彼女達の叫びは鋼鉄の咆哮。
意思を持ちながら意図を得られず、意志を持ちながら意味を得られぬ半端な存在。
故に交流を持てず、交渉も出来ず、ただただ声を荒げ、無意味な叫びで戦火を広げる。
哀しみを忘れるなと叫び、次々に悲しみを増やしていく。
原初は切なる願い。今も尚、切望と呼べるモノ。けれど人に成り切れぬ彼女達には叶えられぬ願い。もしも艦娘と呼ばれる少女達のようになれたならば、或いは叶えられたかもしれない願い。
切なる願いから生まれた不完全な彼女達は不完全故に自らの過ちにすら気付かない。
間違えて、間違えて、間違えて、やがては世界を悲しみで塗り潰す。
哀しみを哀しみのままで終えて欲しくなかったから願ったはずなのに。
愛した人達を憐れな犠牲者で済ませて欲しくなかったから叫んだはずなのに。
そして何よりも二度と哀しみを繰り返して欲しくなかったから生まれたはずなのに。
どうしようもなく残酷に、その願いは歪み、不純物として世界に排出される。
憐れな願い。
哀れな存在。
──深海棲艦。
彼女達は報われぬ願いの為に世界を汚染する。
戦闘を終えた時雨は雨に打たれながら、港の縁に座って水平線を眺めていた。
久しぶりの戦闘も終わってみれば呆気ない。被弾はなく、弾薬の消費も最小限である。だからこそ、彼女はこうして余裕を以て海を眺めているのだった。
「風邪をひくぞ」
「僕等は風邪なんかひかないよ」
背後から放たれた声に、自然な態度で対応する。
不意に時雨の頭上だけ雨が止んだ。時雨が見上げてみれば、そこには傘をもった男──提督が立っていた。浮かべる表情はどこか安堵したように穏やかだった。
「よくやってくれた。感謝している」
「僕は自分の役目を果たしただけさ。艦娘としての僕の役目をね」
そう言う時雨は再び海を眺める。変わらずに荒れた海だった。
「……艦娘の役目とはなんだ」
「人類を守る事」
「深海棲艦からか?」
「彼女達も含めた脅威からだよ。……僕等は“幸せでいてほしい”っていう祈りから生まれた存在だからね」
提督の眉間に皺が寄る。
「キミが生まれるよりもずっと昔にあった大きな戦争。その時に戦った人達は祈っていた。大切な人を想っていた。幸せでいてほしいと、ただそれだけでいいと、切実に。……一つ一つは小さい祈りだったけど、僕等は船、多くの人達を乗せて戦った。その多くの祈りは僕等を器として集積し、船としての役目を終えた時、艦娘としての僕等を生み出したんだ。実際に、この世界に形を造ったのは深海棲艦っていう脅威が出現してからだけどね」
「そんな報告は記録されていなかったが……」
艦娘を研究するにあたって様々な資料に目を通した提督だったが、そんな事実は一切記されていなかったと呟く。
「百年前に初めて人類の前に姿を現した時は僕等も色々忘れていたからね。思い出したのは仲間をたくさん失った後、戦いも終盤になってからの事だったし。……でも、眠りにつく前にちゃんと僕等の存在についても報告したはずなんだけど、あれかな、一部の人間だけが知っている秘密とかにされちゃったのかな、多分」
あははと時雨は笑う。
「でも、それでよかったよ。世間に公表して僕等を対象にした宗教とか作られても困るからね。……元々は切実な祈りから生まれた僕等だけど、結局どこまでいこうと兵器でしかなくて、出来るのは戦う事だけだ。そんな存在を崇められたら堪らないよ。祈りを込めた人達だって、きっと望まない」
「…………」
時雨の言う事に提督は何も言えなかった。恐らく彼女は正しい事を言っている。だが、兵器だから戦う事しか出来ないと言ってしまうのは悲しい事だと思った。本当は「そんな事はない」と否定してあげたかったけれど、今の彼にはそんな無責任な事は言えなかった。
