毎年恒例の防災訓練からそろそろ一週間が経ちそうな帝都東京。
九月一日という大変分かりやすい日付が防災の日となっていても、もはや人々は震災の記録やその恐怖を思い出したりはしない。今日も各々の職場に向かう。
そんなこの街の臨海部。各国大使館などもある程度所在する港区に、その建物――――統合幕僚部庁舎――――はある。施設の置換えや地下壕の建設などが進んだ関係で統幕設置以来の建物ではないはずなのに、それでも古い雰囲気を纏う庁舎。
それが第一庁舎。核兵器が直撃しない限りは内部の要員を保護できるよう設計された鉄筋コンクリートに煉瓦の化粧を施したこの建物は、敵対的危険生物対策室が設置されている場所でもある。
「……従って、民間からどれほどの徴用を行えるかが重要になります。それに関しては、今後もそれぞれの漁業組合と協議を進めてゆく予定です」
それだけ言うと、夏服である第二種軍装を着た海軍尉官は自分の席に座った。会議室の中央に居座る卓上にはいくつかの資料や電子機器が並べられ、奥の壁には窓よりもずっと大きな世界地図がべたりと貼り付けられている。世界地図というよりか、アジア・オセアニアの地図と言ったほうが適切だろうか?
まあ、そんな細かい違いはどうでもいい。問題は紙製であるのをいいことに、その地図の其処ら中に文字が踊っていることだ。
……いつどこの輸送船団が襲われたか、それに伴う損失はいかほどか。どこの基地が攻撃を受けただの、守備陣地の構築情報、もしくは陥落の情報。それらの情報が日付ごとに刻まれ、部隊の配置を示す色分けされたピンが刺さっている。
……この地図、週が明けるごとに張り替えているはずなのにこの情報量である。SEATOの圏外である大陸中央部やガラ空きのはずの太平洋・インド洋にまで文字は踊り、そこから問題の発生地点へと線が伸びていた。
そんな地図を見遣った飯田は、しかしそれを見たことで生じた感情を押し殺す。彼はこの対策室の長であり、今この瞬間は司会進行役だ。
「よし、小牧大尉ご苦労。次は……九州並びに四国の防備体制について、小河原海軍中尉」
「はい」
飯田の声に反応し、さっと素早く立ち上がる小河原。
「小河原からはもう一つ重要な報告がある。十三番の資料も出してくれ」
飯田からの追加情報。
小河原は室内の陸海空それぞれの軍人が資料をめくる音を確認すると、僅かにその眼鏡の位置を修正した。
「小河原海軍大尉です。昨日と一昨日にかけて、自分と室長で九州、四国の陣地構築状況の確認を行いました。これを、第八次中央構造線要塞造成中間報告として統合幕僚会議に報告する予定です」
そこで小河原は一旦言葉を切る。
『中央構造線要塞』というのは、もちろん鹿児島から延々と続く要塞線のことである。九州山地を最終線とする南九州要塞。四国山地を最終線とする南四国要塞。淡路島要塞。和泉山脈を最終線とする南大阪要塞……大別して四つの要塞にて構成される。まさに日本の背骨である中央構造線を丸々要塞にした格好だ。実際には市街地の防護も行うためにその要塞は拡張され、堡塁や陣地、砲台の数は百を下らない。
……もっとも、壮大なのは計画だけで……完成している堡塁は、既存の淡路島要塞跡だけ、陣地の構築だって遅れている。砲台に至っては肝心の要塞砲の数が足りないという有様である。
これが『日本最大の要塞』の実情なのだから情けない。
そして、これが現実だ。
あとついでに言えば、これがカバーできるのはあくまで西日本のみ。中央構造線の東半分、すなわち東海・関東という日本の最大人口密集地は……要塞の構築など全く進んでいない。
いやそもそも、東海地方なんて実質沿岸部だけだ。道は沿岸に、海に沿うように発展した。街も同じように発展した。海の物流を、海の幸を、海のもたらす恵み全てを受けて発展したのだ。
いまや海は敵だ。敵は海からやって来る。どうやって守れと?
