堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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次話から原作イベントに触れていきます。


第11話 魔神

 ――三日後、郊外の廃墟にて。

 

「度々呼び出してすまないな、オルステッド君」

「私は別に構わない。それより貴方の方こそいいのか? また部下が飛んでくるぞ」

 

 オルステッドはローグライアと例の廃墟で落ち合っていた。今この場には二人しかいないが、それがローグライアの意図したものである事は、呼び出されたオルステッド側も気付いている。この偉丈夫は真面目そうな見た目によらず意外と大胆な事を仕出かすのだ。

 

「ははは! 彼等からのお小言には慣れているさ。なに、いつもの事だ」

「そうか。この場所を指定したという事は……また仕合がしたい、という訳か」 

 

 オルステッドからの忠言を笑い流すローグライア。それを見たオルステッドは懲りない男であると思いつつ、されど受けた恩の分は付き合おうと剣を抜く。だが、肝心の相手は一向に自分の剣を取ろうとしない。

 

「ローグライア殿?」 

「……おっと! ああ、何でもない……いや、あるにはあるのだが……」

 

 数日前に会った時と比べてどこか雰囲気の異なるローグライアに疑問を感じたオルステッドが声を掛けると、ローグライアからは歯切れの悪い答えが返ってくる。それを見たオルステッドが更に口を開く前に、ローグライアは何かを決意したような顔でとある話を切り出した。

 

「ええい、この際隠し事は無しだ! オルステッド君、君は以前、何故自分達を助けたのか聞いた事があったな。覚えているかね?」

「前に此処で手合わせした時の事か。あの時はただ単に手合わせがしたかっただけと言っていたな」

「それもあるが……正直に言おう。私が君をこの国に招いた理由、それは私と共に水の巫女様を支えて欲しいと願って……いや、打算していたからだ!」

 

 あまりに堂々と、突拍子もなく打ち上げられたありのままの本音。だが、裏が有る事を最初から想定していたオルステッドは、それを直接聞かされても驚きはしなかった。……鼻息を荒くして語るローグライアの迫力に、少しだけたじろいてはいたが。

 

「申し訳無いが、私は今のところ何処の勢力に付く気も無い。ここまで良くしてもらった貴方の意に背く形になるが……許して欲しい」

「いやいや、君が謝る必要は無い! 全ては私の勝手な目論見によるものだからね」

 

 きっぱりと断られてしまったローグライアであるが、彼自身もオルステッドがそう言うと分かっていたのか残念そうな素振りも見せずに話を進めていく。

 

「実は、三日前の晩に私の屋敷に小さな客人が訪れてな。君もよく知っている人物だと思うが」

「……一人だけ心当たりがある。彼が何か言ったのか?」

「言った? ――はっははは! その通りだ!」

 

 ローグライアは思い出し笑いをしながら、その夜に起きた出来事について語る。

 

「前から目を掛けていた子なのだがね、その子から説教されてしまったのだよ! 身内同士でいがみ合ってないで、嫌な事があるなら腹を割って話せ……とね」

「…………すまない、恐らく私のせいだろう」

「関係無いさ、彼の目からは確かな意思を感じられた。それに、彼のお陰で私もくだらぬ意地を捨てる気になれたのだからな」

 

 普通に面会したのでは邪魔が入ってしまうからと、使用人達が寝静まった夜を狙って屋敷に忍び込む。自分がいかに危険な行為をしているのか分からない年では無いだろう。そこまでして訴えかけようとした少年の必死な姿に、ローグライアは私情だけで少年の主を避けていた己を恥じた。

 

(どうやら私は勘違いをしていたのかもしれん…………ルーノ殿にも謝らないといかんな)

 

 衝撃的だったのが、自分の行いの尻拭いを少年の主が秘密裏に遂行していた事だ。それまでは信仰する神に対する考え方の違いから少年の主を非難するばかりで、彼の話に耳を貸そうとしなかった。それが後悔として押し寄せる。

 

「そうか、それなら良かった。…………ローグライア殿」

 

 ローグライアの心境を知ってか知らずか、オルステッドはそれ以上この話題に触れないように気を使いつつ、三日前から抱いていたある考えをローグライアに告げる。

 

「私達は近い内にこの国を発とうと考えている」

「む? それはまた急な話だな。ちなみに何処へ行くつもりかね?」

「北のケレース地方だ。まずはこの国の西、セアール地方にあるマクルと言う街を経由し、其処を北上して目的地に向かう」

 

 ――ケレース地方は人間族にはあまり馴染みの無い土地ではあるが、流通が皆無という訳でもない。南に隣接するセアール地方とは交流が盛んであり、特にマクルと呼ばれる港街は物資の行き交う一大拠点として栄えていた。 

 しかし、近年になって北と南を繋ぐ街道を襲う魔物の数が急激に増加し、それによって以前よりもセアール地方を訪れる行商人の数が減ってきている問題もあった――

 

「行き先を同じとする行商人の一団に用心棒として売り込んだ。一週間後の早朝に出発する予定だ」

「ほう、この短期間でよくそこまで用意出来たものだ。…………ふぅむ、一週間か」

 