「そんな顔しないでよ。別にキミが悪い訳じゃないんだからさ」
気付けば時雨は提督の顔を見上げていた。
少し前にも同じような事を言われた気がして、提督は自分がどんな顔をしていたのか気になった。
「俺は、どんな顔をしていた」
「申し訳なさそうな顔だよ。泣き出しそうなくらいの」
「…………」
「ははっ、今度は照れている顔だね」
笑われて顔を見られまいと提督は上を向く。見上げた先に空は見えず、傘の裏側だけが広がっていた。
「ねぇ、提督。彼女達はどうして生まれたと思う?」
笑っていたのも束の間に、時雨は静かな声色で問い掛ける。
「彼女達とは?」
「深海棲艦さ」
上を見上げたまま提督は思案する。
「貴方方が祈りから生まれたのならば、深海棲艦は恨みから生まれたのではないだろうか」
艦娘と深海棲艦が似たような存在だと仮定して、戦争時の祈りが艦娘を生んだのなら、戦争時の敵に対する尽きぬ恨みが兵器に宿り深海棲艦となったのではないかと提督は返答した。
「残念ながら不正解だよ、提督」
本当に残念ながら──と、時雨は続けて囁くように呟いた。「ではなんだ」と提督は首を傾げつつ、時雨を見下ろす。
「彼女達と僕等は根源を同じにしながら、本質的には遠い存在なんだ。僕等が人々の祈りから生まれた存在なら、彼女達は人々に対する願いから生まれた存在になる」
「……?」
「僕等は人々の祈りが船を器をとして具現化した存在。対して彼女達は一緒に戦った人々の為に願った“船の想い”そのものが具現化した存在。僕等を神秘的な存在とするなら、彼女達の存在はそれこそ奇跡的なものなんだ。非生物の想いがここまでのものになるなんて、神様ですら想定していなかっただろうね」
「……だが待て、それならば艦娘と深海棲艦の関係性は……!」
「そう、僕等の根源は同じ。例えば僕の場合、駆逐艦『時雨』を器に人々の祈りが艦娘となったのが僕。そして駆逐艦『時雨』が人々を想い、願ったその祈りそのものが深海棲艦となる。……有り体に言うなら僕等と彼女達の関係性は──」
──“もう一つの自分”になるんだろうね。尤も、どちらかを本物の『時雨』とするのなら、比べるまでもなく深海棲艦としての時雨が本物になるけれど。
そう言って時雨は儚げに笑みを浮かべる。
「これまでに戦ってきた深海棲艦の中に、きっと“僕”もいた。“姉妹”や“共に闘った仲間達”だっていただろう。……皮肉なものさ。自分の役目を果たす為……、人類を守る為に、僕等は自分達を沈めているんだから」
ま、僕等も彼女達も過去の亡霊。想いから生じた者同士、互いに潰し合うのが宿命なんだろうね──と、そう言って笑う。
提督には時雨の儚げな笑みを慰める言葉は見付からなかった。今、自分は泣き出しそうなほど申し訳なそうな顔をしているのだろうと彼は思った。
慰めの言葉はない。けれど疑問を投げ掛ける。
「……しかし、だったらなぜ深海棲艦は人類を襲う。人々を想って、船が願ったのなら──いや、そもそも深海棲艦は何を願ったというんだ。怨恨ではないのなら、その願いは綺麗なものだったのだろう?」
疑問を受けて、時雨は一つ息を吐く。その吐息には明確な悲しみが満ちていた。
「──私が愛した人達を忘れないで。哀しみを風化させないで」
海の果てに向けて、その純粋な願いを口にした。
「……百年前の戦い。その最後に戦った深海棲艦が言ったんだ。彼女と会話は成り立たなかったけど、その言葉は聞き取れた。その時になって、ようやく僕等が戦ってきた敵の正体がわかったんだ」
