「はーいはい、大人しくしておいてくださいねー」
聴診器のチェストピースを当てる場所を変えて、息を潜める。
なんとも言えない沈黙を挟みつつ、心臓の音が正常に動いていることを確認して、イヤーピースを耳から離した。
「内臓機能は正常ですよ」
ただ、血を吐いていたことだし、正常に機能はしていても後から悪化することがある。
そう判断した僕は患者――――セバスチャンと戦わせるために、シエルが秘境まで行って探してきた拳法の達人らしい――――に指示を出して上に着ている異国の民族衣装に似たものを脱いで貰って、実際に打撃を喰らった箇所を確認する。
腹部にはっきりと残った赤い痣に、セバスチャンが掛けた技の威力を実感して眉をひそめた。
…………僕は絶対喰らいたくない。
「……えーっと、湿布当てときましょうかー」
何処に仕舞ったかな、と思い出しながら棚を探って、湿布用の布とハーブやらをすり潰して練り込んだ薬を取り出す。それを痣になった部分に貼り付けるようにして上から包帯を巻いて抑えた。
痣の部分と腹部を軽く手で撫でて、一仕事をようやく終えたと息をつく。
「手当までして貰って、すまないな先生殿」
「いえいえー、こちらこそ坊っちゃんの我儘に付き合って頂いてありがとうございました」
服を着こみながら言う達人さんに感謝を告げれば、とんでもない、と返され苦笑するほかなかった。
もっと精進せねば、と燃える彼には申し訳ないが、うちの執事に関してはズルも良い所、そもそも人間ではない者なのだから困る。人間である彼とは比べるべくもないのだ。
とはいえ、伝えるわけにもいかずもう一度感謝を告げながら入り口まで送り届けて、去っていく達人さんを笑顔で見送る。
深い溜息をついた。
「――――で。君は何の用なのかなー、セバスチャン」
背後に感じた気配に声をかけて、振り返る。
また何か仕事でも出来たのかと若干不機嫌になりかけていた僕であったが、振り返っていた先に立っているセバスチャンが苦しげに胃の辺りを抑えているのを見えてしまい、一瞬硬直した。
あのセバスチャンが、何かは知らないが具合悪そうなのである。
何があった!? と、恐らくは平静では無かった僕の問いに、少し言いづらそうに彼は言った。
「…………坊っちゃんが、」
「シエルが?」
「……下さったレモネードの中に、味の素が入っていたみたいで」
沈黙。
何も言えずに黙した僕に付き合う形で、セバスチャンも何も言わなかった。
味の素、か。作ったのがセバスチャンであれば自分で被害を受けることは無いだろう。ならば恐らくはタナカさん作のものである筈。
…………そこで重要なのは、果たしてそれが意図的であったかどうか、だ。
しかし、いや、まさか。タナカさんがそんなことをする筈がない、皆の信用がある家令である。だとすれば―――…
「…………間違えたのか」
「……そのようです」
はぁ、と本日何度目かわからない溜息を吐く。
毎日毎日、数えきれないほど多くの溜息ばかり吐く僕であるが、今日もまた溜息ばかりを吐いているのを自覚していた。
ちょいちょい、と手招きをしてセバスチャンを呼び、左手を持ち上げて手のひらを広げる。
薄っすらと緑がかった光を帯びた手をセバスチャンの胃の辺りにかざして、軽く撫でた。
「どう?」
「有難うございます、大分楽になりました」
癒しの天使という名は伊達じゃありませんね、と続けるセバスチャンの胸を小突いて、胡乱げに見上げる。
「一纏めにするの、やめてくれるかなー」
天使、と一言で纏められるのは嫌いだ。
悪魔は悪魔、死神は死神、神は神、天使は天使。そんなの当然、変わらない。
けれど、僕にとってあいつらと一緒にされるということは、吐気がするほど気持ちが悪くて仕方がない。
「僕は潔癖狂いしてないしー、………他の天使みたいに人間の魂弄んだりとか、してないから」
悪魔は、人間の魂を食べる。
死神は、人間の魂を回収する。
天使は、暇潰しと称して、実験と称して、知識の探求と称して、魂を弄ぶ。
嗚呼、気持ち悪い。気持ち悪い。
そんなだからルシファーは堕天したんだ。
人間に興味を持たない、碌でもない神ばかりが多くて、どうしようもない天使に失望して。
