すっかりと日の沈んだ夜の王都。通りを埋めていた人々の姿は消え、夜空には大小様々な輝きが浮かんでいた。昼間の喧騒は鳴りを潜め、代わりに城下の街並みを賑わすのは――
「ネェちゃん、こっちも注文頼む」
「この前立ち寄った村ですごい槍を見てさぁ」
「新しい酒はまだかー?」
一日の営業を終えた各商店が店の入り口を堅く閉ざす中で、まだ明かりを灯している一軒の宿屋。
三階建ての立派な造りをしたそれは、平屋の建物ばかりが並ぶ商店街で一際存在感を放っていた。宿の受付がある一階部分には酒場が併設されているようで、中を覗くと店は仕事を終えた男達で溢れかえっていた。
「クルージェちゃん、今度はそっちのお客さんをお願い!」
「なんで我がこのような事を……」
酔いどれ共の陽気な声が店内を駆け巡り、対応に追われる店員達はトレイを片手に忙しく駆け回っている。冷たい夜風の流れる店の外とは打って変わり、此処は昼間とはまた違う独特の熱気に包まれていた。
客用の丸テーブルの上では、酒の入ったグラスと空のグラスが引っ切り無しに交換され、酔っ払った客の腕にぶつかって倒れた酒がテーブルから床へと流れ、染み込んでいく。こうなるとはっきりとした跡になって残ってしまうのだが、むしろこういった場ではある種の味わい深さを演出するのに役立っていた。
「男ってのは単純さね。アンタみたいに可愛い子がいれば、黙っていてもすぐに群がるもんさ」
「ま、まぁ我に掛かれば当然……ッそうではない! 何故我が給仕の真似事を――」
「何言ってんだい、アンタが暇だって騒ぐから勧めたんじゃないか。女に二言は無いよ!」
「む、ぅ……ぬぐぐ……」
カウンターの奥から女性同士の話し声が聞こえる。その、親が娘を叱っているかの様なやり取りをいぶかしんだ一人の客がそっと声の聞こえた方向に顔を向けると、視界に映った人物を見て思わず息を呑んだ。
店の正装である青の給仕服で揃えられた店員達の中に、一人だけ風格の違う異色の店員が紛れている。
膝までを覆う赤のドレスに、白いエプロンと白いソックス。赤い給仕服よりも鮮やかな紅の髪は後ろで纏められ、小ぶりな頭の上にはホワイトブリムが着けられていた。オルステッドの仲間、睡魔王女のクルージェである。
「それにしてもよっく似合ってるわねぇー。アタシの若い頃そっくりだ」
「……服が窮屈なんじゃが」
「我慢しな、贅沢な悩みを言ってんじゃないよ」
身体のある部分を触りながら文句を言うクルージェを宿の女将は冷めた目で切り払い、彼女の手に食べ物の載ったトレイを押し付けた。女将の謎の威圧感に屈し、素直にトレイを受けとるクルージェであったが、まだ納得出来ないのか、その場に立ったまま固く口を閉めて唸っている。
「アタシの店じゃ皆平等だよ! 早くおゆき!」
「ぬぅう…………今回だけだぞ」
何故だか、自分が見下している人間に扱き使われる。それがクルージェには耐え難い屈辱となっているのだが、いざ不満として口に出す前に女将に見抜かれ、そんな事など関係無いともう一度叱られてしまう。
結果、彼女は渋々と指定された席まで歩いて行くのであった。
「……ほれ、望みの品だ」
「うほ、すげえ別嬪! なぁ嬢ちゃん、今晩俺と楽しまねえか!」
無造作に客のテーブルにトレイを置いたクルージェ。席に座っていた若い男はその美貌を見るや、鼻息を荒くして彼女に詰め寄り、酒臭い息を吐きながら夜の誘いを掛けるも、
「嬢ちゃんにならいくらでも――ぐえぇ!?」
「何か言ったかの」
さり気なく彼女の腰に回していた腕を思い切り捻り上げられ、悶絶してしまう。
「貴様では釣り合わぬ。次やったら折るぞ」
「いでででッ! じ、冗談だよぉ!!」
「……女将さん、アレはちょっとやり過ぎなんじゃ……」
「いいんだよ、面倒な輩も追い払えるし一石二鳥さ」
酒場の真ん中で繰り広げられる光景を見て、近くにいた女性店員が心配そうに女将に耳打ちする。色々な意味で不安になっている店員達に、女将は笑いながら大丈夫だと答えた。
酒場にいた他の客達も最初は驚いていたが、その後も同じ展開が何度も続くうちに段々と慣れていき、最終的には酒場の見せ物であるかのように楽しむようになっていた。
