模倣の決号作戦(改稿前)   作:帝都造営

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X-57Days②

 朝潮。

 

 日本が涙滴型潜水艦の最高峰と自負する春潮型潜水艦の七番艦。船台の上で阪神淡路大震災を経験したり、蒼龍型に搭載されることとなるスターリングエンジンを試作的に搭載するなど、その艦歴は特異なものである。

 

 とはいえ、いくら春潮型が最高峰の涙滴型潜水艦と誇ろうと潜水艦は潜水艦。戦闘艦艇である以上は被撃沈のリスクは常に背負っている。

 

 

 

 

 2013年、中華人民共和国と日本国間で問題が発生。いくつかの亀裂と外交努力の失敗を経て、中華人民共和国が日本籍商船の強制臨検を実施したのである。

 

 2003年以来は大きな衝突もなく、順調に宥和への道を歩んでいた東西両陣営に中華人民共和国の横暴が大きな衝撃を与える中、彼の国は満州・中華民国両国の存在を認めない「一つの中国」を掲げる。同じ共産国との足並みも揃えず野心を剥き出しとした中華人民共和国を平和的外交で押しとどめることは叶わず、武力衝突は避けられない。

 

 そして……東側諸国との関係悪化を恐れた日本国は宣戦を行なうことなく中華人民共和国と交戦状態に突入。ここに中華大陸は20年の平穏を破り戦火に包まれることとなった。

 

 

 

 ……これが「第十次上海事変」であり、潜水艦「朝潮」はこの紛争で喪失された。

 

 喪失されたはずなのだ。

 

 

 

「青葉……『朝潮』に関する情報が気になるんですよ」

 

 

「朝潮?」

 

 一応動揺は表に出なかったと思う。しかしここまで単刀直入に言ってくるのだ。彼女は核心を掴んでいるに違いなかった。

 

「ええ、春潮型潜水艦七番艦の『朝潮』です」

 

 彼女(あおば)はそう言う。浮かべる表情には一片の笑みもなく、真面目そのものであった。

 そして当然、彼女が求めている情報とは喪失された潜水艦(春潮型七番艦の朝潮)の情報ではないのだろう。

 

「それだったら、ネットにたくさん載っているだろうに」

 

 しかし飯田はそう返す。いや逆に、ここであっさり「はい」と『朝潮』を認める馬鹿がいるだろうか?

 

 返ってくるのはため息。

 

「……青葉が言ってるのは、現在も存在する『朝潮』のことですよ?」

 

「八年、いや九年前か、ともかくそんな昔に行方知らずになった艦が、どうして今も存在すると言うつもりだ?」

 

 確かに残骸としてなら存在するだろうが……そう言うと、青葉はくすっと笑う。

 

「止めてくださいよぉ~、そんな稚拙な牛歩戦術は」

 

 失われるのは室長の時間だけですよ?

 

「まぁもちろん、認められないのは当然のことだとは思いますけどね……別に証言を得るのが目的ではないので、話を進めましょう」

 

「……」

 

 俄かには信じられなかった。

 

 

 『朝潮』。これは春潮型潜水艦の艦名を意味しない。

 

 

 大迫閣下が飯田に対して命じた敵対的危険生物に対する防衛計画の立案命令、それを行わせるに至る予言をもたらした存在。九州上陸(X-Day)を、敵対的危険生物が表舞台に現れる遥か前に予言をもたらした存在。

 

 大迫閣下に連れられて行った『朝潮』の保管場所。そこは厳重な警備がなされており、そして警備を行っていたのは横須賀鎮守府第零特別陸戦隊――――通称『海坊主』――――である。彼女(・・)を海軍が管理下に置いていることは、統合幕僚本部すら預かり知らぬはずの案件であるはずだ。

 

 なぜ、彼女が知っている?