 オルステッドの説明を聞き終えたローグライアは目を瞑って何やら考え込む。

 それからチラっと横目でオルステッドの顔を伺うと、ごく自然な態度で『もう一つの打算』を実行する。

 

「……オルステッド君。最後に一つだけ、私の我侭を聞いてはもらえないだろうか?」

「可能な範囲であれば答えよう」

「おお、そうかね! それじゃあ、ちょっとついて来てくれ」

 

 ローグライアに誘導され、外に出たオルステッドはそのまま廃墟のすぐ横の空き地まで案内される。

 空き地は手入れがされていないらしく雑草だらけであったが、入り口の手前には鎧を被ったおかしな案山子が設置されていた。

 

「どうだね、これは本物の騎士の鎧を使っているのだ」

「貴方の名前が彫ってあるが、まさか手作――」

「オルステッド君ッ! 前に私が見せた技をこの案山子に向けて放ってくれないか!」

「……確か、剛震突きと言ったな。……分かった、やってみよう」

 

 騎士人形の前に立って剣を構えるオルステッド。すると鍔から噴き出した白い闘気が刀身を包み、一回り大きな刃を形成する。

 

「――――ハァッ!!」

 

 一拍の間を挟んで繰り出された刺突は鎧の胴を簡単に貫いた。そして、穴を抉るようにオルステッドが手首を捻ると、鎧全体に光の葉脈が広がっていき――――内部から爆散する。

 

「素晴らしい才能だ! 私がもう少し若ければ見っともなく嫉妬していただろうな」

 

 一連の流れを後方で見守っていたローグライアはオルステッドに拍手を送る。

 

「なんとかうまくいったが……私に何をやらせる気だ?」

「はははは! なぁに、これからの一週間で嫌でも分かるさ!」

 

 オルステッドの肩を叩きながら笑い掛けるローグライアの顔は、実に生き生きとしていた。

 

 

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 それからのオルステッドは宿と廃墟を往復する毎日で、仲間のクルージェはそんなオルステッドを見送った後に宿の店員として働く毎日であったという。

 

 ――そして、一週間が経過した。

 

「女将、クルージェ共々世話になった。少ないがこれを私達の気持ちとして受け取ってほしい」

「あらもう、別にそんな気にしなくていいのよ! お偉いさんからたんまり頂いてるんだから!」

 

 日が出たばかりの早朝だと言うのにも関わらず、宿の玄関には非番の者も含めた従業員一同が勢揃いしている。

 オルステッドは女将にお礼を渡そうとするが、女将は余計なお世話だとそれを突っぱね、それでも気の治まらないオルステッドが無理やりにでも握らせようと足掻く。そんな二人に従業員達はみな、生温かい視線を向けていた。

 

「また遊びに着てね、クルージェさん!」

「ほほう、それはどういう意味かのう? もしや……そなたの家で過ごした、あの熱い夜の事を言っておるのか?」

「え、ええっ!? そ、それはっ……その……!」

「んー? 何じゃ、聞こえんのう」

「その辺にしておけ。置いて行くぞ」

 

 暴走しかけているクルージェを止めた後に改めて一同に礼を述べ、女将や従業員達の声を受け止めながらオルステッドは宿を後にする。最後まで毅然とした態度を崩さなかった彼の腰元には、目的を果たせなかったお礼の皮袋が寂しそうに揺れていた。

 

「ときにオルステッドよ、我を見て何か思う事は無いか?」

「なに……?」

 

 行商人の一団に合流しようと街中を歩くオルステッドをクルージェが引き止める。振り返ったオルステッドは、彼女の格好を上から下へと眺めていく。

 目立つ翼を魔術で隠し、人間に擬態したクルージェは新調した薄紅色のローブを纏っている。手元に握られた無地の風呂敷の中には、女将が彼女への記念として贈った赤い給仕服が包まれているが、これは宿を出る前に散々本人から自慢されたいるため候補から除外する。となると残るのは――――

 

「髪留め、着けてくれたのか。…………よく似合っている」

「ッ!! う、うむ! 当然よ、我が認めた装飾品だからな!」

 

 いつもの様に髪を後ろで一つに纏めたクルージェの髪留めからは淡い翡翠色の輝きが零れていた。

 

「似合っている……そうかそうか! ヌフフ、仕方の無い奴よ。これはもう今晩にでも――」

「オルステッドさーん!」

 

 遠くからオルステッドを呼ぶ声が響く。その声はオルステッド達の前方、城下街の正門から発せられたものだった。正門を警備する門番の隣で、門番と比べて頭一つ背の低い人物がオルステッド達に手を振っている。

 

「……キスケか、どうして此処に? 君には話していなかった筈だが……」

「ルーノ様から聞いたんだ、オルステッドさんが街を出て行くって! へへ、それで待ち伏せてたんだ」

「あの男が……?」

 

 キスケの言葉を聞いて周囲に視線を向けるが、私兵の類は確認出来なかった。どうやら本当に見送りのためだけにキスケを寄越したらしい。

 

(……見逃してくれたのか)

 

 気難しい男ではあるが、悪い男ではない。この様子ならばもう何も言わなくても大丈夫だろう。

 陽だまりのような笑顔を見せるキスケの姿を見て安心したオルステッドは、殆ど無意識に彼の腰にある刀を見詰めた。

 

