車窓の向こうを景色が流れてゆく。山を越える事情から何度もトンネルを通過し、それを抜ける度に景色が様変わりする。こういったことを面白い…とは言わないのだろう。見ていてつまらない訳ではないが。
「…」
普段ならそろそろ高めに値段が設定された商品を載せてサービスワゴンがやってくる頃なのだが、知ってのとおりそういった『贅沢品』には規制がかかっており、サービスワゴンも数か月前から営業していない。高速鉄道でサービスワゴンを拝めないのもさみしい話だが、そういうものだ。
飯田孝介は鞄から資料を取り出そうとし、そしてやめる。どうにも気分が乗らない。いや、もちろん気分で仕事をしてはいけないことは分かっている。組織であれ兵器であれ、求められるのはスペック通りの働きをすることだ。スペック以上の働きは単に褒められるだけだが、その逆は違う。全体の計画が破綻することすらある。
とはいえ・・・。
と、唐突に視界が肌色に覆われた。眉間にググッと力が込められる。視界が肌色に覆われたのは眼の前に手をかざされたからで、指が自分の眉間を押し広げているのだと理解するのに一秒ほど。孝介はその手の持ち主の方に意識を向ける。
「Darling今、とっても怖い顔してマスヨ?」
ホラ、スマイル、スマイル。そう言いながらほぐすように孝介の眉間を揉む彼女、隣の席に座った彼女が孝介と触れ合う様子は、いつものこと、いつもの風景だった。公共の場でやると視線を感じることがなくはないが、彼女の思いやりが感じられてこちらとしてもくすぐったい。
「・・・そんなに怖かっただろうか?」
そう問えば、ハイと返され、そして彼女は上目遣いで控えめに聞いてきた。
「・・・また変なこと、考えてないデスヨネ・・・?」
「まさか・・・」
身内に嘘をつくのは昔から下手だ・・・ことさら、自分のことに関しては。
孝介は自分の鞄と、自分の伴侶から目をそらし、窓の外に視線を飛ばす。
彼女の両手が、包み込むように孝介の右手に添えられた。いつもの
【模倣の決号作戦番外編】
――――敵対的危険生物対策室長――――
飯田インダストリー・・・第二次世界大戦後半、世界革命戦争中に興り、その戦後に台頭してきた珍しいタイプの財閥である。創業者も平民出身であることから、戦後の成長期における成金の代表格ともされる財閥だ。
そしてまた、他の財閥に漏れず創業者一家はある程度の権力を持つ。いや、何も実質的な権利の話はしていない。産業界を、政界を引っ張る人間たちにコネクションがあるだけでも、それは立派な権力なのだ。
アナウンスが流れ、間もなく目的地の駅に着くことを知った二人は、たいして重くない荷物をまとめ、降りる準備をする。お盆の季節など普段なら観光や帰省ラッシュで各運送業者は増便を余儀なくされたはずだが、増便どころかますます減便されているのが実情である。鉄道の電力はその殆どを自社持ちの火力発電に依存する、周波数の問題より電力会社――――つまり、リスクの少ない自然エネルギーや燃料代だけは安い原発などの発電所――――から電力を供給できないために、燃料の消費を抑えたければ減便以外に道はなかったからだ。
・・・が、無闇に減便すれば返って自動車の利用が増え、結果として燃料は消費されてしまう。調整は難しい。
そういったことを引き受けるのは軍ではなく運輸省や内務省に勤める官僚たち・・・疎開を推奨し、奴らがいずれ来るであろう沿岸部を戦場として整備するのも彼ら。
戦場とは地図上の最前線だけではないということを改めて思い知らされる。
そんな思いで車両の外へ出た孝介であったが、彼の伴侶は別のところに気を向けているようだ。何を見ているのかと問おうとすれば、途端に彼女は興奮した様子で駆け出した。
その先には、落ち着いた雰囲気を纏った黒髪の女性。決して華やかではないが、その清潔感漂う服装と佇まいが、只者ではないことを主張していた。彼女は孝介にとっても見慣れた顔だ。
また老けたな。そんな本人に聞かれちゃマズイことをふと考える孝介。そんな孝介を気にすることもなく、二つの影は重なった。
「ハルナ!!
