えーと・・・ここはどこでしたっけ。
青葉は確か・・・そうそう、上海にいたんですよ。オペレーション・ニイタカヤマノボレとかいうフザけた作戦を止め、祖国の名を汚させないために。
で、どうなったんでしたっけ?
それにしても・・・なんで青葉の視界は真っ暗なんですか? 曇り空の夜でも、完全に暗いわけじゃあないっていうのに。加えて意識もハッキリしないし、体も言うこと聞いちゃくれない・・・。
え、死後の世界? 冗談じゃない、そんなところありゃしませんよ・・・って、誰と話してるんですかね。
と、目の前が明るくなりました。
まず気づいたのは、自分の足元が装甲甲板になっていたことです。おかしいですよね? 甲板は木製の・・・違う違う、今の時代に木製甲板なんてありゃしませんよ・・・帆船時代ですか?
・・・どうして甲板の上にいることが前提になってるんですかね?
何はともかく、ここはどこでしょうか? あたりを見回すと、まあそれは変わった景色です。
目の前には種類も年代もバラバラな航空機群。素人目で見ても現役のものではないのまでいる。何かのこれくしょんですか? 実用性と金が全てを語る上海にしては、随分滑稽な風景に見えます。
あれ、そういえばここって・・・。
「最後に聞かせろ、お前は何処から来た、何処へ往くつもりだ」
目の前から声。そちらを見れば一人の軍服。
あー、この人は飯田孝介さんですね。敵対的危険生物と名付けられた化物を駆逐するために設立された「敵対的危険生物対策室」、その室長さんです。
実用性のない航空機たちに甲板、そして目の前の室長さん。加えて彼が放つのはいつかと同じセリフ。
青葉だって馬鹿じゃないですから、これだけ状況が揃えば分かります。これは夢、記憶を辿る夢というわけです。本当に見ることがあるとは。映画の演出だけでの話じゃなかったわけですね。
周囲に見えるビル群の配置はお台場のもので、すぐそばに船の形を模した奇妙な建物。その横に停泊していて航空機を載せられる艦といえば一つしかない。
ああ、記憶の中にいるって素晴らしいですねぇ・・・美しいアングルドデッキを備えるこの『新高』はまだここで博物艦をやっている訳です。まぁ、あくまで記憶の中だけでの話ですが。
「最後に聞かせろ、お前は何処から来た、何処へ往くつもりだ」
飯田室長が同じ質問をしてきます。そんなに急かさなくともちゃんと答えますよ。私はあの時と同じように口を開きました。
「私は――――」
――――
――――
――――あれ、
出てこない。私って・・・なんでしたっけ、ここは過去の記憶の中です、青葉は以前それに答えたハズです、どうして出てこないんですか、あの時も同じように答えたじゃないですか、なんで出てこない、なんで――――
【模倣の決号作戦番外編】
――――
「・・・」
知らない天井・・・って、こういう風に使うんでしたよね。この言い回し。
「えっと・・・ここ、どこでしたっけ」
柔らかい色の木版に白く塗られた鉄骨が剥き出しになった天井。青葉が寝ていたのはどうやら二段ベッドの二段目だったようで、安物マットレスの感触がシーツ越しに伝わってきます。
ここはどこなんでしょう。ホントに覚えがありません・・・。
登った記憶もないベットにいるということは、誰かが寝かせてくれたということでしょうが・・・無意識でここまで? やめてくださいよ、夢遊病じゃないんですから。
「ともかく、起きませんと・・・」
頭に手を伸ばして髪の毛を触ると・・・うわぁ、髪の毛がボサボサです・・・どこかに洗面所はないでしょうか。
「よお、お姫様、お目覚めかい?」
あれデジャヴ。
まだちょっと眠気のモヤがかかった視界に、青葉が予想した通りの人物が映ります。
「あー・・・おはようございます」
「ほお、今回は斬りかかってこないんだな」
馬鹿にしたような笑みを浮かべる彼、青葉はハシゴを使うことなく二段ベッドから飛び降ります。問題なく着地、体の方は大丈夫そうですね。
「状況が理解できないまま斬りかるほどのバカにはなれませんよ、青葉は」
服の埃を叩くようにぽんぽんと叩きながら、青葉はそう返します。
精一杯の虚勢です。
「なるほど、あの、いきなり水路に引きずり込まれた中で状況を理解していたのか・・・フリーのライターは凄いんだな」
・・・まあ、こうなりますよね。青葉は両手をひらひら振って降参のポーズをとります。