「キスケ、君の刀の……銘を教えてくれないか」

「あっ……ごめん。実はオレもルーノ様も、コイツが何て呼ばれているのか知らないんだ」

「そう、か。…………もしかしたらだが、その刀はヨシ…………いや、何でもない」

「え? もしかして何か知ってるの?」

 

 喉元まで込み上げていたものを、只の気のせいだと断じて嚥下する。

 疑問顔になったキスケを適当な言葉で流し、それ以上の追求は受け付けぬと急ぎ足で門を越えたオルステッドであったが、その背中をキスケの焦った声が止める。

 

「あ、そうだッ! オルステッドさーん! 貴方に青髪の女のヒトから伝言があったんです!」

「……青髪……? ああ、アムドシアスか」

 

 数日前に出会った風変わりな魔神の高笑いが脳内で再生される。そういえばあれきり会う事も無かったなとオルステッドが考えていた後ろで、キスケは更に言葉を続ける。

 

「『華鏡の畔で待っている。お主ならばいつでも歓迎しよう』……らしいですよー!」

「華鏡の畔か……有難う、助かった! それから、その刀は良い物だ! 私が言う義理も無いだろうが大事に扱ってくれ!」

 

 手を振り続けるキスケに、こちらも手を上げて答える。

 だが、キスケの姿が見えなくなる距離まで歩いた辺りで、重要な情報を聞き逃していた事に気付いてしまう。

 

(……華鏡の畔とは何処にあるんだ? …………まぁ、縁があればまた会えるだろう)

「――おい、オルステッドよ」

 

 顔を真っ赤にして怒り出すアムドシアスを想像しながら合流を急ぐオルステッドであるが、それまで静かだったクルージェが横から口を挟む。

 

「最近妙に忙しないと思っていたが、まさか我以外の女と逢引していたのか!?」

「落ち着け。彼女とは一度会ったきりだ、偶然にな。それに彼女は人間ではなく魔神だ」

 

 どう見ても誤解しているクルージェにオルステッドが弁解しようとするも、急にクルージェの動きが静止した事でそれは無駄に終わる。 

 

「どうした? 何か気に障るこ――」

「ま、魔神じゃとッ?!」

 

 オルステッドの言い放った『魔神』という単語に反応したクルージェは酷く動揺しながらオルステッドに詰め寄り、彼が出会った者が一体どういう存在なのかを理解させるべく顔を近付ける。

 

「よいか、魔神という輩は歩く災厄の様なものじゃぞ。そなたは分かっておるのか!」

「それは……しかし、私が話した限りだと彼女は危険な存在には見えなかったが……」

「買い物をする魔神など信じられぬわ! 仮に今後の旅路でもし『地の魔神』みたいな戦狂いに出くわしたら、いかにそなたと言えど無事では済まんぞ!」

 

 いつになく真剣な表情のクルージェにオルステッドも魔神に対する自分の認識を改めざるを得なかった。

 熱心な説明後、クルージェが一息ついたところでオルステッドは移動を再開する。 

 

「ところで、アビルースの書庫で『はぐれ魔神』と言う存在を知ったのだが……彼等について教えてくれないか」

「奴等は世界各地を彷徨う暇人共じゃ。奴等が通った場所は瓦礫しか残らん」

 

 心底嫌そうに語るクルージェの言葉を横から聞きつつ、見えてきた行商人の一団の下へと向かうオルステッド。空はどんよりとした雲に覆われている。雨こそ降ってはいないものの、旅立ちの日としてはあまり好ましくない天気であった。  

 

「はぐれ魔神の中でも『輪廻の魔神』と呼ばれる輩には気を付けよ。なんでも、そやつは()()()()()()()との噂が同族の間で囁かれておるのじゃ」

 

「どういう意味だ? 生命力が強過ぎて殺しきれないとでも言うのか」

   

「我も詳細は知らぬ。とにかく奴に目を付けられるのだけは避けろ。よいな!」

 

「……輪廻の魔神とは通称だろう。その者の名は何と言う?」

 

「うむ、よく聞いておけ。それは――――」

 

 

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 ――オルステッド達が出発した同日の夜。

 

「……むぅ……見えん」

 

 レウィニア領東端の国境を超えた先、リブリィール山脈から程近い位置にある名も無き森。魔物の巣窟となっているその森に、その男は居た。

 

「目障りな雲だ。これでは月見もままならん、やめだやめだ」

 

 着ている服は襤褸切れ同然であり、少し風に煽られただけで骨の浮き出た身体が露わになる。白髪で真っ白に染まった頭と皺だらけの顔も相まって、男の姿は年老いた浮浪者にしか見えなかった。なのに、男の喉から漏れてくるのは皺枯れた老人の声ではなく、むしろ活力に満ち溢れた若者のそれであった。

 

「山賊共を斬るのもいい加減飽きた。何処かに斬り応えのあるツワモノはいないものか」 

 

 懐から取り出した紅い刀を手で撫でながら夜の森を練り歩く。

 この森に入ってから今まで、一度として刀を抜いていない。魔物と遭遇しなかったために抜く機会が無かったのだ。邪魔が入らないのは気楽ではあるが、ここまでくると逆に不自然だ。

