「時臣君、想定外のことだ――8体目のサーヴァントの存在が確認された」
夜も深い刻限。
神聖な静寂に包まれているはずの冬木教会では、微かな動揺が漂っていた。半分もない月の光だけが唯一の明かり。年間を通して特に冷え込む今の時期だからこそ、光と暗闇が世界を支配する。
静かな夜だった。
だからこそ、声の主――言峰瑠正神父の狼狽が露出してしまったのかもしれなかった。
魔術。
それは人類史の背後で脈々と受け継がれている一種の技術である。
風を起こす、炎を生み出す、水を沸かせ 地を揺るがす。ある者は降霊術によって異界のものを召喚し、またある者は錬金術によって魂を生み出す。それらの総称が魔術である。
もっとも、科学の発達した現代においてその数は減り、いまや偉大な魔術師を見つける方が難しい。が、存在しないと言うわけではない。
ここ日本の冬木にも、その消えつつある魔術師はひっそりと存在している。
遠坂家当主・遠坂時臣。
「余裕をもって優雅たれ」を家訓にした貴族然とした男は、今はその優雅を必死に取り繕って年代物の蓄音機に向かって言葉を紡いでいた。蓄音機は魔術によって――件の教会と繋がっている。
「……クラスは?」
聖杯。
それは、ありとあらゆる願いをかなえる奇跡の器。
と言ってもそれは、かの救世主・イエスキリストが死した際の血を受け止めた聖遺物とは異なるものだ。この業界で使われる“聖杯”とは即ち“万能の願望器”の意であり――言うなれば「願いをかなえる機能」さえ備えていたら、それは聖杯なのである。よって魔術師はこぞって魔術的儀式によって万能の願望器を――聖杯を製作しようとするのだ。魔術師は皆、「根源への到達」――平たく言えば「この世の真理を視ること」を目標・願望としているのだから。
ゆえに。魔術師がいる場所には聖杯に準じたものが生まれやすいのは必然で。
魔術師・遠坂時臣が根城としているこの冬木においても――聖杯は今まさに、生成されようとしていたのである。
冬木における聖杯は、場所が日本と言うこともあってか、呪術的観念を多く孕んでいる――とは後の魔術研究の大家が語ったことであるが、確かに所謂魔術礼装の類とは一線を画す手順を踏む。
簡単だ。聖杯を求める七人の魔術師がマスターとして古今東西の英雄を召喚、使役して殺し合うこと――である。さながら英霊と言う規格外の存在を使った蠱毒、とでも称すべきか。
いずれにせよ、物珍しい精製法でありながらその本質はあまりに魔術師的としか言えない残忍なものであり、よって冬木の聖杯生成を――生き残った一人しか聖杯を得ることが出来ないことも揶揄して――“聖杯戦争”と呼ぶのである。
そして。上等なスーツを纏い、上品な紳士然としたこの男……遠坂時臣もまた魔術師。
この戦争に参加しないはずもなく――失敗を重ね4回目となる戦に、ひそやかに執念を燃やしているのだった。
「……瑠正神父、クラスでなくとも、その……8体目として召喚されたそれに関する情報は、何か?」
聖杯戦争を取り仕切っているのは聖堂教会であり、監督者・言峰瑠正は立場上、全ての聖杯戦争参加者、すなわち、マスターに対し中立を保っている。なので本来ならば、瑠正神父と遠坂時臣がこのように――親しくおしゃべりに興ずるなど、ありえないし あってはならない。
つまりこれは、このような聖杯戦争に全く関係ない話だとしても……“水面下”の会話なのだ。
水面下の共闘ゆえ顔を突き合わせての情報共有は不可能、よってどうしてもそれは音声だけの通信となる。が、それでよかったのかもしれない。互いに声の動揺こそ押しこめたものの、背中に滲む厭な汗を意識せざるを得なかったのだから。
「それが何も……。ただ言えることは、サーヴァントが召喚されたということだけだ」
それも確実に。 苦々しく呟いた瑠正神父は思考を巡らせる。
8騎のサーヴァント、これは異常だ。想定外も甚だしい不慮。そもそも前例がないため対策も立てようがなく、あまりに未知数。
こたびの聖杯戦争が始まり、最初の敗者――言峰綺礼が“中立地帯”である教会に保護された直後。幕が開けた瞬間に起こったイレギュラーだった。
「なるほど。思ったようにはいかない……というわけですね」
第4次聖杯戦争、公式第一戦という名の寸劇を終え、退屈そうにどこかへと消えた自らのサーヴァント――アーチャーをも重ねて言う。召喚時のあの興奮とは裏腹に、何か歯車がかみ合わない。自らが考案した戦略と、少しずつ離れていく。焦燥感に似た何かが時臣を襲った。
「だが時臣君。これは推測の域を出ないのだが、ここ冬木での聖杯戦争の構造的に、同一クラスでの召喚はまず起こりえない。つまりこの8騎目は、正規7クラス外の、言わばエクストラではないかな」
「なるほど……。おっしゃるように、エクストラである可能性は非常に高そうです。現に先の戦争ではアインツベルンが奇妙なサーヴァントを現界させている……、ですよね」
冬木における聖杯戦争に召喚されるサーヴァントは、用意された7つの器に当てはめるという形によって、安易な召喚を可能とされている。
この正規7クラスは特性こそ各々違うものの、“戦争”の名に恥じぬ戦闘力・殺傷力・機動力を兼ねたクラスばかりだ。
つまり、それ以外である《エクストラ》とは、戦争に適したクラスではない可能性が極めて高い。これは、前回の第3次聖杯戦争においてアインツベルンが召喚したアヴェンジャーにも言える仮説だ。
加えるならば、正規7クラスにはその特性に応じたクラススキル――つまり戦闘をより有利に進める能力を付与されるのである。
「想定外――ですが、正規の7クラスではないからこそその力は戦闘に適していない可能性が高い。もちろん、だからと言って油断は大敵ですが」
口に出していくうちに、時臣は推論を確信に変えた。それは言葉の抑揚にも表れ、結果遠く離れた瑠正神父にも勇気を与える。
そう、これは些事に過ぎない。根源に至る為の険しく厳しい道のりを思えば、これは障害ですらないのだ。
そもそも時臣は最強のサーヴァント・英雄王ギルガメッシュを擁している。対サーヴァント戦では戦略と言う概念を抱くことすら無意味な圧倒的暴力。更に、寝首をかかれる恐れのあるアサシンも、マスターたる言峰綺礼と共闘するという形で取り込んでおり、万策を以てなお他陣営の勝利は考えられなかった。いくらエクストラが強かろうが“絶対”の前ではそれは揺るぐ。所詮――鷹の前で戯れる雀に等しいのだ。
「瑠正神父、ご安心を。戦争とはアクシデントをどう対処するかが肝要なのです。そして私は、それに対し心得がある」
「……そうだな。
すまなかったね 時臣君。こんな夜分に」
連絡を取ってきた時が嘘のように、瑠正神父は軽やかに言葉を紡ぐ。眉間のしわは薄れ、普段の穏やかな色味が月明かりに照らされた。杞憂。彼はそんな魔にまとわりつかれていたに過ぎなかったのかもしれない。
「いえ。ご忠告、痛み入ります」
とても小さな、些事とも呼べぬ些事。英雄王ギルガメッシュのアーチャーと言うクラスでの現界、エクストラと言う招かれざる客の現界。それが、第4次聖杯戦争をその結果に運命づけたことを――今はまだ、誰も知る由はない。