本当、最後の最後だったよ──と、時雨は笑わなかった。
「彼女達の願いは戦没者を想ったもの。彼等の為に哀しみを繰り返させない事」
「だったら、なぜこうなっている。逆に悲しみを広げているじゃないか」
「うん。……でもね、彼女達は今でもその願いの為に動いているんだ。最初から一切変わる事なく、いなくなってしまった人達の為に動いてる。……彼女達は不完全なんだ。願いを叶える為に人の姿を模倣したけど、人に成り切れなくて、成り切れていない事にも気付かず、砲火という叫びをあげている。赤ん坊がひたすら泣くように、それだけしか手段がないんだ。そして、それがいかに被害を生むかも知らず、砲火という叫びで自分達の想いが通じると思ってる。兵器だから、僕等よりも純粋な兵器だからこそ、争う事しか出来ないんだ」
「…………」
「僕等は船が生まれ変わった人、彼女達は人に成り損ねた船。……そこが人の祈りを受けて生まれた僕等と、彼女達の決定的で致命的な差異だよ」
「……悲しいな」
「……うん、そうだね」
沈黙が二人の間を漂う。
暫くの静寂。それを終わらせたのは時雨だった。
「さて、彼女達の想いは代弁したし、僕が教えてあげられるのはここまでだ。後はキミ達次第だよ」
そう言っておもむろに立ち上がる。傘の範囲を越えて、再び彼女の身体は雨に打たれた。
「彼女達を救えるのは僕等じゃなくてキミ達だ。彼女達が想う相手であるキミ達だけだ。そして、彼女達を救わなければキミ達の未来はない。どうかな、できそうかい?」
雨に濡れる時雨は振り返って彼に問う。
「わからない。考える時間が欲しい」
傘をさす彼は素直に答えた。
「いいよ。あと一度だけなら、きっとキミ達を守ってあげられる。今度は僕等が全滅するかもしれないけど、彼女達にももう一度だけ眠ってもらおう。……だから、あと百年だ。キミ達が世代を変えて戦争を過去のものとして忘れかけた時、再び彼女達は現れる。その時までのもう百年間だけ、僕等が時間を稼ぐよ」
それだけ時間があれば大丈夫かな──と、時雨は彼に再び問う。彼は言葉を返さず、ただ力強く頷いた。
その返答に満足したのか、時雨は髪飾りを揺らして海の方を向く。
提督は気付いていない。無理もない。夜の荒れた海だ。人間では視認できるはずもない。
彼女が見つめる海の先。水平線の果てに数え切れない“黒と白”が押し寄せてきていた。
「僕の役目は人類を守る事。だけど、もう一つ追加かな。彼女達にこれ以上間違いを犯させるのも忍びないし、そもそも他人事でもない。しっかり被害を出す事なく、出させる事もなく、彼女達を鎮めよう」
まぁどちらにせよ、やる事は変わらない。そう意気込んで、時雨は背後の艤装を展開し、大口径連装砲を構えた。
「おい、いきなりどうした」
未だ気付かぬ提督に、時雨は凛々しい顔を向ける。
「僕は駆逐艦『時雨』。……名前を呼んでくれないかな、提督」
意図がわからないお願いに困惑するが、名前を呼ぶくらいならばと彼は咳払いをした。
「……時雨」
「うん。提督、ありがとう」
そう言って笑う時雨は小さく敬礼すると、再び視線を元に戻す。
青い瞳が見つめるは雨降る夜空と荒れ狂う海。自分らしい戦場がどこまでも広がっていた。
故に笑みはここまで。戦場で笑うのは妹の専売特許であって、自分のキャラではない。艦娘としての『時雨』は自分だけなのだから、自分らしくでいこう。最後まで自分らしく戦おう。
だから例え、敵で海が見えなくとも絶望しない。
「──時雨、いくよ!」
雨は未だ止まず、彼女にとって三度目の戦争が始まった。
【完】