トンボは財宝の上を歩く。歩を進めるたびに金貨の山が崩れ、金属の擦れる音が辺りに反響する。この宝物庫は魔法の光<
トンボはそんな光景をよそ目に歩いていく。垂れた尻尾が金貨の山を大きく崩すが、まるで気にしない。もとより自在に操ることができるわけでもないものなので、その点は諦めていた。そうやってどんどん歩を進めていると、遂に目的地が見えてくる。
其処は広大な宝物庫の中でも更に巨大な空間だ。天井は今までの倍以上に広がり、左右の壁は同時に視界へ入れることが叶わない。相変わらず金貨に埋もれ床は見えないが、足で少し掘ってやれば、黒曜石で出来た、薄く紋章の入ったタイルが現れるはずだ。
此処に来て金貨の層が薄くなっているのはこの空間が広大なことにも原因はあるが、それ以上に
トンボが見上げてやっと、その金貨山の頂上が見えた。いままであった二十メートルの山々すら優に越える、はるか高いものだ。トンボの視線は頂上にあるひとつの椅子に注がれていた。それは玉座と言ってもいいほどの
その椅子はギルドで作ったものではない。元から此処にあったものだ。拠点を落とした際の特典のひとつであり、宝物庫に金貨が大量に野晒しにされている要因でもある。あの椅子は壊されない限り、宝物庫の財宝を無断に持ち出すことが出来なくさせる、という強力な効果があるからだ。
当然、この宝物庫の心臓部を護る存在はいる。そう思い、一歩だけ足を伸ばすと、ちょうど反応する境界線だったらしく、金貨山の裏から宝物庫の守護者が顔を覗かせた。
それは巨大なドラゴンだった。赤錆色の鱗が、全長百三十メートルは優に超す巨体を覆っている。長い首を器用に使い、金貨山を崩さずにこちらを睨んでくるその姿は、まさしく強欲な邪竜のものだ。その瞳は光をギラギラと反射し、狡猾で邪悪な理知の色を含んでいる。腕と翼は一体化しており、まるで
その邪竜、名をイグノアも、この拠点の特典のひとつだ。元々はエレボール大山脈のラスボス的存在だったのだが、討伐後は番犬的存在となりこの地を守護している。その防衛能力は非常に高く、モンスターであるため装備品を身に着けることはできなくとも、上位ランカーのワンパーティー程度なら易々と屠ることができる。また、高い防御力と凶悪な割合ダメスキルを保有し、弱点である蛇腹以外ほどんどダメージが入らない。その蛇腹にも鉱石を熱して張り付かせて作った宝石鎧があり、これを壊さない限り弱点は晒されないのだ。極悪非道にも程がある。その強さを身を持って体験しているトンボは、つい警戒してしまい足が止まる。
此処を占領する際にギルド全員で闘ったのだが、五度目のトライでなんとかギリギリで倒せただけで、初見ではまず突破は不可能だろう。それは強さのインフレが起こり始めたユグドラシルでも変わりない。
邪竜イグノアはトンボをしばらく睨みつけていたが、相手が誰かを判別したようでそっぽを向いてその場に伏した。猫のような所作ではあるが、巨大なドラゴンがするだけで可愛さは霧散し、代わりにほっと安堵の息がこぼれる。
何をビビッているのだが。確かにバグか何かでこちらを襲うと考えることは出来たかもしれないが、今までなかったことに怯えるなど杞憂も甚だしい。トンボは気を取り直し、玉座までの山頂へと歩いていく。
金貨の山を崩しながら、山頂まで登り詰める。現実なら金貨山を倒壊すること必至の登り方だが、ゲームであるため一定量以上の金貨は崩れ落ちない。ようやくの気持ちで玉座に手を掛け、ふと左手の時計を見遣る。
23:48:42
あと十一分、一人反省会には丁度いい時間だろう。
玉座に腰掛け、想像以上の座り心地の良さに内心驚嘆しつつ、眼前に広がる金貨の海と山脈に思いを馳せる。
この宝物庫だけでいくつストーリーがあったものか。初めて此処を訪れたとき、その美しさに仲間達は悲鳴をあげたものだ。俺なんかは「まさしくエレボールだ!」と叫んで走り、暴れまわっていた。落ち着いた後も、仲間の何人かは金貨を集めては此処に放り込む作業を繰り返し、ある者は工芸品を作っては飾っていたりしていた。金貨に目の眩んだ侵入者達がイグノアに焼き殺された時なんかは、大聖堂で決死の防衛準備をしていたメンバー達がすっ転ぶほど拍子抜けしたものだ。
「それもいまや昔か――」
ランキング第八位に居座ったのも昔の話だ。トリニティに一泡吹かせてやったのも、昔の話。ウロボロスを二度手に入れたのも、また昔の話なのだ。ギルメン全員を揃え、悪名高いギルド同士の決戦に横槍を入れ漁夫の利を得たのだって、昔の話になる。報復にギルドメンバーの半分が一瞬で消し飛ばされたのだって、結局は昔の話に過ぎない。
