堕ちた勇者は彼の地にて   作:胸焼け

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第14話 罪

 ――――声が聞こえる。

 

「オルステッド! 俺達で魔王をたおしてやろうぜ!」

 

 それは、遠い過去の記憶。

 

「やっぱり! 武闘大会で優勝したオルステッド様だ!」

 

 それは、二度と戻らない在りし日の情景。

 

「すると貴方……」

「左様。かつてハッシュと共に魔王を倒した者……ワシが僧侶ウラヌスじゃ」

 

 懐かしい響きが鼓膜を震わし、がらんどうな胸の内に張り裂けるような痛みが走る。

 

「勘違いするな。私は人間達なぞのために戦うのではない」

 

 気が狂う程の憎しみに身を委ね、最期は悪鬼となって果てようとも。 

 気の遠くなるような時の流れに揉まれ、遂には世界の垣根を越えようとも。

 

 それでも……

 

「人間である以上、人間がイヤんなったら……おしまいじゃねーか!」

 

 時代に抗った少年の魂の叫びが。

 

「それでも……人は生きる……」

「拙者は信ずる……どんな夜も、必ず明けると!」

「ジジイ……あたいは間違ってないかい?」

「俺は求め続ける……最強の道を!」

 

 時代を越えた英雄達の意思が。

 

 人間であることを忘れてしまった青年に、捨て去った過去を思い出させた――――

  

 

 

 

「バ……バカな……魔王ではない!」

 

 荒れ果てた岩山の内部に存在する薄暗い迷宮、その奥深くで男の叫び声が木霊した。

 其処は迷宮の最奥部にあたる広間だった。石の床は所々が陥没し、壁には大きな亀裂が走り、広間を支える柱の殆どが折れて丸太の様な破片を散乱させている。

 広間の中心には半壊しつつもまだ形を保っていた石像が、そして石像の足元には力無く横たわる壮年の男の姿があった。

 

「フッ……勇者ハッシュが聞いて呆れるぜ……これが臆病になった者への報いか……」

 

 白銀の鎧は大量の吐血で赤く染まり、鷹の如き鋭い目には愚かな己に対する自嘲の念が浮かんでいる。

 暗く、冷たい床の上で無様に事切れる。それが、嘗て邪悪な魔の手から王国を救った勇者の最期だった。

 

「ハッシュ、お主……病を患っておったな!」

 

 男の旧友にして戦友である老人が、普段の穏やかな表情を崩して男に叫ぶ。

 それは背中を任し、命を預け合った相棒にも打ち明けずに一人で抱え込んでいた友への憤りだった。

 それは男の容態に気付かず、半ば強引に連れ出してしまった己への怒りだった。

 

「そんな身体で……なぜ来たのだ!!」

「……私は老いたりとはいえ……一度は呼ばれた人間だ……勇者、と……」

 

 血の気の失せた青白い顔に浮かぶ、ぎこちない微笑み。久しく見る事の無かった、数十年振りになるだろう男の笑顔を見て、老人は開いた口を閉じてしまう。何度も治癒魔法を掛けても一向に良くならない男の容態が、もう全てが手遅れであるという現実を老人に伝えていた。

 

「フッ……少しは、勇者らしい最期を迎えられそうだ……」

「……ハッシュ……」

「オルステッド……この剣はお前が使え……」

 

 そう言って男は倒れたまま、傍らのオルステッドに己の愛剣を差し出す。

 担い手の気高い精神と同じ黄金の輝きを放つそれは、聖剣『ブライオン』。

 例え見た事は無くとも王国の民なら誰もが知っている。青空の下で詩人が歌い、月夜の下で親が子に聞かせる物語の、悪しき魔王を打ち倒した勇者が振るっていた伝説の剣。それが今、次代を担う新たな勇者へ継承されるのだ。

 

「姫は……お前が助けに来ると信じている。信じてくれる者が一人でもいる限り……その人間を、信じるのだ……!」

  

 血反吐を吐きながら、老いた勇者は若き勇者に語る。

 不甲斐無い自分に代わって姫を救い出せ。人間を信じられなくなった弱い男の二の舞にだけはなるな。

 数万の民の為に戦うのではない。お前を信じ、今もお前が来るのを待っている掛け替えのない一人の為にその剣を振るえと、男は死の間際に告げたのだった。

 

