レウィニア編は次回で(一旦)終了する予定です。
「どうぞ、お通りください!」
兵士の声に合わせて一台の馬車がゆっくりと動き出す。熟練の御者によって操られた馬車は、乗客に揺れを感じさせない快適な走りを提供しながら閑静な街並みの奥へと進む。道中すれ違った者達はみな、尊敬の眼差しを馬車に送り、通りの両脇に並ぶ建物の中からも同様の視線が向けられる。やがて白い塀に囲まれた屋敷が見えてくると馬車は徐々に速度を落としていき、門の前に差し掛かったところで完全に止まった。
連日多くの人々で賑わう王都には、一般人の立ち入りが制限されている場所が二つ存在する。一つは王城。そしてもう一つが、高い身分の者達が住まう住宅街である。
「――が広がる前に迅速に対処しろ。なんなら私の名を出しても構わん」
「承りました。それでは吉報をお待ちください」
「頼んだぞ」
屈強な二人の門番による厚い出迎えを受けて、馬車の中から屋敷の主である男が降り立った。男は馬車に同席していた人物と短い会話を交えた後、再び動き出した馬車を背にして門の内側に足を踏み入れる。水の流れる敷地を越えた先には、塀と同じ白い外観を持った屋敷が主の帰還を歓迎するように扉を開けて待っていた。
「お帰りなさいませ、ルーノ様!」
「うむ」
頭を下げる使用人達の間を通って玄関ホールを進み、正面の階段から屋敷の奥を目指す。
壁には建国の母を模した美しい絵画が掛けられ、曲がり角に置かれた振り子時計は、寸分の狂いも無い正確な時を知らせてくれる。子供が走りたくなるだろう長い廊下を見渡してみると、驚く事に何処にも埃が落ちていなかった。
仕事熱心な使用人達のお陰か、隅々まで掃除の行き届いた屋敷を歩く男――ルーノは、向かい側から近付いてきた兵士に声を掛ける。
「変わりはないか」
「はッ! 異常ありません!」
主からの問い掛けに力強く答える兵士。伸ばした姿勢にはぶれが無く、胸を張って堂々と宣言する姿は見ていてとても頼もしい。白い兜の下から光る忠義の目は、敬愛する主からの次なる指示を待っていた。
「そうか、分かった」
礼を言って兵士の横を通り過ぎるルーノ。その後も他の人間と出くわす度に何度も声を掛けていく。内容は様々で、戦闘の助言をする事もあれば病気の家族がいる者に休暇を与えたりと、人それぞれの悩みや相談に真摯に向き合っている。
貴族であり、騎士でもある彼の日常は決して楽なものではない。しかし、使用人や兵士達は彼が周囲に不満を漏らしている光景を一度として目にする事は無かった。
「先日はありがとうございました!」
「ルーノ様! またご指導をお願いしますッ!」
屋敷の使用人や警備の任に当たった兵士達は、主人であるルーノと関わる機会が必然的に多くなる。腕が立ち、努力を怠らず、差別を嫌い公平を好む。そんな男に彼等は自然と惹かれていった。
「さて、随分と待たせてしまったな」
目の前には『執務室』と書かれた部屋がある。ただ歩くだけなのに必要以上の時間を掛けてしまったが、ようやく目的の場所まで辿り着いたようだ。
(キスケは真面目に仕事をしているだろうか)
扉に手を掛けながら一人の少年を頭に浮かべる。才能に溢れ、真っ直ぐな性格を持った少年はいつも自分の後ろをついて回り、早く仕事を覚えようと熱心に働いていた。個人的な理由で戦闘面での指導はあまり行っていないが、偶に兵士達に混ざって訓練しているところを見かける事があった。それ事態は構わないのだが、模擬刀を手にした彼が
