「あ、お父さん、宴会の方はもういいの?」
飯田
軍人やら官僚やらお偉いさんやら何やらをごちゃごちゃ闇鍋の素材として入れ込んでしまったような所に、飯田孝介は一日中揉まれていた。敵対的危険生物対策室長となれば非常に多くの情報が集まる職務であり、ここの決定がそれこそ数十、数百億の利益損益を生み出す。もちろんその決定は国の存亡に関わるものだが、国を護るのは軍人、利益を守るのが文民、そういうものだ。
故に、孝介は普段会えないような人々――――国外の人間や、こんな機会でもなければ時間を割けないよう重役たち――――と必要な話を片付ける必要があった。
宴会という体をとっていても、孝介は飯田家の実働隊の一人、敵対的危険生物対策室長というタイムリーな役職に就いていればその利用価値は大きく、求められる仕事量は少なくない。言い方は悪いが、優秀な歯車というわけだ。
それらも一通り片付き、こんな時間にはなったが漸くソファーに座れる余裕も出来たわけだ。 ソファーにもたれかかりつつ、疲れを隠しきれない声で孝介は自身の娘へと返す。
「・・・あぁ、そういや
それを聞いた望は、ソファーの背に肘を付きながら僅かに頬を膨らませた。
「もぉ、一応私だって出迎えたじゃん」
出迎え? いやいや。
「お前・・・たまたま冷蔵庫に用があったところに俺が入ってきて、それで『ようこそ』って言っただけじゃあないか」
それも随分バカにした調子で。別に文句があるわけじゃないが、もう少し親に敬意を払ったらどうなんだが・・・親の顔が見てみたいものだ。
「でも迎えたのは事実だとおもうなー?」
笑った眼で首を傾げる望、母親譲りの長い茶髪が揺れる。こいつにも茶目っ気が出てきたもんだ・・・こういうところは
楽しみではある。
「はいはい」
そう言いながら孝介は、机に置かれた新聞に手を伸ばす。数種類の全国紙、そして地方紙が置かれており、ここへやって来た来客が自由に読めるようにしてある。
・・・戦局報道に重きを置く新聞を見ればいよいよ始まった国外派遣の第一弾としてバンコクへと派遣された日本国自衛陸空軍の活躍が報じられ、内政に重きを置く新聞ならどんな生活必需品がどの程度足りていないのか、そして現在どういった組織がどのような対策を講じているのかなどが報じられている。昔ほどではないが、やはり新聞にはそれぞれの性格が出るものだ。
検閲制度がないことは民主主義の基本という、検閲制度の廃止は国を乱すか? いや違う、報道の自由は良い意味での緊張感をもたらし、長期の政権に対しては監視機関の役割も――――報道に携わる者が歪みのない眼と信念を持てば、の話だが――――果たしてくれる。
まあそれ以前の問題として、実体のある真実に布をかぶせたところで「そこに何かがある」ことは分かってしまう。物資が足りなければ何故足りないのかを説明しなくてはならないし、真横の街が爆発したらそれに対する説明が必要だ。故に嘘の報道が時たまなされる共産圏から逃げてきた人間は新聞を読むのがとても上手いとかいう冗談もある・・・少し話がずれた。
「・・・あまり状況は良くないな」
相変わらず、と言うべきだろうか。SEATO軍がマレー半島における絶対防衛線であるクラ地峡に追い詰められて数日。大して守りやすいわけでもないあの地域は直ぐに放棄される――――なんせ、オーストラリアに上陸を許した時点で防衛線は破られた、今更政治的な意味しか持たないラインに固執する意味はない――――だろうが、それは即ち敵対的危険生物がクラブリー川を超えてビルマ地方へと流れ込むと言うこと、ビルマ地方はもはや英国印度の庭であり、マレーの戦いを主導してきた英国・タイ両政府の戦いは、既に自分たちのための戦いとなった。タイ政府は全土に、英国印度はビルマ地方に非常事態宣言を発令、両国ともに徹底抗戦の構えである・・・それ以外の選択肢がないのだから当たり前だが。
インドネシア・シンガポール・マレーシア・タイ・そして英連邦の諸国・・・20世紀後半の西側経済活動を支えた各国が次々と倒れ、豊かな海に浮かぶ島々はことごとく奪われた。オーストラリア政府はオーストラリア大陸南西部の資源地帯を死守するとマイクの前でこそ意気込んで――――そして、実際に戦果を挙げて――――はいたが・・・マレー半島での戦闘の推移を見る限り、あまり楽観的なことは言えない。今が上手くいっていても、敵が単細胞生物でないとわかった今、楽観は出来ないのだ。
「『亜細亜の絆は不滅』・・・ね」
孝介が目を通しているのはSEATO各国軍が共同で敵に立ち向かう様々なエピソード。読んでいるだけなら微笑ましく、もしくは誇らしくなる内容だが、彼の表情は良くない。