あっという間に――――それこそ、支えを失ったせいで倒れだした旅行かばんを孝介が受け止めるまでの間に――――ホームで孝介たちを待ってくれていたのであろう人影に抱きついた彼女、相手も予期していたようで、がっしりと彼女の抱擁に応じる。ほとんどブレずに受け止める当たり、やはり元陸軍少将の娘といったところか。いや、もちろん孝介もその元陸軍少将の息子なのだが。
「はい、お
孝介は二人分の荷物を運びつつ、二人の
「お兄様もお変わりないようで何よりです」
「ああ、春菜も元気そうで良かったよ」
孝介は彼の妹・・・
「こんにちは! 少佐!」
まだまだ幼い顔つきを残す少年が、孝介の方へと形の崩れた敬礼を披露した。孝介は以前のように屈んで相手をしようとしたが、屈んで相手してやるほど少年の頭は低くない、背が以前あった時よりも伸びていたのだ。
「おお、大きくなったな大介」
大介と呼ばれた少年は、年相応の無邪気な笑みを浮かべる。
「まだまだ少佐には及びませんが、今年で十センチ伸びました!」
「そうかそうか・・・」
そう頷く孝介、そしてどうしたことか、次の瞬間に孝介は少年と同じいたずらっ子のような表情を作る。
「だがな大介、もう私のことを少佐と呼んじゃあいけないよ」
「なんでです?」
そう首を傾げた少年・・・大介は、以前より海軍勤めの孝介のことを慕っている、だから呼ぶときはいつも階級で、孝介もそれを気にする風は見せなかった。
孝介はポケットより身分証――――すなわち海軍手帳を取り出し、開く。
「なんせ、今月付で海軍中佐だ」
紺色の革製カバーに「日本国自衛海軍」と金で刻まれた身分証明と履歴書を兼ねる手帳。それを開くと、顔写真と
「うわっ、昇進したの?! おめでとうございます!!」
敬語とタメが混じるところは、大介という
完全自動化された改札は、電力不足の影響かそのうちの半分が封鎖されていた。しかしもともと数が多かったせいもあり、ここが
改札を抜け、構内から外へ出る。先程までは屋根に遮られて届かなかった直射日光が孝介たちの肌を焼く、夏らしい、夏でなきゃ感じれない日差しの強さである。
「お車を用意しておきました。こちらです、お兄様」
春菜はそう言いながら迷うことなくロータリーへと進む。おそらく彼女が目指しているであろう先には高級車に分類して良い大型車が止めてある。冷房でもつけているのか、排気管がブルブルと震えていた。
「・・・気が利くのはありがたいんだが、この情勢下で自家用車か」
しかもアイドリングしたままでね・・・そう恨めしそうに呟く孝介。こんな事を家族にいうのは気が引けるが、この非常時に何を考えているというのだろうか。
孝介の不満げな様子は勿論春菜にも伝わったことだろう。彼女は顔を高級車の方へと向けたまま小さな声で言う。
「・・・私たちがこうでもしなければ、国民は本当に焦ってしまいます。今・・・私に求められていることは爪に明かりを灯してまで節制に務めることではない・・・そう、考えます」
小さいが、普段と変わらぬ芯の通った声である。最後にやや詰まったのは後ろめたさだろうか。
「まあ、自分の行動を理解しているならとやかくいう気はないさ・・・春菜は優秀だからな」
「・・・」
孝介の妹は、何も返さなかった。
孝介が自家用車と呼んだ黒塗りの高級車は、孝介たちが乗車するとすぐに走り出す。
と、春菜が口を開く。顔は背けられたままだ。
「・・・お祖父さまが亡くなられてから、もう七年になります」
「あぁ・・・そうだったな・・・」
飯田孝介の祖父、飯田
人生を十二分に全うした彼。孝介にとっては誇るべき祖父であり、陸軍軍人として海外派兵に参加してばかりだった
「七回忌は一応十月頃を予定していますが・・・お兄様の都合が付く日に、ある程度なら調整できます」
春菜はそう言う。そうは言うが、今回の帰省だってただ家族に会うためだけなら来ていないのだ。ましてや十月と言えば敵対的危険生物の
「・・・恐らくは無理だ、済まないが、父さんと二人でなんとかしてくれ」
「お兄様は・・・今年も来られないのですか?」