……それから数時間が経ち、酒場中に溢れていた客が誰もいなくなった頃。
「それじゃまた明日ね、クルージェちゃん!」
「ふん、さっさと立ち去れ。…………またな」
散らかった店の備品を片付け、掃除と洗い物を済ませた店員達が皆帰った後も、クルージェは一人酒場で主人の帰りを待っていた。そんな彼女の肩に厨房の奥から出てきた女将がポンと手を置く。
「お疲れ様! アンタのお陰で常連のお客さんもすごい楽しんでたわ」
「……侮るな。これしきの事、我には造作も無い」
「ホント、お試しじゃなくて従業員としてずっとこの宿にいて欲しいくらいさ」
真っ暗な外と同じように静まり返った店内。今、此処にいるのはクルージェと女将の二人だけである。上の階にはローグライアが手配してくれた部屋があるのだが、クルージェは営業時間が過ぎた後も部屋に戻ろうとはせず、宿の入り口が見えるこの場所で大人しく椅子に座っていたのだ。
「ところでアンタの彼氏さんだけど、よくもまぁ、あんな良い子を捕まえたわよねぇ」
「かッ……彼奴は我の下僕だ!」
「大して変わんないだろう。それよりも一体何処であの子と出会ったんだい?」
酒を飲んだ訳でもないのに顔を紅潮させるクルージェを微笑ましそうに眺める女将。だからと言って追求の手を緩める事は無く、オルステッドが話題に出た途端に動揺し出した彼女へ容赦なく話を振っていく。
今現在この場には二人しかいない。つまり、女将を止めてくれるヒトは誰もいないので、逃げる事も出来ないのである。
(彼奴と初めて会った日……あまり良い思い出が無いのう……)
赤くなった顔を隠すようにテーブルへと突っ伏したクルージェであったが、頭の中では冷静にオルステッドと初めて会った地――フノーロの路地裏での一件を振り返っていた。
人間の部類ではそこそこ強いだろうゴロツキの頭を瞬殺し、上級睡魔たるクルージェの誘惑を跳ね除けた男。
人間の男など睡魔にとっては精気を搾り取るための食料でしかない。それなのに、明確な敵として相手にもされなかった事に腹を立て、背を向けて去ろうとする男に不意打ちを掛けた。……未遂に終わったが。
――……私はお前より、もっと発動が速く、もっと威力がある、多彩な魔法を使いこなした男を知っている。少なくとも、彼より弱いようでは私は殺せない……――
(……今にして思えば、あれは我に対する殺意と言うより……)
「いらっしゃい――あら! クルージェちゃん、彼氏さんが帰ってきたわよ」
「――ッなんじゃと!」
女将の声に反応してぱっと机から顔を上げると、丁度宿の扉を開けて中に入ってくる金髪の青年の姿が映った。
腰に見覚えの無い剣が差されている事から、日中は街に出て買い物をしていたのだろう。そう考えると自分だけ街に出られない現状に面白くないものを感じたクルージェは、ヒトの気も知らずにフラフラと歩き回る男に一言物申そうと立ち上がった。
「遅いッ今まで何処をほっつき歩いていた! 我は気を使って宿に留まっていたと言うのに!」
「すまない。お詫びと言う訳では無いが、これを貰ってくれないだろうか」
「む、我を物で篭絡しようと言うか! …………まぁ、臣下の献上品は素直に受け取ろうぞ」
オルステッドから紙袋を手渡され、一先ず文句を中断させるクルージェ。怒ろうとした手前、相手には興味が無いような体を装いつつも、紙袋を持った両手はそわそわと揺れ動く。暫く紙袋とオルステッドとの間で視線がいき交っていたクルージェだったが、彼が女将に話し掛けられた事でこちらへの注意が逸れると、急いで紙袋の封を開けて中を覗き込んだ。
「……これは……!」
期待を膨らませた彼女の目に飛び込んできたのは、小さな金の髪留めだった。
髪留めの中央に嵌め込まれた翡翠色の宝石は薄暗い店内であってもその輝きを曇らせることなく、蝋燭の揺らめく灯火を吸い込んで、何処か優しげで柔らかな光を零していた。
「……店主が言っていたが、それはとある幻獣の卵からでしか採れない貴重な宝石を使った髪留めらしい」
背後のクルージェの様子に気付いたオルステッドは、自分が宿に戻る途中で偶然、道端の屋台で売っていたのが目に留まったのだと語った。
「似合うかと思ったんだが、嫌なら無理に――」