 

「ツマランな。気紛れで此処まで来てしまったが、寄り道せずに西の国へ行くべきだったか?」

 

 目覚めた時に感じたどこか懐かしい気配。間違う筈も、忘れられる筈も無い。

 何故ならその気配の主はかつて、人外と化した己を唯一…………討ち果たしたのだから。

 

(……まぁ、本人という訳でも無いだろうがな……)

 

 片手を顔の前に掲げる。目に映るのは水気の無い骨と皮だけの手だ。

 焼け落ちた村を訪れた際に見つけた老人の手でもある。

 

()()には感謝せんといかんな。お陰でこの地の言葉や歴史を知れたのだ。死に損ないでも使い方によっては存外役に立つものよ」

 

 この世を生きる全ての生き物には寿命が存在する。武勇に優れた者も、深い叡智を持った者でも、何人たりとて時の流れに逆らう事は出来ない。それが必然であり、この世の道理である。

 

「奴等も人間、もう生きてはおるまいて。……あの頃が懐かしい。何処も彼処も馬鹿騒ぎになった、あの動乱の世がな……」

 

 古き世界の歴史を遡る事、数千年。最早誰も知る者はいないが、男の頭には今でも鮮明に残っているもの。とある島国が生まれ変わるまでを描いた時代の転換点。

 

 ――――江戸末期、新たな文明の花が開かんとしたその境界線を…………『幕末』と言った。 

 

(あの頃の俺は無敵だった。そう信じ込んで蔵の中で舟を漕いでいた時に…………奴等が現れた)

 

 天は転がり、地は踊る。混沌に支配された激動の時代において、大多数が内側に目を向ける中でただ一人、広い海の外を見ていた若き志士。それを裏で支えたのは、課せられた使命を真の意味で理解し、己の信じる道を見出した一人の忍び。

   

「彼奴め、事が済んだらさっさと俺を封印しおって。()()()()で散々助けてやった恩を忘れたのか? 礼の一つくらい言ってもバチは当たらんだろうに。…………ッ」

 

 記憶の中の人物に文句を言いながら夜道を歩き続ける男の前に、木々の壁が現れる。どうやら行き止まりのようであるが、男はその場を動こうとしない。

 

「……やっとお出ましか」

「ガァアアアッ!!」

 

 黙ったまま立ち止まっている内に、段々と奥から慌しい足音が近付き始め――――男の予想通り、木々の奥から魔物が飛び出してきた。

 

「早速だが刀の錆に――――ッなに?」

 

 ……が、獣型の魔物は強靭な四本の足で幹を蹴り上げると、嬉々とした表情で刀に手をやっていた男を迂回し、あっという間に暗闇の奥へと消えてしまった。

 

「むぅ……どういう事だ。……まぁいい、獲物はまだ他にも――」

「ギャギャギャ!」

「ガルルァッ!」

 

 呆けている男の横を更に数匹の魔物達が通り過ぎて行く。その光景を目の当たりして、男は最初に感じていた違和感を思い出す。

 

「……妖共は逃げている? 余程の存在がこの奥に潜んでいると。ふむ…………」

 

 魔物達の()()()様子に疑問と興味を覚え、彼等が飛び出して来る方向を注視する。

 暗闇に閉ざされた先では何が起きているのか、一見するとおかしなところは特に見受けられないが……

 

「……成る程。コイツは思わぬ収穫やもしれん……!」

 

 何かがいる。

 

 静かな森の奥で、強大な二つの気配が争っている。

 

 事を察した男の次の行動は早かった。目的地を変更し、漂ってくる気配に辿り着くまでの最短経路を割り出すと、それまで歩いていた道を無視して藪の中へと飛び込む。

 

(終わってくれるな、俺も混ぜろ!)

 

 足場の悪い森の、それも月明かりさえ見えない道とも言えぬ道を平気で駆け抜けて行く。獣よりも機敏なその動きを骨ばかりの身体でどうやって成しているのかは不明だが、とにかく人間業で無い事だけは確かであった。

 

「――む、少しばかり出遅れたか」

 

 そして男は辿り着く。異変の舞台となったその空間は、嵐が通り過ぎたかの様に荒れ果てていた。

 視界に映る木々は全て根元から薙ぎ倒され、中には炭化してぼろぼろに崩れているものもある。彼方此方に散らばる毒の沼からは絶えず瘴気が噴き出し、それが風に乗って周囲に広がり、草木を枯れさせる。

 

「派手にやるものだ。何者の仕業か?」

 

 黒く変色した地面を踏み締めながら空間の中央まで移動した男は、其処にあった()を手で小突く。

 顔を上に持ち上げると、口を半開きにした巨大な生物と目が合った。

 

「相当な猛者である事は確かだろう。少なくともこの大物を仕留めるぐらいのな」 

 

 男が見上げている歪な山。その正体は長い身体でとぐろを巻いた魔物の身体であった。自らと比べてあまりにちっぽけな男を眼下に捉えた魔物はしかし、男に対して何の反応も見せない。……既に魔物は息絶えていた。

 

「羽の生えた蛇……ああ、竜と言うやつか。…………分かるぞ、コイツの名は――――こあとりくえ」

 