「……分かった。姫は私が必ず救い出す。必ずだ……!」

 

 そうして、新たな勇者の手にブライオンが握られ――――

 

 

 

 

「待てよ、オルステッド」

 

 ――――正に今、ブライオンが渡されようとしたその時。

 

 冷え切った友の声がオルステッドの背中を刺した。

 

「どうした、ストレイ……ッ!?」 

 

 訝しげに振り返ったオルステッドは親友である魔導士の男の姿を見て、驚きで目を見開く。

 

「お前にその剣を握る資格はねぇよ。なんたって……」

 

 ニヒルな笑みを浮かべてオルステッドを見やるストレイボウ。

 

 しかし――――その全身は血塗れで、腹に開いた大きな風穴からは夥しい量の鮮血が流れ落ちていた。

 

「なんたってお前は……魔王なんだからなぁ!」  

 

 壊れた玩具のようにケラケラと笑い出した親友を呆然と見詰めるオルステッド。するとストレイボウは急に笑うのを止めてオルステッドに詰め寄ると、立ち尽くしていたオルステッドの胸倉を掴み上げ、濁った眼で睨み付けた。

 

「それとも、その剣でまた俺を殺すのか? あの時のようにッ!」

「ち、違う……私は……!」

「何も違わねぇよ、これは事実だ。お前は俺を殺し、姫を殺し、王国の民を殺し尽した。ほら、足元を見ろよ」

 

 ストレイボウに促されるままにオルステッドは視線を下に向ける。

 

 ――そして、現実を思い知らされる。

 

「痛い……痛いよ……」

「あぁあ……どうして俺がこんな目に……」

「お母さん……何処に居るの……?」

 

 広間に充満する嘆きの声。オルステッドが見たのは、床を埋め尽くして溢れ返る亡者の群れだった。

 千切れかけた下半身を引きずる者。首から上を無くしたまま、ふらふらと辺りを彷徨う者。両目から血の涙を流し、見えない母の姿を乞う者。気付けば、辺りは死臭と怨嗟の渦巻く混沌の坩堝と化していた。

 

「しっかり見ろよ、全部お前がやったんだぞ?」

 

 言葉を失ったオルステッドの肩にストレイボウが腕を乗せる。

 血の滴る腕からべっとりと血糊が染み付き、肩に圧し掛かった重みがまるで犯した罪の重さの様にオルステッドの精神を苦しめる。身体は震え、オルステッドは眼下に広がる地獄から目を離せなかった。 

 そうしていると、亡者の群れの中から幾人かの見知った人影が現れ、じりじりとオルステッドの下へにじり寄っていく。彼等から等しく向けられるのは、憎悪に塗れた黒い眼差し。

 

「失望したぞオルステッド。どうやら私の目は節穴だったようだ」

「何ということじゃ……ワシはこんな愚か者の為に命を無駄にしたのか」

「貴様こそが真の魔王じゃ!」

 

 壮年の男が冷たく吐き捨てる。老人が真っ赤に濡れた両手で顔を覆い、怨み事を漏らす。

 城下町で声援を送っていた貴婦人が、旅立つ背中を見守ってくれた門番が、次代の勇者だと持て囃した大臣が、あらゆる人物がオルステッドに敵意を向ける。

 

「オルステッド様!」

「……君は……」 

 

 動く者全てから際限の無い悪意が注がれる、そんな時だった。

 絶望で塗り固められた空気を否定するように、亡者の群れから小さな子供が飛び出した。そのまま勢い任せに腰に抱き着いてきた子供を見て、オルステッドは膝から崩れ落ちそうになってしまう。

 

 見覚えのある、顔だった。

 

「嘘だよね! オルステッド様は魔王なんかじゃないよね!」

「…………ッ」

 

 必死な目でそう叫ぶ少年に、しかしオルステッドは何も答えない。

 最後まで自分を信じてくれた数少ない存在である少年の気持ちを、結果的にとはいえ裏切ってしまったのだ。

 

 今更何と声を掛ければいい。何も言える筈がない。

 