善戦している。それは事実だ。しかし新聞には書かれないが、各部隊の補給状況だってそもそも怪しい。SEATOの基本戦略は大陸から押し寄せる赤軍との戦いであり、補給線は港町から伸びるのがセオリーだ。実際沿岸部は植民地時代のおかげで結構発達しているから沿岸部には物資の集積地に使えそうな場所もある。港を起点とし、そこから葉っぱのように補給線を作ってゆく。全ての沿岸が共産党の防波堤となる。
共産諸国の軍事力を
そして、敵は海からやって来た。
「Darling! ソンナ難しい顔しないデ~、ひとまずTea timeにしまショウ?」
いつの間に現れたのであろう、孝介の眼の前にティーセットを置きながら横に座る彼女。晩御飯の後のお茶はアフタディナー・ティーと呼ぶらしく、お酒を混ぜることもあるそうだ。
「今日は香り付け程度にしか入れてまセンヨ?」
カップを近づけて香りを確かめる孝介に彼女は気を利かせて教えてくれる。今日は必要な時にアルコールを摂取していたので、香り付けぐらいでちょうど良い。仕事の酒は楽しめないし疲れるが、だからといって楽しみがゼロというのも面白くないからだ。
「食べマスカ? アフタヌーンの残り物デスけど・・・」
そう言って差し出された小皿。そこにはスコーンと呼ばれるお菓子が。各家庭で味付けや作り方が微妙に異なると聞くそれ。もちろんこれは彼女の手作りである。
「ああ、もらうよ」
それから先は特に交わす言葉もない。互いの息遣いを感じつつ、のんびりと紅茶を消費する。いつの間にか
「・・・なぁ」
「?」
彼女が紅茶を持つ手を止める。孝介の手は止まっていた。
「・・・いや、何でもない」
孝介は下を向いたままそう言い、それを聞いた彼女はどうしてだが微笑んだ。
そして、無言で二人の距離を詰める。互いの肩がトンとぶつかり、孝介に僅かながら身体を預ける彼女。
そして一言。
「いいんデスヨ? なんでも言ってくれテ」
なんでも、か。孝介は聞かれぬようその言葉を反芻する。もちろんそれが彼女なりの精一杯の配慮であることは分かっている。なんでもと言っても軍機は多いし、言いたいことを全部言ってしまえば人間関係なんて一瞬で崩壊する。その言葉はあくまで、受け入れる覚悟は出来ているというだけのサインであって、全てを受け入れられる、という意味ではない。覚悟と可能は違う。
でも、
「なぁ・・・ちょっとだけ、夜風にあたりに行かないか?」
申し訳ないが、自分の我儘に付き合ってもらおう。孝介は彼女を連れて外へと踏み出した。
お盆ともなればそろそろ夏も下り坂だ。ちょっと早足な鈴虫の鳴き声が聞こえる。幼い頃の夏休みをずっとここらで過ごしていた孝介にとって、ここらは陽が落ちても自分の庭のようなものだ。迷うことなく獣道を少し拡張しただけのような道を進んでゆく。
「・・・正直、私は
孝介は口を開いた。後ろからついてくるのは彼女の足音だけ。
「敵対的危険生物対策室長。40前半の軍人がなれる職としては最高のポジションじゃあないか・・・祖国に危機が迫り、それを救う使命が私に与えられたのだ、本気でそう考えた」
孝介は足を止めた。振り返ると、全てを吸い込むかのような深い空が広がっている。
もちろん、役職上はその通りの役回りだ。飯田孝介はまだまだ若造の部類。こんな役職につけたのは飯田家の人間として各方面にツテがあったから、だけではない。彼の実力と、類稀なる運の良さによるものだ。
しかし、役職の表面的な説明と、実際は違う。
「しかし敵対的危険生物対策室は結局一つの部署に過ぎない。言ってみれば常設で陸海空の合同作業を行う場所が欲しかったところに、丁度
大迫閣下は敵対的危険生物対策室にその文字通りの活躍を求めている。しかしそれは、あくまでも大迫閣下の考えにおける話だ。全体からしてみれば、敵対的危険生物対策室は数ある陸海空共同作戦の一つに過ぎない。
「そんな言い方しなくテモ・・・」
「実際問題として、私は何も出来ていない」
自身が立案した案は何だったろうか、ほとんどの計画は右、もしくは左から流れてきて、孝介はそれを左もしくは右に流しただけだ。
孝介は足を止めた。見上げれば星空。空気の澱んだ東京と違ってよく見える。人は満天の星空の中では認知すらできないちっぽけな存在であるが・・・いや、本当にその通りだと思う。調整ばかりで自発的なことはほとんどしていないし、オペレーション・ニイタカヤマノボレだって・・・結局なにが出来たというのだろう。無意味な行為を積み重ねただけであった。
とそこで、手が握られた。くいっと引かれる。
「なら、Darlingはどうしたいのデスカ?」
じっとこちらを見据える二つの目。闇夜の中でも透き通っているのがよく分かる。
「どうしたい・・・ねぇ・・・」
そう、どうしたい。それが分かれば彼女をここまで連れてくるような馬鹿な真似はしないのだ。孝介は自嘲的な笑みを浮かべつつ視線を逸らした。
最終的な着地点が見えない。状況は悪くなる一方。それはまだいい。しかしこのまま状況が悪くなって、それをどうやって収拾付けるというのだろうか? 終着点は?