(拙い動きではあったが、間違い無くアレは
胸の内に湧いてきた複雑な感情を振り払い、気を引き締める。
子供と言う理由で甘やかしてはお互いの為にならない。だからと言って、相手の意志を真っ向から否定するのも筋違いだ。ならば今まで通り、上司と部下と言う立場で接するのが最善だろう。
「……余計に時間を潰してしまったか」
視線を下ろせば、前に伸ばしたまま宙を彷徨っていた己の右手が目に映る。物思いに耽るあまり、自分でも気付かない内に扉の前で立ち止まっていたようだ。
(人を連れないで良かったな……見っとも無い姿を晒すところだった)
現実に戻ったルーノは軽く咳払いをすると、何も無かったかのように平然と扉を開く。
「クレイン、今戻ったぞ……む?」
屋敷の主が執務を執り行う部屋とあって、中は人一人が机仕事を行うには十分過ぎる程の広さがあった。左右の壁には綺麗に整頓された本棚が並び、中央に置かれた長机を若い女中が丁寧に拭いている。
「あ、申し訳ありません!」
部屋に入ってきた存在に気付いた女中が慌てたように掃除道具を片付けると、精一杯身嗜みを整えてから背後に立っていたルーノへと振り返る。
「お帰りなさいませ、旦那様」
「う、む……」
ルーノは頭を下げる女中に歯切れ悪く答えながら、彼女以外誰も居ない部屋の中を見渡す。気のせいか中途半端に閉じた扉から吹く隙間風が、驚きで硬直してしまった彼の背中を小馬鹿にしているように見えた。
「……クレインは何処にいったのだ」
「あら? 旦那様、ご存知で無いのですか?」
普段見る事の出来ないルーノの驚いた顔に、女中は珍しそうに目を丸める。
「彼でしたら今頃、商業区の方かと。ルーノ様から武器の調達を命じられたので、その間交代してほしい……と彼に頼まれたのですが」
「なんだと?」
女中から納得のいく説明が聞けるかと思いきや、予想外の答えにますます疑問が深まってしまう。
(そのような命令を出した覚えは無いのだが……)
本来であれば、今日は執務室にて書類の整理をしている筈。しかし、現に部屋の中に少年の姿は無く、此処まで歩いてくる間に見かける事も無かった。
記憶違いか、もしくは見落としが無いかと最近の出来事を振り返ってみるも、関係があると言えるものは一つも思い当たらない。
「丁度、ルーノ様が王城へ赴かれた直後に屋敷を出ましたので、そろそろ戻ってくる頃だと……」
顔を顰めて黙り込むルーノの横で説明を続けていた女中は、途中で何かを思い出したのか口に手を当て「あっ」と短い声を上げた。
「そういえばあの時、長い筒のようなものを持っていたような――」
「待て、何を持ってると言った?」
「えっ? ええと、その……彼は屋敷を出る時、布で包んだ長い筒を持っていたのです」
「…………そうか」
女中から打ち明けられた思わぬ事実を、ルーノは厳しい表情で受け止める。
――この時、彼は『長い筒』の正体についておおよそ見当がついていた。
……キスケ・クレイン。彼の家は建国当時からこの国を守ってきた騎士の家系だ。そのため剣や槍での戦闘に長けているのは勿論、中でも特筆すべきなのが、彼の一族はこの国の人間では珍しい事に『刀』の扱いに熟知している事だ。彼自身も幼い頃から刀を使った訓練を受けており、若いながらその実力はこの国の騎士と比べてなんら遜色が無かった。
(――そうか、昨日の件はッ……!)