「オルステッド様は勇者様なんだ! 魔王じゃないって、そう言ってよ!」

「……違う……違うんだ…………私は――――ッ!?」

 

 穢れの無い純粋な目に見詰められ、耐えられなくなったオルステッドが少年を離そうと手を伸ばす。

 

 しかし――――その手が、少年の肩を掴む事は無かった。

 

「みんな……みんな死んじゃったよ。パパもママも……兵士さんに刺されて、動かなくなっちゃった」 

 

 胸から生えた槍の刃先を手でなぞり、それから思い出したようにゆっくりと倒れる少年。

 笑顔の眩しかった顔から表情が消え失せ、涙に濡れた小さな目が憧れの勇者に訴えかける。

 

「どうしてこんなことになっちゃったの……? みんな、悪いことなんてしてないのに……どう……し……」

 

 少年の目から光が消える。

 

 目の前で息を引き取った少年に、オルステッドは遂に何も告げる事が出来なかった。

 只々、己の無力を思い知らされ、非情な現実の前に立ち尽くすしかなかった。

 

「分かったか? 今更善人ぶったところで、過去は変えられないんだよ」

 

 絶望に打ちひしがれたオルステッドの背後でストレイボウが嘲笑う。

 

「…………私の……私のせいでこの子は……」 

「そうだ、お前に関わったばかりにそのガキはとばっちりを受けた。お前が殺したも同然だ。……そう、()()と同じように……」

 

 ストレイボウがスッと横に身を引く。するとそれまでストレイボウの背に隠れていたのか、其処には一人の女性が佇んでいた。女性は俯くオルステッドの前にそっと歩み寄ると、ほっそりとした白い手をオルステッドの頬に添え、優しく顔を持ち上げる。

 

「――ッ?! あ……貴女は……ッ!」 

 

 目が合うなり固まってしまったオルステッドに、女性はにこりと微笑んだ。

 厳かな空気を纏った細身を包む、純白のドレス。絹糸のように柔らかく明るい紫の髪。可憐で妖艶な、万人を魅了する浮世離れしたその美貌。

 

 女性を認識した瞬間、オルステッドの胸中に感情の嵐が吹き荒れた。

 様々な色を見せながらオルステッドの中で駆け巡っていたのは、驚愕、焦燥、憤怒…………そして、悲嘆。

 

「ア……アリシア……!」

「……ねぇ、オルステッド」

 

 憂いを帯びた声で、女性がオルステッドに話し掛ける。

 美しい髪の下から覗くアメジストの瞳が、揺れるオルステッドの瞳を見詰め返す。

 

「……どうして……?」

 

 

 

 

 

 

 ――どうして来てくれなかったの――

 

 

 

 

「――――ッ!!」

 

 声にならない声を上げて飛び起きるオルステッド。 

 

 息を荒げ、額に滲んだ汗もそのままに素早く周囲を見渡す。

 

 「…………夢、か」

 

 己がベッドに寝かされていた事に気付いたオルステッドは、肺に溜まっていた重い空気を吐き出しながら、誰に告げるともなく呟いた。その後に、改めて周囲を見渡してみる。

 

 木製の白い壁に天井、床には若草色の薄い絨毯が敷かれている。傍には同じく木製のテーブルに椅子と、調度品の並んだ棚が置かれていた。部屋自体はそれほど広くはないが、よく掃除がされているようで清潔感がある。旅行者が暫しの間滞在するにはうってつけの部屋だろう。

 

(また、同じ夢を……未練か、後悔か……女々しいものだ……)

 

 ベッドのすぐ横にあった、部屋に一つだけ設けられている窓から気晴らしに外の景色を眺める。

 其処から見えた景色を一言で表すなら……港街、だろうか。石造りの街並みの向こうには青い海が広がり、無数の船が白い尾を引いて海原を走っている。表の通りは沢山の人々で賑わい、彼方此方に建てられた出店から威勢の良い声が聞こえてくるようだ。

 

「此処は何処だ……私はあの砦で……?」

 

 背の高い建物の中に居る為か、窓から街の景色を存分に眺める事が出来た。が、見覚えのない街に居る事にオルステッドは疑問を覚える。

 その時、オルステッドが起きたタイミングを見計らったかのように部屋の入口が開かれた。

 