「楽しかったさ。だけどそれ以上に、嬉しかった」
夢を叶えられたことが。それを認められたことが。協力してもらえたことが。
八十九人の夢想は、今此処で潰える。そしてその模造品だけがトンボの手に残ることだろう。
虚しい。
すべてが終わったら、何をすれば満たされるだろうか。理想とする物語でも書き綴ればいいのだろうか。それとも世界中の物語を読み解けばいいのだろうか。もしくは幻想を絵に描き起こせばいいのだろうか。――馬鹿馬鹿しい。これほどまでの創作を終えたトンボでは、最早そんな事で満足できるとは到底思えなかった。
「抜け殻だ」
したい事は何もない。十年もの長い期間で積み上げてきた世界は、今日をもって完成してしまう。俺には何も、何も……。
時計の針は無慈悲にも進んでいく。秒針が一周し、長針が揺れ進む。揺れる長針を見るたびにトンボの胸は締め付けられる。
23:59:35 ――36、37、38……
トンボは目を瞑り、静かに数えだす。現実を見たくない、その一心で。
23:59:57 ――58、59……
終わった。覚悟を決め、ゆっくりと目を開き、現実を受け入れようとした。
しかし――
「……はぁ」
0:02:41 ――42、43……
世界は変わらず、金貨の海だった。時計を見れば、終了の時から既に三分近くロスしている。このロスは2138年の技術はおろか、その百年前の技術だったとしてもあり得てはならないほどの痴態であり、最悪の愚行だ。
トンボの胸中にあった虚しさを埋めるように、新たなる感情が徐々に沸いてくる。それは憤怒だった。そして溜まった感情が段々と理性を決壊させ、憤怒という熱が溢れ出る。それはまず地団駄に表れ、次に表情、そしてついには怒号となって表れた。
「ざ、ざっけんなよ! クソがッ! これからブツ切りされるまで怯えて過ごせだとッ!? なっ、舐め腐りやがってッ!」
人生で感じたことのないほどの憤りが、トンボの脳を占める。煮えたぎる憎悪が湧き続け、その怒りは天井知らずだった。視界すら赤黒く染まりゆくほどの憎悪と激昂。温和とは程遠い性格とはいえ、トンボは理知的な人間だ。このご時勢に高校まで進学できるほどの我慢を持っている。クズとしか形容できない教員に理不尽な暴力を振るわれても、まだ我慢できるほど精神力のある男だ。あまり優秀でない上司をヨイショすることで、グレーな企業のブラックゾーンから脱出できるほどの
ただ、その精神力の源であった夢想が、最後の最後で信頼していた存在から侮辱されている。それだけは、それだけは赦せるものか。赦せてなるものか――。
だがしかし、次に感じる感覚がトンボに冷たい混乱をもたらした。その正体は胃から沸きあがり喉を詰まらせる、液体状の酸っぱい味覚。――ユグドラシルにはないはずの、味覚。
「おっ、おえっ!? げぇっ! かはッ、はぁ、はぁ……」
トンボは驚愕の余り、玉座から立ち上がり、そのまま地面に
金貨と金貨に挟まれたトンボはゆっくりと起き上がるも、困惑と恥ずかしさに涙目になっていた。
息も絶え絶えながら、困惑をぼそりと呟く。
「いったい何が……」
電脳法によって消されているはずの味覚を感じた理由が分からない。肌に張り付いた金貨の感触が嫌にリアルで気持ち悪い。収まらない胸焼けの正体が掴めない。もしこれが異常事態なら何故強制ログアウトされないのか。詳しくはないが、それぐらいの安全性はあるはずだろう。疑問符で頭の中が一杯になるトンボの背後で、その声は響いた。
「
その重低音の返答は、トンボの予期しないものだった。反射的に振り返り声の主を見る。
直後、戦慄。トンボは声を押し殺すのが精一杯だった。邪竜イグノア――百三十メートルを超える竜――がこちらを睨んでいたのだ。声の設定をなされていないモンスターが、まさか喋る筈が無い。トンボは心の内でそう否定したが、すぐさま証拠を見せつけられる。イグノアの口が動き語ったのだ。それこそユグドラシルではありえない現象だった。
「どうした? 頭でも打って記憶でも欠落したか? ラオの名を冠するものよ」
「な、何が起きて……」
状況が分からないながらも、イグノアがこちらに害意がないのはなんとなく把握したトンボは、せめて取り繕わなければと奮起する。イグノアのステータスは非常に高い。相性の関係とソロ型のビルドで、それなりに闘えるものの、トンボには勝率は皆無。もし襲われればリスポーンは必須だ。跳ねる心臓を抑え、出来るだけ気丈な調子を声に乗せ、言葉を選び、言う。
