ハイスクールD×D 英雄志望の少年   作:北斗七星

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 展開が早いのはご愛嬌ってことで一つ。早く原作入りたいもので。


迫る影

『ほれほれ、さっさとやってみるにゃん。昨日は私抜きでも出来てたじゃにゃい。自信持つにゃ』

 

「はい!」

 

 何時もの修行場。ニャンコ大先生、もとい黒歌の指示を受け、龍一郎は両腕を腰に沿えるような体勢で魔力を練り上げ始める。どうでもいいが、喋る黒猫の指示をクソ真面目に実行する中学生の図は複雑怪奇なことこの上なかった。

 

 ふぅ、と短く息を吐き出す。体の中を駆け巡る魔力を風に変え、体外に解き放つ。そして間髪入れずに圧縮して自分の周囲に留めるイメージ。

 

『む』

 

 刹那、奔った風に黒歌は一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに上機嫌な表情を浮かべる。目の前では全身に風の鎧を纏った龍一郎が立っていた。鎧というには少しばかり大きい上に丸く、どこか繭のような印象を覚えるが、鎧としての体は成していた。この前のように風が弾ける気配もない。

 

『ちょっと不恰好だけど上出来だにゃん』

 

「やった、遂に成功した……」

 

 黒歌の特訓を受け始めてから凡そ一週間。ついに龍一郎は自分の思い描いていたものを手に入れた。成功させた当の本人は信じられないと言いたげな顔をしていたが、彼の周囲では現実を突きつけるかのように風が静かに渦巻いている。

 

「……よし!」

 

『じゃ、喜びを噛み締め終わったところで早速実践テストにゃ』

 

 ぐっ、とガッツポーズを作ったのも束の間。口を半開きにさせる龍一郎を余所に黒歌は尻尾をくいっと傾けた。途端に森がざわめきだす。風が吹いているわけでもないのに葉と葉が擦れ、枝が揺れている。

 

「あの、ニャンコ大先生、一体、何を」

 

『集中集中。私と話している暇にゃんてにゃいわよ』

 

 どういう意味かと問おうとする龍一郎の背後で微かな風きり音。振り返ろうとした龍一郎の後頭部に何かが直撃した。顔面から地面に突っ込む龍一郎。

 

「っ……一体、何だ!?」

 

 地面に突っ伏した状態のまま、手探りで自分を襲ったものを探す。見つかったのは青々とした緑色だった。

 

「葉っぱ?」

 

『ぼうっとしにゃい。次が来るにゃよ』

 

 再び龍一郎の耳が風きり音を捉える。咄嗟に横に転がると、さっきまで自分のいた場所に数枚の葉っぱが手裏剣のように突き刺さっていた。

 

「そっか、ニャンコ大先生が妖術で森を操ってるのかって、今度は何だぁ!?」

 

 足元が盛り上る。後ろに下がった龍一郎を追うように木の根が地面突き破って飛び出してくる。木の根は触手のように蠢きながら龍一郎へとかなりの速さで迫っていった。

 

『頑張って逃げにゃいと大切なものを失っちゃうにゃよ? 初めてが触手プレイとか嫌でしょ』

 

「俺に何するつもりなんですか!?」

 

 言っている事は皆目見当がつかないが、捕まったら碌でもない目に会うことは確実だ。龍一郎は死に物狂いで走り回る。風の鎧の恩恵か、常人であれば視界に収めることも困難な速さだ。

 

『にゃむ。木一本分の根っこじゃ余裕みたいね。じゃあ、十倍に増やすにゃん』

 

「極端すぎぃ!!」

 

 龍一郎の涙交じりの悲鳴も届かず、黒歌は無情にも這い回る木の根の数を増やした。転がったり大きく跳んだりして避けていた龍一郎も物量には敵わず、じりじりと逃げ場を失っていく。時折、足首に絡みつくほどの距離まで近づいてくるが、風の鎧が弾いてくれるお陰で捕まらずに済んだ。しかし、その都度風の鎧が弱まっていくのが分かった。このままでは破壊されるのも時間の問題だろう。

 

「このままじゃ捕まる……だったら、上ぇ!!」

 

 即座に判断し、龍一郎は地面を蹴って飛び上がる。更に赤い帽子がトレードマークの某配管工のように壁(に見立てた木)を蹴ってもっと上に行こうとしたが、ここで予想外のことが起きた。ジャンプの勢いが思っていた以上に強く、壁を蹴れずに勢い良く木の幹に全身を打ちつけてしまったのだ。

