赭石のイアーティス  ───What a beautiful dawn───   作:6mol

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名前

 

 

 

 

───その男は、青い姿をした男だった。

 

狂気に侵された男だった。奇妙な男だった。二足ではない、四足の異形の男だった。

《青い男》───エドは瓦礫に深く片膝をつき、手を地面につけて辺りを探る様な仕草を見せる。

 

「ここだ。ここで……フィリアの気配は途絶えている」

 

知覚深度を最大にまで上げ、超常たる知覚能力を得たエドはフィリアの動向を探り理解する。瓦礫と靴の擦れる香り。漂っている、どこか甘い少女の香り。それがこの場で不自然に途切れている。つまりは此処で少女は『あちらの世界』へ誘われたのだと確信した。

 

───しかし、此処までだ。

フィリアが引き摺り込まれた世界……《鋭角時間世界》にエドは自分の力で入る事はできない。

あの世界に彼の入り込む余地はない……入る方法はただ一つ、あの少女に『呼ばれること』だけ。

 

「───呼んでくれ」

 

───呼んでくれ。僕の名前を。

呼んでくれなければ、助けに行けない。

長らく感じた事のない感情───それは『焦り』と呼ばれるものだった。

青き空の様に、あるいは機関めいて己というものを持っていなかったエドにして久しい感情。

急速に、異常な速度でエドは『存在』を与えられていっている。『自分』というものを持ち始めている。

それは言うまでもなく───フィリアの影響なのだろう。

少女の笑顔を思い出す度に、エドは自分のどこか内側が掻き毟られるかのような錯覚さえ覚えている。

───諦めない少女。

───笑顔の似合う少女。

───いつも、どこか寂しそうな少女。

───どうして、出会ったばかりだというのに自分はフィリアの事となるとこうも不安定になるのか。……いや、わかっている。

理由など、当にはっきりしている。

 

───重なるからだ……少女が、『彼女』に。

 

『風邪、引いてしまいますよ?』

 

あの深淵(サルース)で、そう言って自分に傘を差し出したフィリア(少女)がどうしようもなく彼女に似ていたから。

あの帝国。あの暗がりの路地で。

 

『───うちに、おいで』

 

───手を差しのべてくれた、彼女に。

 

「呼んでくれ、僕の名前を」

 

きっと助ける。きっと君の力になる。───今度こそ僕は救ってみせる。

音のない瓦礫の山の中、静かにエドは呼ばれる時を待ち続ける。

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

───目の前に立つ少女を見て、私は自分が今まで何をしていたのかを理解する。

『そうであって欲しくない』、そう願って目を向けた先は……やっぱり……

 

この時が、いつか来るとは思っていた。

私が1番恐れていたこと。私が1番忌避していたこと。

 

『───フィリア』

 

───来てしまったのね、フィリア。この街に。

 

こんな、こんな伽藍堂の街に。死の蔓延る時間世界に。

貴女だけには来て欲しくなかった。貴女だけには助かって欲しかった。知らないままでいて欲しかった。

 

───こんな私を、見て欲しくなかった。

 

ごめん、ごめんなさいね、フィリア。貴女には綺麗な、尊敬できるお姉さんでいたかったの。素敵なお姉さんでいたかったの。

例え……私がいなくとも、貴女が幸せならばそれが私の幸せなの。

 

「───アーテル姉さん」

 

───ああ、やっぱり。

 

貴女は気付いてしまったのね。こんな醜い姿の怪物が、私だという事を。

良い子。賢い子。本当なら、偉いねと褒めてあげたいくらい。

 

───けれど、私にはもう時間がない。

 

私は既に白痴に近づき過ぎている。脳髄に至るまでが既に侵されている。

狂っているのよ、もう。誰よりも大切な貴女を……喰らう直前まで貴女と気付かぬ位に。

この街を壊し過ぎた。そしてこの街を徘徊する者達を殺し過ぎた。

殺して殺して。殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して殺して───

殺し過ぎて、もう自分がどこにいるのかわからない。

導管の唄(イステ)が脳に響き、無数の腕が私の身体に侵食する。捕らえて離さない狂気の詩。

 

───もう、私は私で無くなってしまう。

 

───ああ、そう考えれば……最後に貴女の顔を見れてよかったのかもしれない。

 

私の役目はもう終わる。『アーテル』という存在は溶けて消え、残るのは殺戮の災厄だけ。

ならば、最後に私ができる事は───

 

 

 

『───フィリア、聞いて』

 

 

 

あなたを、導いてあげることだけ───

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

『───フィリア、聞いて』

 

目の前の異形から───アーテル姉さんの声が聞こえた。大好きな声。優しい声。

───わかる。

───それだけでわかってしまう。

この異形が、アーテル姉さんなんだという事。

どうして、そんな姿なの?アーテル姉さんに何があったの?……そう聞きたいのに、喉が萎縮して声を発することが出来ない。

先程追いかけられていた時のような恐怖は既にない。けれど……もっと別の恐怖が鎌首を擡げている。

 

「アーテル姉さん!……なんで……」

 

