことで生じる波のざわめき・・・。
『こちらは日本国自衛海軍である!! 直ちに停船されたし!!』
そして、それを切り裂くように声が響く。叫んでいるのはSEATO満州海軍へ供出されている村雨型八番艦の駆逐艦『曙』。ソマリア海賊対処に際し搭載された
「反応ありませんね・・・」
『曙』艦内にてそう呟いたのは一人の士官。その言葉からは僅かな苛立ちが感じられる。とはいえ、彼にかける言葉もない。先程から『新高』は沈黙を保っており、恐ろしい程静かだ・・・一体何が艦内で起きているのやら。
「もう一度、次はもう少し語気を強めよう・・・もし通じなきゃ、次は英語、北京語だ、確かお前出来たよな?」
「第二外国語は中国でしたが、北京語をとっておいてよかったです」
「そのようだ、こんなところで役にたつとはな」
ともかく命令を遂行する。そう無言の内に確かめ合った二人は互いに頷き、呼びかけを続ける。
『こちらは日本海軍である。直ちに停船せよ!!』
98年の点検を最後に塗装されていない軍艦色が水面に映り、波をかき分け進む。併走する『白峰』たちとの距離は数百メートル。『新高』の艦内の様子は確認できない。それは当然のことだ。軍艦なのだから。
「・・・流石に回り込めないか」
そう呟いたのは瀬戸内海軍少将。SEATO満州海軍の司令である彼の呟きに航海参謀が素早く応じる。
「四十年近く使ってなかった
『新高』は50年代、自衛海軍へと改名される前に就役した
そしてなによりも、重要なことがある。
「まずは、『新高』艦内の様子を確かめねばなりません」
先程まで事の成り行きを見守るだけだった飯田が口を開いた。
「その通りだ少佐。既に準備はさせてある」
それに応じる瀬戸内。陸での柔らかな物言いを全く感じさせず――――場所で口調を変える、そんな変わり種な性格が彼を江田島名物にしたのだが・・・まあ今そんなことは関係ない――――返事を返す。
「準備?」
一体何の準備だろうか。
「そうか、少佐は知らないのだったな、飛行参謀、調整は終わったか?」
なんのことを言っているのやらといった様子の飯田に瀬戸内は口角を釣り上げ、司令部要員の一人に何かを確認する。一体何を確認しているのだろうか。
「準備できました。いつでも行けます」
「よし・・・上げろ」
その号令が伝達されて数十秒ほどだろうか、艦橋の横を通り過ぎていく飛行物体が一つ。2メートルはありそうな四角形の端にそれぞれ
「
ドローンと呼ばれる無人航空機、形は有人機と同じ程のものから手のひらサイズまで多種多様、最近は安定性の観点から今飛んでいった亀のように複数のプロペラを装備したマルチコプターが主流である。
大きさが多様なら用途も多様、瓦礫が多く他のロボットが進入しづらい――――例えば被災直後の現場など――――場所への進入、農薬の散布・・・。2016年のリオデジャネイロオリンピックを騒がせ、20年の東京オリンピックでも主催側がヒヤヒヤしていたのがドローンを用いたテロであったことは記憶に新しい。
もちろん軍部でもとうの昔にマルチコプタータイプのドローンは導入されているが、小型なら出力不足が浮き彫りになり、大型だと被撃墜率が高くなるこの装備は大して浸透していないのが現状だったはずだ。
「陸軍の偵察隊から回してもらい、防塩処理を施し海軍仕様に改修したものだ・・・快速の上に、風速10メートルくらいなら余裕、使いどころがほとんどない点を除けば、なかなかの装備ですよ」
自慢げな様子で話す航空参謀・・・どちらかといえば海上保安庁向けの装備――――考えてみると、SEATO満州海軍に与えられる任務はSEATO満州統連合軍が部隊や物資などを海上輸送する際の護衛や海域の哨戒だ。敵国籍船の臨検に入ることもあるだろう・・・そういった時には役に立ちそうだが――――にも見えるドローンは、海上をどんどん加速しながら飛んでゆく。
「ですがあの大きさでは・・・」
外から観測することは可能だろうが、そんなことは遠望レンズで見られるのだ。観測すべきは艦内の様子。しかしあの大きさでは入れないだろう。
「それについては問題ない、あれには小型ドローンが積んである・・・風には弱く足も遅いが、適当な場所で侵入させられれば風は関係ないからな」
なるほど、小型機を搭載しているということか・・・ドローンからドローンを飛ばす・・・アイデアだけなら簡単だろうが、実際にそれをやるためには多くの技術的ハードルがあったはずだ。海上での使用という点も含めて、なかなか実験要素が多そうな装備品だ。
「これでいい報告書が書ければ言うこと無しなのですがね・・・」
残念そうに艦長が漏らす。今回の作戦は
