お腹が満たされたからだろうか、みんなが眠そうに受ける5時限目の授業中にふと、となりにいる関くんに目をやると今日も元気に熱心に遊んでいる。多分、関くんにとっては授業中というのは憂鬱な時間なんかじゃなく、一人誰にも邪魔されずに集中して遊べる恰好の時なのだろう。純粋無垢な顔で一生懸命に遊びに向かう関くんを見ていると、ついそんな風に考えて口が綻んでしまう。
……っと、いけないいけない。テストまでもう何日も無いっていうのに、こんな穏やかな気持ちで関くんの遊びを見ている場合じゃなかった!
「ほら、関くん……さっきの授業でも言ったじゃない? もう、テストまで何日も無いんだよ? そろそろ真面目に授業受けた方がいいよーっ?」
体を左に仰け反らせ小声で関くんにそう言うも、関くんは面倒そうに、ウン、ウン、と傾くだけで、すぐに目の前の遊びに没頭してしまう。
もうっ……本当に大丈夫なのかな? まあ、関くんはテストで悪い点を取っていないようだから、先生にも目を付けられてないけど、ここまで授業を聞いてないとなるとやっぱり心配だなぁ。けど本人には危機感ってものが全く無くて、テストも遊びの内みたいな感覚で思っているのかもしれない。関くんだったら有りうる……。
……そんな風に心配していたあの日にもっとハッキリと関くんに言っておくべきだった。時は既に遅し。丁度、テストが返って来たのが今日なのだ。
となりの関くんに目をやると、テストを見て固まっている様子。少し悪いかなと思いつつも、点数を確認すると……赤点である。
あーーまずいよーー、よりにもよって社会なんて……足立先生の、再テストは大変だって有名なのに、その社会で赤点だなんて……。
他のテストは特別問題無い様なのに、なぜ、社会だけ赤点を取ってしまったかと言えば、関くんが授業中、テスト範囲が変った事を聞いていなかったからだった。土壇場で重要な部分の範囲を変えた足立先生が悪いのか、遊んでいて聞いていなかった関くんが悪いのか微妙な所だけれど……。
チャイムが鳴り授業の終わり間際、
「……赤点を取ったものは、再テストが控えているのでしっかり勉強する事!」
怖そうな声で言うその目は、明らかに関くんの方を見ていた。他には赤点を取った人はいないみたい。そりゃみんな再テストは受けたくないもんね。社会だけは死に物狂いで頑張っているらしい。
先生が教室から出て、今日の全ての授業が終わった。テストも全て返された事もあり、教室は騒がしくなり特有の解放感がクラスに広がった。
だけど、関くんを見ると……目をつぶってガックリと肩を落としている。とても授業終わりの解放感とは程遠い。
「関くん……その……残念だったとは思うけど……しょうがないよ……諦めて、勉強するしかないよ」
そう一応、励ましの言葉をかけたものの……なんとも反応がない。
少しして気分が紛れたのか、ホームルームまでのわずかな時間にロボット家族を取り出し、親子で勉強させている。お母さんが教科書を持って黒板を指して……って、勉強しなきゃいけないのは関くんの方でしょっ……!?
そうしている内に先生が来て、早く帰りたいみんなが大人しくしていたからかホームルームもすぐに終わった。
「るみー、一緒に帰ろー?」
丁度、掃除が終わった頃、友香ちゃんが声をかけてくる。
「あ、うんーー帰っろかー」
机からカバンを取り、一緒に廊下に出た。しばらく雑談しながら、玄関まで歩いていると、友香ちゃんがおトイレに行くと言って足早で向かう。私は待っている間手持ち無沙汰にしていると、廊下から声が聞こえたのでなんとなくそちらに向かってみる。
と、丁度、職員室の扉から出てきたのは……関くん……と、そのお母さん……!?
私はビックリして壁に隠れる。そこからでも声が聞こえてくる。この声は……足立先生の声だ! 関くんとお母さんが怒られているみたい……。
どうやら、社会のテストが一人だけ赤点だったものだからお母さんもまで呼ばれちゃったんだね……厳しいなぁ。この時間に来てるって事は、テストが返される前からお母さん呼ばれてたのかな? 大変だぁ……。
そんな風に思って私は溜息を付いていると、
急に近づいてくる足音! それが、私に向かってのものだと気が付いた時には既に手遅れで、私の肩にポンポンと感触が。
「わっ!」
思わず声が出てしまう。振り向くと、
「あっ……」
関くんのお母さんが、ちょっと緊張しているけど安心したような笑みで私を見ている。
どうやら、完全に隠れ切れていなかったらしい。仕方がないので、
「な、なんでしょう?」
少しビクビクしながらそう返すと……。
「…………」
耳元ですごく小さな声で囁かれた。「俊成に勉強を教えてほしいの……あなたから」そう言った。俊成……関くんの事か。……って!