「む、目が覚められたか。これは丁度良かった」

 

 部屋に入って来たのは、赤い長髪の男だった。真面目そうな顔に微笑を浮かべ、状況がよく分からないといった顔をしているオルステッドに対し、咳払いをしてから説明を始める。

 

「丸一日眠っておられたからどうしたものかと気を揉んでいたが……失礼、申し遅れた。私の名はスフィーダ・ハムス。この地域一帯を守護するバリハルト神殿の戦士だ」

「……オルステッドだ」

 

 見た目通りの真面目な口調で語るスフィーダに、短く己の名を告げる。

 今のところ敵意は見えないが、だからと言って害が無いと判断するのは早計というもの。スフィーダの話に耳を傾けつつ、オルステッドは相手の細かい所作に注意を払う。

 

「先ずは礼を言わせてほしい。我々の名を騙った賊の討伐に協力してくれたと、先行していた仲間から聞き及んでいる」

「そうか」

「勿論、誤解とはいえ貴殿に剣を向けてしまった事も知っている。仲間が非礼を働き、本当に申し訳無い」

 

 深々と頭を下げるスフィーダから目を離さないまま、オルステッドはカバキ砦での出来事を振り返る。

 盗賊の首魁を殺した事までは鮮明に記憶している。しかし、直後に出くわした若い剣士と戦い始めた辺りから何故か記憶が曖昧になっていた。

 

(確か……止めを刺そうとした際に、紅い女が割り込んで……紅……?)

 

 原因不明の頭痛に襲われ、意識を朦朧とさせながらそれでもなんとか立ち上がろうとした、その時だ。

 突然、視界が紅一色で染まって…………その後の記憶が無い。

 

「勝手ながら貴殿の装備も確認させてもらった。だが、心配しないでくれ。同胞の仇を討ってくれた恩人だ、これ以上の詮索はしない」 

「……紅……まさか……いや、しかし……」

「ただ、モノがモノだからな。誤って触れないように簡単に封を掛けた上で、其処の木箱に……どうかされたか?」

 

 顎に手を添えて何やら考え込んでいる様子のオルステッドに、説明の途中だったスフィーダが怪訝そうに尋ねる。

 

「すまない、何でもな……いや、そうだな……クルージェという女を知らないか? 紅髪の……いつも賑やかな奴なのだが」 

「クルージェ? ……ああ! あの女性か。彼女なら恐らくセリカ達と一緒にいるだろう」

 

 オルステッドの問い掛けに僅かに間を開けてから、スフィーダが答えを返す。

 そしてオルステッドに今の時間なら恐らく市場の辺りにいるのでは、と窓から見える一点を指差した。

 

 無数の人間で混み合ったその場所をよく見ると、人混みの中に一瞬だけ紅い色が見えた……気がした。

 

 

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「サティア、これは何じゃ?」

「それは万華鏡よ。筒の中を見ながらこうやって転がすと……」

「な、なんと! 中に描かれた模様が鮮やかに移り変わっていくぞ!」

 

 通りを行き交う人々の視線が、とある骨董品屋の前に注がれている。

 埃を被った小さな店に、無数の人々が意味も無く注意を向ける訳が無い。彼等の目を惹きつけているのは、店先で仲良く商品を眺める二人の紅い美女だ。

 勝気そうな見た目をした片方の女性が細い筒を覗きながら目を輝かせ、その隣で温かな日差しを思わせるお淑やかな女性が優しく微笑んでいる。

 

「むぅ、一体どのような魔術が込められているのだ?」

「魔術なんてかけられていないわ。これは内側に張ってある鏡に、着色された硝子や石の細片が反射してるだけ。それが移動することで……」

「あー……サティア、解説してるところ水を差すようだけど……彼女、話を聞いていないみたいよ」

  

 同じ紅でありながら片や激しく、片や柔らかな印象を与える二人の背に声を掛ける若い女性。

 短めの髪に褐色の肌、動きやすさを重視した布地の少ない特徴的な神官服を身に纏ったその女性は、夢中で細い筒を転がしているクルージェに呆れ顔になる。

 