 

「あふん」

 

 意識が遠のく龍一郎。同時に彼を守っていた風の鎧もどこかに吹き散っていく。

 

『流石にあそこから落ちたら死ぬわね』

 

 数メートルの高さから真っ逆さまに落ちてくる龍一郎を受け止めるため、黒歌は木の根で即席のマットを作る。ボフン、と龍一郎は根っこマットのど真ん中に落ちた。

 

『大丈夫、龍一郎?』

 

「ん、ん~。何とか……」

 

 のろのろと起き上がった龍一郎の顔には見事な幹の跡が出来ていた。駆け寄ってきた黒歌に礼を言いながら龍一郎はマットから下りる。

 

「あの、ニャンコ大先生。やるんならやるって前もって言ってくれると嬉しいんですけど」

 

『にゃにを甘えたことを言ってるの、この馬鹿弟子。正統派の怪盗じゃあるまいし、どこの世界に自分が襲うことを予告してくる敵がいるにゃん』

 

 そう言われてしまうとぐうの音も出なかった。

 

『文句を垂れる暇があったら風の鎧の問題点を考えるにゃん。実際に使ってみてどうだった?』

 

「問題点ですか……」

 

 数秒、考え込む。それだけでも幾つかの問題が浮上してきた。

 

「真っ先に思い浮かぶのは俺自身の動きですね。何だよ、あの無様としか言い様の無い避け方」

 

 確かに必要以上に大きな動きで回避行動をしていた様は無様を通り越して滑稽だった。黒歌自身、龍一郎が弟子でも何でもない赤の他人だったら腹を抱えて笑い転げていただろう。

 

「もっと、小さなステップとか足捌きとかで避けれるようにならないと」

 

『あれだけ無駄のある無駄にゃ動きで速く動けたんだから、龍一郎自身がもっと回避技術を鍛えれば更に速くなれるにゃ』

 

「ですね。後、風の鎧自体が弱いです。もう少し攻撃を貰ってたら、間違いなく剥がされてました」

 

『そうにゃの? そんなに力は使ってにゃかったんだけど。あの程度の攻撃で壊れるとか、貧弱にも程があるにゃん』

 

 ですよね~、と項垂れる龍一郎。実際、木に激突した時も風の鎧は消えていた。少しの攻撃で破壊されるようではお話にならない。もっと、強固に作る必要があった。それに大きすぎるのも問題だ。もっと、薄く小さくしなければ実戦では役に立たないだろう。

 

「課題は山積み、か……」

 

『ま、それはこれから出切るようににゃればいいにゃん。今は目的が達成できた事を喜べばいいにゃん』

 

 ですね、と龍一郎は頷く。

 

『よし、じゃあ今日はこれくらいにして帰るにゃん』

 

 気合いを入れ、もう一度風の鎧を作ろうとする龍一郎のやる気を著しく削りとる黒歌の発言。すっ転びそうになりながら龍一郎は黒歌に驚きと不満の顔を向ける。

 

「え、もう終わりですか?」

 

『一応のラインには到達したんだし、お祝いするべきにゃん。ご馳走を要求するにゃん♪』

 

 楽しげに黒歌は舌をぺろりと出す。それが目的かと龍一郎は脱力するも、黒歌の提案を断ろうとはしなかった。

 

「じゃ、帰りましょうか」

 

 ひょいと黒歌を抱き上げ、頭の上に乗せる。ここ最近、龍一郎の頭の上が黒歌のベストポジションとなっていた。

 

「ニャンコ大先生、何か食べたいのってあります?」

 

『めでたい、とかけて鯛とか食べたいにゃ』

 

「骨多いですよ?」

 

 揺れる頭の上で器用にバランスを取りながら黒歌は道中の龍一郎との何気ない会話を楽しむ。最初はただの暇潰しのつもりだったが、何だかんだで今の生活に心地良さを覚えていた。

 

(私にゃんかがこんな楽しい生活送っていいのかにゃ……白音)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月日が流れるのは早いもので、龍一郎が黒歌に師事するようになって一ヶ月が経過した。夏休み終了を間近にして、龍一郎は風の鎧、改め『風王纏鎧(アーマード・エア)』も完成一歩手前まで漕ぎ着けていた。

 

