堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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第13話 邂逅

「異常なーし。あー、めんどくせぇなぁ」

 

 ひんやりとした夜の空気と穏やかな静けさに包まれたカバキ砦。砦と言っても、其処はとうの昔に打ち捨てられた廃墟であり、付近の村の住人も滅多に近寄ることはない。……故に、犯罪を犯した者が身を隠すには絶好の場所であった。

 

「何で俺が見回りなんか……大体、女共を攫ったのは今朝だぜ? まだ誰も勘付いちゃいねーだろうが」

 

 悪態を吐きながら薄暗い通路を歩いているのは、粗暴な見た目の若い男だ。鎖帷子の上に皮の鎧を着込み、腰には嵐の紋様の刻まれた剣――バリハルト神殿の戦士に支給される長剣――を差している。

 

「けっ! ボスも人使いが荒いんだよ。その癖、いつも自分が一番イイ思いをしてやがる」

 

 冷たい石の床を乱暴に踏み鳴らしながら男は寂れた砦内を歩き回る。

 壁には窓の一つも無く、等間隔で設置された照明が代わりに通路を照らしているが、外が見えない為にどうしても圧迫感を感じてしまう。さっさと面倒事を終わらせてしまおうと、自然と男の歩調は速くなっていた。

 

 空っぽな倉庫、蜘蛛の巣だらけの食堂、埃の積もった訓練所。

 いつ見ても辛気臭い根城が余計に男を苛立たせる。だが、一階から二階へと上がった途端、険しかった男の顔が喜悦に染まる。 

 

「へ、こうなったら勝手に愉しませてもらうぜ」

 

 口端を歪めていやらしく笑う男。軽やかな足取りが向かう先は、かつてこの砦がその機能を十全に発揮していた時代に、捕虜を捕らえておく為の『牢屋』として使用されていた部屋であり――現在では、男達が攫ってきたスティンルーラの娘達を監禁している部屋だった。

 

「交代の時間にはまだ早いが、まぁ後で酒の一つでも持っていってやりゃあ大丈夫だろ」    

  

 つい先ほどまで抱いていた不満は何処へ行ったのか、既に男の頭の中は別の考えで埋まっている。 

 若い娘を攫うような、ましてや無人の廃墟にその娘達を閉じ込めるような人間が真っ当である訳がない。故に、顔をにやつかせた男が頭に思い描いている内容も、きっと碌でもないものだろう。

 

(あの勝気そうな女を服従させてやろうか? いや、それともあの気弱な女を壊れるまで……ん?)

 

 欲望の赴くままに足を動かそうとしたその時、目的の部屋から誰かが出てくるのを男は見た。

 薄暗くて顔はよく分からないが、こんな場所を平気で出歩いているということは仲間の一人に違いない。そう考えた男は逸る気持ちを抑え、影のように静かに近付いて来るその人物に親しげに声を掛けた。

 

「よう、調子はどうだ兄弟。下の方は絶好調ってか? はははっ!」

「…………」

「……ちっ、なんだ無視かよ? 感じのわブッ」

 

 最後まで言い切る前に、男の口に硬いものが捻じ込まれる。照明の光に反射し、鈍い銀色の輝きを放つそれに刻まれているのは、嵐を意味する特徴的な紋様。男は目を見開いたまま仰向けに倒れると、それきり動かなくなった。

 

「……調子か。そうだな、最悪だ」

 

 気付けば、倒れ伏した男を黒い外套を纏った人物が見下ろしていた。

 外套のフードで顔を隠したその人物は物言わぬ屍となった男に返事を返し、暗闇に閉ざされた通路の奥へと歩き出す。その際に黒い人物の手から中身の無い鞘が滑り落ちた。

   

「悪戯に命を奪うまいと考えていたが…………駄目だ。お前達全員、揃いも揃ってどうしようもない」

 

 抑揚の無い声が告げたのは、男達への死刑宣告。

 一見落ち着いているようにも見えるが、言葉の節々からは彼の――オルステッドの隠し切れない怒りが滲み出ていた。

 

「ヒトの世には関わらないと決めていた。その意思が変わる事はない。だが……」

 

 気配を殺して薄暗い通路を走り抜ける。立ち塞がる障害の全てを斬り倒し、迷うことなく砦の最奥部にまで辿り着いたオルステッドを出迎えるのは、何人も通さぬと固く閉め切られた大扉。しかし、その程度では彼の進撃は止められない。扉を視界に入れたオルステッドは立ち止まるどころか更に走る勢いを強め、身体ごとぶつかるように剣を振る。