 リブリィール山脈周辺で出没する魔物、コアトリクエ。

 闇蛇神の異名で知られるこの黒竜は、胴体に生えた三対六枚の翼で大空を駆り、硬い鱗に覆われた尻尾を一度振るうだけで小さな村を丸ごと吹き飛ばしてしまう。口から吐き出す酸の息は、まともに食らえば鋼の鎧だろうと一瞬で腐らせてしまう程に強力だ。

 

 ――それ程の怪物が、頭から真っ二つに切り裂かれた哀れな姿となって血の海に沈んでいる。それが意味するところは、この怪物以上の存在がこの森に居るという紛れも無い事実。

 

「ははは、なんとも恐ろしいものだ。これでは迂闊に外も出歩けぬ。なぁ、お前もそう思わんか?」

 

 竜の骸に向かって語り掛ける男。無論、死んだ存在が口を利ける訳が無いのだが、それは男も承知している。彼は別に物言わぬ存在に対して声を掛けたのではない、骸の上で己を見下ろしている不遜な輩に向けて言っただけだ。

 

「隠れていても分かるぞ。いつまでそうしている気だ、化生の者よ」

「…………オマエ、誰ダ? ニンゲンを見タのは久シぶりだ」

 

 殺伐とした場に似合わない、あどけない少女の様な声が男の耳に届けられる。

 

「なんだとっ……」

 

 それに驚いたのは声を掛けた男の方だ。竜を殺したと言う前提からとんでもない化け物を想像していたのに、聞こえた声がまさか、おかしな抑揚である点を除けば普通の少女のものにしか聞こえなかったのだから。

 

「なんと……只者でないとは思っていたが、ある意味で予想を裏切られたか」

 

 男の口から感嘆の声が漏れる。

 裂けた竜の頭部。その裏側から身を乗り出した小さな人影。それは正しく可憐な少女そのものだった。

 

 背中を流れる白銀の髪は月の見えない夜でも陰り無き美しさを湛え、ぱっちりと開いた大きな目は雲に隠れた星屑よりも輝いていた。上下で紅白に分かれたドレス姿は小柄な少女にとても似合っていて、場所さえ違っていたら名家のお嬢様とも思えただろう。

 

「竜の屍に腰掛ける童か。奇妙なものよ」

「オマエもヘンな気配をしてイるゾ。本当にニンゲンか?」

「喧しいわ。お前に言われる筋合いは無い」

 

 足をふらふら揺らしながら男を眺める不思議な少女であるが、彼女には幾つか不可解な点がある。

 現在彼女が居る場所もそうであるが、身体的な特徴として真っ先に挙げられるのがその肌の色。夜風に晒された少女の四肢は青かったのだ。

 

「俺の事なぞどうでもいい。それより、面白そうなモノを持っているではないか」

「……? ナんのことダ?」

「お前が被っているモノではないぞ。横に置いてある方だ」

 

 その姿から恐らく魔に連なる者だろう少女の頭には、愛らしさとは真逆の物々しい金色の仮面が載せられている。

 しかし、男が興味を示したのは仮面では無いようで、男の指は少女の隣を差していた。

 

「…………剣、か? なんだそれは」

 

 竜の骸に突き立てられた、重厚なる黒金の大剣。

 少女との違和感しかない組み合わせも気になるところだが、何よりも男の目が釘付けなっている理由はその大きさにあった。

 

(……五尺、六尺……一体どれだけあるのか見当も付かんな)

 

 一言で言えばとにかく大きかった、大き過ぎるのだ。

 少女の背を優に上回る刀身、斬ると言うよりは潰すと言った方が正しい分厚さ。どれも常軌を逸しているソレを振るったならば、それこそ竜の頭を叩き割ったと言ってもすんなりと納得してしまえるだろう。

 

「魔剣インフィニー。我の剣、我の分身ダ」

「ほほう。結構な業物と見えるが、ソイツで足元の竜を斬ったのか?」

「ソうだ」

 

 最も、今も自らの自重で竜の硬い肉に深く食い込んでいっている様な規格外の代物を、殺し合いと無縁そうな見た目の少女がもし振るえればの話だが。仮にそれが可能であった場合、少女の正体とは――――

 

「そうかそうか、それは凄いな。…………ところで」

 

 男が笑いながら腰に手を伸ばした直後――――男の姿が掻き消え、同時に跳ね上がるように立ち上がった少女の目の前で火花が弾けた。

 

「ナんの真似だ、ニンゲン」

 

 己の喉笛を食らおうとした凶刃を魔剣で受け止めた少女は、いきなり斬り掛かってきた男を睨み付ける。

 

「今の動きが見えたか。ならば次だ」

「……ムっ……」

 

 少女が瞬きする度に男の姿が分かれ、あっという間に数十人分の分身が並び立つ。分身達は少女を取り囲むと、それぞれが別々の構えを取って一斉に斬り掛かった。

 

 だが――――

 

「邪魔ダ」

「……むぐぉッ!?」

 

 少女の膝蹴りが一人の分身の腹にめり込む。すると他の分身達は霧散し、消えていく。

 少しも迷う事無く本物の男を見切った少女はそのまま足を蹴り抜き、男を地上へと叩き落す。 

 

