『沖縄市民のぉ、仇を取れぇ!』
窓の外からでも聞こえる大きな声、外の様子を確認するつもりもないし、外の市民たちにこちらが自分たちのことを気にしていると感じさせる訳にもいかない。だから飯田は、顔を動かさず小さく溜め息をついた。
「相変わらず元気な国民だ、我が国の未来は明るい」
飯田の隣に座るのは満足げに肩を揺らす大迫海軍幕僚長、確かに日本が封鎖されるかもしれないというこの状況において、これだけ豪勢なデモを行えるということはまだまだこの国に余裕がある証拠だろう。
『デモ』と聞くとどうしても暴徒化やら幹線道路封鎖、革命など嫌なフレーズが思い浮かんでしまうが、もともと『デモ活動』とは公の場で自らの意志、主張を示す活動のこと、自らの意志を示すべくデモンストレーションを行うことだ。
それは決して悪いことではなく、むしろ民主主義国家に必要なものだ。完全無欠な政治など存在しないし、少数意見を無視するのが民主主義の本質だ。言うべき意見はしっかり言わないと握りつぶされてしまう。そのための表現の自由、言論の自由だ。
むしろデモが起こらないという事は、その国の民主主義が機能不全に陥っているということである。もしくはデモ活動をするほどの余裕がないほど国民生活が困窮しているか。
この敵対的危険生物になかなか強硬な措置を取ろうとしない政府に対するデモは、かれこれ一ヶ月以上続いている。毎日毎日ではないが、毎週末は必ずどこかで集会がある。アメリカが遂に敵対的危険生物に対する報復を宣言、討伐艦隊の編成に入ってからは再び国民の意識が燃え上がり、今日は月曜日だというのに大勢の市民が詰めかけている。
そう考えれば、政府庁舎の目の前にこれだけたくさんの市民が押しかけていることは、喜ぶべき状況なのである。国民生活はまだ大丈夫、そして国民は沖縄市民百万を殺めた敵対的危険生物に報復を求めている。士気は高い。
デモ隊が警官の誘導で徐々に道をあけ、それに合わせて車も進んでゆく。飯田は意を決したような表情で口を開いた。
「閣下、一つだけ聞いてもいいでしょうか」
「お前らしくない言い方だな」
「オリンピック作戦が11月1日にあるとする理由です。あなたは以前、『知っているから知っている』と答えました」
「ああ、答えたな」
先ほどと同じ調子の大迫、しかしその視線は飯田に向けられることなく、まっすぐと前部座席の背もたれを貫いていた。
「私はこの作戦の立案者です。本当ならばこの作戦を構成する要素は全て把握していなければなりません、ですが作戦を立てる上での条件、前提を示したのはあなたです。あなたの情報を除いた途端、この作戦は不確定要素だらけになってしまう――――教えてください――――『どうして』11月なのですか」
全ての計画は『10月中に防衛線を構築する』という目標に向かって進んでいる。それ以前に上陸されたら全てがおじゃんになりかねない。それ以前に今すぐ東京湾に敵対的危険生物が現れないという保証すらない。なんの情報もなしに作戦を立てるならば、飯田は直ちに沿岸部の放棄を具申したことだろう。それがこの国の経済にどれほどの影響を与えると知っていても、だ。
だから大迫は自分に
「これから秋にかけて西南諸島は時たま台風の影響を受けるようになる。元寇の二の舞は避けたいと敵さんも考えた」
「その予想をしたのは誰です?」
「なぜそれを問う」
「信憑性を確かめるためです、先日――――ジャワ島が侵されたのはご存知ですね?」
大陸を除けば世界でもっとも多くの人が住む島、ジャワ。古来より大スンダ列島の人口分布の中心であったこの島は、1億をゆうに超える人間が住んでいる。人口密度も相当なものだ。日本にはない資源もあり、はるか植民地時代より、欧州列強が利権を争ってきた。
「なぜこのタイミングでジャワなのか、タイミングが滅茶苦茶過ぎます。やつらには必ず最終目的がある。閣下の情報を除いてもそれは推測できます、ですが・・・」
敵対的危険生物の侵略は少しずつ広がっていた。まずは列島線から外れた離島を、それから大して人も住んでおらず、戦略価値も低そうな群島を。
だが侵略といってもほとんどが少しだけ上陸して人がいないかを探す、といった程度で終わり、かつて大迫が示唆した陸上に基地を築くような行為には一度も及んでいない。
それは貨物船への破壊行為に関しても同じことが言える。海上保安庁主導による船団方式が採用されて以来、被害トン数は一気に減った。
敵対的危険生物は飯田の想定に反し、戦略の片鱗も感じられない動きをとっていた。それを何か――――例えば大規模な作戦の準備段階に各部隊があるのを――――隠そうとしていると解釈することもできたが、その割に奴らの動きは野生動物のそれに似たものが感じられる。一匹なら襲われるが、群れた途端に襲われにくくなった輸送船団などその典型ではないだろうか。
それがいきなりジャワ島である。敵対的危険生物のジャワ島襲来というニュースは先日のアメリカ大統領の声明をたちまちニューストップから叩き落とし、SEATOの緊急会合が開催中だというのに大東亜経済会議の臨時開催が決定されるなど、軍事面よりも政治的な影響が大きいと世間一般では見なされている。もちろん、経済的影響も大きいが・・・そんな些細な事はどうでもいい、見失ったのだ。
――――やつらの目的は何か?
