雨は未だ止まず   作:藍川 悠山

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 ずっと昔に哀しい事があった。
 辛くて、苦しくて、泣きたくて。それでも何も訴える事も出来ないままに彼女は沈んだ。彼女達は沈んだ。

 守る為。或いは殺す為。その為の道具として生まれ、扱われ、そして壊れていった。

 それはいい。
 そういうものとして生まれ、そういうものとして扱われ、そういうものだからこそ壊れた。

 憐れむ事はない。憐れに思われる謂れはない。
 彼女達は自らの運命を全うし、没した。それを憐れとは、哀れとは言わせない。

 だが、それでも──

「■■■■■■■■■■■ッ!」

 忘れ去られるのだけは憐れだ。
 風化させられるのだけは哀しい事だ。

 彼女達と共に頑張った人達がいる。

 苛烈な時代。果ての見えない戦争の時代。
 その時勢の中で生きた人達がいて、彼女達はその人々を見てきた。

 喜怒哀楽。様々な感情を見た。
 希望に揺れ、絶望に暮れる表情を何度も見た。

 想いの果てはいつも暗い。
 憎悪か、後悔か、はたまた虚無か。

 そんな人達がいた。
 そんな哀しさがあった。 

 確かにいた。
 彼女達は覚えている。ずっと覚えている。
 
 だから叫ぶ。

「■■■ッ、■■■■■■■■ッ!!」

 確かにあの人達はいたのだと。
 決して昔話の住人ではないのだと。

 愛した人達を“どうか忘れないでください”と、彼女達は声にならない声で叫ぶ。

 想いは慟哭に乗せて。
 願いは砲撃に乗せて。

 溢れ出る切望を表現する。
 今ならば訴える事が出来るのだと信じて。




-記憶-

 

 落下は瞬く間だった。

 直下のアスファルトに着地すると、周囲に浅くヒビが走った。重い艤装を装着しているのだから落下時の衝撃は考えるまでもなく甚大なものだ。

 

 しかし、降り立った少女──駆逐艦『時雨』はまるで平然と立ち上がり空を見た。

 

「これは雨が降るね」

 

 そう呟いた途端、彼女の鼻先に一滴の雨が落ちる。それを皮切りに雨は続いて降ってきた。

 

 シトシトと降り始める雨を浴びて気持ち良さそうに瞳を閉じる。

 佐世保の海。雨の降る夜戦。彼女にとって、これ以上ないコンディションだった。

 

 瞳を開けて、敵を見る。

 既に相手も時雨を捉えている。航路を変え、先行している駆逐艦の一隻が彼女へ向けて進んできていた。

 

 シャチやサメを連想させる黒く巨大な体躯を以て、駆逐イ級は海を駆ける。それを見つめつつ、時雨もまた海へと飛び込んだ。

 

 姿勢を低くし、時雨は海を滑走していく。元より荒れていた海は雨と風によって、より激しさを増していたが、彼女は難なく海を走破していった。

 

 両者の距離が狭まったのを見てイ級は魚雷を発射した。射出されたのは四本。それらは前方扇状に広がっていく。

 波が高い今の海では魚雷を視認する事はほぼ不可能。なれば迎撃する事も同時に不可能となる。

 

 だが魚雷を気にする事なく、時雨は一直線に最短コースでイ級に接敵する。下手に回避運動をするよりも、迅速に危険海域を抜けてしまった方がいいという判断であった。ましてや海流の乱れた海だ。魚雷の進路など考えるだけ無駄である。

 

 運悪く魚雷が命中する事もなく、時雨はイ級へと接敵した。相手は射程圏内ではあったが、砲撃はせずに最大戦速でイ級へと近付いていく。

 

 イ級が飛び上がり、海面に隠れていた大きな顎を露出させる。人一人を軽々収めてしまうだろう巨大な口。噛み付かれれば艦娘といえど致命傷は避けえない。

 

 だからこそ時雨は確実にそれを回避した。

 至近距離まで接近しての急旋回。人の姿をしているからこその挙動であった。

 

 回避と同時に素早く反転し、顎と同じく露出したイ級の船底へと単装砲を発射する。砲撃は貫通し、イ級は黒煙をあげると、着水と同時に沈んでいった。

 

 一隻撃沈。しかし、速度を緩める事無く、時雨は左へと移動した。──瞬間、先程まで彼女がいた地点に水柱があがる。

 

 戦艦ル級による長距離砲撃。イ級は単なる囮に過ぎず、油断を見せたところでル級が仕留める。そういう算段だったのだろう。けれど、そんな戦術、時雨とてわからぬはずもない。彼女は一度深海棲艦を全滅させた艦娘の一隻なのだから。

 

「…………」

 

 時雨はル級に目を向けながら間合いを測る。

 彼女の武装ではまだ遠い。射程内に収めるにはもう少し接近しなければならない。邪魔さえなければすぐに飛び込める距離だが、深海棲艦はそれを看過しない。

 

 重巡リ級と駆逐イ級がル級の前に出て、その進路を塞いでいた。それを突破しなければル級に辿り着けず、されど突破しようとすれば集中砲火に晒される。単艦で行動している時雨には厳しい状況であった。

 

 だが、時雨の表情は変わらず平静。一切の焦り、狼狽はなかった。

 彼女は止まらない。足を止めるのは敵を全滅させた時のみ。駆逐艦が他の艦種に唯一勝るのは機動力。それを殺す意味などない。

 

 リ級とイ級の外側を回るように、時雨は大きく旋回する。

 途端にリ級とル級の砲撃が飛んでくる。水柱がいくつもあがる中を、時雨は縫うように進んでいく。

 

 砲撃が一時的に止んだ時、水柱の中から時雨の姿は消えていた。

 

