バレンタインデー。
日本ではチョコレートを送りあう日となっているが、もともとはどこぞのヴァレンなにがしの記念日が派生して今のこのような形となっているらしい。
さて。よくわからない文化をよくわからないまま取り入れて、まるで自分たちのものだと言わんばかりに満喫している日本人らしく、今日この二月七日もあと一週間に迫ったバレンタインデーに向けて街行く人々は色めき立っていた。
やれ本命だ、やれ義理だ。クッキーにするだ、まだ準備してないだ。意識していないと気にはならないが、一旦意識してしまうとチョコなどのバレンタインを連想する単語がそこらじゅうに散らばっていることに気がつく。
正直、気が滅入る。
別にチョコレートが嫌いだとか、貰ったことがなくて僻んでいるわけでもない。
むしろ甘いものは好物で、幼馴染をはじめとした女友達に毎年貰っている。
だがしかし、貰えるからと言ってその日が楽しみになるというわけではない。
バレンタインデーの一月後に訪れる、ホワイトデー。
日本発祥の、チョコを貰ったことに対するお返しをする日。
そして、俺の誕生日。
この日が、俺にバレンタインを疎ましく思わせている要因となっている。
もちろん誕生日が嫌というわけではない。ホワイトデーが鬼門となっているのだ。
なぜ誕生日にプレゼントを贈らにゃならんのか。逆でしょうが。
「だから毎年この時期からホワイトデーのこと考えて鬱になるんで、バニングスに庶民的な路線で行くように誘導してください」
コーヒーが入ったカップを静かにソーサーへ置き、相手の目を見て頼み込む。
俺に向けて手作りはめんどくさいのだろうけど、それならそれでやたらと高いチョコを用意しないでください。それに見合う物をバニングスだけではなくみんなにも送る羽目になってしまうんで。
誰だよ三倍返しとか思いついたの。贈り物は気持ちじゃないのかよ。
翠屋での一席で、俺の懇願を聞いたなのはは、はぁ、とため息を吐いた後呆れたように言葉を重ねた。
「それを毎年貰っている私に言ったり、貰わないように仕向けないあたり君らしいよね……」
「くれるってんなら貰いたい性分なんだよ。それにあれが出来なくなるじゃん」
「あれって?」
「翌日貰えなかった男どもを集めて、自慢話を聞かせること」
「最悪だ! そんなことしてたのっ!?」
「はっはー、持つものと持たざる者の違いを教えてやってんだよ!」
ちなみにその後俺が追いかけ回され、男の先生たちに絞られるところまでがセットだ。事前に対策をしてこない教師陣のことを考えると、なんだかんだで先生も楽しみにしてくれているのだろう。だから俺は学校のモテナイ男どもに自慢をしなくてはならないのだ。
「つーわけで頼むね」
「いや、なにがつーわけなの? そんな話聞かされたらあげないか、意地でも高級路線でいきたくなるんだけど」
「いやいやいや、それはお互いの財布に響くからやめとこうぜ? それとくれないってのも友情に響くからやめとこうぜ?」
「もうこの時点でズタボロだよ……」
もうやだ、と言わんばかりになのはは両手で顔を覆ってしまった。
はて、なんでこんなリアクションを返されたのか。思わず首を傾げてしまう。
「なんでそこで首を傾げるの、傾げたいのは私の方だよ。君は本当にデリカシーとか、その辺の気遣いができないよね」
「英国紳士である俺になんたる言い草だ。ねえ、美由希さん?」
ピークが過ぎて暇そうにしている美由希さんに話を振る。俺の言葉にうーん、と若干悩む様子を見せたのちに美由希さんは柔らかい笑みを浮かべて言い放った。
「正直、翠くんの英国要素って容姿だけだよね。生まれ日本だし、育ちもほぼ日本だし。だから英国紳士ってのは当てはまらないんじゃないかな? あ、なのは。買い出し行ってくるからちょっと交代してもらってもいい?」
「うん、わかった」
着替えるために二人揃って奥に引っ込んでしまった。
すっかり冷めてしまっているコーヒーで喉を潤し思考する。
なのはと美由希さんとの会話で拾った言葉のピースを繋ぎ合わし、最適な形へとはめ込ませ、やがて一つの解へとたどり着いた。
「──つまりはコーヒーじゃなくて紅茶を飲めということですね、士郎さん」
「どういう経緯でそんなことを思ったのかは知らないけど、うちとしてはコーヒーを飲んでもらいたいかな?」
◇
二月十四日。つまりはバレンタイン当日。
朝のチャイムが鳴るにはまだまだ早い時間帯。人が疎らだから寒いはずの教室だが、なにやら闘志を燃やした男どものギラついた目と迸るオーラによって心なしか暖かい気がする。