 

 

「って、そんな怖い顔するのはやめましょうよぉ~」

 

 肩をすくめる彼女。

 

「まあいい、なんの話か知らないが、話だけは聞こうじゃないか」

 

「……恐縮ですっ」

 

 当然ながら『朝潮』の件は存在すらしないことになっている機密事項のはず。口が裂けても認めることはないだろうが、人の話を聞くだけなら個人の勝手。そういうことにしておこう。

 なにより、青葉が『朝潮』のことを知っている『かもしれない』という事実が、飯田に話を聞かせるには十二分な要因となる。

 

「……潜水艦「朝潮」の捜索は2013年の7月29日から潜水救難艦の「千代田」によって執り行われました」

 

 「朝潮」と音信不通となった日本海軍の初動は早かった。巡洋艦「伊吹」に対するコマンド攻撃を許してしまったばかりの海軍にとって、潜水艦の喪失は傷に塩を塗られたようなもの。

 喪失に至る作戦の実施には慎重意見もあった。それが上層部を慌てさせた。

 

 

 なんとしても「朝潮」を救出する。

 

 

 そういう事情から「千代田」の素早い派遣が行われたわけだが、当然ながら人民解放軍と自衛軍は交戦中。護衛として第四戦隊をつけた「千代田」は危険な任務を遂行することとなる。

 

「整理しましょう……青葉の知る限りでは、その危険な任務に、あなたの上司が同行していた」

 

「当時、艦政本部の水雷部長であった大迫閣下だな」

 

 大迫善光。現海軍幕僚長。先ほど言った通り、『朝潮』の情報と、敵対的危険生物の来襲を受けて飯田を対策室の長とした人間だ。

 

「ええ……思えば、あそこで彼が「千代田」に乗艦していたのが不思議なくらいです」

 

 彼女が何を言わんとしているか、決してわからない訳ではない。

 

「……何かしらの、事情があったんだろう」

 

 青葉はそれには反応を示さず、話を続ける。

 

「ともかく「真実」にたどり着いた大迫氏……でも、彼は何らかの理由でそれの公表を見送った」

 

 そしてここが重要と言わんばかりに人差し指を立てる青葉。

 

「彼がどの程度の数の人間に話をしたかは知りませんが、海軍もこれを看過している……おかしいと思いませんか?」

 

 なんでだって日本が自国の潜水艦すら発見できないという汚名を被ることを選ぶって言うんです?

 

 

 隠すものは大事なもの。大事なものは様々な事象の要因となるもの。

 結局、隠せばおかしな点が出る。

 

 

 西側諸国内でも米国に次ぐ海軍国であり、通常動力潜水艦に関しては世界の追随を許さない日本が、なぜ新型の千代田型に“能力不足”の汚名を着せてまで「発見ニ至ラズ」の報告を行ったのか。

 

 

 

 

 

 ――――『朝潮』だ……少なくとも『本人』はそう名乗った。

 

 

 脳裏にそう言った大迫閣下の横顔と、そしてガラス管の中へと厳重に封じ込められた『朝潮』の姿が浮かぶ。

 

 

 それが……『朝潮』がどれだけ重要かの証明であった。

 

 

 

「さて……話を戻しましょう」

 

 青葉は笑った。もちろんここまで彼女が話したのは彼女が自身の能力を自慢するためではない。飯田と青葉が情報において対等な土俵に立っていることを証明するためであった。

 ……なるほど、彼女が望むのが対等な取引であるのは、どうやら間違いないようだ。飯田は相手を見据えたまま、次の言葉を待つ。

 

 

「青葉が室長にお願いしたいことは簡単なことです」

 

 いったん区切って、それから強調するように次の言葉。

 

 

「『朝潮』と話してきて(・・・・・)欲しいんですよ」

 

 

「……意味を計りかねるな」

 

 飯田は本心からそう言った。

 

 話してきて欲しい。予想外の注文である。

 いやそもそも、『朝潮』と話すとはどういう意味だ。大迫閣下曰く『朝潮』は自らが伸ばした電極から規則性のある信号を送り、それで情報を、予言を伝えたのだという。

 