「ほ、ほほう! いや、嬉……悪くは無いのではないか!」
さっきまで取り繕おうとしていた体裁は何処にいったのか。髪留めを手に取ったクルージェの顔はふやけきり、喜色満面な様子が全身から溢れていた。彼女なりに見栄を張ろうと遠回しな感想を言っているが、誰がどう見ても隠し切れていない。オルステッドには、消している筈の彼女の耳がピクピクと動いているように見えていた。
「クルージェ、すまないが明日も出かける用事があってな」
「初めてお主の方から贈り物を……ムフフ」
「…………クルージェ?」
その内、飛び跳ねるんじゃないかと思うぐらいに喜んでいるクルージェを見て、微妙な表情になるオルステッド。
彼にしてみれば、自分の贈り物を気に入ってくれたのは確かに嬉しい。が、これから話す事を彼女が聞いたら間違いなく機嫌を損ねてしまうだろうと考えてしまい、喜びよりも気まずさの方が大きく顔に出てしまっていた。
「安心しなさい、この子の面倒はしっかりとアタシが見るわ」
「……お願いする」
言い辛そうにしているオルステッドに女将からの助け舟が入った。その頼もしい一声を聞いた彼は即座に決断する……今後の対応は全て女将に任せようと。
固く心に決めたオルステッドは近くの壁に寄り掛かって、クルージェが落ち着くまで待っている事にした。
(……この空を見ると、改めて自分が違う世界に来たのだと実感させられる)
窓から外の景色を見詰めると、街を仄かな青い光が照らしていた。夜空に輝くのは、万人を癒す青い月。
この世界には四つの月が存在する。それぞれ、紅、青、鏡、闇の月と分かれ、光側の現神と闇側の現神が別々に管理している。この世界の天体は神の所有物であり、司る神の意思に連動すると古より語り継がれているのだ。
青い月は
ちなみに紅い月は
(私がこの世界に存在しているのも、どこぞの神の思惑なのか……? それとも……)
……そうして、騒がしい夜は更けていった……
・
・
・
・
・
――翌朝。
「すまない、今日も宿で待っていてくれ」
「構わんぞ! その間に我は女主人の遊びに付き合ってやるとしよう」
宿を出て街中に向かうオルステッドを見送るクルージェ。昨夜の贈り物が余程嬉しかったのか、上機嫌に手を振っていた。……実は彼女が裏で、女将に上手い事持ち上げられているせいでもあるのだが、それを知るのは女将本人だけである。
街の中心部に来たオルステッドは、其処で道行く人々に声を掛けていく。年老いた老人、休憩中の若い兵士、雑貨屋を営む婦人。だが、誰に尋ねても返ってくるのは、「知らない」の一点張りだった。
(やはり難しいか……)
自身の当面の目的――蘇った己の身体の謎を探る。その唯一の手掛かりとして、死した者の魂が向かうと言われる『冥き途』の情報を集めようと何時間も街中を歩き回るも、彼の地が存在するケレース地方は人間族にとっては未開の地と言っても過言で無く、多くの人間が行き交う王都プレイアであっても中々有益な情報が得られなかった。
「――お、剣士の兄ちゃんじゃねぇか!」
「……! 船長か」
考え事をしながら歩くオルステッドの背に、酒に焼けた野太い声が掛けられる。聞き覚えのある声に振り向くと、其処には彼の予想通りの人物が立っていた。停留した船の横で船員達と一緒にいるのは、いつぞやの商船の船長である。どうやら聞き込みを続けている内に、いつの間にか港の方まで歩いて来たようだった。
「あの時はすまなかった。大切な船を沈めて――」
「あー、よしてくれ! アンタに文句を言う奴なんていねぇよ。もしいたら俺がぶん殴ってやる!」
「そうそう、何たって兄さんは俺達の勇者様なんだからよ!」
「――――ッ」
船での一件の事で謝罪しようとするオルステッドを船長が止める。彼等にとってオルステッドは自分達の命を救ってくれた恩人であり、謝るなんて以ての外だと口々に彼を賞賛した。
しかしそれを聞いたオルステッドは、何故か表情を曇らせて船長達から目を背けてしまう。
「……
元々周りの人間に聞かせるつもりも無かったのか、彼の零した小さな呟きを拾えた者は誰もいなかった。
「実は古いダチから格安で中古の船を譲ってもらってな! 今はこうして改造してんのさ」