『も』が周りに気づかれないレベルで僅かに強調されている。強調しなくてもそんなことは分かっている。
「・・・最期に会った時も、『軍務を放り出してまでこんな所に来たのか』と怒られたよ・・・ましてや今は御国の大事。法事に顔でも出してみろ、呪い殺される」
「・・・」
孝介はおぉ怖いなどと冗談めかして言ってみるが、春菜は孝介の方へ目もくれなかった。
「え、中佐は来ないんですか?」
代わりに反応したのは春菜の息子である大介の方だ。
「ゴメンな大介、敵対的危険生物関連で今後はますます忙しくなるんだ・・・勘弁してくれ」
そう答えながら、一体この瞬間、何人の国民が「敵対的危険生物のせいで~」と言い訳をしているのだろうという疑問が浮かぶ。七月中旬、敵対的危険生物は遂にオーストラリア大陸及びニューギニア島に上陸。インドネシアの最期の抵抗、そして豪州軍の絶望的な戦いが幕を開けた。
しかしこれまでずっと待ち構えていたというだけあり、彼らの計画は完璧だった。
三週間ほど経過した現在でも彼らの定める防衛線は突破されず、オーストラリアでは計画通りに敵対的危険生物を大陸中部の砂漠地帯へと誘導。補給線を撃破し、疲弊したところを順調に各個撃破しているようだ。ニューギニアでは敵対的危険生物を押し返したという情報もある。上陸当初は散々騒がれ、「補給級」の登場により最悪の事態も想定されたが、オセアニアの方は当面持ちそうである。
それに対して悲惨なのはマレー半島の方だろう。一ヶ月に渡り戦線を保持し続け、ようやく圧力が弱まってきていたマレー戦線。強気になって前進を始めたところの豪州上陸である。出鼻をくじかれ、士気が低下したのはもちろんのこと、まるでSEATOマレー半島緊急展開軍団が強固な防御陣地から出てくるのを待っていたかのように敵対的危険生物による大攻勢が開始、沿岸部にも強襲を受け補給を遮断されるという想定外の――――言うまでもないが、こんな戦術じみた行動を奴らが採ってくることはこれまでなかったのだ――――攻撃を受けるなどして戦線は見事に総崩れ。クアラルンプールすら喪失する始末である。
――――やはり、
クアラルンプール陥落の混乱は収まったものの、その後も圧力は強まるばかり、この二週間の間、絶え間なく戦線の後退は続き、バンコクに仮移設されたSEATO軍の東南アジア最高司令部もその所在地をさらにユーラシア大陸の奥へ下げることも検討しているそうだ。
状況改善の見込みがない現状。司令部移設はすぐ実行へと移されることだろう。
地域が、国が、SEATOが、いや人類全体がこれまでにない異常な事態に直面している。これまでの小康状態は人類の努力によるものでなかった。奴らの準備が整っていなかっただけなのだ。
それを知って知らずか、大介もそれ以上の文句は言わず、孝介の応援をしてくれる。
「大介了解しました! 頑張ってくださいね、中佐!!」
底抜けの、状況を理解しているのかしていないのか分からない笑顔が、また痛々しい。もちろん飯田もそれに笑顔で返すので、人のことは全く言えないのだが。
「ああ、当然だ」
それを合図に車内は静まり返った。その静寂を狙って、春菜は小さく言う。
「着いたら・・・お祖父さまにお線香だけでもあげて下さいね」
「・・・分かってるよ」
重い空気はそこまでだった。大介が孝介の伴侶に「飯田おばさん!」と話しかけ、彼女は「お・ね・え・さ・ん、デスヨ?」と笑いながら返す。それを契機に話題は当たり障りのない、しかし平和な日常生活のそれへと移り変わった。
金は金を呼ぶとはよく言ったものだ。多くの財閥と呼ばれるような複合企業は、次々と新しい事業に手を出してゆく。農地開発やサービス業・・・なんだったら観光産業でもいい。まあ何が言いたいかというと、飯田
「田園地帯にすらなれず、街道からも外れた地域・・・なんで飯田groupはここを開発しましたのデスカー?」
「したのですか、が正しい表現な」
「Oops,そうデシタネー」
別に会話には支障も出ないだろうが、一応訂正する孝介。それから彼女の問に答える。