「まったく、魔族だからって警戒していたアタシが馬鹿だったわ。これじゃあ、田舎から出てきた娘と変わらないじゃない」

「姉さん、こんなところで迂闊な事を言わないでくれよ。彼女の素性は秘密にするって約束しただろ」 

「ハイハイ、そんな事アンタに言われなくても分かってるわよ」

 

 組んだ手を頭上に持ち上げ、程よく引き締まった健康的な身体を見せつけるかのように大きく背伸びした女性を、後ろから注意する青年。そんな青年の頭を軽く小突き、女性はクルージェに話し掛ける。

 

「朝から飽きもせず……ホント、子供みたいねぇ。そう言えばアンタ、連れの人が寝込んでいるんでしょ。お見舞いに行ってあげなくていいの?」

「気にするでない、あ奴は殺しても死なない男じゃ。それにこういう時でないと自由に動けないからのう」

「そうなの? まぁ、アタシがとやかく言う義理も無いけど……」

「そうじゃそうじゃ、気にする必要は無い。…………時にカヤよ」

 

 筒を商品棚に戻してからくるっと振り返ったクルージェは、カヤと呼んだ褐色の女性と、その背後に立っていたセリカに目を向ける。セリカの額や腕には白い包帯が巻かれていた。

 

「我が言うのも何じゃが、オルステッドはそなたの弟を散々に打ちのめしたのじゃぞ。……その、怒ってないのか?」

「怒ってないのかって……あっははは! いーのよそんな事。この子ったら普段から無茶ばっかりするから、寧ろ今回の事は良い経験になったわ」

「姉さん、そんな余計なお世話だって……痛っ!」

「それにほら! 大袈裟な恰好してるけどもうピンピンしてるしね」

 

 急にしおらしくなったクルージェに、それこそ心配する必要は無いと笑いながらセリカの背中を叩くカヤ。

 叩かれる度にセリカの口から呻き声が漏れているが、彼女は全く気にしていない様子だ。そんなカヤの態度に安心したのか、曇っていたクルージェの顔にすぐに明るい笑みが戻る。

 

「そなたは良い奴じゃな、我はそなたを気に入ったぞ! それはそうとサティアよ、先程から妙に気になっていた一品があっての…………ほれ、これを見よ」

「あら、これは……?」

 

 クルージェが手に取ってサティアに見せたのは、古びた丸い金属製の円盤だった。

 片面には不思議な紋様が刻まれており、裏返してみると神妙な顔で覗き込むサティアとクルージェの顔が円盤に映し出された。

 

「これは青銅鏡ね。……っ! 驚いたわ、こんな代物がまだ現存していたなんて……!」

「何じゃ、これはそんなに珍しいものなのか?」

「珍しいの一言で片付けられるものじゃないわ。これはあの、アルキメデスの生きた時代に作られたものよ」

「なになに、二人してどうしたの?」

 

 静かに驚きを示すサティアに比べて、事情がよく分かっていないクルージェは首を傾げるばかり。

 そんな彼女等の様子に興味を引かれたカヤが、二人の間から顔を覗かせて円盤を眺める。

 

「へぇー……何だか古臭い感じ。もしかして、相当な掘り出し物だったり?」

「どう説明したらいいのか……紀元前……じゃなくて、そうね……遥か昔、先史文明期を更に遡った古の時代と言えば何となく分かるかしら」

「先史文明期よりもずっと昔……って、ええ!?」

 

 サティアから丁寧に説明されて、漸くこの鏡のもつ希少性を理解したカヤが大きく口を開いて驚愕を露にする。

 

「とんでもないお宝じゃない! ちょっとお爺さん、この鏡買うわ!」

「はいはい、毎度あり。お代はこのくらいじゃが」

「……うげっ! た、高い……ちょっとセリカ! アンタが払いなさい!」

「な、何で俺が!?」

 

 財布を奪い取ろうとするカヤから当たり前だが必死に抵抗するセリカ。

 店の前でぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた姉弟をしり目に、ぼんやりと鏡を見詰めていたクルージェが鏡の縁に刻まれていた紋様を指で突く。

 