「分かりましたよ、青葉の負けです・・・」
いまさら引きずるようなことじゃないですからね。
で、
「ここはどこですか?」
「外に出れば分かるさ」
彼はそう言いながら誘うように部屋の外へ向かいます。
「勿体ぶらず教えてくださいよぉ」
そう言いつつ青葉も続きます。彼に今の青葉の精神状態が通常であることを証明する術はありません。自由に歩けるということは、つまり青葉をいつでも拘束可能な状況にあるということでしょう・・・ただの施設ではなさそうですね。
・・・まぁ、彼が青葉を盲信しているなら・・・いえ、それはないですね。
なんせ青葉の認めた人ですから。
彼はそのまま外へ出ます。外へと続くドアはやけに重厚で、
外へ出た途端、塩辛い風が青葉を眠気の混じった思考からたたき起こしました。
「なるほど・・・確かに外に出れば一目瞭然ですねぇ・・・」
視界いっぱいに広がる海景色、手すり、木製の甲板。貨客船かなにかでしょう。青葉は今、海の上にいるのです。なるほど逃げられるわけがない。
手すりのところまで寄って、木製の手すりにつかまります。手に刺さらぬよう丁寧に研磨された手すりは、防腐処理を施されたおかげでてかりを帯びており、優しい感触を青葉の両手に伝えてきます。
海を眺めれば穏やかな波、本当にこの奥底から敵対的危険生物がやって来るというのでしょうか? そんなロマンチストじみた事を考えてしまう風景。
潮風が髪を撫でます。青葉だってそろそろ少女を名乗れる年齢じゃあないですし、美容のことを考えるなら潮風なんて髪に悪そうなものはなるべく浴びないほうがいいのでしょうが、青葉はそのままその風に晒されます。
なんでだか、めいいっぱい浴びたい気がしたんです。
――――懐かしいですね。
懐かしい? いや、青葉は山育ちです。幼い頃から海になんて行ったことがありませ
――――ホントニ?
頭の中に直接響く声・・・いえ、頭ではないですね、青葉の奥底から心臓の鼓動のごとく沸き上がってくる『意思』、と言ったほうが適切でしょうか。
・・・で、なんなんですか、あなたは。確か上海の時も話しかけてきましたよね?
青葉の思考を邪魔するのが目的ですか?
青葉はそう問いかけます。ですがそれきり反応はありません。唐突に出てくるくせに、形勢が悪くなったら戦略的撤退ですか、そうですか。いいご身分だこと。
「・・・おい、随分ぼさっとしてるじゃないか、らしくない」
青葉の今の『会話』に彼が気付けるはずもなく、特に意味もなく肩に手が置かれます。
気遣っているつもりでしょうか・・・青葉が保護対象だと? 冗談じゃないですね。まったく・・・。
・・・とはいえ、無闇に争うのも考えものです。青葉はいつも通りの表情で彼に応じます。
「いやー、こんな近くで海を見るのは初めてだったものでして」
「そうだったか?」
「あなたと一緒に海、行ったことあります?」
そう言えば当然帰ってくるのは否定の一言。
さて、無意味な会話もこの辺にして、状況を整理しなくては。
「ところで、青葉が見る限りここは客船のようですが・・・どこへ向かってるんです?」
「ん? あぁ・・・あと三時間もすれば
へえ、驚きですね、こんな情勢下でも上海-大連の定期便が生きていたとは。敵対的危険生物が出現しても多くの沿岸交通は減便しつつも動いているのでさして驚くべきことではないのかも知れませんが、今は上海で
・・・何はともかく、一応の安全圏には脱した、と。
ではやることは一つです。
「青葉・・・お腹すいちゃったなぁ・・・」
誰に言う風でもなく呟けば、呆れるような息遣い。
「・・・食堂でも行くか?」
人間に大事なのは切り替えですからね。こうでもしなきゃやってられませんよ。
だから青葉は、笑みを浮かべるんです。
「もちろん奢ってくれるんですよね、大尉殿?」
大尉と呼ばれた彼――――飯田室長と同期であり、海軍情報局に勤める――――はやれやれと了承の意を示してくれました。
大尉の言ったとおり、陸地が見えてきました。ところがおかしいのです。彼は大連に行くといったはずなのに、そこに翻る国旗は黄色の地に四分の一を占める紅、青、白、黒・・・見間違えるはずがありません、満州国の新五色旗です。
「あれ・・・大連は中華民国領で、日本の租借地じゃ・・・」
「おいおい何言ってるんだ? 日本への租借は97年に終了してるし、その後の扱いは三カ国条約で満州国だろ・・・?」
