雨は未だ止まず   作:藍川 悠山

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-幸運艦-

 

 濡れた身体を乾かし、長めの髪を一束の三つ編みに整えた少女──駆逐艦『時雨』は男から渡された衣服に袖を通していた。濃紺を基調に白と赤で印象付けられたその服は、彼女がかつての戦いで身に付けていた服装とまったく同じであった。

 

「保存されていた貴方の衣服を改修したものだ」

 

「よかった。着慣れた服装の方が戦い易いんだ」

 

「艤装も今用意している。少し待って頂きたい」

 

 先程の無機質な部屋から移動し、大きな窓に囲まれた広大な一室へと場所を移した二人は一つだけ設置された机に向かい合って座っている。広い部屋に対して、さして大きくもない机がただ一つだけしか配置されていないのはアンバランスであったが、元よりこの部屋はこうして談話する為の用途として設計されていないのだろうと時雨は察する。

 

 囲まれた巨大な窓から見えるのは暗い空と荒れた海。その広い俯角から地上よりも高い位置にある事がわかった。つまりここは展望室、或いは海を監視する為の部屋なのだろうと時雨は推察した。それにしても備品がなさ過ぎだとも思ったが。

 

「うん。それじゃあその間に聞きたいんだけれど、今、世界はどうなっているの?」

 

「数日前に出現し始めた深海棲艦の対応で、どこも大混乱だ」

 

「……ごめん、質問を変えるね。今までの世界はどんなだった?」

 

「平和だったと思うが。私が生まれた時には既に深海棲艦との戦いは過去の事で、各国の国益争いは水面下であったが、表面上は戦争もなく平和な日々だったと、今は思っている」

 

 彼女の質問の意図を理解しかねる男だったが、しかし、訊ねられた事を自分の意見として実直に答えた。

 

「そうか、それは平和だね。僕等が頑張った甲斐もある平穏さだ」

 

 男の言葉に時雨は瞳を閉じて頷く。そして「だからこそ彼女達は──」と囁く様な小さな声で続けた。その声は男に聞こえる事はなく、独り言として消えていった。

 

 目を開けた時雨は次の質問を投げ掛ける。

 

「僕以外の艦娘は? 他にもこの場所にいるのかい?」

 

「いや、この地域にいる艦娘は恐らく貴方だけだろう。眠りについた艦娘達は一つ所に纏めて国が管理している。おかげで編成が間に合わず各地で被害が続出している状況だ。艤装の整備をしていなかった事も含めて、対応は遅れに遅れているようだ」

 

 男の返答は的を得ていなかった。

 艦娘は国が一つ所に管理していると男は言った。だのに、ここには時雨一人しかいないとも言った。加えて言えば今時雨が着衣している服装も、そして彼女の艤装も用意してあった。説明と現状が一致しない事に時雨は眉をひそめる。

 

「わからないな。だったら今の僕はなんなんだい? そもそもとして失念していたけれど、ここはどこでキミは誰なのかな?」

 

 てっきり軍関係の施設かと思っていた時雨だが、そうではない可能性が脳裏によぎり身構える。そんな時雨の変化に気付いた男は慌てて訂正を加えた。

 

「誤解しないでほしい。ここは佐世保鎮守府で、私はここの責任者だ」

 

 そう言って名刺を一枚取り出し、机に差し出した。時雨はそれを確認する。そこには確かに男が言う通りの肩書が示されていた。とはいえ、ただの名刺などいくらでも偽れる。信頼できる証明には程遠かったが、しかし、目の前の男が悪意を以て自分に接しているようには思えなかった時雨は、一応としてその言葉に納得する事にした。

 

 それにしても──と、時雨は窓から外を眺める。見えるのは次々と変わり続ける空と海だけだったが、それでも見慣れたはずの佐世保の風景は一切見覚えのないものへと変貌していた。

 

 物悲しさを覚えながら、時雨は向き直る。そして男の言葉を待った。

 

「駆逐艦『時雨』。貴方は私が軍上層部にかけ合い、研究の名目で管理を任されている一つの例外だ」

 

「研究?」

 

「深海棲艦と同様に、艦娘の謎も未だ解明されていない。なぜ彼女達だけが深海棲艦に対して有効な攻撃を与えられるのか、なぜ深海棲艦に呼応するように人類の前に姿を現したのか、そしてなぜ両者は争うのか。その研究だ」

 

「…………」

 

「尤もそれは名目上の目的で、私が軍内で築いた地位を擲ってまで貴方を国の管理外まで連れ出したのはまた別の理由にある」

 

「その理由というのは?」 

 

 無感情な表情で時雨は男と向き合う。対する男はそんな時雨の視線に肩を強張らせた。

 

「私の祖父が常々言っていた。『自分達の世代が死んだら、きっと奴等は現れる。だから戦う準備をしろ』と。周囲の人間は老人の妄言だと笑ったが、父と私だけはその言葉を信じられた。なぜだかわからないが共感できるものがあったんだ」

 

「それで僕を連れだしたんだね」 

 

「ああ、貴方という戦力を手元に置いておきたかった。貴方にとっては迷惑な話ですまないと思っているが、祖父の言葉が間違っていると思えなかった」

 

「……いいや、迷惑なんかじゃないさ。キミのおじいさんは正しかったよ」

 

 無表情だった時雨は不意に笑みを浮かべた。やはり人間は身勝手なだけじゃない事を再確認するように満足そうだった。

 

 男は突然の笑顔に困惑しつつも、肯定の言葉に胸をなでおろした。

 

 そうしていると時雨の艤装が台車で搬送されてきた。艤装を運んできたツナギ姿の男達は初めて活動している時雨を見てざわついていたが、責任者である男の一瞥を受けて、そそくさと出ていった。

 

 奇異の目に晒された時雨だったが、まるで気にする素振りもなく運ばれてきた艤装へと手を伸ばし、装着し始めた。

 

「そういえばどうして僕だったの? 多くの艦娘が沈んだとはいえ、僕以外にもたくさんいたはずだけど?」

 

「え……、あ、それは……小型艦という条件で上層部にかけ合ったからで……」

 

「小型艦なんて僕以外にもまだそれなりの数が残っていたはずだよ? それなのに僕を選んだ理由は少し気になるな」

 

 言い淀む男へ時雨は更に問い掛ける。男は気まずそうに視線を逸らすが、注がれ続ける時雨の視線に耐え切れず、ぽつりと零した。

 

「最初は『雪風』を指名して出願したのだが認められず、次点で……、その……すまない」

 

「あー……、なるほど。なんだかすごく納得したよ」

 

 大本営としてもあの子は近くに置いておきたいよね──と、悲しきかな妙に納得してしまう時雨であった。 

 

 

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