 常人ではびくともしない大扉は、オルステッドの手加減無しの一撃を受けた結果――――くの字に曲がって吹き飛んだ。

 

「ヒャハハァッ! 待ってたぜぇ!」 

 

 部屋の中に踏み入ったオルステッドに嘲笑が浴びせられる。独房のように殺風景な室内には二人の人間が存在した。

 一人は両腕を鎖で吊し上げられた裸の娘。そしてもう一人はその鎖を片手に握り、残る片手に黒く濁った魔力を溜め込んだ長髪の男。

 

「死ねぇッ暗黒衝撃ィ!!」

 

 バリハルト神官の恰好をした男が叫び、男の手から炸裂した暗黒魔術が僅かに動きの鈍っていたオルステッドに直撃する。人は目の前で不測の事態が発生した時、瞬間的に身体が硬直してしまう。男はその小さくも大きな隙を狙っていたのだ。

 

「ハッ、ざまぁみやがれ! 見ろよ、ドブネズミが挽き肉だぁ!」

 

 手元の鎖を手繰り寄せ、動けないスティンルーラ人の娘の顔を無理矢理正面に向けさせる男。

 オルステッドが立っていた空間は黒い渦によって削り取られ、支えを失い崩れた天井が瓦礫の山を作っていた。

 

「思ったより早く来やがって。所詮、光の連中なんざ俺様の敵じゃねぇんだよ!」

「……ぅ、あっ……!」

「どうした、俺様の魔術に感動しちまったか? ヒャハハ! 心配しなくても此処をずらかる前に一発ヤッてやるよ」

  

 恐怖から鎖を軋ませ、怯えた目で男が引き起こした破壊の痕跡を見詰める娘。

 その様子に征服欲を刺激された男の視線が娘の背中に伸びる。瑞々しい肌に手の平を押し付けると、わざと爪を立てながら指を這わし、痛々しい爪痕を刻み付ける。

 

 まだ時間に余裕はある。折角のご馳走だ、じっくりと味わってやろう。

 

「ひっ……あ……あぁッ!」

「イイぜぇ、その顔。そそるねぇ」

 

 手元に伝わる震えを通して、娘の感じている恐怖を思う存分愉しんでいた男だったが、彼は一つだけ誤解をしていた。

 ……少女が恐れていたのは、魔術を放った男ではないのだ。

 

「ヒヘヘ。おいおい、そんなに怖がるなよ。さっきから何を見て……ぐがぁッ?!」

 

 面白がって彼女の視線を追おうとした矢先、男の身体が宙に浮く。悲鳴を残して背後の壁に叩き付けられた男の目には、積み重なった瓦礫を掻き分け、粉塵の中から悠然と立ち上がる者の輪郭が映し出されていた。

 それを見た男は壁から抜け出そうとするも、腹に突き刺さった黒い刃が男を壁に縫い付け、離さない。逃げようともがけばもがくだけ男の足元に赤い水溜りが拡がっていく。

   

「ぐっ……糞がッ! てめぇ、生きてやがっ――!? う……そだろ……!」

 

 焦りから逆上しかけた男の口が吐き出したのは、目の前の人物に対する罵倒ではなく、驚愕の呟きだった。

 立ちこめていた粉塵が晴れ、その姿が明瞭になっていくにつれて男の身体がガクガクと震え出す。そして理解する。少女が真に恐れていたのは、この化物(オルステッド)だったのだと。

   

「に、人間じゃねえのか!? なんだ、なんだってんだ……てめぇは一体ッ」

「……シンだ者がヒトの世ヲ……過去の遺物が新たな世界を身勝手に掻き回すなど、あってはならない事だ……」

 

 生物が発したとは思えない、異質としか言い様が無い音が、次第に凛とした若い男の声へと変換される。損傷した部位から赤黒い煙が噴き出し、抉れた片目が、折れ曲がった片足が、剥き出しの筋線維が、傷を負ったあらゆる箇所が急速に癒えていく。

 

 そうして全身を覆う煙が消えた頃、オルステッドは男を縫い付けていた剣をおもむろに抜き取った。

 

「だが、あの惨状を目の当たりにして……何もしないでいられる程、私は利口でも無かった。……人間とは、身勝手な生き物だからな」

 