報告書を書く事は勿論、今――――すなわち、電波封鎖したこの艦隊が『行方不明扱い』となっている間に――――起きていることを陸の人間に話すことも許されない。
「まあ、ドローンの運用報告はもう一度実験してからやればいいさ・・・それより、各艦に陸戦隊の編成を急がせろ」
瀬戸内はそう命じる。陸戦隊とは明治19年に策定された海軍陸戦隊概則に基づき臨時編成される艦艇乗員による陸戦部隊である。水陸両用部隊としての側面を持つ米国海兵隊とは異なるもので、必要に応じて臨時編成されることとなっているが・・・事前に誰がこの役目を担うか決まっていることから、隊としての戦闘力は陸軍に劣らない。
余談だが、鎮守府などの基地施設に常設される地上部隊を特別陸戦隊。大隅級強襲揚陸艦に常設されている強襲部隊は特
まあ編成したとしても駆逐艦5隻と巡洋艦1隻じゃ大した戦力にならないが、もともと喫水線の差がある時点で直接乗り込むのは不可能だ。輸送をヘリに頼る以上・・・。
「待ってください、瀬戸内閣下。まさかとは思いますが、兵士を移乗させるおつもりですか?」
「状況次第だがな・・・そもそも『新高』がどういう状況に置かれているのか、我々は全く理解していない」
ともかく、待つしかないだろう。そう言って瀬戸内は顎を撫でた。
負けるであろうことは理解していた。そして実際負けた。ホンモノの軍隊に勝てるわけがないのだ。
目が覚めると身体は横になっており、体の半分は冷たく硬いモノに触れていた。どうやら捕らえられてどこかに入れられしまったようだ。拘置所か何かだろうか・・・いやそんなはずはない、これでも自分は祖国を捨てた裏切り者だ、青葉の言うとおり先ほど戦った相手が日本兵ならば、まさか拘置所とか裁判とか、そういう楽な場所にいるはずがなかった。
ともかく、起き上がり、周りを確認する。ただでさえ血が足りないというのに急に姿勢を起こしたことで頭から血が抜け視界が眩む、体中の痛みは何も硬い場所に寝かされていたことによるものではなく、そう言えばと止血処理を施した銃槍を確認する。服の切れ端で縛られた左腕の先の方の感覚は消えていたが、どうやら止血自体には成功したようだ。もし止血に失敗していたら、寝ている間にあの世行きだった。
それにしても、ここはどこだ。どうやら建築物の廊下の中のようで、壁に配管等が張り巡らされている。ただの建築物というよりは地下通路のような感じだ。さっきまでいた
足元がユラユラ揺れているように感じられる、どうやら自分の貧血は予想以上に深刻なようで、三半規管にも影響を及ぼしているようだ。
ともかく、まずは外へ出ねばなるまい、なぜ拘束されていないのかは謎だが、そんな呑気なことを気にしている場合でもないだろう。動けるうちに動いておかねばと、重い体を動かした。
廊下には時たま人が寝転んでいる。死んだ目をしているのはいつものことだが、どうも様子が違う・・・とはいえ気にかけている暇はない、自分は命に別状こそないが重傷を負っているわけだし、これまで生きるために行ってきた事は全てが真っ当なわけじゃない・・・出来ることなら関わりたくはなかった。
とにかく進む、歩くのはすぐに辛くなった。其処ら中に配置されている様々な器具を手すり代わりに掴み、進む。
それにしてもどうしてこんなに多くのモノが配置されているのだろう。それだけじゃない、天井を進むビニルのカバーに包まれた配線。内側には何本ものケーブルが収納されているに違いないが、これだけ多くの配線が通されているというのに廊下は狭い。メンテの事を考えれば広い方がやりやすいはずなのに、ここの広さは、大の大人一人通るのがやっとといった広さだ。そしてこの廊下・・・異様なまでに、明るい。
加えて言えば、先ほど言った目眩も、目眩というよりか揺り篭に揺られるような感覚なのだ。
背中を冷や汗が流れる。
ここはどこだ。青葉はなんと言っていた?
――――地下通路って、人攫いにはもってこいなんですよ――――
まさか、自分も人攫いされた被害者ということか? それにしたって拘束しないのはおかしい。暴れられた時のリスクを考えないのか?
体中の痛みが鈍ってゆくのが分かる。身体が興奮状態・・・すなわち戦闘態勢に移行しているのだ。足が早まり、外へ出ようと迷路のような構造の通路を進んでゆく、いや走ってゆく。
暴れられた時のリスクを考えないということは、すなわち暴れられても構わないということだ。そしてこの施設、見る限りなかなかの金がかかっている。ここで暴れられても構わないと相手は考えている・・・。
――――青葉は今、祖国を汚されないために戦っているんです――――
嘘だろう? そういうことなのか? 自分が今受けているこの仕打ち、公表されれば日本という国が汚れてしまうほどのものなのか?