自分の得意とする得物を持ち出したのだろうと思い至った事で、もう一つ抱えていた謎も同時に解ける。
それは、自身が直接ローグライアを問いただす原因となった、とある情報を入手した昨日の出来事。夕日の差す執務室で書類の山を片付けていたルーノに、一人の面会希望者が現れたのが事の始まりだった。
「それは真か?」
「はい、私はこの目で確かに見ました!」
自分はこの国の兵士だと名乗った男は部屋に通されるなり、驚くような話をルーノに語り始めた。
「ローグライアが、魔物を使役する男を船に乗せただと……」
オルステッドとローグライアが初めて出会ったあの日。ローグライアの乗船する船には多数の兵士がいた。その多くは貴族であるローグライアを護衛する役目を持った兵士達であったのが、だからと言って船の人員全てが彼の私兵という訳ではない。一時的に指揮下に入っているだけの、言わば
「にわかには信じられん。だが、一概に否定も出来ぬな」
当時の男の所属、ローグライアの行動日程、どれも矛盾が無い。彼を貶めようと真実の中に偽りを混ぜた証言をしている可能性も考えられるが、あまり現実的とは思えない。ローグライアは周りから恨みを買う男では無い上、そもそも彼の代わりが務まる者などこの国にはいないのだから。
(違うな、これはあくまで
興奮気味に話す男の顔を見ている内に、もしかしたらと一つの仮定が浮かび上がる。
もしローグライアの性格を知っていれば、殆どの者が彼を信用するだろう。逆に言えば、もし彼について知らなかったら。そういった人間が危険な魔物を引き連れた怪しい男を見た場合に何を感じ、考えるだろうか。
「……話はよく分かった。私が直々に対処しよう」
「ほ、本当ですかッ!? ありがとうございます!」
安心させるようにルーノが声を掛けると、男は感激した様子で何度も頭を下げた。
「あのルーノ様にそう言っていただけるとは、これ程心強いものはありません!」
「もう心配する必要は無い。だが、要らぬ混乱を避ける為にもこの事は他言してはならぬ」
「分かりました、どうかよろしくお願いします!」
男からの激励ともお世辞とも取れる言葉を聞き流し、自分がこれから行うべき事柄を整理する。話の真否がどうであれ、まずはローグライア本人から事情を聞かなければならないだろう。
「王都の宿に……オルステッドか……」
「それでは、どうかよろしくお願いします!」
「ッ……待て」
「どうなさったので――ひぃッ」
突然訴えを遮られた男はその理由を尋ねる事が出来なかった。
「――――」
椅子から立ち上がったルーノは、傍にいた男が竦み上がる程の気迫で部屋の入り口を睨んでいた。
今、この階には執務室の二人以外誰もいない。内容が内容だけに、万が一この話が外部に漏れた場合の事を懸念したルーノが、男の話を聞き始めてすぐに人払いをしたからだ。
それなのに、彼の鋭い視線は壁で隔たれた向こう側を、誰もいない筈の廊下を突き刺している。
「其処でじっとしていろ」
「は、はいッ!」
震えている男に命令した後、雑音の消えた空間の中を一歩ずつ歩く。扉へと近付く間に片手は腰の剣を握り締め、空いている手で扉の取っ手を掴んだ。そして、軋みを立てないよう慎重に取っ手を回す。
「――はあッ!!」
叫び声を上げた直後、激しい衝撃が廊下を貫く。
取っ手を掴んでいたルーノは、急に力が抜けたように手を離し――――扉目掛けて全力で足を振り上げ、頑丈な扉を蹴り飛ばしたのだ。
「うぁッ!? い、いきなり何を!」
「気にするな、使用人達には此処へ誰も通すなと伝えてある。それより……」
狼狽する男を視界の外に追いやって、目の前の光景に意識を集中させる。
風通しの良くなった入り口から見えるのは、静まり返った無人の廊下。部屋から出て辺りを伺うも、肝心の相手は何処にも見当たらない。
(気のせいではない、確かにいた)
別の部屋に身を潜めている可能性は低いだろう。彼がいる執務室は他の部屋から孤立した位置にある。ならば、それ以外の手段を用いたのか。尚も注意深く調べていると、一つだけ僅かに隙間の開いた窓がある事に気付く。