 そう、決して「会話」をした訳ではないのだ。あくまで0と1に例えられる信号のやり取り。

 

 

 ……そう言えば「感情に敏感だ」とかなんとか言っていたっけか。

 

 しかしそれでは説明にはならない。やはり会話ということにはならないし、感情に敏感というのは他の生物でも検証結果が出ていることだ。たんぽぽを馬鹿やろうと罵り続ければ調子が悪くなるし、牛にクラシックを聴かせることで乳の生産性が向上したというよく分からない話がある。

 だが彼らとは会話は出来ない。いや、一見すると金属の塊にしか見えなかった『朝潮』にこの話は当てはまらないだろうか……ともかく、会話とか意思疎通とか、そういう次元に『朝潮』はいないはずだ。

 

 しかし彼女はいう。

 

「いやいや、例え話じゃないですよ」

 

 本当に「話してきて欲しい」んです。

 

「……と、言われてもな」

 

 さて、どうしたものだろうか。

 

 目の前の彼女が、『朝潮』の存在に関して確かな情報を握っていること、その存在を確信しているのは間違いないのだろう。『朝潮』はほんのひと握りの人間しか知らないはずなのに、こうして既に核心を突くためだけの情報を確保しているのがその証拠である。

 

 しかし、それが『朝潮』を知っていることにはならない。

 

 そもそも彼女はその若さに見合わぬ経験の多さと濃い情報源を確保している。対して自分は一介の海軍中佐。情報を求める彼女が「話してきて欲しい」なんて適当極まりない理由で自分に接触することがあるだろうか?

 もちろん『朝潮』を警備しているのは海軍の非公開組織、それを考えれば場所が分かっていても乗り込むことはできないだろう。

 だからと言って昨年度まで海軍幕僚長補佐官を務めた飯田――――即ち、限りなく大迫善光に近い人物――――に接触を取るのは間違っている。どう考えても飯田はこのことを大迫善光へと報告するだろう。そんなことは凡人にも理解できる。

 

 青葉記者(こいつ)は、自らリスクを増やす(そんなことをする)人間ではない。

 

 なら何故自分だというのか。

 自分が彼女にとって初めての海軍(ヒト)だから?

 

 いやそれはないだろう。彼女ならば新しい協力者を探すだけのはず。自分は一佐官。軍隊組織を動かす、特別でもない存在。こだわる理由はない。

 

 ……もしくは、自分に何か「特別」な点があるのか。

 

 そこまで思考を回したところで、飯田は次の発言を決めた。

 

「私は確かに『朝潮』(そのこと)を知っている。だが、知っているだけだ」

 

 対等な取引だ。事実は認めてやろう。これからする回答に「矛盾点」はない。

 

「でも、施設(・・)には行ったんでしょう?」

 

 青葉は笑みを深める。

 

「……お見通しというわけか」

 

 そうは答えつつも、飯田は確信に近い直感を得ていた。

 これはブラフだ。仮にもフリーの記者が、こんなこと知っているはずがない。

 

 飯田が施設に訪れたことを把握しているならば、それは飯田を乗せた軍用自動車の動きを、施設への物流を把握していることになる。あの施設にはスーパーコンピューターを動かすための自家発電を行うために多量の燃料が運び込まれているのだ。軍用自動車の動きを把握できるのなら、燃料運搬に関わる大型車を見逃すはずがないだろう。

 つまり、飯田が赴いたことを確認できるほどに彼女(あおば)が監視網を掌握しているのならば……施設の場所を把握できていないはずがないのだ。

 

 だからブラフだ。間違いない。

 

 

「確かに、施設には行った」

 

 だから飯田は認める。

 なんせ、それは間違っていないことの一端だ。

 

「しかしそこで私が見たのは、そこの管理室にある持ち出し禁止の資料だけだ。防諜上の理由から『朝潮(それ)』自体を見たわけでは――――」

 

「はいっ、ダウト」

 

 

 ぴしゃりと彼女の指が飯田の鼻を貫く。

 

 

「あなたは『朝潮』に「直接」会っている。これは間違いない事実ですよ?」

 

 彼女は勝ち誇った表情を見せつけてくる。それ自体は会話を彼女優勢とするための小道具に過ぎないので気を払う意味もないが、しかしどうしてそこまで言い切れる?

