ラウラは私の夫である。
これを聞いた人は、何を言っているのかと思うだろうか。何を今更と思うだろうか。恐らく、IS学園の生徒は後者である。
彼女が転入してきた当初は、本当に色々あった。
初対面で、加えて人違いで殴ってきたことにかの邪知暴虐な王に対するメロスの如く怒ったり、アリーナで大暴れする彼女に織斑教員の制止を無視して突貫したりしたものだ。
後のトーナメントで結果として彼女を助けるまで、我々の仲は歴史的なまでに最悪だったと言える。
だが、その救出劇の最中に負った怪我で入院していたところ、ラウラが見舞いに来たのだ。
正直なところトドメを刺しに来たのではないかと少し警戒したのだが、諸々を話し始めたところ面会時間の超過をすることとなった。マトモな会話をしたのは、転入から数えれば初めてであっただろう。
そしてラウラは私の夫となった。
時間が飛んだと思われるかもしれないが、飛んでないのだ。
退院早々、朝のホームルームの間際で突然、ラウラは周囲に見せつけるかのように私にキスをしたのだ。驚きに閉ざされた口をこじ開けんとばかりに舌が唇の合間を這って歯をなぞったのは気のせいだろう。
その後、わずかに残念そうな表情をしてから、お前は私の嫁だという宣言である。
左の頬を、初対面でいきなり殴られた時よりも動揺した。その際は先述した通り燃えるような怒りが湧き上がったのだが、この時は、「正気なのか」という疑念が困惑と共に湧いた。結果として、ラウラは正気も正気であったのだが。
それも何故このようなことをしたかというのが、信頼しきっている人間が大真面目に大馬鹿な勘違いをしたからとしか言うまでもない。きっと「気になっている」レベルであったのだろうが、生来の軍隊生活で世俗に疎かった彼女はその者にアドバイスを求めたそうだ。
というわけで、彼女は「日本では気に入った者を嫁と呼ぶ」というサブカル愛好家もドン引きな知識を植え付けられた挙句、周囲にも知らしめる必要があるという助言も受けてああなったらしい。
加えて。
「嫁よ!」
と会うたびに言われるもので、学園中に噂が広まるのも早かった。からかい目的であろうが、生徒会長に「寮内での不純異性交遊はやめてね」と言われたのはかなり効いた。
まあ実際、「夫婦は包み隠さぬものだろう」というのを理由に、ほぼ毎朝ベッドに潜り込んでくる。織斑一夏もそれに気まずさを感じたのか、最近はラウラと入れ替わるようにシャルロットの部屋に行っているらしい。
まあ、ラウラは実際とびきり可愛いという部類であるし、色々あったが恋愛的にも好きではあるのだ。押されるとその分こちらは引いてしまうし、そのアプローチが強烈すぎて恋愛的感覚が麻痺しつつあるというだけで。
そして、更に色々あってからの11月11日だ。
日本においては祝日でも何でもない日なのだが、お菓子メーカーの広報活動によって広められたものがある。鉛筆の芯のような太さの棒クッキーの七割がチョコに覆われたお菓子、『例のお菓子の日』である。
もちろん、海外ではそのメーカーが主力として打ち出しているようであるが、『その日』というのはあまり浸透してない。
だが、このIS学園は治外法権的ではあるが、日本にある。となれば日本の放送局の電波が入ってくるわけで。
「なんと!」
前日の夜、向かいに座っていたラウラ・ボーディッヒはテレビ画面を齧り付くように見ていた。
その時から既に嫌な予感はしていたのだが、それがこの酷く疲れた日の始まりとも言っていい。
朝。砂の中のような寝苦しさを感じ、目を覚ました。
慣れてしまったと言うと問題かもしれないが、そんな日はベッドへと潜り込んだラウラが、此方に覆い被さるような寝相で寝ているのだ。
しかし、目を開ければ、視界を覆うのは鮮やかな赤色をした何かだった。額に、アイマスクのように乗っている。
仰向けに寝たまま手に取ってみると、それはあのお菓子のパッケージであった。二袋入りの中身は、片方しかない。
「おひゃおう、よみぇよ」
視線を下げれば、胸板の上にのしかかるような体勢のラウラが、それを一本咥えてこちらに顔を向けていた。
溶けたチョコで唇の周りが少し汚れている。どっちにしろ、起きてから咥えればいいものを。
しかし寝起きの、歯磨きもしていない時に何かを食べるというのは耐えられない。ラウラは磨いたのだろうが、俺はまだなのだ。