「い、……いや! す、すまない。怒りで我を忘れていた。みっともない姿を見せてしまった。…………ところで、日を跨いだにも関わらずユグドラシルが続いてるようだが、何か分からないでしょう……だろうか?」
口調はこれでいいのだろうか。質問して良かったのだろうか。この問いで正解なのだろうか。トンボは自らに降りかかった不条理を、一厘たりとも理解は出来ていない。順を追って理解していこうと思って告げた言葉が、イグノアの逆鱗に触れないことを祈りながら、邪竜を見つめる。大きく裂けた口が開き、牙が見える。トンボは喰われるかと思ったが、そのままイグノアは言った。
「ユグドラシルが続く? 今日が過ぎれば、明くる日が続くのは道理だろう。はたまた宗教的な意味合いならば、知らぬ」
「知らないか。……サービス終了の日が昨日だったんだけれどな」
「サービス終了……。やはりプレイヤーの言うことは分からぬ。貴様らの造り上げた、あの者たちならば理解してくれるやもしれないが」
心当たりはNPCだったが、もしかしたら別の情報を持っているかもしれない。
「あー、NPCのことか?」
「逐一、答えなければならないのか? 上座と言えど、付き合いきれんぞ?」
「ご、ごめんな……いや、すまない! では俺はこれで!」
トンボは半ば逃げるように、指輪の力を使い転移する。逃げた先は礼拝堂だ。礼拝堂は大聖堂の最奥であり、最大防衛能力を誇る。何が起きているか分からないながらも、拠点内で最も安全な場所に転移したのはトンボなりの英断だった。安全に転移したことを確認すると、大きな溜息と供に長椅子の一つに座り込む。
「どうしてこうなった……」
どうしてこうなった。心の中で何度も呟く。未だ冷静さは取り戻せていない。落ち着くまで延々と深呼吸を繰り返す。
幾分か時間が経過し、なんとか最低限の落ち着きを取り戻したトンボは、ゆっくりと現状把握に乗り出す。
真っ先に思いついたのはコンソールの操作だ。鋭い爪先を動かしいつもの操作をするが、コンソールは浮き上がらない。予想は出来ていたため、すぐに他の操作も試みる。強制アクセス、チャット機能、GMコール、強制終了。やはりどれも反応が無い。だろうな、という言葉と供に苦笑が漏れる。
もういっそ現実だと仮定して動いたほうがいいだろう。胃酸が沸きあがるDMMORPGなんて聞いたことがないのだから。だがダイブ中に攫われて、高度で違法な実験に投げ込まれた可能性も否定できない。むしろそうであれば理性が長く保てそうだ。トンボはありえそうな可能性をひとつ見つけてみると、腹部の痛みが和らいだ。
だとすると、どこまでユグドラシルの常識が通じるかを確かめなくてはならない。トンボはゲームの説明書を読むタイプだ。斜め読みではあるが。
そうして行うのは魔法の発動実験。トンボは神官職なので回復魔法と補助魔法がメインだ。攻撃魔法も持ってはいるが火力は低いし、この場における実験には相応しくないだろう。トンボは自分の中心に意識を傾け、複数個の魔法を発動する。
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発動された魔法は四つとも成功する。周囲が明るくなり、こころなしか、気分も明るくなる。魔法の発動には問題なさそうだ。だがそれだけで安心することはできない。トンボにとって最重要なのは
大きく深呼吸し、自身の持つすべての
「――各種オーラスキル、白亜結界、竜衝聖印、竜種神格Ⅲ、人間種神格Ⅱ。よし、大丈夫だろう。スキルも問題なく発動しているはずだ。まぁ、弱点ぐらいは消えても良かったんだが」
最後にアイテム。トンボが思考を巡らせるとふと思いつき、腕を
一段落ついたトンボは、その場で横になる。いっそ此処で寝ちまうか。そんなやけくそな気持ちになりながらも、なんとか自制する。
この山脈はトンボ達が創り上げた地であり、理想郷だ。トンボに限って言えば、この広大な土地にあるすべてのギミックを熟知している。過疎化が始まったころからは、暇があればギルド拠点を独りで探索していたぐらいだ。
そんな自分が何故、よりによって理想郷で怯え隠れなければならないのか。そんな見栄にも似た信念が、トンボの自暴自棄を踏み止まらせていた。
「さて。あとはNPCだけだが、呼んでいいものかね」