「ッ……むぅ、反応が遅い。慣れない肉体では分が悪いか」

 

 もうもうと立ち上がった土煙から男が出てくる。片腕があらぬ方向に折れ曲がっているが、痛みを感じないのか平然とした顔でその腕を放置していた。

  

「ふむ、よく分かった。今までのヤツとは桁が違うな」

 

 欠けた顎で無理矢理笑みを作った男は、山の上に立つ少女を見上げる。しかし、男の視界に映ったのは大口を開けてこちらに吹き飛んでくる竜の生首だった。

 

「はは、なんと豪快な事だッ!」

 

 咄嗟に身を屈めた男の頭上を生首が通過し、男の後方に落着した際に盛大に血飛沫を撒き散らす。

 頭から血を被った男は楽しげに笑いながら身を起こした。

 

「先に手出しタのはオマエだ、悪く思うナヨ」

 

 骸の山から飛び降りた少女が地面に着地する寸前に剣を振るう。交差させるように二度振るわれた剣からは二つの衝撃波が発生し、地面を走って男の下に向かう。

 

「これは…………不味いな」

 

 背後を肉塊の壁に遮られ、両脇を通り抜けた衝撃波が左右への動きの邪魔をする。

 正面からは身の丈以上の魔剣を振りかぶった少女が迫っていた。

 

「逃げ場を塞がれてしまった。少しは考えるではないか」

「シネッ!!」

 

 圧倒的な剣の質量と少女の膂力が生み出す破壊力。それは少女を中心に地面に深い大穴を穿ち、衝撃で抉り取られた大量の土砂を天高く舞い上がらせる。

 

「フン、ニンゲンが我ニ立てツくから……ムっ……?」

 

 やがて土砂の塊が空中で形を崩し、雨の様にばらばらと地上に降り注ぐ。少女の頭上からも土砂の一部が落ちてくるが、少女は避けようともせず、しきりに辺りを見渡している。

 

「……チがう、外シた。…………ドこダッ」

 

 そんな少女の足下に一際大きな影が映った。

 

「何処を見ている、俺は此処だ」

 

 ――――静岩くずし。

 

 土砂と共に急降下する男。鞘から抜き放たれた刃は無数の紅い軌跡を生み出し、無防備な少女の身体を撫でるように削り取っていく。

 

「ウぐ、アァアアッ!?」

 

 全身を駆け巡る痛みに耐えられず、少女の口から悲鳴が上がる。美しい髪やドレスは無残に切り裂かれ、男が動きを止める頃には血塗れになった少女の痛々しい光景が出来上がっていた。

  

「良い声で鳴くものだ。態々首を残してやった甲斐があったわ」

「……油断、シたカ……」

「だが生かさん。此処で死ね」

 

 傷付き、膝をついた少女に止めを刺そうと刀を持ち上げる男。

 碌に抵抗も出来ない状態で尚も気丈に此方を睨み付ける少女に、躊躇なく刀を振り下ろそうとしたその時――――

 

「――ッ!? なんだ……ッ!」

 

 地面から細長い影が飛び出し、油断していた男の両足を固く締め上げる。

 男は一瞬だけ驚くも即座に立ち直り、細長い影を振り払おうともがく。だが、影は男の足に巻きついたまま微動だにしない。その間にも周囲からは同様の影が次々に現れ、しなやかな動きで男に忍び寄っていく。

 

「これは、触手か? ――――貴様ッ!」

 

 不気味に蠢きながら己の足を掴んで離さない青い触手。触手の伸びている場所を目で追っていくと、動けなかった筈の少女の下に辿り着いた。

 

「捕まえタ……モう逃がさナい……」

 

 爛々と目を輝かせた少女がそっとドレスの前を捲り上げれば、中は最初に見えた二本の足の代わりに数え切れない量の青い触手で埋め尽くされていた。

 途端に緩慢な流れだった触手の群れは急激に流動し始め、身動きの取れない男を食い破らんと先端を鋭く変形させて雪崩れ込む。

 

「この烏賊女がッ! こんなもので俺を止められるとでも!」

 

 足を抑え付けられた男は地響きを立てて迫る触手の波に刀を向け、間合いに入った触手をがむしゃらに切り裂いていく。男の異常とも言える剣技が大地を押し流す青い圧力に立ち向かい、圧倒的な質量の壁を削り取ろうと休む事なく振るわれる。

 

「ハハハ、イつまで耐えられル?」

「ぐぅぉおぉッ……! 舐めッ……るなァ!!」

 

 一振りで複数の触手を纏めて切り払い、十文字斬りで幾重にも束ねられた塊を分断させ、居合い抜きでもって風穴を穿つ。不動の構えで襲い掛かる青色の暴威に耐え続けていた男だが、それでも身体の自由が制限されている事もあってか、徐々に押され始めていた。

 

「…………限界だな。折角の拾い物だが背に腹は変えられん」

 

 男は迎撃の手を止めると、持っていた刀を少女目掛けて――――投げた。

 

「ッ!? オマエ、自分の武器ヲ……!」

 

 男の手から離れた刀は立ち塞がる触手の妨害をすり抜け、目標に向かって突き進んで行く。

 