「……逃げられたか」
廊下の奥から慌ただしい足音が近付いてくる。騒ぎを聞き付けた臣下達のものだろう。
結局相手の正体は分からず、面会した人物には他者への口外を禁じさせた上で帰し、その日は終わった。
「愚か者が、早まりおって……」
仮にあの時察した存在が少年であった場合、その後の彼の行動が容易に想像出来てしまう。
「ルーノ様、いかがなされました?」
「いや、何でもない。……すまんが、少しだけ席を外してくれないだろうか」
不安か興味か、そわそわした様子で問い掛けてきた女中を下がらせ、誰も部屋に入れるなと命ずる。それから愛用の椅子に深々と腰を下ろすと、一人だけの空間で目を瞑った。
(相手の実力は未知数……どうするべきか……)
・
・
・
・
・
――時は戻り、王都プレイアの宿屋にて。
「こら! しっかり腰を入れなさい!」
「こ……こうか?」
「あ、駄目よっ! もっと優しく……そう、その調子!」
今日も天気に恵まれた王都の、その真下。
オルステッドと別れたクルージェは、女将と二人で何をやっているかと言うと。
「よ、よし。テーブルは全て拭き終わったぞ!」
「若い子は体力があっていいわねぇ。それじゃ次は……昨日洗い切れなかった食器をお願い」
「はっはっは! 全て我に任せるがいい!」
開店前の酒場で、二人仲良く掃除をしていた。
「クルージェさん、さっきはありがとう!」
「フッ礼なら今晩受け取ろうぞ」
昨日からすこぶる機嫌の良いクルージェはオルステッドを見送った後、何を思ったのか自分から宿の手伝いを申し出たのだ。人間ではきつい力仕事も魔族である彼女にとっては造作も無く、今まで人間と言うだけで見下していた店員達ともそれなりに会話をする様になっていた。
店員達も初めはクルージェに対して抵抗があったのだが、ある女性店員が質の悪い宿泊客に絡まれた際、ふらっと現れた彼女が一撃で客を沈めたのをきっかけに考えを改めたようだ。それまで避けていた店員達は積極的にクルージェに話し掛けるようになり、彼女が自分の素性を語っても怯える者は一人もいなかった。
「え、もしかして家に遊びに来てくれるの?」
「ああ、我が遊んでやろう。……ぐふふ」
フノーロにいた頃と比べて驚く程素直になったクルージェであるが、かと言って全ての魔族がここまで簡単に人間族と仲良くなる訳ではない。一番の要因は、クルージェ自身の価値観の変化だろう。短期間で幾度も死に掛けた事もあるが、何よりもオルステッドとの出会いが、彼女の中で少しずつ何かを変えていた。
「女将さん、このお客さんどうしましょう……」
別の店員が困り気味に指を差す。酒場の隅では、顔が真っ赤に腫れ上がった男が倒れていた。近くの壁には大の字状の穴が空いている。
「壁の弁償代はもう貰ったからね、外に放り出しときな」
「ついでだ、我がそのゴミを捨ててこよう」
男を足で踏み付けながら女将に提案するクルージェ。
変わったとは言っても、気に入らない人間に容赦が無いのは相変わらずであった。
「いらっしゃいませ――あら、オルステッドさん!」
男を片手で持ち上げたクルージェが裏口に向かうのと入れ違うように、宿の入り口に金髪の青年が現れる。受付の店員はその青年がクルージェと深い関わりを持つ人物だと察すると、にこやかな笑顔を向けた。
「オルステッドさん、今日はお早いですね」
「ああ、ちょっとな」
控えめに答えながらオルステッドは受付を通り過ぎようとするも、真横に差し掛かった辺りで唐突に腕を掴まれる。見れば、入り口に入るまでは笑顔だった店員が心配そうにオルステッドの顔を見詰めていた。
「あの、大丈夫ですか……?」
遠目では分からなかったが、距離が近付くにつれてオルステッドの表情が段々と見えるようになった店員は、彼の顔色があまり優れない事に気付き、つい引き止めてしまったのだ。
今朝、宿を出た時と比べて今のオルステッドの顔は病人のように青白く、とても健康体とは思えない。
「大丈夫だ、少し休めば元に戻る」
「で、でも……」