「ええっ! 私が関くんに勉強教えるって……む、無理ですよ、私なんて……」
驚きながら焦りもせず近づいてくる関くんを見ると……
やっぱり、嫌そうな顔をして床に目をやっている。って、嫌だって思われるのもなんだか癪だなぁ……。
「もう、なんで嫌そうな顔してるのよ、関くんっ! 赤点取っちゃったんだから勉強しないといけないのは当たり前じゃないっ」
私がそう言っても、関くんは「フン」と反発しやる気の無さそうな顔で、一人で帰ろうとする。関くんのお母さんは両手を合わせて私に懇願する。「お願いだからっ……」と目が言っている。
そんな二人を見て……私は、
「ああ、もうっ……分かりました。コラッ関くん! 勝手に帰えろうとしないッ! 今日から私が関くんの勉強見てあげるんだからっ! 私の言う事聞いてッ!!」
仁王立ちで関くんに指示する。ああ、いつも関くんにはやられっぱなしだからこういうのも気持ちいいなぁ……。
そこで関くんはふてぶてしく立ち止まった。
……なんて、その場の勢いで関くんのお母さんのお願いを受ける事にしてしまった私だけど……まあ、なんとかなるよね?
そんな風に自分を納得させていると、関くんのお母さんは「じゃあ早速、家に来てっ」と言い、私の手を引っ張る。
「あっ! はいっ……? って! 関くんの家に!?」
いやぁぁ……考えて見ればそうなのねっ? あ、でも図書館だとか他の場所がない訳じゃ……なんて、私が言う間もない内に関くんの家まで引っ張られる。学校を出て帰り道までずるずると……
「あっ……あのっ! 図書館とかって選択肢は……?」
聞いてみると「遠いし純ちゃんを一人にしておけないし……」との事だった。うえ~ん。そして引き続き家に案内される。腕をガッチリ掴まれているので逃げられそうにもない。
そんな私たちを関くんは……恥ずかしいのか遠くから付いて来ているのだった。
……あっ、そう言えば、友香ちゃん……置いてきちゃった……ごめんっ。
何の巡り合わせだろうか。気が付いたら私は関くんの家にお邪魔していて、関くんの部屋でテーブルを広げ、勉強をしている。教科書にノート(わたしのだ)をテーブルに広げ、それを見ながら頭を抱えている関くん。そんなに勉強が嫌いなのだろうか。
「関くんって、勉強嫌いなの?」
向かいに座っている私が何気なく聞く。
「…………まあ」
少し間を置いて関くんが答えた。なんだか関くんが喋ったのを聞いた事が余りない気がするんだけど、気のせいかな……? まあ、いつもは授業中に話す事が多いもんね。って、私が一方的に話しかけているだけの様な気もするけど……。
「そう言えば、関くんって、男の子の友達とはいつも喋ってるみたいだけど、他の人とはあんまり喋ってる所見たこと無いな、私」
そう私が言うと、関くんはまた少し間をおいて、
「……あんまり、女子とは喋らない」
そっけなく言う。私と会話しているのにノートを見たまま。
「あ……そうなんだ。だから、授業中も話してくれないの? まあ、表情とかジェスチャーで言わなくてもわかるけど……」
苦笑いを浮かべながら言う。
「…………」
関くんは何も言わず、教科書を見つめる。
「本当に……読んでるの?」
不審に思った私は、確かめるため関くんの近くに座ったまま移動する。それに気が付いた関くんは心なしか、驚いたように一瞬体を仰け反らせた。
「えっ……? どうしたの?」
真横に居る関くんに聞く。
「……っ」
関くんは何か言いたそうに口を開いて渋い表情を見せたけどそのまま呆れたように目を閉じ息を吐いた。そして、勉強を再開すると座り直すフリをして、少し私から遠ざかる。
…………嫌われてるのかな? 私……。
「あっ!? こ、ここはね、『いやしい店舗も水はタダ』って覚えると分かりやすいよ! 1841年、天保の改革、水野忠邦だよ!」
「ふ~ん、よ、横井さんって……そういうの考えるの好きなの?」
遠慮気味だったけど、興味ありげにそう聞いてくる。
「あっ……あ、この語呂合わせは塾の先生が言ってたやつで……」
「へぇ~」
……考えて見たら、社会はほとんど暗記問題だから(……全部?)私が横で教える必要ってあるのかな……?
そんな風に自分の存在意義を疑ってしまったけど、別に居心地が悪いなんて事は無い。というか、いつもと違う関くんを近くで見られて楽しい。ああ、そう言えば、関くんと関くんのお母さんに合意の上で関くんの家に入ったのって、これが初めてなんだ。あっ、じゃあ、もっと何か部屋見て反応とかした方が自然……!?