 オルステッドの剣に闘気の光が宿る。その刃は彼に技を教えた者の気高い精神を表すかのように白く、そして清廉だ。

 

「……! た、助けっ……助けて! 俺が悪かったぁッ!」

「諦めろ。その出血量ならもう助からん」

「もうしません! これからは真っ当に生きます! だ、だから……ッ!」

 

 自らの流した血に溺れ、のたうち回る男。それでも己の命が惜しいのか、刃を向ける敵に助けを求めて手を伸ばす。だが、オルステッドは足に縋り付く血塗れの男を見ても一切表情を動かさない。握り締めた剣は機械的に頭上へと掲げられ、凍え切った瞳が男の首に狙いを定める。

  

「い、嫌だ! 何で俺様がこんな目に……や、やめろ! やめてくれぇ!!」 

「…………」

 

 ――……私は剣に己の人生をかけてきた。それは、家名をこの身に背負った今でも変わらない……――

 

 唐突に、オルステッドの手が止まる。

 男に振り下ろされる筈だった剣は、頭上で固定されたまま動かない。

 

 もしや、男の懇願が届いたのか。

 いや、そうではない。オルステッドが手を止めた理由は別にあった。

 

 ――数日前。

 

「――今のが奥義、神極剣だ。この技で個の敵を粉砕し、先に見せた白露の鎌撃で群の敵を撲滅する。……私が扱える技はこれで全てだ。どうだね、感想は?」

「……何とも、凄まじいな……」

 

 場所は、レウィニア神権国の王都プレイアから少しだけ離れた郊外にある草原。

 其処でオルステッドが見せられたのは、人間の手で廃墟が真っ二つに斬り裂かれるという常軌を逸した光景。それを成したのは、笑顔でオルステッドに話し掛けている白い男だった。

 

「そうか凄まじいか! まさか君にそう言って貰えるとは、これは後でルーノ殿に自慢するしかないな!」

「…………だが、何故だ? 私はこの国には属さないといった筈。なのに何故、私に剣を教えるような真似を」

 

 理解できないといった表情を浮かべるオルステッド。

 仕官の誘いを断ってから王都を発つまでの数日間。その間、オルステッドはローグライアから毎日のように呼び出されては、こうして彼の剣技を見せ続けられていた。恩があるからと黙ってローグライアの行為に付き合っていたオルステッドだったが、出発の前日になっても変わらず笑顔で剣を振るう男に遂に我慢が出来なくなったらしい。

 

「こんなことをしても貴方には何の益も無い。それどころか、部外者の私に剣を教えたことが周りに知られれば、貴方の立場が悪くなる事だって……」

「はて、何のことかね? 私はただ気分転換に外で剣を振っていただけだよ」

「……真面目に答えてくれ。今は冗談を言う時ではないだろう」

 

 にこにこと人懐こい笑みを絶やさないローグライアにオルステッドは深く溜息を吐く。気を取り直して再度ローグライアに問い掛けようとするも、それより先にローグライアが言葉を紡ぐ。 

 

「私はね、君ならきっと私を越えてくれると思っているのだよ」

「越える?」

「そう、君なら頂に立てる。才能の乏しい私では到達出来なかったが、オルステッド君ならきっとあの技を……選ばれし者のみが扱える、一撃の極意を掴めるだろう。そう確信しているのだ」

 

 オルステッドに対し、熱心にそう語るローグライア。その顔はどこか悔しそうで、それ以上に嬉しそうに見えた。

 

「本当は共にこの国を支えてほしかったが……ま、私の剣が君に引き継がれただけでも十分な成果だな。ハッハッハ!」

「…………変わったヒトだな、貴方は」

「ハハハ! 褒めてもこれ以上は何も出せないよ。おっ、そうだ! ものは相談なんだが、将来君の剣が完成したら私の子孫に――」

「分かった、分かったから落ち着け!」

 

 今度は何を思い付いたのか。ローグライアは興奮した様子でオルステッドの肩を激しく揺らし、焦るオルステッドに次なる提案を持ち掛ける。傍から見れば、大の大人が子供みたいにじゃれ合っているようであったが、この状況を楽しんでいるのは恐らくローグライアだけだろう。

 

 ――或いはこれも、ローグライアなりの激励だったのかもしれないと後にオルステッドは考察し……それだけは有り得ないと断言した。

 