……これは感情論だ。だから誰もそんなことは言わない、口にしてはならない。説明するなら分かりやすく噛み砕いて『上陸を受けるのは沿岸部であり、東海地方は人口密集地帯が沿岸に集中しすぎている。地形的にも、
……資材も足りないし、機材も足りない。いやそもそも人材が足りない。
小河原がこれからする報告は、まあ一言で纏めてしまうのならそういうものだった。
「また、室長からも説明がありましたが……要塞に配備される予定の82式電磁投射砲の射撃実験が9月4日に行われました。これについても報告します」
自身の報告内容を説明した小河原は、それから細かな説明へと移ってゆく。その報告から問題点をあぶり出し、精査し、そして適切な部署へと課題として下ろす。それも敵対的危険生物対策室という部署の仕事だ。
統合幕僚部第一庁舎の食堂。出される食事は記憶のそれよりワンランク下がったような……いや、流石に軍の中枢である
「中佐、中佐」
第一庁舎はなんだかんだで広い。多くの職員が働いていて、もちろん顔見知りばかりではない。仕事がらみでなければそう簡単に声を掛けられるものじゃないし、しかし仕事がらみなら多くの部下は「室長」と呼ぶはずだ。
そうやって相手にあたりをつけた飯田は、ゆっくりと顔をあげる。
案の定というべきか、小河原の顔がそこにあった。
「……やっぱりお前か」
「隣いいです?」
飯田の投げやりげに放った「やっぱり」には反応せず、隣の空席に視線を流す小河原。
「ああ、構わないよ」
小河原は飯田の隣に座る。彼も食事を持って来たようだったが、彼は携帯を取り出し、そして飯田にも見えるよう画面を傾ける。
携帯の画面に映し出されているのは、ごくありふれたニュースサイトの画面であった。
「今さっき上がったやつです……『静岡県、「敵対的危険生物への対処行動」に関する避難マニュアルの全県民への配布を開始』だそうですよ」
「……思ったよりか早いな」
飯田がそう言うと、小河原は怪訝な表情を浮かべた。
「いや、遅いでしょう……?」
静岡県。これは敵対的危険生物の攻撃への備えがろくに進んでいない東海地方のど真ん中にあり、そして背後に山地を抱えるという最悪な地形を持つ県である。
製造業が少なからず立地する県とは言え、こんな海と山に挟まれた狭く細長い平地の防衛は不可能。加えて神奈川・愛知という莫大な人口を抱える二つの県に挟まれている事情もあり、東海地方を守備している第一軍の作戦計画も「攻撃があった際には必要最小限の作戦展開を行う」となんとも中身のないものとなっている。
つまり軍が住民の避難活動を支援するかどうか、それは状況次第ということだ。静岡にのみ敵対的危険生物が来襲するのならば支援をためらう理由はないのだが、まさかそんな優しい戦術を敵対的危険生物がとってくれるはずもなかった。
「二か月前は知事から地方新聞まで、政府の
「『好転』って……国民が一致団結してるのはいいことだと思いますが……」
小河原はそこで一旦言葉を区切る。彼らしくもない。普段の小河原ならば、ここでブラックジョークを――――それが軍人のあるべき姿なのかどうかはともかく――――放つのではないのだろうか。
「……らしくないじゃないか」
飯田がそう言うと、小河原は驚いたような表情をした。
「らしくない? そもそも『らしい』ってなんですか?」
「あ、いや……気を悪くしたならすまん」
「いえいえ、気にしませんって」
そう言いながら小河原は上体を反らす。視線は食堂の、どこか空中に向けられていた。
「……まぁ、本調子じゃないのは事実です」
「……」
小河原は本調子でないと言う。飯田も彼の違和感を気にしていた。この違和感は彼がマダガスカル――――共産主義の支配する地――――に赴いて以来である。
飯田は小河原の次の言葉を待つ。彼は少し迷うように、その眼鏡を僅かに動かした。
「……赤欧海軍のシュナイダー少佐、覚えてますか?」
「ああ……あいつか」
シュナイダー少佐。ソビエト・ヨーロッパ海軍の技術士官と名乗った男。無意味に洗練された日本語が思い出される。
「彼から、いろいろ聞きました」
「……世間話か?」
飯田は僅かに目を細くした。