思えば懐かしいが、初期の対策案を出したとき、自分は何といっただろうか。『あくまでも遅延作戦』、まるで別途の解決策があるかのような言い回し。
実際には解決策など何もない。対処療法に対処療法を繰り返し・・・これでは末期ガン患者の末路と同じである。
と、小さなため息。孝介のではない。
「・・・Darlingには、まったくやれやれデス」
なんだ、その日本語は。そう突っ込む間もなかった。身体が引き寄せられ、それから軽く拘束される。抱きしめられたのだと認識するのと、胸がまた痛んだの、どちらが早かったろうか。
「こうして欲しかったんデショ?」
連れ出した時から。そんな幻聴が聞こえるのは、自分がまさにその通りのことを考えていたからだ。
「・・・対処療法だな」
何に対する対処療法などとは言うまい。
「それでも、Darlingが元気になってくれるのナラ、いいデスヨ・・・」
向こうの声も沈み込んでいる。そりゃそうだ。端より隠す気もないだろうが、戦局の悪化は誰でも分かるほど表面化してきている・・・違うか、自分は彼女に言外に自分の負を背負えと命じたのだ、負の部分を背負えば、声も暗くなる・・・道理にかなっていることだ。
「・・・また、変なコト、考えてマスネ?」
読心術か?
「・・・どうだかな」
「もうすぐ二十年デスヨ?」
密着していれば体格差の関係で彼女は孝介を見上げる形になる。柔らかくも鋭い視線で包み込まれ、孝介は顔を逸らした。身内に嘘をつくのは下手なのだ。
返答の代わりにより彼女の身体を引き寄せ、より密着させる。お返しと言わんばかりに無言で背中を撫でられ、それから囁かれる。訴えるのではなく、ただ事実を確認するだけのように。
「ここに居るのは
独り占め。似たような言葉は他の人間も孝介に掛けてきたはずだ。何も孝介は総理大臣という訳ではない。いや、西側世界を率いる大統領だって全てを抱え込めるはずがないのだ。
「・・・ごめん」
「Darlingは、ナニか悪いことをしたのデスカ?」
違うでショウ?
「謝る必要なんテありまセンヨ」
「だが、私はこうやっていつもお前に頼っている」
ただでさえ負担を掛けているのだ。男は外で働き、女は家を護る。物は言いようであるが、知っての通り家事労働はGDPに換算されない。文字通りの24時間年中無休労働である子育てなど、自分は仕事の名のもとに放棄してしまっている。
彼女の苦労は計り知れないというのに、自分はこうやって余計な面倒事を持ち込んでいる。
すると、彼女が身体を離した。力強く抱き留めなかった為に熱源が離れ、服にこびりついた彼女の温もりが闇へと拡散する。
追いかけるように宙に浮いた孝介の手を、彼女はしっかりと握った。
「・・・分かってないデスネ」
分かる訳がないのだ。彼女は英国印度、自分は日本。生まれも違うし育った環境も違う。本当に同じ景色を見ているのかなんて分からなない。肌を重ねたって感じるのはその温もりだけで、そんなものには熱伝導の問題になるくらいの価値しかない。
孝介は口を固く結んだ。こうすれだけで自分の意思が伝わることはないのだ。
しかし彼女は、そんな彼の様子を見て笑った。
「Darlingがワタシに贈った言葉、憶えてマスカ?」
忘れるはずがない。孝介は何も言わなかったが、彼女は微笑んだ。孝介の考えは彼女にはっきりと伝わったようだ。
「その時、ワタシは本当に・・・」
と、そこで切られる。流れるのは鈴虫の鳴き声。あれはこのぽっかり空いた沈黙を埋めるためでなく、パートナーを探すために奏でられているんだっけか。そして奏でるのは雄の方。雄が刹那の伴侶を探すべく奏でる唄。孝介にその才能はなかった。
そして、長いこと彼に連れ添ってきた彼女は悪戯っぽく微笑むのである。
「ワタシがどう思ったか、分かりマスカ?」
分かりますよね?
長く人と付き合えば、思い込みが生じるものだ。これまでの彼女がそうであっただけで、今の彼女が何を考えているかは分からない。
でも、分かる。孝介はそんな盲信を抱いていた。
孝介はまたしても沈黙を保った。既に彼女は自分の手に触れていて、温もりもそばにある。距離など関係なく伝わるのだ。まさかここまで距離を詰めておいて、今更口に出す必要もあるまい。
ゆっくりと、そう、彼女の身体をなぞるように、
海軍中佐は自身の伴侶を抱きしめた。もう一度。もっと力強く。
それはやっぱり柔らかく脆く、そして温かく。思わず顔を擦り付けてしまう。目をつぶれば、感じるのはその髪の感触と香りだけ。
「フフ・・・こうなると素直なんデスカラ・・・」
彼女の声が優しく耳に届き、手がそっと首に添えられる。
そこは鈴虫もいない、二人だけの世界だった。
「・・・愛してるよ、
まもる、絶対に。
X-79Days