 

「……」

 

「……沈黙は肯定、ヒトは咄嗟に整った嘘を作り出せませんからね」

 

 いや、あり得ない。

 

 あの日、『朝潮』の存在を知った日。自身と大迫閣下の動向が察知されていた可能性はもちろん零ではない。しかし監視できるのは車の動きを終えたところまでだ。

 

 飯田が施設に行ったことは分かるだろう。施設に入ったことも分かるだろう。

 

 だが、実際に施設のどこまで進んだかは分からない。飯田の言ったとおり管理室へ入っただけという可能性も否定はできないはずなのだ。管理室が存在するか飯田は知らなかったが、それは青葉も同じことだろう。

 

 実際に飯田が『朝潮』を見ていることを知るのは、大迫閣下と飯田自身、強いて言えば報告にやってきた士官だけである。まさか彼女が知れる情報ではない。

 

 

「……」

 

 沈黙を保った飯田。沈黙は金というが……この状況下では下策のようだった。対して彼女は、顔を歪める。

 

「室長、青葉は悲しいですぅ……どうして青葉のことを信じてくれないんですかぁ?」

 

「……」

 

「青葉は愛国者予備軍、まさか国家の不利益を追求するとお思いで?」

 

「……多くの犯罪は、犯罪行為それ自体をやろうと思ってやったわけではないだろう?」

 

「まぁ、確かにそうですね……本当の愛国が何かなんて、辞書には載ってない」

 

 でも、

 

「青葉は室長と同様、確固たる想いでことにあたっている。それだけは伝わっていると思うのですがねぇ?」

 

「……」

 

 そして彼女は、一歩踏み出した。

 海軍佐官とフリーのライター。距離が僅かに縮まる。

 

「さ、話を戻しましょう……現実として、青葉は『朝潮』を知っている」

 

 

 何故だと思います?

 

 

 風が吹いた。しっかりと結われたはずの彼女の髪が揺れる。

 

 

 

「――――『雷』さんに会いました(・・・・・)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――西暦2021年(平成33年)6月。東京――――

 

 

 全面ガラス張りの壁は丁寧に磨かれ、この帝都の街並みを映し出している。

 

 暗闇の中では高層ビルの生活光すらもイルミネーションの一部になり、この街で一番ののっぽであるスカイツリーが放送用電波を放つついでにその存在感を振りまいていた。

 

 

「それでは! 我らが首席の大出世を祝い!」

 

『乾杯!』

 

 

 その掛け声で数人の海軍将校が杯を掲げる。それはほとんどが尉官であり、佐官服に身を包んでいるのは主役の他は飯田くらい。

 ちなみに、この場の全員が国防大学広島の118期生である。国防大学校時代の同期となればやはり特別な存在なわけで……だからこそこうやって意味もない集まりをするというもの。

 

 

「しかし遂に艦長職が118期からも出たかぁ……感慨深いねぇ!」

 

 そう言うのは武川。階級は大尉である。彼はあっという間にジョッキを飲み干し、それから彼らしい大きな声で続ける。

 

「にしたって……どういうことだ? 118期(ウチ)の佐官はまだ宮川まで……宮川は9位、いくら何でも遅すぎやしないか?」

 

 一昔前の日本における雇用体制は終身雇用、年功序列が基本。それは海軍組織にも当てはまっていた。階級という絶対的な存在は年を重ねれば必ず上がるし、降格することなんて滅多にない。確かに佐官になれるのは一部の人間だ。しかし彼らの歳を鑑みればもう少し少佐の数が多くてもおかしくはなかった。

 ……だが、それは昔の話だ。言うならば、古き良き時代の、と言う奴。

 