「この紋様はもしや、その古の時代とやらの文字なのか?」 

「そうよ。これは……」

 

「――それはギリシャ語だ」

 

 クルージェに尋ねられ、サティアが口を開こうとしたその時。彼女に代わってクルージェの疑問に答える者がいた。

背後から聞こえた声に釣られて二人が振り向くと、其処には周囲の人間と比べて明らかに存在感の異なる、金髪の青年が佇んでいた。

 

「おお、やっと起きたか! オルステッドよ、此処は我の興味を引くもので溢れているぞ!」

「そうか」

 

 朗らかに笑うクルージェに小さく返事を返すオルステッド。

 クルージェはこの街を散策して知り得た発見と驚きの数々をオルステッドに得意気に語っていたが、ふと、黙って話を聞いていた目の前の青年に違和感を覚えた。いつもと同じようで、何処か違うような気がしたのだ。

 

「……オルステッド、何かあったのか?」

「いや、何も無い。普段通りだ」

「…………むぅ、そう……なのか?」

 

 仏頂面をしたオルステッドの顔をまじまじと見詰めながら、クルージェは答えの出ない違和感を誤魔化す様に、いつもの自信に満ちた笑顔をオルステッドに向ける。

 

「そうじゃ、面白いものを見せてやろう! この筒はの、なんと魔術も使わずに――」

「…………」

 

 先程の筒を再び手に取り、得意げに語り始めたクルージェを無言で見詰めるオルステッド。

 だが、その視線はクルージェではなく、未だに騒ぎ続けている姉弟の片割れに向けられていた。

 

「ちゃんと返すっていってるじゃない! ちょっと借りるだけよ!」

「そんなの信用出来る訳ないだろ! いい加減に……ッ! あ、貴方は!」

 

 その視線を感じたのか、姉への抵抗を続けていたセリカは少し離れた所に立っていたオルステッドの存在に気付き、ピタリと動きが止まる。急に抵抗を止めた弟に不思議そうにするカヤを放置し、セリカはオルステッドの下まで急いで駆け寄り、地面にぶつかりそうな勢いで頭を下げた。

 

「オルステッドさん! 先日はすみませんでした!」

「……何の事だ?」

「その、カバキ砦で貴方を盗賊の一味と勘違いして剣を向けてしまって……」

「砦……待て、その件についてなら君が謝る必要は無い。先に手を出したのは私だ。寧ろ、謝罪するのは私の方だ」

 

 尚も頭を下げようとするセリカの肩に手をかけ、顔を上げさせる。 

 そのまま今度はオルステッドが頭を下げようとしたが、やめてくれと酷く焦った様子のセリカから懇願され、やむ無く姿勢を戻す。

 

「セリカ……と言ったか。君は……」

 

 セリカを落ち着かせた上で、オルステッドは改めて目の前の青年の姿を眺めた。

 次の神格者候補であり、風の勇者として将来を期待されている青年。曇りの無い真っ直ぐな目に、少し話してみてすぐに分かる誠実な人物像。粗削りだが、オルステッドの目から見てもまだまだ十分に伸びしろがある戦闘技術。

 

 成る程、確かにこれなら周囲が期待するのも当然と言えよう。 

 

「…………」

「あの……実はお願いがあるのですが……」

「…………」

「いえ、貴方の秘密が聞きたい訳では無いですよ! 人は誰しも、何かしらの事情を抱えているものですし……いや、そうじゃなくて!」

 

 無言を貫いたまま、瞬き一つせずにこちらを凝視するオルステッドに、慎重に言葉を選ぶセリカ。

 恐る恐る自分の意思を伝えようとするも、寒気を感じてしまう程の鋭い眼光に萎縮してしまい、思うように声が出てこない。

 

「――お、お願いします! 俺を鍛えてください!!」

「…………なに?」

 

 考える事を止めて半ばヤケになったセリカの叫びに、オルステッドは以外な反応を見せる。

 氷のように冷たく、それまで一切の感情を感じられなかったオルステッドの顔に、明確な困惑の色が浮かんだのだ。 

 