飯田だけでなく世界がそれを見失った。
大迫は一言も発さずに沈黙を作る。飯田もこれ以上言葉を重ねて詰め寄るようなことはしない。こんなことを聞くのは大迫を信用していないと自ら言うようなものだ。だが、個人個人の信用を気にしている状況ではない。飯田としてはとにかく今情報が欲しかった、今持ち合わせている情報の裏付けも欲しかった。もし大迫にとってこの質問が不利益になるなら自分を対策室から外せばいい、代わりはいくらでもいるし、もし大迫という軍人が自分のために権力を振るう人間なら、どのみちこの国は負けるだろうし、大迫はそんな人間ではないはずだ。
そんな半ば投げやりな気持ちで飯田は大迫に甘えた、恐らくは自分以上に知っている彼に『訊く』という形で。だから飯田はこれ以上詰め寄る気には到底なれなかった。ここまで聞いてしまったのだから開き直ってしまうという選択肢もあっただろうに、それは彼の――――あるのかどうかも怪しい――――プライドが許さない。
大迫は遂に飯田に顔を向け、沈黙が破れる。軽い口調は消え失せた。
「敵対的危険生物が『ダウンフォール作戦』と似た作戦をとってくるだろうという話はしたな?その根拠も見せた」
ダウンフォール作戦、南九州占領と関東地方への上陸により太平洋の日いずる国、日本を文字通り「
「九州上陸であるオリンピック作戦、日本の終焉が始まるのは11月1日、そう言ったのは私だ」
自動車がデモ隊を通り抜け、庁舎の敷地内に入る。これで大迫が問い詰められる時間は終わった。彼はここで話を切り、庁舎へ入るのだろう。立場が逆ならば飯田はそうする。だが彼は、話すと決めた。きっと話してくれるだろう。
大迫は口を開く、それから、一言、
「地下駐車場まで回してくれ」
話すかどうか迷っているのか、それとも飯田のことを試そうとしているのか。ともかく大迫が選んだのは先伸ばしであった。ここへ来た目的が始まるまでまだ時間はある。だが、軍令部に掲げられた『常在戦場』の言葉通り、内地にいても一瞬の判断が生死を決めると思え、そう常々言う大迫らしくはない。
先程までのようにデモ隊がいるわけでもなく、たちまち自動車は地下駐車場に入る。駐車場はそこそこ埋まっている程度で、運転手がもっとも入口に近そうなスペースを求めて自由に駐車場を散策する。
「XDAYは11月1日、その根拠はある」
――――大迫の選択は。
「だが、それはまだ言う時ではない。そして残念なことに君の求めるこれ以上の情報もない」
――――『言えない』という事実を伝えることだった。
軽蔑するかね、先延ばしをする私を。そう言いたげな大迫、違う、飯田が一瞬でも彼のことを軽蔑しようとしたから大迫がそんな顔をしているように見えるのだ。大迫は自分に真実の一端を教えてくれた。それでも彼は、飯田に託す部分のみを託し、後は大迫自身が全て抱えるつもりなのだろう。相変わらず強い人だ。彼が本心で思っていることなど、一度たりとも見えはないし、解答を考えずに教えを請うた自分には理解できないに違いない。
「着いたな、では行こうか」
大迫が会話の終わりを宣言する。運転手が扉を開け、大迫は冷たいコンクリートの上に立った。飯田もそれに続く。
結局自分は何を聞き出したかったのだろうか。答えは解っている・・・自分の立案した作戦に自信が持てなかったのだ。だから進むための自信を他者による裏付けに求めた。
大迫閣下、私のことを、あなたはどう評価しますか。その言葉が、喉より先に出ることはなかった。
この机は何年前からここに居るのだろうか。いくつのどうでもいい会議と国を揺るがすような会議を経験したのだろうか。無機質な、しかし格だけは見せつけようとする机。自分も机のように常に物事を俯瞰していたいものだ・・・いや机の場合は見上げることしかできないか。またしても頭の片隅でそんなことを考える飯田。自分に自信が持てないからこうやって現実逃避をしてしまう。そんな自分にもっとしっかりせねばと言い聞かせる。
飯田は今彼がいる部屋を見回した、詰めかけるのは様々な服装。普段過ごしている制服ばかりの職場とは違う風景だ。そしてそれが、この会議の重要性を物語っている。