         

 

 

「…………」

「くそぉ、俺様がこんなところで……?」

 

 男に向かって掲げられていた剣から、闘気の衣が散っていく。

 血を吐きながら部屋の中を這いずっていた男は、もしやオルステッドの気が変わったのかと思わず顔をほころばせる。

 

「へ、へへ……先程はすいません。まさか相手が魔族の御方とは知らなかったんです」

「…………勘違いするな」

「この非礼を詫びる為にも是非、俺を旦那の下で働かせて……え? すいません、今なんて」

 

 風を切る鋭い音が広い室内に響き渡る。男の耳が拾えたのは、それが最後だった。 

 

「お前如きに技を使うのが惜しかっただけだ」 

 

 刀身に付着した血を振り払う。次いでオルステッドの視線は、酷く怯えながら自分を見詰めていた娘へと移る。

 

「ッ!? ち、近寄るな!」

「心配しなくてもいい、お前を傷付けたりは……」

「――待てッ!!」

 

 娘を拘束している鎖を解こうとしたオルステッドを、第三者の叫びが引き留めた。振り向いた先に居たのは線の

細い一人の青年。落ち着いた紫の髪に、意思の強い目をしている。

 

 「今すぐその女性から離れろッ!」

 

 ――――そして、身に着けている装備は全て、バリハルト神殿の支給品である。

 

「……そうか」

 

 オルステッドの手が鎖から離れる。

 

「以外だな。あのような男でも、人望はあったらしい」

 

 伸ばしかけていた手が代わりに掴んだのは、血を吸ったばかりの己の剣。

 

 

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 ――時は戻り、カバキ砦の入口。

 

「それにしても、さっきの人には参ったよ。まるで悪ふざけをしている時の姉さんを相手にしてるみたいだった」

「あら? 私は素敵なヒトだと思ったけど」

「サティアはお人好し過ぎるんだよ」

 

 月明かりの影に隠れて二人の若い男女が敷地内を走る。

 時折、人目を気にするように身を隠しつつも、二人の会話からは緊張感は感じられない。お互いを信頼し合っているからこそ、敵地に潜入している今の状況でも落ち着いて行動する事が出来るのだ。

 

「ウフフ、貴方程ではないわ。素敵なお人好しさん?」

「うっ……と、とにかく! この砦にいる連中が黒だって証拠は掴んだから、早く砦の中を調べよう!」

 

 美しい紅髪の女性が隣の青年に悪戯っぽく微笑むと、青年は声を詰まらせながら顔を背けた。慌ただしい青年の後ろ姿に、女性は手で口元を押さえてクスリと笑う。

 

 しかし、砦の入口に辿り着いたところで、二人の纏う空気が少しだけ固くなった。

 

「……セリカ、これって」

「ああ。恐らくだけど……俺たち以外に、誰かが此処を訪れたみたいだ」

 

 入口の傍で気絶している兵士を指差すサティアに、苦い表情をしたセリカが答える。

 この砦に潜伏している集団は、バリハルト神殿の名を騙ったならず者達である。セリカは本物のバルハルト神殿の剣士であり、仲間の誰よりも早くにこの場所を突き止めた。

 

 ならば、ならず者の門番を気絶させ、セリカ達より先に砦に侵入したのは何者なのだ。

 

「もしかして、さっきの女性の仲間なんだろうか……?」

「分からない。けど、もしその通りなら中に入った人物は敵じゃないわ」

「サティア。君を疑うつもりは無いけど、何故そう言い切れるんだ?」

   

 人間は出会ったばかりの他人をそう簡単に信じられるものではない。

 疑問の晴れないセリカにサティアは満面の笑みを向け、先程の女性を信じた理由を述べる。

 

「私は知識の神ナーサティアの信徒として、世界中を旅してきた。そして、世界中の様々な人々を見てきたわ。だから分かるの。あのヒトは悪い人じゃないし、悪い人を連れるようなヒトでもないって」

 

 セリカはサティアの説明を聞いている途中で、彼女の笑みが一瞬だけ寂しいものに変わったように感じた。だが口には出さず、彼女の透き通った瞳を見詰める。

 

「俺はサティアを信じている。君がそう言うなら、きっと信用できる人なんだろう」

「セリカ……ありがとう」

「さぁ、行こう。捕らわれている人達の身が心配だ」

 