「仕方ないだろうが、今の雇用形態は海軍にすらアメリカ式実力主義が食い込んでくる時代。平和な時代に任官した俺らに昇進の機会はなかなかない」

 

 まあ昇進が皆々して遅いのは、雇用体系の変化によるものだが……もちろん長く共産との戦乱が続いたために上級将校が増えすぎたという事情も大きいだろう。

 

 平和な時代。

 

 それは間違いない。東西宥和という文字が政治的パフォーマンスに見えていたのはもう二十年前の話。経済分野でも結びつきが強まり、東西互いの企業がそれぞれ海外進出を果たしている。

 グローバル化が一概に良いということは決してないだろうが、随分と世界は広くなったものだ。

 

「飯田このやろう、なにを他人事のように言いやがって……そりゃあテメエは佐官サマだから関係ないかもしれないが、俺にとっては死活問題だ」

 

 と肩をガシッと組んでくる武川。

 

「おい武川、今日の主役は松原だろう……絡むならあっちに絡め」

 

 飯田が攻勢を逸らし、てめえ売りやがったなという顔をする親友(まつばら)。照準を変える武川。歳を取っても友好関係だけは学生の色を帯びている。

 

「まあ松原が艦長一番乗りは想定通りだな」

 

 友人の誰かがそう言い、それにここに集まっていた皆が同意する。当然だ。松原は118期の主席。彼が艦長一番乗りせずして誰がするというのか。

 

 お察しの通り、この集まりは松原の艦長就任が決まったのを祝うための集まりである。

 彼が艦長となるのは駆逐艦「雷」。旧式艦艇と言われればまあ違いないが、大変名誉なことであり、そしてスピード出世であることに違いはなかった。

 

 

「まあ俺としては、今年度から飯田がちゃっかり海幕長補佐になりやがったのが気に食わないがな」

 

 118期の主席様はそう言って笑う。飯田のキャリアは随分と豪華だし、本人が「平和な時代」とか言いつつ事変でちゃっかり勲章を貰っていくのが飯田である。118期の出世頭が松原・飯田両名であるのは明白だ。

 

 その台詞に直接反応する気にはならない飯田。別の言葉で親友に返すことにした。

 

「貨客船の破壊行為だかで最近はキナ臭いんだ、しっかり頼むぞ?」

 

 そう言って拳を突き出す。

 

「話逸らしやがって……」

 

 ま、確かに任されたよ。松原はそれに拳で応じた。

 

 

 駆逐艦「雷」の喪失、その約八か月前の出来事である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――――『雷』さんに会いました(・・・・・)」

 

「は……?」

 

 今度こそ我を失いかけた。瞳孔もはっきり反応してしまったハズで、彼女にこちらの動揺を読み取られたのは間違いないだろう。

 

 だがそんなことはどうでもいい。

 なぜだ、なぜこのタイミングで出てくる? 『雷』が?

 

「いやだから、会ったんですよ、駆逐艦『雷』にね」

 

 飯田の沈黙――――厳密には思考停止――――を読み取った青葉が、意味分かります? と言わんばかりにもう一度告げる。

 

 

 

 駆逐艦「雷」。村雨型駆逐艦の七番艦。2022年3月の琉球諸島事変にて沈没。除籍済み。

 

 

 

「あれは沈んだ。ありえない」

 

「そりゃあまぁ、青葉だって信じたくはないです……」

 

 でも、と彼女は言葉を強くする。

 

「実際に青葉が会ったんだから……会った、としか言いようがないでしょう?」

 

「……軍艦と『話してきてほしい』……お次は軍艦と『会った』?」

 

 飯田は言外に頭でもおかしくなったんじゃないのかと言う。

 

「SEATOの公式発表によれば、化け物相手に死者行方不明一億五千、難民一億超と聞いていますが?」

 

 対する青葉は既に世界がおかしいと笑ってみせる。嫌味なほど曇りのない笑顔。

 