やっと絞り出せた声。けれど、聞きたい事は聞けないまま。

私は、臆病だ。本当に。嫌になってしまうくらいに、臆病だ。

 

───黄金の瞳が、私を見る。黄金の瞳。あの男の人が《黄金瞳》と呼んでいたそれ。それが、ギョロリと私を見ている。

 

『フィリア、お願い……聞いて』

 

「───聞こえてますっ!アーテル姉さんっ」

 

───何かを、伝えようとしている。アーテル姉さんが、私に何かを話そうとしている。

───直感でわかります。これは聞き逃してはならない事だと。

 

大丈夫なのかと聞きたい。元の姿に戻れるのかと聞きたい。けれど───それさえ赦されない。

 

『───フィリア、ごめんなさい、ね。情けない私で』

 

何を言ってるの。姉さんは情けなくなんてない。

 

『───どうしても、貴女のことを守りたかったの』

 

知ってます。そんなこと、私が1番知ってますよ……だって、アーテル姉さんはいつでも私を守ってくれていたもの。

 

『───だから、ね、聞いて……フィリア。貴女に返さなきゃいけないものがある』

 

そう言ったアーテル姉さんは、酷く辛そうで。私はまた泣きそうになる。泣かないってお母さんと約束したのに、泣きそうになる。だって、こんなの辛すぎる。

 

『本当は、返したくないの。ずっと持っていたいの』

 

なら、返さなくてもいい。返さなくていいから、そんな───

 

───お別れみたいな事、言わないで。

 

『そういうわけにはいかないのよ……返さなきゃ、貴女は前に進めない。私はずっと貴女の脚を引いていたの』

 

───引いたままでもいい。アーテル姉さんが辛そうな顔をする位なら、前になんて進めなくていい。脚だって引いていていい。

───引いていていいから、姉さんが触れていてくれるならどうだっていいんです。

 

『───優しい子。いい子ね、フィリア……貴女ならきっと《出口》へと辿り着けるわ』

 

《出口》───

この《大洞窟》で唯一囁かれる御伽噺。この大洞窟を抜けて《空》の下へと向かうための幻想。

 

『あなたなら、きっと大洞窟の出口へと行ける。そして、そこに辿り着くには私は邪魔なの』

 

邪魔だなんて、そんなわけない。そんなわけ、ないじゃないですか。

 

『───だから、あなたは行きなさい。だから、あなたが殺しなさい』

 

───出口へ行きなさい。

───私を殺しなさい。

───不思議と、アーテル姉さんの言いたい事、願っている事がわかる。そんなに、そんなに……

───そんなに死にたいんですか、アーテル姉さん。

 

「姉さん……」

 

『───いいえ、違うわフィリア。貴女が呼ぶのは……呼ぶべき人は私じゃない』

 

頭が、ぐるぐる、混乱していて。

一瞬、ほんの一瞬アーテル姉さんが何を言っているのかわからなかった。

 

『───貴女には、もう守ってくれる騎士がいるでしょう?……』

 

最後は、囁くような声色だった。きっと、その声は私にしか届いていない……私にしか聞こえない声だった。

 

 

『───マイさん……信じてるわ』

 

 

───聞いた。聞こえた。確かに。

名前。人の名前。大切な名前。もう、呼ぶことのできない大切な名前。

───お母さん。

最後にアーテル姉さんが囁いたのは、その名前。私の、大好きな『お母さん』の名前───

 

 

 

 

 

───《マイノグーラ》。

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

ぞぶり、と鳴る歪な巨体。

かそけしな人の香りは消え失せ、その奇妙な姿は変容を果たす。アーテルという女は死に、其処に残るのは破壊者という名の災厄だけ。

 

───黄金瞳は既に得ている。

自我が今まで残っていたのが奇跡であり、その異形は最早白痴、ただ目の前の存在を殺す災害へと成り果てる。

───希望は潰えた。

───願いは潰えた。

───思いが潰えるのも、あと僅か。

 

『───AAAAAAAAAAAAAA……』

 

唸り声に似た、人間の根源的な恐怖を呼び起こす呪いが辺りを満たす。

右の赫瞳が全てを殺す。

左の黄金瞳が全てを視せる。

《拡大変容》を果たした《霧の災厄(マリ・クリッター)》、その強さは通常語り継がれるクリッターの数千倍にも達しよう。

その巨体は青く、漂う霧を想起させる。いや、事実その異形はこの《青い霧》によって形を与えられた存在だった。

異形は今や、目の前の少女───フィリアを殺すことしか考えが及ばない。

殺さなければ。殺さなければ。目の前のものは

、全く、全て、殺さなければならない。

 

───何故、殺さなければならないのか。その大切な思いを忘れたままに。

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

───歪んだ都市に、白が舞う。

 

あるいは、それは機関道(エンジン・ロード)に舞い上がる雪のように。

歪み、曲がった街の塀に、一つの淡い人影があった。

───女だ。

それは、白い女だった。

肌は灰色の雪よりも白く、ただただ白い。

髪も、白だ。白髪。

ただ、《青い霧》が漂う鋭く尖った時間の中で、彼女の瞳だけが燃えるように赫かった。

───赫く、赫く。

地面に届かんばかりの長い白髪は、見る者によっては淡く発光しているようにも見えるだろう。この、死臭漂う霧のように。

やや小柄な体躯をしているが、それを感じさせないような雰囲気を彼女は持っていた。その、凍えるような美貌も。

 