それは所謂”雑談”と呼ばれるものなのだろう。だから、報告書に記されることはない。素性が分からない人間との会話ほど危険なそれはないが……小河原は理解しているのだろうか。
「ええ、そんなところです」
それだけ言うと小河原は自身の昼食へと視線を向ける。
「アーベル・シュナイダー……ヤツは危険人物か?」
僅かな思考の後、飯田は切り込むことにした。
小河原は回り道をすることはあるが、少なくとも無意味な会話を重ねる人間ではない。しかしこれ以上口を開きそうにない様子を見るに、「何か」があるのかもしれない。それをワザと匂わせているのなら……。
「危険人物ですね、間違いなく」
即答だった。そして続ける。
「彼は、紛れもない欧州人です」
「……そうか」
そうか。とは言ったものの、勿論全く理解は出来ていない。しかしこれは即ち、これが精一杯だということだろう。マダガスカルで何を見聞きしたか。報告書には書かれない、それ以上のことがあったのだろう。
「で、話は変わりますけど」
急に調子を「らしい」それに戻す小河原。つまりこれで終わりということ。
もしも自身に関わることであれば、いずれまた噴出するだろう。
「ん、なんだ?」
飯田も小河原から少し意識を遠ざけ、食事の味付けへと意識を戻す。
「自分、どぉも気に食わないんですよね」
当たり障りのない会話のはずだが、どうも雲行きが怪しそうな言い方。
「……何がだ」
「アレですよ、中央構造線要塞の
「……『イザナキ計画』、か」
イザナキ。お察しのとおり、日本神話に登場する神様である。なんでも、彼の息子たちがこの日本列島、大八洲なんだとか。神話が真実であるのは確定的に明らかであるから真偽に関する議論は置いておくとして、ともかくこの国土を作りたもうし神なのである。
で、列島中で現在進んでいる防御設備の構築、それらの計画を全てひっくるめて『イザナキ計画』と呼ぼう。という議論が進んでいるのである。まあ要するに計画を統合することで分かりやすくしようという話なのだが、名称を『イザナキ計画』とすることに意義を見出している人間もいるようだった。
「気に入らないのか? お前なら喜んで話のタネにするだろうに」
飯田は面白半分、そして呆れ半分でそう言う。小河原は控えめに笑った。
「いやいや、そりゃもちろん素晴らしいことだと思いますよ? SEATO各国が次々と倒れゆく中で、我が祖国は己にしかない神話を盾にする。この国だけは破滅から免れることができる。イザナキ様の神話を再現することで、この大八洲は新たなる時代を踏み出す!」
小河原は調子よくそう言う。周囲はそれを怪訝な目で見守っている。
彼の言うことは間違っていない。『イザナキ計画』というのは、これまでの個々の計画――――つまり中央構造線要塞計画や浦賀要塞再建計画など――――を統合する。という表向きの目的よりも、敵対的危険生物への対処行動計画に
「……でも思うんですよ、それに国を挙げて取り組むのは、なんかこう……違うなぁ、と」
飯田は黙って小河原の言葉を待つ。
「神話って、それぞれが大事にするから神話なのであって、神話によって何かが守られるわけじゃないと思うんですよね」
しかも、今回の件に関しては完全にこじつけですし。小河原はそう言ってから水の入ったコップに手をつけた。
イザナキの国生みは淡路島から始まったらしい。その淡路島要塞は廃止されたとは言え、殆どの堡塁が手をつけられずに残っていた。だから淡路島要塞が一番目。次に四国、隠岐、九州、壱岐、対馬、佐渡……最後に本州。
まあ隠岐や佐渡に要塞を建築する意味はほとんどないので当てはまらないだろうが、本州の要塞構築が浦賀半島と東京湾以外で進んでいないのはよく知られていることだ。それをある意味では正当化してしまっている。もちろん、この神話自体研究はロクに進んでいないので説得力は皆無なのであるが……それでも、不気味に何かを示唆しているようにも感じられる。
「……中佐は、どう考えてます?」
小河原は飯田へと質問を振った。飯田は少し時間を置いたが、迷いなく言い切る。
「どのみち、戦線というものは
「名前は関係ないと?」
「重要なのは作戦の内容だ、それだけ確かならそれでいい」