「ぇ・・・あぁそうでした。何言ってるんでしょうね、青葉」
「しっかりしてくれよ・・・条約は1950年代・・・お前の生まれるずっと前だぞ・・・大丈夫か?」
またしてもやれやれと言わんばかりの大尉。やっちゃいましたね。青葉の教養が問われれかねない初歩的なミスです。
青葉はそんな大尉から顔を逸らすように大連という街に視線を向けます。
大連。日満中による三カ国基本条約で満州国への割譲が認められ、1997年に対日租借が終了し、満州国の主権が及ぶようになった関東州に存在する満州国南端の臨海工業都市。満州南部が工業化されているのは言うまでもありませんが、その工業製品の積出港としての役目も務める大連は満州一の貿易都市です。
そのため当然海は混雑しており、優先度の低い定期便だとなかなか波止場にたどり着けないこともあるのですが・・・。
「にしても・・・随分すっきりしてますね。倉庫街の方も活気がありませんし・・・」
特に邪魔されることもなく進んでゆく船。不思議な話です。二年ほど前にここを訪れた時は、大勢の労働者が荷物の搬出やら積み込みなどを行っていたはずですが、岸壁に並ぶ倉庫街はすっかり活気を失ってしまっています。人がいないと倉庫の剥がれかけの塗装がよく目立つ。不思議なものです。
「物流の中心が鉄道にシフトされてるからな。港湾部の活気がなくなるのも仕方がないさ」
敵対的危険生物が沖縄を中心に展開していることを考えれば、大連が接している黄海も決して安全地帯とは言えません。確かに、日本海迂回ルートで釜山あたりに運んだほうが安全でしょう。
・・・南シナ海と南西諸島が敵対的危険生物の手に落ちて以来、日本や満州への海運はオーストラリア大陸迂回・中部大西洋突破ルートや北太平洋航路が使われているそうですが・・・これらの臨時措置も何時までもつのやら。
そこらへんはSEATOに期待したいところですが・・・まあ厳しいんでしょうね。
青葉はそれ以上何も言わず、沈黙を埋めるように船が汽笛を鳴らします。ええそうです。もうまもなく波止場に着くという合図でしょう。
そろそろ降りる準備をしませんと。
――――イッチャウノ?
・・・またあなたですか。懲りないですね。行かなきゃいけないんですよ、青葉にはやらなきゃいけないことがあるので。
――――マタ、キテクレル?
・・・さあ、どうでしょうね。青葉の仕事はどちらかというと大陸でやる事が多いので・・・。
というか、あなたは
――――
青葉はそれに対する返答をまっていたのですが、その声はそれっきり鳴り止んでしまいました。なんなんですかね、これ。
貨客船を降り、大連の税関にて入国手続き。使ったパスポートの名前がホンモノだったかどうかはともかくとして、無事満州国へ。そこから南満州鉄道にのり、遼東半島を抜けたあたりで降車、そこからは足の付きづらい路線バスを乗り継ぐことで国境突破を試みます。まあはっきり言って過剰な対策ですね。別に青葉はどこかからマークされている訳ではありませんし・・・これも慢心ですかね?
何はともあれ、青葉は無事、日章旗はためく朝鮮地方へと足を踏み入れました。併合以来満州との架け橋として開発されてきた朝鮮地方は、なかなかいい土地です。半島国家には富が集中し、その反面として維持が難しい。その分かりやすい例えが朝鮮半島といってもいいでしょう。いくら小規模とは言え、独立運動がある地方なんて、朝鮮地方だけですからね。
「いやー、久々のわが祖国って感じですねぇ、ねぇ大尉?」
「・・・」
反応してくださいよ。もう。
青葉がそう思いながら身体を寄せると、大尉は懐より封筒を取り出しました。定形郵便の規格に合わされたよくある色合いの封筒。
彼はそれを青葉の胸に押し付けるように渡してきました。
「・・・これが航空券だ。これで羽田までいける」
袋を開けると、大手航空機会社の平壌‐羽田の定期便の航空券がそこに。確かに国内線扱いとなる平壌‐羽田便ならチェックも甘いでしょう。さっき言ったとおり青葉をマークしている輩がいるとは思えないんですけど。
「え、こんなのまでもらっちゃっていいんですか」
「国内まで連れ戻したからはい終わり、という訳にもいかんだろ」
「仕事だから、ですか?」
あえて仕事、という言葉を強調してみます。彼の反応は小さいだけに観察しがいがあるんですよ。