「あっ」
左手で持ち手側のソレを取り、右手でラウラを押しのけて洗面所へ。手早く身支度を済ませ、左手のものを胃に収めながら戻ってみる。おはようと声を掛けながら。
「……おはよう」
少し不機嫌そうな様子で、ラウラは新たにもう一本を取り出した。
まだやるか。そう思いつつも、ベッドに座る。
「シャルロットに確認を取ったのだが、仲の睦まじい同士ならやるべきだと言っていたぞ」
ましてや夫婦なら、とラウラは付け加える。
そういうのは俺か一夏に聞いて欲しい。そう言いたかったが何時ものことだ。
自分としてもやりたくない訳ではないし、あの教室での珍事のように衆目があるわけでもないのなら一度くらい。
「ん」
何も言わず、一本咥えてこちらに差し出してくる。
それよりも前に服を着ろと言いたかったが毛布を横にして巻いてるから大丈夫と思っているのだろう。それで良いなら何も言うまい。
ベッドの真ん中の方へと体を半分振り向かせながら、逆側の、クッキー部分に口をつけてみた。ぐっと、彼女の顔が近くなる。
鼻孔を、彼女の匂いがくすぐった。身体の距離もぐっと近くなり、ラウラの右手がベッドの一点に着いた自分の左手に重ねられた。
ダメだ、想像以上に恥ずかしい。やってみて分かった。衆目などなくとも、この『なんたらゲーム』とやらは、普通に顔が近づくよりも恥ずかしい。照れくさい。
固まる私を尻目に、ラウラはポリポリと口を進めだした。頬を染めてはいるが、その何処か覚悟が決まっているような様子には威圧すら感じる。
少し、頭を後ろに下げれば、ポキリと気まずい音がした。
ああ、すまない。と反射的に謝罪する。
「……次だ」
また一本を咥え、ラウラは此方を向いた。
少し紅潮した頬。赤い瞳。チョコレート色を挟む、色の良い唇。逃さぬように、と回された熱い右手が、自分の右肩に置かれた。
ああ無理だ。近くでまじまじと見る時間が長い。だが、相手が目を閉じない以上、此方が目を閉じるというのは何か違う気がする。
視線を収める場所を決めれぬうちに、ラウラは此方をじっと見ながら小口で食べる。ふと、小さく動く唇を注視し、気恥ずかしさが溢れてきた。
首をつい正面に戻してしまうと、また軽快な音がした。
「その体勢が悪いか」
ラウラが動いた。
右手でこちらの胸をベッド側に押しながら、正面に。
待て。そう言うまでもなく、彼女はストンと自分の太ももの上に据わった。外套のように毛布を羽織ったままであるが、その中は――。
「やはり、嫁は暖かいな」
他人事のように、機嫌良く言うラウラ。少し仰け反り気味になった自分へ抱きつくようにしながら、その後ろにあるお菓子を取った。
「よし、もう一度だ嫁よ」
味に少し飽きたのか、今度は取っ手を持ってチョコを此方側に差し出した。促されるまま咥えてすぐ、猛烈な早さで溶けたのが分かる。それほどに顔が熱い。
今度は、細い指の感触を項で感じた。両手で、親指も使ってしっかりとホールドされている。太ももに感じる感触も相まって、頭がおかしくなりそうだ。
「……私まで照れるではないか」
頬の熱を指で感じたのか、ラウラはそう言い反対側を咥えた。
そして、先ほどまでよりも、ゆっくりとしたペースで食べ始めた。彼女も視線のやり場に困り始めたようで、目を閉じて。
加速した気恥ずかしさと、顔以外に目を向けることができる余裕の産まれ。視線はやはり、押さえの緩んだ毛布の下へと移り――――やはりお菓子は折れた。
「ど、何処を見ているんだ」
折ったのはラウラだ。丁度、此方が食べ進めないから薄目を開いたのだろう。
普段なら恥ずかしがりもせぬラウラ。もう、朝の潜り込みでなれてしまっていたはずの自分。完全に妙な雰囲気が出来上がっている。
後ろ手にパッケージを弄り、一本を口にしたのは自分だった。雰囲気に流されやすいのは分かっていたが、ここまでとは。
「い、いくぞ」
深く息を吸ってから、ラウラは反対側を咥えた。まるで、潜水でもするかのように。
その後も十数回と続いたが、結局として両側から食べてお菓子の姿を消すということはできなかった。その前にお菓子が無くなったのだ。
だが、その雰囲気のパワーによって、二人揃って本日の学業をお休みしたということを記しておこう。翌日、シャルロットからは結構な質問攻めにあった際、ラウラも自分も二人して黙りこんでしまったのは仕方ないとして欲しい。