 話も纏まり、二人は気を引き締めて砦の内部へと足を踏み入れる。

 窓の無い迷路のような通路を走り、部屋の一つ一つを順に見て回る彼等が目にしたのは、気絶したまま床に寝転がっているならず者達の姿。どの部屋も荒れてはいたが、争いで生まれた形跡には見えない。床に落ちた空の酒瓶や、食いかけの肉片などから、粗暴な男達が勝手に汚しただけだろうと二人は考えた。

 

「相手はならず者とはいえ、誰にも気付かれずに全ての部屋を制圧するなんて並大抵の事じゃない……!」

「単独じゃなくて複数の人間で侵入したのかもしれないわ」

 

 声を潜めて話し合うセリカとサティア。先駆者の実力に二人とも驚きを隠せなかった。

 全ての部屋を確認し終えた二人は次に、探索の足を上階に続く階段に向ける。

 

「……ッ! なんだ、この臭いは?」

 

 階段を上りきった瞬間、吐き気を催す不快な異臭が二人を襲う。

 一階と明らかに異なる様相に二人の警戒が一気に強まる。そして、照明の光が照らし出した光景を見て、思わず後退った。

 

 一面に広がる、赤、紅、アカ。

 

 長い廊下を埋め尽くす鉄臭い臭気、その原因は通路の床を埋める真っ赤な血の絨毯。

 二人の足元を濡らすそれは、通路の彼方此方に落ちているならず者達の死体が流し、合流したものだった。

 

「サティア、君は下の階に戻ってくれ。此処から先は俺一人で行く」 

「いいえ、私も一緒に行くわ」

「駄目だ! これは異常だ、君を危険な目には……」

「貴方を置いてはいけない。……もう、一人で逃げたくないの」 

「……サティア……分かった」

 

 凄惨な光景をこれ以上見せまいとしたセリカだったが、サティアは意を固めた目ではっきりとセリカの提案を断り、共に行くと告げる。揺るぎない決意を見せられたセリカは一呼吸間を置くと、彼女の白い手を取り、血の絨毯の奥を目指して移動を始める。

 

「この先は……牢屋か?」

「気を付けてセリカ。あの部屋だけ人の気配が……誰かが居るわ」

 

 足元を濡らす絨毯の毛並みが段々と色濃くなっていく。

 慎重に進んで行くと、やがて大きな空間に辿り着いた。開放されていた入口から恐る恐る中を覗き込んだセリカの目に飛び込んできたのは、部屋中に散らばる無数の死体。部屋の隅では、若い娘達が身を寄せ合って震えていた。

 

「これは……彼女達は攫われたスティンルーラ人か? すまない、少し聞きたい事が……」

「ひッ!? い、嫌ぁ!!」

「待って。セリカ、私が代わりに事情を伺ってみるわ」

「え? ……っ! ああ、分かった。俺は入口で見張りをしているよ」

 

 男であるセリカに対して過剰なまでの反応を見せる娘達の様子に、この部屋で行われていたであろう顛末を察したサティアが前に出る。セリカも大人しく部屋の外で彼女が戻ってくるのを待つことにした。

 

 ……少し経って、サティアが部屋から出てくると、中で知り得た事情をゆっくりとセリカに話し始める。

 

「彼女達は、ある人に助けられたらしいわ」

「それは……」

「貴方の考えている通りよ。この砦に捕らえられた彼女達は、ならず者に乱暴されていたの。でもその時、入口から風が吹いたと思うと……」

 

 ――……もうじき助けが来る。それまで此処でじっとしていろ……――

 

「……そう言って黒い人影が消えると、いつの間にか鎖が壊れていて、ならず者達も息をしていなかった。私が聞けたのはそれだけよ」 

「それじゃあ、俺たちより先に来た人は……一人なのか!?」

 

 まさか単独でならず者達を壊滅させたのかと、潜入している事も忘れて驚愕するセリカ。

 

「ええ、その人はこの先の一番奥にある部屋に向かって…………きゃあっ!?」

「危ない!」

   

 突然、砦を大きな揺れが襲い、躓いて転びそうになったサティアを咄嗟にセリカが受け止める。

 

「今の揺れは奥から……! 君は彼女達を守っていてくれ!」

「セリカ、待って!」

 

 サティアの静止を振り切り、セリカは猛然と駆け出した。向かうは、この砦の最奥部にある首魁の部屋だ。道行く先々で転がっている死体を無視して通路を走っているうちに、徐々に瓦礫の山が見えてくる。

 

「あそこか!」

 

 目の前で崩落していく瓦礫を飛び越え、其処でセリカは異形と出会った。

 

(――――ッ?! アレは……!)

