あくまでも無い、只の医者ですから。   作:雨築 白良

1 / 2
だって、怒られたくないですから。

 

 

「“Five little ducks

 Went out one day

 Over the hill and far away”」

 

 リズムの良い音楽を鼻歌交じりに歌いながら、僕はカラリと窓を開く。

 部屋の中を突っ切って行くような風を、真正面から受けて身を任すように目を閉じれば、項の辺りで緩く束ねた髪が風に攫われるように空を泳いた。

 寝起きの熱を朝の風で冷まして、うっすらと瞼を持ち上げる。

 

「…――“But none of the five little ducks came back.”」

 

 それは、一匹ずつ消えていくアヒルの子を呼ぶ母親アヒルの歌。

 五匹が四匹に。

 四匹が三匹に。

 三匹が二匹に。

 二匹が一匹、…………そして、誰も帰って来ない。

 

 けれど、これは救いのある歌だ。

 丘を越えて、探しに出かけた母親の呼び声に、最後はみんなが帰ってくる。

 

「………現実とは、大違いだ」

 

 ぽつり、と呟いた声は風に飲み込まれて掻き消えてゆく。

 物語と現実は違う。

 待っても、待っても、どれだけ待っても、帰って来ない。時間に換算すれば、それはとても短い期間の事だっただろう。でも、僕の中では永い永い時を置いて行かれていたことに等しくて、帰ってこなかったことと同じである。

 

 あぁ、そうだ。あの人達は帰って来なかった。

 どれだけ待っても、待っても、これからだって帰って来ることはない。

 

 ――――ならば、僕は何処に立っているべきだろう。

 

 僕は考える。

 首輪も足枷も無いままに、自由にして良い状況になってしまった僕にとって、どのような生き方が一番合っているのだろう。

 

 欲しかったものは、無くなってしまった。

 目的というものを考えてみても、今までの余波のように自堕落に生活する以外の意義を見つけることができない。何かに依存して、執着しないかぎりは僕は本当にどうしようもないやつなのである。

 大切なもの、僕にとって、大切なこと。

 僕の中で何にも代えがたい、意義のあること。

 

「あ、でも…………」

 

 意味もなく小首を傾げて、考え込んでいた僕は言葉を洩らした。

 ススッ、と細く白い指で唇の上をなぞって、薄く微笑む。

 

 窓とは反対に閉ざしたままの扉を、静かにノックする音が聞こえた。

 風のせいで聞き取りづらいその音をしっかりと捉えた僕は「はーい」と扉の向こう側に居るであろう相手に応えて、いつものように扉を開くために足を向ける。

 あまり相手を待たせてしまわないように歩みが小走りになるのは、広いこの屋敷の中ではこんな一室でも十二分に広いからである。

 幼い子どもとそう変わらない体躯の僕では焦って走り気味になってしまうことは仕方がない、けれどせめてもっと小さな…小屋のような狭い部屋にして欲しかったものだと内心溜息を付いた。

 

「ちょっと待ってね、今開ける―――…」

 

 はた、と扉を開こうと取っ手に手を掛けようとした僕の手が止まる。

 ちょっと待て、と多少焦っていた思考を働かせた。

 

 …………この状況、駄目じゃないか?

 

 思い切り風に当たりたいが為に窓を全開に開いたのは僕である。吹き込んだ強い風は僕を満足させてくれたし心地よいものではあったのだが、だがしかし。

 

「…………………ぁー…」

 

 たらり、と冷や汗が流れる。

 振り返ってみれば大きく開いた窓は未だにそのまま、部屋の中は風に荒らされて書類などの軽いものが絨毯の上に散らばっていた。入口近くから見ていても解るほど、汚い、その一言に尽きる。

 

 はっきり正直に言えば、僕は掃除や整理というものが苦手だ。

 今までだってコレクションを並べる部屋はいつも一杯一杯であったし、自分の部屋を持ってみても直ぐに散らかって足の踏み場なんてものは存在すらしていなかった。

 

 ………それでも、今現在は状況がだいぶ違う。

 僕は整理が苦手だ、片付けが嫌いだ。この屋敷の前の主人が居た頃は当時勤めていた侍従に任せたままであったし、その後は散らかっていく一方であった。

 

 けれど約一年ほど前からであろうか。

 新しくこの屋敷の主人となった彼にそのものぐさ加減を飽きられた僕は、僕の代わりに部屋を片付けてくれる相手を得ることになったのである。

 

 そしてそれが、今扉の向こう側にいる相手なのだが―――…

 

 ちらりと視線を扉に向ける。

 木製の扉は固く閉じられ、鍵は掛かっていないものの、相手は礼儀として内側から開けるかよっぽどの事でも無い限りは入ってこないであろうと結論付ける。

 

「えーっと………もうちょっと待っててねー」

 