――――もったいないよ、もったいない。
弄り回して魂を消失させたり、魂同士をくっつけてみたり。
そんなこと、何の意味もない。意義なんて無い。理由もない。何も残らない。
悪魔が魂を食べるのは、糧としてだ。そこには養分となり意義が出来る、意味ができる。
だから、良い。
天使の遊びに比べたら、ずっと良い。
勿体無いよ、片付けちゃうなんて。消しちゃうなんて。
魂には、人生には、生き様がある。
短い時の中に詰め込まれた思いがあって、醜くも美しい人生が彩られている。
…………それは、うっとりする程に綺麗だ。
僕たちのようなつまらない存在には無い、目新しくも美しい、どんなに眺めていても飽きない何か。眺めているだけで、満足する。何かが満たされているようで、嬉しくなる。
「ねぇ、セバスチャン」
ふと、聞いてみた。
以前まで目的としていたものは何故か取られてしまっていて、僕のやる気というものは消失してしまった。
次に目的としたものも、今はこの悪魔が握っている。
「シエルとの契約って破棄したり、しないよね?」
「しませんよ。何度言われても」
なんだそっかー、つまんない。なんて適当にぼやいて、欠伸をした。
「欲しいんだけどな、シエルの魂」
誇り高き悪の華。美しき月光のようなこのファントムハイヴ家を継ぐ者の魂は一体、どれだけ美しいのだろう。
先代であるヴィンセント・ファントムハイヴの魂は恐らく回収されたのだろう、見つからなかった。だから今度こそはと思えば、既に悪魔のお手つきである。
欲しいものこそ、手に入らない。
…………けれど、だからこそ燃えるのだろう?
「全く――――幼馴染み同然に傍に居た相手が自分を狙う人外だったなんて、坊っちゃんが知ったらどんな反応をするのでしょうね」
少し楽しげに、セバスチャンが言った。
まさか、僕ごときの些事にシエルが反応するわけ無いでしょ。と首を傾げて言えば、「些事、ですか…」と含みを持った口調で呆れたように呟かれる。
「んー、シエルにいうの?」
何も知らず、僕を医師見習いとして紹介されてそのまま医者になったのだと思っているシエル。
教えられたならばそれもまた良いだろう、と軽く考えながら聞けば、楽しそうな様子を隠さずに彼は言う。
「坊っちゃんにだけは、わたしは嘘は言いませんから」
それはつまり、聞かれなければ答えないということだと解釈して、僕はそれらをどうでもよい事だと思考を放り投げた。
懐中時計で時間を確認したのか、ぱちんっと閉じる音がして壁に凭れ掛かったままセバスチャンを見上げる。
「忙しそうだねー」
目を細めてそう言えば、ええ、と一つ頷いて、本当に坊っちゃんは人使いが荒い、と愚痴を溢された。
セバスチャンが好きなのは確か猫だった筈だが、不思議なものでこうやって僕はちょっとした彼の愚痴を聞く機会が度々ある。
人間の前では完璧を繕うセバスチャンであるが、それ故に同じ人外には口が軽くなる傾向でもあるのだろうか。
…………それにしても人、ねぇ。人ではないけど、確かにシエルはそうだ、と内心同意する。
「今日はどちらさん?」
「イタリアの方からクラウス様がいらっしゃるそうです」
「あー、クラウスさんかぁ」
挨拶くらいはすべきかもね、と考えつつ、仕込みに向かったセバスチャンにエールを送って見送った。
来るまでは寝ておこうかな、なんて自堕落なことを考えつつ、そういえばフィニやバルド、メイリンが何か張り切っていたな、と屋敷の中を動き回っていた様子を思い出しながら考える。
「あははっ、ほーんと大変だなぁ、セバスチャン」
恐らくは、ルネの思考は偏っているのでしょう。自分で書いておきながら、ですが。
多分ルネにとって天使と自分は最下層、どうしようもないもので、人間は至高なものとして位置づけられていそうです。
悪魔は彼の中では結構どうでも良い。掠め取られることに苛つくくらいでしょうか。
死神は全部魂を回収してしまいますから、邪魔なんでしょうねー。
そーんな感じの主人公ですが、シエルも人間も大好きです。
愛が偏っているだけなんですよ、きっと。
さてはて、続くでしょうか。