大した事では無いとオルステッドは言うも、体調の悪そうな彼を店員はどうしても放っておけなかった。さっさと先に行こうとする彼を抑えつつ、誰か人を呼んでこようかと店員が思案する最中、入り口に現れた新たな人影がオルステッド達に歩み寄る。
「すみません、この宿にオルステッドと言う方が泊まっていると聞いたのですが」
「えっ? オルステッドさん、ですか」
間が悪い事に、声を掛けてきたその人物はどうやらオルステッドに用があるらしい。
「えーと、今はその……」
本当は今すぐ教会で見てもらいたいのに、何故こんな時に訪ねてくるのか。
店員はしどろもどろに答えながら、自分が掴んだままの青年をちらりと見た。
「すまない、下がっていてくれ」
「あっ……」
店員の手を優しく解いたオルステッドは、自分の背後へ隠すように彼女を下がらせると、見知らぬ人物に対して堂々と宣言する。
「私がオルステッドだ」
「なに、お前がッ……!」
オルステッドが名乗り出た瞬間、目の前の人物が纏う空気が明らかに変化した。
分厚いローブを身に着け、顔は目深に被ったフードに隠れて殆ど見えない。だが、抜き身の刃を思わせる冷たい殺気が視覚に頼らずとも十分に伝わってくる。相手がどういった目的で訪ねてきたのかは定かではないが、返答次第では殺気の中に潜ませた
「こんな場所で剣を抜こうとするな。――少年」
「――――ッ!」
隠し持っていた武器を看破され、一瞬だけたじろく謎の人物。
しかし、オルステッドの一言でもはや隠す気が無くなったのか、その人物は着ていたローブを後ろへ放り投げると改めて武器を手に取った。
「……少年じゃない、オレの名はキスケだ」
ローブによって隠されていた人物の正体は、深い紫の髪が特徴的な少年だった。小柄な体格ではあるが、同年代の子供達と比べて明らかに佇まいが違う。それどころか、無駄の無い身のこなしからは一流の戦士にも劣らないだろう風格さえ匂わせた。
自分を奮い立たせるように名乗りを上げた少年――キスケは持っていた武器を腰に差すと、身体を前のめりに折り曲げた状態でオルステッドを睨む。
――必殺・『一撃』。
飛燕剣が手数ならば、一撃は一振り毎の威力を重視した剣術であり、その名の通り一撃でもって相手を屠る奥義である。
(コイツがオルステッド……もし、ルーノ様に害を及ぼす存在ならばッ)
刀に闘気を流し、瞬時に納刀から抜刀へと移行出来る体勢を維持。同時に、相手の気配を読んで次の行動を予測する事であらゆる事態に対応する。
準備を整えたキスケは、低くした頭から目の前の男を見上げた。対する男は――
「刀か。珍しいものを持っているな」
オルステッドはキスケが握っている刀を見て興味深そうに呟く。その鋭い刃が今まさに己に向けて放たれようとしていると言うのに、碌に身構える事もせずに相手の観察を続けていた。
「子供だからと見くびるな。それより、質問に答えてもら――ッ!」
余裕すら見えるオルステッドを前にしたキスケが、更に威圧を込めようとして……身動きが止まってしまう。
高い実力を持っていたばかりに、彼はオルステッドの実力にいち早く気付いてしまったのだ。
(コイツ、何者だ!? ……何も見えないッ……!)
絶対に隠せない『敵意』と言う名の隙を突く。そうすれば格上の相手だろうと問題は無かった……今までは。
「そんな、筈は……」
狂った魔物のような暴力染みた気配とも違う、訓練を積んだ騎士が漂わせる張り詰めた空気とも違う。いくら神経を研ぎ澄ませても一向に相手から隙を読む事が出来ず、未知の体験に焦りばかりが募っていく。
「ッ……お前が魔物を使役しているのは分かっている! なんの目的でこの国に来たッ!」
「魔族の連れはいるが、この国に用は無い」
「なっ……ふ、ふざけるな!」
焦りが苛立ちに、不安が恐怖へと変わる。声を張り上げ追及しても、相手から有益な情報を掴むことも出来ない。刀を握る手は力み過ぎて白くなり、小刻みに鳴り出した鍔が余計に焦燥を駆り立てる。追い詰める側だった筈が、知らず知らずの内に追い詰められていた。
「ルーノ様にッ……この国に害を及ぼす存在ならば、オレが斬るッ!」