「『風王纏鎧』完成までもう少し……時間かかったなぁ」

 

『にゃにを言ってるにゃん。新しい魔術を作り出して、実戦で使えるレベルまで昇華させるのよ。一ヶ月そこらでどうこう出切る訳にゃいにゃ』

 

 寧ろ、たった一ヶ月でここまで形に出来た方が驚きだ。

 

「ここまで出来たのもニャンコ大先生のお陰です。本当にありがとうございます」

 

『にゃっふっふっ、もっと感謝してもいいのよ? でも、あんたも誇っていいと思うわよ。あんたの努力と根性が産み出した結果にゃんだから』

 

「いえ、俺などまだまだで……」

 

 その日の修行を追え、晩御飯への買出しへと向かう二人。修行を始めてからというもの、二人はトイレと風呂以外で離れた事はなかった。流石に龍一郎が友人達と遊びに出かけた時はその限りではないが、予定の無い時は何時も一緒にいた。

 

「あら、龍一郎ちゃん。それにニャンコ大先生ちゃんもいらっしゃい」

 

「こんにちは」

 

「にゃ~」

 

 勿論、買い物に行く時も一緒だったので、今では頭に黒歌を乗せた龍一郎が商店街に来ても誰も驚かなくなっていた。というか、ちょっとしたマスコットになっているのが現状だ。肉屋に訪れた二人を恰幅のいい中年女性が出迎える。

 

「今日も何時もの?」

 

「はい、お願いします」

 

「にゃん」

 

「オマケもよろしく、だそうです」

 

「ふふ、相変わらず清々しいほど図々しいわね。流石、大先生」

 

 女性は愉快気に苦笑しながら龍一郎が何時も買っていく肉類を慣れた手付きで包んでいく。その途中で何かを思い出したのか、手を止めて龍一郎を振り返った。

 

「そう言えば知ってる、龍一郎ちゃん?」

 

「知ってるって、何をですか?」

 

 女性の主語の無い問いに龍一郎は首を傾げた。実はね、出たらしいのよと女性は声を潜める。

 

「出たらしいって、お化けですか?」

 

「そうなのよ。科学が発達した今日日、白昼堂々出てくるなんて大した奴って違うわ。不審者よ、不審者」

 

 不審者? と龍一郎と黒歌は揃って眉を顰める。穏かな日常には不釣合いな単語だ。

 

「そう、不審者。私は実際に見た訳じゃないから分からないんだけど、三十代くらいの男の人だったらしいわ。服はボロボロ、目は血走っててぶつぶつ何か呟いてたんですって」

 

 三百六十度、どこからどう見ても不審者だ。

 

「そりゃまたおっかないですね」

 

「そうねぇ。警察が来る前にどこか行っちゃったみたいだし、まだこの近くに潜んでるかもしれないわね。龍一郎ちゃん、今日は寄り道しないで真っ直ぐ家に帰らなきゃ駄目よ……あぁ、そうそう」

 

 と、更に何かを思い出したのか、女性はポンと手を打った。

 

「その男の人ね、背中に翼をつけてたんですって」

 

 翼ぁ? と怪訝な表情を浮べる龍一郎の頭の上、黒歌の体が一瞬だけ強張った。

 

「翼っていうと、鳥みたいな?」

 

「どっちかっていうと、蝙蝠みたいなのだったって話よ。コスプレ趣味の不審者なのかしら?」

 

「仮装って訳じゃないですよね。ハロウィンにはまだ早いし」

 

 二人仲良く頭を捻るが、コスプレ趣味の不審者のことなど分かるはずも無かった。女性から肉を受け取り、龍一郎は次の店へと向かう。道中、黒歌が鳴くことは一度も無かった。

 

 

 

 

「どうかしたんですか、ニャンコ大先生?」

 

『……どうしたの藪から棒に?』

 

 風呂場、龍一郎は黒歌の体を洗いながら気になっていた事を訊ねた。大量の泡に塗れながら黒歌は片目を開け、濡れてもいい格好に着替えた龍一郎を見上げる。いやですね、と手を止めないで龍一郎は言葉を続けた。

 

「何だか、大先生。夕飯食べた後、というか家に帰って来てから元気が無いように見えたんで。何か悩み事ですか?」

 

『そうねぇ……不肖の弟子が明日のテストで合格ラインを超えられるかどうか不安って悩みならあるにゃん』

 

