上空をホバリングするヘリの羽音がよく響く山の中。
まだまだ夏の残り香がむしむしと残る九月上旬。私事ではあるが娘が「学校だる~い」といっていた。お前は先週までずっと休みだったじゃないか。まあ受験生である娘にそんなことを言っても始まらないので、今日も今日とて行ってきますとだけ交わして出かけた飯田は現在、四国のとある場所に来ていた。
ここに、一般人の影はない。
敵対的危険生物の上陸が予想されている四国南部には避難命令が下っており、ここでは目下改正要塞地帯法に基づく迎撃設備の構築が進められている。これは九州から四国、避難準備地域を含めるなら紀伊半島、そして東海地方すら作戦計画に入れられている敵対的危険生物への対処計画、その軸となる迎撃設備であり、四国の陥落を防ぐことで瀬戸内海を聖域化しようとするものである。
敵対的危険生物の侵攻を阻むだけでなく、分かりやす過ぎる建設部門への
しかし世論というのは信じられないほど移ろいやすいもの。琉球諸島で100万を越える市民の犠牲を出したのにも関わらず、この太平洋沿岸への大規模な軍事施設構築には反対意見が――――もちろん、それは四国や南九州にある程度の権力を持つ人間たちからのものだが――――多かった。七月には建設省予算の一部を利用していたことが問題となり(どこぞの週刊誌が取り上げたのだ)世論に乗っかる形でこれまで知って知らぬふりをしていた野党が攻勢、防人たちのさらに上で計画の存続自体が危ぶまれる時期もあった。
しかし、それはほんの二ヶ月前までの話である。今や要塞を疑問視する評論家こそいるが、中止を求める人間などいなくなった。
……それほど、状況は悪い方向へ流れていた。
2022年7月末。東南アジアを荒らしていた敵対的危険生物は遂にその矛先を世界最小の大陸、オーストラリア大陸へと向ける。ダーウィンに上陸した敵対的危険生物は猛スピードで大陸中央部へと浸透。乾燥気候とその大陸国家ゆえの縦深に頼ることにより現在でも豪州国防軍は進撃を阻んでいるようだが……多くの要因からここでの奮戦は無駄となりそうであった。
その一つがSEATO諸国の限界。
そもそもSEATO諸国を構成するのはここ半世紀で急激に成長した国家ばかり、元から体力があるわけではない。主力を果たしてくれる英国印度やタイ王国、中華民国はまだ健在であるが、そのいずれもユーラシア大陸の国家。SEATOが「最後の抵抗線」と呼称する大陸防衛線の戦線維持で手一杯なのが現状である。オーストラリア国防軍の戦略は「耐えて待つ」というものであり、いくら善戦しても援軍が来なければジリ貧である。頼みにしたいアメリカ合衆国も、まぁメキシコから敵対的危険生物を追い出さない限りはそこまでの余裕は生まれないだろう……なんせメキシコの先に待つのは、自国民だ。
そしてもう一つの要因が、どこかの国に援軍を送る余裕があっても恐らくその援軍はオーストラリアに送られないだろうということ。SEATO各国は未だに――――もちろんこの日本含め――――敵対的危険生物の「封じ込め」を目標として軍事作戦を続行しているわけだが、その封じ込めにおいて最も重要な太平洋の島国が陥落しようとしているのである。
その国家の名は、フィリピン。
1940年代に独立した国家のひとつであるこの国はそもそも内政状態が不安定であり、敵対的危険生物の太平洋浸透を阻む最後の砦であるはずにも関わらず、大した抵抗もせず既に国土の一部を侵されるがままになっているという惨状である。
現状は主要な地域にのみ軍を配置すれば反政府のデモが起き、「自衛」を掲げていくつかの地方政府や地主が私兵団を展開するなど、正直国内の足並みが全く揃っていないのが現状である。加えて相次ぐ海外企業の撤退による経済の混乱。日満中を中心とする経済支援と合流したマレーシア・インドネシア軍によってどうにか人類圏としての体裁を守っているような状況であった。
そして、ここを突破されれば後ろに広がるのは大きく広がる太平洋の大海原。沖縄が敵対的危険生物の手中にある関係から既にSEATO太平洋艦隊が作戦行動を――――余談だが、「艦隊」クラスのSEATO海軍の臨時編成はこれが初めてとなる――――行っているが、流石に太平洋全てで作戦行動を行うのは無理がある。
しかも最近、沖縄方面にこれまでなかった動きが確認されており、そちらに戦力を割かざるを得ないのだ。
突破された日には、太平洋の放棄――――すなわち、ろくに工業力も軍事力も持たないオセアニア諸国を見捨てる――――必要も出てくるかも知れない。