「――ダが、この程度なラ余裕ダッ」

 

 あわや少女の首に届くかに思えた刀は、迎撃のために振りかざされた魔剣にあっさりと弾かれ、放物線を描いて少女の背後へと落下してしまう。男の決死の行動が虚しく終わったのを見届けた少女は、抵抗する術を失った男へ微笑みと断罪の言葉を贈る。 

 

「惜しかったナ、ニンゲン。――――シね」 

 

 遮るものの無くなった触手は勢いのまま男の胴を貫通し、四肢を千切り、頭を潰して地面に叩き付ける。男の痕跡を根こそぎ消し去る触手の蹂躙劇によって、一帯には局地的な地震と耳を塞ぎたくなる程の地鳴りが響き渡った。

 

「ハハハ、安心すルといい。オマエの事は我が覚エテいてやるゾ」

 

 人間の身でありながら、男が異形の少女の動きについてこれたのは賞賛に値する事だろう。しかし、少女は強大な魔族達の中でも殊更に強大な存在だったのが男にとって最大の不幸だったのだ。

 

「恐ろしいヤツだっタが、全力を出すホどではナカったな」

 

 邪魔者を払い除けた少女は森中に張り巡らせた触手を戻し終え、一仕事終えたかの様に額を腕で拭う。その際に腕に付いた自分の血をまじまじと観察する。

 

「我がコこまで傷を負うなんテ、イつ以来ダ? ニンゲンだっタとはとても思えヌ」

 

 暫く感慨深げに男が消えた穴を見下ろしていたが、それもすぐに飽きてしまった少女は踵を返して歩き出す。

 

「身体がいタい……ヒとまず、傷を癒ソう……」

 

 無知とは時としてその者に不幸を与える。それは誰にでも、どんな実力者にも言える事だ。

 男の場合は少女の秘めていた力、その本質を見誤った事が不幸に繋がった。

 

「……ソういえば、あのニンゲンの名はナンと言うンだ……?」

 

 そして、少女の場合は。 

 

「……どウでもいいカ。もうヤツはシんだのだからナ」

 

 男が隠していた力、その正体に気付けなかったのが……

 

 

 

 

「そんな事を言ってくれるな。寂しいではないか」

 

 今生における、最初で最後の不幸となる。 

 

「ナに――ガァアァ!?」

 

 夜空を走った紅い一閃が少女の手から魔剣を弾き飛ばし、続けざまに少女の背中を何者かが蹴り飛ばす。

 

「さぁ立て、愉しいのはこれからだ」

 

 前のめりに倒れ込んだ少女に軽い足音が近付き、少女のすぐ傍に魔剣が突き立てられる。

 

「これで二度死んだ。三度目は無いぞ」

「オマエッ……ハ……!」

 

 身体を震わせながら少女が顔を上げると、目の前に立っていたのは血の滴る紅い刀を肩に担いだ黒い男。無造作に伸ばした黒い髪を後ろで束ね、アヴァタール地方では見かけない風変わりな黒い衣を着込んでいた。

 

「……そうカ、その刀がオマエの本体なのダナ!」

 

 怖気立つ程に鮮やかな紅い刀が鈍い光を纏うと、まるで生きているかの様に付着した血を吸収し始め、それに合わせて刃毀れした刃が修復される。ものの数秒で元通りになった刀を振り下ろした男は、黒く濁った目を歪ませて少女を嘲笑う。

 

「コイツこそが、彼の妖刀ムラマサよ。御上を震え上がらせたコイツで斬られるのだ。悪くはあるまい?」

「……いタイ…………許さナいっ…………キサマハァアアアッ!!」

 

 穴だらけの地面から再び飛び出した触手の群れが少女から男を遠ざける。その勢いは百を越えても衰えず無尽蔵に増え続け、先程よりも更に大きな津波となって男に殺到し――――紅い旋風に吹き飛ばされた。

 

「どうした、もたもたしていると首が飛ぶぞ!」

 

 極限まで練られた殺気が一振りに込められ、少女を守る触手の壁が分断される。道を斬り開いた男は風よりも速く大地を駆け抜け、怒り狂った少女と真っ向からぶつかる。

 

「もっとだ、もっと出せるだろう! これではまるで足りんぞ!」

「チか寄るナァア!!」

 

 飛び掛かってきた男の猛攻を受け止めながら少女は考える。

 自分は単純な力こそ勝っているが、男と比べて手数が足りない。だから攻めきれない。

 

「ナらバ手数を増やス!」 

「う、おぉッ!?」

 

 少女の背中から展開された六本の腕が男の頬を掠め取る。それまでの触手と違い、硬い外殻に覆われた触腕と言うべき武器が激化する剣戟の渦中へ投入され、男の身体に細かい傷を刻んでいく。

 

「烏賊の次は蜘蛛か! どこまでも飽きさせぬヤツよッ」

「笑っていラれるノモ今だけダ……!」

 

 少女が手をかざした先に魔方陣が浮かび上がり、歯車の様に回転しながら輝き出す。少女から送られる莫大な魔力によって魔方陣は速やかに充填を完了し、射線上の男に牙を剥く。

 

「消エロ! 烈輝陣(レイ・ルーン)ッ!!」

 