どうやら出席者が揃ったようだ。端で待機していた一人の男が決まり文句とも言える挨拶を始める。それを一応耳に留めつつ、飯田は周りがこちらを気にすることがないよう椅子に座り直した。今日の会議、何が起こるか見当もつかない。大迫からは質問があればそれに応えるように言われてはいたが、どんな質問が飛び出すのやら。
「ひとまず、我が国が置かれている現状を確認したいと思います」
気づけば挨拶役から司会役に変わった彼の言葉に、ゆっくりと場の空気が張り詰めていくのがわかる。ここまではシナリオ通り、ここから先は、どこまでが出来レースか分からない戦いの始まりだ。人影が一つ立ち上がり、それと同時にプロジェクターを投影するための真っ白で光沢のあるスクリーンがスルスルと降りてくる。
「海上保安庁の奥田です。ではまず、現在本庁が行っている貨客船破壊行為に対する対処行動についてご説明いたします」
プロジェクターに飾り気のないタイトルが映し出される、次の画面では大きな海図が示されている。それは九州から始まり、シンガポールまでつづく海の道。先へ進めばインドまで到達し、場合によってはイラクやクウェート、首長国連邦などの産油国へと繋がるはずなのだが、ここでは見事に省略されている。念のため言っておくが省略されたのは敵対的危険生物による破壊行為のほとんどがこの海図に示された地域で行われているからで、石油の主な輸入先は満州国や中華民国だから中東諸国まで伸びるシーレーンを軽視しているというわけではない。むしろアフリカ大陸などから輸入されるレアメタルは重要だし、豊富な資源を持つ中東を軽視する理由はない・・・もちろん豊富な資源が終わらぬ情勢不安を算出しているのだが。
「我が国と大東亜経済会議加盟諸国を繋ぐ海上運送網・・・ここではシーレーンと呼ばせて頂きます・・・シーレーンは主に次の航路により構成されます」
日本が大国であり続けるためには産業を、経済サイクルを動かし続ける資源が必要不可欠だ。そして、この国にはそれがない。それが『聖戦』とやらをでっち上げてまで世界に戦いを挑まねばならなかった理由で、今の日本もその黒幕に操られているままだ。しかし、そのおかげで今の日本は繁栄を享受している。
まったくもって資本以上に厄介な存在だ。資源国にとっての資源がそれを巡る汚職や内紛によって故郷を汚される「呪い」ならば、資源を持たずにシーレーンという名の鎖に振り回され続ける我が国にとって資源は「悪魔との契約」といったところか・・・面白くもない喩えだ。
この国の主要な資源輸入国とそこからこの国まで繋がる道を一通り紹介したあと、彼は大げさに手を振りつつスライドを切り替えた。
次の瞬間スクリーンに投影されていた地図にいくつもの点が描き出されれる。それらは先ほど彼が説明したシーレーンをなぞるように、もしくは離島もないような太平洋のど真ん中にポツポツと広がっている。それらの点は黒と赤、二種類の色で分けられていて、赤い点の方は数がかなり少なかったものの、『ある海域』に集中していた。
「表示されているのはこれまでに消息を絶った貨物船が最後に確認された地点です。破壊行為の被害にあった船舶が襲われた海域と考えていただいて差し支えありません。黒点が琉球諸島事変以前の被害、赤点が琉球諸島事変以降の被害を示しています」
部屋の空気が少し揺れる。琉球諸島事変以降、つまりやつらが我々の目に留まるようになって以来の被害はある海域・・・沖縄諸島周辺に集中していたのだ。これまで単独行動している船なら無差別に襲っていたであろうやつらがこれほど分かりやすく動いているということが意味するものは大きい。
「沖縄陥落後に敵対的危険生物が沖縄諸島周辺へ集結しているのは間違いなく、それによって破壊行為からの民間船の保護も、本土から中華民国までの僅かな距離を行えば十分と我々は判断していました」
船団護衛方式・・・言うだけなら簡単だが、実際に実施するとなるとこれが難しい。そもそも一口に貨物船といっても原油を輸送するものからレアメタルを輸送するもの、穀物を輸送するものなど様々である。しかもそれぞれのサイズは数千トンの小型貨物船から十万トンのマンモスタンカーまで全く異なる。サイズが違えば最大速力や巡航速度、旋回性能も全く異なったものとなってくるので団体行動を取らせるだけで一苦労だ。
海上保安庁は数時間の時間と相当な労力をかけて船団を九州沖で編成、巡視艇数隻で取り囲むようにしてできる限りの高速で沖縄周辺海域の突破を試みる。