「貴方とカバキ砦で対峙した時、自分の小ささが嫌という程身に滲みました。俺はもっと強くなりたい。いや、強くならなきゃいけないんです!」

「…………」

「クルージェさんから聞きました。貴方が、如何に優れた剣の使い手であるかという事を! お願いします! 俺を――」

「一つ、聞いていいか?」

 

 人混みの中である事も忘れ、極まった感情に任せて言葉を重ねるセリカに、オルステッドの冷静な一言が被せられる。

 

「君は、何の為に強くなりたい?」

「それは……」

 

 オルステッドにそう問われたセリカは、迷う事無く背後を振り返った。

 

 彼が視界に収めていたのは、彼にとっての最愛の()()

 彼女とはつい最近知り合ったばかりだった。だが、初めてその姿を見た時から、セリカの心の大部分を彼女という存在が占めていた。それは彼女の方も同じで、まるで昔から知っていたかの様な、運命的なモノをお互いに感じあっていたのだ。

 

「それは彼女を……サティアを守る為です!」

 

 往来の真ん中ではっきりと言い切ったセリカに、当事者であるサティアは勿論、それに一緒に聞いていたカヤまで顔を赤くしてしまう。ちなみに、クルージェだけは愉快気に腕を組んで事の顛末を見守っていた。

 

 そして、セリカの真摯な想いと熱意を間近で感じたオルステッドは、目を閉じて押し黙った後に短く「分かった」と呟いた。

   

「そ、それじゃあ……!」

「ああ、君の意思は理解した。それなら……」

 

 

 

 

「――――悪いが、他をあたってくれ」

 

 期待に染まったセリカにオルステッドが告げたのは、紛れも無い拒絶の意思だった。

 

「……えっ……そ、そんな!? ま、待って下さい!」

 

 熱心なセリカの申し出を酷くあっさりと断ったオルステッドは、諦め切れないと後ろで縋るセリカの呼び掛けを無視し、忙しなく行き交う人々の波に紛れて去って行ってしまった。

 

「あらら、こりゃ見事に振られちゃったわね」

「すまぬのう、あ奴は人見知りでな。そう気を落とすでない」

 

 落ち込んで肩を落とすセリカを慰めるように、明るく笑いかけるカヤ。クルージェも仲間の冷たい対応に申し訳無さそうにしている中、オルステッドが消えた方向をじっと見詰めている人物がいた。セリカの意中の相手、サティアだ。

 

「サティア、どうしたのじゃ?」

「……あの人……どうしてギリシャ語を知っていたのかしら……」

 

 最早見えない筈のオルステッドの背を只管に眺めるようにその場から動かないサティア。その姿を見たクルージェが、気を悪くしたのかと心配そうにサティアの顔を覗き込む。だが、彼女の顔は憤りとは無縁の、純粋な疑問で満ちていた。 

 

「よく分からぬが、それだけ勤勉なんじゃろう」

「……そう、ね」

「おっと、忘れるところであった。結局、この鏡の文字は何と書いてあるのじゃ?」

 

 簡単に結論付ける呑気なクルージェに、緊張を解されたサティアが苦笑いを浮かべる。 

 そして、考え過ぎだろうと自分を納得させ、鏡を持ったクルージェの問い掛けにゆっくりと答えた。

 

「それはね、この世界の言葉で――――『真実』というのよ」

 

 

          ・

          ・

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 ――某所。

 

 薄暗い空間に一筋の亀裂が走る。空間そのものを裂くようにして出現した亀裂は徐々に大きくなり、程なくして亀裂の向こう側から異形の怪物が姿を現した。

 

 その姿を何と形容すれば良いのだろうか。

 罅割れた石の床を踏み締める、黒い魔獣の四肢。魔獣の頭に相当する部分には女の上半身が生えており、その両手を覆う鉤爪の様な手甲が鈍い銀色の光を放っていた。

 

「ふむ……肌をざわつかせる感覚に従って進んでみれば、何やら奇妙な場所に辿り着いてしまった様だ」

 

 低く唸り声を上げる怪物の上に跨り、騎乗の為の手綱を引いているのは、これもまた異形の存在だった。

 豪奢な装飾の施された礼服でその身を着飾り、真っ直ぐに通った鼻梁に輝く様なプラチナブロンドの髪が、その存在に高貴な印象を感じさせる。

 