 荒らされた部屋は酷いもので、全てを片付けることは無理だろう。しかし窓を閉めて書類を適当にまとめるくらいの誤魔化しくらいは、僕にも出来るはずだ。

 バレた時の彼の説教は長いのだ、出来るだけ回避したい。

 

 こうしている間も、開いた窓から吹き込む風は部屋中を荒らす。ならば真っ先に窓を閉めるべきだと判断した僕は慌てて足を進めて――――…

 

 散らばった書類で足を滑らせた。

 

「ぃ…………………っ!!」

 

 傾ぐ身体を感じつつ、身体を支えようと近くにあった机に手を伸ばす。

 だが、それが失敗だった。

 

 ――――ガタタッガタンッ、バサァッ

 

 音にすればこんな感じであろうか。僕が支えにしようとした机は、力のかかる角度と勢いによってあっさりと倒れこむ。それと同時に机の上にも積み上げてあった書類が盛大に広がって、机に巻き込まれて一緒に転倒した僕の上にも散らばってしまった。

 

 思いの外、大きく響いた音に溜息を吐く。

 扉を見れば予想通り、向こう側の彼はどうしたのかと何度も扉を叩いてきて、とうとう「入りますよ」と声をかけるなりノブが回った。

 

 ゆっくり、ではなくいきなり開け放たれる扉。

 駆けこむような勢いで部屋の中に入ってきた彼は真っ先に僕の姿を捉えて、部屋の状況を見回して、最後に僕が閉じそこねた窓を眺めてから、呆れたように溜息を付いた。

 

「――――――またですか」

 

「……あははっ、ごめんねー」

 

 書類に埋もれた僕の身体をひょいと持ち上げて救出を終え、猫を抱き上げるように抱えられる。僕は猫じゃないんだけどー、と軽く訴えてみれば、身体が小さすぎてペットのようなものだろうと断言された。

 

「んー、もうちょっと成長したほうが良いかなー?」

 

 一瞬で書類が消え、開いた絨毯の上に降ろされてから、僕は自分の身体を見下ろしながら問う。

 時を重ねれば年齢は勝手に増えていくが、姿ばかりはそうもいかない。年齢に対して少し小さすぎる僕の肉体であるが、危機感を持ったほうが良いのであろうか。

 

「別に、良いんじゃないですか?」

 

 問いかけた僕に多少砕けた口調で彼は言う。

 

「そちらの方がまたこうなった時に救出しやすいですし、急激にご成長なされば坊っちゃんの機嫌にも関わります」

 

「あ、そっか」

 

 じゃあこのままで良いか、と納得して僕は頷いた。

 小さな主人は伸び悩む身長を気にしている、徒にそこを突いて不機嫌にさせることも無いであろうと結論づけて、ひとつ欠伸をする。

 

「んむぅ…………シエルは起きてるー?」

 

 眠気混じりに聞けば、起きて朝食を食べていると答えられた。それならば今のうちに用事を済ませてくかと歩みを進めようとすれば、いつものように僕の部屋を片付けてくれていたはずの彼に肩を抑えられて止められていた。

 

「何処に行くつもりですか、ルネ」

 

「どこってー、シエルのところ?」

 

 当然のように告げれば、そういうことではなくて、と呆れたように言われる。

 

「寝衣のままで何処へ行くつもりですか」

 

「んー?」

 

 目が覚めて真っ先にやったことが、大きく開いたあの窓であった。

 勿論わざわざ着替えるとかそんな面倒なことは一切していなくて、昨夜着た大きめのシャツに似た寝衣のままである。

 けれどそれが、どうしたというのだろう。

 

「…………僕は別にいーよ?」

 

「良くありませんから、着替えて下さい」

 

「セバスチャンのいじわるー」

 

「貴族に仕える者としてのマナーです」

 

 いつの間にか片付いている部屋の中を移動して、しぶしぶチェストを開けて服を探る。

 朝食の準備をしてくると言って去って行くセバスチャンに適当な返事を返して、引っ張りだしたスーツに着替えることにする。

 

「っ……あー、人間って面倒」

 

 服装とか気にして、体裁を作ろって、本当に面倒くさい。

 いつもならもっと簡単な服を選んで着たりもするのだが、王立病院に行く予定がある今日はそうもいかない。こうなるならば医師免許を取らずに居たほうが楽ではあったのだろうが、医者以外の何になれるか不思議な僕が他の仕事につけたかどうかは定かではなく、諦めて着替えと荷物の準備を整える。

 

 最後に大きな溜息をついた僕は、一年程前から着始めた白衣を上から羽織って扉を開けた。

 

「さて、今日もお仕事しますかぁ…」

 

 

 





 続くか、続かないか。
 作者にもわからない。

 雨築です、はじめましてー。
 拝読ありがとうございましたっ!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。