恐らく、二ヶ月前の飯田なら
しかし、今やそれが完全に正しいという確証はない。
いや、もとから信憑性など無いに等しかったのだ。ただでさえ情報源が謎の金属生命体――――大迫閣下は、これを『朝潮』と……2013年の事変で戦没した潜水艦『朝潮』だと呼んだ――――だというのに、今度は情報にない『補給級』の出現である。大迫閣下が認めたように、敵対的危険生物の動きを予測することはもはや出来ない。
それゆえに、飯田もこの沖縄の怪しい動きに神経質にならざるを得なくなっていたのだ。
……それこそ明日、敵対的危険生物が九州、いや東京湾に大挙しないという保証はないのだから。
「中佐、準備が出来たようですよ?」
そんな飯田の思考を終わらせたのは彼の部下である小河原海軍中尉であった。10期下ということで年の差も階級もかなり離れているが、それでも多くの仕事を共にこなした信頼できる人間である。
マダガスカルへの派遣任務などで一時日本を離れていたが、それももう二ヶ月ほど前の話。今日もこうして飯田を補佐するべくこの場所までついて来ている。
「おお、出来たか」
飯田はその小河原の言葉に即座に反応する。その声には心なしかの興奮が混じっていた。
「いやはや……それにしても流石は日本の技術力ですねぇ……これ、量産型なんでしょう?」
小河原は相変わらずのどこか小馬鹿にしたような声で目の前に広がる実験場を見渡す。目の前に広がっているのは、陸軍の偵察車両や通信車両……陸軍の装備ばかり。
かと思えばさらりと場に混ざっている『四国電力』と書かれた車両。尾根を走る……そう、並列で走ってゆく送電線。四国の、しかも山奥にしてはやけに立派な送電設備であった。
飯田も小河原と同じようにそれらを見渡し、そして満足げに頷いた。
「あぁ、電磁投射砲の量産型。性能を落としたといっても通常の大砲と比べてお釣りが来る威力だそうだ」
「弾薬、というか弾頭の生産は間に合ってるんですか?」
それを聞いた飯田は、口を一旦結び、それから口を開く。
その間は彼なりの意気込みでもあった。
「既にかなりの数が生産されている……それだけに、この実験は失敗できない」
電磁投射砲。電磁加速砲ともいう。欧州赤化という状況下で西側諸国が望みを託して研究を続けた高出力兵器。理論実証は出来ているにも関わらず空想世界の産物とも言われたそれ。
それがこうして日の目を浴びているのは、偶然か、はたまたこの追い詰められた日本が起こした奇跡か。
……まぁ、電磁投射砲自体は既に米海軍で採用されているし、琉球諸島事変以前――――すなわち、敵対的危険生物が表に出てくる前――――にこの兵器の開発は終了していたのだが。
いずれにせよ、日本国自衛陸軍は飯田製造が製作したこの電磁投射砲を『82式電磁投射砲』として制式採用。即座に量産化へと移っていた。もちろん開発が終わっているからといって即座に量産できるわけではない。なんせ生産のためのライン――――精密部品が多くなる現在兵器は、恐ろしい程広い範囲から部品を調達せねばならないのだ――――を作らねばならないのだから、当然である。もともとは局地戦を想定して開発された高出力兵器は、今や列島要塞とも呼べるほどに武装化された南九州四国に決戦兵器として配備される予定で、生産の状況は……まあギリギリ間に合うか間に合わないか、といったところであった。
なんせもう夏も終わるというのにようやく量産型の第一陣、その一つが目の前に配置されている電磁投射砲である。並列生産を行っているので他の生産が全く終わっていないわけではないし、試作量産型の性能試験はクリアしている。
しかし予断は許されない。後続の生産も始まっている訳で、もしもこの試験が失敗すれば……。
「失敗したらどうなるんです?」
先回りされたかのような質問。小河原もきっと同じことを考えていたのだろう。だからといって、わざわざ口に出さなくてもいいものを。
「お前はいつもそう縁起でもないことをいう……まぁ、少なくとも現在の防衛計画はひっくり返るだろうな」
小河原の気のない発言に顔をたしなめつつ、飯田の顔にも不安がありありと浮かんでいた。まぁ当然だ。なんせ日本が直面している敵対的危険生物は数で押しかける連中。電磁投射砲がいかに兵器史に名を残すべき素晴らしいものであったとしても、使えなきゃ意味がない。必要なのは威力と安定性。洋上でのんびり陸地を攻撃する『巡洋級』をすぱっと狙撃できるぐらいの精度がなきゃ話にならないのだ。
