彼女は夢を見る。
沈む事無き水の中、既知の夢を反芻する。
楽しい夢を。
哀しい夢を。
嬉しい夢を。
苦しい夢を。
遠い日の夢を。
戻れぬ日の夢を。
そんな、いつかの夢を見ては繰り返す。
果てなどない。未だ終わらぬ夢故に、終わる事はない。ただただ彼女は繰り返す。
何度繰り返したかなど考えもしない。
今はこうしているだけしかできないのだから、夢を見る事しかできないのだから、彼女はそうしているだけに過ぎない。
思い出に浸る為でなく、懐古に浸る訳でもなく、今を憂うからでもない。
彼女にとってその記憶だけが全てだった。だから思い出す。それだけしかないのだから、その記憶を夢に見る。
無意識の中に落ちていくのを彼女は拒む。ひたすらに暗い無意識の渦の中へ沈んでいくのは恐怖だった。ましてや彼女は水の中にいる。沈まぬとはいえ、これ以上落ちる事はないとはいえ、根源的な恐れを感じずにはいられない。
だから夢を見た。
それが叫びたいほど哀しいものでも、それがもがくほど苦しいものでも、それが震えるほど楽しいものでも、それが泣きたいほど嬉しいものでも、そのどれもが心を刺す痛みだったとしても、彼女は夢を見た。
恐怖を払拭する為に、或いは遠い日の夢を忘れぬ為に。──目覚めの刻も知らずに、彼女はひたすら夢を見る。
その無機質な室内には、およそ生命と呼べるものは存在していなかった。
コンクリートが剥き出しの壁に囲まれるのは複雑に入り組んだ機械達と、その中心に設置された円柱状の巨大な水槽のみ。
唯一生命と呼べるものがあるとすれば、水槽の中に漂う少女だけであった。
一切の衣類を身に付けず少女は水中にいる。生気を感じさせないその身体は、しかし、確かな生命の鼓動を発していた。
穏やかな表情で瞳を閉じる少女は微動だにしないまま静寂の時を刻んでいる。
だが、その静寂は一人の来訪者によって消え失せた。
来客が重い扉を開いた瞬間、静寂が支配していた室内を喧騒が侵略した。喧騒は多くの焦燥感に満ち、ただ騒がしいというだけのものではなかった。来訪者である初老の男もまた、気まぐれで訪れた訳ではない事を表すように緊張感のある表情で少女を見つめていた。
男はゆっくりと扉を閉め、部屋の中心に位置する水槽の前へと歩み寄る。
見上げる水槽には一糸まとわぬ少女の肢体。けれど下卑た思案などないかのような真摯な目で、男は少女を見上げる。
「──“再び”深海棲艦が現れた」
男はぽつりと零すように呟く。
それは極めて遠慮がちに、まるで己の行いを恥じる様な言動だった。
「どうか力を貸してほしい」
続けて男は言う。眼前の未だ成熟し切らない身体の物言わぬ少女へと祈るように。
その言葉に少女は薄らと瞳を開く事で応えた。
開かれた空のように青い瞳は目の前の男を捉えると、試すように暫く男を凝視し続ける。両者の視線は交差し、数十秒の後、少女の方から視線を外した。
外した視線の先には水槽へコードが直結している一つの機械があった。少女の意図を察した男はその機械を操作し、水槽の排水を開始する。
徐々に水槽の水は抜けていき、それに合わせて漂っていた少女もまた水槽の底へと足を着ける。完全に排水が完了したのを確認した男は、続いて左右に設置された作業用マニピュレータで水槽を撤去した。
拘束していた水槽が撤去され、自由になった少女は顔に貼り付いた前髪を直す事なく、無感情な瞳を男に向ける。睨む事なく、ただただ視線を男に向けた。
「……あれからどれくらいの時間が経ったのかな」
独り言のように少女は男に問い掛ける。
「貴方方が深海棲艦を全滅させてから、およそ一世紀」
男は事務的に返答した。
「そう……、百年か」
ならば、もう自分達が知っている人間はほとんど存命していないのだろう──と、少女は表情を変えずに心の中で嘆息を吐く。
「戦いが終わり脅威が去ったからと強引に百年も寝かし付けておいて、危機が迫ったら再び戦えって言うのかい? 知ってはいたけど、相変わらず身勝手だね」
「…………」
「キミ達には失望したよ」
少女の言葉に男は何も返す事はしなかった。
反論する事も、顔を歪ませる事もせず、変わらぬ強張った面持ちで少女の瞳を見つめていた。
そんな男を見て、少女は初めてその顔に表情を宿した。
「そんな顔しないでよ。別にキミが悪い訳じゃない。今のはちょっとした愚痴さ」
泣きそうな子供をあやすような優しい表情を浮かべて、少女は一歩、男へと歩み寄る。
「知ってたって言ったじゃないか。僕はキミ達が身勝手な存在だって知ってる。でも、それだけじゃない事も覚えているから……、そんな顔しないでよ」
「……すまない」
「謝られても困るよ。少なくとも僕は眠りにつけてよかったと思ってるんだから。……僕等はどこまでいっても兵器。平時は倉庫で埃を被っているのが正しいんだ、きっと」
「だが、人類は貴方方に報いる事も、労う事もせず、その力を恐れ、自由を奪った。その事は先人に代わり詫びなければならない。本来ならば英雄として謳われ、先の戦いで失われた艦娘達の分まで幸福になるべきだというのに……」
「無理もない事さ。深海棲艦を全滅させれば、今度はその脅威を消し去った僕等を畏怖するのは当然の帰結だよ。それに謝るというのなら僕等を眠りにつける事が決まった時に、当時の提督が死ぬほど謝ってくれたから大丈夫だよ。キミが詫びるまでもなく、ちゃんと誠意は伝わってる」
そう言う少女は当時の提督が土下座して謝っていた姿を思い出し、小さく笑みを浮かべた。その笑みを見た男は少女が本当に謝罪を望んでいない事を悟り、これ以上その事について言及するのをやめた。
「そんなことよりも……さ」
男が黙ったのを見計らって少女は躊躇いがちに声をかける。
「何か着る物をもらえないかな?」
一糸まとわぬ少女にそんな事を言われた男はハッと我に返り、すぐさま背を向けるともう一度だけ「すまない」と謝った。