飯田たち軍部に課せられているのは、防衛計画の立案とその実施だけである。
「まあ、それを言っちゃおしまいですけども……」
そしてそれ以上の会話は続かない。飯田は部下と共に無言で食事を続ける。
そのまま昼食の時間が終わるかに思われたが……その考えは予期せぬ来客により打ち砕かれることになる。
「ん……?」
先に気付いたのは小河原だった。
「どうした? 小河原」
飯田が小河原を見ると、小河原は注意を食堂の出入り口へと向けていた。
「あぁ……あれ、見てくださいよ」
何があったのだと飯田がそこへ注意を向けると、そこには海軍の将官が。
しかしまあ、将官なら別に珍しくはない。
「あれは……大迫閣下?」
そう、その姿は大迫善光海軍大将のものだったのだ。海軍幕僚長という要職にある彼は、普段は霞ヶ関の海軍省にいることが多い。港区の統合幕僚本部には会議以外では顔を出さないはずなのだが……。
そんなことを考える間にも彼は食事を頼み、そして受け取る。
そして迷うことなく飯田たちの所、いや飯田の所へとやって来た。
「よう、元気にやってるか?」
「大迫閣下、どうしてまた……」
飯田がそう言うと、大迫はその大きな肩を揺らして笑う。
「ここのステーキは美味いからな、稀に来たくなる。別段珍しくはない」
「そう、でしたね」
飯田はやや詰まったような一瞬を挟んでから返した。
「あ、では自分はこの辺で……」
気を使ったのか、単に食べ終わっただけなのか。恐らくその両方の理由で小河原が席を立つ。閣下、失礼しますと言って脱帽時の礼をすると、そのまま出口の方へと向かっていった。
「……調子はどうだ?」
小さく、ただしはっきりと大迫から放たれた言葉。気遣いから入るのは珍しいことだった。
「そうですね、当初と比べれば連携は段違いに良くなりました」
もっとも、仕事量も段違いに増えているのですが。そう言って飯田は少し笑ってみせる。大迫もそれに応ずる形で満足気な表情を浮かべた。
「対策室への評価はなかなかいいぞ。仲介役がどこなのかハッキリしてる分、陸海での情報の錯綜がないからな」
「ありがとうございます」
敵対的危険生物対策室。初めこそ琉球諸島事変という
「メディアからもある程度は注目されるようになってきてるようだが……」
「ご安心を、問題など起こしませんよ」
「ははは、聞かずともそんなことは分かってるよ」
飯田の自信満々な答えに大迫は目を細めて笑う。しかし次の瞬時、その笑いは消えていた。
「ま、その「出世」をよく思わない奴もいる。用心に越したことはないぞ」
「出世、ですか……」
出世。その言い方は、飯田に特有の色をもって響いた。
無論、設立を命じた上層部はそれを見越していたのだろう。大迫閣下のように
それでも、対策室の設置を一時的なものと考えていた人にとってしてみれば……対策室は出世……いやそれどころか「大出世」を遂げたように見えるのである。情報を集約し、そして処理する。それはつまり作戦の立案を担っているということである。もちろんその為の対策室なのだが、その作戦を承認し実施するのは統幕本部。情報共有のための組織と勘違いしている者は組織内にも大勢いたのだろう。
純粋な嫉妬と切り捨てることも可能だが……飯田のように若い人間が室長というのは、傍から見れば非常に危険な人事なのである。なんせ飯田はまだ40代だ。
飯田の様子をどう見たのか、海軍幕僚長は食事の手を止めてまで対策室長に顔を向けた。
「ま、私が幕僚長でいるうちは何も言わせんよ。安心したまえ」
そして、今日もいつもどおりに陽はビル群の向こうへと落ちる。沈んだ太陽の代わりに照明器具が街を照らす。しかし所詮は人工の灯火、空を照らすことは無論叶わず、この一千万人の住まう都市は闇に包まれていた。
「すまん、今日は帰れそうにない」
飯田は庁舎を出るなりそう言った。もちろん携帯に向かってである。彼は家路に着くかのように歩いているはずなのだが、なぜか家族に帰れないと言っている。
『Oh……そうデスカー』
別に何か意図があるわけでも、必要性があるわけでもない相槌。
それに残念そうな響きが篭っていても、少し安心してしまうのは気のせいだろうか?