───遠きカダスの地では《禁忌の魔女》とも呼ばれる女だった。

いわく、人類の禁忌を実現させた狂気の数式医(クラッキング・ドク)であるとか。

いわく、主に西亨の合衆国でその名を轟かせる大碩学であるとか。

いわく、《発明王》を冠する大碩学に敵対して見せた反骨の鬼女であるとか。

いわく、かの《結社》の裏切り者に心さえ捧げて見せた愛の女であるとか。

いわく、この《時間世界》に住まう諸悪の魔女であるとか。

 

───真実は誰も知らない。誰も彼女を語りはしない。

 

───誰も彼女を知らないからだ。その彼女は、今はもう消えてしまった面影を追いかけて此処にいる。

 

「───呼びなさい、フィリア。貴女を守ってくれる、騎士の名を」

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

 

───トン・テン・カン

───トン・テン・カン

───規則の良いリズムを鳴らして。

 

機関(エンジン)を叩く音がする。

硬い、硬い機関の鋼の表面を。木槌で叩く音がする。

───トン・テン・カン

一寸の狂いもなく。一拍の狂いもなく。

一定のリズムで奏で続ける、それは男。

───偉大なる三角、ではない。彼はそれを名乗るに値しなかった。

───だが、彼は三角を持つ男だった。

《三角卿》と称えられる男だった。この《大洞窟》を、その手から生み出した大型機関で人の住める環境にまで発展させた張本人である。

狂ってなどいない。例え木槌を片手に持っていたとしても、彼の瞳は狂ってなどいなかった。

そして、彼の奏で続けるこのリズムも───狂ってなどいない。狂ってなどいるものか。

この男こそ《大洞窟》で唯一正気を持つ男なのだから。

鋼の機関が、その導管(パイプ)から蒸気(スチーム)を排出することはない。

なぜか。それはこの機関が未だ目覚めていないからだ。未だ、唄うことを知らないからだ。

 

───ここに祝福と言う名の怪異はない。で、あればこそ、彼は木槌を叩き続ける。

───トン・テン・カン

リズムを一切狂わせることなく。その手を休めることさえなく。されど、口さえあれば、彼は言葉を紡ぐことさえ……できる。

自ずとが望むままに。絡み合う無数の機関をかき鳴らして。

 

「───呼びなさい、綺麗なお嬢さん(マイ・フェア・レディ)……彼の名を」

 

手を休めずに、彼は言う。視線、正面を向けたままに。

 

「ああ、ああ……全くの想定外だ。願わくば、君に生き残って欲しい」

 

悲しそうに顔を歪める、男。頰にできた深いシワをくしゃりと歪めて。

それは、全てを知った男の顔なのだろう。

 

「そうだとも。『想定内』のことなどあるものか。この《大洞窟》内……いや、それ以前に、あらゆることは『想定外』のことだ」

 

正常なる意志を持って、彼は言葉を紡ぐ。到底、彼は魔女などには及ばないけれど。

だが、その思考はあるいは─────かのドルイド以上に他人への操作を強いる。

 

「私もこうして木槌を叩き続けている。……《無限力機関(イアーティス・エンジン)》など完成する筈がないというのに」

 

だが、その願いはあるいは─────

 

「そう。これ(完成)すらも、すなわち《想定外》というやつだ」

 

───トン・テン・カン

 

───トン・テン・カン

 

一切の躊躇いなく。一切の慈悲もなく。

木槌は奏でる。それは待望の旋律であり、また不可思議な旋律でもある。

 

「───想定外のままでいて欲しかったよ。……いや正直に言おう、この時を待っていた、と」

 

 

 

 

 

 

* * * *

 

 

 

 

───目の前に牙が迫り来る。

───目の前に爪が迫り来る。

それは、死。形のある死。

目の前の災厄は、その瞳に死しか映してはいなかった。すなわち───

───私を、殺すこと、だけ。

 

アーテル姉さんはいなくなってしまったのだろうか。もう、消えてしまったのだろうか。

 

───いいえ、いいえ、そんなことないです。

違う、違うと。目の前の怪異は───まだアーテル姉さんであるのだと、私の《瞳》が囁いている。

滲む視界はそのままに、私は迫り来る死を見つめる。

 

───呼ばなければ。死にたくなんて、ない。

 

アーテル姉さんが最後に私に残してくれた言葉。《出口》の御伽噺。

死んでしまったら、《出口》を探すことすらできなくなる。

 

───それはダメ。

───アーテル姉さんの言葉を無駄にすること、それだけは。

 

───だから、呼ぶ。

───名前を、呼ぶ。

 

私を死から遠ざけてくれる人。

姉さんが騎士だと言った人。

 

───だから、呼ぶ。

 

 

「───来て、エドさん」

 

 

雨に濡れていた、彼の名を。

 

 

 

 

 

 




次回、戦闘(ようやく)。

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