大きく息を吸ったキスケは、己の迷いを断ち切るように手加減無しの威圧を飛ばす。
しかし、冷静さを欠いていたキスケの殺気は本人の意図とは別に無差別に広がってしまう。先程の店員もその殺気を浴びて悲鳴を上げそうになったが、寸前のところでオルステッドが彼女を庇い、自分の腰に差していた剣を取り外してキスケの足下へと放り投げる。
「なんの真似――ぐッ!?」
キスケが喋るより先にオルステッドは動いていた。
剣に気を取られ僅かに集中が乱れた隙を付き、一瞬で相手の眼前に迫る。反応の遅れたキスケは刀を抜く事すら出来ず、オルステッドに床へ押さえ込まれた段階になって初めて何が起きたかを理解した。
「話し合いなら、武器が無くても出来るだろう」
「それはっ……そう、だけど……ッ」
拘束した状態で諭すように語り掛けるオルステッド。感情を剥き出しにしていたキスケも彼の言葉を聞いて冷静になったのか、周囲から無数の視線が向けられている事に気付いて申し訳なさそうに顔を俯けた。すっかり大人しくなったキスケの様子に、オルステッドはそっと拘束を解いてから横を振り向く。其処には騒ぎを聞いて駆け付けてきたクルージェの姿があった。
「オルステッド、なーにやっとるんじゃ?」
「これは……なんだろうな」
不思議そうな顔で問い掛けるクルージェに、オルステッドもよく分からないと首を振る。暫し実の無い会話を二人が交わしていると、オルステッドが先程投げた剣を両手に抱えたキスケが恐る恐る近付いてきた。
「とりあえず、私はこの少年と二人で話をしてくる」
「誰じゃその小僧」
「小僧じゃない、キスケだ!」
「ほほう、口の聞き方を知らぬようじゃな」
キスケの言動を面白そうに眺め、意地の悪い笑みを浮かべるクルージェ。怪しく目を光らせたクルージェと再びいきり立ったキスケの両者に挟まれ、オルステッドは疲れたように溜息を吐いた。
・
・
・
・
・
――二階、宿の個室。
「――と言う訳なんだ」
「そうか、船での一件が既に……」
「オレは途中から聞いてただけだから、詳しくは知らないけどな」
二階に上がった二人は、先ずはお互いが持つ情報を交換する事にした。
キスケはルーノの話を聞いてこの国に得体の知れない存在が入り込んだ事実を知り、主人にも内緒で行動を起こしたのだと言う。オルステッドはそんな彼に自身が元々乗っていた船が難破した件と、それからレウィニア救助されるに至った経緯を説明した。
「魔物を使役すると聞いたからどんな奴かと思ってたけど……案外、普通だな」
「その魔物を君も目にしている筈だ。クルージェと言う名前のな」
「えッあのヒトがそうなのか!? そんな風には見えなかったけどなぁ……性格は悪そうだけど」
「…………まぁ、どう思うかは自由だ」
キスケは先程起きた出来事が嘘のようにはきはきと喋り、雰囲気も非常に柔らかくなっている。あまりに急な変わりようにオルステッドが疑問を感じた事に気付いたのか、彼はその理由について語り始めた。
「ローグライア様が関わっているなら、オレもアンタを信じるよ!」
「君はあの男を知っているのか」
「知ってるさ! オレはローグライア様の弟子だからな!」
「弟子?」
話がよく分かっていないオルステッドに、キスケは自慢げに続ける。
自分が物心ついた頃から刀を振るってきた事や、現在ルーノの屋敷に住み込みで働いている事。そして、将来はルーノを守れる存在となるべく、国一番の剣の達人であるローグライアに師事している事を。
「直に教えを受けて分かったんだ。あの方は剣の腕だけじゃなくて、その精神も気高く立派だと!」
「随分と信頼しているのだな」
「当たり前さ、オレは将来ルーノ様やローグライア様のような男になるのが夢なんだ!」
「そうか。良い夢だ」
オルステッドは年相応の反応を示すキスケの姿を眩しそうに見詰めながら、彼の腰に差されている刀に興味深い声を漏らす。
「ところで気になっていたのだが、その刀は……」
「ん、これ? コイツはルーノ様が授けてくれたオレの宝物さ」