 

 全身から赤黒い煙を噴き出す金髪の男。身体の所々が抉れ、血だらけの顔はただ一点を見据えている。恐ろしい事に、男の傷は時間を巻き戻したかのような尋常ならざる速さで治っていき、セリカが我に返った時には、重症に思えた男の傷は完全に修復されていた。 

 

(再生魔術の類か? だが、神官なんかにはとても見えない。それに、あの禍々しい装備は……!)

 

 癒しの女神イーリュンの信徒であれば或いは、死に至る傷を治癒する事も可能だろう。

 しかし、セリカは男の恰好を見て甘い考えを即座に捨てた。 

 

 ――男が身に纏う黒衣からは毒々しい瘴気が零れ、引き裂けた衣は男の身体と同じように元の姿へと修復されていた。掲げられた黒い剣は見ているだけで背筋が凍りつく。

 どちらも使用者を呪い祟る禁忌の武具だ。強力ではあるが、その本質は他人を恨み、憎み殺そうとする憎悪の念が籠められている。常人ならば発狂しかねない悪意に晒されても涼しい顔をしている者が、慈愛に溢れたイーリュンの信徒である筈が無い。

 

「お……如き…………惜し……だけだ」

「――ッ!」

 

 風がセリカの頬を撫でた。

 金髪の男の腕が消え、這いつくばっていたバリハルト神官の首がポトリと落ちる。

 

(全く見えなかった……! いや、今はそんな事を考えている場合じゃない!)

 

 金髪の男の魔の手が、鎖で拘束された娘に伸ばされる。セリカの口は自然と動いていた。

 

「待てッ!! 今すぐその女性から離れろッ!!」

「…………」

 

 男が振り向き、セリカの存在を認識する。無機質な瞳がセリカの顔を捉え、視線が下に移ると、小さく呟いた。

 

「以……だな。あのような……にも、……はあったらしい」

「何を言って――うわぁっ!?」

 

 セリカが問い掛けようとした時、男の姿は目前にまで迫っていた。反射的にかざした剣に男の黒い刃が叩き付けられ、二振りの刃の間から舞い散った火花がセリカの前髪を焦がす。

 

(速いッ! それに、剣が重い…………ぐッ!)

 

 剣を受け止めたセリカの腹に男の左拳がめり込む。体制を崩したセリカの首に続けて黒い刃が振り下ろされるが、セリカは身体を床に倒して横に転がることで、寸前で男の剣を回避した。

 

「…………」

 

 致命の一閃を避けられても、男に動揺は見られない。

 振り下ろした黒い刃が石の床を砕くと、刀身を床に埋めたまま刃を走らせ、勢いのままにもう一度セリカの首を狙う。 

 

「くそ! 一旦下がって……なに!?」

 

 床から跳ね起きたセリカの視界を、砕けた石の破片が塞ぐ。片手で目を守りながら男と距離を取ろうと下がったセリカの足に何かがぶつかる。それは、首の無い死体だった。

 

「不味いっ……ぐあぁ!!」

 

 動きの止まったセリカに男の蹴りが容赦なく突き刺さり、壁に向かって打ち上げられた。身構える事も出来ずに背中から衝突し、呻き声を漏らして崩れ落ちたセリカに男が歩み寄る。

 

「…………」 

「ぐっ……まだ、だ……」

 

 無言で迫る男を睨み付けながら、剣を杖代わりにして立ち上がるセリカ。しかし、目の前の男との実力の差を身をもって教えられた為に、迂闊に動くことが出来ないでいた。

 

(力はダルノスよりも強い。速さはスフィーダ以上だ。遠距離から魔術で……駄目だ、あの謎の再生力の前じゃ威力が足りない……俺は、此処で死ぬのか……?)