「まあ、開発できる場所がこんなところ『しか』余っていなかったというのが実際のところだろう・・・結局、資本金がある程度あればどんな土地も発展する」
「・・・中佐、夕張市は?」
大介は最近社会科でもそれを習ったのだろうか。
「・・・」
「ユウバリシ?」
唐突に登場したワードに困惑する飯田夫人。残りの大人たち――――運転手含め――――は苦笑いを浮かべる。こんな会話だって、立派な日常だ。
何はともかく、孝介たちは飯田グループ傘下の不動産企業が開発した別荘地へと到着した。適度に高い標高により平均気温も低く、避暑地としてなかなか優良な物件たちが並んでいる。
その一つ、飯田家が所有している物件へと自動車は近づき、そして静かに停車した。
「お疲れ様でした」
「いつもありがとうございます、鎌村さん」
素早く動き、扉を開けてくれた運転手に孝介は礼を言う。長いこと飯田家に仕えてくれている彼、鎌村は中東で片足を失っているはずだったが、その動きは相変わらず早い。本人曰く、元偵察兵は伊達ではないらしい。
「いえいえ、仕事ですから」
そう言いながら鎌村は正面玄関へと向かってゆく皆を見送る。孝介はそれに続かず、自動車を倉庫に戻そうとする鎌村に声をかける。
「ところで・・・最近はどうですか」
鎌村は笑いながら膝をさすった。
「素材が良くなった御陰で、義足の関節も今では痛みません」
「・・・そっちではなくて」
鎌村の表情が曇る。
「・・・もう一年以上も経ちます。それに・・・」
私のような者が悲しみを独占するには、多くの悲劇が起こりすぎました。
飯田は返答出来なかった。遥か中東での戦争で足を失い、ボロボロになって内地へと戻ってきた鎌村であったが、彼にも養うべき家族がいた。当時の日本は負傷兵へのケアが不十分だったと言わざるを得ない面がある――――国の保証なんかより、故郷の人々が英雄として扱ってくれることに
息子さんも結婚されたようで・・・阪神淡路大震災以降、祖父に仕えていた彼からその話はよく聞いたものだ。
人に言わせれば良い人生だったのだろう。
しかし、それに最近のエピソードを追加するだけでお涙頂戴の悲劇に早変わりする。
悲しみを独占するには――――鎌村がそんな言い方をするのはそれまで積み上げてきたものが幸運だと彼が考えているからかもしれないが、それで悲しむ権利がないなんて事はあり得なかった。
孝介はゆっくり口を開いた。
「・・・一連の騒動が終われば、恐らく責任追及は海軍に及びます、鎌村さんも、その時は声を挙げてください」
「海軍軍人の言葉としては、適切でないと思いますよ」
返す言葉もない。
彼の人生がどうだったのかは孝介には分からない。他人の幸せを測ってはならない。
だが、この一連の敵対的危険生物の騒動、それが初めて表面化した貨客船の沈没事件は・・・少なくとも彼から妻と息子夫婦、そして孫を奪った。
例え敵対的危険生物を糾弾しても、自衛海軍や政府に怒りをぶつけても、それは帰ってこないだろう。しかし犯人が分かった今、彼も怒りの矛先を誰かに向けるべきだ。
無責任かもしれないが、個人的にはそう思う。彼にはここまま潰れて欲しくない。身内贔屓なのは確かだったが。
「そろそろ行ったほうがい良いですよ、孝介様」
鎌村は笑った。
「すみません・・・いい言葉がなくて」
「お気持ちだけで十分です」
では、車を戻してきますね。それだけ言うと鎌村は運転席のドアを開けた。すぐに乗り込むかと思ったが、彼はそこで迷うように動きを止める。
「孝介様・・・どうか、奥様と
「・・・」
何を言わず、いや言えないでいると、鎌村は何も言わずに自動車に乗り込んでしまった。
「Darling! 早く来てクダサイ~!」
彼女の叫び声が聞こえる。どうやらあまりにやって来ない自分に痺れを切らしたようで、いつもよりもちょっと甲高い声。
「ああ、今いくよ」
孝介は荷物を抱え、門の先に建つやけに豪勢な建築物へと足を向けた。飯田家が保有する西洋式の別荘が燦々と輝く太陽の光をめいいっぱい受け止めている。