「……なら、成功を祈りませんとね」
笑う小河原。しかし82式電磁投射砲に向けられたその視線はどこか悲痛であった。
「……本当だな」
小河原にしては珍しい表情を見た飯田は、とりあえず当たり障りのない返事をする。
まさか感傷に浸っているのだろうか? 彼らしくもない。
いや、彼らしくもないといえば、八月の彼はどこか調子がおかしかった。
八月というか、マダガスカルでの出張が終わって以後からだろうか? 普通に仕事をこなすが、ふと時間が余れば物思いにふけるような、最近はずっとそんな感じである。
マダガスカルで何かあったのだろうか? 思い当たるのは彼の報告書にあった反政府グループと南アフリカ政府軍との戦闘に巻き込まれたという記述。
彼にとっては初めてとなる白兵戦の経験だったという。外地から帰還した兵士にカウンセリングを施すのは当然のことで、彼がその例外となったという話は聞いていない。
もちろん、カウンセリングは完璧ではない。彼の振る舞いは普段通りであるが、周りが気づかぬうちに闇を抱えてしまっている可能性は否定できない。
いや、違うか……。飯田はそんな自ら立てた仮説をすぐにひっくり返す。こういう言い方は悪いが、はっきり言って小河原が心に傷を負おうと飯田には関係ない。付き合いの深い部下ではあるし、彼の補佐には助かっている。
が、所詮それだけのこと。補佐役なら同じく対策室に所属する小牧にも務められる。
飯田が気になっているのは、小河原が「おかしい」ことである。とはいえ飯田、『対人』においてはど素人である。その「おかしさ」の理由はもちろん分からない。
だが、飯田だって一応は財閥の創設者一家の一人。並よりは多くの種類の人間を見てきたつもりだし、何かを抱えた人間もよく見てきた。
そしてその経験を積み立てることで得られるものが「勘」だというのなら。
――――小河原は、何か重要なことを隠しているのでは?
マダガスカルで何があった? 何か報告書に書いていない――――書くことが出来ない――――ことがあったのか?
しかし
勘違いである可能性は多いにあるし、そもそも敵対的危険生物という大事を目前にしてこんなことをしている余裕はあるのか、という問題もある。
しかし気になる。
「? どうかしましたか?」
小河原に視線を集中しすぎた。流石に向こうも不審に思ったようで、こちらへと疑問げな顔を向けてくる。
「いや、気にしないでくれ」
そう言いつつ飯田は、今度彼のカウンセリングを担当した人間に話を聞いてみるという選択肢を思いついていた。それなら誰にも迷惑はかけないし、カウンセラーも小河原の直接の上司である飯田になら不審な点があったかどうかぐらいは教えてくれるだろう。
「そうですか」
そのタイミングを見計らったように鳴り響くサイレン。
工場の始業終業の合図――――というより、甲子園球場の試合の始まりと終わりを告げる合図と言ったほうがわかり易いだろうか――――を思わせるそれ。
『試験開始10分前! 作業員は最終調整へ!』
とりあえず建てられた鉄ポールに括りつけられたスピーカーが指示を出す。人里離れた山奥であるはずのこの場所が俄かに人気を帯び、バラバラと作業員たちが己の持ち場へと走ってゆく。
「お、あれは34式」
小河原が感嘆の声を上げる。幕を外されて走ってゆくのは1974年制式採用の34式戦車。仮想戦場とされた満州や樺太北海道の山岳地帯での運用を想定する丸みを帯び、ペッタンコの饅頭のような形状の砲塔が特徴的な旧式戦車。
「動いている34式が見れるなんて、役得ですねぇ……」
エンジンの駆動音と無限軌道の大地と擦れる音、排煙と土煙を巻き上げつつ走ってゆく戦車。そしてもちろん、あれの行先は電磁投射砲の目標だ。
……エンジンなどを外さずに用いるあたりから、今の対処行動が終わった後の
「では、我々も観測所へ移動しましょう」
そう言って歩き出す小河原。電磁投射砲の威力は恐ろしいものがあるが、それはつまり万が一の事態が起きたときに悲劇をもたらす力があるということ。こんなところで殉職なんて洒落にもならないので、対爆仕様の観測所へと移動するのだ。
「あぁ……行こう」
退役済みの旧式戦車が、廃品回収業者も嫌がるスクラップになるまで後十分。
飯田は34式戦車の走ってゆく先にある空を見上げた。
夏の光を受けて目一杯育った葉っぱに彩られる生き生きとした緑色の山。
入道雲の居残りが、暑さの去りつつある祖国を見下ろしている。