 

 どう足掻いても勝ち目が無い。

 変えようのない結末を自覚した時、セリカの心に宿っていた闘志が大きく揺らいだ。

 

「…………どうした、もう抵抗はしないのか」

 

 俯いたまま剣を構えようとしないセリカの様子に、男が初めて口を開く。感情を感じさせない声がセリカを問い掛けるも、答えは返ってこない。

 

「お前のような人間が何故、この一味に加わって……まぁいい、せめて苦痛無く送ろう」

「俺は……おれは……」

「……後で下の残党も処理しておこう。早く戻らなければな……」

「…………な、に……?」

 

 最後に男が呟いた言葉に、セリカの目の色が変わる。消えかけていた心の火が灯し、セリカの脳裏に映したのは美しい紅髪の女性の笑顔。

 

「さらばだ、名も知らぬ若者よ…………むっ」

 

 振り下ろした刃が途中で止まる。意図して男が止めたのではない、首に達する前にセリカの剣によって防がれたのだ。   

 

「……させない」

「戦意が戻った……? いや、寧ろ最初よりも――」

「彼女は殺させない! サティアは、俺が守るッ!!」

 

 セリカの片手から青白い雷光が迸る。

 中位の電撃魔術『落雷』が発動し、薄暗い室内は閃光に包まれた。

 

「ほう……魔術も使うのか」

 

 セリカの手から離れた雷光が天井に集まり、男の脳天を貫こうと降り注ぐ。が、闘気の帯を纏った男の剣によってあっけなく斬り裂かれてしまう。魔術を掻き消した一閃は軌道を変え、背後から迫る存在に向けられる。

 

「だが、これでは目暗ましにもならん」

「――がッ、ぁあ!」 

 

 袈裟斬りの刃がセリカの身体を滑る。

 飛び散った鮮血が床を汚し、セリカは前のめりに倒れ…………剣の切っ先をオルステッドに向けた。

 

「なにっ……!」

 

 男はそこで、セリカの身体が薄い光の膜に覆われている事に気付く。 

 セリカの少し後ろでは男が殺したバリハルト神官が倒れており、乱れた懐からは封を切られた巻物が覗いていた。

 

(アレは確か、自身の肉体を強化させる道具……まさか、それを使って耐えたのか……!)

 

 急いで振り抜いた剣を戻そうとするもそれより僅かに速く、セリカの剣の間合いがオルステッドを捉える。

 

 ――――飛燕『身妖舞』、飛燕『円舞剣』

 

 流れるような剣の舞が、防御の遅れた男を斬り刻む。反撃しようと握っていた黒い剣は衝撃で弾かれ、再生する

速度を上回る勢いで男の身体に裂傷が増えていく。

 

「止めだッ!!」

 

 そう叫んだ直後、男を襲う剣閃の嵐が紅く染まった。

 

 ――――飛燕『紅燐剣』

 

 刀身から発せられた念動の刃が男を吹き飛ばす。

 床を削りながら男が激突したのは、偶然にも男がバリハルト神官を縫い付けていた場所と同じ壁だった。

 

「ハァ……ハァ……これで、どうだ……?」

 

 今の自分の持てる全てを出し尽くした。これで駄目なら、サティアを連れて逃げるしかない。

 どうかそのまま倒れてくれと願っていると、近くから鎖の擦れる音が聞こえた。

 

「そうだ、捕まっている女性を助けないと……」

 

 極度の疲労で鉛のように重くなった身体をなんとか動かし、拘束されている娘の下へと駆け寄るセリカ。

 剣を床に放り投げ、痺れの残る手でぎこちなく娘の鎖を解く。娘はセリカと男の攻防で気を失ってしまったようだが、幸い何処にも怪我は見られなかった。

 

「良かった……後は応援を待つだけ――ぐぁッ!!」

 

 一安心してほっと息を吐いた直後――――頭に鈍い痛みが走り、視界が逆転する。

 

「良い筋をしている。それだけに惜しいな」

「……!!」

 

 床に転がされたセリカを、冷たい目が見下ろしていた。

 片手にはセリカが投げた剣が握られており、それがゆっくりと男の頭上に持ち上がる。

 

「く、そぉ……!」

「今度こそ終わりだ。これで……」

「――駄目!!」

 

 突如、セリカと男の間を紅い髪の女が割り込んだ。

 背後にセリカを隠した女は両手を広げ、今にも剣を振り下ろそうとしている男の前から動かない。

 

「セリカは殺させないッ! どうしても彼を殺そうと言うなら、私が代わりになる!」

「やめろ、サティア……!」

「嫌よ、貴方を放っておけないわ!」

 

 庇われた形になったセリカが苦し気に逃げろと告げるが、サティアは毅然とした態度で男を見据えたままだ。

 

「……どうなっている? もしや、私は何か誤解を…………ぐぉッ?!」

 

 悪意の無い二人の姿に、己の中で違和感を感じ始める男。

 

 ――その身体が、急にぐらついた。

 

(なんだッ、この感覚は……この女を見ていると、頭が割れるように痛む……!)