「……ん? 勇者って……」
オルステッドの背中を叩きながら豪快に笑っていた船長が、今度は新しく手に入れた船の自慢を始めようとしたその時、近くで二人のやり取りを聞いていた一人の船員が何かを思い出そうと頭を捻る。
「勇者といやぁ、最近どっかで聞いたような……」
「ああ、あれだろ。
「そんな奴がいんのか。差し詰め、未来の勇者様ってか?」
作業の手を止めて座り込み、話しに夢中になる船員達。
噂話が好きなようで、輪になって熱心に話し合っている彼等に、それまでオルステッドと話していた船長が無言で近づいて行く。
「まだ若い男らしいが、何とかって剣術を扱うらしいぜ」
「馬鹿、それじゃ分かんねぇだ……あっ……お、おい後ろ!」
「…………お前ら」
自分達に迫る恐怖の存在に船員の一人が気付き、慌てて周りに教えようとするが、一歩遅く。
船員達の頭上には鬼の形相をした船長が立っていた。
「いつまでも無駄口叩いてねぇで、さっさと身体を動かせッ!!」
「うわぁ!? す、すんません!」
「――待ってくれ。その勇者……神格者候補の男について、詳しく聞かせてくれないか」
金槌を持った船長に怒鳴られ、我先に逃げようとした船員達をオルステッドが呼び止める。
憤慨していた船長も彼の神妙な面持ちを見て空気を察したらしい。あっさりと怒りを収めると傍に置いてあった角材の上に腰を下ろし、黙って懐から酒瓶を取り出した。
「んーと……確か、此処から西にあるマクルの街で、神殿の剣士をやっているそうだ」
「神殿の?」
「そういやアンタ、この地方の出身じゃないんだったか? あそこにはバリハルトを信仰している連中の神殿があるのさ」
(バリハルト……冒険者や辺境の開拓者達が信仰する現神……だったか)
――アヴァタール地方の西に隣接するセアール地方。此処は元々、スティンルーラ人と呼ばれる先住民が住んでいた土地であった。彼女等は原始的な生活を営む女性優位の部族で、自然に囲まれて静かに暮らしていた。
だが、いつからかセアール地方に西方や北部からの移民が移り住むようになり(この移民達を総じてセアール人と呼ぶ)、彼等は山や森を切り拓いて自分達の勢力を拡げていった。その結果、スティンルーラ人達は住処を追われ、自分たちを苦しめるセアール人達と対立するようになった。この遺恨は現在も根深く続いている――
「こう言うとセアール人が悪者に聞こえるけどよ。奴等が港や街を作ってくれたお陰で、こうして交易が盛んになったのも事実だしなぁ」
「そうか……それで、マクルの
説明の途中で話題が逸れそうになる度にオルステッドが修正する。
隣で難しい顔をしながら酒をあおる船長がいるが、彼に意識を向けている者は誰もいなかった。傍から見ると真剣に話を聞いているようで、実際はただ酔っ払って適当に頷いているだけだったからである。普段から船長の酒癖に慣れている船員達は、酔っている時の彼には一切触れないようにしていたのだ。
部下に呆れられても酒瓶を手放さない男を脇に放置して、オルステッドは船員から詳細を聞き出していく。
以前その男に会った船員曰く、戦士にしては細い身体をしてたが、とにかく真面目な男だったと。
「……成る程」
大体の情報を聞いたオルステッドは納得した様に頷いた。
そんな彼に、話をしていた船員の一人が不思議そうに尋ねる。
「なぁ、アンタ。何だってその男の事をそんなに気にしてんだい?」
「……何? 私が、気にして……」
――――自分が、気になっている?
船員にとっては何て事は無い些細な疑問であったのだが、軽く流そうとしたオルステッドは自分でも驚いたのか、言葉に詰まってしまう。
(……そんな筈は無い、私は既に一度死んだ身なのだから)
異分子がこの世界の物事に不用意に干渉するなどあってはならないし、するつもりも無い。
リブリィール山脈で過去の所業は自覚した。その上で現実を放棄するのを止めて、蘇った理由を知る為に行動していた。勇者なんて、その目的とは全く関係が無いだろう。なのに、如何して気にする必要がある。
…………まさか、過去の己と重ねている訳でもあるまいに。
(――違うッ!! 今更何を、何を気にしているんだッ……!?)