 深海棲艦は無感情に時雨が消えた位置を眺めている。一瞬の静寂。気付いたのはイ級のみであった。

 

 イ級は咄嗟に、或いはそうしなければと思ったのか、すぐさまル級の背後へと急行し、その身体を盾として捧げた。──その叫びと爆発音は同時に響く。刹那の交差。イ級がル級の元へ辿り着いた瞬間、イ級は轟音と共に沈んだ。微かに叫びをあげながら。

 

 ル級とリ級が一斉にイ級が身体を向けた方向を凝視する。

 

 そこには両腕に大口径の砲塔を構えた時雨の姿があった。駆逐艦ならば本来砲撃できないだろう中距離で、正確にル級を狙って砲撃したのだ。

 

 そもそも消えたはずの時雨が、なぜル級の背後へと回れたのか。深海棲艦は無感情の瞳で困惑する。

 

 時雨は波間に身を隠していたのだ。

 荒れた海の高い波は小柄な時雨程度なら十分に姿を隠してくれる。加えて今は夜。元々視界が悪く、砲撃による水柱で隠れる瞬間さえ誤魔化せれば相手の捕捉を断つのは容易だった。

 

 そして背後を取り、彼女が持つ艤装そのものとも言える大口径連装砲による砲撃を敢行した。本来ならばあり得ない駆逐艦による中距離砲撃だが、彼女だけが持つ大口径連装砲によりそれを可能としている。尤も規格外のそれを扱うには速度を緩め、照準をしっかり絞る必要がある為、おいそれとは狙えないものではあったが。

 

 とはいえ、その不意打ちもイ級の活躍により本来の効果を発揮せずに終わってしまった。イ級は沈んだとはいえ、格上となるル級とリ級が残存し、同じ手は二度も通用しない。時雨にとって、ここからが正念場であった。

 

 砲撃の撃ち合いでは適う筈もない。

 こうなれば小細工なしに接近し、肉薄して戦う他に勝機はない。

 

 彼女の妹達ほどではないとはいえ、時雨は夜戦での心得を熟知している。ましてやこの程度の戦力差など、彼女にとっては絶望に値しない。

 

 せめて敵で海が見えないくらいの事はしてくれないとね──と、時雨は心中で笑みを浮かべる。

 

「それでも僕は絶望しないけど」

 

 左右に展開していた大口径連装砲を収納し、マウントしていた単装砲と連装砲をそれぞれ右手と左手に持つ。そして緩めていた速度を、一気に最大戦速まで引き上げた。

 

 ル級とリ級は近付かせまいと砲弾の雨を降らせ迎撃した。時雨の動きを予測して放たれた砲撃。がむしゃらに回避運動をして避けられるものではないと弾道を見て判断した時雨は、進路上に着弾するものと回避した先に着弾するものとを識別する。

 

 電探の補助もあり、その工程は瞬時に完了した。小刻みな操舵でタイミングと位置をズラし、時雨は砲撃を回避していく。至近弾すら許さない完璧な回避運動であった。

 

 あっという間に距離を縮めた時雨は右手の単装砲でル級を砲撃する。けれど戦艦であるル級の装甲は小口径の単装砲程度では撃ち抜けない。装甲以外の箇所を狙っても上手く防がれてしまった。

 

 そんな簡単じゃないか──と、時雨は思うと同時に、そこまで難しくもないけど──と断じた。

 

 ル級が至近距離の時雨を狙って砲撃する。しかし、時雨は容易く回避した。長い砲身と重い砲塔では、至近距離において駆逐艦の動きについてこれなかった。

 

 砲撃を回避した時雨はル級の横を抜けて背後を取ろうとする。だが、それを待ち構えていたかのようにリ級が眼前に躍り出た。

 

 両腕に装着された口状の砲塔が開き、砲身を覗かせる。

 重巡の砲撃。それを至近距離で直撃すれば大破は必至である。迅速な回避が要求された──

 

「……■■■ッ!」

 

 ──が、時雨は回避する事なく、リ級の懐に潜り込んでいた。そして両手に握る砲塔を肩の付け根に押し付け、躊躇う事なく接射した。肩口からリ級の両腕が千切れ、間もなく海中へと沈んでいく。

 

 時雨は困惑するリ級を蹴り飛ばし、更に魚雷で追撃した。至近距離で射出された魚雷は荒れた海の流れに左右される事なく命中し、リ級もまた海の中へと姿を消していった。

 

 背後の轟音を聞き、ル級は急ぎ振り向く。振り向き終わったその瞬間、ル級は空を仰いだ。否、仰がされた。

 強引に頭部を持ちあげられている。前歯が砕かれ、何か冷たく硬い物が喉を突き立てている。これでは叫ぶ事すら叶わない。

 

 突き立てられたそれは単装砲であった。振り向きざま、時雨が殴るように単装砲をル級の口内へと叩き込んだのだ。

 

「■■、■■……」

 

 突然の出来事にル級は放心して、ただただ空を仰いだ。

 見上げるのは雨が降る夜空。いつか見上げた暗い空。不意に幻視する火を噴いた自分の身体。寄り添う一個の影。ザリザリと頭の中が摩擦する感覚をル級は覚える。けれどわからない。わからない事を知りたくて、彼女は突き立てられた単装砲に抗い、顔を時雨の方へと向け──

 

「──残念だったね」

 

 時雨は単装砲の引き鉄をひいた。

 ル級の頭部は弾け飛び、飛び散った欠片は煙のように霧散する。残された身体は糸の切れた人形が如く脱力し、ゆっくりと海の底へと引き込まれていく。

 

 その身体が完全に沈みゆく時、時雨の髪飾りがシャランと揺れた。

 

 

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