 

 とても立っていられず、男は額を押さえたまま膝を着いてしまった。急変した男の様子に、セリカとサティアは困惑した表情で男を見詰める。

 

「だ、大丈夫……ですか?」

「サティア、近付いちゃ駄目だ!」

 

 遂には蹲ってしまった男に、サティアは思わず心配そうに声を掛ける。しかし、彼女の端正な顔を見る度に男の顔は苦痛で歪み、右肩を押さえて床に倒れてしまう。

 

「サ、ティア……さてぃあ……違う、お前は……ぐ、ぅ……!」 

 

 頭が無茶苦茶に掻き回される。

 己のものではない、誰かの記憶が濁流となってオルステッドの思考を侵していく。

 

 ――見えたのは、天上で輝く星々の海。この世のものとは思えない絶景の中で、一際目を惹きつける二つの光。よく似た輝きを発する光は共に黒い地上に降り立ち、正義と慈愛の光が地上に蔓延る穢れを払い、清めていく。

 

(何だ、この感情は……この記憶は……っ!)

 

 悲しい。

 守るべき子供達が争いをやめてくれない。

 

 悲しい。

 正義の光が天上へ還ってしまった。

 

 悲しい。

 手を取り合った現神が、姿を消してしまった。

 

 かなしい。

 一緒に笑っていた筈のヒトが、いつしか私を嗤っていた。

 

 カナシイ。

 ドウすればイイ、この感情のセイで皆が血ヲ流ス。コノ感情ノセイでミンナが涙をナガス。

 コノ感情ノセイデ…………アア、ソウカ。コレガ悪インダ。

 

 

 

 

 ウレシイ。

 コレデ、ミンナヲ救エル。 

 

 

 

 

「争いの元凶を……感情を無くせば……ぐ、おぉッ……!」

「一体、彼はどうしたの……?」

「くっ……サティア、今のうちに逃げるんだ」

 

 心配するサティアの肩をセリカがそっと押して、うわ言を呟く男から離す。

 そうして、男が動けない間に一刻も早く彼女を逃がそうとセリカが入口を向いた時……

 

「違う……! それでは……意味が無いッ!」

「ッ! くそ、もう動けるようになったのか!」

 

 幽鬼のように立ち上った男から今度はサティアを庇うセリカ。

 

「憎しみは争いを生むが……だからと言って憎しみを、心を無くしてしまえば……それでは……」 

「こうなったら、彼女が脱出できる時間だけでも――」

「待てえぇぇい!!」

 

 意を決したセリカが捨て身で男に飛び掛かろうとした時、セリカの背後を紅蓮の影が追い抜いた。

 

「きゃあ!」

「な、なんだ!?」

 

 風圧で飛ばされそうになったセリカ達が目撃したのは、翼を生やした紅髪紅目の美女が空中で滑りながら男に飛び蹴りを見舞う瞬間だった。完璧に決まった鮮やかな一撃は男の意識を刈り取り、男は再度壁に叩き込まれる。

 

「ふぅ……まったくこの馬鹿者め! 我の目に適った者達に襲い掛かろうとは、けしからんぞ!」

「あ、貴女はさっきの……!」

「フフフ、感激して言葉も出ぬか? ……む、そう言えばそなたらには我の名を告げてはいなかったのう」

 

 呆然とした顔でこちらを見る二人の姿を見た女が、得意げに胸を張る。その際に自慢の紅髪を翻すことも忘れない。

 

「特別に教えてやろう、我は睡魔王女クルージェ。さぁ、我を崇拝するがよい!」

「その翼……貴女は魔族だったのですか!?」 

「え? もしかしてセリカ、気付いていなかったの?」

「――――」

 

 ……こうして、彼等は出逢った。世間一般の出逢いとは随分と毛色の異なるものではあったが、結果的に誰も命を失う事態にはならなかったのがせめてもの救いだろう。

 この出逢いが今後、この世界にどのような変化をもたらすのか。それはまだ、誰にも分からない……  

 

 

 

 

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