「思えば11月を教えてくれたのも室長でしたね……先におかしなことを言い始めたのはそっちじゃないですか?」

 

 一般市民が視界を曇らせるのはよくあることである。だが健常者から選ばれた官僚組織たる軍が視界を曇らせてはならない。

 

 

「ふん……まあいい、『雷』はなんて言ったんだ?」

 

 しかし飯田は青葉に続きを求める。焦りを表に出さぬよう努力していたが、それは無駄だ。

 

 飯田もまた――――仮に『敵対的危険生物対策室長』という大仰な役職にあっても――――一般人である。

 彼は『雷』というワードに今、視界を曇らせていた。

 

 

「まあ焦らないでくださいよ、対等な取引って言ったでしょう?」

 

「……」

 

「『朝潮』と話して来て下さい。そして内容を軽く(・・)教えていただければ……いや、室長も立場のある身、高望みはやめましょう」

 

 話してきた。その事実だけを作って頂ければいいです。報告は要りませんと青葉は言った。

 

「そしたら青葉も室長に『雷』さんとの会話内容をお教えします」

 

 どうです? 互いに損はないでしょう?

 

「私の後をつけるんだろう?」

 

 報告が要らない。青葉としては譲歩のつもりなのか? いやこれは譲歩などではない。彼女の最終目的を自ら明かすような行為だ。

 彼女にとっては話した内容はどうでもいいというのか? ではなんだ、『朝潮』に再び接触したという事実が欲しいのか?

 

 

「じゃあいいですよ? 青葉はあなたの行き先……『朝潮』の所在地を詮索しないし、間接的にも詮索しない。約束しましょう」

 

「口先ではなんとでも言える」

 

 でしょうね。当然の反論に青葉は嗤う。

 

「……だからこそ信じて欲しいのです。本音を言うなら『雷』のことも口には出したくなかった。あなたは『雷』(それ)に引っかかるに決まってますからね」

 

 

「お前の目的はなんだ?」

 

「さぁ? いつかはお話できますが、今はダメです」

 

「それを聞くにも交換条件があると?」

 

 それには返さず青葉は身を翻す。話はこれで終わりとでも言うつもりか? 飯田が一歩前に出ようとすると、彼女は独白のように呟く。

 

「……どうも最近、青葉は鈍くなっているようです。いつまでも愛国者であれる自信がない」

 

「……?」

 

 発言の意味を問うた飯田の無言の質問に答えず、青葉は去る。

 去り際に一言だけ残して。

 

「『朝潮』に出会ったなら、是非青葉(わたし)の名を出してください」

 

 

 もし、『朝潮』がそれに反応したのなら――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「中佐、ご無事ですか?」

 

「ご無事って……お前なぁ」

 

 顔を合わせた次にそう放つ部下に、飯田は困ったような笑みを浮かべた。そりゃあ青葉の来訪はあまりに唐突。目の前の小河原にとっては初対面の怪しい女だ。

 だからって「ご無事ですか」とは……そんなことを思いつつも飯田は急に現実に戻されるような感覚に襲われていた。

 

 目の前にいる彼は小河原。間違いなく自分の部下で、自分の後輩だ。

 

「それで、次の鹿児島行きは十二分後に来るそうです」

 

 彼は確かにここにいる。ここで職務をこなしている。

 

「そうか……」

 

 

 青葉だって確かにいるはずだ。この国に、この世界に。

 飯田と青葉の付き合いは短くない。彼女とは何回も言葉を交わした。

 

 

「なら、さっさと行こう……今日中に鹿児島の視察を終わらせる」

 

「で、明日の定例会に提出ですね」

 

 

 だがなんだ?