「あっ? あれって……ロボット家族じゃない……!?」
なんて、初めて気が付いたみたいに言ってみる。前に来た時と同じ、棚に置かれている。今日も自宅でリラックス……と思いきやお父さん腹筋してるッ!? あ、お母さんが抑えてる。なんで鍛えてるの!? 運動不足っ?
「……あー」
驚く私を尻目に、チラッと確認した後、すぐに机に視線を戻す関くん。あ、あれ? なんだろ……この反応……。
あ、もしかして、こんな近くで直接話しながらだと恥ずかしくて反応しにくいのかな? そうだよね、いつもは私が少し離れた所から観察してるだけだもんね。これで嬉々として関くんが説明しだしたら、唯のロボットおもちゃで遊ぶ仲良し男女じゃないっ!
……なんだか、そう考えると急に恥ずかしくなってきた! 顔が熱い。少し黙っていよう。
「……どうかした?」
しばらく沈黙している私が変に思ったのか、私の顔を見て、関くんが言う。
「……えっ? いや、なんでもないなんでも」
なんだか、今、気が付いたけど関くんって、こうして喋ってみると全然大人しいじゃない……なんだか、冷静だし……。
ああ、いやだからと言って、この場で「今日は遊ばないの?」なんて言っても無意味だもんね。私がわざわざこの場に居る事やお母さんが頼み込んだ事もあって、関くんは真面目に勉強しているんだろうし。
……って、私ってば関くんに遊んで欲しいの? まあ、そりゃあ関くんの遊びを横で見てるのは楽しいけどさ。
そんな風に横でソワソワしている私を見て勘違いしたのか、
「あ……俺、心配しないでも勉強してるから……横井さんはどっかで寛いでていいよ」
そんな風に言う。
「いや、そうはいかないよ、お母さんに頼まれたんだし……関くんがしっかりやってるか見届ける義務があるから」
ハッキリとそう宣言すると、関くんは手を広げて「はあ」と、やるせない顔で息を付く。
せっかく、俺が楽させてやろうと思ったのに。思ったのはそんな所だろうか?
その後、私も何もせずに見ているのも暇なので、塾や学校の先生が言っていたアドバイスやテストに出そうな所などを中心に教えていた。そうしてひと段落ついた頃。
ドアのノックの後に姿を現したのは関くんのお母さんだった。自分の家だというのに緊張した様子でお膳にコーヒーとお菓子を載せた手を震わせている。関くんはそれを微妙な顔で見ている。いつもこうみたいだ。教科書類をテーブルの下に置き、コーヒーカップを並べる。
「あ、有難うございます、わざわざ」
お母さんに言うと、ニッコリ微笑んで、部屋を出て行った。
「……あ、いーよ食べて」
さすがに、自らがっつくのもみっともないと様子を見ていると関くんがそう言って、勧める。……なんだか、何か思い出しそう……。
「ああ……分かった。この前、関くんにお茶ご馳走になったよね?」
日本古来の煎じて飲むお茶だ。この前授業中に関くんにもらった。二杯も。
「……そんなことあったっけ?」
急に何の話だと言わんばかりに関くん。
「あ、いや……なんだか、その時の事思い出しちゃって……こうやってカップが出されると……コーヒーだけどね」
そう言って笑い、私はコーヒーを啜った。
そうして二人でコーヒーを飲み、お皿に盛られた甘いお菓子を食べている時だった。
「あの時の事……君は……」
ふとぽつりと口にする関くん。
「……えっ? なに?」
「あ、いや……」
だけど関くんは照れたように口をつぐむ。
「気になるよ……なぁに? 関くんっ」
覗き込むように関くんを見る。
関くんは眼だけ横に居る私の方に向けて、
「ああ……うん、君は……横井さんは、俺が遊んでいた時の事、いちいち覚えてるのか?」
「……全部じゃないけど、まあ、大体は思い出せると思う、だって関くん授業中、ほとんど遊んでるじゃない……ああ、まあそのほとんどを見てる私もどうかと思うけど……」
そう言って関くんを見ると、困ったように頬を掻いている。
「もしかして……関くん、照れてる??」
つい、思った事を口にすると、図星だったのか関くんは驚いたような顔で、狼狽すると目下のコーヒーを一気にあおった。
「えっ? ちょっ……せ、関くん!?」
ゴクリッっと、喉が鳴る音が良く聞こえた。
「……にがい」
「あ、あはは……」
そりゃそうだよ……関くん、砂糖も何も入れてないもの……。
関くんはその後も苦味がしつこく残っているのか、舌を出して苦そうな顔をする。
「あっ……? 口直しに私のコーヒーあげようか? まだ、口付けてないから……」
「……い、いや、いいよ、横井さんが飲みな」
関くんはそう言うと、立ちあがり、「何か飲んでくる」と言って、部屋を出た。
私は出されたお菓子――バームクーヘンだ――を、二つ食べ、コーヒーを飲み終えた所で、改めて扉を見る。
――関くんが戻ってくるまで暇だな……。
私は何気なく、立ちあがって部屋の周りを見る。机やその近くの至る所に工具やら文房具やら紙やら何やらが置いてある。中には私には何か分からないようなガラクタやゴミ? もある。その内、関くんの机に置いてあったノートに気が付く。なんとなく気になる……。
無断で人の物を見るのは良くないけど……。しばらく迷った挙句、好奇心が勝り、扉を見てまだ関くんが返ってこなそうな事を確認して、ノートをめくる。
それは普通に数学らしきノートだったのだけど、真面目に書いてあったのは最初の10ページ位で、段々と書き取り方が雑になってくると、ついに、空白スペース……落書きコーナーになってしまった。やっぱり、関くん……全然勉強してないんじゃん。普段どうやってテスト乗り切ってるんだろ……?