カイロ代わりに自販機で買ったホットのレモンティーが要らないと思えるほどの熱気だ。このまま置いていても冷めるだけで、そうなってしまってはホットで買った意味がない。そう思い席についてキャップを捻ろうと手を添えたところで声がかかった。
「ミドリが紅茶を飲んでるなんて珍しいね」
ミドリ、とそう呼ぶのはただ一人。よって誰が呼びかけたかなんて簡単に分かった。
首をひねり、顔だけ向けて応える。
「テスタロッサも珍しいな。一人でこんな早くに来るなんて」
俺は日直だったから一番乗りしたわけで、なにも用がない奴らには早すぎる時間だ。やたらとテスタロッサに期待のこもった視線を向けている奴らはいろいろ待ちきれずに登校したのだろう。さっきから机の中をしきりに確認しているし、教室と下駄箱を往復しているやつもいる始末だし。
「うん。早く目が覚めちゃってたまにはいいかなって。それで、なんで紅茶なの?」
テスタロッサが俺の手の中にある紅茶を指差し訪ねた。俺が紅茶買ったらダメなのかよ、と言葉が出かけたが、単純に俺が紅茶を飲もうとしていることが疑問なのだろう。俺いつも買うとしたらコーヒーだし。
「知っているかテスタロッサ。英国の人は戦時中でもティータイムを欠かさなかったらしい。つまり、紅茶を飲みまくれば俺の中の英国要素が増えるんだ」
「へえ、そうなんだ?」
そうなんだ、とおうむ返ししペットボトルの紅茶を一口あおる。そして、口いっぱいに広がる香りに顔をしかめた。
「うぅ、やっぱこの甘さはダメだわ。テスタロッサ、これあげる」
「英国要素はいいの?」
「たった一口のティータイムがあってもいいだろ。ここ数日いろんなメーカーのを試してるけど紅茶自体がダメかもしんねぇ……」
美味しいのに、と俺がやった紅茶の飲みながら呟くテスタロッサを尻目に、あらかじめ用意しておいた水で口に残る香りを流し込む。
別に無理して紅茶を飲まなくていいか。コーヒーが好きな英国紳士もいるだろうし。そもそも英国紳士にこだわりがあるわけじゃないし。
「やっぱ男は黙ってコーヒーでしょ」
「ふふっ……あっ、そうだ。これ」
はい、とテスタロッサに手渡されたのは小綺麗にラッピングされた小包。
なにこれ、なんて野暮なことは聞かない。今日はバレンタインだし、もう何年も繰り返してきたことだ。
「おー、さんきゅ。食べてもいい?」
「聞く前からあけてるけどね」
細かいことは気にしない。それが生きていくうえで大事だと思うわけですよ。
包みを開封しながらこちらに注目していた奴らにドヤ、と視線をくれてやる。おーおー、血涙を流して走り去っていきましたよ。
やがて現れたのは小粒なチョコレートたち。手作りしてくれたのだろう。お店に並べれるくらい、とは言えないけど綺麗に作れている。
「んじゃ、いっただきまーす」
「召し上がれ」
いざ実食。
チョコを手に取り、口の中へと放り投げる。
ふぅむ、中にナッツが入っているのか。──苦い。ナッツの香ばしい風味が──苦い。いいアクセントに──苦い。
「……っ!」
水を口に含み、考える。
なにこれ苦すぎじゃね? チョコ? ホントにチョコ?
ロシアンルーレット的なものかと思い至りまた口に運んでみるが、水を全て消費してしまった。
あ、あかんやつや。これあかんやつや。
震える身体を無理やり抑え、テスタロッサに視線を向ける。
「どう? おいしい?」
え、なに。なんで笑顔でそんなこと聞いてるの?
まさかの塩と砂糖を入れ間違えたとか? ドジっ娘発揮しちゃったとか?
「お、おう。口に入れた瞬間ビックリしてむせ返るほど美味しいよ」
「よかった。ミドリは苦ければ苦いほど喜ぶってなのはに聞いたから、できる限り苦く作ったんだ」
な、なのはァ……!
やってくれたな、なのはよ。純粋無垢なテスタロッサを利用するとはなかなかゲスい真似をしてくれる。
「わ、わーうれしいなー。でも夕飯食べられなくなるといけないから残りは家で食べようかなー」
テスタロッサは悪くない。ここで苦くて食えないと言い、彼女の悲しませることが出来るだろうか。いいや出来ない。
ひとまずチョコは家に持ち帰り、ゆっくりと処理するしかあるまい。
そんでその後時間をかけて俺が苦党であるという認識を改めさせればいい。
よし、完璧なプランだ。
「そうだね。なのはたちもミドリに作ってたから、結構な量になるしね。みんな張り切ってたよ、ミドリはどれくらいまで苦いものが大丈夫なのかって」
──この世に完璧なんてものはないようだ。
悪魔のほくそ笑む顔がチラッと脳裏をよぎり、そしてそれを現実で見ることになるのだろうと考えると胃がキリキリと痛む。明日、自慢大会出来るかなあ……?