やつらが群れで進む船団にちょっかいをかけてくることはまずない。だがそれは向こうから仕掛けてくることがない、という意味であって、やつらの群れの中に突っ込めば襲われてしまう。ならばやつらの群れに入らぬよう回避しながら進み、必要あらば護衛の巡視艇を囮にしてやつらの注意を逸らす必要がある。
しかしやつらは海底に潜む悪魔のようなものだ。しかも沖縄周辺に集結されたせいで数がバカみたい多く、やつらがそう考えていなくても鉄壁の警戒網が構築されてしまっている。だから、海軍哨戒機の援護を得て配置を完璧に把握していたとしても全ての敵対的危険生物を躱す航路など存在しないし、こちらは海軍艦艇よりも遥かに鈍重な大型輸送船である。変針にも時間がかかるため結局最短ルートで突っ込む方が手っ取り早いように思えてしまう。
そのために、巡視艇は囮とされる。
「各船団の敵対的危険生物との遭遇は平均して2.3回、船団から貨物船の被害を出したことはありませんが、巡視艇は既に十二隻失われています」
公表こそされているが国民にはロクに報道されていない事実である。知らなかった者も多く、それぞれの表情が変わる。自分の隣に座る大迫は表向きの表情こそ動かさないが、思っている事は飯田と同じに違いなかった。
悔しい――――
部屋のざわめきが収まってきたのを確認した彼は、再び口を開いた。
「確かに損害は大きいですが、これまで目的である船団の護衛は達成されていました。そのため今後も日本―中華民国間の船団護衛を続行するつもりでいたのですが」
ですが、とここでひと呼吸置かれ、次の言葉に重みがもたらされる。
「ジャワ島の陥落により状況が変わりました。今後我々は、敵対的危険生物が沖縄周辺だけでなくジャワ島を拠点として破壊行為を仕掛けてくる可能性を考慮する必要があります。具体的な対策に関しては現在検討中ですが、近日中に報告できると思います」
いちばん重要なことをサラっと言って海上保安庁としては以上ですと話を終わらせて彼は椅子に座ってしまった。出席者たちが自分の省庁代表としての意見を確認しようと小声で話し始め、たちまち会議室はざわめきに包まれるかと思われたが、それを遮るように一人が立ち上がり声を上げた。それは空軍の制服を着ていて、空軍庁から来ている代表と思われる。
「報道ではインドネシア政府は未だジャワ島で抵抗を続けている。沖縄のような小島ならともかく、ジャワ島ほど大きければインドネシアにも勝ち目があるのでは?」
知っての通りジャワ島にはインドネシアの首都、ジャカルタがある。ジャワ島への攻撃は昨日・・・2022年4月10日に始まり、交戦開始から20時間が経過した今も戦闘は続いている。飯田が会議前に閲覧したSEATO軍戦術ネットワークによれば、ジャカルタはまだ陥落していないらしい。
「残念だが既にインドネシア政府は避難の準備を進めている。インドネシア海軍もSEATO各国軍と協力して民間人の脱出を最優先としているようなので、ジャワ島の放棄は時間の問題だろう」
そもそもSEATO軍としてはいかなる事態に対しても戦力の損耗は避ける方針だ、よって増援が送られる可能性もない。そう答えたのは外務省の人間だろうか、いくら前もって準備していたであろうインドネシア政府であっても全ての国民を逃すことなど叶わず、避難といっても対象は一部の上流階級だけに限定され、ほとんどの民間人は放置されることだろう。それを分かっていても各国は上陸された島は見捨てると決めていたのだ。一ヶ月間という猶予が、逆に犠牲者を増やす。
沖縄の悲劇が繰り返される。それも数千万人規模で。
それなのにここでは自国の権益を中心に会議が進んでいた。世界有数の都市であるジャカルタは東南アジアにとって重要な地であるはずだ。それでも、それ以上に重要な都市である東京にいる彼らにとっては対岸の火事だ。たとえそれがどんなに重要な同盟国の首都だとしても。
会議はそのまま続いてゆく、今後は資源輸送を陸輸に切り替えるのか、資源の目標貯蓄量はどこに設定するのか、市場へはどのようなペースでの供給を進めるのか、ジャワ島についての国民へのアピールはどうするのか。議題は多いがどれも国内の話ばかり。
防音の会議室に光が差し込むことはない。