これは……怪盗Xかな……? どうやら、怪盗Xのデザイン決めみたいに、いくつかのバリエーションが書いてある。馴染みのあるデザインのものに、採用と書かれ丸で囲ってあった。
その後は、しばらくしょうもない落書きが続き、また、空白に戻った。どうやらこの数学のノートは落書きノートと化している様だ……。表紙の『数学』の文字がどことなく哀愁を誘う。
……そのまま、パラパラと空白ページをめくり続け、もう終わりかと思ったその突如……最後のページに力の入った絵が書いてあり、一瞬、上手い絵だぁ! と、思った時だった。
「えっ……? これ、わたし……?」
額縁の中に描かれた絵は……おそらく、私だった。横を向いた私の顔……良く見ると、額縁の下には絵を持ち上げる――怪盗X――?
しばらく、その絵から目を離せずにいた。う、上手い絵だけど……わたしはこんなに可愛くないかなぁ……(笑)
そんな風に、内心で自虐的に笑っている時だった。
――ガチャ。と、扉の開く音がした時は既に時遅し。関くんが部屋に入ってきて、目の前の机の前に立っている私と目が合う。
「あっ!」
私は、咄嗟にノートを閉じ、固まる。
関くんは、表情を変えずに、私の驚いた顔を見たあと、そのままノートの方に目をやった。すると、何かに気が付いたように目を開き口を開け「あっ……」っと、思わず声が出る。
「……み、みた?」
関くんの物言いは、至極、簡潔なものだった。それと同時に、表情が少しずつ、険しいものになって行く。
「……あっ、あの、いや……違うの……わざとじゃなくてっ……えと……」
私はしどろもどろになって、自分でも何を言っているのか分からない。
「みたの?」
もう一度、関くんが聞く。
「あ、いや! えと……落書きばっかり、描いて~もう、ちゃんとノート取らなきゃだめだよ~?」
心臓がバクバクいってる。笑顔を作るにも、変な表情に見えてないか心配。
「見たのは……途中?」
「えっ……? えっと、なんのこと? たまたま開いたページが落書きだったからすぐ閉じちゃった! あ、ゴメンね? 勝手に見て、勉強の参考になると思ったから……」
なんとか、頭をフル回転させて誤魔化す私。勉強の参考も何も、数学のノートを見てもしょうがない。
「……そう」
そう言って、安堵するように息を吐いて座った。
反応から見るや、やっぱり関くんは、最後のページを見られたかどうかが心配みたいだ。だけどどうにか、誤魔化しきれたみたい。本当は、最後どころか全部のページをパラパラと見ました、なんてとても言えない。
その後、わたしは怪しまれないように笑顔を振きながら引き続き勉強を見た。時間がたつにつれ段々と落ち着き、なんとか事無きを得た。
そうして、晩御飯時から少し早い時間に返される。帰り際にお母さんから「今日は本当に有難う、またお願いね」ととても感謝されたが、ノートの件がまだ、頭にあった私は少し戸惑いながらも家を後にした。
帰っている途中……やはり、あのノートの事が頭をよぎる。わざわざノートの最後のページに書いてあった事……明らかに力の入った絵だったし、あの関くんの反応を見ても……。
すごくモヤモヤする。すごく気になる。アレは……どういうつもりで……? 授業中に描いたのかな? 確かに、私は常に関くんの遊びを見ている訳じゃないから……描くタイミングはあるかもしれないけど、でも、関くんが私の方を見てることってないけど……。
結局、その後、ご飯を食べている時も、お風呂に入っている時も、お布団に入っても、その事を考えていた。だけど答えは出ない。なんなんだろう。どうだったらいいんだろう? 自分でも良く分からなかったけど、確かなのは、なんとなく嬉しい事と、関くんの描いた私の横顔が未だに目の前に見えるみたいに頭からくっ付いて離れない。それだけだった。