「あぁそうだ。しっかり礼はしてもらうぞ」
もちろん、海軍情報局の『都合のいい駒』としての礼という意味なのでしょう。どうであれ、価値を見出されるのは嬉しいものです。
ですが、ちょっと満足には足りませんね・・・ここはもうひと押し、からかっちゃうとしますか。
青葉は彼にぐっと身を寄せて、そして支えにしながらつま先立ち。彼との身長差を埋めます。
「分かってますよ・・・後でたっぷり
「・・・馬鹿が」
そう言いながら青葉のことを払いのける大尉。ですが貴方、ほんの僅かに顔が赤くなってますよ? 青葉の観察眼は誤魔化せません。
耳元で囁くっていうのは、意外と効くものなんですよねぇ・・・おもしろい。
と、ちょうど良いところに空港へと向かうバスがやってきました。航空券をここで渡されたということは、ここでお別れということなんでしょうね。
「それでは大尉、またお会いしましょう」
そう言いながら敬礼。ちょっと形は変かもしれませんけど、まあ勘弁してください。
「あぁ、勝手に死ぬんじゃないぞ」
ぽん、と頭に手が置かれました。
バスはどんどん進んでゆきます。朝鮮北部はちょっと寒いですが、鉱山資源も豊富なために豊かな土地です。窓の外を流れる自然と歴史ある農耕文化に合わせたのどかな田園地帯。
それにしても、東京に戻ってからが面倒そうですね。今回使った伝は結構ギリギリでしたし、それに関する埋め合わせもしなくちゃいけません。それに加えて
それにしたって・・・。
青葉は姿勢を崩して窓ガラスにこめかみを押し付けます。もうすぐ夏ということで冷たいと言えるほどではありませんが、青葉の頭から熱さが抜けていくような温度。
「勝手に死ぬな。なんて・・・仕事相手に使う台詞じゃあ無いですよねぇ・・・」
青葉の呟きは誰にも聞き取られることなく、バスのエンジン音に飲み込まれます。
あの人もずるいですね・・・まさか頭を撫でられるとは思いませんでした。まあ身長差を考えれば適当なのかもしれませんけど・・・。
私たちの関係はまだ『共犯者』ですよ、大尉殿?
勝手に死なれたら困るのは、青葉の方なんですから。
「・・・」
まあともかく、帰ったら頑張りませんとね。
敵対的危険生物がいようが、他国がなにを考えようが、青葉の為すべきことは変わりません。
自分で信じられる安寧を得る。その日まで。
青葉を見送ってから数日後、青葉が大尉と呼んでいた彼も、東京まで戻ってきていた。携帯電話の普及により随分と数が少なくなった公衆電話の一つに取り付き、硬貨を投入する。
僅か数コール後、受話器より出てくる相手の声。直ぐに返す。
「よう、飯田、俺だ」
『おお、お前か、どうしたんだこんな日に』
飯田とは同期である。声だけで自分のことが分かるのも当然だ。
「いや何、直ぐにでも連絡したかったんだが・・・四国沖の件のゴタゴタが続いていると思ったんでね、数日は控えていたんだよ」
『随分と皮肉なこって・・・で、実際は?』
「ようやく青葉のバカを国内に連れ帰ってきたところだ」
今回は火消しが多くて大変だったよ、そう言えば、受話器の向こうは愛想笑いのような反応。彼にとっての青葉は純粋に利用するされるの関係だ。あまり深く関わりたくないからこそ、そういう反応になるのだろう。
『よく無事だったな』
無事、か。
青葉の様子は明らかにおかしかった。表面上はなんともないはずなのだが、絶対におかしい。そのぐらいは分かる。
そして今、
それを認めたくないからこそ、つい返事は歯切れの悪いものとなってしまった。
「まあ、な」
『・・・?』
しかしまだ仮説は不十分だ。『雷』がどんな存在なのか分からない。やはり味方として認識するに足りうるだけの証拠がない。向こうが示そうとしない。なら敵として動かざるを得ない。
「まあいい、何はともかく、『雷』の件で状況が動いた」
『なんだって?』
声色を変える受話器の先、『雷』の名を出すだけでこの反応だ。やはり自分が『雷』と
「ともかく来てくれ・・・なるべく人気が少なく自然な場所がいい」
もし、もし仮にだ。『雷』の言ったことが本当だとして、それが青葉に当てはまるのであれば。
・・・さっきも言ったとおり証拠がない。ともかくは観察することだ。
電話ボックスを出ると、嫌味なほど綺麗な夏の空が広がっていた。
その青空に数日前の彼女が重なり、彼は空から顔を背ける。
「・・・手間かけさせやがって、あのバカが」