牙を剥き襲い掛かってこないとも限らない。第一、ギルドメンバーをどのように捉えているかが問題だ。上位者として見てくれているのか、無能な上司を相手にしているような気持ちなのか。ギルドメンバーを我が侭に振り回してきたトンボは、なんとなく後者な気がしてならない。
このままでは埒があかないので、せめてもの目安として、カルマ値を危険度とする。
「となると……教会か、大聖堂だな。近いほうならディーラか。確か
突如、ガコンと扉の開く音が大聖堂に響く。トンボは半身だけ起き上がり、背もたれを盾に入り口の方を見遣る。
「大聖堂を巡回しているんだったな」
開けられた扉から除いたのは一匹のシスターだった。彼女はやはり、シスターという言葉を裏切らないような、黒地のベールとロングスカートのワンピースを纏っている。肌に張り付く、きめ細かい純白のコイフ。最高品質の修道服はその美しい造形だけではなく、高い魔法防御力を誇る。実利も兼ね備えた
ディーラがトンボを見つけるとさも当然のように深々と礼をする。社会人としての常識を人並みに身に着けているトンボは、それは最敬礼に属すものだと分かった。腰を曲げ頭を垂れる際に、弾力に富むはずのディーラの肌は、何故か光沢を持ち光を反射させる。こちらを伺うディーラは、口を――もはや顔といったほうが適切だろう――僅かに動かしたことが、トンボの目にも分かった。
「これはこれは、偉大なる頂の長、トンボ様。御方がこの最奥の礼拝堂にお越しになられるということは、御礼拝でございましょうか? ……もしや敵襲でございましょうか?」
とても丁寧で敬意溢れる態度だ。トンボはディーラの態度から自分が優位だと勝手に信じ、出来るだけ気丈な声を意識しながら答える。仲間の作ったNPCゆえに嫌悪感などは微塵も無いが、それでも人型ワームの動く様はちょっとしたホラーを感じる。
「異常事態、とだけ言っておこうか。俺を初めとするプレイヤーに異変が起こったようだ」
トンボは口に出したあとでナイスな発言だと思った。トンボだけの異変の可能性もあるが、プレイヤー全員の異変にした咄嗟の機転は、自分を褒めてやりたいほどだ。
「それは……よろしければ私達を使ってください。どうでしょう? 微力ながら何かお手伝いできることはございませんでしょうか?」
トンボは心の内でガッツポーズを取る。自分の立場の分からない現状では、NPCの自発的な助言は最も望んでいたものだった。喜びを外見に出さないよう努めたが、嬉しさは声になって滲み出る。
「よし! そうだな。では――」
トンボは自問する。魔法の起動実験、スキルの起動実験、アイテムの確認、アイテム――指輪だけだが――の起動実験、NPCの確認が済んだ今、何をするべきか? すぐに思いつく案はNPCの召集を行うこと。ディーラはトンボに対し敬意を払っているようだが、一人残らずそうだとは限らない。裏切りを前提としたNPCは一人足りとて居なかったはずだが、意思を持って動き出した今、どう性質が変容しているかが最大の懸念事項だ。モンスターであるイグノアは例外とし、最大戦力達の意識を確認しておかねばなるまい。トンボは覚悟を決めた。
「クリアランス
「承知いたしました。メンバーを確認させていただきます。デイヴァロン、ウカミ、マルタ、ガーライ、トリュシラ、オルドル、ボフマン。この七名でよろしいですね?」
「そうだ。だがディーラ、君にも同席してもらおう。今はそれだけでいい。それとだが、このエレボール山脈周辺で何か異変はなかったか?」
ディーラは思案するように首を傾け、クチバシのような口先を上に向ける。そうですね、と言いながら恐る恐るという風に言葉を継ぐ。
「真偽の確認は取れてませんが、外に出たシスター達が
「潮のにおい?」
潮のにおいと言うと、鼻が馬鹿になるようなあの腐乱臭だろうか。トンボは周囲に毒沼でも出現したかと思ったが、ディーラの次の言葉で詳しい状況を理解する。
「異常事態ということを踏まえますと、周辺一体が海洋になっている可能性がございます」
やっぱり寝てしまおうか、そんなことを思い始めるトンボであった。
私はストックを一つ貯めることが出来たら、一つ前の話を推敲して投稿しているんです。
ですので今、三話が完成した状態なんですが、一万字以上あるんです。推敲によってまた増えそうですし、めっちゃ長い会議ですし削ったほうがいいでしょうか? というか山脈勢がナザリック並に多くて胃が痛いよ。
追伸:今回登場した邪竜イグノアですが元ネタがあります。Smaugで検索してみればまんまな画像が出てくるはずです。