 黒歌の返しに龍一郎は言葉を詰まらせる。黒歌のいう明日のテストというのは『風王纏鎧』の最終試験のことだ。彼女曰く、このテストを無事に突破することが出来れば実戦で『風王纏鎧』を使っても問題ないらしい。

 

『内容は夕飯の時に言ったとおりだにゃん。私の心配をする暇があったら自分の心配をしにゃさい。あ、耳の後ろもっと掻いて』

 

「ここですか?」

 

『あ~、そこそこ……』

 

 うっとりと目を閉じる黒歌。これ以上、このことに関して話すつもりは無いようだ。黒歌の無言の返事を受け取り、龍一郎はそれ以上何も問わなかった。泡だらけになって黒毛が見えない黒歌にゆっくりとお湯をかける。

 

『にゃふ~。やっぱり、風呂はいいものだにゃん』

 

 とても猫とは思えない発言だった。全身から泡が落ちたのを確認し、黒歌は湯を張った風呂桶に体を沈める。龍一郎の家に厄介になって以来、その風呂桶が彼女の湯船となっていた。

 

『何時まで見てるつもりにゃん。レディーの入浴シーンを覗くなんて紳士的とは言えにゃいにゃん』

 

「いや、別に覗いてる訳ではないですよ」

 

 慌てて風呂場から出て行く龍一郎。風呂場の扉を閉め、小さくため息をつく。

 

「はぐらかされたか」

 

 黒歌の悩みが明日のテストのことでないのは明らかだった。それは分かるのだが、肝心の黒歌の悩みがどういうものなのか龍一郎には皆目見当がつかなかった。

 

「……そういや、俺。ニャンコ大先生について何にも知らないな」

 

 改まった口調で龍一郎は呟く。一ヶ月近い期間、同じ屋根の下で過ごしてきた。だというのに龍一郎は黒歌についてほとんど何も知らなかった。彼女自身、自分のことについて話そうとはしなかったし、龍一郎も黒歌の修行をこなすのに必死で気にする余裕も無かった。

 

「でも、名前すら知らないって駄目だろ、流石に」

 

 一ヶ月の間、先生と仰いだ相手の名前を知らないというのは幾らなんでもまずいだろう。龍一郎が確実に言えることはただ一つ、ニャンコ大先生という名が彼女の本名ではないということだ。

 

「でも、どう聞けばいいんだ?」

 

 そこが問題だった。今まで聞くタイミングが掴めなかったとはいえ、今更名前を教えてくださいというのも気が引けた。どうするか、と頭を抱えていた龍一郎だったが、すぐに妙案を思いついた。

 

「明日のテストで合格したら、ご褒美として本当の名前を教えてもらえばいいじゃん」

 

 そんな些細なご褒美で良いのか、と思わず問いたくなることを抜かす。何とも欲の無い男だった。

 

「そうと決まれば、明日は絶対に合格しないと。うし、気合い入ってきた。頑張るぞ」

 

 おー、と近所迷惑にならない程度に気勢を上げ、龍一郎は室内でも出切る『風王纏鎧』の練習をする為に自分の部屋へと戻っていった。

 

 

 

 

「す~、す~」

 

 ベットの上で薄いタオルケットを被った龍一郎が穏かな寝息を立てている。時刻は午前二時。龍一郎の眠りは深く、ちょっとやそっとのことでは起きそうになかった。

 

「……ふふ、気持ち良さそうに寝ちゃって」

 

 龍一郎の額にそっと手が置かれる。僅かに身動ぎするが、特に起きる気配はなかった。龍一郎の枕元に立つその人物は愛おしそうに龍一郎を撫でていた。頭に大きく黒い猫耳を生やした、黒い和服にダイナマイトボディを押し込んだ美女だ。

 

「本当、無防備な寝顔。龍一郎、私って実はとっても悪い奴なのよ? 変なことされちゃうかもよ?」

 

 自嘲の笑みを浮かべながら美女、黒歌は膝を立てるように座って龍一郎の顔を覗きこむ。かつて、彼女は悪魔だった。悪魔と言っても主に仕える、所謂眷属だが。

 

 とある理由から彼女は自身の主を殺し、悪魔に追われる身となった。元々の強さもあり、追っ手を追い返しているうちに気がつけばSS級のはぐれ悪魔になっていた。

 