 純粋魔術の一つ、高純粋の光とされる烈輝陣が男目掛けて放射される。

 少女の激情を乗せた白い光線が軌道上に存在する全てを焼き払いながら迫ろうとしている中、時間にして一秒にも満たない刹那、窮地に陥った男は…………笑っていた。

 

(ああ、駄目だ。これは避けられん。…………この程度なら避ける必要が無い)

 

 防御や回避と言った考えは端から存在していない。

 難しい事は考えなくていい。己が取るべき行動は一つだけ、殺られる前に殺るだけだ。

 

 ――――次元空裂断。

 

 男が刀を振り下ろす。たったそれだけで最強の矛は脆くも砕け散り、枝分かれした光の残滓が男を基点に乱れ飛

ぶ。生き残っていた森はたちまち火の海と化し、命を灰へと変えていった。

 

「初めて使ったが悪くない切れ味だ。後はお前を斬るだけ――――」

 

 瞬間、男の視界が白で塗り潰される。  

 

「オマエがあの魔術を破るのハ分かってイた。だから本命を用意シておいタ」

「むぅ、お……ぉおッ……!?」

 

 聖なる光が曇天の夜空を照らし、清き風が溜まった瘴気を洗い流す。

 少女が選択した魔術の名は『破術の爆裂雨』。それは邪悪なる者を滅ぼす神聖属性の魔術であり、この世に未練を残す悪霊を昇天させる少女の奥の手だった。

 

「霊体のオマエにハ良く効くダろう? 今度コそホロびるがいい」

 

 叫び声を上げる事も許されず光の中に飲み込まれていく男。魔術を行使した少女は、警戒を解かぬまま魔術の効果が切れるのを待つ。先程の不意打ちが余程堪えたらしい。無数の触手と六本の触腕で身体を覆い隠し、いかなる攻撃にも備える徹底振りだった。

 

「…………フ、フフ……ハハハ!」

 

 ――――光が消え去った空間に男の姿は無い。空間の外に張り巡らした触手にも男が触れた感触は無かった。

 

 つまり、男は逃げる間もなく消滅したのだ。

 

「ハハハハッ! アワれなヤツめ、ワれの勝ちダ! アハハ――――ウぁッ!」

 

 不意に足が躓き、地面に倒れてしまう。

 すぐに起き上がろうと身体に力を入れるも、中々思うように動けない。

 

「なんダ、一体ナんだと言うのダ? ナニかがおかシ、い…………!?」

 

 少女は見てしまった。

 自分の後ろに、慣れ親しんだ身体の下半分が転がっている光景を。 

 

「小童よ、次があるなら覚えておけ。お前を殺した技…………斬鉄剣の味をな」

 

 その言葉が合図だった。倒れ伏す少女の前に降り立った男が刀を鞘に収め――――世界が()()()

 

「お前は強かった。一歩遅ければ其処で倒れていたのは俺の方だっただろう」 

 

 無限に思えた触手が、男と幾度も斬り結んでいた触腕が、竜の頭蓋を砕いた魔剣が。

 ありとあらゆるものが斜めに滑り落ちていく。

 

「オマ、エ…………オマエハ何者……ダ……」

 

 半身を失い、腕を支えに震えながら首を持ち上げた少女に、男はその名を告げる。

 

「この国では神に匹敵する力を持つ者を魔神と呼ぶらしいな。ならば俺もこう名乗ろう――――『魔神竜之介』と……!」

「……リュウノスケ…………オボエタゾ………コロス……オマエハ……ワレガコロ――」

「死ね」

 

 そして、戦いの幕が閉じる。

 

 

 

 

「あの小童め、好き放題やりおって。……ぐッ……思ったより傷が深い」

 

 魔神を名乗った男――竜之介は足を引き摺りながら歩いていた。背中からは青白い炎が揺らめき、煤けた顔は苦渋に満ちている。

 

「遊び過ぎたか。少し浴びただけでこのざまだ。だが、その分の見返りもあった」

 

 魔術、神聖属性、霊体。

 

 己にとって致命となる要素を今回の死合で学んだ。おまけに新技の試し斬りをする事も出来た。代償として愛着のあった肉体を失う羽目になったが、めぼしい情報は粗方搾り取っていたので問題は無い。

 

「無くなったのならまた奪えばいいのだ。次はもっと活きの良い肉体を……」

 

 真っ暗だった空が徐々に明るくなる。

 気付かない内に鬱陶しい雲は晴れており、夜空には紅い月が浮かんでいた。 

 

「……美しいものだ。神とやらに持たせておくのはあまりに勿体無い」  

 

 満たされない欲望を満たすべく、次なる獲物に会いに行く。

 周囲に潜んでいた魔物達は竜之介の狂気に怯み、音を立てないよう身を低くして彼が通り過ぎるのを待つばかりだった。

 

「匂いはあそこから流れている。さて、鬼が出るか仏が出るか」

 

 小高い丘の上に登り、其処から一望出来る景色を鑑賞する。

 

 縦横無尽に広がる水路、清潔感のある白い街並み、美しい女神の像。

 其処は多くの人間族が住むアヴァタール地方で今、一番の急成長を遂げている国――レウィニア神権国であった。

 

 

 

 

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