「すまんな、朝飯もいらないから」
『分かりマシタ……Daring、頑張ってくだサイネ?』
「当たり前なこと言うな……じゃ、頑張るよ」
そして通話は終わる。飯田は一度足を止めた。
もうすっかり暗くなった町並み。九月ともあれば陽が落ちるのにはまだ時間がかかるわけで、今日の飯田も定時退庁というわけではない。
しかし帰れば必ず食事を用意してくれる彼女。負担をかけているのは間違いなく、それを断るのは他人に言わせるなら勿体無い。自分で言うなら申し訳ないものだった。せめてもう少し早く帰れないと伝えてやることは出来なかったのか、と。
しかし、それをすべきではないと飯田は判断した。
いや……判断ではないか。飯田は自分に良い方向に向いてしまった思考を咎める。
判断ではない。これは強制である。
飯田はこの敵対的危険生物対策室長に任じられる以前、海軍幕僚長補佐官をやっていた。大迫善光の補佐官をやっていたのだ。
加え、彼が中心人物を務める「新時代水雷戦の研究会」にも飯田は所属している。
――――ここのステーキは美味いからな、稀に来たくなる。別段珍しくはない。
真っ赤な嘘だった。
確かに大迫閣下は
そういう訳で飯田は何かがあると踏んだ。普段以上に彼に注視した。
そして、去り際のほんの一瞬、周囲にいた大勢に気付かれぬタイミングに……一枚の小さなメモが渡されたのだ。
「……」
無論、それは既に焼却処分済みだ。煙草を嗜まないゆえに普段灰皿などを使わない飯田には自然に燃やせる場所を探すのには苦労したのだが、まあそんなことはどうでもいい。
内容を頭の中で反芻する。随分と丁寧な説明、これに従いさえすれば、きっと目的地へとたどり着くのだろう。移動手段が代わり映えのないものであることを考えると、案外自分に張り付いているスパイを
「……いや、ないか」
飯田はまたしても都合の良い結論を出そうとしている思考を止める。
飯田孝介、敵対的危険生物対策室長。
この役職はあくまで各部署の意見を集め、そして整理・調整するからこそ権力を握る部署なのだ。最初期の対策案は確かに飯田が作成したものだが、しかしそれはあくまで骨格。これほどまでに規模が膨らみ、予算が人材が注ぎ込まれた今……彼の案などその香りすらも感じ取ることはできない。
もちろんそれは、それほどに状況が大きくなっている。まあつまり、立案を命じた大迫海軍幕僚長の読みが当たったということだ。
そして、飯田の頭の中の紙切れに記載された内容も、その大迫海軍幕僚長から送られたもの。
「大迫閣下……私を何に巻き込むおつもりですか?」
だから、言葉と裏腹に飯田は笑っていた。
飯田は所詮海軍中佐である。いくら要職に就いていようとその事実は覆らない。一佐官だからこそやれることもあると思い邁進してきたが、やはり敵わないものの方が多い。
それと同時に、『対策室長』にとって今という時期が重要なこと。それを大迫善光は、飯田以上に把握しているはずだった。
それでも、それなのに飯田に声がかかった。いくらでも代わりがいるはずの海軍中佐を呼ぶだけの理由があるのだ。
だから、なぜ呼ばれたのか予測も立つ。大迫閣下が自身に漏らした「情報」とは何かを考えればいいのだ。
その情報は――――X-Day、そして……
――――『朝潮』だ……少なくとも『本人』はそう名乗った。
『朝潮』。戦没した潜水艦「朝潮」から回収されたらしい『何か』。大迫閣下はX-Dayの情報すらそこから手に入れたという。仮に『補給級』や豪州侵攻でその信憑性が多少薄れようとも……あのガラス管の中に、確かに『朝潮』は君臨していたのだ。
そう、自衛海軍が「朝潮」を喪失した2013年から……九年もの間。
――――『朝潮』に出会ったなら、是非
それを考えたとき、即座に浮かぶのは先日の彼女の笑みであった。
なんだ、この畳み掛けるような展開は。
青葉記者と大迫閣下が繋がっている? いやありえない。なんせ大迫閣下は
――――アイツの言うことは無視しろ。狂わされるぞ。
そこで思い出すのは同期の言葉。そう、今このことを視野に入れてはならない。飯田孝介は大迫善光に呼び出された。今分かっているのはそれだけだ。
闇は答えず、とはいえ海軍幕僚長を疑うつもりもない。
愛国者にとっての答えは求めるものではない。与えられるものだ。それが理想形なのだ。そうでなければならないのだ。
考えを断ち切る。歩みを進める。
海軍中佐は闇夜に消えてゆく。