視線に気付いたキスケは刀を手に少し恥ずかしそうに語り、鞘に収まった状態の刀をオルステッドに手渡すと、それを抜いてみろと目で促した。
「失礼する……ッ……これは」
「へへ、凄いだろ!」
何の変哲も無い鞘から光の粒子が零れ、オルステッドの目に不思議な輝きを纏った刃が映し出される。実際に抜くまで何も感じさせなかった平凡な刀はしかし、刀身が露わになった事で大きな変貌を遂げていた。
部屋には月光を思わせる淡く青い光が広がり、されど陽光の如き暖かさが持ち主を優しく包み込む。神秘の力を秘めた光はそれだけで魔を滅ぼす牙と成りえる。その光が、担い手たるオルステッドの身体を鮮烈に駆け巡っていた。
「神聖属性の武器ってのは色々あるけど、この刀ぐらい強力な物なんて滅多にないんだぜ!」
「……そのよう、だなッ……良い物を見させてもらった……」
表情を強張らせながらオルステッドは刀を鞘に戻しキスケに返す。キスケは笑顔でそれを受け取った後、自身が抱える、とある悩みをオルステッドに打ち明けた。
「話は変わるんだけど……さっき話したお二人に関して、オルステッドに話したい事があるんだ」
「ルーノとローグライアの二人か?」
「そう、そのお二人に関わる事なんだ」
キスケは普段の仕事の傍ら、ローグライアの下で剣の訓練を受けている。だが、この事は本来の主であるルーノには秘密で行われていた。疚しい企てではない、主に語りたくとも語れない理由がキスケにはあったのだ。
「不仲だと?」
「うん……偶に顔を合わせた時もなんだかぎこちない感じがして、訳を聞こうとしても答えてくれなくて……」
明るい表情から一転して、顔を伏せて話すキスケの姿に元気は無く、悲しげに言葉を紡いでいく。
騎士として、指導者として優れた力を持つルーノとローグライアであるが、この二人は同じ主に仕える身でありながらお互いを相容れない存在として反目し合っているのだと言う。どちらの人物も同じように尊敬し慕うキスケにとって、両者の間に開いた溝を見るのは辛いものだった。
黙ってキスケの話に耳を傾けていたオルステッドは、彼の言葉の節目を見計らって口を開く。
「それで、私に何をしろと言うんだ?」
「だ、だから……お二人の仲が改善するように、その……」
「キスケ」
言い辛そうに口ごもるキスケに、オルステッドの声が被せられる。
「一つ聞いておきたい事がある。もし、今後ルーノとローグライアの二人が対立した時……君はどちらにつく」
「……えっ……?」
「尊敬する主か、それとも剣の師か?」
「ッ――そんなの、選べねぇよ!」
オルステッドの不謹慎とも思える問いに、キスケは反論とも呼べない叫びを上げるしか出来なかった。子供らしい感情に任せて癇癪を起こすキスケへ、オルステッドは更に言葉を重ねる。
「何も誰かに頼る事が悪い訳ではない」
「だったらッ――」
「だがな……いつも周囲に流されてばかりでは、いざ頼る者がいなくなった時に自分で正しいと思う判断が出来なくなる」
「……じゃあ、どうすれば……」
正しい答えを求めるばかりに立ち止まってしまった少年へ向け、最後に本音を含ませた言葉で後を押す。
「遠慮をするな、自分の素直な気持ちをはっきり言えばいい。……二人を信じているのだろう?」
「――――ッ!」
その言葉で決心がついたのか、キスケは腕で顔を乱暴に拭ってから勢いよく部屋を飛び出した。
オルステッドは走り去っていく少年の背中を部屋の窓から眺めつつ、
「そろそろ出てきたらどうだ」
「…………失礼する」
キスケが飛び出した際に開けっ放しになっていた入り口から男の声が聞こえる。と、扉の影になっていた部分から黒いローブで身を隠した人物が現れ、部屋に入ってきた。
「申し訳無い、部下が迷惑を掛けた」
「私に気を使う必要は無い」
「そうか……しかし、失礼を承知して言うが、卿は想像よりも穏やかな人物のようだな」
ローブを脱いだ男――ルーノは窓際にいたオルステッドの下へ歩いて行き、窓を向いている彼の後姿を視界に捉えると、固い口元を少しだけ緩めた。
「オルステッドと言ったか。少し私の話を聞いてくれないだろうか」