 あの青葉の……あの違和感は。

 

 

 

 

 もし『朝潮』ががそれに反応したのなら――――

 

 

 

 青葉の台詞が反復される。

 

 

 

 ――――これは、本物の案件ですよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呉。

 

 広島県にあるこの都市は、言わずともしれた軍事と造船業が見事に噛み合った海軍都市である。この街でも夏は平等に去り、それでも夏の温度を残したままの瀬戸内海が街の顔色となっている。

 

 そんな呉市の一角。海軍呉鎮守府。

 

 廊下を歩く男がいた。青褐色の第三種軍装。基本的には国内で着用されるものではない。戦地や事変等に勤務する時、またはその地への往復時に着用するもの……すなわち彼は戦場から戻ってきたばかりということだ。

 

 これは基本的に士・下士官・士官で大きな違いがないのが特徴な第三種軍装。その開襟平襟に刻まれた階級章は海軍大尉であることを示している。

 

 と、彼は歩みを止める。理由はもちろん、声をかけられたからだ。

 

「大尉!」

 

 振り返れば、かつての部下の姿が。

 

「小牧か……懐かしいな」

 

 小牧。二三下の後輩だ。今はそう……敵生(敵対的危険生物)対策室に所属している。

 

「お久しぶりです」

 

 小牧の表情はいつも通り動かない。

 

「俺のことを探していたのか?」

 

 そして、彼は要件なしで人に話しかける人間ではない。

 

「瀬戸内海防衛に関する会議のついでです。大尉が今日帰ってくると聞いたので」

 

「そうか」

 

「室長から、あなたに言伝があります」

 

「……飯田から?」

 

 彼は携帯電話を持たない人間だ。厳密には私用の携帯を持たないという意味だが……小牧の今の室長――――飯田孝介――――とは同期であれど仕事上での付き合いはない。

 

「『直ぐに連絡を寄越してくれ』と」

 

「……そうか」

 

 彼は小さくため息をつく。それは相手が飯田孝介だからではない。

 ……飯田から接触があるということは、彼の予想通りにことが進んでいるということなのだ。

 

「分かった、助かったよ」

 

「失礼します」

 

 一応の労いに応じもしない小牧。まあ今更気にすることでもなく、彼は近くの電話に取り付く。ダイヤルを押す。コール音と形式的な挨拶。

 

「俺だ」

 

『お前か……待ってたよ』

 

 思ったよりか早かったな。電話の向こうには驚きの色があった。彼にではなく、取り次いだ小牧への驚きだろう。

 

「で、なんの要件だ?」

 

 一瞬の間。

 

『青葉のことだが……お前なら知ってるだろうに』

 

 見透かしたような電話相手(飯田孝介)の声。

 彼は飯田よりも青葉と関わりが深い。そういう言い回しになるのも仕方のないことなのかも知れなかった。

 

 だが……いやだからこそ、彼の声は暗い。

 

「青葉の件なら外されたよ」

 

 そう、外されたのだ。

 逆に言えば、海軍情報局(こちら)では既に「案件」として扱われているということ。

 

『……嘘だろう?』

 

「で……俺が外れた後に、お前は青葉の接触を受けたんだな」

 

 彼の脳裏に青葉の姿が浮かぶ。

 それは飯田も同じに違いない。

 

『やはりというべきか……青葉(アイツ)は泳がされてるんだな』

 

「ああ、泳がせている。お前もあいつの言うことは聞いただろう?」

 

『……』

 

 相手は沈黙で返事をして、次の言葉を待っている。

 だから彼は自分に言えること、言うべき言葉を放った。

 

「アイツの言うことは無視しろ。狂わされるぞ……何か」

 

 しかしそこで彼は一旦言葉を詰まらせる。ここまでは伝えるべき情報だった。

 

「……何か、何か良くないことが起きてる」

 

 これは主観だ。ある意味では思い込みとも言える。彼にとっては「らしくない」ことなのかもしれないが、ともかくそう言えるのだ。

 ……だから、自身を「青葉の件」から外した上司の判断は正しいのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 それだけで通話は終わった。彼は空を見る。空にはもう夏の気配はない。

 

 

 

「敵対的危険生物……いや、深海棲艦」

 

 

 お前らは、何者だ?

 

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