 帰れる場所も頼る人も居らず、黒歌は長い間、孤独に世界を逃げ回っていた。猫とは自由と孤高を愛するものだと強がり、快楽的に生きる事で追われる身でありながらそれなりに楽しくやっていた。だが、どうしても独り故の寂しさが拭えずにいた。

 

 そんな時、出会った。出会ってしまった。日乃輪龍一郎という存在に。我流で新しい魔術を作ろうとしていた、無知で無謀としか表現出来ない少年。偶然、出会ったこの少年に黒歌は気紛れで魔術を教えることにした。

 

 いや、気紛れでないことは黒歌自身よく理解している。彼女は他者との触れ合いに飢えていた。会う奴といえば追っ手の悪魔ばかり。言葉を交わすことは当然として、触れ合うことなど出切る訳が無い。悪魔以外の他種族と交流すれば良かったのかもしれないが、交流できるだけの知能を持った種族には彼女が主殺しだということが知れ渡っていた。そんな奴と好き好んで関わろうとする者は誰一人としていなかった。

 

 その点、龍一郎は非常に理想的だった。魔術の存在を知っているため猫が人の言葉を話すことを何の抵抗もなく受け入れてくれたし、何より黒歌の事情を知らない。主殺し、と恐怖の視線を向けられないのは黒歌にとって大きな救いだった。

 

「楽しかったにゃあ……」

 

 しみじみと黒歌は呟く。龍一郎と共に過ごした一ヶ月、本当に楽しかった。自分の教えを吸収し、しっかりと成長していく龍一郎を見ているのが楽しかった。晩御飯の献立やテレビで見たことなど、何気ない日常の事を話すのが楽しかった。はぐれ悪魔になったあの日以来、こんなに楽しい日々は無かった。

 

「ありがとう。大好き」

 

 起きないように細心の注意を払いながら龍一郎の頬にそっと口付けする。自分に暖かな日常を送らせてくれた龍一郎が彼女は大好きだ。

 

 ニャンコ大先生、と敬意を持って接してくれる龍一郎が大好きだ。

 

 与えられた課題に真摯に取り組む真剣な龍一郎が大好きだ。

 

 抱き上げてくれる両手の感触、頭の上の居心地の良さが大好きだ、

 

 優しく体を洗ってくれる龍一郎が大好きだ。

 

 冗談や意地悪に困ったように苦笑する龍一郎が大好きだ。

 

 黒歌は龍一郎が大好きだった。

 

 だからこそ、彼女は龍一郎と分かれねばならなかった。

 

「翼の生えた不審者。私を追ってきた奴よね」

 

 そう考えて間違いないだろう。この一ヶ月、ぬるま湯のように平和な生活をしていて忘れかけていたが、黒歌に確かな憎悪と殺意を抱いて彼女を探しているものはいるのだ。例えば、元眷属仲間の悪魔とか。

 

 相手にしてみれば長年追いかけていた怨敵だ。黒歌を見つければ、間違いなく襲ってくるだろう。もし、その時に龍一郎が一緒にいれば確実に巻き込んでしまう。それだけは絶対に避けたかった。

 

 明日、ここを発とう。黒歌は秘かに決心した。龍一郎の『風王纏鎧』が完成させたのを見届けて、もう教えることはないと先生らしいことの一つでも言って別れよう。

 

 別に大したことではない。ただ、行く先も帰る場所もない孤独な一人旅に戻るだけ。一ヶ月前まで、ずっと送ってきた日常に戻るだけだ。それだけのはずなのに何故こんなにも胸が苦しいのだろうか。

 

「……ずっと一緒にいたいなぁ」

 

 叶わぬと知りながら言葉にせずにはいられない。一人の少年に心を奪われた愚かな黒猫を窓から覗く月が何も言わずに照らし続けていた。

 

 

 

 

 夢を見た。女の人がいた。

 

 死の恐怖と孤独に付き纏われると知っていながら茨の道を進んだ強い人だ。

 

 気紛れでも打算であっても、取るに足らない存在に手を差し伸べてくれた優しい人だ。

 

 二度と触れられぬと思っていた暖かさに触れてしまい、失うことを恐れている寂しがりな人だ。

 

 泣いている。誰だか分からないが、大切な人が泣いている。

 

 だから思った。この人の涙を止められるような存在(ヒーロー)になりたいと。




 こんなの黒歌じゃない? 俺もそう思いますよ。
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