 否――事実、彼は高貴な存在なのだ。と言ってもそれは人間ではなく、魔族としてだが。

 

 永劫の時の中で自由気侭に次元の狭間を流離う彼が此処を訪れたのは、只の偶然だった。

 石の壁で覆われた円形の空間。その空間に唯一存在していた造形物を見て、男の目に好奇心の光が宿る。

 

「ほう、これは見事な……何処ぞの一角公ではないが、実に美しい石像の数々だ」

 

 男が目の前に広がる造形物を――――()()()()()を眺めて、感嘆の息を吐く。

 

 一体目……『虚無に憑かれた不気味な男』

 

 二体目……『勇猛なる若き竜族の戦士』

 

 三体目……『小さな球体に帽子と靴を履かせた様な、不思議な物体』

 

 四体目……『顔の無い細身の青年』

 

 五体目……『長大なハルバードを振るう女神官』

 

 六体目……『圧倒的な覇気を身に纏う長髪の美女』

 

 七体目……『慈愛に満ちた女――――

 

 

 

 

「其処までだ、異次元の旅人よ」

 

 一瞬にも満たぬ刹那。

 

 何処からか声が聞こえたと男が思った時には、既に稲妻の如き一閃が男の首目掛けて放たれていた。

 

「何ッ!?」

 

 だが、対する男も世の常識を超えた存在である。死角からの不意打ちに声を荒げながらも、恐ろしい程の反応速度でこれを完全に避け切り、お返しとばかりに紫電を帯びた魔力弾を相手に撃ち込んだ。咄嗟に放ったとは思えぬ程の尋常でない魔力が込められた一撃は狭い空間を激しく揺らし、罅割れた壁を貫通して先の見えぬ大穴を穿いた。

 

「今の剣筋……只者ではないな。答えよ、貴公は何者だ」

 

 警戒心を露わに、目を細めながら男が問う。

 

「――哀れな。傍観者に徹していれば、命を永らえたものを……」

 

 天井から瓦礫が崩れ、巻き上がった砂埃の中から黒い影が浮かぶ。

 直後、横一閃に放たれた剣の一振りによって、視界を遮っていた砂煙と瓦礫が根こそぎ薙ぎ払われた。

 

「過ぎた好奇心が命取りとなったのだ。貴様はもう此処から逃げられぬ」

 

 真紅のマントを翻し、下半身の無い甲冑を着込んだ亡霊が男の前に姿を現す。

 揺ら揺らと空中を漂いながら金色の刃を男に突き付け、十字を象った大兜の視野窓から強烈な殺意が溢れ出した。 

 

「初撃は偶然避けられた様だが、二度目は無い。次の瞬間が貴様の……ッ!」

 

 淡々と語っていた亡霊の全身が硬直する。

 それは自身と同等か、或いはそれ以上の殺意をこれから消そうとした相手に浴びせられた為に起きたものだった。

 

「愉快な御仁だ。この我に対して其処まで言い切るとは、な」

 

 亡霊と対峙した男は……満面の笑みを浮かべていた。

 

 永らくの間、戦いから遠ざかっていた男が己と対等足り得る存在を前にして抱いたのは、久方振りに感じられるであろう甘美な刺激への期待。 

 恐らく、本気を出さねば命は無いだろう。もしかすると、本気を出しても適わぬ相手かもしれない。

 

「我は偉大なるソロモン王に仕えし魔の一柱、嘗ては三十の軍団を率いて三神戦争にその名を馳せし者」

 

 故に――――男は笑う。

 

 命を賭けた戦いに、魔族としての闘争の本能を満たしてくれる又とない機会に、美麗な顔に狂笑を貼り付かせて対面の亡霊に名乗りを上げる。 

 

「我が名はムールムール! 名も知らぬ御仁よ、一手ご指南願おうか!」

「……笑止。愚か者め、ウェザンブレードの錆となるがよい」

 

 亡霊と悪魔が。

 妖しげに輝く金色の剣と闇よりも冥い大剣が交差する。

 

 世界の裏側で、異次元の覇権を巡る剣戟の鐘が鳴り響いた――――

 

 

 

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