「お、おい兄さん大丈夫か?」
「……すまない、仕事の邪魔をした。失礼する」
顔色が悪くなった事を心配した船員がオルステッドに声を掛けるが、彼は汗を滲ませながらも問題は無いと船員達に告げ、尚も気遣おうとする船員達に礼を言ってその場を去った。
仕事を中断していた船員達は彼の変貌に何事かと話し合っていたが、酔いの醒めた船長に怒鳴られてすぐに持ち場に戻って行った。
・
・
・
・
・
――同時刻、レウィニア王城にて。
「ローグライア殿、少しよろしいか」
「おお、これはルーノ殿」
白い床の上に真紅の絨毯が敷かれた廊下を歩くローグライアを、ある男が呼び止めた。
鍛え込まれた肉体を持つローグライアに勝るとも劣らない体躯を誇るその人物は、険しい表情をしながら、ローグライアに対して平坦な声で語り掛ける。
「如何されましたかな」
「いえ、妙な噂が私の耳に入ったもので」
「妙な噂……と、言いますと?」
ルーノからの話にやんわりと相槌を打ちつつ、ローグライアは横目で周囲の様子を伺った。
今の時間帯であれば、城に勤める文官や兵士達の姿が見えるのだが、広い廊下には自分達しかいなかった。……ただの世間話では無いのだろう。
「何でも、魔物を使役している者が王都に潜伏しているらしい」
「貴方程の方が、そんな噂話を気にするとは――」
「その者を貴殿が匿っていると語る輩がおるのだ」
「……どうやら、貴方は誤解をされているようですな」
感情を押し殺そうとしながらも微かに疑念が見えるルーノに対し、ローグライアは人懐こい笑みを真剣な表情へと変えて、はっきりと答える。
「彼は私の客人です。船を襲った魔物から、乗組員達の尊き命を救った功績に感謝の意を込めて、宿を提供したのですよ」
隠す気も無いのか、自分は疚しい事をした覚えは無いと、相手の目を真っ直ぐに見詰めて堂々と答えるローグライア。
それっきりお互いに口を閉ざしたまま幾分か向き合っていたが、片方の男が耐え切れず吐いた溜息が重苦しい沈黙を破った。
「……貴殿の人格については私も信用している。他ならぬ貴殿がそう仰るなら、これ以上は何も言わん」
先に観念したルーノがそれ以上の言及を止めて平坦な声で目の前の男に告げると、足音を立てずに廊下の壁際まで歩いて行き、暖かな日差しが差す窓の前で立ち止まった。
「それでは、私はこれで――」
「ローグライア殿」
外の景色を見詰めたまま黙っているルーノの様子を見て、これで話は終わりかと思ったローグライアが別れの言葉を掛けようと動いたところで、ふと相手から新たな問い掛けが重ねられる。
「貴殿はこの国を見てどう思う?」
「我が国を、ですか」
直前の質問とは関係の無い内容に内心困惑するも、廊下の窓から広がる城下の光景を眺めながらローグライアは考える。
水路が整備された街は清潔さが保たれている。広場の井戸から若い女性が透き通った水を汲み上げ、その横を子供達が元気に走り回っていた。
「水の巫女様の下、民は秩序と安寧を得られております。今後も益々の発展が見込まれるでしょう」
「左様。未だ小国の域は出ないが、遠からずアヴァタール地方随一の国家となるだろう」
平穏な営みを目にして、自身はこんな状況であるのにも関わらず、口元から笑みが零れてしまう。
この光景を見て、この地がかつて人間の住めない不毛な大地だったと誰が想像出来るのか。全ては水の巫女様と、彼女と共に生きた先人達のお陰である。
「だからこそ、私はこうも思う。この国は少々、水の巫女様に頼り過ぎなのではないか……とな」
「――何ですと?」
満足げに話すローグライアであったが、ルーノから聞こえた言葉に表情が固まる。
「……どういう意味か、分かりかねます」
「そのままの意味だ」
真意を聞き出そうと詰め寄るローグライアに取り合おうとせず、彼はもう話したい事は無くなったのか、さっさと廊下の出口へ向けて歩き出した。だが、扉に手を掛けたところで一度だけローグライアの方に振り返ると、最後に一言口を開く。
「勘違いはしないでほしい。私は別に、浅ましい欲望がある訳では無い。ただ……」
――子はいずれ、親の手から離れるもの……それだけだ――
今度こそ言いたい事を全て言い切った男は、相手からの返事も待たずに扉の奥へと消えていった。
「……ルーノ殿……」
両開きの扉の閉じる音が、一人だけしかいない廊下に重く響き渡る。
もう見えなくなった白い背中の主を思い浮かべて、ローグライアは呆然と立ち尽くしたまま、複雑な思いの込もった眼差しを閉ざされた扉に向け続けていた。