「余所者が聞いていい話題ならな」
「それなら問題無い。この国の者はみな他郷から集まった余所者だ」
「……その理屈はおかしくないか……?」
納得出来ないと言いたげなオルステッドの呟きに構わず、ルーノは淡々と語り始める。
「世界は人間に厳しい。この国も水の巫女様に依存しているのが現状だ」
「――だが、過ぎた力は身を滅ぼす。人間の欲が限り無い事は歴史が証明している」
「此処はうまく統治されているように見えるが」
「時間の問題だ。恐らく数百年も経てば、神の恩恵を自らの力と勘違いした輩が必ず現れる」
ルーノは語っている内に自分の言葉に熱が篭っていくのを自覚していたが、それでも途中で発言を止めようとはしなかった。己の内で燻る焦燥感を理性で覆い隠し、握り締めた右手を目の前に掲げる。
「今は道案内に従っているだけで、道を創っている訳では無い。考える事を忘れてからでは遅いのだ!」
話を終えたルーノは再びオルステッドへ顔を向けた。その目は自分の話に共感か、もしくは別の意見が欲しかったのか、言葉で言い表せない複雑な感情が秘められていた。
「要は頼り過ぎるな、と言う事だ。真の意味で神と人間が同じ道を歩まねば、待っているのは緩やかな破滅だ」
「……貴方の考えは分かった。しかし、何故私にその話を?」
「私も最初は話す気など無かったのだが……卿からは普通の人間とは異なる何かを感じてな……」
ルーノが言葉を濁している中、オルステッドは彼が『人間』と言う存在をどのような目で見ているのか不思議と理解した。仮面に隠された彼の内側から、人間に対する失望と懐疑の念が感じられたのだ。
(信用したくとも、信用出来ない。他人を信じられず……いや、信じて裏切られるのを恐れている)
ルーノと言う男に何処か己と似たようなものを感じ取ったオルステッドは、だからこそ相手を確実に揺さぶる事が出来るだろう言葉を閃いた。オルステッドの脳裏に、先程出会った少年の顔が浮かぶ。
「……それは、ローグライアもか?」
「あの男は少々巫女様に偏り過ぎな節がある。あれでは下々に要らぬ誤解を生むだけだ」
「なら、キスケはどうなんだ」
「――なに?」
部屋に入ってから今まで揺ぎ無かったルーノの声が、一人の少年が話題に出された事で僅かに揺れる。
オルステッドは動揺するルーノの姿から、己の予想が正しかった事を確信した。
「貴方も先程見ただろう。彼の思いを」
「…………」
「確かに人間の多くは愚かだが、全ての人間がそうだとは私は思わない。ローグライアが信じられぬなら、せめて彼を信じてみてはどうだ?」
「何を馬鹿な…………長居し過ぎたようだ、これで失礼するッ」
ルーノは固い声で一方的に告げるとオルステッドとの問答を切り上げ、早歩きで部屋の入り口に向かう。それを見てもオルステッドは特にルーノを引き止めようとはしなかったが、彼が扉に手を掛けた際にもう一言だけ言葉を投げ掛けた。
「ルーノ殿。自分では分かっているつもりでも、存外ヒトの心は分からないものだ」
「…………忠告、感謝しよう」
一瞬だけ足を止めたルーノは背中を向けたままオルステッドに礼を告げ、そのまま無言で宿を去って行った。
「……分からないものさ……ヒトの心など……」
静かになった部屋で独り言を漏らすオルステッド。
窓の外に広がる空をぼんやりと眺め、雲一つ無い青空に手を伸ばそうとするも、部屋に近付いてくる存在を察して静かに手を下ろす。
「オルステッドー、そなたに手紙が届いてるぞ」
「すまない。差出人は……ローグライアか」
扉が開かれ、其処から暢気な声と共にクルージェが顔を出した。クルージェの持ってきた手紙を受け取り、中に書かれている内容に目を通したオルステッドは、部屋に入るなりベッドに寝転がった彼女の方に視線を移す。
「クルージェ、近い内にこの国を発つぞ」
「なんじゃと? えらく急な話じゃな……次は何処へ行くのだ」
怪訝そうな顔で上半身だけ起き上がらせたクルージェに、オルステッドは軽い調子で新たな行き先を告げる。
「そうだな……今度は、西へ行こう」