そして、嫌な予感は見事に命中する。
重たく開けづらい扉を開けると、そこは装甲甲板だった。一瞬呆気にとられ、次の瞬間耳に突き刺さる大音量。
『直ちに停船せよ!! 従わぬ場合は、断固たる処置を行う!!』
甲板の遥か向こうを進む軍艦。その数は六隻ほど。何が起きているのか知らないが、ともかく自分は知らない
なるほど、これが
彼は笑った。
・・・もう、笑うしかなかった。
「甲板上に人が見えます!」
ドローンを操作している士官がそう叫んだ。その言葉に艦橋内の司令部要員は皆彼の操作する画面を覗き込む、狭い艦橋内によくドローンの操作装置が持ち込めたなと言いたいところだが、実際ドローンの操作装置自体は小さく、ドローン搭載のカメラの映像も薄いことで有名な液晶モニタに映し出されているため、スペースがなくとも持ち込むことができるのだ。
「人? 一般人か?」
「これを見る限りはそうだと思いますが・・・」
画面の中に映った人影。身なりは画像の限りではボロボロで、一般人というよりか浮浪者の雰囲気を漂わせている。
「歩き方が不自然です、左足を怪我しているのではないでしょうか」
一人がそう言った。なるほど確かに左足を庇うように歩いている。
「ということは、誰かに暴行を受けた?」
呟くように、誰かが言う。暴行を受ける・・・それすなわち、
「・・・まさか」
飯田は瀬戸内の方を見る。どうやら彼も予想済みではあったようで、表情筋が動く様子はない・・・とはいえ、嫌な予感はもはや『予感』ではないのだ。思うところがないはずがない。
「閣下・・・」
飯田はそれ以上言葉を紡がなかったが、別の将校は口を開く。『新高』は航行中なのだ。事態は一刻を争う。
「司令、甲板に一般人が出てきたということから相手側は一般人を統制できていないものと思われます。直ちに『新高』へ乗船して、制圧しましょう」
「待ってください、向こうは支那人。『新高』艦内には敵しかいないと考えるべきだ」
誰かが乗船を主張し、素早くそれへの対立意見が出る。瀬戸内は双方を少しは落ち着けと言わんばかりに睨みつけてから、口を開く。
「まあ待て、子機が侵入してからでも結論を出すのは遅くないじゃないか・・・ところで飯田少佐、遂に大迫さんの言っていた事は的中したわけだが・・・貴様はどうすべきと考える?」
と瀬戸内。酷な質問だ。答える道は一つしかないではないか。
「このような事態を看過するわけには行きません・・・素早く『新高』を拿捕、安全圏まで回航するしかないでしょう」
「・・・」
至極当然のことであるはずだし、その前提でこれまで動いてきた。
それにも関わらず、瀬戸内は飯田の言葉を聞くだけに留めたのである。視線は海原を進む『新高』に向けられていた。
「子機、分離完了・・・操作お願いします」
「了解」
しかし瀬戸内の真意を汲み取る暇はない、ドローンから分離された子機ドローンが他の士官の手に渡り、いよいよ突入せんとしているのだ。事態は既に動き続けているのだ・・・そう、それは『向こう』にとっても同じ、電波封鎖の関係でレーダーは使えないが、既に上空に「オペレーション・ニイタカヤマノボレ」用の爆撃機が上がっているのではないだろうか・・・。
皆が子機ドローンからもたらされる映像データに視線を向けている中、飯田は頭の中に
そしてなにより重要なのは、どのようにして敵対的危険生物を『新高』に惹きつけるかである。敵対的危険生物はまだ全く集まってきていない。そりゃそうだ。もし敵対的危険生物がとにかく人のいる方向へ引き寄せられるならもう東京は火の海になっているはずであり、敵対的危険生物には知性がある。少なくとも、群れとしての知性はある。
どうやって奴らを誘き出す? それも、爆撃が有効な海面近くに、集中して集める必要があるのだ。ただ誘き出すだけならともかく、条件を満たすのはなかなか難しい。
・・・少なくとも、『新高』をこの場で遠隔から爆破して、積載している人間を海にバラまくぐらいじゃ目的は達成できないはずだ。
「・・・閣下」
「どうした少佐」
飯田は瀬戸内へ小さな声で話しかける。瀬戸内は目だけ動かして応じる。
「お願いがあります・・・もし
「勿論そのつもりだが?」
「・・・航空機を見つける前に、艦隊には対空戦闘配置をしておいて欲しいのです」
異常なお願いであった。瀬戸内の声がさらに押し殺される。
「何をいう・・・皇軍双撃せよと?」
「違います・・・恐らく初めに来るのは
「なら何が来る?」
「羊を追い詰める、猟犬のはずです」
地獄の蓋の、開く間際であった。